ヒラリー・クリントンさん、「何が起きたの?What Happened?」――
大統領のお相手はモニカ・ルインスキー女史
おはようございます。――さて、「7枚のヴェールと聖杯のゆくえ」についてもさることながら、ヒラリー・クリントン女史の「何が起きたの?(What Happened?)」というエッセイ本が刊行され、遅まきながら、読んでみました。
ヒラリー・クリントン女史は「新しい道を歩きはじめた」と書きました。
彼女の弁を要約すると、《上院議員》とは、わたしを謙虚にし、畏怖を感じさせる責任ある役職である。わたしがニューヨークに移ったわけ、その一部始終、上院議員になるための選挙活動、わたしを選んでくれた人びとにたいする務めなどについては、またの機会に語らせていただくとし、上院議員候補としておさめた成功は、ホワイトハウスでの経験によるものだということを、この自伝で明らかにできたと彼女は思っているそうだ。
「――そこからわたしはわたしの神と、国を愛するように育てられた。……」と語り、
そこからはじまる彼女の物語をえんえん500ページを超える文章を読まされるのである。
「――ここにおられる皆さんとはそんなにおつき合いしていなかったと気がついたからです。それに先週、ヘレンがぼやいていたそうです。《ファーストレディ》と旅行できないわたしが、どうやって彼女に質問したらいいの? と。さあ、ヘレン、わたしはここにいますよ。最初の質問をどうぞ」
「マディソンからホワイトウォーター事業に、あるいは大統領の選挙運動にお金が流れたかも知れないと聞いていますか」
「いいえ、そんなこと耳にしたことはまったくありません」
「商品取引の利益に関してですが、投資額と利益の大きさを見ると、専門家でもどうかと思えるのに、ましてや素人には普通では不可能に近かったのではないでしょうか。ご説明いただけますか」
そこでわたしは説明した。――と書かれている。
まあ、こんなふうにして、500ページを読まされてしまうのである。彼女は物語の構成とそれを語る語り方のじょうずな作家の才能を発揮できる政治家だ。どういえば、賛同してくれるかどうかをたちどころに見抜いてしまう。
それに、解釈の方法がユニークだ。
「世界には、きみ以外には誰も歩むことのできない唯一の道がある。
その道はどこに行き着くのか、と問うてはならない。ひたすら進め」とニーチェはいった。
第42代合衆国大統領ビル・クリントンの妻で「最強のファーストレディ」と呼ばれ、グラミー賞も受賞し、国務長官も務めてきた。
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話は変わるけれど、ダ・ヴィンチの描いた「最後の晩餐」では、マグダラのマリアがイエスの左隣りにちゃんと描かれている。ファーストレディとしてのヒラリー・クリントン女史がいったわけではないけれど、これは、イエスの妻として描かれ、またそのように意図して描かれたことになる。――ということは、ダ・ヴィンチは当時のローマ教皇に楯突いたことになる。
ダ・ヴィンチって、そこまで命知らずだったのか?
なぜそのように描いたのか?
ダ・ヴィンチは、シオン修道会の隠れた役割(会長職)を勤めていたからだった。つまり、ダ・ヴィンチはマリア信仰をしていたからだったとされている。数年におよぶ「最後の晩餐」の修復で分かったことは、そういうことだった。修復が終わったのは1999年。ヘンリー・リンカーンが聖杯伝説の謎を解く物語を書いたのは1980年代。「イエスの血脈と聖杯伝説」というのがそれ。
ダン・ブラウンによって書かれた「ダ・ヴィンチ・コード」が出たのは2003年になってからだった。
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――さて、おもわず脱線してしまったが、「マルコによる福音書」(15・42-46)にはつぎのように書かれている。
既に夕方になった。その日は準備の日、すなわち安息日の前日であったので、アマリタヤ出身で身分の高い議員ヨセフが来て、勇気を出してピラトのところへ行き、イエスの遺体を渡してくれるようにと願い出た。この人も神の国を待ち望んでいたのである。……そして、百人隊長に確かめたうえ、遺体をヨセフに下げ渡した。ヨセフは亜麻布を買い、イエスを十字架から降ろしてその布で巻き、岩を掘って作った墓の中に納め、墓の入口には石を転がしておいた。
(「マルコによる福音書」15・42-46)
伝説では遺体を降ろすとき、アマリタヤのヨセフは、イエスの最後の血を酒杯(cup)で受けたといわれている。
そしてそのcupこそがHoly Grail、――すなわち「聖なる杯」だというのである。手元にある「ウェブスター辞典」(第3版)でgrailを引くと、「Last Supper(最後の晩餐)」に使われた杯と出ている。
While they were eating Jesus took a piece of bread, gave a prayer of thanks, broke it, and gave it to his disciple. Then he took a cup, gave thanks to God, and handed it to them; and they all drank from it.
