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The Wicker Man(1973 イギリス)

監督:ロビン・ハーディ

脚本:アンソニー・シェーファー

製作:ピーター・スネル

撮影:ハリー・ワックスマン

編集:エリック・ボイド=パーキンス

音楽:ポール・ジョヴァンニ

出演:エドワード・ウッドワード、クリストファー・リー、ブリット・エクランド

①希少な「奇祭映画」

旧作レビューです。「ミッドサマー」の着想のもとになった映画の一つ。

「ミッドサマー」の記事は反響が大きいので皆さん大好きなんだと思うんですが、「ミッドサマー」観て奇祭中毒になった方々にぜひ観てほしい映画です。

リメイク版じゃない、1973年のオリジナル版の方です! ニコラス・ケイジじゃない方ね。念の為。

 

奇祭というか、みうらじゅん言うところの「とんまつり」でしょうか。

昔の風習や信仰を今に伝えるお祭りって、真面目にやればやるほど、はたから見るとトンマで笑えるものだったりするんですよね。

現代ではタブーとされるような、原始的な奔放さがそのまま残っていたりする。性的な奔放さであったり。

そもそも、セックスをタブー視するのは近代の発想なんですよね。日本でもちょっと前まで混浴が当然だったり、夜這いの慣習があったり、男性器や女性器を象ったモノが「御神体」として祀られていたりする。

 

ヨーロッパではそうした原始的な奔放さを押さえつけるのがキリスト教で、それはやはり支配層が庶民を上手く統制するため…という側面もあったんでしょうね。

それでも、農耕や狩猟を生業として生きる人々にとっては、太陽や水や大地が崇拝の対象になるのも当然のことだし、自然の中に見出す神の方がキリスト教の聖人よりも身近に感じられたのだろうと思います。

 

そして、近代的なタブーがなく、性的に奔放であるということは、人の生き死ににも奔放であるということで。

昔は、限られた資源を上手く分け合うための口減らしが、さほどの抵抗もなく行われていた。それが、「ミッドサマー」で描かれた「アッテストゥパン」ですね。

そしてそこに抵抗がないなら、神である自然に大事なものを捧げる…もっとも大事なものである人間の命を捧げるという生贄の発想までも、あと一歩

さほどの飛躍でもない、ということになるんですね。

 

開けっぴろげで、明るくて。性的にも奔放で。一見、とてもフレンドリーに見える古代の慣習。

でも、開けっぴろげな明るさのまま、残酷な生贄の慣習までスルッと繋がっていってしまう…というのが、奇祭ホラーの怖さ「ミッドサマー」と「ウィッカーマン」に共通する面白さなんですよね。

②「ミッドサマー」の北欧と「ウィッカーマン」のイギリス

「ミッドサマー」は北欧スウェーデンですが、「ウィッカーマン」はイギリスです。

スコットランド西の大西洋に浮かぶヘブリディーズ諸島、その中のサマーアイル島が舞台。

サマーアイル島は架空の島ですが、ヘブリディーズ諸島はストーンサークルや石碑、支石墓など、古代ケルト文化の痕跡を色濃く残していることで有名です。

 

「ミッドサマー」は北欧神話ルーン文字などの古代ゲルマン人の信仰、「ウィッカーマン」はストーンサークルドルイドなどの古代ケルト人の信仰…ということになりますが、それらは長い年月の間に入り混じっている部分もあるようです。

実際、民族大移動によって、文化も人々自体も様々に混血している歴史があります。

キリスト教による支配と近代化によって、各地の文化が均等にならされていく…というのは今も起こっている現象ですね。

 

その中でも北欧と英国の離れ小島に共通するのが、どちらも辺境であるということですね。

キリスト教的な中央であるローマ(バチカン)から見ての、辺境。

物理的な距離の遠さと行きにくさによって、キリスト教の影響が最小限に抑えられ、それ以前の信仰や文化が生き残る土壌があったということ。

そこに暮らす人々の心の中に、根深く息づいているリアリティ。

 

飛行機や自動車で、どんな遠くの土地であっても、ある程度の手間さえかければ確実に行けちゃう現代です。「誰も知らない辺境の地の恐怖」なんてシチュエーションは作りにくくなってる。

でも、物理的な距離や、見た目の違いでは分からない、人の内面の辺境があるんですね。

そこがいちばん、怖いところだと気づかされます。

 

どちらの映画も、前半はまるで観光のように、辺境の地の美しい自然の風景を見せていきます。

そしてその中で、明るく朗らかに暮らす人々を見せていく。どちらも、人々の暮らしは笑顔に満ちています。

その中で少しずつ、人々の内面に隠された異質さが見えてくる。

同じ見た目で、言葉も通じるのに、それでも本質のところで噛み合わない異質さ。

それが、古代からの土壌に育まれた、決して分かり合えない決定的な異質さであることに気づいた時には、もう何もかもが手遅れになっている。

その、絶望的な恐怖。

実際のショックシーンというよりも、そんな心理的にじわじわ来る恐怖が、共通点だと思います。

③「ミッドサマー」と「ウィッカーマン」の共通点

どちらの映画にも、メイポールが登場します。

「ウィッカーマン」は五月祭なので、メイポールは必然です。

「ミッドサマー」は夏至祭なので本来はミッドサマーポールと呼ぶべきでしょうが、劇中では一貫して「メイポール」「メイクイーン」と呼ばれています。

北欧では春はまだ寒く花もないので、五月祭のイベントが夏至祭に移行している…ということは実際にもあるようです。

 

