もこ太郎の平成阿房列車 -18ページ目

もこ太郎の平成阿房列車

No Train,No Life!
生粋の「乗り鉄」がブログを書くとこうなる!!
私が行った鉄道の旅をレポートさせて頂いています!
私のブログをお読み頂いて、鉄道の旅に興味を持って頂けたら幸いです!


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13時45分

高崎駅から出発した信越本線下り列車は、定刻通り横川駅1番線ホームに到着した。


先週、この横川駅に訪れたとき はスタンプを取っただけで、駅から一歩も出れずに高崎にトンボ返りしていた。
今日こそは、横川の駅、そして駅周辺をゆっくり楽しもうと思う。



ホームに降りると終着駅らしく、車止めが施されている。


もこ太郎の平成阿房列車

しかしそれはやけに新しく、あとから慌てて取ってつけたように見える。
長く伸びているホームに、たった3両の車両が停車している姿も不自然に映る。


今まで訪れた終着駅の中で、一番終着駅「らしくない」雰囲気の駅に感じ取れた。
無理もない。15年ほど前まで、ここから碓氷峠を越え、軽井沢まで線路が伸びていたのである。
長野新幹線が開通したことにより、今まで重要な中継点であった駅が、その役割を終えて終着駅となってしまったのだ。



改札を抜け、小さな駅舎から外に出ると、真正面に「峠の釜めし」の販売元「おぎのや」の食堂が目に入ってくる。


もこ太郎の平成阿房列車

そこから振り返って駅舎を臨む。
小さいが木造で味わいのある駅舎は、関東の駅百選にも選定されている。


もこ太郎の平成阿房列車


さぞかし横川は衰退の一途を辿っているのかと思ったらそうでもない。
駅前はそれなりに観光客で賑わっている。


おぎのや食堂の向かいには、おぎのやの資料館があり、そこでは釜めし、そして横川駅の歴史を辿る事が出来る。


もこ太郎の平成阿房列車

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釜めしは、先週大変美味しく頂いた。
その余韻をしばらく感じていたいので、今日は釜めしは遠慮することにする。


そして横川駅から少し歩いたところに、鉄道テーマパーク「碓氷峠鉄道文化むら」が開園されている。

駅周辺の観光客の大半は、おぎのや、そしてこの鉄道文化むらが目的で訪れていると思われる。


私もこの鉄道文化むらは以前からずっと気になっていて、今回念願が叶ったかたちとなった。
早速入園料500円を支払い、入園してみた。


もこ太郎の平成阿房列車


入園口付近は、子供用の遊具が多数設置されており、最初このテーマパークは子供・家族連れといった客層を狙っているのか?と思った。


しかしその奥、鉄道展示館に足を踏み入れてみると、そこはもう別世界だ。
まずは、横川~軽井沢間の路線(碓氷線/横軽線等と呼ばれていた)の絶対的な象徴、「峠のシェルパ」「ロクサン」ことEF63の出迎えを受ける。


もこ太郎の平成阿房列車

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さらに建物の奥には、アプト式EL「ED42」の姿を伺うこともできる。


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「アプト式」とは、列車が急勾配を登る時、2本のレールの中央にラック式レールをひいて、車輪の間に歯車を着けた列車がそのラック式レールを歯車に引っ掻けながら進んでゆく方式である。
EF63が現れる前までは、アプトの技術で峠越えが毎日行われていたのである。
(大井川鐡道井川線の、「アプトいちしろ」~「長島ダム」間の区間では、現在もこの技術が使用されている)


もこ太郎の平成阿房列車

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野外展示場まで足を延ばすと、多数の車両が並べられている。


もこ太郎の平成阿房列車

D51をはじめ、横川-軽井沢間を走っていた頃の特急「あさま」(今やその名は、長野新幹線に奪われた)、その他貴重な列車や電気機関車の姿を拝むことができる。


その中に、私が個人的に気に入っている気動車「キハ20」の姿もあった。


もこ太郎の平成阿房列車

幼少時代から、この列車を見ながら育ってきたことを思い出す。
この姿、この色合い、大変懐かしい…



鉄道資料館に足を踏み入れると、1階には鉄道模型ジオラマが展示されている。

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そして2階には、横川~軽井沢間の碓氷峠に線路を引く為の、様々な困難に立ち向かう過程を記した貴重な資料が、たくさん展示されていた。
66.7パーミルの勾配標を横に、力強く列車を牽引するEF63の姿をとらえた写真パネルも掲示されていた。


横川~軽井沢間の路線は、日本で初めてアプト式鉄道が導入され、また日本で初めて電化された区間なのである。
昔のこのような技術も、今や新幹線の技術により過去の遺物とみなされることであろう。
しかし、賢人たちの当時の技術、そして努力を後世に伝えてゆく為に、このテーマパークは存在するらしい。


