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この記事は、映画「ミッドサマー」の細かな部分の解説・解読を試みる記事です。あくまでも独自解釈なので、製作者の意図とは違う場合も多々あろうと思います。ご了承ください。また、最後までネタバレしていますので映画を未見の方はご注意ください。

この映画のレビューはこちら。

この記事は「ネタバレ解説1」ならびに、「ネタバレ解説2」「ネタバレ解説3」「ネタバレ解説4」の続きです。

メイクイーンの花のドレス

クリスチャンが昏倒から目覚めた時、シナリオによれば翌日になっています。つまり5日目。

薬によって、全身を完全に麻痺させられてしまったクリスチャン。

ウラ「あなたは話せない。動くこともできない」

それでも、意識はある。最悪の状態ですね。

クリスチャンは車椅子に乗せられています。

シヴが祭りの始まりを宣言したステージは、黄色いラインで太陽の模様が形作られていましたが、今はその中心にメイクイーン・ダニーがいます。

ダニーは花のドレスを着ています…ドレスというか、もうほとんどオブジェに近いような状況です。生け花の中に埋め込まれているみたい。

 

花はいろいろあるのでしょうが、スウェーデンではセント・ジョーンズ・ワートという花が有名です。日本名はオトギリソウ。黄色い花です。

この花は、夏至祭の前夜に枕の下に敷いて寝ると、未来の夫が夢枕に立つと言われています。そう言えば、マヤが枕に何か入れてましたね。

セント・ジョーンズ・ワートはまた薬草として使われ、うつ病や不安障害の一般的な処方として用いられています。これは実に、ダニーにぴったりの花ではないでしょうか。

花に埋もれている状態は、精神的な治療を受けて薬に浸かっている状態の比喩でもあるのかもしれません。

 

追記。たまたまナショナルジオグラフィックを読んでたら、「バイキングを鼓舞した花」という小さな記事を見つけました。

「8〜11世紀に北欧から各地へ侵攻し、その荒れ狂った姿で恐れられていたバイキング。そんな彼らは、戦いの前に怒りの感情を高ぶらせる『何か』を摂取していたと言われている」

それは長年、幻覚作用のあるベニテングタケと言われてきたのですが、ナス科の「ヒヨス」という花を食べていたらしいということがわかってきたそうです。

「北欧ではベニテングタケより手に入りやすく、人を攻撃的にする化合物も多く含んでいるという」だそうです。

花は黄色で、ダニーの冠でパクパクしていた花に似ています。もしかして、ダニーがクリスチャンに「攻撃的」だったのも花の効果かも…?

 

9日間について

ダニーの周りにはシヴら年長者たちが並び、ホルガのすべての人々がステージの前に集まっています。

シヴは「9日間の大祭」と言い、劇中のいろんなところで9日間が言及されているのですが、映画の中では9日間は経過しません。

どんなに注意深く数えても、5日間です。クリスチャンの昏倒から最後の儀式までの間に夜が明けているとしても、5日間。ダニーたちが野原でマジックマッシュルームを嗜む「前日」を数えたとしても、6日間です。

 

これにはいくつかの解釈が可能です。まずは、ダニーたちが参加する日までの間に、4日間が経過しているという解釈。

ペレやイングマールら、外の世界へ”巡礼”に出ていた若者たちは、ホルガの外で待つことになっているようでした。あるいは、彼らが参加を許された日までの間、ホルガでは村の内部で暮らす人々による儀式が(4日間?)行われていたのかもしれません。

ただ、ダニーたちが参加した日に、シヴが大祭の「9日間の始まり」を宣言しているように聞こえます。これが実際には5日目なのであれば、そう言いそうなものです。

 

