この記事は、映画「ミッドサマー」の細かな部分の解説・解読を試みる記事です。あくまでも独自解釈なので、製作者の意図とは違う場合も多々あろうと思います。ご了承ください。また、最後までネタバレしていますので映画を未見の方はご注意ください。
この記事は「ネタバレ解説1」ならびに、「ネタバレ解説2」、「ネタバレ解説3」の続きです。
4日目の朝
19番目のルビ・ラダーが何者かに持ち去られたことが知らされます。
アルネはジョシュとマークの行方をクリスチャンとダニーに尋ねます。
クリスチャンはジョシュとは共謀していないと訴えます。ジョシュをかばうよりも何よりも先に、自分の潔白を主張する。うーん…クリスチャンらしいなあ。
クリスチャンはシヴの部屋へ。白い壁は、びっしりと絵で埋め尽くされています。
神話の登場人物や、魔術を表すような手や紋章、薬草、キノコ、ルーン文字といったものが描かれています。
よく見ると、傷をつけた手のひら、クマの毛皮を着て焼かれる男など、映画に登場したシーンの絵もあることがわかります。
シヴはクリスチャンに、「マヤとセックスすることを許可します」と伝えます。クリスチャンは驚き、断って立ち去ります。
広場では、女性たちが一列に並び、作られる飲み物を受け取っています。なんらかの薬草を抽出した、ハーブティーのような飲み物です。それは「競争のための飲み物」だと、カリンが説明します。ダニーは思い切ってそれを飲み干します。
いよいよ、メイクイーンを決めるメイポール・ダンス競争が始まります。
メイポール・ダンスの由来
イルマが、メイポール・ダンスの由来となる伝説を語ります。
「昔、暗闇がホルガの若者を騙して、ダンスへと誘惑しました。踊り始めると、止まることはできず、死ぬまで踊ることになりました。闇に打ち勝ち人生を肯定するために、私たちは疲れ果てて倒れるまで踊ります。最後に立っていたものが、冠を頂きます」
映画に登場するホルガは創作ですが、スウェーデンにはホルガ(Hårga)という名前の村が実在します。ヘルシングランド地方、ホルガ山のふもとにある小さな村。
このホルガに、ホルガダンセン(Hårgadansen)という物語が伝承されています。
ホルガの若者たちがダンスを楽しんでいた夜、突然音楽が中断され、黒い帽子をかぶり、燃える目を持った人物が影から現れました。男はフィドルを構え、誰も聞いたことのない曲を演奏しました。若者たちはこれを聞くと踊り始めましたが、不思議なことに誰も踊りをやめることができなくなってしまいました。
夜が明ける頃、男はフィドルを演奏しながらどこかに歩き去り、踊り手たちは踊り続けたまま、男について行ってそのまま消え去ってしまいました。
一人の少女だけが残されました。彼女は踊りに参加せず、隠れていたのです。少女だけが、男の正体が悪魔であることに気づいていました。
このホルガダンセンをもとにして作られた曲が「ホルガローテン(Hårgalåten)」で、フィドルで演奏されるポピュラーなスウェーデン民謡になっています。この曲は夏至祭のメイポールダンスで非常によく演奏されます。
メイポール・ダンスの幻覚
音楽が始まり、女性たちはメイポールを囲んで3重の輪を作り、踊り始めます。ダニーも見よう見まねで踊り出します。
飲み物の効果が効いて来て、ダニーは意識が朦朧とするのを感じます。
この辺りから、背景の中のあらゆるものがまるで生きているように息づき始めます。
メイポールを覆う緑の葉や花は、鼓動のように蠢いています。背景の森は呼吸するように動き続けます。
そしてダニーは、自分の足が草でできているような幻覚を見ます。
この辺からずっと、画面内の様々なものにCG処理が加えられ、細かな変化が起こっています。画面の隅々まで注意深く凝視することをオススメします!
