量子場師のむかえですお遍路
(心屋マスター29期 かのマス卒業)

 

 

前者・後者って?

 ⇒『■【永久保存版・全体概要】前者後者は世界を救う?!前者後者ってなんだ?

  (by 心屋仁之助さん)

 

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信じて欲しい

「信じて欲しい」後記。

「大丈夫じゃない」の境界

の続き。

 

 

 

後者の、何があっても「私は大丈夫」という自信は

後者が本来自然に持っている天分の力です。

 

 

 

でも一方で、

 

生きている現実の中では色々起こって、

困ったり、痛かったり、悲しかったり、さみしかったり、苦しかったりします。

 

死んじゃったら元も子もないですし、

死なないまでも、重大な心身の傷、というものはあります。

 

 

できれば そういうの、ないならないで済みたいですよね。

 

 

 

効率よく行けば色んな事ができるようになるし、

人とうまくつながれ世界も広がりますし、もっと楽しい。

 

予測がつけば事故も減るし、

普段利用しているサービスにだって溢れている

かゆいところに手の届く親切だったり

 

 

気持ちいいですよね。

 

 

前者さんは、それを叶えてあげようとしてるだけなんですよ。

 

 

 

 

で、それに付いて来ない後者が「心配」になる。

 

実際、後者は

その後の展開に想像力が足りてなかったりするので

天性の「大丈夫」で勝手に思いこんで、現実的には全然大丈夫じゃなかったり、

(たぶん「最後はなんとかなる」て思いが根底にあるので、先読みや危機感が甘いのです)

 

 

痛い目見ても平気、ってったって、

何度も遭い過ぎたら、さすがに後者だってしんどい。

 

 

 

でも前者のその気持ちから来る行動に後者は

全然気づかなかったり、迷惑がったり、たまに無残に踏みにじるもんだから、

前者は悲しかったり、イラッとしたり、怒りをためたりする。

 

ありがたいはずなのに、ありがたがらない。

 

 

 

花

 

前記事で、前者さんには、

 

本当はどこかで薄々後者の「大丈夫」をわかっていて、

だけどそれを認めたくない気持ちがあるんじゃないのかな、

と書きましたが。

 

 

 

 

それは1つには、わかりやすく

 

 

世話もかかりゃ、フォローも、尻拭いもしてる。

実際に、自分がいなけりゃどうなってたか、て現実的な事態だってあったりする。

具体的なところでは、後者は前者にだいぶお世話になっている。

 

 

そんな中で、

さも「わたし一人で生きています真顔て顔なんぞされたら、

 

 

あれもこれもできてないだろうが!!

誰が面倒みてると思ってるんだ!

 

 

と言いたくなる気持ちが一つ。

 

(これは親の子に対する気持ちも似てますかね。

 親子は、役割として前者的⇔後者的の関係ですからね)

 

 

 

そりゃそうですよね^^;

 

 

すみません。

後者に自覚と感謝が足りないのはホントそうだと思います。

 

 

 

 

花

 

そして2つ目は・・・

みっきーさん(前者)が先に書いて下さったので照れ

 

こちらをどうぞ。

むかえさんの”「大丈夫じゃないの境界”に思う前者的推測』

 

 

 

>眠れる獅子に対する無意識の恐怖、みたいな(言いすぎ?)

 

↑それ(眠れる獅子)が事実かどうかはさておき^^;

そいういう脅威をどこかで感じてる部分も確かにあるんだろうな、と。

 

 

特に子供や目下相手だと、

 

認めたら、自信を持って自覚されたら、止まらないんじゃないか、とか。

自分の世界を壊される予感とか、

あるいは自分の手や予測の届く範囲から逸脱される不安もあったり。

だから 「そうじゃないことにしとうこう」的な。

 

 

そして場合によっては

緩やかに、それと知られないくらいのレベルで、

さりげなく心理的メッセージを発して、浮上させないようにする

・・・てことも、してる人はしてるかもしれませんね。

 

 

 

ま、自分の持ってない潜在的な才能に対するこの心理自体は一般的なものなので、

個人で見れば前者も後者も関係ないんですが、

前者と後者っていう人種?間でも起こってる、ってことですね。

 

(ちなみにこれについて、「だから前者は」とか言いたくなる人は、ちゃんと自分を省みてからにしてくださいね)

 

 

 

 

花

 

 

でも、もうちょっと、

後者の「大丈夫」と対になっている、前者さんの心理があると思っています。

 

 

 

よっぽどガツンとやらなきゃ、

放っておけば平気で笑ってる後者を見て、

 

 

 

前者さんの心の隅にうっすら よぎるわけですよ。

 

 

あれ、私のやってることって、もしかして意味ないんじゃないの・・・?