もう一つの解釈は、映画の終わりが大祭の終わりではないという可能性です。確かに、シヴは大祭の終わりを宣言しているわけではなりません。

実は「クマの儀式」はまだ大祭の半ば、5日目の出来事に過ぎなくて、実は祭りはさらにあと4日間続くのかもしれません。

ということは、ダニーの身にもまだまだいろんな出来事が起こるということに…。

もしかして、それが「ミッドサマー2」? …まさか。

9人の生贄:2人の案山子

シヴが儀式の内容を説明します。

我らの浄化の神の日に、我が大切な太陽に特別な感謝を捧げる。父なる神への捧げ物として、我らは今日9人の生命を捧げよう」

ホルガは奪い、ホルガは与える。生贄となる新たな血のために、我らは我々自身も捧げよう。つまり、4人の新たな血、4人のホルガ人、そして女王によって選ばれるもう一人。全部で9人、死んで、偉大なるサイクルに生まれ変わるために」

 

ホルガの大祭で、生贄として神に捧げられるのは9人の生命。4人の「新たな血」すなわち部外者と、4人のホルガ人、そしてもう一人はメイクイーンによって選ばれます。

4人の部外者は既に殺されています。サイモン、コニー、ジョシュ、マークです。

4人のホルガ人のうち2人は、既に決定し、死体になっています。

ホルガから既に生贄に選ばれているのは、高齢の男女です。その死体の下半身は木の切り株に、両腕は木の枝に置き換えられていて、まるで案山子のような見た目になっています。

一人は口にも木の枝が突っ込まれていて、まるで死体から木が生えてきたようです。これは、人が死んで、そこから自然が再生してくることを示しているのかもしれません。

 

案山子は田畑を守るものとして、農耕民にとっては大切な存在です。

ロシアの春を迎えるお祭り「マスレニツァ」では、冬を意味する藁の案山子を燃やして、春を象徴する太陽に捧げます。そして、人々は太陽と同じ丸い形をしたパンケーキ「ブリヌイ」を食べます。

寒い冬の終わり、温かな春の到来を祝い、太陽に感謝を捧げるマスレニツァの祭りは、ホルガの夏至祭とよく似ているようです。

ロシアもスウェーデンも、冬の過酷さ、春を待望する気持ちはよく似ているでしょう。太陽が自然と神格化されていくのも、雪国ならではかもしれません。

9人の生贄:ウルフとイングマール

4人のホルガ人のうちあと2人は、住人の中からのボランティアで名乗り出た2人です。

イングマールウルフ。イングマールはサイモンとコニーを連れてきた若者で、ウルフはマークの皮を着てジョシュを襲撃した男です。

マークとジョシュを殺したのはウルフと思われます。サイモンとコニーを殺したのが誰かは一切描写されていませんが、2人を連れてきたイングマールだったのかもしれません。

2人が名乗り出たのはボランティアで自発的なものとされていますが、「新たな血」を殺したものが生贄になるという暗黙の了解があるのかもしれません。

 

今回、外部の人間を連れてきたのはペレとイングマールだったわけですが、それぞれ、「生贄要員」と「自分の妻要員」を選んで連れてきているように思えます。

ペレは明らかにずっとダニーを「狙って」いるし、イングマールも「コニーとはデートしていた」と言っていました。

それは即座にコニーに否定されていましたが。サイモンとコニーが婚約を決めて、イングマールはコニーを妻にすることを諦めざるを得なくなったのでしょう。(その時点で、コニーが生贄になることも決定しちゃうのですが)

ペレとイングマールの間では、連れてきた女性を妻にできそうな方が残り、そうでない方は生贄になる(連れてきた女性とともに)という取り決めがされていたのかもしれません。

ビンゴゲーム

まだ決められていない9人目の生贄は、伝統に従って、「新たな血」とホルガ人のどちらかに、メイクイーンによって決められることになります。

ホルガ人の候補者は、ボールによる抽選で決められます。ルーン文字で住人の名前の書かれたボールが、ランダムに出てくる仕掛けです。

どこかで見覚えのあるような。ビンゴゲームで使えそうな装置ですね。

これ、たぶん普段はホルガ住人の間で行われるビンゴゲーム大会で活躍してるんじゃないでしょうか。「オースティン・パワーズ」上映会もやるくらいですからね。そういう娯楽は、きっと充実していることと思います。