パーク内では、横川~軽井沢間の残された線路(約2.6km)を使用して、トロッコ列車を走らせたり、
またEF63を実際に運転体験できるサービス等もある。


もこ太郎の平成阿房列車

鉄道文化むらでの滞在時間は、わずか1時間余りであったが、十分堪能できる内容であった。
鉄道ファンでなくても、ぜひ家族で鉄道文化むらを訪れてほしい。


横川駅へ戻る途中の道で、地面の溝を埋める鉄板の代わりに、アプトのラックレールが使用されているのを見つけた。


もこ太郎の平成阿房列車


16時22分

上り信越本線の列車は高崎駅に到着した。


私は高崎駅のスタンプ台の前に立った。

今回の旅で、一番お世話になったであろう高崎駅に、最大の敬意を込めて、駅スタンプラリー最後の、33個目のスタンプを頂く。



これにて、今回の旅の目的達成だ。


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8月16日、水沼駅から始まったこの冒険も、今思えば長いようで短かった。
正直、もうこれで終わりかと思ったら、少々寂しい感じもする。
しかし上信電鉄でのトラブルも、駅寝したことも、とても良い思い出になるだろう。
この夜は、家で一人で祝杯をあげよう。

そして、次の旅の計画を練ろう。




パンフレットには、スタンプ5個を集めれば抽選でプレゼントが当たる、応募用紙が付いていた。
もちろん私は応募した。
苦労して集めたスタンプだが、当然の如く、プレゼントは当たらなかったことを、今回の旅のオチにしておこう。



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2011年9月24日 早朝の矢倉駅
残す駅スタンプもあと一つ。


昨日は水沼駅で温泉と生ビールを頂いた後、しばらくは吾妻線(あがつません)の沿線を列車でうろついていた。
そして、「矢倉(やぐら)」という小さな駅で、生涯2度目の駅寝をさせて頂いた。

もこ太郎の平成阿房列車

この矢倉駅を選んだ理由は、この駅はかなり山奥にあり、無人駅で利用人数が非常に少なそうなこと、そしてトイレが綺麗だった事である。
ただし待合室に扉は無く、夜中に巨大な蛾に襲われたりもしたが…


もこ太郎の平成阿房列車



一夜明けて、上り列車の近づく音で目が覚めた。



しまった!



どうやら携帯アラームの時間を間違えてセットしていたらしい。
すでにその始発列車を、ホームで待っていた人もいた。


始発の30分前には必ず起床しなければならないという、駅寝の鉄則を破ってしまったばかりでなく、多大な迷惑をかけてしまった。
申し訳ないと思う気持ちを、待合室やホームを綺麗に掃除することで償わせて頂いた。




吾妻線の駅スタンプは既に全部集め終わっているのだが、先週この吾妻線を訪れたとき は夜中で、殆ど沿線の様子を伺うことができなかった。
なので今回は吾妻線をじっくり堪能したい。
これが吾妻線の駅で駅寝をした最大の理由である。
非常にダイヤグラムの薄い路線である吾妻線を堪能するには、これしか方法が無かった。


吾妻線は、起点の渋川駅から終点まで、全長55.6Kmの地方交通線。
全線に渡り電化はされているが単線である為、自ずとダイヤグラムも薄くなっている。
とはいえ、沿線には草津温泉をはじめ、川原湯温泉、万座温泉、鹿沢温泉等、著名な温泉名所が多数あり、温泉を訪問するために吾妻線を利用する人も少なくない。
実際、上野から吾妻線直通の特急まで出ている程だ。

線路は利根川の支流、吾妻側にそって敷かれており、車窓から折り重なる山々の姿と、雄大な渓谷を臨むこともしばしばである。
所々山深い箇所を走り、そんな中に駅も有る為、吾妻線は秘境駅が幾つか存在すると人もいることだろう。
この矢倉駅は、そんな駅の代表格ではなかろうか?



早朝からトラブルはあったものの、清々しい朝。今日は快晴のようだ。
まるで今回の旅のフィナーレを既に祝福しているような天気だ、というふうに言っておこう。


せっかくなので、下りの列車が来るまでこの矢倉という駅を観察させて頂く。
1面1線の単式ホーム、小さな待合室とトイレという、最低限の設備しか兼ね揃えていない駅。
駅の入り口も非常に小さく、定期的にこの駅を使用する人もかなり少なそうだ。


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しかし山奥の駅ということもあって、ホームから線路の反対側を臨めば美しい山々の景色が広がる。


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ホームから下りの線路を臨むと、勾配を上りながら真っ直ぐ伸びる線路が見える。


もこ太郎の平成阿房列車

秘境駅の雰囲気が十分に漂う駅だ。



7時17分
矢倉から107系の下り列車に乗りこむ。


後から知った話だが、沿線の途中には、日本一短いという「樽沢(たるさわ)トンネル」があり、全長は僅か7.2mとの事。
もちろんこの列車に乗っている途中、私はそのトンネルには全く気が付かなかった。
7.2mという長さは、車両1両の半分にも満たない長さで、これでは予備知識が無いと、トンネルと気付かずに通過してしまうことであろう。



矢倉から40分かけて、小さな駅に到着した。

「大前(おおまえ)」駅


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この駅も、矢倉と同じく1面1線の単式ホーム、小さな待合室とトイレがあるだけの駅。
高崎方面と反対側の線路を見ると、遥か向こうに車止めが見える。


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ここは終着駅だが無人駅であり、ここまで来る列車は1日5本しかない。


「派手」「華麗」という言葉には全く無縁の終着駅ではあるが、「哀愁」や「侘びしさ」という、私が個人的に求める終着駅のイメージにかなりマッチしている。
駅やその周辺の雰囲気も長閑で非常に良い。

駅から少し足をのばすと、吾妻川の清流を臨むことができ、ここも秘境駅の様相を呈している。


もこ太郎の平成阿房列車

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とはいっても、駅の目の前には温泉宿泊施設があり、そして嬬恋村役場の最寄駅となっている為、駅の利用者は少なからずいる事であろう。


大前に着いた列車は、20分足らずで高崎方面に折り返してしまう。
短い滞在時間ではあるが、この列車を逃すと次の列車まで5時間半待つことになる!



