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この記事は「ミッドサマー」ネタバレ解説15の続きです。

「ミッドサマー」ネタバレ解説は最後まで行きましたが、「ディレクターズカット版」観てきたので、補足したいと思います。

 

「ミッドサマー」公開中に「ディレクターズカット」も同時公開されるという、異色の事態になりましたね。

通常版148分に対して、ディレクターズカット版は171分。増えているのは23分で、そこまで極端にボリュームアップしているわけではないです。

ショックシーンが増えているわけではない。全体に、状況や人間関係の描写が詳細になっていて、より丁寧な描き方になっていると言えます。

全体としては、より理解しやすくなってるんじゃないでしょうか。もともと長い映画なので、冗長になってる感もなかったので、こちらを最初に観るのもアリだと思います。

R18ですが。特別料金2,000円ですが。

でもまあ、コロナで映画館も大変でしょうからね。この機会に、ちょっと多めに払うのも悪くないかもしれません。

 

ここでは、ディレクターズカット版で追加されたシーンについて、紹介・検討してみたいと思います。

新しい発見!と思ったところを書いていきますが…もしかしたら、前の鑑賞の時に見落としてただけのことが混じってるかもしれません。その場合、ご容赦願います。

スウェーデンについての口論

パーティーでスウェーデン行きがバレた後、アパートの部屋でダニーがクリスチャンを問い詰めます。途中までは通常版でもあったシーンですが、ディレクターズカットでは少し引き伸ばされています。

クリスチャンを責めていたダニーですが途中からトーンダウンし、クリスチャンを怒らせたかも…と焦り、涙ながらに謝ることになります。

ダニーをなだめるために、クリスチャンは彼女をスウェーデンに招待し、「サプライズで言うつもりだった」とか言い出します。適当な出まかせでその場を取り繕う。

これ、二人の口論のいつものパターンなんだろうな…と思わせます。クリスチャン、クズですな。

ディレクターズカットは全体にクリスチャンのクズ度が上がる部分が多いです。ラストでの同情がますます遠のく感じになってます。

ヘルシングランドへのドライブ

ペレの運転で、一行がヘルシングランドへ向かう車の中のシーンが長くなっています。

マークはワイ談を言っていて、ダニーは退屈しています。

ダニーは友達から「1日早いハッピーバースデー」のメールを受け取ります。

ジョシュは「THE SECRET NAZI LANGUAGE OF THE UTHARK(ウザークの秘密のナチ言語)」なる本を持っています。表紙にはハーケンクロイツとルーン文字が書かれています。

 

ナチスの目標は「ゲルマン人世界の復興」なので、古代ゲルマン文化のルーン文字も研究したのではないか…という説があります。

ハーケンクロイツがルーン文字を組み合わせて作られたマークだとか、SSのマークは同様に2つ並べた(ᛋᛋ)ものだとか。

定説ではなく、オカルティスト的なネタではありますが。

 

ルーン文字に没頭しているジョシュを見て、ダニーはペレに「うまく洗脳したのね」と言います。

ペレは、「会った時にはジョシュはもう洗脳されてたんだ」と言います。

もちろんこれは偶然ではなく、ペレはホルガの文化に興味を持ち、ほいほいとついてくる学生を探していたのでしょう。そいつに、アホな友達が数名いればなおラッキー。

最初のごはん

ホルガでの初日、シヴの祭りの始まり宣言の後、皆で野原に座って最初の食事となります。

肉などの食材が運ばれ、石皿で燃える火の中に投じられます。ペレはそれを「遥かな昔から絶えることなく燃え続けている聖なる火だ」と言います。

この火は、通常版ではダンとイルヴァが焼かれるシーンで初めて登場していました。ディレクターズカット版では、前もって紹介されていることになります。

 

最初の食事ではテーブルもなく、みんな野原に直接座ってピクニックのようです。人々の列は、ルーン文字のの文字の形に並びます。これはメイポールにも掲げられている文字で、後のダニーのドレスにも入っている、頻出文字です。旅、騎乗、乗り物などを意味します。

ホルガの人々が全員同じ乗り物に乗り、同じ旅に参加している…というような意味が伺えます。

 

長老の一人ステンが歌うように祈りを捧げます。ペレはそれを、祈りというよりも「呼びかけ」だと言います。ホルガでの崇拝の対象となる太陽や大地や水、自然への呼びかけですね。

宿舎での会話

皆が宿舎に案内された時、ペレがクリスチャンをそっと呼んで、ダニーの誕生日を忘れていることを思い出させます。これで、クリスチャンが誕生日を忘れていたことがはっきりします。

クリスチャンの間に合わせのようなバースデーケーキも、いったいどこから出てきたやら…?という感じでしたが、ペレが持たせてくれたんでしょうね。

クリスチャンとジョシュの口論

アッテストゥパンの後、宿舎でクリスチャンがジョシュに「俺もホルガの論文を書く」とか言い出して、「はぁ?」とキレられる。ここは通常盤でもありましたが、ジョシュの非難が少し引き伸ばされています。

