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団塊の世代は中国人と同等なのではないだろうか

中国は、日本の数十年前と同じような雰囲気だという話を聞いたことがある。これを逆から考えてみると、数十年前に人格が構成された日本人は、中国人と大差ないということにはならないだろうか。中国からくる犯罪集団が問題なっているように、団塊の世代近辺の人も非常に問題児が多いようである。まあ中国人と同程度ならそれもしょうがないのかなと思えてきませんか。



八ッ場ダム建設中止

最近は、テレビであまり取り上げられなくなりましたが、八ッ場ダムってなんだったんだろうか。建設中止反対派の人が沢山テレビのインタビューに答えていたんだけど、誰一人としてダム自体が必要だと主張している人はいなかった。みんなダム建設に関連する補助金が必要だと訴えているだけだった。テレビがカットしただけかもしれないが、なぜダム自体が必要だという人がいないのかね。


それにしても、地元住民が被害者面しているのはなんなんだろうか。自分達が反対していたから、まだダムが完成していない事を忘れてしまったのだろうか。もし、建設計画が発表された時最初から賛同していればすでにダムは建設されて中止される事はなかったはずである。初志貫徹今だに反対運動続けていればまだダムはたっていなかったかもしれない。国に楯突いてもいい事はないとわかったはずなのに、建設中止でまた国に楯突くのはなんだんだろうか。アホなのかね。ダム建設中止に反対していた関東の知事達はとっとと負担金を返せという意見に変わり負担金がかえって来るといわれてからは何も言わなくなった。地元住民も欲してるのはダムではないんだから、建設中止は飲んで、今後支払われるはずだった関連事業の費用や交付金の補償を問題に戦った方がいいんじゃないだろうか。

政府にしても、ダム建設中止は金のためにしているわけではない。ただ、愚民どもに前政権との違いをアピールするためにしているだけである。別に金がどんだけかかっても、我々の政権は無駄なダム建設をやめさせましたと主張できればなんでもいいみたいな感じである。一番気にしているのは地元住民が弱者で国に切り捨てられたと国民に思われないこと。すなわち、とっととダム中止を認めて金をせびるのがベストの選択だと思うんだけどな。

公職選挙法を改正してくれ

ただの愚痴になってしまいますが共産主義をかかげる某政党が家の前に街宣カーを止めて選挙演説をし始めた。「派遣切りはどうとか、今の与党は弱者切捨ての政治だとか」テレビでその政党関係者が主張している事とまったく同じ事を叫んでいた。夜勤なので夜から仕事に行かないといけないので日中寝ていたのだが、あまりにうるさかったので、ほかに行ってやってくれと文句をいいに言った。ちなみにクーラーなんてブルジョワなモノを持っていないので窓を開けて寝ていたのが、よりうるさく聞こえた原因かもしれない。


まあ文句をいいに言ったら、「私達は法律を犯すようなことは何もしていない。ここで選挙演説するのは何も悪いことではない。それにうるさいなんて文句をいいに着たのはあなただけで、私達に選挙演説をやめる道理はない」見たいな事を言われた。まあ主張はごもっともですが、自分達の主張はどうなったのだろうか。別に大企業による派遣切りは明確な法令違反ではないだろう。でも困っている人がいるからそれを問題視しているのではないだろうか。その上、弱者や少数意見を尊重すると言っているのに私が1人で文句をいいに行ったのでは、少数意見だからと言って聞き入れてくれない。結局なんなんだ。俺はうるさくて困っている。仕事に支障をきたす。そんなに俺を犯罪者にしたいのかと思って包丁をとりに帰ったら、演説に満足したようで走り去っていきました。

まあ、不人気政党だから人材難でも仕方ないのかね。


公職選挙法なんて何年前の法律だ。少なくとも俺はそんな法律、認めたおぼえないから。派遣で働いていた人は契約打ち切られる可能性があることはわかった上で働いていたんだと思う。しかし、俺は公職選挙法を認めたうえで生まれてきたわけではない。噂話しか情報伝達手段の無かった昔なら拡声器で叫びながら住宅街を走り回ることに意味があったかもしれない。しかし、今の時代は違う。選挙に興味ある人ならその情報を手に入れる事ができる。拡声器で騒いだって興味ある人にはすでに聞いた話、興味ない人には雑音なだけではないだろうか。選挙自体なくなってしまえと思ってはいるが、そんな意見受け入れられない事もわかっている。とりあえず、決起集会など自分の事務所やそれなりの広場以外での拡声器の使用を禁止してくれないかな。もしくは、同じ日同じ時間帯に選挙演説しに来てはくれないかね。それならまだ我慢もできるが、日を変え品を変えいろいろな政党が時間をずらして俺の安眠を阻害しに来るのは我慢なりません。