8時15分
私は急いで折り返し列車に乗り込む。


もこ太郎の平成阿房列車


大前から3駅移動したところで下車してみる。

「羽根尾(はねお)」駅


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1面2線島式ホームで、そのホーム及び線路は高架の上に存在するらしい。


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今は使用されていない雰囲気の留置線が多数存在している。
ホームも非常に広く、昔は貨物でも取り扱われていたのだろうか?


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この駅自体はそれ以外に特筆すべき点は無いのだが、駅前に面白いポイントが存在する。


「羽根尾交差点」


この丁字路交差点は、国道144号、145号、146号の3国道の起点になっているという、非常に珍しい交差点である。


もこ太郎の平成阿房列車

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続いて羽根尾駅から大前に向けて、一駅戻るようなかたちで移動。


「袋倉(ふくろぐら)」駅


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1面1線の単式ホームと待合室を構えるたいへん小さな駅。


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秘境度を期待して訪問してみたが、駅前には民家が点在し、それほど秘境感のない駅であった。
特筆すべき点と言えば、待合室で年老いた男女が列車を待っていたが、二人はどうも夫婦ではないらしい。
そして、男性が女性を必死に口説いており、女性もまんざらでもないような態度であった件。
期待を外された上に、この老人たちのせいで、よりいっそう何とも言えない寂しさ、虚しさが胸に込み上げてくる。



気を取り直し、再び高崎方面行きの上り列車に乗り、1時間半掛けてある駅に訪れてみた。


「祖母島(うばしま)」駅


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1面1線単式ホームに降り、列車が過ぎ去った瞬間、果てなく広がる田園の絶景が現れた。
この絶景を見て、私は思わず息を飲んでしまった。


もこ太郎の平成阿房列車

先月訪れた、姨捨駅の絶景 に勝るとも劣らない。
快晴の天候も手伝って、この時はそう思えた。
家からこんな近い場所に、こんな素晴らしい駅があったなんて…


袋倉で底辺まで落ちていたテンションも、ここで一気に最高潮まで達した。

言うまでも無く、今回の旅で1番感動した駅だ。
この旅の中で、ここに訪れることができたことを幸運に思う。


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1時間足らずの滞在時間はあっという間に過ぎてしまった。
これで吾妻線とは別れを告げ、今日のもう一つの目的地に向かうことにする。


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2011年9月23日 午前10時
私は桐生駅の4番線ホームに立っていた。



先週の土日は、イベント列車にも乗れたりしたが、とにかく駅スタンプを集めるのに必死だった。
薄い群馬県内の鉄道ダイヤグラムの中、よくここまで頑張れたと思う。


今日明日は、自分が気に入った路線を十分に堪能しながら、有終の美を飾りたい。



今日この桐生駅4番線ホームにいるのには理由がある。
お目当ては、「わたらせ渓谷鐡道」のイベントトロッコ列車「わ鐡のわっしー号」だ。


わ鐡は、先週一度も乗車していない。今日1日は、わ鐡をゆっくり楽しむ予定だ。


わ鐡のトロッコ列車と言えば、通常は大間々駅の0番線が始点となるが、このイベントトロッコ列車はわざわざ桐生駅まで乗客を出向いてくれる。
さらに普通であれば乗車券のほかに整理券を購入しないとトロッコ列車には乗れないのだが、このイベントトロッコ列車は乗車券だけで乗車できる。


ただし、
「ぐんまワンデーパスSP/ツーデーパスSP」では、この列車には乗車できないとの事。
既に今回分の「ぐんまツーデーパスSP」を購入していたのだが…
仕方なく、スタンプの置いてある駅「通洞(つうどう)」までの乗車券を購入した。


列車が入線する前から、ホームには長蛇の列ができていた。
みんな、「わ鐡のわっしー号」を待っている。


待つこと数十分。
ようやく、ディーゼル機関車の代表格、DE10に牽引されたトロッコ車両が4番線に入線してきた。
4番線は通常はJR両毛線のホームで、本来のわ鐡のホームは1番線になる。
今日はイベント列車の為にJRがホームを開放してくれているのだろうか? 