「俺とお前を一緒にするな。お前は電子図書館の使い方も知らないだろ? 何のために大学院にいるんだ?」

 

クリスチャンのモラトリアムぶりが鋭く指摘されてるシーンです。

クリスチャン、実際のところ北欧文化への興味なんかないですからね。これまでろくに勉強もせず、研究対象も見つけられていなかったのに、ただ、学会に発表されていない奇習を発表して脚光を浴びるチャンスに色めき立っているだけ。ジョシュがキレるのももっともです。

小さな追加シーンですが、クリスチャンのクズぶりはますます際立つシーンですね。

クリスチャンとマヤ、ウラとの会話

上記のシーンの続きです。キレるジョシュから逃げるように宿舎を出たクリスチャンは、アッテストゥパンのことを聞いてびっくりするマーク、帰ることを計画し始めているサイモンとコニーの横を抜けて、ツリーを飾っている女性たちのところにやってきます。

クリスチャンはおもむろに、彼女たちにホルガのことについての質問を始めます。

これ、ジョシュに痛いところ突かれて、慌ててアリバイ作ってるんですね。俺もホルガの文化に興味があるし聞き取りをするぞ!とか思っていきなり始めてる。

 

ここで、クリスチャンは図らずもマヤに話しかけることになります。

英語がわからないマヤは、意中の相手であるクリスチャンに話しかけられてパニック状態に。ウラが変わって、英語でクリスチャンと話します。

 

クリスチャンは何回のアッテストゥパンを見たかを尋ねます。

ウラは、誰かが72歳に達するたびだから、たくさん見たと答えます。

アッテストゥパンが90年ごとであるはずがない…というのが通常版を見たときの大きな疑問でしたが、ここで明言されていますね。少なくとも72歳になった老人が飛び降りて死ぬ儀式は、90年ごとではなく72歳になった人が出るたびに行われていたのです。

川の儀式

アッテストゥパンの日の夜、川の儀式のシーンとなります。これはホルガで暗くなった夜に行われる唯一の儀式で、通常版からカットされたもっとも長いシーンです。

 

川の儀式は、水に象徴される女神に対して感謝を捧げる儀式です。それはホルガの他の儀式とは趣が違っていて、役割に応じてセリフを読み上げるような演劇調で行われます。

 

男たちが、飾り付けをした木を川へ投げ込みます。

贈り物をしても女神はまだ空腹だ…ということが、演劇調に語られます。そして、BRORという少年が、自分が贈り物になると名乗り出ます。

少年の体は、さきほどの木と同じような緑の葉や花、宝石などで飾られています。男たちは木と同じように少年を抱え上げ、その腹の上に重しの石を乗せて、川へ投げ込むジェスチャーをします。

見ていたダニーは、思わず声を上げて止めようとします。それと同時にホルガの女性がストップをかけ、少年は無事に連れ戻されます。

勇気を示したことが称えられ、この儀式は終了します。

 

ひとまとまりの儀式としては唯一完成版からカットされた川の儀式ですが、いくつかの狙いがあったように思われます。

まず一つ目は、コニーの行く末について。ラストに黄色い三角の家に運ばれてきたコニーの遺体は、髪が濡れ、体には緑の草のツルや金属製の飾りがつけられていました。これは、少年BRORと同じ飾りです。

ここから、コニーは少年と同じように川の女神への生贄にされたのだと思われます。ただし彼女の場合は演劇ではなく、実際に溺死されられたわけです。

 

また、ゲストの中で唯一声を上げ、少年を投げ込むのを止めたのはダニーでした。

ダニーが生贄の候補から外れ、メイクイーンの候補に回ったのは、ここでのダニーの行動が要因になっていたのかもしれません。

あるいはこの儀式自体が、ゲストの中からメイクイーン候補を選び出すことを目的としていたのかも。

二人の女性のうち一人がクイーン候補となり、もう一人は生贄となる。そう考えると、コニーが川の儀式の生贄になるのも必然性があるということがわかります。

 

映画の中での効果という点では、「残酷に見えて実際は残酷ではない(本当にありそうな)儀式」を挟むことで、アッテストゥパンのガス抜きのような効果を果たしているように感じます。

殺人の儀式で、なんで逃げないの?とか、警察に連絡するのが当たり前だろう!とか思わせちゃうとプロット的にあまり好ましくないんですよね。観客の意識をそこへ向かせないために、現実味のある儀式を挟んでるんじゃないでしょうか。

ダニーとクリスチャンの口論

ダニーは「ここは間違ってる」と直感をクリスチャンに告げます。今すぐ、ここを立ち去るべきだと。

クリスチャンは、ここについての論文を書くから、だから今はここを立ち去るわけにはいかないと言いだします。

ダニーにとっては寝耳に水。「いつ決めたの?」

「今日決めた」とクリスチャンは言います。

 

ダニーは、人が崖から飛び降りるような儀式をする彼らが、単なる学生がそれを論文に書くことを許すなんてあり得ないと指摘します。そもそもここに招かれていることからしておかしいし、怪しむべきだと。

