胃がん末期の闘病の時系列 | 胃がん末期の闘病記

胃がん末期の闘病記

2022年4月末に胃癌が発覚。「早期に癌を切除すれば大丈夫ですよ」と先生から言われ安堵していたのも束の間、肝臓転移が判り手術不可能で抗癌剤治療しか方法がないと一転。抗癌剤以外の可能性を求める。2023年3月「胃癌が確認出来なくなっています」と言われる迄に。

桃ちゃんの闘病の時系列表

日付 胃がん末期の闘病記を書くにあたって
2022年4月1日 良く足がつる。何事もやる気が起きなかった。
4月15日

 
調子が悪くNC医院に行き検査する。私がやる気が起きないので、うつでしょうか?という。
血液検査をする。一週間後に結果を聞きに行く事になっていた。
大分前から階段を上まで昇るのがきつく息が続かない状態だった。
やる気が起きず体調も悪い
4月16日 何事もやる気がしない状態。足もつる。午前中炬燵で寝ていた。
4月18日 足が痛く階段上るのがつらい。数ヶ月前、お風呂で転んで胸を打った事を思い出す。
4月19日 4月15日の血液検査の結果を待たず、区内のMG医院で改めて血液検査をする。
体調が日増しに悪くなるため違う医院に行く
4月20日
 
貧血で、すぐに大きな病院へ行った方が良いと言われ紹介状を書いてもらう事に。
夕方、主人が、MG医院へ紹介状をもらいに行く。
「貧血」との診断で大きな病院を勧められる
4月22日 主人がMG医院に検便提出。
4月23日 又、足がつった。
4月24日 MG医院へ検便の結果を聞きに行き、大腸検査をするように言われる。
4月25日 MG医院の紹介状を持ってNC医院行く。先生から他に病気が有る事も考えられるので、総合病院に行きなさいと言われ、NC医院ではSK病院の紹介状を書いていただく。
わずか10日間に3つの病院に行く事になる
4月26日 紹介状を持ってSK病院へ行く。CT検査等の結果、胃癌が見つかるが父親が胃癌だったのでそれ程、動揺はしなかった。
即入院 開業医からそのまま救急車で来て欲しかったとも言われる。
病室では電話出来ずミーテイング室の電話ボックスで娘に電話を入れた時、娘に10分位泣かれ“寝たままでも生きてて欲しい。私は一人っ子だよ”と言われた時には、孫と娘の為に頑張らなければと思った。
コロナ禍だったので私は同席出来なかったが、主人と娘が消化器外科の先生から『癌の摘出は私に任せて下さい。』と言われ、摘出さえすれば大丈夫と2人は安堵したと後で聞いた。
予想もしていなかった胃癌という結果が出る
4月27日 4月27日から点滴(一日中)と検査(大腸検査、造影剤入りMRI他。)
本を読み始める。
一日中注射針を刺している為、手が赤く腫れ冷やして貰う。針の手を変えてもらい楽になる。皮膚科の先生が来て薬を塗るが痛い。ステージ4リンパ節肝臓転移と分かり、手術は出来ず、抗癌剤投与のみとの事で仕方ないと思う。
胃癌摘出の話が一転して抗がん剤投与のみ
4月28日 主治医の先生の説明では、何もしないと余命3ヶ月の命と言われる。
当院で抗癌剤治療をするか、退院してセカンドオピニオンを選ぶか決めるように言われる。
そのまま続けて入院した場合、抗癌剤投与を5月10日~5月17日迄に始めるか考えるようにも言われる。
抗癌剤治療より他の対処方は無いか調べたいので先生には時間をもらう。
主人と娘が何回か主治医と話し、結局、車で10分位で行ける事と信頼出来ると言っているので、不承不承、この病院にお願いする事にする。
かと言って他の対処方も気がかりになり、癌関係の本を読み始める。
突然のステージⅣと抗がん剤との葛藤
2022年5月1日 この日位から食後、病院内をウォーキングとストレッチをする。
点滴で左手が腫れ、左手から右手に変えて貰ったりするもどちらも腫れは同じ。
笹野さんのブログ『肝臓がん末期症状にて余命3ヶ月の宣告から克服までの闘病記』を見つける。
笹野さんのブログに出会う
笹野さんのブログに出会う その2
5月3日 手の腫れを看護婦が見て謝る。針を入れ替え楽になった。
皮膚科の先生も来られ、薬を出してくれたが塗るのがとても痛く辛かった。
笹野さんのブログで自費出版の本があったので注文する。
5月6日 循環器科病棟から上の階の消化器内科病棟に移動。相変わらず鉄材の点滴は続く。
5月8日 また、注射針の場所が膨れる。笹野さんの本読み終える。
笹野さんの本を読み終え、これだと決めた理由
5月9日 抗癌剤投与日が決まったので電話ボックスから初めて飯塚さんに電話をする。安心して相談出来て嬉しかった。
投与前日迄にアガリスクとクリアリブを届けてとお願いする。
クリアさんとの出会い
5月10日 日中、抗癌剤治療の説明と同意書の記入をする。
夜には、待ちに待ったクリアリブとアガリスクが届き、食後から飲む。
抗癌剤治療の説明と同意書にサインとクリアリブとアガリクス
5月11日 入院中の1回目抗癌剤投与も1回では注射針が入らず、2回目で入る。
抗癌剤投与が午前中と言ったが14時30分から始まり、19時18分に終わる。
水が冷たい。涙が出ると痛い(ウクライナの映像を見て泣けた)。
一番ショックだったのは、手のひら大の赤あざが右足くるぶし上に出来て、スカート、短いズボンがはけなくなったこと。
現在はシミになっている。悲しい。
初めての抗癌剤の日
5月12日 今日も水が冷たいのでお湯で手を洗う。手が異常にシビレる。
5月18日 退院。入院前57kgあった体重が49kgになっていた。
娘から告知されてから退院まで、孫の学校のお知らせなど何も目に入らなかったと言われる。
5月31日 外来での抗癌剤投与2回目。
外来で2回目の抗癌剤投与
2022年6月1日 体重52kgになる。
6月21日 抗癌剤投与3回目。体重51.4kg。
2022年7月5日 胃のCT検査。
体重51.2kg。
看護士から涙が出ると痛いので、涙ロートを入れるように言われる。
胃癌と診断されて3ヶ月後のCT検査
7月12日 7/12と7/19は、検査データ低く投与見送られる。
抗癌剤投与の日と翌日は、手ががしびれて冷たく、冷蔵庫も手袋して開ける始末。
ドアノブが金属の場合、金具部分を布で巻くなどして手に当らないようにしないと開閉出来なかった。水を使えずお湯になった。
体重53.1kg。
胃癌の腫瘍もその他も大きくなっていないし小さくもなっていない!でも抗癌剤4回目は見送り!
7月13日 KK眼科を受診。目にオレンジ色の光が上下左右など飛ぶのが何日も続いたので受診。
7月19日