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DE10は 赤色ではなく、わ鐡のイメージ、銅(あかがね)色に塗装されたものであった。

ヘッドマークには、わ鐡のイメージキャラクター「わ鐡のわっしー」が描かれている。


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到着した列車から「わ鐡のわっしー」が降りてきて、乗客をお出迎えする姿も見られた。


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このトロッコ列車、4両編成でそのうち窓の無いトロッコの車両が2両。あとの2両は通常の車両となっている。
トロッコ車両に乗りたいのはやまやまだが、今日は溢れんばかりの家族連れがいる。
一人の私はトロッコ車両を家族連れに譲り、一番後ろの、普通の車両へ乗り込む事にした。
少々悔いが残る瞬間だ。


前回のわ鐡の旅 同様、私は進行方向右側のクロスシートを陣取った。
発車を待っていると、車内販売が回ってきた。
品物を見ると、前回のわ鐡の旅から気になっていた「トロッコ弁当」が販売されていたので、一つ買っておいた(900円)。


もこ太郎の平成阿房列車

車内で「トロッコ列車」と「わ鐡のわっしー」の2つのスタンプを手に入れる。



10時48分

わ鐡のわっしー号はほぼ満員状態となり、足尾へ向けて出発した。


列車は非常にゆっくりしたペースで進んでゆく。
トロッコ車両のように窓を全開にしてみる。
良い天候にも恵まれ、車窓の流れもとても穏やかだ。


大間々駅を出発した後は、お約束のように、進行方向右側に渡良瀬川の美しい渓谷が姿を現してくる。


しかし今日は川が増水しているようだ。
草木ダムの放流でも行われているのだろうか?


もこ太郎の平成阿房列車

車窓の景色を写真に収めていて気付いたのだが、一番後ろの車両と言うのは、少しいいことがある。
カーブを移動している時に、先頭の車両が撮れて、なかなか良い絵になる事だ。

わ鐵沿線はカーブが非常に多いため、幾度となくシャッターチャンスが訪れる。


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さて、そろそろ弁当を食べることにしてみよう。
弁当は、山菜ごはん、そして食材に山の幸がふんだんに使われている。


もこ太郎の平成阿房列車

あまりの美味しさの為、あっというまに完食してしまった。


渡良瀬川の流れを見ていると時間の経つのも忘れる為、神戸(ごうど)駅に「いつのまにか」という感じで着いた。
ここで列車の交換が行われるため、しばらく停車する。
このスキに、車両レストラン「清流」 の中にある、この駅のスタンプを頂きに行く。

トロッコ車両には、たくさんの家族連れと一緒に、コスプレイヤーの集団が乗っていた。
彼らは何の目的で何処へ向かっているのだろうか?


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神戸駅を出発すると、車両は沿線で一番長い「草木トンネル」に突入する。
トロッコ車両はトンネルの中で、天井に取り付けられたたくさんのイルミネーションが点灯され、車内は大いに盛り上がっていた。
なかなかの演出だが、その演出を私はうまく写真に収めることができなかった。


もこ太郎の平成阿房列車

普通の列車ならば、桐生から1時間半で通洞に着くが、このトロッコ列車は約2時間かかった。
それだけ余計に車両に乗れたと思えば、少し得な気分になれる。


もこ太郎の平成阿房列車

通洞駅には駅員がいて、小さいながらも味わい深い木造駅舎を構える。


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駅の近くの足尾銅山観光にも訪れたいが、すぐに上り列車が来てしまう。
スタンプを頂き、10分余りの駅の滞在を経て、桐生行き列車に乗り込む。



この列車で向かうは水沼駅
今回も、この駅で温泉と生ビールを頂くことにする。



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11時7分
大胡、赤城の各駅でスタンプを手に入れ、西桐生まで戻ってきた。
昼食にはまだ早いが、前日の失敗 もある。
駅の向かいにコンビニがあるので、そこで弁当を買い、駅の待合室で早めの昼食を取っておく。
上信電鉄の、前日に訪れた駅のうちどれか一つでもいいから、その近くにコンビニでも作ってほしいものである。いくら田舎でも需要はある筈だ。


桐生駅に戻り、ここからまた両毛線の駅のスタンプ収集を再開する。
まずは「栃木駅」


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高架上にホームがあり、東武日光線・宇都宮線と接続している。
ホームに降りたとき、偶然特急「スペーシア」に遭遇できた。


もこ太郎の平成阿房列車

駅舎は近代的な作りだが、北口と南口は全く同じ作りになっている。


もこ太郎の平成阿房列車


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例えばこの駅で待ち合わせをする場合、特に北口か南口かを指定する時など、ここまで同じ作りだと、それぞれの入り口の特徴を聞かれたときに説明に困るのではないだろうか?


栃木に来たら、どうしても「レモン牛乳」が飲みたくなる。


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栃木駅でJR・東武の2つのスタンプを手に入れ、再び両毛線で移動する。
次は「佐野駅」

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ここは栃木駅と同じく、東武鉄道(佐野線)と接続している。
栃木駅と異なる点はホームは地上に設置されている事である。


もこ太郎の平成阿房列車

ここでもJR・東武の2つのスタンプを手に入れ、ここからは東武鉄道の駅のスタンプを収集する。
しかし次に乗車する予定の佐野線の列車は、1時間近く経たないとやって来ない。
日本最大手民鉄の1社を誇る東武でも、地方路線は当たり前のようにダイヤを薄くしているらしい。