最近、夜勤で働いている人もそこそこ数いるんじゃ無いかね。それなのに公職選挙法では8~20時の間だけ騒ぐのを認めている。これは夜勤労働者を不当に落とし入れる決まりじゃないだろうか。公職選挙法改正で騒ぐのを禁止に改正してくれる政党があったら投票しますから、お願いですからどの政党か公職選挙法を改正して私の安眠を返してください。もし認められないのなら、金貯めて右翼のような車を買って、選挙に出て当選するその日まで続けますと宣言して、くだらない漫談や猥談を大きな音で鳴らし続けるから覚悟しとけ。


アメーバで選挙に関するアンケートをしているみたいですけど、選挙に行くかどうかより、街宣カーでする選挙演説がうるさいかどうかのアンケートして見れくれんかね。うるさくなく必要だと思っている人ってどれくらい居るのかな。

酒井法子容疑者

覚せい剤取締法違反で逮捕された酒井法子容疑者ですけど、彼女を清純派と言っている人はなにを考えているのかね。多くの日本国民の選択眼は節穴なのかね。政治家選びにしても、人柄で首相を評価してころころ意見が変わったりしている。

どう考えても酒井法子容疑者は清純ではないだろう。若手の売り出しの時に軽いキチガイのマネをしていた。お笑い芸人が知的障害者の真似をすると眉をひそめるのに、アイドルが知恵遅れのマネをしても誰も批判しないのはなんでかね。

どう考えてもアイドルの知恵遅れのマネは、私は淫乱だというアピールだろう。そんなアピールをしていた酒井法子容疑者を清純なんて思うなんていみがわからん

大阪・此花区のパチンコ店放火

大量殺人をしたい場合ナイフを振り回すより、ガソリン撒いての放火の方が影響も効果も大きいようですね。後は出入り口が一つしかない建物で出入り口付近での放火が危険なのかな。

たぶん犯人が出頭しなければ、逮捕までにもうしばらく時間がかかったことでしょう。そこで疑問なのですが、なぜ死刑になってもいいと吹っ切れていたのに一度の放火で満足してしまったのでしょうか。逮捕されるまで毎日同じような放火を続けようなんては思わなかったのでしょうか。逮捕されるまで全国各地を転々としてパチンコ屋でガソリンを撒いて放火していれば少なからずパチンコ業界に打撃を与えれただろうにね。まあそれをしたって収穫があるわけではないか。


今回の放火をうけて、もっと多くの建物にスプリンクラーを設置すべきだと主張している専門家がいましたが、ガソリン撒いての放火にスプリンクラーって効果あるのかね。発表されていないのでよくわかりませんが、死亡した4人の内3人はたぶんスプリンクラー以前にガソリンがかかってそこに火がついて重症の火傷で死亡なのでスプリンクラーがあっても死んでいたんじゃ無いかね。もし普通の失火による火事だったら少なくとも死者はでなかったんじゃないかな。そもそもガソリンを撒いて放火されることを想定した防火対策なんて無茶なんじゃないのかね。建築家の話だと、一番怖い災害は悪意ある人によって行なわれる人災だと言っていた。大量殺人が目的の人は、絶対放火しないといけないわけでもないしナイフを使わないといけないわけでもない。ガス爆発でも毒ガス発生でもいくらでも手段はあるだろう。手段を減らす対策を講じるより、行う人を減らす対策をとったほうがいいんじゃないかね。


ふと思ったんだけど、危険ってなんだろうか。私が聞いたことある範囲だと多くの人が、事件発生件数をもとに危険になったとか安全になったとか言っているような気がする。例えば殺人事件が多ければ危険、殺人事件が少なければ安全とかね。本当に、危険は件数だけで判断していいものだろうか。