何度も止まっては踊り、繰り返すうちに脱落者が出始めます。ダニーはカリンに導かれて踊り続けます。
クリスチャンがやってくるのを見ると、マヤは踊りをやめて輪から出ます。
ウラが近づいて、クリスチャンにカップを差し出します。クリスチャンがそれは何かと聞くと、ウラは「特別な性質を持つ湧き水」と答えます。「あなたのガードを崩し、影響に対してあなたの心を開きます」
クリスチャンはそれを飲みます。
最後の数人だけが残るまでになると、ダニーはいつしか、カリンとスウェーデン語で会話が通じるようになっています。これは、ドラッグによる意識の覚醒状態がもたらす「分かり合える感覚」…他者との垣根が失われて、心が通じるように感じられる感覚ですね。
ドラッグによって「認識が広がった状態」とも言えるし、一方でそれは統合失調症の症状とよく似た状態でもあります。自分の心と他人の心が区別できず、「心を読まれた」「マインド攻撃を受けた」などと感じてしまうのが統合失調症の特徴です。
気がつくと、ダニーは最後の一人になっています。イルマがメイクイーンが決まったことを宣言し、ダニーに花輪の冠をかぶせます。
駆け寄る人々の、祝福する意味なのか、一斉に両手を上げてヒラヒラ〜と振るのが面白いです。真似したくなります。
テリーが支配する世界
男も女もダニーに駆け寄り、彼女を祝福します。ペレが、ダニーの唇にキスをします。どさくさ紛れですね! 誰もとがめないのは、ホルガではペレがダニーの夫になることがもう決まっているということでしょう。
多くの人々がダニーにキスしたりハグしたりしますが、その中にはダニーの両親と、テリーが紛れ込んでいます。
矢印の人物がそうだと思われます。
そして、その間ずっと、ダニーの冠の花はパクパクと呼吸をしています。
ダニーはみこしに乗せられて運ばれていきます。
ダニーの乗ったみこしが画面を横切っていく背景の森に、ホースをくわえたテリーの顔が浮かび上がっているのが見えます。
ここで起こっていることはホルガというスウェーデンの小さな村の奇妙な伝統に基づく儀式で、ダニーのプライベートな経験とは何の関わりもないんだけど、ダニーの中ではそれはシンクロしてしまっているんですね。
ダニーから愛する家族を奪い、安心も安全も奪い、ダニーを孤独にしていくテリーは、ダニーの中では恐ろしい怪物のような存在感に成長しています。
ホルガの儀式がどんどん常軌を逸していき、混乱状態が増していくに従って、ダニーはその裏にテリーがいるように感じていきます。混乱した世界は、テリーがもたらした世界である…という認識になっていくんですね。
ダニーが運ばれていった先では、本日のディナーの用意がされています。
テーブルの並びは毎日変わっていたんですが、今日は一直線。まっすぐ長く続く、鏡面のテーブルになっています。
供される料理はここまでに登場してきたものと同様、北欧の伝統的な食事ですが、ここではより不気味に感じられるような造形がされています。魚の頭と豚の足に囲まれた七面鳥のロースト、頭が2つあるように見えるヤギの肉、テーブルにこぼれ落ちそうなザリガニの塔などです。
メイクイーンの椅子はまるで王様の玉座のような豪華な椅子で、花や緑で覆われています。そこに座ったダニーは、植物が蠢き、自分自身の手にも植物が侵食してくるのを感じます。
これらはハーブティーによってもたらされたダニーの幻覚ですが、ホルガの人々の信仰する、生命と意思を持った自然の具現化であるとも言えます。
ダニーが座ると皆が座り、ダニーが食べ始めると皆が食べます。クイーンとして尊重されているから…のようではありますが、それはダンとイルヴァの時と相似形になっています。
塩漬けのニシンが運ばれ、ダニーは「しっぽから、まるごと食べるように」と言われます。それはメイクイーンに幸運をもたらすためのおまじないです。ダニーは食べきれず吐き出しますが、それを見た人々は笑います。
クイーンとしてちやほやしつつも、その一方で嘲笑してくる人たち。これは、ダニーが日頃から抱いていた悪夢ですね。
ダニーはスピーチを求められ、戸惑いながらも皆に感謝を述べます。皆は「あなたはもうファミリーだ」と口々に言います。
シヴが、伝統に従ってメイクイーンが次に行うべき行動を告げます。メイクイーンはホルガの作物と家畜を祝福し、ニシンから受け取った幸運を、皆に分け与えるのです。
6人の女性たちによって引かれる、馬のない馬車が運ばれてきます。ダニーは乗ることを求められ、クリスチャンと一緒でもいいかと聞きますが、それは否定されます。