 

選ばれた男性とクリスチャンの二択は、ダニーに委ねられることになります。

9人の生贄:サイモンとコニー、ジョシュとマーク

「新たな血」である4人の生贄は、村人たちによって干し草を運ぶ手押し車で運ばれてきます。

コニーの遺体は、緑のツタのような紐を体に巻かれ、濡れているように見えます。これは、完成した映画からはカットされた「川の儀式」に関連しています。

「川の儀式」はディレクターズ・カットで見ることができます。アッテストゥパンの行われた日の夜、日が沈んだ後に行われる儀式です。皆が川に集まり、子供に重りをつけて川へ投げ込む…ように見せて、投げ込まないという儀式です。

この時の子供が、緑の紐を体に巻きつけています。コニーはこの儀式と同じような目にあって、ただし今回は誰も止めてくれず、溺死させられたものと思われます。

 

マーク道化師の帽子をかぶせられています。これはマークが"Skin The Fool"の「Fool」であることを示しているのでしょう。道化師の帽子をかぶったマークは、冒頭の絵にも描かれていました。

マークの死体はふにゃふにゃです。たぶん、服の下にあるのは藁や干し草で、剥ぎ取られた顔の皮膚を使ってマークに見せているだけの人形と思われます。皮を剥がれたマークの死体は、使い物にならない状態になってしまったのでしょう。

中国の明王朝の刑罰で、不正した役人の皮を剥ぎ、中に草を詰め込んで見せしめにする…というものがあったそうです。

 

サイモンの死体は白い服を着せられ、「血のワシ」の痕跡はわからなくなっています。

しかし、目に差し込まれた花はそのままです。

 

ジョシュの死体も白い服を着ていますが、その体は土や泥で汚れています。畑から引っこ抜いてきたものと思われます。

口には何かが突っ込まれています。これはルビ・ラダーから破り取られたページです。

ルビ・ラダーはホルガの聖典であるはずですが、こうして生贄に食わせることができるということは、実はその重要性はこれまで示されていたほどでもないのかもしれません。

クマの解体

檻の中に入れられていたクマが、ここでようやく登場してきます。

ただし、もう死んでいます。机の上に横たえられ、腹を開かれて、内臓を取り除かれようとしています。

年長の男が、若い人たちにクマのさばき方をレクチャーしています。

 

やがてクマの処理が終わると、クリスチャンがその隣に横たえられます。クリスチャンはクマの毛皮の中に入れられ、クマ人間として生贄に供されることになります。

 

森に住む野生動物でもっとも強いクマは、広く強さの象徴として神格化されてきました。

北欧神話に登場する戦士ベルセルクはクマの毛皮を着ています。彼らは軍神オーディンの庇護のもと、危険の際にはクマのような野獣になりきって狂戦士となって戦います。クマと一体化したクリスチャンは、ベルセルクに見立てられているのかもしれません。

狂戦士と化したベルセルクは鬼神のごとき強さと、味方さえも皆殺しにしてしまうほどの凶暴さを持っていました。しかし、怒りが鎮まるとベルセルクは疲労困憊し、動くこともできなくなったと言われます。クリスチャンのように。

9人目の生贄は本来は、ベルセルクが捧げられていたのかもしれません。古代においては、他の8人を全員皆殺しにした後で、動けなくなったベルセルクが9人目になったのかも。

 

ケルトの世界でも、クマは戦士のシンボルとなっています。クマを意味するケルト語"artos"は、ギリシャ神話の女神アルテミスの語源につながっており、またアーサー王のモデルになったと言われる古代ローマの軍人アルトリウスの名前にも含まれています。

 