人間は考える猫である

野良猫に許可も取らずに勝手に捕まえて避妊手術している人がいっぱいいるらしい。反対する人もいるし賛成する人もいる。まあ賛成している多くの人が野良猫より自分達人間方が偉いから野良猫を導いて上げなければならないと思っているのかな。


猫には強くでれるそんな人間達も、貧民には強くでれないのは何でなのかな。貧しい国が援助を貰うための工作なのかもしれないが、テレビで見る飢餓で苦しんでいる人たちは、そこらにいる野良猫とたいして違いが無いように思う。なぜ自分が食うのにも困っているのに、大量の子供を産むのだろうか。子供が生まれてきても飢餓に来るしむのがわかっているのに子供をつくるのだろうか。まあ、彼らがそれでいいのなら、他人がとやかく言う話ではないのだろう。

しかし、飢餓民にエサを与える立場の人は違う。野良猫と同じように、エサを与えるからには責任を持つべきじゃないのかね。食糧援助を受ける条件として避妊手術を求めるべきじゃないのかね。

まあただ、今の避妊手術はしてしまうと一生子供がつくれなくなってしまう。食糧事情が改善して自給できるようになった時の出産まで奪ってしまうのは問題かもしれない。何か薬で食べている間は妊娠しないけど食べるのをやめるとまた妊娠できるようになるみたいな薬はないのかな。猫に愛情をもって避妊手術が認められるのなら、人間にも認められるべきじゃないのかな。

足利事件

足利事件で刑務所にいれられていた菅家利和さんが、再審決定とともに釈放されたらしいですね。

この事件以前から明らかな話ですが、裁判所が公明正大でない事は自明でしょう。ここ何十年裁判所が国家の犬でない事が何度あったでしょうか。たまに気概ある裁判官が公明な行動をとると決まって家裁に飛ばされてしまいます。裁判所に公明正大を求める事自体が間違った行為なのではないかと思います。法律がどうであれ人殺しを命令する職業の裁判官がまともであるはずは無いでしょう。

まあしかし過去の冤罪事件に比べると警察は少しはマシになってきているのでしょうか。昔は冤罪の疑いがある事件があると警察は、証拠品を処分していました。なぜなら科学鑑定の結果を改竄していたからです。たまにそれが発覚すると決まって当時の技術は低かったから鑑定を誤ったという趣旨の発表を行いますが、そんなものはでたらめです。恣意的なデータ採取やデータ改ざんだけでなく本当に鑑定をしているのか怪しい場合さえあります。

今回の事件では被害者のシャツが残されていただけでも警察を褒めるべきじゃないですかね。反対に言えばなぜそんな証拠品を保管していたのか警察関係者は疑問に思ってるんじゃないでしょうかね。いくらでもうっかり紛失できたはずなのに、栃木県警は質が低いのかね。

今回の事件で一番問題なのは、当時行われたDNA鑑定がでたらめだった事でしょう。当時と同じ方法で再鑑定したら、遺留品に付着した体液のDNAも菅家利和のDNAも両方検査結果と型が違っていたそうです。今テレビでは、当時のDNA鑑定は精度が低く800人に1人の割合ぐらいでしか人を判別できなかったから偶然の一致だったみたいな言い方をしていますが、実際は当時のDNA鑑定では、正しいことがまったく無かったということです。正確に行われて型が一致して800人に1人の精度なのに、両方のDNA型が間違ってるなんて、そもそも何の証拠能力も無かったみたいです。


なんだかなと思ってみたりもしますが、考えてみれば警察も検察も裁判所も昔から何か変わった訳ではなくずーと腐った組織だったんですよね。それなのに漠然とした正義の組織みたいなイメージってどこからわいたのかね。まあ今後の動向として、DNAの再鑑定請求を棄却した地裁の裁判官と再鑑定を認めた高裁だか最高裁の裁判官の今後が気になるところです。