ダニーは一人で馬車に乗り、トーチを持った女性に導かれ、そこから離れていきます。
馬車が着いた先では、地面にあいた穴に穀物の袋、生肉、卵が埋められ、ダニーはそれらに祝福を与える儀式を行います。
クリスチャンとマヤ
ダニーがいなくなった後、少女が籠の花を撒いて歩き、寺院とディナーテーブルの間に花の道を作ります。
この時、少女の歩いた後の地面から次々と花が咲き出しています。
クリスチャンは寺院へ歩き、その中で白いガウンに着替えるよう指示されます。髪のような飾りで顔を覆った男が現れ、クリスチャンにポットの蒸気を吸わせます。
それはクリスチャンに活力を与えるための精力剤です。クリスチャンは扉の奥へと誘われます。
そこは窓のない、薄暗い部屋の中です。飾り気のない板張りの部屋の中央には鮮やかな花のベッドが置かれ、そこには全裸のマヤが横たわっています。
そしてその向こうには、より年上の女性たちが並んでいます。彼女たちも全員が全裸です。女性たちの数は、マヤを入れて13人です。
クリスチャンはガウンを引き剥がされて彼も全裸になり、12人の女に取り囲まれ、応援されながら、マヤとのセックスを強要されていくことになります。
全裸の人々が集う儀式の光景は、アリ・アスター監督の前作「ヘレディタリー」を容易に思い出させます。
「ヘレディタリー」の悪魔崇拝において、儀式の参列者が全裸であることは重要なファクターでした。儀式における全裸はスカイクラッド(Skyclad)と呼ばれ、サバトにおける伝統的な正装です。
このビジュアルはまた、ルカ・グァダニーノ監督の2018年版「サスペリア」も連想させます。この映画でもクライマックスの儀式では、参列者がみんな全裸になっていました。
「サスペリア」では、参列する魔女の数は13人でした。これは魔女宗教(Wicca)において意味のある数字です。
「ミッドサマー」でも、全裸の女性たちの数は13人です。
ダニーが乗った馬車を先導し、引いていく女性たちの数も13人でした。先頭でトーチを持つ1人、馬車を引く6人、馬車の御者台に1人、馬車の横に4人、最後尾にまたトーチを持つ1人、合計13人。
つまり、この儀式の最終局面で、ダニーに付き添う13人の女性と、クリスチャンに付き添う13人の女性の、2つのグループが存在していることになります。
ここにきて、「ミッドサマー」の信仰は悪魔教めいた様相を呈してきます。そうともとれるような描写です。
ただ、ホルガの信仰はいわゆる反キリスト教的な悪魔崇拝ではないと思います。ホルガの信仰は、キリスト教より古い、より原始的なものです。
それが悪魔や魔女の信仰と共通項を持つというのは、むしろこれら原始的、土着的な信仰が、非キリスト教的な信仰に影響を与えたということじゃないでしょうか。
多くの女性たち(30代から50代)に取り囲まれ、口々に応援されながら進行するクリスチャンとマヤのセックスは奇妙なものです。それはもはやエロいというより、不気味で滑稽。
やがて感情が高ぶってくると、女たちは自分の乳房を揉みしだき、マヤの喘ぎ声に合わせて「アー、アー」とみんなで喘ぎます。この辺はもう狂いすぎていて、笑ってしまう域に達してます。
その部屋にはルベンがいて、彼はルビ・ラダーの新たなページを書いています。ホルガの聖書は、セックスにインスピレーションを得て書かれていたんですね。
ダニーとクリスチャン
馬車が戻ってきて、ダニーはシヴの家へと指示されます。
しかし、ダニーは寺院の中から聞こえてくる声に気をとられます。そりゃ13人の女性が声を合わせて「アー、アー」って言ってるんだからそりゃ気になりますね。
止める女性たちを振り切って寺院に入ったダニーは、ドアノブの鍵穴から中を覗き、激しくコトに及ぶクリスチャンのケツを見てショックを受けます。
ダニーはパニックになり、宿舎の自分のベッドへ駆け込みます。パニック発作で過呼吸になるダニーを、追いかけてきた女性たちがなだめます。
やがて呼吸が落ち着くと、今度は感情が爆発し、ダニーは大声をあげて泣き始めます。テリーと両親の死を知った時と同じ、激しく溢れ出るような嘆きです。
取り囲む女性たちは、ダニーと一緒に床に座り、ダニーと同じように感情を爆発させて、大声で泣き始めます。
彼女たちに泣かれているうちに、ダニーの感情もやがて落ち着いていきます。
レビューにも書きましたが、ここは本作のとても重要なポイントだと思います。
個のない共同体であるホルガは、ダニーのあまりにも大きな苦しみ、悲しみを共有して、まったく同じように苦しみ、悲しむことで、ダニーを癒すことができるのです。