もこ太郎の平成阿房列車


佐野と言えばラーメン。
ラーメンを食べるくらいの時間はあったが、あまり腹も空いていない為次の機会にする。


14時29分
ようやく館林行きの列車がやってきた。
学生が一気に乗り込んだため、シートはあっという間に塞がった。
私は最前部の窓にかぶりついた。


群馬県内の東武鉄道は、主に東毛地方に分配されている。
伊勢崎線・桐生線・佐野線・日光線・小泉線と、東毛地方の主な自治体をきめ細かに網羅するような形で、線路が張り巡らされている。
この地方の鉄道は、東武が一人勝ちしている印象だ。


私が今乗っている車両は、佐野駅を出発するとすぐ、大きく右にカーブして両毛線を跨いで超える。
さらに右カーブを続け、180度近く回転し終わったところで、佐野市駅に到着する。
佐野市駅を出発すると、渡良瀬川の支流、秋山川を鉄橋にて超え、田島駅に着く。
ここから線路は、館林~佐野間を結ぶ幹線道路(県道7号線)と並走する。
私はこの道路を以前は良く使っていた。
周りに田んぼしかない事も手伝って、車の中からはこの線路が、かなり目立って見えていた。
今、その線路の上を、道路を横目で見ながら移動している。不思議な感覚だ。


佐野から約15分で、「館林(たてばやし)駅」に到着。

もこ太郎の平成阿房列車

ここでは次の列車まで、あまり時間が無い。
スタンプを手に入れて、可能であれば駅舎鑑賞まで行いたい。
しかしここは、伊勢崎線・佐野線・小泉線の接続駅であり、ホームが非常に広い印象だ。
スタンプがどこにあるか分からない。
パンフレットにはスタンプ台の位置が明記されているのだが、それでも分からなかった。
仕方なく、わざわざ駅員にスタンプの場所を聞いたりしていたものだから、あっというまに時間が過ぎた。
改札を抜けることも無く、スタンプだけ頂いて伊勢崎線の上り列車に飛び乗る。


館林駅から一駅移動したところで下車。
「茂林寺前(もりんじまえ)駅」


もこ太郎の平成阿房列車

さすが伊勢崎線は幹線路線だ。またもや次の列車まで、あまり時間が無い。
しかし、茂林寺前駅は相対式ホーム2面2線の小さな駅の為、駅舎鑑賞までは何とか行えそうだ。

この駅のすぐ近くには、童話「分福茶釜」の発祥になった茂林寺があり、それに由来したスタンプも置かれている。
駅前にはユーモラスなタヌキ像が展示されている。


もこ太郎の平成阿房列車

駅舎も木造で、なかなか味わい深い。


もこ太郎の平成阿房列車

スタンプを手に入れすぐさま下り列車に乗って、
「足利市(あしかがし)駅」


もこ太郎の平成阿房列車

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「太田(おおた)駅」


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「新桐生(しんきりゅう)駅」


もこ太郎の平成阿房列車

もこ太郎の平成阿房列車

のスタンプを手に入れた。


この時既に午後5時を過ぎていた。

新桐生駅から桐生線で、終点赤城駅まで移動。
そこから上電で中央前橋駅まで移動。
第2旅では、中央前橋のスタンプを頂き忘れていたので、この機会に頂く。

そして、シャトルバスに乗って前橋駅まで移動。
前橋から、高崎線直通の上野行き列車に乗って帰宅する。


今回は、これで一旦引き上げることにする。



この二日間で手に入れた駅スタンプは26個。イベント列車スタンプは2つ。
水沼、桐生、西桐生、前橋の4つのスタンプは、既に第2旅で手に入れている為、残すスタンプはあと3つ。
できればこの2日間で全てのスタンプを手に入れたかったが、残るうちの2つは、私の大好きな路線のスタンプだ。
だから、最後はじっくり楽しみながら、目的を達成したい。



次の3連休には、必ず有終の美を飾る。



※お詫び
 第1章 で、駅スタンプは全部で「34個」と記載しましたが、正しくは「33個」でした。
 お詫びして、第1章の記事は訂正させて頂きます。



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足利駅から、両毛線で桐生駅まで移動。
そこから、上毛電鉄西桐生駅まで、徒歩で「北へ」移動する。


以前わ鐡と上電に乗った時 と同じ道を歩くわけだが、今日は様子が違う。
桐生駅から、見た目は明らかに鉄道マニアとわかる人物が何人か、足早に西桐生に向かっている。

彼等に続いて私も西桐生駅に到着。
木製の柵の有人改札を抜けると、2番線に既に一両編成の車両が、出発を待っていた。


臨時列車「デハ101」


もこ太郎の平成阿房列車


これが本日のメインイベントとなる。

上電のオリジナル車両で、シンボル的存在だ。


車体には、紫の群馬DCのヘッドマークが掲げられている。


もこ太郎の平成阿房列車


見た目は明らかに骨董車両で、鉄道博物館で展示されていても全く遜色無いような車両だ。
茶褐色の車体は、子供の頃鉄道車両百科で見た、旧国鉄クモハ12を思い出す。
しかし上電オリジナルのこのデハは、クモハ12よりも歴史が長いらしい。
何でも、上電開業当初(昭和3年)から使用されてきた車両らしい。

今はイベント列車として余生を過ごしていると言う。
それにしても、このような車両がまだ現役で走っているのというのは、驚きよりも嬉しい気持ちが勝る。


車体の横には、昔懐かしいホーローのサボが掲げられている。


もこ太郎の平成阿房列車

サボには「西桐生-中央前橋」と書かれているが、今日のデハ101の運行は、西桐生-大胡までの区間を走るとの事。


早速車内に入ってみると、ロングシートの70パーセントほどは既に埋まっていて、乗客は鉄ヲタしかいないようだ。


もこ太郎の平成阿房列車

前日の上信電鉄デキ列車の車内よりも、鉄ヲタ占拠率が高い。


車内の壁は木造、さらに床は板張りで、歩くと板が軋みそうだ。


もこ太郎の平成阿房列車

車内広告は昭和初期と思われる広告が掲げられている。レプリカだろうか?本物だろうか?


