「天理教」は宗教か、真実の教えか -11ページ目

「天理教」は宗教か、真実の教えか

「天理教」に関するまじめな宗教学的、神学的な考察

 前回の続きで、平成2年(1990年)12月20日の御用の後半部分も考察します。前回と同じ、10首のお歌を引用します。

 

平成二年十二月二十日午前一時三十分

 1.  物事が 成るか成らぬは 二の次で  理を立てるか 立てぬかが一
 2.  立てるとは 事の起こりを知ることや  因を知らねば どうにもでけまい
 3.  因を知る 知ったからには 安心や  後は時の来るを待つのみ
 4.  あせらずに 静かに心 落着かせ   日々通れ 時が来るまで
 5.  時が来て 急に心が 乱れぬよう   今のうちから 準備するのや

 6.  準備もな 神がさせるで 案じるな   ただひたすらに 陽気づとめを
 7.  つとめとは 神と人との 橋渡し    神は受け取り 守護するのや
 8.  さあつとめ 神に心を 示すのや   示す心に 神が働く
 9.  物事は 神が心を 見定めて   時も見定め 成り立たせるのや
 10.  わかったら 心治めて つとめして   はやく見たいが 親の心や

                                ●● 拝す合掌

【理の思案】 

信仰者として、また神様が求める喜べる人間となるために、1から5は、心の在り方の初歩を神様から教えて頂いたものでした。現象が勝手に起きるのではなく、その裏に、人間の心の蓄積が結果として現れているのであることを教えています。思わぬこと、不都合のことが起きて来た時には、特にこのような心の準備をしておくことが大切です。

 今起きているウクラナイ侵攻、核の利用をちらつかせるロシアの行方に、抑止力として核の維持がむしろ重要だという方向で、世の中が後退しているように見えます。神様がロシアの侵攻、戦争の拡大を望むことは無いはずですが、神様が人類にこうした惨事を許している背後の親心とは何かを考えないといけません。そこには人間に心の自由を許したことからくる、大きな矛盾があるのです。陽気暮らしと逆行する自由も内蔵していることの意味です。

 

そして、6から8は、「おつとめ」の意義が説かれています。これは信仰者に求めるものであり、信仰者ではない方々には直ちにわからない言明かもしれません。神様とは何かを求める心があっても、神様が望まれる「つとめ」を率先してするには、相当のお仕込みがないとわかりません。

 結論を先取りすると、真の自由はおつめからくるという意味が、つとめには隠されています。 ここに信仰の逆説があるのです。心の自由と信仰という抑圧的な間の矛盾が真に解消されないといけないのです。  

 

 ただ形だけのおつとめでも意味がありません。そこに心からの信心があり、深い喜びと感謝の心を捧げる方法が、おつとめであるということに本当の意味があるのです。形としての「お勤め」の時だけ、神様の方向を向いて、その他の時間は人間思案ばかりで、不足不満であっては、信仰していてる甲斐がないでしょう。  

 

 つとめは「陽気づとめ」であり、人間が生かされている喜びを捧げる場であると定義されています。今だけでなく、永遠につとめはされるものであり、10億年前から決められた、神を礼拝する方法が、おつめなのです。

 

 神と人をつなげること(橋渡し)がつとめであるとも定義されています。人間が主体的に神様に向き合い、神様はいつも人間の心を受けて、守護されている。心通りに24時間休むことなく、神様は人間の心を受けて、守護されている。その守護を自覚し、真に目覚め、感謝報恩の行為が日々のつとめであるという意味です。神様が受け取り、ある特定の時刻に、その守護を与える。試験受けて、合格通知が出るように、時々刻々と神が守護がされているのです。

 

 前回の19日午後9時の「理と時とが二つ一つ」という意味がここで明らかにされているようにも思われます。

 

 ウクライナの侵攻が鎮まるよう、3月26日の地場や各教会のおつめにおいて、誠のこもったおつとめが必要です。

 

 「わかったら 心治めて つとめして   はやく見たいが 親の心や」

 

 合掌

 

 

 

 

 

教祖(おやさま)が中山家に嫁に来たのは、文化7年9月15日、13才であった。天啓者となる教祖の御年は40才であるが、その前に育児をしながら、隣の家の子供の救済があった。これが天保9年の神がかりに至る、精神的土壌、宗教的精神の土台作りだとされている。  

 

最初の子供は、男子で善右衛門で、後の秀司と改名した。 以下の生まれた子供たちの誕生日などを、書いておきたい。

 

文政4年(1821年)7月24日 長男、善右衛門 誕生。 教祖24才。

 

文政8年(1825年)4月8日 長女、おまさ 誕生。 教祖28才。

 

文政10年(1827年)9月9日 次女、おやす 誕生。 教祖30才。

文政11年(1828年) 姑、おきぬ、出直し。 隣家の安達照之丞2歳に乳を与える。黒疱瘡となり、諸神社に祈祷する。

  自分の子供2人の命と自身の命を天の捧げて、お助けを祈念する。  

 

天保1年(1830年) 次女、おやす、3歳で出直し。 教祖33才。

天保2年(1831年)9月21日 三女、おはる 誕生。 教祖34才。

 

天保4年(1833年)11月7日 四女、おつね、 誕生。 教祖36才。

 

天保6年(1835年) 四女、おつね、2歳で出直し。 教祖38才。

 