必要のない・・なくてもいいことなの?

私の心配も怒りも悲しみも、あなたにはなんの影響も与えてないの・・・?

わたしと何の関係もなく、あなたは幸せなの?

 

 

 

で、これは前者さんにとっては

「お前いなくていいよ」て言われているに等しいメッセージ、なんだろうと思うんですよね。

 

 

 

前者さんは「関係性」の世界に生きていて、

関係性の中での自分を、「自分」というもののベースにしています。

 

 

関係性を「つなぐ」ということが、

それを目に見える形であらわすこと、表れていることが、

前者さんの一般的な愛情の形です。

 

 

 

自分がいなくても大丈夫、なのだったら、

私がいる意味がないじゃないのか。

 

 

そんな相手にどう関わったらいいのか。

何ができるというのか。わたし、いらないじゃないか。

 

 

 

そんな絶対的な「大丈夫」に、私を何ひとつ必要としてないのに、

表面的な都合のいいことだけ頼りにして、フォローさせて、

 

なんなの・・・?

ワタシってなんなの?

いいように使われてるだけなの?

 

 

 

・・・・。

 

 

 

「自分と他人は別の存在」というのが前提としてある後者と違って

前者さんは「自分と他人は同じような存在」 て感覚があるらしいですね。

 

 

もちろん、文字通りの意味ではないのですが、

関係性の中に存在する、色んな同じ、つながってる中のひとつ。

そんな感じでしょうか?

 

 

 

そんな前者さんの心の中の叫びには、こんなものがある、かもしれません。

 

 

それは、

 

 

「わたしを特別だって言ってよ」

 


という思い。

 

 

 

わたしがいなきゃ困るって。

 

わたしがいなきゃ生きていけないって。

 

それだけの強さで私をあなたの中に存在させてよ。

 

 

あなたの必要不可欠な存在でありたい。

 

 

 

 

 

花

 

 

・・・・長嶋茂雄氏の有名なエピソードに、

 

 

息子(一茂・当時小2)を、後楽園球場にうっかり忘れていった。

(帰って妻に質問されて気づいた)

 

 

てのがありますよね。

 

 

まあ、ミスターは間違いなく後者でしょうが^^;

これ、幼き一茂君はどう思ったんですかね。

 

 

実際どれだけ本人がショックだったか、

あるいは大して何とも思わなかったのかは、本人じゃないので知りませんが、

 

 

でもまあ、こうは思ったでしょうね。

「ああ、お父さんは、何かに熱中したらぼくのこと忘れちゃうんだな」

 

 

 

そしてまあ、実際そうですよね。

 

息子を大事にしてないとか、愛してないとかいうのとは別の話で、

(そもそも球場にも息子を喜ばせようと連れてきた)

茂雄氏はそーいう人なんだろうと思いますぴよ

 

 

 

これ、もし幼い一茂君が

「お父さんは、そういうひとだから」

と、拗ねもいじけもなく、その事実を認めるってことは、

 

 

お父さんの必要不可欠であることを

永遠に絶望するってことです。

 

 

・・・拗ねてるうちは、いいんですよ。

まだ自分を誤魔化せるから。

 

それは期待し得るものだ、ということにしておける。

 

 

 

 

 

花

 

あのひとは、自分がいなくても大丈夫なんだ、

 

と受け入れることは、

見ようによってはひとつの絶望です。

 

 

 

特に、関係性やつながりを生命線にしている前者さんにとっては、

不要なものとして切り捨てられる、くらいの感覚でしょう。

 

 

 

 

そして、思ったのかもしれませんね。

 

 

大丈夫じゃないんだよ!と。

 

 

 

 

わたしは大丈夫じゃないの。

 

 

あなたがいてくれなきゃ、

 

あなたが私を必要だって言ってくれなきゃ

 

わたしをあなたの世界に入れてくれなきゃ、

 

わたしを気にかけて、私を見てくれなきゃ

 

 

わたしは大丈夫じゃないの!

 

 

 

わたしがここで絶望していることに気づいてよ!

わたしを見てよ!

 

 

わたしが「大丈夫じゃない」って、わかってよ!