「ミッドサマー」のメイポールは矢印のような形をしていましたが、「ウィッカーマン」ではまっすぐな棒で、先端からたくさんの紅白のリボンが伸びているのが特徴です。

若者たちがこのリボンの端を持って、ポールの周りを回りながら、リボンを編み上げていくのが、メイポールダンスになっています。

このリボンは、元は植物の生命力を表す緑のツタであったそうです。緑のツタなら、「ミッドサマー」にも出ていましたね。

 

5月1日に広場に立てるメイポールは、生命力溢れてまっすぐに立つ樹木の見立てであり、樹木の精霊の働きによって家畜が多く乳を出したり、子を産んだりすることを祈願するものだったと言われています。

メイポールの樹は世界樹を意味するとも言われていて、ここでヨーロッパの五月祭と北欧神話がリンクします。

そしてメイポールはまた、男性器の象徴でもあります。「ウィッカーマン」の劇中には、教師が生徒たちにメイポールがペニスであることを教えるシーンがあります。

「ミッドサマー」では直接そういう言及はないのですが、矢印と2つのマルを組み合わせた形はそれっぽい…と言えなくもない…でしょうか。

 

メイポールダンスでは、その年のメイクイーンが選ばれます。

どちらの映画にも、壁にずらりと並べられた毎年のメイクイーンの写真が登場します。

「ウィッカーマン」では、五月祭で選ばれたメイクイーンは、その年の収穫祭へ向けて豊作を祈る巫女的役割になるようです。

 

サマーアイル島の五月祭では、動物の仮面をつけての不気味なパレードが行われます。

パレードを先行するのはピエロの格好をした「愚か者(Fool)」で、五月祭の時だけは彼が王になることができます。

「愚か者」と言えば、「ミッドサマー」ではマークですね。儀式にFoolの存在はつきものであるようです。

 

また、劇中で語られる五月祭の由来話の中には、「処女から剥ぎ取った皮を被った司祭」というものも登場していました。

この話も、「ミッドサマー」でのマークの運命を連想させます。

 

「ウィッカーマン」の主人公ハウイー巡査は去年のメイクイーンに選ばれた少女が凶作のため生贄にされると考えて必死で追いかけていくのですが、最後には生贄は彼自身だったことがわかります。

この流れも、実は「ミッドサマー」と呼応してますね。

「ウィッカーマン」では、メイクイーンに導かれて敬虔なキリスト教徒が生贄となり、生きたまま焼かれます。

「ミッドサマー」でも、メイクイーンの指名によってクリスチャン(キリスト教徒)が生贄となり、生きたまま焼かれることになります。

 

「ウィッカーマン」の根底にあるのは、キリスト教という抑圧に対する、土着の人々の逆襲…だと思うのですが、そのテーマ性は「ミッドサマー」にも(メタファーを経た形ですが)流れているように思います。

特に、ダニーという女性の主人公を投入することによって、男性による女性に対する抑圧、それへの逆襲というテーマも込められている。そこが発展であると言えますね。

 

また、ダニーは生贄にされる犠牲者ではなく、生贄を決める権限を持ったクイーンです。

この捻りによって、「ミッドサマー」では主人公が加害者の側に立ち、観客はそこに感情移入して観ることになって、「ウィッカーマン」のバッドエンドより更に背徳的な、よりどころのない立場に立たされることになります。

最後に梯子を外されるような、グラグラする立場に放り出される。そこが「ミッドサマー」の独特の魅力ですね。

④「ウィッカーマン」の独自の魅力

一方で「ミッドサマー」にはない「ウィッカーマン」の魅力といえば、やはり音楽ではないでしょうか。

「ウィッカーマン」はミュージカルと言えるくらい、歌が多いです。

サマーアイル島の伝統や儀式に基づいた、奇妙な歌詞の歌なんだけど、非常にメロディアスなフォークソングになっていて、とてもとっつきやすい。

 

「ミッドサマー」にも歌はあるけど、こちらは北欧風の詠唱という感じでとても真面目な感じ。「ウィッカーマン」の方は、時代柄ヒッピーカルチャーなんかも感じさせる、キャッチーなものになってます。

ポップでキャッチーなフォークソングに合わせて、常軌を逸したシーンが展開していく。

「ミッドサマー」の「青空の下」と同じ、ミスマッチの面白さなんだけど、やっぱり直接的に響いてくる音楽の力は強いですね。

 

明るく爽やかな「夏は来たりぬ」の合唱の中で、生贄が閉じ込められたウィッカーマンが焼け落ちていくクライマックスは、ちょっともう笑うしかないくらいの狂気と凄みに満ちてます。

ラストの夕陽ショットは、「悪魔のいけにえ」と並ぶ2大印象的なホラー映画の夕陽ショットだと思います。

古い作品だけど、「ミッドサマー」が気に入った方は、たぶん面白がれる映画なんじゃないでしょうか。機会があれば、ぜひ。

 

オリジナルの方。ニコラス・ケイジじゃない奴です。しつこいようだけど。

 

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こっちじゃないからね!