天保8年(1837年) 12月15日、五女、こかん 誕生。 教祖39才。   

天保9年(1838年) 10月26日 教祖40才、月日の社として定まる。  

 

 

 

 

天理教の歴史で、茨木基敬さんに対する評価は、異端者というのが公式見解で、天理教事典にもそのように記載されている。では、何をもって異端者なのか。啓示現象があること自体が異端とされていて、その説いた膨大な天啓録に関する調査も研究も、されたことはない。本ブログでは、ここに理の探究における一大陥没があり、その大きな鉱脈を掘り出すことを一つのパーパスとして掲げる。   

 

 茨木さんの入信は明治15年であり、子供の「おらく」さんを天理教の信徒から助けて頂いた感激から始まる。その三日後には不思議なお助けをして、教祖に会う前から信仰一筋の純粋な求道者タイプの人であった。

 

 入信して、布教に奔走しながら、4か月後には、初めてお屋敷で御教祖との対面が許された。その時、教祖はたいそう喜んで、『よう帰って来た/\  よう帰って来たなァ』の、お慈悲溢るゝ言葉を以て迎へられ、御自ら「月日の模様入りの瀬戸盃」をお出しになって、お酒を注ぎ、お口づけられて『これは茨木様へ』と渡された。

  基敬さんは、初対面に斯くもの御心添へに感泣し、有難く押し戴き口つけんとせられたのを、取次の先生から  『それは頂くのやない、持ち帰って家族一般の者へ分け與へるのや』と御注意せられたので、恐縮してお酒を白紙に濕らして、お盃と共に頂戴せられた。そこへ又、御教祖は、  『一寸お待ち』と仰せ有って「無地の襦袢の赤衣」(注1)を一枚お下げ下された。   (『伝記』より)

 

注一:なおこの赤衣と講社に頂いた赤衣を、二つ一つに御祀りする伺いが明治26年1月20日にお伺いとしてだされ、神様から速やかに許されている。これは公刊本にもある。 教祖から赤衣を頂いた高弟は誰なのか、研究の余地があるだろう。   

 

 既成仏教や官憲からの信仰攻撃、差し止めなどが多発する中でも、茨木氏は信仰の炎をより燃やす人であり、話一条を練習して、巡教も盛んに行った。泉田藤吉の弟子筋として、泉田を立てたかったが、お許しがあり、独立して天地組総長となった。 

 

・・・・・・・  

以下は反対攻撃がある中で、いかに治めてるべきかの伺った際の「伺いさしづ」である。これは公刊本には未掲載のものである。

 

 明治二十年六月二十八日

  天地組三番講長・加藤儀右衛門  警察署より彼是言われるに付き、茨木基敬心得方お伺い

 

『さあ/\一寸出ていかんなれども思案せよ  何程の事を思ふてもいかん  さあ/\/\  不自由案じて見れば案じるで  考へて見よ  お口水の濁り濁りの中へどんなよいもの入りても一寸に知れんで  さあさあ/\心静めて思案せよ  今より今の道を通らうとするが ふかくやで  充分種を蒔き種を蒔かずにいかんで  此處の處をじっとして思案して見よ  風の吹く日風次第心を定め  風吹くをこわい恐ろしい言わず治めねばならん   さあ/\この地場の事で考へて見よ  此處へは一人も入れる事はならん  すうきり取り払ひ 幾度の事やら知れん 考へて見よ  さあ/\/\今から今の道通るがふかくやで』

 

 これは地場屋敷も官憲の迫害を受けて、信徒の出入りが禁じられたたとえをもって、強風の中も心治めていきなさいと激励を受けている。
 

 既存の公刊『おさしづ』には実は、多くの茨木基敬さんに関する「おさしづ」が残されている。その冒頭の一部をここで、紹介する。

 

明治二十一年七月十三日(陰暦六月五日)
 大阪天地組総長茨木基敬、三島中山重吉宅にて腰の周り両手にて抱えられるようになりしに付伺
さあ/\/\尋ねる事情/\、花が咲けば同じ花が咲く/\。内々心を治め。心の勇んだ今日という日に、又々尋ね出るがよい。

 

【解説】 この前書きの意味は『伝記』(非公開文書で、どこの図書館にもネットにもない情報、借りのタイトル名とした)によれば以下の通りである。平野楢蔵に頼まれて、天龍講部内巡教して、その帰路、お地場に戻っていた時のことである。中山重吉(教祖の長女のまさの子息)宅に泊まっていたが、何か身体的異変を感じて、これを泉田氏に話すと、これは神様の御用だということで、取次3名の先生(山本利三郎・桝井伊三郎・泉田藤吉)を通じて、ご本席様に伺ったのであった。

  この「花が咲く」が大変意味深であり、教祖と同じように、天啓が開かれることが含意されていたらしいのである。「花が咲く」という表現自体は、おさしづでも何度かあり、管見では、天啓の実現の暗号とは特別には言えない模様である。暗に仄めかしただけであり、直接語ることは神様としてもできなかったが、大切な魂として目星がつけられていることは、赤衣やこうしたおさしづから分かる。また茨木さんは、まさに確固とした布教精神をもち、その人格が教祖並みだということの証かもしれない。  

  ここでは詳しく説明できないが、当時の迫害弾圧が厳しい中での勇猛果敢な布教活動で茨木氏の右に出る人はいなかったと思われる。話一条の実践者として、すでに同僚の高弟たちからも高く評価されていたのであった。