政治資金問題

民主党の代表の小沢さんの公設秘書が逮捕された事で政治ニュースはそれ関係の話題だけになった。贈収賄事件のたびに思うのだけど、うわべだけの批判に熱中しすぎて本質を見失っていないかね。今回の政治資金問題で一番重要なのは、金の動きなんかよりも西松建設の幹部が小沢氏の資金団体に金を渡すことで東北地方で公共工事を受注する上で効果があったと言っている点だろう。例えば、国交大臣や副大臣がワイロを貰っていたとかなら東北地方の工事業者選定に影響力があるのはわかる。しかし、ただの野党の代表がなぜそんなに影響力があるのかわからない。今回解明すべきなのは、小沢氏側が金を受け取ったあとどのように西松建設に公共工事をあてがったかではないだろうか。金の授受は別にして、国会議員が力を行使して公共工事を特定の業者に請け負わす事ができる方法があるのなら、その方法を潰す事こそ収賄事件より重要じゃないのかね。もしくは力を行使した事が公開される制度が必要かもしれない。昔から、様々な政治資金問題が騒がれているが、本質である国会議員が不正に力を行使して特定の団体や個人に利益を与えるのを防ぐにはどうすればいいかという議論にならないから、何度も政治資金問題が続くんじゃ無いかね。まあ国会議員からその力を奪ってしまったら国会議員の価値が無くなってしまうので踏み込めないのかね。

金貰っていた事よりも、その気になれば恣意的に好きな業者に公共工事をあてがう事ができるシステムの方が問題だよ。


江東マンション神隠し殺人事件

かわいそうな被害者や遺族、極悪非道な犯人という構図で裁判は進んでいったみたいだけど、釈然としないもやもやが晴れる事はなかった。その原因がやっとわかった。被害者遺族や検察は犯人を極悪非道に仕立て上げるために矛盾した言動や誇張した言動が非常に目立ったためだった。被害者に同情していたら普通の物言いに聞こえていた話が冷静に考えてみると明らかに矛盾していたのだ。

その一番顕著な例が、犯人の反省の姿勢を演技と切り捨てている点である。この事件は、死体が無くなっていたので殺人に関する物証が無く犯人の供述が無ければ殺人罪は適用できなかったはずである。すなわち、殺人罪を適用する時だけ犯人の供述を採用しておきながら、それ以外の犯人に有利になるような供述はすべて演技と切り捨てているのである。もし本当に犯人の供述が信用できないのであれば、殺人を犯した物証を用意しろという話ですよ。犯人が自白したから犯人は殺人罪で裁かれている事を被害者も検察もどう考えているのだろうか。もし犯人が黙秘していたら、住居侵入・わいせつ目的略取、死体遺棄にしかとえなかったはずである。もっと言えば、もし犯人がまったく何も言わなかったら、下水で発見された被害者の肉片が犯人の死体損壊によるものであることすら証明するのは不可能だったはずである。すなわちこの事件は犯人の自供によって成立しているものである。それなのに、自分の都合のいい供述以外は演技や嘘だと言って切り捨てるのは酷くないだろうか。

物証も用意できずに犯人批判しかできない自分の無能さ、自白だけで有罪にする低級な司法それらに違和感を覚えていたのかね。


もう一点理解できないのは、検察が必死に被害者遺族の悲しみをアピールしていた点である。殺した犯人の生い立ちや動機が情状酌量になるのは、現在の判断基準に問題あるきもするがわかる気がする。しかし、殺された側の事情が刑罰に影響をあたえるとしたらおかしくはないだろうか。民事の裁判なら、被害者側の事情も影響するだろう。また、犯罪と被害者の個人的事情などが関連している場合は、裁判でそれがアピールされる事もありだろう。しかし、無差別的な犯罪の場合、犯人は相手の事情を考慮して犯罪に及んでいるわけではないので、そこで被害者側の意見いうのはどうなんだろうか。そんな風潮があるから逆に考えるガキが、誰も悲しまない人だったら殺してもいいだろうと考えて、ホームレスを襲ったりしているのではないだろうか。殺人がいけないのは被害者遺族が悲しいからではなく社会秩序の維持や殺人が社会的損失のためという事をもっとはっきりさせるべきじゃないだろうか。そもそも、死んだ人には何の権利もないんだから遺族だからと言って裁判にでてくるのは法のもとに平等の精神に反するんじゃないだろうかね。被害者が死んでいる場合、被害者遺族も私も別に同じ立ち位置だと思うんだけど違うのかね。