7月26日
抗癌剤投与4回目。体重53.4kg。
抗癌剤投与4回目の日は「何もしなければ余命3ヶ月の命。」と言われてから3ヶ月目だった

抗癌剤投与4回目の日は「何もしなければ余命3ヶ月の命。」と言われてから3ヶ月目だった2
2022年8月10日 再びKK眼科受診。光視症との事。
8月16日 抗癌剤投与5回目。体重53.6kg。
外来にて少なめの5回目の抗がん剤投与
2022年9月6日 抗癌剤投与6回目。体重54.9kg。
9月8日 足の薬をCH皮膚科にもらいに行く。赤いアザを治したいと思って受診。
9月21日 胃のCT検査。造影剤を入れるので注射針挿入を一人目の看護士さんでは入らず、ベテラン看護士さんに替わる。体重56.1kg。
久々にCT検査を受ける
9月28日 再度、MK歯科を受診。
2022年10月4日 抗癌剤投与7回目。体重56.0kg。
10月25日 抗癌剤投与8回目。体重57.3kg。
主治医の先生の話しでは、私の場合は死ぬまで抗癌剤投与は続きますと言われ、ショックを受ける。
10月28日 抗癌剤を止めようかと悩み、ホームドクター(MG医院)に相談に行く。
SK病院での抗癌剤治療を止めた時の対応をお願いする。
クリアさんにも相談してみる。
11月15日の抗癌剤投与まで考える事にする。
死ぬまで抗癌剤は続きますと言われる
2022年11月15日 抗癌剤投与9回目が終わる。
固定していた注射針テープを普通ならゆっくりはがすのに一気に剥がされ泣くほど痛かった。
看護士にすれば血管が細く注射針を入れるのが大変なのでポートにして欲しいからだと思う。
体重56.6kg。
癌と闘っているのか何と闘っているの分からなくなる
2022年12月6日 抗癌剤投与10回目。体重56.6kg。
12月27日 抗癌剤投与休薬。
午後CH皮膚科受診。体重57.2kg。 肝臓の腫瘍が目視出来ない?癌が消えた?
2023年1月10日 抗癌剤投与11回目。体重57.7kg。
1月31日 抗癌剤投与12回目。血液検査の結果を見て、主治医の先生が、良くなって驚いていた。
そしてCT検査をしましょうと予定を入れる。体重57.2kg。
2023年2月10日 身体が温まると全身が痒くなる状態が始まった。体重58.1kg。
2月21日 抗癌剤投与13回目。抗癌剤投与時、1回で針入らず2回目に入った。体重58.4kg。
2023年3月7日 午前中CT、内視鏡検査を受ける。体重58.1kg。
3月14日 抗癌剤投与14回目。3/7の胃カメラの結果、綺麗になっていて先生もビックリされてたが抗癌剤が効いて癌を押さえているとしか先生は言わなかった。体重58.3kg。
3月31日 主治医の先生が、この日を持って他所へ転勤された。体重58.0kg。
2023年4月4日 抗癌剤投与は休薬。夜、靴下を脱いて、足のむくみに気付きビックリする。
足のくるぶしが分からない程で、まるでゾウさんの様な状態。
病院の診察に行こうとするが、自分の靴で履けるものがない為、主人の靴を履いて外出する始末だった。
診察して貰った結果、先生から「悪くなるとそうなります。腹水が溜まったら利尿剤を出しますね。」と言われショックを受ける。
何か良い方法がないかとクリアさんに相談する。体重59.1kg。
4月25日 抗癌剤投与15回目。体重58.1kg。
4月26日 クリアの飯塚さんからのアドバイスが功を奏し、足のむくみが少しずつ引いた。体重57.4kg
4月29日 足のむくみが大方なくなり嬉れしかった。飯塚さんに感謝。