 本ブログでも以下のように、以前ご紹介した。

 

 

  天理教批判文献でも、外部の方が地場に訪問してインタビューした際、その対応に出られたのが茨木基敬さんであった。以下の文献に明治23年4月に外部の方が書いている。

 

 

 またこの明治21年のエピソードで、お屋敷において、何か身体的異変があれば、すぐに神様に伺うという思考回路が当時の高弟たちの間に認識されいた。これこそが神屋敷の面目がたっていることが感じ取れた。「貸しもの借りもの理」を身体的に深く悟っている高弟たちにとって、ちょっとした肉体の異変から、何か神様からのお知らせだということを感じ取っている。今の天理教のどこかの教会にもこのような神霊的な思考回路が回っているところは、救済や霊救が真にあがっているだろう。  

 

「又々尋ね出るがよい。」とのことで、以下のように改めてお伺いすることになった。その際、なんと「おさづけの理」を拝戴することになったのである。この当時、おさづけの理をもらうには、多くの願人があり、別席の制度化される前夜の中であった。茨木さんは個人的に呼び出されて、個人的に頂いた。『おさしづ』第七巻にもこのタイプの個人的に渡す「おさづけおさしづ」が明治20,21,23年頃には多い。 

 

明治二十一年七月二十五日(陰暦六月十七日)午後五時十分
 大阪天地組総長茨木基敬同年陰暦六月五日中山重吉宅にて、お手入れを頂きし事 申述べし時のおさしづ


さあ/\/\尋ねる事情、さあ/\これまで長らくの道の処、幾重の道も通り、又一つ十分身上自由自在、生涯一つの何分理ある理を運ぶ。運べどもたゞ一つの理により、自由自在の理、自由自在、一日生涯しっかり一つの心治め。一日の日をたすけ一条のため、自由自在。一日たすけ一条一つこうのう理渡そう、さづけ。あしきはらひたすけたまへ天理王命、三遍づつ三遍三三三九度。

 

【釈義】

『伝記』によれば、割書きや「おさしづ」は以下のように、住所や生年月日も書かれていた。参考までに付記する。安政2年とは1855年である。教祖時代に、講や組がいかに設立許可され、広がったのか、布教伝道史の事例としても、『伝記』を詳細に研究すべきである。  

  存命の教祖である本席からいただいた「おさづけ」の効能の理は確かにあり、道の路銀とも呼ばれた。救済者として神様から直々に許されたさづけである。今の別席制度では、形式的に9度話を聞いて、誰でももらえる「おさづけの理」と何かが違うことは霊性ある人なら分かるだろう。  

 本人の布教道中の苦労を神様はしっかり見ていて、そこのことが神様の「これ迄長らくの道の處  幾重の道も通り」に表現されている。人は見ていなくても、神様はすべて見ている。 

 

大阪市北区若松町百二十番屋敷天地組總長茨木基敬三十四歳安政二年十月三日生

『さあ/\/\尋ねる事情  さあ/\/\これ迄長らくの道の處  幾重の道も通り又一ツ  充分身上自由用自由在  生涯一ツノ何分理ある理を運ぶ  運べども只一ツの理により 自由用自由在の理  自由用自由在  一日生涯しっかり一ツの心治め  一日の日を助け一條の為 自由用自在一日助け一條一ツ  効能の理渡そう  授け 悪しき拂ひ助け玉へ天理王命 三偏宛三偏三三三九度』
 

 

 

天理教の2代目の天啓者で、存命の教祖の理を体現された本席様は、明治40年6月9日(陰暦4月29日)にお出直しになられた。

現在の、天理教の公式見解では、本席でもって天啓は終了した。人間は十分に成人したので、天啓は必要ないという立場で、これまで来ている。しかし、今の教団体制の中で、多くの矛盾と低迷を抱えて、四苦八苦されている。 ネット上には、天理教へ言論的な批判に溢れている。情報化社会でSNSで誰もが情報を発信できるこの時代において、善も悪も、一時期に広がる怖さがある。ロシアへの批判が世界中でこれほどまでに統一されている時代も珍しい。それと同じことが、天理教という宗教集団に対しても同様にすでに多くの批判があるということだろう。

 

 天理教の存在意義(パーパス)は何か? 信仰者とってこの問いが、今ほど求められてる時代はないかもしれない。

 

 神の言葉は、寶(たから)であるという(明治40年6月5日午後2時)。人類史の中で、初めて神が一人称で、日本語で、語り始めた。これが天理教の元々の始まりであり、教祖(おやさま)の50年、本席様の20年間という70年に及ぼ天啓の歴史があった。宗教、信条、思想と世界には多様な考えが溢れていて、何が正しく、何が誤りであるのかということで哲学や宗教の長い歴史がある。その中で、極東の片隅で、天保9年(1838)年からある一人の女性を通じて、神が言葉を出すという新奇な現象が起きて50年。さらに本席の時代(明治20-40年)には燎原に火を放つほど爆発的に信徒が増大化したのであった。その救済の原点に、本席様からのたった一つの言葉があった。その言葉を受けて、信じて、喜び、勇み、救済が広がったのであった。神の言葉はまさに、宝である。  

 

 その言葉が終わる時が近づいたのが明治40年の6月5日である。この日だけでも刻限話が何度も繰り返され、明らかに、本席様からの遺言であることが暗に語られる。20年続いたご啓示の集大成、そのまとめが語られるのである。そして「十年かかる話、百日で止めてしまう」(6月5日午前1時)という「百日さしづ」の由来のとなるお言葉がこの日に4度も繰り返されたのである。