ロシアやラップランドなど北方の人々にとって、クマは夜、冥界、月といったものの象徴になっています。

クマは冬眠する動物で、冬の間は死んだように姿を消し、春とともに姿を現します。これは「死から蘇るもの」と捉えられ、死と再生のシンボルとなりました。

「死と再生」は、まさにホルガの生贄の儀式にぴったりの象徴と言えるでしょう。

黄色い三角の家

映画の最初からずっと皆の注意を引いてきて、その正体は謎だった黄色い三角の家が、生贄の儀式の舞台になります。

黄色い三角形は非常に目立って注意を引きますが、劇中でその意味が説明されることはありません。

 

 

三角形の意味ですが、いちばんシンプルなのは、オーディンの槍を象っているというものでしょうか。

北欧神話の主神オーディンは、グングニルと呼ばれる槍を持っています。ユグドラシルの枝を折って作られたと言われ、ドワーフの鍛冶イーヴァルディの息子たちによって鍛えられました。決して狙いを外すことはなく、敵を貫いた後は自動的に持ち主のもとに帰ってくるといいます。

家の中にはルーン文字があります。

これはたぶん「ᚸ」で、オーディンの槍グングニルを意味するルーン文字です。

 

 

三角にしろ「槍」にしろ、天へと向かうベクトルを意味します。上を向いた矢印ですね。夏至の太陽への方向を示す矢印

三角形はまた、「山」でもあります。スウェーデンにはヴァルハルという山が多く、死者は聖なる山で生き続けると言われます。そこから、オーディンの居城、戦死者が集う城ヴァルハラが連想されました。

そういえば、ダニーの花のドレスも山みたいですね。

 

黄色は、これもシンプルには、太陽を意味するのでしょうね。

冒頭の壁画でも、「すべてを統べる太陽」は鮮やかな黄色に描かれていました。

三角の家を燃やす儀式は、「我らの大切な太陽」への捧げ物です。その寺院が太陽の色をしているのもありそうなことです。燃やされ、煙になって天空の太陽に届くことになるわけです。

 

家の扉は青で、三角の家は黄色と青というデザインです。

テリーのシャツと両親のパジャマの色と呼応していたわけですが、黄色と青といえばスウェーデンの国旗ですね。これまたシンプル。

スウェーデン国旗の青は湖を、黄色は黄金または輝く太陽を象徴しています。

 

三角形に関して、もう少し複雑な解釈もあります。

古代北欧の神聖なシンボルとして、ヴァルクナット(Valknut)というものがあります。3つの三角形を組み合わせた模様で、古代ゲルマンの様々な記録に散見され、世界樹ユグドラシルの象徴とも、オーディンのサインとも言われています。

三角形が3つで9になりますね。何度も神聖な数字として出てくる9です。

 

 

スウェーデンのゴットランド島で出土したStora Hammers I Stoneには、ヴァルクナットが描かれています。特徴的な槍を持つ人物はオーディンであり、鳥はオーディンの使いであるワタリガラスとされています。

これは「血のワシ」の処刑が行われている場面であるとの説もあります。「ミッドサマー」の劇中のあちこちと符合しますね。

三角の家は、扉とその枠も三角形になっており、3つの三角の組み合わせでできていると言えます。

炎の儀式

三角形の建物の中に、9人の生贄が並べられます。

ウルフとイングマールも干し草の上に座ります。そして8人の生贄に囲まれた中央に、クマと一体化したクリスチャンが据えられます。彼はいまだに、しゃべることも動くこともできません…しかし残酷にも、意識ははっきりとしています。

 

顔を髪の毛のようなスダレで隠した神官がやってきます。クリスチャンとマヤのセックスの儀式の時にいた男です。

この男は、北欧神話の復讐の神ヴィーザル(Víðarr、Vidar)を模しているとされています。ラグナロクにおいて、オーディンを飲み込んだ巨大な狼フェンリルを倒した神です。