まあ何にせよ、人間一番の敵は慢心だという事ですね。被害者は何の根拠があってか知りませんが防犯対策の為に最上階の部屋を借りていたそうです。また、夜は1人で出歩かないとか考えられる限り防犯に気をつけていたそうです。何に恐れてそんなに防犯に力を入れていたのか知りませんが被害者の姉は裁判の証言によると殺人事件にあうことはまったく考えていなかったそうです。目的もなく防犯に力を入れていた被害者は、自分達はこんなに防犯に気をつかっているから安心だと慢心していたのではないでしょうか。もちろん安心と安全は無関係です。今回の犯行にしても、帰宅後施錠する前に押し込まれるなんて一般的な強姦対策をとっていれば十分に防げた可能性があります。

そもそも、もう少し近所付き合いをして姉妹2人で住んでいることを犯人にアピールできていれば違う結果になっていたのではないでしょうか。近所付き合いなんて防犯初歩の初歩でしょう。最上階に住むよりもっと手軽にできた事はなかったのでしょうか。そもそも、値段の高い最上階に住むことは、自分達は裕福だと泥棒にアピールする結果になって、逆に狙われやすくなるなんて事は無いのでしょうか。もしくは、最上階なんてただ不便で売りにくい物件を逆に値段を上げてプレミアつけて不動産屋が売っているだけって事は無いのでしょうか。

世界平和って糞じゃないか

前々から世界平和を訴えている人が胡散臭いと思っていましたが、平和なのは自分だけでいい。赤の他人は平和じゃなくても関係ないってのが普通じゃないですかね。
この前なんて、馬鹿共がイスラエルのガザ地区侵攻に抗議して東京の道を一斜線塞いでデモ行進していました。イスラエルの侵攻に対して東京でデモをして何の意味があるのかがわからない。ついでに言えば、外国の出来事に対して日本でデモ行進なんて意味の無い行為で普段道を使っている人に迷惑をかけているのに悪びれた様子も無く自分達は善い事をしているという面をしているのが気に入らない。そんなもんどこかの公園のグランドでデモ行進すればいいのかね。ホント世界平和訴えてデモ行進してる奴ら許すまじなんて思ってみたものの、ひきこもりの私にとって見れば他国の反戦デモ行進している人と同じくらい、東京の交通事情なんて関係ない事に気がつきまして、溜飲を下げたわけであります。
それにしても世界平和の何がクソかって、世界平和なんてとぼけた事を先進国が掲げてるせいで、小国がそれを具に戦争を始めているって事ですよ。ガザの紛争にしても当事者以外まったく無関心だったらもうちょっと違った結果になってるんじゃないですかね。ガザでは世界の世論を味方にするために多くの市民が殺されているような気がします。イスラエルにしても攻めこむ口実を得るために境界線上に沢山の人柱が志願しているようです。お互いに相手を批判する理由をさがして市民が犠牲になっています。別に戦争したいんだったら相手の国が嫌いだから戦争するでいいじゃないですか。そこに居る人間は皆殺しにするから死にたく無い奴は他へ行けでいいじゃないですか。それを大国が平和だ平和だ言ってるから大義名分のために市民が犠牲になってるとしか思えない。結局話し合いじゃなにも解決していないんじゃ無いかね。結局は戦い疲れるか滅ぼされるかしかないんじゃないかね。
グルジアなんてもっと悲惨ですよ。みんなが世界平和だと言ってるのに乗せられて調子にのっていい気になったら悪阻ロシアに攻め込まれて、そしたら他の大国は急に知らん振りですよ。もし誰も世界平和なんていってなかったら最初からロシアを挑発するような事もなかったでしょう。世界平和と言いつつも結局は軍事力が物を言う世界なんじゃないのかね。

日本にしたって、もし北朝鮮の反政府組織なるテロリストが日本を攻撃してきたらどうするつもりなんでしょうかね。テロリストが北朝鮮に所属していたとしても北朝鮮が反政府組織が諸外国からの反撃で国家転覆を狙って日本を攻撃したと発表したらどう対応すればいいんでしょうか。自称北朝鮮とは無関係と主張する工作員数名が自動小銃もって日本に上陸して無差別殺人を行った場合、どう対応すればいいのかね。わからんね。唯一の救いは、宗教的な対立ではないという事ですかね。

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