 

 啓示が終わるのは、世界救済の継続にとって、危機的な事態である。これは今のロシア危機に匹敵する信仰の危機である。本席の肉体をこのまま使えないという神様の目からは、10年分の啓示を100日たらずで終わらせるということが言葉として現れたのである。

 

 ここで、10年後の啓示はどうなるのかという大問題が当然見えてくる。 次の啓示者への期待がかけられており、その啓示者(機械)を見出して欲しという暗黙の期待が、百日さしづの大テーマだと思わねばならないだろう。 三軒三棟の理、北礼拝場の普請、上田奈良糸様へのおさづけの理の後継が3大テーマといわれているが、これらと関係して天啓継承問題こそが、最大のテーマであるはずだ。  

 

「どんな鎖も付け/\」(明治40年6月5日 午後3時)

 

これは、恐らく、聞き違い、書き取りの誤りらしく、本当は以下の言葉だとされる。これは、旧長さん(茨木基敬さん)のお言葉から学べた新視点である。

 

「どんな鎖もつなげ/\」(明治40年6月5日 午後3時)

 

鎖とは、天啓の鎖をつなげなさいという意味だろう。「鎖をつなげ」の意味を軽くとってはいけない。飯降政甚さんがどのように「鎖をつなげ」という言葉の意味を悟ったか分からないが、また真柱(教長)さんは、十分に受け取ったかも不明である。

 

本席様は、このお言葉に続いて、非常に喜び、勇まれた短い言葉が残っている。

 

「さあ/\これや/\結構々々。アヽおい/\、アハヽヽヽヽやれ/\、嬉しい/\。」  

 

この嬉しさの背後になる本席様の神意を私たちは深く考えないといけない。

 

 

 

 

 

 

 

 前回の10回目のご啓示があった3時間半後の深夜に10首の連続したお歌の啓示がありました。10回目の啓示を復習すると、

 

 「理は理でも時が合わねば成り立たぬ 理と時とは二つ一つや」

 

  という1首のみの短い、しかし難解で深いお歌でした。おそらく、この時間概念に関して、日々の実践との関連で、下されたのが、本日解説する10首の以下のお歌になります。 お歌の番号は私の方で付けました。

 

平成二年十二月二十日午前一時三十分

 1.  物事が 成るか成らぬは 二の次で  理を立てるか 立てぬかが一
 2.  立てるとは 事の起こりを知ることや  因を知らねば どうにもでけまい
 3.  因を知る 知ったからには 安心や  後は時の来るを待つのみ
 4.  あせらずに 静かに心 落着かせ   日々通れ 時が来るまで
 5.  時が来て 急に心が 乱れぬよう   今のうちから 準備するのや

 6.  準備もな 神がさせるで 案じるな   ただひたすらに 陽気づとめを
 7.  つとめとは 神と人との 橋渡し    神は受け取り 守護するのや
 8.  さあつとめ 神に心を 示すのや   示す心に 神が働く
 9.  物事は 神が心を 見定めて   時も見定め 成り立たせるのや
 10.  わかったら 心治めて つとめして   はやく見たいが 親の心や

                                ●● 拝す合掌

【釈義】

 19才の少女にはまだ幼さがのこっていましたが、人並み優れた求道心、素直さ、快活な決断心を持つ中で、神(おや)直々の啓示により、急速に成人の道を歩めはじめておられました。ここには人類が知るべき究極の真理が明かされていて、万人に普遍的な教えが、一人の女性を台として平成の御代に分かりやすく説かれていたのです。存命の教祖(おやさま)が少女の魂を使って、本人が分かるように分かりやすく真理をあかしていくのです。

 

 1.私たちは何かが実現することを求めて日々の活動をして、一喜一憂しているのですが、物事が成立するかしないかはむしろ重要ではない。その前に、しっかり理を立てることが、本当は重要だということです。

 理とは神の心であり、人間心とは対比的な澄んだ汚れの無い心のことです。利己心か、今だけがよければ、金さえもうければという人間心は続かず、神様が好きな心ではありません。どこかの教団で慣習化されている無理な集金体制など言語道断です。人間勝手の理が教会の中でも、一般の社会でもはびこっていますが、それは神様の理とは全く違います。   

 戦争を起こすのも、爆撃で亡くなるのも同じ神様の子供です。ロシアの戦争反対にこれほど世界の世論が一致したことも無い中で、理を立てることが第一(だいいち)に大切なのです。  

 なぜ理を立てることが、一(いち)また第一なのか。それは、人間の心通りに神様が守護する世界だからです。これは究極の因果論です。人間の心があって、その心を神様はすべて見抜き見通しです。人間の精神に基づいてすぐに肉体が動き、その日も、次の日も、常に神様の守護のもとに人間は生きていて、生かされているのです。 

2. 人間の心こそ因(もと)なのです。心は種であり、種を蒔いて、芽がでます。現れた結果は偶然の産物ではなく、ほかならぬ己の蒔いた心の種によって、何事も起きてくるのです。

