胃癌摘出の話が一転して抗がん剤投与のみ | 胃がん末期の闘病記

胃がん末期の闘病記

2022年4月末に胃癌が発覚。「早期に癌を切除すれば大丈夫ですよ」と先生から言われ安堵していたのも束の間、肝臓転移が判り手術不可能で抗癌剤治療しか方法がないと一転。抗癌剤以外の可能性を求める。2023年3月「胃癌が確認出来なくなっています」と言われる迄に。

闘病の決意はしたものの手術をしたくない理由

2022年4月27日

この日から、点滴(一日中)と血液検査、大腸検査、造影剤を入れてのMRI検査が始まりました。

特にきつかったのは大腸検査でした。

飲まず食わずのため、腸の中はカラカラの状態で検査をしたのですが、元気になった今でも検査がきつかった事を思い出します。

私の血管はもともと細いため、看護士さんが注射の針を刺すにしても、かなり苦労をされてました。

丸一日、点滴の注射針を刺していたら手が赤く腫れてしまったので、冷して貰いました。

それでも赤い腫れは引かなく、注射をする手を変えて貰い少し楽になりました。

腫れ方が結構ひどかったみたいで、皮膚科の先生が来て薬を塗ってくれましたが、痛みは治まりませんでした。

前日(4月26日)に、消化器外科の先生から、主人と娘に「胃に出来ている癌の摘出は私に任せて下さい。」と伝えられ、その時、主人と娘は安堵したのでした。

私は、この話を主人から後ほど聞いた時なのですが、その時に「胃に出来ている癌をどの程度摘出するのだろうか?」との考えが浮かびました。

娘からは「寝たきりのままでも生きてて欲しい。」と言われ、前日に闘病の決意をしたものの、出来れば私自身は手術をしたくはなかったのが本音でした。

理由は明確で、私の父親が胃癌で60歳の若さでこの世を去っていたからです。

当時の私は20代前半でした。

父親は胃を全摘する手術を受けていました。

胃を全摘してから病状が徐々に悪化して行き、大学病院の回復室に1ヶ月程、入院していました。

わずか7分の面会時間に父親の病室を訪ねると、いつもうわ言の様に『痛い痛い、こんな手術しなければ良かった・・・』と言ってました。

その様な父親の姿を見ていたものですから、もし私が癌になった時には手術はしないと、20代前半には決めてしまったのでした。

今回の手術ですが、私の父親の闘病生活が重なり、痛みを我慢する私も、それを見守る主人や娘の為にも、あまり良い日々にならないのではと考えていました。

辛い思いをさせたくなかったのが一番です。

それなので、手術はしたく無いと思っていましたが、主人と特に娘の立場を考えると迷う部分もありました。
 

検査結果は衝撃的な展開に

この日の検査結果が出て、主人と娘は消化器外科の先生から説明を受けていました。

主人と娘は、胃の中の癌を摘出さえすればと安堵したようでしたが、検査結果は衝撃的な展開になったそうです。

既に胃からリンパ節、肝臓に転移していると分かったそうです。

手術は出来ず、抗癌剤投与のみと説明されたそうです。

昨日の先生の説明とは打って変わって、手術で胃癌を摘出できなくなってしまった状況は、主人と娘を不安のどん底に落とし込んでしまったのではないかと思いました。
 

主人は一生懸命に情報収集

胃癌が発覚した当日(4月26日)から主人は、私を助けようとしてインターネットでいろいろな情報を探してくれていました。

それらをプリントアウトして持って来てくれました。

また沢山の癌関連の本を購入して来てくれていました。

主人が一生懸命集めてくれた情報なので、この日から本を読み始めました。