素人のフーガの探求 2 | コリンヤーガーの哲学の別荘

コリンヤーガーの哲学の別荘

30年温めてきた哲学を世に問う、哲学と音楽と語学に関する勝手な独り言。

 1 使用すのスコアの紹介

 

 

 ウェーベルン

 『パッサカノア』 作品1

 『6声のリチェルカーレ』 (音楽の捧げものより バッハ作曲)  

 

 出版社 発売 株式会社ヤマハミュージックメデァ

 2 『音楽の捧げもの』 楽曲基本情報 

 

 作曲 1747年5月7日~7月にかけて

 プロイセン王であるフリードリヒ大王にバッハが与えられた、以下のハ短調のテーマ を大王の前で当時完成しつつあったピアノ(ピアノフォルテ)によって5月7日に「即興演奏」し、これを2ヵ月後にまとめた曲集が『音楽の捧げもの』である。

 

 

 \relative c'{
    \clef treble
 \key c \minor
    \time 2/2 
    c'2 ees      | % 1
    g aes      | % 2
    b, r4 g'      | % 3
    fis2 f      | % 4
    e ees~      | % 5
    ees4 d des c      | % 6
    b a8 g c4 f      | % 7
    ees2 d \bar "|"     | % 8
    c4 
}
                       大王のテーマ
 
 

 バッハは、この曲集を大王に献呈した。 RICERCAR (リチェルカーレ)とは、「フーガ」様式が出来る前の古い呼び名である。

 

 3 フリードリッヒ大王(1712-1786)

 

 フリードリッヒ2世(大王)スペイン継承戦争でプロイセン「公国」から「王国」となったホーエンツォールン家支配の時代の典型的な「啓蒙専制君主」で、農業保護などの政策で知られる。ヴォルテールとの大量の往復書簡で知られる(大王の前衛的思想家、哲学者的側面)一方で、オーストリア継承戦争に介入してオーストリアにシレジアを割譲させる(大王の軍事的、政治的側面)実力者であって、当時のヨーロッパ諸国各国は言わば「戦争の単位」であったが、優れてプロイセンの発展に貢献している。加えて、大王自身、フルートを演奏しフルート作品を多く作曲(大王の芸術家的側面)している。この①「哲学者」②「政治家」③「音楽家」という総合的な各領域での才能が「フリードリッヒ2世」をわざわざ「大王」と尊称させるのである。

 

 なお、わたしが中学生のころは、フルート好きフリードリッヒ大王が、ルネッサンス以来のいわゆる、「フルート・トラヴlェルソ」を職人に改造させて、今日の「キイ」を完成させたと教えられていたけれども、どうもフリードリッヒだけの功績ではなくて、この「ロココ」の時代にあらゆる「木管楽器」で「キイ」の開発が試されていたようである。

 

ルネッサンス期

 

 

バロック期の「トラヴェルソ」

 

現代のフルート

 

 そもそも『音楽の捧げもの』自体が、元来フリードリヒ大王の与えたテーマのバッハのピアノによる「即興演奏」が「原型」であるから、「ピアノ譜」が原典である。(現在もベーレンライター社から出版されている) しかしバロック時代は同一の作品を楽器構成を替えて演奏するのが当たり前であった。

 

 当然CDもピアノ版から、室内楽版、室内オーケストラ版など,様々な楽器構成で録音されている。

 

 ただ、原典の「鍵盤楽器」単独は少ない。これは大王は「テーマ」を与えたのであって、バッハが良い作品を創作すれば、当然その演奏には「大王のフルート」が中心になるべきことが予定されていたのである。

 

 

 とすれば、このかつてのLPのジャケットの写真通り、フルートのペーター=ルーカス・グラーフに弦楽四重奏と通奏低音(チェンバロ)という6人による「6声」部からなる「リカルチューレ」という構成は、作品の目的をもっとも塾考した結果といえる。

 

 では、ウェーベルンの編曲版とは何かというと、この偉大な作品の「現代版大オーケストラ]による演奏ということ目指した「編曲」であるということである。

 

 つづく