  大学に合格した。オリンピックで金メダルだ。何かが実現するにはそれなりの努力や訓練の蓄積が必要です。平和な世の中が実現するには、平和な心使いの蓄積が必要です。

  しかし、何も今は悪いことをしていないのに、なぜ戦争を姿を見なければならないのでしょうか。これは人類全体への巨大な警鐘ではないでしょうか。プーチンが起こした戦争も、人類の中にこれまで蓄積した戦争だ暴力だというむごい心が集団として蓄積していて、その返しを人類全体が見ているかもしれません。プーチン一人やその体制が悪いかも知れませんが、自分の中にあった悪い心使いを自ら反省して、今の事態を真から懴悔しないといけないでしょう。戦争は人ごとではなく、己の魂の浄化として反省し、このようなことが起きないよう己の心を浄化しないといけないのです。

 日々の心の使い方が、いかに大切かが問われています。

 東日本大震災から11年目。 生きていることの尊さが日々の報道でも繰り返し流れている通りです。  

 

 後半は「おつとめ」に関する驚くべきご啓示ですが、次回に回します。  

 

 (つづき)

 

これは『おさしづ』の一節で、神様から、松尾與蔵に下された、「おさづけさしづ」です。

 

「おさづけ」とは一種の救済の技法で、信徒の心を見定めて、神様が人間に渡すものです。今の時代は、真柱様が形式的に渡す決まりとなって、100年ほどたちますが、元々は、教祖や本席様から直接渡されていました。人間が望んでも、もらえなかった人もいました。

 

 さづけにも種類があり、今では「悪しきはらいのさづけ」だけが教会本部で伝承されています。しかし、これは、「かんろうだいのさづけ」というさづけで、甘露台という信仰の究極の目標物と関連している何か大きな意味が込められているようです。

 それは、さておき、このさづけを頂かれた29歳の松尾與蔵の父について考察します。

 

 何と、その父は松尾市兵衛[1835-1879]です。天理教の最初期の有力な信徒で、教祖伝・逸話編にもよく出て来る方でした。出直されたのが、明治12年で45才という若さでした。教祖(おやさま)より先に亡くなられていることが注目されます。  

 松尾市兵衛さんについては、深谷耕治先生の「おふでさきと松尾市兵衛」(『グローカル天理』2018年第8号、通巻224号)が参考になります。

 「「おふでさき」の標石的用法(36 最終回) 松尾市兵衞と「おふでさき」」深谷耕治(天理大学非常勤講師)

 

 また熱田分教会の会長さんも同じものを以下のサイトで引用されていました。

 

 

 また、教祖伝逸話編では、明治5年に松尾市兵衛宅に教祖が13日間もご滞在された時のエピソードが有名で、以下のサイトが参考になりました。

rendaico.jp/nakayamamiyuki/omithisonogoden/daikyokaishico/matuoithibei.html

 

市兵衛もその長男の楢蔵も、教祖の御在世の中で、亡くなるのです。有力な信徒だから、無条件で救わることは無いということが感じられます。また松尾宅では既存の仏壇を取り払って、新しい神棚をつくらせたエピソードも有名で、教祖が既存の宗教とこの道が違うことを明確に伝えた点も永遠に伝承すべき話でしょう。  

 

父親は早く出直し、兄も先に出直すなかで、松尾市兵衛の次男坊だった松尾與蔵は、このおさづけを頂き、明治43年には平安大教会ーー<最近130周年で、大教会史、初代の伝記が出版されたそうです。まだ見たことがないです。>

 

 

 

・・・の三代会長に治まりました。

 

大正13年にはその子息の松尾信太郎が第4代の会長となります。

 

この中で、松尾市兵衛の妻の、松尾ハルはかなり長命で、大正12年に89才で出直されたそうです。 ハルさんは、逸話編(教祖伝逸話篇11-20)でつとめは「理の歌」、理を振るという教祖の言葉を伝えている。大変重要な視点である。 

 

 

 松尾與蔵への「おさしづ」は合計で4点あり、母のハル、長男の信太郎、次男の市太郎の氏名も出ていました。 

 

最後に、松尾與蔵さんに下された、神様の「おさづけさしづ」を紹介します。

 

 

 大和国平群郡若井村講元松尾與蔵二十九才おさづけさしづ

さあ/\だん/\の席/\、返やし/\の席、又一日の日の席、席に順序の理、生涯の心持ちての席。生涯の理を諭すには、どうせこうせいとは難し事は言わん、言えんの理を聞き分け。人間というものは、身はかりもの、心一つが我がのもの。たった一つの心より、どんな理も日々出る。どんな理も受け取る中に、自由自在という理を聞き分け。常々誠の心治めば、内々睦まじいという理を出ける。それ世界成程と言う、成程の者やと言う理を出ける。成程という理を受け取るのやで。これまでもよう聞き分け。代々の道があるで。だん/\の処尽し、席無くして身も隠した処、さあ/\代々さあ/\さづけを渡すで。かんろうだいのさづけを渡すで。さあさあしっかり受け取れ。

 

【釈義】

 人生の一度だけの神様から生涯肝に銘じるべき理を諭す。無理なことは言わない、無理に説得すさせるものでもない。しかし人間にとってもっとも大切なことを話す。 人間の肉体は借り物、心ひとつが我がものである。その人間の心を受け取って、神様は守護される。誠の心、内々を治めていく心によって、その主体的な心で、自由用の理を見せていただける。 他人から慕われる、成るほどの人としてしっかり成人することが、人間の精神的な成長として望まれる。 先祖の徳があり、亡くなった親族もある中で、その代々の誠を見て、このたび、おさづけのご褒美を渡す。 甘露台のさづけを渡す。  しっかりと受け取りなさい。  