一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱えて、それを裂き、弟子たちに与えて言われた。「取りなさい。これはわたしの体である。」また、杯を取り、感謝の祈りを唱えて彼らにお渡しになった。彼らは皆その杯から飲んだ。
(「マルコによる福音書」14・22・23)
このcupはぶどう酒の味を鑑定する杯、鑑定杯の意味でも使われている。
この語は聖書では「苦悶」、「試練」、「受難」などの意味もある。したがって、Holy Grailは、ひろく「困難な探求の対象」という意味にもなっていった。
「ニューズウィーク」の別の号では、UNHOLY GRAIL: the Burglar`s cross-country raids.という見出しが躍っていた。「聖ならざる杯 全国をわたり歩く泥棒侵入」という記事だった。
しかしこの話はべつの話である。
ビル・クリントンと妻ヒラリー
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さて、「サロメ」といえば、ルネサンス以来、数多くの芸術家、作家たちによって描かれてきた。ぼくは第1に、アイルランド生まれの詩人・作家のオスカー・ワイルドが1891年に書いた1幕ものの悲劇「サロメ」をおもい出す。
恩師である明治大学文学部の西村孝次教授は、岩波文庫版に訳されている。映画のテーマにもなったらしいけれど、ぼくは観ていない。
2004年に公開された映画では、サロメはフラメンコを踊っているらしいが、聖書に描かれているほうのサロメは、中近東で見られるような、女性が腹と腰をくねらせて踊るベリーダンス(belly dance)、ひろくはオリエンタル・ダンス(oriental dance)を踊ったらしいけれど、これは官能的なダンスである。
サロメとヘロデ王の関係は、権力者の男と、それを自分の意のままに操る若い女性(愛人)の関係の象徴として使われてきた。
その関係のなかから、全米を揺るがした大スキャンダルをひとつあげてみたい。――たまたま読んでいる本が、ビル・クリントンの妻ヒラリー・クリントン、――米元国務長官が数年前に書いた「Living History」という自伝である。
この本は500ページを超える大著だが、けっこうおもしろい。
ひねくれた構文を使わず、誠にすなおな文体で書かれていて、全体には政治的な話で埋め尽くされてはいるが、全ページ女性らしい筆遣いでていねいに書かれている。
だが、「ニューズウィーク」誌は違う。
サンドラ・バーソンという女性記者は、1998年9月12日付の記事で、当時のクリントン大統領がヒラリー夫人についての不平をモニカ・ルインスキーにこぼし、そしてヒラリー夫人は冷たい女だとなじったという。モニカ・ルインスキーは、どれほどの幸せを味わっただろうかと述べている。
そして、
“She would dance so seductively as to make Salome and her seven veils seem prissy.”彼女「モニカ・ルインスキー」は、サロメと彼女の身を覆う7枚のヴェールとが堅苦しく感じられるほど魅惑的に、ダンスを踊ったのだろう。
――と結んでいる。
ところで聖書では、サロメの希望に従い、洗礼者ヨハネの命を奪ってしまったヘロデ王の物語として書かれている。
サロメの母が再婚したロデ王の誕生日の席で、サロメは祝宴にふさわしいダンスを舞い、そのご褒美に、母の再婚を責めた洗礼者ヨハネの首をもらうというグロテスクな物語なのである。
聖書を読むと、ヨハネはなかなか複雑な人間であることが分かってくる。
じつはロデ王ロディアは、母との再婚を非難し、モラルを諄々(じゅんじゅん)と説くヨハネのことばに、熱心に耳を傾けていた。
ヨハネのことばは、彼にとって耳の痛いものばかりだ。――
モラルと自分の欲望とのあいだでさまよう彼自身の矛盾した姿がひじょうに現代的に書かれている。そして記事はつづく。
ある会話部分。――舞台「サロメ」公演の衣装デザイナーを努めた日系オーストラリア人のアキラ・インガワ氏は、つぎのように述懐している。
It is , of course, a biblical tale, but we wanted something contemporary, and Wilde had given it that initial modern feel.それはもちろん、聖書の話ですよ。でも、わたしたちは現代的な何かを望みました。そして、ワイルドが、それに最初の現代的な感覚を与えたんです。
記者はワイルドの解釈を通して、2000年前の聖書のサロメの話へと引っ張っていく。
記事で見るかぎり、読者はどのような経緯で聖書に近づいていくかは、人さまざまだろうけれど、欧米の記事は、何かというと「聖書に書かれている」という表現を使う。この記事もそうだ。
この記事にはわざわざ「7枚のヴェール(seven veils)」と書かれている。完全数は、もちろん6である。1,2,3の約数を足してもやはり6になる。
ところがモニカ・ルインスキーが身につけている衣装は7枚と書かれている。6は完全数だが、7はその上をゆくというのだろうか。西欧社会で7という数字は、「完全」、物事や物語の「完成」という意味がある。