 

 

 

 

そういう風に、例えば子供の頃に思って、

 

 

 

でも実際は「大人になれた子供」の前者は

むしろ外から見れば大丈夫で、

 

なんなら外から見ると「大丈夫じゃない」

できの悪い後者型の兄弟の方が可愛がられたりして

 

 

 

前者さんもまた、

そんな「わかってもらえなかった」痛みをどこかに抱えてるんじゃないかと思うのです。

 

 

 

 

(続く)

 

 

 

 

 

 

 

花

以降の記事の予告(青字はアップ済)
※メモなので変わるかもしれません
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広まれ!前者後者論。

 

 

■前者後者整理
後者チェックシート
前者と後者の決定的な違い
補足

主観/客観/他人視点の違い & 境界にいる方々へ
・能力の話でもないしキャパ(容量)の話でもない

 

「自分」の感覚が違う
行動パターンの差

「できる」の捉え方も違う 

・物事への対し方も違う(仕分けの前者、素のままの後者)

・前者の漫画と後者の漫画・・・及び空間認識の差

因果を重視する前者、方向性を重視する後者  (※補足

 ⇒ 共通「解」を探す前者 / 共通「満足」を探す後者

「比較」の発想も違う

 

・前者と後者の違い、改めて(マニアックバージョン)

・わたしならこう判定する

 



■これがあるから混同する
自己中と利己的は違う
実は客観視はできる

後者にも得意なゾーンはあるので勘違いする/後者は得意ゾーンの違う後者同士でバカにし合っている (後者は自分のできてることについては声高に主張し、他の後者の前者力は認めない)
 ⇒
前者力の競い合いは、やがてボールの落とし待ちになって目的を見失う
 ⇒(余談;思い出話
「使えない高学歴」の正体もこれ (ただしこいつらがやっかいなのは、もうひと捻りある)

参考)
「頑張らない」がわからないというより、「頑張る」がわかってない
「自分を活かす」には

 

■後者の本質
自己感覚へのこだわり
後者の本質は突出じゃなくて「欠落」
 (突出するのは、この偏りの結果と、変更力のなさによる特定方向の突破力

  /偏りという個性そのものが讃歌)
一部の前者さんが驚く後者の特性

後者は短距離走者



■悪意について
・悪意は他者の視点への想像力、場の把握力、シナリオ力を要する前者同士でも「前者力」を競う高度なゲーム
・参加してない人間を弄ぶのはマナー違反だが、参加するなら文句は言えない

・誰かの始めた悪意が巡り続けている
・悪意の行き着く先は、病気、犯罪、子供、スーパー後者(あるいは後者性を否定していない後者)


■誤解を解く
・能力の分布(平均の前者/バラツキの後者)

言語化が苦手というより、情報が多過ぎてローギアを回しきれない
・前者が冷たいのではない、我々が複雑で深いのだ
・後者は理解できないわけじゃない。理解できるように説明されれば普通にわかる。


■後者による「自分取扱い説明書」
・何をさておいても、できてないことをできてないと認める
・他人からの評価が低いなら評価が低い自分を受け入れる。
 (そこからがスタート)
自分の能力をMAX値で測るのをやめる
・前者ぶらない「可愛い気のある後者」になる
・「手に負えなくなりそうになった時点で助けを求める」という呼吸をつかむ。
 (投げ出すのではない)
・その時の「頼み方」は言い方のパターンがあるので覚えて練習する
・わからないことの質問の仕方もパターンがあるので覚えて練習する
・人の視点に立つものの言い方も覚えて練習する
・前者力は、自分を縛るためではなく自由にするために学ぶもの
・欠落は超えようとするものであって、埋めるものではない
・突っ張りたいなら突っ張り続ければいいが、その価値があるのかは考えた方がいい
・自分の興味関心を見極める
 (どうせすぐに気を取られるし、興味さえあれば一気に集中できるのが才能)


■後者による「後者取扱い説明」

全体像と枠組みを抑えて伝える(配慮する領域が後から増えるのに弱い)
 /
とにかく最初が肝心、足場と軸を作る(あとは放置してよい)
・正しい角度で殴れ
・短い説明はむしろわからない(文脈と他人のものの見方を交えて説明する)
・”いったん”期待値を下げろ
・「前者力」にどれだけ負荷がかかっているか見極める
・納得し興味さえ湧けば勝手にやるし、突破力もある
・先に手を出さなければ「前者力」が育つ
・能力を理解し活かしてくれる人への感謝と忠誠力はすごい

・”こういう後者”は見放されてもしょうがない・・・が、チャンスをあげて欲しい。


■後者による「後者のための前者取扱い説明書」
・見えてしまう苦しさ、できることをしない罪悪感
 (気づかなかった、という言い訳はできない)
・彼らは人からどう見られているかを常に肌で感じている
・彼らにとって夢中になるとは
・この非難は取り合わなくていい

・前者の言葉はヒント、受けて深めてるのは後者


■後者の素晴らしさ
・後者は先に悪意を手放せる
・後者は先に幸せになれる

 

 


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