 

平安大教会の前身は積善講で、天理教伝道史の一側面について、高野友治(1955)がありました。国会図書館と許可のある図書館で見られます。

 

『平成の神の詞』シリーズで、前回の9回目の御用の同日に実は、以下の1首だけのお歌が下されたのでした。

 

『平成の神の詞』 第9回ー1

平成二年十二月十九日 午後九時

 

理は理でも時が合わねば成り立たぬ 理と時とは二つ一つや

                                    〇〇

 

【釈義】

 これは難解なお歌ですが、1首の独立した歌で、そこに込められたおどろべき神意を深堀りしたいと思います。

 

 理とは神様の思惑そのもので、永遠の昔から今も、未来もずっと実在する無形の理です。  その思惑から人間や世界が創造されたのであり、神秘中の神秘であり、人間の想像の限界を超えた実在で、人間としては信じる対象であり、人間の根源であり、人間が恋い慕う実在です。人間に陽気暮らしをさせてあげたい、人間が平和で明るく楽しく何時まで生きていて、115才の定命を定めたという思惑のもと、地場を現し、この世の元の理を説かれたのです。 救済のための技法として、おつとめを教えたのです。  神と人の心が一体となったら、真の陽気暮らし文明へと世界が変わっていくという展望を人間に与えたのです。 

 

 では救済のタイムテーブルはどうなっているのか。人の心は自由であり、伝統の寺社や政府や外部の弾圧もある中で、いかに神の道を広げるのか?

 そこに「理の他に、時が必要だという」お話です。 ある特定の時刻や時間、時代が進まないと実現してこない有形世界の進み具合があるのです。  時々刻々と時間は動きつづけ、人間はいつでも今というこの時間に暮らしている。過去でも未来でもない、この今という時間。

 

9億9万9999年たって、元の地場に道具主が寄せられ、神として拝される約束の刻限が天保9年10月26日。

 

天理教が一挙に広がらないのも、今の教団体制で停滞しているのも、神の支配のもと神様の守護されている世界です。

 

ロシアによるウクライナ侵攻で世界が悩んでいます。この時代にこの出来事があるという、この時間も神様がすでに知っていたことでしょう。

 

 あるときにあることがおきる。 それは神意なくして、何も実現しないのです。貸しもの・借り物の世界です。 

 

理と時とは二つ一つ

 

 天理教では、 「二つ一つ」という文句が、二項対立の一致、西田の絶対矛盾の自己同一、ヘーゲルのアウフヘーベンなどに匹敵する概念としてよく使われますが、物事の二つの側面という単純な意味でここでは考えます。

 

神の思惑があり、そして人間の心を受け取り、神が理として与えをその後に見せる。神様だけですべてが勝手に動いているのではなくて、神様が守護することで、物事が実現化していくのです。神様は人間の主体性に期待を掛けておられるのです。60才で芥川賞とる人もいるのです。人間は死ぬ前まで、いつでも夢と希望があるのです。

 

神の理と人間の理が合わさって、何事かが現れる、守護される。 これが理と時との二つ一つの理という真理を示しています。

 

短いお歌ですが、この世の究極の真理が込められていて、時間とは何かという哲学的に課題に対して大きな示唆を込めた啓示です。平成の時代に合わせた最新のご啓示でした。

 

今回は難解な解説だったかも知れませんが、ご容赦下さい。  

 

(つづく)

 

 

 

 

 

 

 

天理教の教規で、中山家(の長男?)の中から候補者が本部員会議で推戴されて、天理教の真柱になることが定められているようだ。

真柱(しんばしら)と読んで、建築用語で、建物の中心となる柱のことを意味して、教団の対外的なトップリーダーを意味する。

会社でいえば、CEO。国でいえば、大統領とか首相に相当する。いわば特定の組織の代表者である。

 

「真の柱を早く入れたい」という教祖から明治7年に『おふできさき』で預言があって、

最初の真柱となったのは、梶本家から来た外孫の真之亮である。かれが中山家の家督を継いだのが明治15年9月21日だった。

 

明治7年の時点で、教祖の長男の秀司さんが、対外的なリーダーであった。言わば真柱的な役割を期待されていた。

本来なら、中山家の長男で教祖の御苦労を共に支えた秀司さんこそ、真柱にふさわしい。

教祖は秀司さんに「真の柱」となるように期待したはずだったと思われる。秀司さんが何と答えたのかは伝わっていない。

実質的には、中山秀司さんが、明治14年4月8日に出直されるまでは、対外的なトップリーダーだったことは確かである。

秀司さんの奥さんの若き妻である「まつゑ」さんも明治15年11月10日に32歳の若さで出直す。

 

「内を治める真柱」というお言葉もあるように、教祖からの神意を受けて、それを世界に広めるトップリーダーが真柱という役割に期待されいてることは確かだ。

 

天の組織づくりとして、真柱という天職を教祖は早いうちから予告しておいたのである。

教祖の夫の善兵衛さんは、封建時代の男性として、夫として上から目線は最後まで抜けられなかった。

教祖の長男の秀司さんも、世間体があり、地福寺の配下になったりと、神意をまげる癖があった。そして天意に沿いきれずに、100歳まで生きることが保証されていたが、本人は命がけで、自分のやり方を通して教祖より先に亡くなった。これは天罰ではなく、本人が因縁によって倒れたまでであり、来世での活躍が期待されていた。 