もこ太郎の平成阿房列車

車両の出入り口の上には、上電の昔の路線図が掲げられている。
これは開業当時のものだろうか?
「新大間々駅」とは、今の「赤城駅」なのだろうか?


もこ太郎の平成阿房列車

車内を見るだけで、なかなか楽しめる。既に車両自体が博物館と化しているような印象だ。手入れも隅々まで行き届いている。
楽しんだところで、車内にあるスタンプを手に入れてからシートに着く。


シートはクッションが深く、なかなか坐り心地が良い。
今の通勤形電車・近郊形電車のシートに比べれば、昔のほうがよっぽど親切に造られていたことがよく分かる。
E231系のクロスシートは座り心地は大したことないので、無理して座りたいと思わない。
しかし115系のクロスシートは座り心地が良いので絶対に座りたい。
できれば一つのボックスに与えられている4人分のシートを独占してしまいたくなるくらいだ。



8時55分
デハ101はたくさんの鉄ヲタを乗せて、大胡に向け出発した。

非常に独特なモーター音を鳴らしてデハは進んでゆく。
その走りは意外と力強いもので、スピードも乗っている。
まだまだ現役でやれるのではないか?


しかし、もちろんエアコンなどは付いていない。
天井に着けられた扇風機と、窓を開けることによって涼を得るしかない。


さらに、この車内に入った時から気になっていたが、ニスだろうか?油だろうか?車内に匂いが充満しており、生まれつき喉の弱い私は時々むせこんでしまっていた。
首を真横に向けて車窓を眺めようとしたら、その時丁度咳が出てしまい、隣に座っていた乗客に咳をかけてしまった。
私は丁重にその人にお詫びした。



西桐生から30分余りで、終点の「大胡(おおご)駅」に到着。


もこ太郎の平成阿房列車

島式ホーム1面2線を有するこの駅は、駅員が常駐しており、上電の主要駅として扱われている。


もこ太郎の平成阿房列車

駅に隣接して上電唯一の車両基地があり、木造の大胡電車庫は、駅舎等とともに国の登録有形文化財として登録されている。


もこ太郎の平成阿房列車

これから車庫の見学会があるということだったが、時間の関係で参加してる暇は無かった。
スタンプだけ手に入れて、非常に後ろ髪ひかれる思いで、西桐生行き列車に乗り込んだ。
乗った車両は、1か月前に乗った風鈴電車であった。



大胡から20分で、「赤城(あかぎ)駅」に到着。


もこ太郎の平成阿房列車

ここは東武桐生線との接続駅で、ここから特急「りょうもう」に乗れば、乗り換え無しで浅草まで行くことが可能だ。


もこ太郎の平成阿房列車

駅舎は近代的な作りで、売店も併設されている。


もこ太郎の平成阿房列車

スタンプを手に入れ、西桐生まで戻ってきた。



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水上駅で、駅寝であかした一夜。
4時半起床。始発の30分前起床は、駅寝の鉄則との注意書きを、どこかのサイトであらかじめ見ていた。



2011年9月18日
天気は晴れのようだ。
冒険の2日目が始まった。


お世辞にもよく寝たとはいえないが、初めての駅寝にしては、必要十分な睡眠は取れたようだ。
シュラフをたたみ、トイレで洗顔を済ませる。
私の他に、駅寝した人が2人ほどいたのは気づかなかった。


水上駅のスタンプを頂き、既にホームで待ち構えている、107系の始発列車に乗り込む。


5時4分
まだ暗い空の中、列車は高崎に向け出発した。
乗客は私一人のようで、貸し切り状態であった。
107系列車のシートは、窓を背に向けて座るロングシートである。
ただでさえ広々とした車内が、クロスシートの圧迫感が無い為余計に開放感を感じる。


私はロングシートに足を放り出して、少し寝そべったりしてみる。

煌々とした車内で、車窓も殆ど何も見えない状態の中、揺れる吊り革を見つめていると、そのうち上牧(かみもく)駅に着いた。
ここから、数人の乗客が乗り込んできて貸し切り終了。
この駅は小高い丘の上のような所にホームがあり、周りに人気の無いような印象で、この時間に乗客が数人いたのには少し驚いた。


高崎の手前、「新前橋駅」で一旦下車する。


もこ太郎の平成阿房列車

新前橋駅は地元の人から「シンマエ」と呼ばれているらしい。
名前からも分かるようにこの駅は、隣の「前橋駅」の分家にあたる。
上越線、両毛線、吾妻線の各列車、さらに高崎線からの直通列車がここで停車し、群馬県の鉄路の、要の駅の1つとなっている。
その割には、この駅の1日の乗車人員は、両毛線しか乗り入れていない本家の前橋駅の半分程度である。