ヴィーザルはクマと一体化したクリスチャンに語りかけます。

「強く恐ろしい獣よ。お前とともに、我々は一掃する、我々のもっとも神聖でない影響を。お前が自分自身の邪悪さについて顧みるだろう深きくぼみに、お前を追放する」

 

この言葉から感じるのは、この生贄の儀式のホルガ内での本当の意味。

伝統的に、信仰に基づいて…ではあるんですが、同時に、「ホルガ構成員が定期的にその疑いを取り除く」という狙いがあるように感じます。

このコミュニティは、構成員が疑いを抱かないこと…その生死までもコミュニティに委ねて、迷いがないことが大前提ですね。構成員が次々に疑いを抱いていくと、崩壊することになります。

定期的に外部世界に出ている若者を呼び戻して、生死を含むすべてをコミュニティに捧げさせる。コミュニティがすべてに優先することの自覚をさせる。そんな意味合いがあるように感じられます。

 

マットが、イングマールとウルフに「イチイの木からとった飲み物」を飲ませます。それを飲めば、恐れも痛みも感じなくなるのだとマットは言います。

しかし火がつけられ、干し草が燃え上がり、炎が体に迫ってくると、ウルフは激しい恐怖と苦痛を感じることになります。

ウルフは苦痛の叫びをあげ、それは外で見守っているホルガの人々にも聞こえます。ホルガの人々は、ウルフの声に合わせて身悶え、苦痛の悲鳴をあげることになります。ダンの苦痛を分かち合ったように、ダニーの悲しみを分かち合ったように。

 

生贄の痛みを皆で共有することは、この儀式の重要なファクターなのだろうと思われます。ホルガのコミュニティが、生贄の犠牲によってあらためて一つになる過程ですね。

だから、マットが「恐怖と苦痛がない」と言っていたのは確信犯的な嘘だったことになります。イングマールとウルフは騙されていたのです。二人だけが生きたまま、悲鳴をあげられる状態で焼かれたのも狙いのうちだったのでしょう。

でも、もう遅い。抗議することもできず、イングマールとウルフは焼かれていくことになります。

 

そして、クリスチャンも。彼は悲鳴をあげることも、目を閉じることもできないまま、しかし意識だけはずっとはっきりと覚醒したまま、生きたまま焼かれて死ぬことになります。

 

ところで、クリスチャンという名前は「キリスト教徒」を意味します。

そう解釈すれば、このラストシーンは異教徒によってキリスト教徒が火あぶりにされ処刑されている場面であると受け取ることもできます。

キリスト教の価値観では、最後の審判まで残っていなければならない肉体を消し去ってしまう火葬は、異教徒に対して行われる罰でした。だから、中世の魔女狩りで魔女は火あぶりになっています。ジャンヌ・ダルクもそうですね。

そのような異教徒への厳罰が、しっぺ返しのようにキリスト教徒に加えられているわけです。

ダニーの笑顔

客観的な視点では、ダニーはただ外国の田舎の奇怪な風習に巻き込まれただけです。

でも、ダニーの主観的な視点で見てみると、ここで起こっていることはダニーの個人的な復讐です。彼女の孤独を理解せず、彼女を傷つけ続けたクリスチャンに対して、復讐の神が残酷な終幕を与えるのです。

その視点からは、映画のクライマックスはまるごとダニーの精神世界の出来事のように感じられてきます。

家族の喪失と失恋のショックでうつ状態に陥ったダニーが、向精神薬のもたらす夢の中で、自分を裏切った男に残酷な復讐を果たし、精神の安定を取り戻すメタファー。

 

そしてこれはまた、おとぎ話でもあります。

家族を失った悲劇的な孤児の女の子が、魔法の息づく村に行って、親切な家族を得て女王になり、意地悪な恋人の裏切りを見抜き、彼をやっつけるお話。

 

