結婚してしばらくは夫は司法試験の受験生だった。彼は宿直バイトを掛け持ちし、私はあちこちで英語を教えたりイラストの仕事をしたりしていた。二人ともアルバイトで貧しく、入るとき不動産屋さんが「お客さん勇気ありますね」と言って紹介してくれた、家賃が激安のアパートに住んでいた。もちろん子どもを望む余裕はなかった。
阪神淡路大震災をきっかけに少し安全そうなハイツに移ったが、いろんなモノを部屋に持ち込むときに、きっちり大きさを考えないと、置き場に寸分のゆとりもないほど狭いハイツだった。
私が持病を悪化させて仕事を辞め療養生活に入った時、どうにもいかなくなって、夫は背水の陣を決めた。アルバイトをすべて辞めて一年間受験に専念した。そしてこれでダメなら弁護士はあきらめると言った。
子どもの頃の極貧生活。アルツハイマーのお祖母ちゃんの介護。様々なアルバイト。いろんなことを経験してきた夫には、私はどうしても「民衆の弁護士」になってほしかった。私は思うに任せない体で祈ることしかできなかったが、なんと、その年、夫は司法試験に最終合格したのだ。これほど嬉しいことはなかった。
自分よりはるかに年の若い人たちと「同期の」習修生となり、夫は生き生きと過ごしていた。そして弁護士さんになったのは2001年の秋。私たちは二度めの引っ越しをした。
それからしばらくして私は上の子を身ごもり、母となり、しっちゃかめっちゃかな日々に突入した。
だから弁護士として彼がどんな仕事をしていたかよく知らない。
あとで彼が中国残留孤児の仕事をしていたとかアスベスト訴訟の仕事をしていたと、何かの彼の紹介文などで知って
「ああ、だから一時期、あんなに中国の餃子をもらってきていたのか」
と思い返すぐらい。ほとんど手弁当の弁護団に、中国残留孤児の人たちは「せめて」と、美味しい手作りの餃子を持たせてくれた。皮の分厚い蒸し餃子。
後に中国残留孤児の国家賠償訴訟について少し知るようになって
「ああ、夫は尊い仕事をしていたんだなあ」
と何年分もテンポずれまくりで思ったものだ。
アスベスト訴訟についても似たようなものだった。
夫は家では仕事の話をしないので仕事のことは皆目わからない。私は私で子どものことで精いっぱい。私は二人の子どもの母になっていた。
一度、夫に
「アスベストって何?どう苦しいの?」
と問うた時、彼は
「石綿の害で、中皮腫になって、四六時中細いストローで息をせなあかんようなもんや。とにかく生きてる間じゅう苦しいんや」
と教えてくれた。
私はそれを聞いただけで、被害者の方がどんなに苦しんで亡くなっていったのかと思い、つらくなった。そんな方たちを助ける仕事をしてきた夫を改めて誇らしく思った。
夫は弁護士として働きながらたくさん勉強している。その勉強は受験生をふるい落とす試験に合格するための勉強ではない。困っている人たちを助けるための直接的な勉強だ。たぶんたくさんストレスもあるだろうけど、私は本当に彼が弁護士さんになれてよかったと思う。
もし市長さんになれたら、困った人がそもそも出ないような市政の仕組みづくりに邁進するだろう。
「一度試しにやらせてやってはくれませんか?」
そうハンドマイクで言って歩きたいぐらいだ。


これは京都市長選に出馬を表明している福山和人弁護士のパートナーおかねともこ(イラストレーター)が、「家族の目から見たふくちゃん」を綴ったエッセイです。
2018年府知事選のときの「ふくふく家族」と同様、リラックスしてお楽しみください。
前回のシリーズはこちら→
http://www.fukuyamakazuhito.jp/fukufukufamily