「智恵の7柱(seven pillars of wisdom)」ということばがある。T・E・ロレンスの「智恵の七柱」は叙事詩といっていい。7は、そのものになりきって非の打ち所がないという意味になるだろうか。
ドストエフスキーの小説「罪と罰」は6章で構成されている。「完成」するには1章足りない。
だが、おしまいにエピローグがくっついていて、「この物語はまだ終わっていない」と書かれている。作者の周到な計算を読むことができる。さて、サンドラ・バーソンという女性記者は、彼女の衣装を、ひとつ、ふたつと数えたのだろうか? まさか、そうではないだろう。
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聖書に出てくるサロメは7枚のヴェールを身につけていた。7枚のヴェールをひとつひとつ脱いでいき、男の欲望をくすぐった女性として描かれている。
記事は、モニカ・ルインスキーをそのサロメとおなじ境遇に描こうとしている。
さらに、その7枚のヴェールですら「堅苦しく感じられるほど……」という表現で、「ダンスをしたのだろう」といっている。
オスカー・ワイルドの戯曲「サロメ」は、1896年にパリで初演。この耽美主義的な怪奇ドラマは世紀末文学を代表する作品となり、のちに英訳本に付されたビアズリーの挿絵は有名だ。
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さて、問題のヒラリー・クリントンの「リビング・ヒストリー」には何が書いてあるだろう。
1998年1月26日現在、ナショナル・パブリック・ラジオとPBSテレビのインタビューを受け、アル・ゴア副大統領とヒラリーの前で、クリントン大統領は、キャスターの質問、――実は、きのうもルウィンスキーをめぐる同じ記事を書いたが、――
「大統領、ルウィンスキーさんとの性交渉はありましたか?」という質問に対して、
「性交渉はありません」と断言している。
これは真っ赤なウソだった。
のちにウソがバレて、大統領の弾劾裁判になる。米大統領として弾劾裁判を受けるのはクリントンでふたり目となる。
そして、
「国民は、ここのところずっとひとつのことを疑問に思っています。クリントン夫人。それはあなたのご主人とモニカ・ルウィンスキーさんは実のところ、いったいどういう関係だったのか、という疑問です。ご主人はあなたにその関係について詳しく話しましたか?」ときく。
「ええ、ふたりでずいぶんいろいろ話しました」と答え、目下FBI捜査官ケネス・スターと大統領との戦争という表現を使って、いろいろ取り沙汰され、報道されている内容を確かめる。
「あなたは親しい友人に、こうおっしゃったそうですね。これは最後の大戦だと」
放送終了後、局から出てくると、テレビ・インタビューで質問した相手に電話する。
「あなたの智恵のことばが、聞こえたような気がしたの」とヒラリーがいう。
「で、聞こえたのは、どの驚くべきことばかね?」
「くそったれ! って(Screw`em !)」
すると電話の相手は、
「それはわたしじゃなくて、昔クエーカー教徒が使っていた表現なんだけど」
「あら、だったら、くそったれあそばせ、かしら?」
ふたりして大笑いをして、鬱憤を晴らした。
Later, when David Kendall called to discuss my appearance, I told him I had thought about him as I was going to the interview.
“I heard your words of incredible wisdom ringing in my ear,?” I said.
“And which words of incredible wisdom were you fearing ?”said David, going for the bait.
“Screw`em !”I laughed.
David, who was raised as a Quaker, chuckled and said sheepishly, “It`s an old Quaker expression.”
“Oh, like ‘Screw thee’?”
We were both laughing hard now, letting off steam.
来る日も、来る日もインタビューの申し出ばかり。
ヒラリーは落ち込む一方。夫ビルのクビを締めたくなる。
性交渉があろうがなかろうが、国民にウソをついた夫を信じられない。ほんとうにこれからも結婚生活がつづけられるのかという不安でいっぱいになる。
「批判は真摯に受け止めて。でも、個人的に受け取ってはダメ。もしその批判が事実で受け止めるべき内容なら、そこから学びなさい。そうでないなら、放っておけばいいわ」けだし名言である。
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――と、ここまで書いたところで、ヨーコがやってきた。
「あなた、何、書いてるの? ……夕ご飯、できたっていってるのよ。冷めるわよ。……クリントン? ああ、アメリカの? どうしたの?」といっている。そういうことで、このつづきはまた書くことにする。

