彼女の恋人を含んで燃え上がる黄色いピラミッドを見つめるダニーは、最初混乱した表情を浮かべ、やがて何かに吹っ切れたように笑い出します。

彼女が、ホルガの家族による癒しを受け入れた瞬間

ペレが言っていた、「ホルガが彼女に与えられるもの」を、受け取ることに決めた瞬間。

これは表面的にはハッピーエンドのようでもあるし、ダニーが身も心もカルトに取り込まれたバッドエンドでもあります。

 

ラストシーンに関して、アリ・アスター監督はこんなふうに語っています。

「ダニーは狂気に堕ちた者だけが味わえる喜びに屈した。ダニーは自己を完全に失い、ついに自由を得た。それは恐ろしいことでもあり、美しいことでもある」

「ヘレディタリー」との関係

主人公が自分自身を喪失し、共同体に体を乗っ取られてしまう…という点で、本作のラストシーンは前作「ヘレディタリー」と呼応しています。

「ヘレディタリー」は家族が崩壊する映画でした。「ミッドサマー」は家族が崩壊した後から始まり、新しい家族を見つけ出す映画です。その点で、「ヘレレィタリー」と「ミッドサマー」はひとつながりの家族をめぐる冒険であると言えるでしょう。

アリ・アスター監督は「『ヘレディタリー』と『ミッドサマー』に共通するのは、人生をコントロールすることはできないという怖さを、キャラクターが不可避な運命に向かっていくさまを見せながら語っていくこと」と語っています。

「もしかするとこれまでの2本は3部作の1本目と2本目で、次に撮る長編がそのラストを飾る映画になるのかもしれません」とも。

 

「ヘレディタリー」は徹底した、「家族という呪い」を描く映画でした。なにしろ、おばあちゃんが生前に作り上げた罠に、その子や孫がどんどんハメられて、地獄のような運命に陥っていく話でしたからね。

その家族に生まれついたが最後、最悪の運命から逃れられないという恐怖。

通常の文法では、怖いことは外側にあり、家族は安全地帯なんですよね。外で怖い目にあっても、家族のもとに逃げ帰れば助かる。

その前提をひっくり返しちゃう。家族こそがいちばん怖い場所として描いてしまうから、もうどこにも逃げ場がない。だから、「ヘレディタリー」は怖かったわけです。

 

「ミッドサマー」も完全に、その延長線上にあります。ダニーにとって家族は「呪い」です。家族の呪いをふっ切るために彼女が逃げ込むのが、カルト共同体という疑似家族なのです。

家族の呪いから逃れたと思ったら、また新しい(より悪い)家族に捕まっちゃう話。だから、「ヘレディタリー」の発展なんですね。

 

これがアリ・アスター監督の家族3部作だとして、次の映画が3作目だとして、果たして家族のどんな側面が描かれるのか。

アリ・アスター監督自身の分身なのだろう、逃げても逃げても家族の呪いに捕まっちゃう主人公は、いよいよ家族の呪いから完全に脱することができるのか。それとも、やっぱりバッドエンドなのか。

あるいは、今度こそ呪いでない、幸せな家族を見出したりして。…まあ、まずそんなことはあり得ないだろうけど。

 

ディレクターズカット版の記事を書きました。ネタバレ解説6はこちら。

 

「ミッドサマー」レビューはこちら。

「ミッドサマー」ネタバレ解説1はこちら。

「ミッドサマー」ネタバレ解説2はこちら。

「ミッドサマー」ネタバレ解説3はこちら。

「ミッドサマー」ネタバレ解説4はこちら。

「ミッドサマー」ネタバレ解説6はこちら。

「ミッドサマー」パンフレット情報はこちら。

「ヘレディタリー/継承」レビューはこちら。

「ヘレディタリー/継承」パンフレット情報はこちら。

「ミッドサマー」の先輩の儀式映画「ウィッカーマン」についてはこちら。

 

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