これからまず、両毛線沿線の駅スタンプを集める。


それにしてもこの両毛線というのは面白い。
単線区間と複線区間が入り乱れているのもそうであるが、そのルートに大きな特徴がある。
新前橋と栃木の小山を結ぶ、東西に延びた路線であるがその間、北へ南へ大きく蛇行を繰り返しているのである。
主要都市に無理やり線路を通してしまった結果であるが、この蛇行の影響もあり、高崎から小山まで移動するのに2時間近くかかってしまう。
さらに、下りの車両は全て高崎駅から出発するのだが、その半数は途中の「前橋」「伊勢崎」「桐生」までしか行かない。

時間帯によっては、高崎線で大宮まで行き、大宮から宇都宮線を利用した方が、小山に早く着く場合もある。
申し訳ないが、いろんな要素で中途半端な路線、という印象は否めない。
でも、それが面白いと思える要因でもある。私は両毛線は嫌いではない。


両毛線の下り列車を利用し、初めに向かったのは「伊勢崎(いせさき)駅」。


もこ太郎の平成阿房列車

ホームは高架上にあり、駅舎も近代的な作りである。

駅の北側は綺麗に整備されているが、周辺はかなり開けた印象である。


もこ太郎の平成阿房列車

一方南側はバス停やタクシー乗り場などもあり、北側より賑やかな印象だが、区画整備の途中なのであろう、至る所で工事が行われている。

そして南側の地上に、東武鉄道のホームがある。


もこ太郎の平成阿房列車

この駅は東武鉄道の伊勢崎線との接続線であり、スタンプもJRと東武の2種類手に入れることができる。


伊勢崎線は、浅草とここ伊勢崎を結ぶ路線で、民鉄の中では国内で最長の路線(114.5km)である。
しかし、ここから乗り換えなしで浅草まで向かう列車は、1日1本の特急列車しか無い。
普通列車は太田、或いは館林が終点となってしまう。


余談だが浅草~東武動物公園間は、東京スカイツリーの開業に合わせて「スカイツリーライン」などという愛称がつけられた。
しかし私は「また客寄せのための安直な名前が付けられてしまった」という印象が有る為、あまりこの愛称を快く思っていない。
「とうきょうスカイツリー」などと変えられてしまった駅名も、「業平橋(なりひらばし)」の方がよっぽど味わい深い印象を受けるのだが…


もこ太郎の平成阿房列車

再び両毛線の下り車両に乗り、桐生を超えて栃木県に入る。
(ぐんまワンデーパスSP・ツーデーパスSPは、両毛線は全線乗り放題の対象になっている)


そして、「足利(あしかが)駅」で下車。


もこ太郎の平成阿房列車

学問の街として有名であるが、駅舎も木造でなかなか好印象を受けた。


もこ太郎の平成阿房列車

スタンプを手に入れ、次は上り列車で桐生に向かう。


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※以下の時刻は、2013年7月の時刻表に基づきます。


※遅延のあった車両は、発着時間の後に(遅れ)と記載し、実際に駅を発着した時刻を記載しています。



2013年7月20日


本庄 発  21:23
 ↓
 ↓  湘南新宿ライン:2330Y
 ↓
大宮 着  22:24


大宮 発  22:40
 ↓
 ↓  埼京線:2242F
 ↓
新宿 着  23:11


新宿 発  23:59(遅れ)
 ↓
 ↓ ムーンライト信州81号:8421M
 ↓


2013年7月21日
 

 ↓
 ↓
信濃大町 着 5:13


信濃大町 発 5:34
 ↓
 ↓  大糸線:3220M
 ↓

松本 着   6:27


松本 発   6:32

 ↓

 ↓  篠ノ井線:426M

 ↓
塩尻 着   6:48


塩尻 発   6:53
 ↓
 ↓  中央本線:822M
 ↓
中津川 着  8:47


中津川 発  8:53
 ↓
 ↓  中央本線:5716M
 ↓
多治見 着  9:34


多治見 発  9:55
 ↓
 ↓  太多線/高山本線:619C/720C
 ↓
岐阜 着  11:05


岐阜 発  11:18

 ↓

 ↓  東海道本線:5317F

 ↓

大垣 着  11:31


大垣 発  11:42

 ↓

 ↓  東海道本線:3213F

 ↓

米原 着  12:17


米原 発  12:24(遅れ)

 ↓

 ↓  東海道本線:3259M

 ↓

大阪 着  13:49(遅れ)