ホルガの女たちに「感情を共有される」ことで、ダニーは一人で抱え込んでいた辛さを分かち合ってもらい、楽になることができます。
しかしそれは一方では、個人が持つべき当たり前の感情を奪われてしまうことでもあるのですが。
アリ・アスター監督は、自分自身の失恋の体験が、本作のきっかけになったのだということを述べています。
「当時、恋人と別れたばかりで、それを描写する手段を探していました。なぜなら、僕は自らの体験をストレートに伝えることが苦手で、何らかのフィルターを通す必要があるのです」
「ミッドサマーには『人が犠牲になる』という隠喩が出てくるんですが、それは共依存や失敗した恋愛、常に犠牲を要する人間関係という、僕が語りたいと思っていたことを伝えるのにぴったりだったんです」
自分の失恋をネタにして、これだけ気の悪い物語を作り出せるアリ・アスター監督は、やっぱり只者じゃないと感じます。
ジョシュとサイモンの運命
疲れ果てたクリスチャンの尻に老婆が手をそえて、彼は絶頂に達します。マヤは「赤ちゃんを感じる!」と歓喜の声をあげます。
マヤにも他の女たちにも、興味があるのは今やマヤの中にある子種だけ。誰もクリスチャンには見向きもしません。全裸のまま、クリスチャンは外へ飛び出します。
クリスチャンは宿舎に向かおうとしますが、ダニと女性たちの声が聞こえ、戸惑います。
別の建物に歩いて行くと、その前にある庭の土から、何者かの足が突き出しているのを見ます。野菜のように、畑に頭を下に埋められたその足の持ち主はジョシュだろうと思われます。
突き出した足の裏には、ルーン文字が書かれています。
このルーン文字はおそらく「ᛗ」。man、「人間」「男」を意味します。野菜のごとく畑に埋めた上で「人間」という印をつけるという、なんだろう、皮肉でしょうか。
クリスチャンは次に、鶏小屋に入っていきます。そこには、サイモンがいました。
彼は全裸で、花で彩ったロープで両手足を固定され、小屋の天井から吊るされています。
目玉はくり抜かれ、かわりに花が差し込まれています。
そして、背中が切り開かれ、体内から肺が外に引っ張り出され、まるで翼のように広げられています。
その肺は脈打っています。つまり、サイモンはまだ生きていて、引っ張り出された肺で呼吸しているのです。
「血のワシ」(Blood Eagle)と呼ばれるこの処刑は、驚くべきことに実在したものです。古代の北欧に実在した儀式的な処刑法とされ、スカルド詩に謳われています。スカルド詩は、9世紀から13世紀頃に成立した古ノルド語の韻文詩で、バイキングの王や戦士の伝説を語るものです。
「オークニーの人々のサガ」(14世紀)では、9世紀頃に生きた北欧伯爵の一人トルフ・エイナルが、ノルウェー王ハーラル1世の息子「長脛のハールフダン」をこの儀式で殺害する様子が語られています。
「そこで、エイナルは長脛のハーフダンを見つけ、剣で背中を切り裂き、背骨からすべての肋骨を切り取り、そこから肺を引き出した。そして、彼はオーディンにハーフダンを捧げた」
血のワシという名前はもちろん、引き出した肺をワシの翼に見立てたものです。古代の処刑の残酷さには、驚かされるものがあります。
この処刑が実際に行われたのか、あるいは伝説の中で誇張されたものなのかは、意見が分かれているようです。肺を引っ張り出して、わずかな時間でも生きていられるものなのか…。
どちらにせよ、伝承の中の「血のワシ」は王族に対して行われたものです。なぜホルガでサイモンに対して行われたのかは不明ですが、サイモンに対する強い怒りによるものだったのかもしれません。
サイモンはアッテストゥパンの儀式の最中に、大声をあげ、自殺を黙って見ている人々を非難しました。この時は誰もサイモンを咎めませんでしたが、ホルガの人々から見れば、サイモンの行動はこの上なく重大な冒涜だった可能性があります。
ルビ・ラターを写真に撮ったジョシュが畑に埋められ、先祖の木を冒涜したマークが「ネクロパンツの刑」に課せられたのと同様、サイモンの場合も懲罰としての処刑だったのかもしれません。
実際、特に何の罪も犯していないと思えるコニーには、目立った残酷な処刑はされていないようです。…って、殺されることに変わりはないのだけれど。
オッドがやってきてクリスチャンに何らかの粉を吹きかけ、クリスチャンは昏倒します。いよいよ、最後の生贄の儀式…クマの儀式が始まります。
ミッドサマー気に入った方にオススメしたい2018年版サスペリア。