あやふやな情報です。でも今のところわたしが言える精一杯です。そこから何を紡ぎ出してくれるのか、折木さんはどこまでわたしのおぼろげな思い出をはっきりとした形にしてくれるのか、わたしは期待したのです。その気持ちの甘さは十分自覚した上で。折木さんは意外に余裕のある表情でした。
「お前の伯父は撤回できないことを話した。泣かせてしまっても今の話は噓だったと言えないような」
「わたしもそう思いました」
折木さん、ちょっと感心した表情をしました。わたしはちょっと残念に思ってしまいました。でもふと、それは当たり前だったと思い直すことが出来ました。むしろ長年考え続けて、それでも取っ掛かりが掴めないわたしの考えの至らなさこそ問題です。ですから残された手段は行動です。わたしは今折木さんが辺りを付けてくれた仮説を思いついた後、当時を再現したいと思って倉に潜ったり、疎遠になっている関谷家にも接触したのです。ですがどうしても思い出せなかったのです。
「それが千反田、お前が古典部に入った一身上の都合か」
「ですが廃部寸前とは知りませんでした。職員室にも四十五年前のことを知っている先生はいませんでした」
実は折木さんのお姉さん、供恵さんから入学前に教えていただいた情報です。ですから供恵さんもわたしも、この問題を解決するには供恵さんの弟さんの助力が必要だと考えるようになったのです。
「なぜそこで俺に助けを求める?」
でもこの時点では本当のことを言うことは出来ません。
「それは…」
それは秘密俱楽部の件で折木さんがわたしを騙そうとしたように、心の負担がかかる作業です。あの時の折木さんの罪悪感と恥ずかしさといたたまれなさ、同じ立場になって初めて思い知りました。
「部室に鍵がかかっていた時も、秘密俱楽部の件も、伊原さんが図書室で問題を出した時も、折木さんはわたしが想像もしなかった結論を出してくれました」
折木さんは口を結んでいます。引き締まった表情か醒めた表情か、ちょっと判断が付きません。
「図々しい考えです。でも折木さんならわたしを答えまで連れてってくれると思うんです」
「買い被られたものだ」
醒めた表情だったようです。
「あんなものは閃き、運だ」
「ならその運に頼らせてください!」
「気が進まん」
わたしは記憶の宝物になっている思い出を話しました。言い方も上手くわたしの感情を乗せることが出来たと思います。でも折木さんはそんなわたしの思いのこもった願いを叶えることを拒否しました。人を説得するのがこれほど難しいとは、この時初めて思い知りました。そして折木さんはしょげているわたしに無情に畳みかけるのです。
「なぜ俺なんだ、頼れる奴は他にいるだろう」
それが出来れば…という反論は飲み込むしかありませんでとした。
「人海戦術を使えばいい。里志にも伊原にも、他の友達にも頼めばいい」
そんなことを言うんだ。ちょっと折木さんを見損ないました。
「わたしは折木さん、過去を吹聴してまわる趣味はありません」
しょげた気持ちが続き、文句は小声になってしまいました。それでも折木さんには届いたようで、謝ってくださいました。
「すまん」
「わたしは随分無茶を言っています。わたしの思い出に折木さんを巻き込んではいけないとわかってるんです」
わたしも少し力が抜け、折木さんを慮る気持ちの余裕が出てきました。
「高校は三年ある。ゆっくり探せばいい。どうしようもなくなったら俺も手伝おう」
そうです、ここしか折木さんを説得させる場所はありません。
「わたしは伯父が死んでしまう前に思い出したいのです。折木さん、伯父はインドのベンガルで、七年前に行方不明になったのです」
それがどういうことか、折木さんはおわかりになるでしょうか。
「七年、と言ったな」
「はい七年です」
折木さんはハッとした表情をしてくださいました。
「そうです折木さん。七年間生死不明の人間は法律的に死亡したと扱えます」
そして関谷家では普通失踪宣告を申請し、葬儀を営むと告げたのです。これでわたしは言うべきこと、折木さんに対する説得材料を使い果たしました。一息ついたわたしは外のテラスを通して外を眺めます。そこはわたしと折木さんのやり取りとは別世界。何でもない、それ故にこそ大切な日常の風景でした。折木さんに目を向けると、わたしと同じ方向に顔を向けていました。多分同じ気持ちを抱いてくれたのだと思います。わたしはそれが無性に嬉しく思えました。
「俺は、お前に対して責任は持てない」
あまり強くない、でもはっきりした声です。テーブルを挟んだ正面に顔を向けると、折木さんはすでに私の方に顔を向けていました。でも目はわたしに向けていず、二杯目のキリマンジャロの湖面に注がれています。
「だからお前の頼みを引き受けるとは言わない」
そしてわたしに目を向けてくれたのです。面倒くさいような、照れくさいような、真面目になりそうな自分を笑ってしまいたい顔と思えました。しかしそれでも気合を入れて真面目に言ってくれたのです。
「だがその話を心に留めてヒントを見掛けたら言おう。解釈に手間取るなら手助けする」
「…はい」
折木さんは誠実な人とわたしは思うことが出来ました。
「それでよければ手伝わせてもらう」
「有り難うございます。面倒とは思いますが、よろしくお願いします」
わたしは素直に頭を下げました。そしてわたしの折木さんへの思いが恋になるのはまだと思う一方で、それが恋に成長する未来も幻視していました。