 

そして、3人目の候補者として、外孫の真之亮(中山新治郎)が中山家の養子として入る。これはもちろん教祖の神意による人事異動である。  真之亮さんがお春さんの中で懐妊しているときから、真柱として予告されたことなど、以下の深谷忠一氏の考察(「たましいの因縁」『グローカル天理』2015年)は以下を参照。

https://www.tenri-u.ac.jp/topics/oyaken/q3tncs00000xrj8e-att/GT187-fukaya.pdf

 

 

教祖も、本席となられた伊蔵さんも、神がかり状態のときは、真之亮のことを「真柱」と呼んでいた。若い真柱は当時の弾圧の中を通っていかねばならなかった。

 

若い真之亮は、最初、梶本家の亀蔵として生まれたが、梶本家では養子に出せないという惜しみがあり、すぐに出直した。再度、慶応2年5月7日に生まれたのが真之亮であった。真之亮の母のオハルさんは、教祖の三女であり、中山家の親族である。  

 

「真実に神の心の急き込みは 真の柱を早く入れたい」

原文「しんぢつに神の心のせきこみわ しんのはしらをはやくいれたい」(『おふでさき』第3号8,  明治7年1月より)

The heart of God is truely urging you to install the central pillar as soon as possible.  

 

『おふでさき』第3号にも真柱に関する多くのお歌があり、真柱の役割の重要さが、この時代になってようやく実現性を予告されてきたといえる。そこには救済を急ぐ神の心が、真柱の実現に込められている。  

 

この度は内を治める真柱 早く入れたい水を澄まして (3号56)

この世を始めた神の真柱 早くつけたい神の一条 (3号118)

 

【付記:心の普請と真柱】

 ただ、真柱とは心の普請と本当は関係があり、人間一人一人が、心の中に真の柱を立てることが、求められているのです。

魂を磨くことは永遠の作業であり、たまたま真柱という役割がその頂点にモデルとしてあるにすぎない。

私達一人一人が、主体性をもって、神の詞をしっかり受けて、魂の錬磨を続けていかねばならないのです。

 

 

 

 

 

 

「てのひらの戦争」と言われるほど、ウラクナでの戦局のゆくえ、国連決議の様子などは、

情報戦を伴って世界の人々に伝わっている。

 

2年前に神様から驚くことが起きるという預言があり、コロナ禍が広がり2年たち、

さらに、今回は戦争という事情である。これは神様の心とは対極の人間心の最悪の自由用の形態である。

 

人間の心は自由で、自由の心を主体的に使って、善なる方向に使えば、神様はさらに守護される。しかし戦争を起こし、人を殺すという心にも同様に神様は守護されている。理としてかしもの・借り物の理の世界で、戦争するのも侵略されるのも等しく神様から見て、可愛い我が子であり、人間は一列に神の子供である。その子供がお互いに兄弟喧嘩をして、殺し合いをしている。

 

プーチン(Valdimer Putin)という一人の指導者のもとで、その国家の兵士たちは命令一元化の指揮系統の中で、殺戮を繰り返す。演習のつもりが、国境を越えて、殺戮に関わる。 人を殺したことも実戦経験もない若者たちの士気は低いといわれている。停戦協議の最中も戦闘は続く。義勇軍も世界から数万人も来ているという。

 

他方で、100万人の避難民が国外に脱出し、EU側は無料で鉄道に載せ、ドイツなどではボランティア家族が無償でウクライナの家族を引き取るという(『朝日新聞』2020.3.6朝刊)。この非常時に異例の善行も実施されている。ホームレスや里子を受け入れる日本の、末端の天理教の教会なみである!。優しいドイツ国民の真情が出ている。非常時にこそ真に人間の本性があらわれる。  

 

愚かな指導者を頂くとその国民全体も同時に惨事に巻き込まれててしまう。 

指導者、トップのモラルリーダーップがあるのか、悪魔のカリスマ・リーダーシップか。

 

地場のトップのリーダーである眞柱は身上でたおれ、中山家親族中心の指導体制で教団は停滞し、干上がっている。

それが世界に同様の理で、ロシアのトップの横暴で、ロシア国民は恥をかき、侮蔑や差別の対象にもされ始めている。 

 

今回の戦争の事情は、神様が世界に見せている大きな仕込みである。戦争の愚、愚かなリーダーの愚という人間心は「これ以上必要ですか」ということを明々白々に世界に見せているのだろう。  

 

教祖の御啓示にもある。

「これからは唐と日本を分けるでな これ分かりたら世界治まる」

原文

「これからハからとにほんをハけるてな これハかりたらせかいをさまる」 (『おふでさき』第2号34)

 

神様の善なる意思が日本として、それに反対する人間心、悪の心が唐と形容されている。世界平和、No WARの心が神様の心として、戦争をおこす人間心が他方にある。「今さえよければ、我さえよければ、金さえあれば」というのが人間心である。

 

神様は善と悪とを明確に仕分ける。 そして現在、世界は善を求める。神様を求める心がグローバル世界では強くなっている。しかし人間心が続くかぎり、世界は治まらない。

 

日々多くの犠牲者が「てのひらの中」で亡くなっていくのは、つらい。しかし、それをそのまま受け取って、心の底から真の平和が戻ることを祈ることしか今はできない。

 