大阪 発  14:08

 ↓

 ↓  紀州路快速:4163M/4563H

 ↓

和歌山 着 15:36




2012年7月22日


トロッコ嵯峨 発  14:07
 ↓
 ↓  嵯峨野観光鉄道:列車番号121
 ↓
トロッコ亀岡 着  14:30



2013年7月23日


京都 発   5:30
 ↓
 ↓  東海道本線(琵琶湖線):900M
 ↓
米原 着   6:37


米原 発   6:50
 ↓
 ↓  北陸本線:127M
 ↓
敦賀 着   7:36


敦賀 発   7:42
 ↓
 ↓  北陸本線:233M
 ↓
金沢 着  10:03


金沢 発  10:58
 ↓
 ↓  北陸本線:445M
 ↓
富山 着  12:07


富山 発  12:15
 ↓
 ↓  北陸本線:543M
 ↓
直江津 着 14:13


直江津 発 14:29
 ↓
 ↓  信越本線:1339M
 ↓
長岡 着  15:57


長岡 発  16:32
 ↓
 ↓  上越線:1744M
 ↓
水上 着  18:32


水上 発  18:37
 ↓
 ↓  上越線:752M
 ↓
高崎 着  19:39


高崎 発  19:55
 ↓
 ↓  高崎線:978M
 ↓
本庄 着  20:14


※この旅で初めて乗車した区間


 太多線(多治見~美濃太田 間:全区間完乗達成)
 高山本線(美濃太田~岐阜 間)
 嵯峨野観光鉄道(トロッコ嵯峨~トロッコ亀岡 間:全区間完乗達成)
 北陸本線(米原~筒石 間:全区間完乗達成)
 



嵯峨野観光鉄道 公式HP

http://www.sagano-kanko.co.jp/


保津川下り 公式HP

http://www.hozugawakudari.jp/


「トロッコ亀岡」駅からは、タクシーで移動します。

山陰本線「馬堀」駅の脇を通り過ぎ、向かったのは…



もこ太郎の平成阿房列車

「保津川下り」の乗船場


そうです!先ほどトロッコ列車から見えた乗合船に、今度は私たちが乗るのです!!


この保津川下り、たくさんの著名人が訪れたらしく、壁に掲げられた色紙もハンパ無い数です!


もこ太郎の平成阿房列車

待合室で船の出発を待っていると、何だか空模様が怪しくなってきた…


もこ太郎の平成阿房列車

そんな中、船への案内が始まりました。


もこ太郎の平成阿房列車


船には、20人弱の人員が乗り込み、中にはアメリカや、台湾からの観光客もいました。
さすがは世界の観光名所、「Kyoto」!!


船頭さんは一隻の船に4人乗船。
ベテラン親方風の方と、中堅の方二人の合計三人でオールを漕いで、
若手のイケメン兄ちゃんは、長~い棒で船を操ります。


もこ太郎の平成阿房列車

ではこれから、約16km、2時間弱の川下りのスタートです!


昼までの酷暑も、雨でその勢いは和らぎ、保津川の流れと、川の畔に佇む木々の深緑、そして遥か彼方に臨む山々の姿が、よりいっそう清涼感を引き立てます。


もこ太郎の平成阿房列車

保津川はひっきりなしに右へ左へ蛇行を続け、船頭さんたちは必死に舵を取り続けます。
それにしても、2時間弱船を漕ぎ続ける船頭さんたち、本当にご苦労様です!


川の岩場で、カワウが羽を休める姿を随所で見ることができます。
その中に、鮮やかな青色のカワセミの姿も臨むことが出来ました。


所々で急流にさしかかり、船が無事に通過する度に、乗客から歓声が上がります。


もこ太郎の平成阿房列車

ひっきりなしに蛇行する保津川を下っていると、山陰本線の鉄橋が何度も姿を現してきます。
その中に、橋の上にホームのある、「保津峡」駅の姿も見ることができました!


もこ太郎の平成阿房列車

保津峡駅は秘境駅としても有名な駅で、一度は降りてみたい駅ですね!
(ヤバい、また鉄分発散してしまった)


そんな中、運良くトロッコ列車に遭遇する事が出来ました!!


もこ太郎の平成阿房列車

もこ太郎の平成阿房列車

そしてさらに川を下っていくと…
何と!野生の猿の群れに遭遇しました!!

思わず船頭さんに確認しちゃいましたが、この猿たちの飼育係もいないし、餌付けなんて当然されていないとの事…
非常に貴重な場面に出くわして、これは超ラッキー!!!


もこ太郎の平成阿房列車

そんなこんなで、楽しい船の旅も終点が見えてきました。
最後には売店船のお出迎えを受け、思わずビールを一杯頂いちゃいました!!


もこ太郎の平成阿房列車



これにて京都の小旅行は終了。
久しぶりに、親子水入らずの時間を過ごすことが出来ました。


そこから、親たちは私を京都駅に置いて、車にて帰宅。
私は、親が予約を取ってくれた、駅前のビジネスホテルで一泊する事に。



一人旅でホテルに宿泊なんて、初めての旅 以来ではなかろうか…
シュラフまで用意していたんだけど、まさかホテルに泊まるとは思わなかった…


もこ太郎の平成阿房列車

こんな広くて素敵で綺麗な部屋…



落ち着かない…

駅で寝たい…




次の朝4時半には起床、5時にはチェックアウト。


そして、人もまばらな巨大駅「京都」から、始発列車で米原へ向かうのであった…


もこ太郎の平成阿房列車

もこ太郎の平成阿房列車

もこ太郎の平成阿房列車

もこ太郎の平成阿房列車


最後は本当の余談でしたね…

さて、頑張って「群馬阿房列車の旅」の続きを書かなきゃ。






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