2023年5月上旬 抗癌剤の副作用で手足が痒くてたまらない状態が続く。
身体が温まると全身が痒くてたまらない状態も相変わらず続く。5/17体重55.8kg。
5月19日 抗癌剤投与16回目。体重57.1kg。
2023年6月4日 左手の激痛で眠れず、午前4時頃、SK病院の救急外来に行き手当してもらう。
6月5日 消化器内科の先生に見て貰う。この頃から食欲が無くなり体重計に乗るのが怖かった。
6月6日 形成外科の先生に痛み止めの薬を処方してもらう。翌日、楽になる。
6月9日 抗癌剤投与日であったが検査データが悪いようで休薬となった。体重53.8kg。
6月11日 手の痛みは大変良くなる。体重53.9kg。
6月13日 SK病院の形成外科を受診。
6月14日 食事が食べられなくなる。何とか食事をしても吐くようになり、さすってもらう事が多くなった。
6月15日 DE眼科を受診する。体重53.3kg。
6月23日 抗癌剤投与17回目。
6月26日 DE眼科を受診する。
6月27日 SK病院の脳神経内科を受診。
この日から7月31日迄、筆を取ってない。
6月29日 長女が様子を見に来る。
7月1日~7月5日 SK病院の緊急外来を受診。そのまま入院となり、7月31日退院まで病院療養をした。
7月1日に入院後、危篤状態になり、個室をあてがわれ、終日家族面会が許された。
主人と娘の話では、毎日、電話が鳴ると病院からの電話ではないかとヒヤヒヤして過ごしたそうだ。
主人の話では、身体に付けた計測器の血圧と心拍数を毎日見ると不安でたまらなかったそうだ。
血圧常に50~60前後、心拍数80~100だったとの事。
7月6日 危篤状態の為に私は全く覚えていないが、アガリクスとクリアリブを持って来てと言ったそうです。
今後、少しずつですが、毎日飲ませて貰う様になる。
血液検査でACTHが(1.5)とコルチゾールが(0.31)と異常な結果が出る。
2023年7月7日 危篤状態から脱して、個室から4人部屋に移された為、面会時間が15分だけになる。
面会時間の関係から主人は、アガリクスとクリアリブを飲ませるだけの為に病院に来てくれた。
7月8日 今までの様な量を飲む事が出来なくなったので、クリアリブだけ30cc飲む。
7月9日 アガリクスを40cc飲む。
7月10日 クリアリブを100cc飲む。
7月11日 アガリクスを10cc飲む。
間に合うかどうか分からないが、主人が看護士さんから介護認定の申請をするように言われたそうです。
7月12日 クリアリブを100cc飲む。
主人が、病院で介護認定の手続きに行ったそうです。
7月13日 アガリクスを50cc飲む。
役所に介護認定の申請手続きをされた日。
7月14日 クリアリブを110cc飲む。
役所の担当者が病院に来て、私の状態を見て介護認定をしてくれた。
7月15日 アガリクスを50cc飲む。
主人の話では、この日SK病院の主治医の先生から自宅に電話があり、「奥様は先日お話ししたようにホルモンの数値であるACTHとコルチゾールが大変に低く点滴で回復させるよう努力しています。リハビリは、中々、受け入れてくれません。せん妄状態がひどいので、精神科の先生と相談し薬の処方で対処してます。」と言われたそう。
7月16日 クリアリブを120cc飲む。
7月17日 アガリクスを50cc飲む。
7月18日 クリアリブを130cc飲む。
7月19日 アガリクスを50cc飲む。
7月20日 クリアリブを120cc飲む。