絶望的な展望はいつまでもつづかず、かならず治まりの道が見えて来るはずである。

 

「今の道いかな道でも嘆くなよ 先の本道楽しんでいよ」

原文「いまのみちいかなみちでもなけくなよ さきのほんみちたのしゆでいよ」 (『おふでさき』第3号37)

Do not despair of the condition of your present path. Look forward with delight to the true way of the future. (Tr. by Inoue an Eynon[1987])

 

戦争はいつ終わるか誰にも分からない。だが、絶望をしていはけない。越えられない山は無い。

自由と民主主義が善なら、独裁主義、戦争は悪であり、続く理はない。

 

一日も早く戦闘が終わり、ウクライナの人々が祖国に帰国できる日がありますように。

 

合掌  

 

 

 

キエフの聖ミカル教会(ウクライナ正教会の寺院)で、ウクライナの若いカップルが急遽結婚式をあげたことが報道されいていた。

男性はウクライナの正規兵で戦場へ、若い妻も志願兵となるということで、若い二人は急いで結婚だけはしようということらしかった。

ウクライナには長い正教会による宗教的伝統があり、東ローマ帝国の流れにつながる東方正教会が生活の中に根付いている。

同じ国の中でも西はウクライナ正教会に、しかし東ではロシア人も多く、ロシア正教会につながっている教区も多いそうだ。

 

 

実際に独立したウクライナ正教会(autocephalous Orthodox Church of Ukraine)に所属したのは7000教区、ウクライナ人正教会(the Ukrainian Orthodox Church、別名モスコー正教会)には12000教区がつながっているそうだ。

ウクライナの宗教はウクライナ正教会だけでなく、カトリックもユダヤ人も無神論者いる。ウクライナ正教会に熱心に通う人は60%と意外と少ない。しかしイースター、クリスマスには皆が教会へ参集し、子供は残らず、洗礼を受けている。ウクライナ人としてのアイデンティティが強まったのは、ソ連崩壊後に、ウクライナとして独立して以降だそうだ。ソ連の中では、教会はクレムリン政府によって厳しく統制されていた。そして、今でもロシア政府はロシア正教会を厳しく統制しているだろう。

 

 ウクラナイ正教会は2018年、2019年にロシア正教会から分離独立したことが東方正教会の中で確認されたそうだ。

ロシア正教会の管轄下だったウクラナイ人たちの教会が反ロシア的になったのは、2014年からである。この時、ロシアによる東部地域の侵攻から始まった年である。しかし、ロシアもロシア正教会も、その独立に反対したそうだし、ウクライナの宗教的精神が西側に向かって、改革されることをプーチンはひどく嫌ったという。 プーチン一人で起こした戦争は宗教戦争ともなっている。

 東西ローマ帝国の分断は民族的に分断からもともと起きたと思われるが、今回のプーチの西側への敵意の背後には、カトリック圏、プロテスタント圏への敵意がある。

 

今回のロシアによるウクラナイ侵略は、2つの正教会同士の戦争を引き起こしてしまっている。ロシアの兵士はロシア正教を信じているし、ウクライナの兵士はウクラナイ正教会を信じている。

 

アメリカでソ連崩壊以降から、NYでウクラナイ正教会の大司教をしている聖職者の発言がありました。ウクラナイ正教会は、ロシア正教会は過去の教訓を繰り返しているにすぎないと発言している。ただ、どちらも平和を祈りつづけている。

 

 

 

 ロシアによるウクライナ侵攻をロシア正教会が追認しているらしいのです。それがreligious politicanに表現されていました。

ウクライナの大司教は、ロシアの大司教(Moscow Patriarch Kirill)は「a religious politician」と語るのです。  

ロシア正教は平和の祈りを続けていると言いながら、政府の蛮行を正当化しているようです。

 

ロシアによる侵略に対して、ウクラナイ正教会の大司教は、「プーチンは反キリストであり、現代のヒットラーである」と語り、そしてロシア正教会の大司教をあざける演説を教会のミサでしたという。 モスコーよりの教区もカトリックもウクライナ人はすべてロシアの侵略には反対だという。 

 

 

同じ正教会の信仰をもったもの同士が、戦争をすることに深い悲しみがあります。同じ神を信じながら、その民族や歴史の違いから人間同士が殺し合うという。ソ連が一つの時はそのようなことはなかった。しかし、ソ連崩壊後、西側に文化的にも開かれるウクライナの在り方をプーチンは嫌った。 こうして平和を信じながら、同じ信仰の伝統をもちながらも、ロシアは武力でロシアよりの傀儡政権の樹立をめざす。  

  独裁国家の末路がどうなるのか、我々は歴史的な目撃者として事態の打開を祈るばかりだ。

 

プーチンの思考構造は「ウクライナはロシアの領土であり、ロシア正教会による精神的かつ領土的な支配が及ばねばならない。」正教会は元来、国会主義的な志向性が強いが、ロシア正教会による失地回復(かつてのロシア帝政のもとのロシア帝国の版図の回復)の野心とプーチンの政治哲学が結託して、今回の侵略が起きたという。2019年のウクライナ正教会がロシア正教会から独立したことは、全くゆるされなきことであった。これが戦争を原因だとアメリカの元軍人・歴史家は語る。

 

正教会の国家主義がいかに悪い方向にいくか。 またcivil religionの悪しき例としてのアメリカ国会議事堂襲撃事件もあるという。