ダニーは、正しく状況が見れていますね。状況分析はダニーの方が圧倒的に正しい。そして冷静であれば、誰もがそう考えるだろうと思えます。

でも、クリスチャンは冷静な判断を失ってしまってます。

 

クリスチャンにとって論文なんて、「今日思いついたこと」に過ぎない。全然こだわる必要のあることじゃないんだけど、クリスチャンは意地になってしまっています。

ジョシュになじられたことが、図星だったのも彼にとってはキツイんでしょうね。自分が中身のないモラトリアムであることを、彼自身よくわかっている。

だから、世界にまだ知られていないらしい儀式を自分が発表して、一発逆転、成功を収める…という夢を見出してしまって、それを手放せなくなっちゃってる。

本当は、積み上げたものも何もないんだから、こだわる必要なんて何もないのに。

 

また、ダニーに対しての当てつけという面もありますね。

ダニーが昼食の時に詰んだ花をくれたことを、クリスチャンは「誕生日を忘れていたことへの当てこすり」だと言い出します。ダニーにとっては「何それ?」ってな感じですが、でもクリスチャンは実際にそう感じちゃってるんですね。

いつも自分より優位に立ち、自分が卑劣な、卑小な人間であるように思わせてくる(とクリスチャンには思える)ダニー。

そんなダニーの言う通りにするのが腹が立つ。癪にさわる。要するに、子供っぽい「駄々をこねてる」でしかないんですけどね。

 

このシーンの後、ダニーが皆に置いていかれる夢を見るシーンにつながります。

クリスチャンに見捨てられるという事実があって、それに影響されてのダニーの悪夢ですね。このシーンがあることで、ダニーの夢の意味がわかりやすくなっています。

ダニーとクリスチャンの和解

翌朝、マークが先祖の木に立ち小便して、ウルフの怒りを買うシーンの後、ダニーとクリスチャンが昨夜のいさかいについて話すシーンがあります。

 

ダニーは「昨日はごめん」と謝ります。結局、ダニーの方から謝っちゃうんですね…。

それに対して、クリスチャンは謝らない。「今日はどんな気分?」とか聞くだけです。やっぱり、喧嘩の原因はダニーが不安定なせい…と言いたいんでしょう。

クリスチャンとシヴとの会話

マークとジョシュが消えた翌朝、クリスチャンがシヴの家に招かれ、彼女と話をするシーン。

「マヤとセックスすることを許す」とか言われてクリスチャンが焦るシーンですが、少しだけ延長されています。

 

シヴは、これはホルガのユニークな性的な儀式を垣間見ることのできるチャンスだとクリスチャンに投げかけます。

これを聞いて、クリスチャンの心は揺らぎます。「参加せずに見ることはできませんか?」などと言います。

 

シヴのこの投げかけは、非常に巧妙ですね。クリスチャンに、「これはダニーへの裏切りではない」「なぜなら、あくまでも学術的な興味が動機だからだ」という都合のいい言い訳を与えてくれているのです。

この会話によってクリスチャンの行為が彼の非常に浅はかな動機に基づく、彼自身の選択による行動だったことが明確になり、クリスチャンのクズ度はさらにアップすることになっています。

最後に

最後に、ディレクターズカット版を観て、あらためて感じたことをいくつか。

ディレクターズカット版でも、劇中の時間経過はやっぱり5日間でしたね。9日間は経っていない。

 

「90年に一度」に関しては、混迷が深まった感じがします。

老人が飛び降りて死ぬアッテストゥパンは、ホルガの住人が72歳になるたびに行われることがはっきりしました。

メイクイーンを選ぶのは、毎年です。ペレが「去年のメイクイーン」を見せているし、宿舎の壁には毎年のメイクイーンの写真が飾られている。

「よその血を入れる」のも、90年に1度だけでは血が濃くなり過ぎそうです。もっと頻繁にやってそう。

最後の「火の儀式」にしても、ペレの両親がその犠牲になった可能性が極めて高い。となると、せいぜい20年ほど前にはやっているはず。

…となると、いったい何が90年に1度なのか?

 

映画では9日間経ってない。映画で描かれた儀式は全部90年ごとじゃない。

…ということは、真に90年に1度の儀式は、映画では描かれていない。映画が終わった後に起こるのだということになります。

 

気になるのは、映画の中に「過去のメイクイーンだった」という女性が出てこないことです。

宿舎の写真を見て、ホルガの中の誰かであることに気づく…というようなシーンもありませんでした。

そのことは、メイクイーンが(毎年ではないにしろ)最後には結局生贄になる…こともある…ということを意味していないでしょうか?

 

この映画の終わりの時点では、祭りはまだ終わっていない。半ばに過ぎない。

ダニーの夏至祭は、あの後まだ4日間も続くのです。

そうなると、メイクイーンであるダニーの運命も心配ですね。最後の生贄が「新しい血のメイクイーン」であるということも、あり得るのではなかろうか。

…そんな妄想も、思い描いてしまったのでした。

 

「ミッドサマー」レビューはこちら。

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