「かんろうだいのさづけを渡すで」(明治22年2月14日)、松尾市兵衛、松尾與蔵について | 「天理教」は宗教か、真実の教えか

「天理教」は宗教か、真実の教えか

「天理教」に関するまじめな宗教学的、神学的な考察

これは『おさしづ』の一節で、神様から、松尾與蔵に下された、「おさづけさしづ」です。

 

「おさづけ」とは一種の救済の技法で、信徒の心を見定めて、神様が人間に渡すものです。今の時代は、真柱様が形式的に渡す決まりとなって、100年ほどたちますが、元々は、教祖や本席様から直接渡されていました。人間が望んでも、もらえなかった人もいました。

さづけにも種類があり、今では「悪しきはらいのさづけ」だけが教会本部で伝承されています。しかし、これは、「かんろうだいのさづけ」というさづけで、甘露台という信仰の究極の目標物と関連している何か大きな意味が込められているようです。

 それは、さておき、このさづけを頂かれた29歳の松尾與蔵の父について考察します。

 

 何と、その父は松尾市兵衛[1835-1879]です。天理教の最初期の有力な信徒で、教祖伝・逸話編にもよく出て来る方でした。出直されたのが、明治12年で45才という若さでした。教祖(おやさま)より先に亡くなられていることが注目されます。  

 松尾市兵衛さんについては、深谷耕治先生の「おふでさきと松尾市兵衛」(『グローカル天理』2018年)が参考になります。

https://www.tenri-u.ac.jp/topics/oyaken/q3tncs00001lui8a-att/GT224-HP-page5.pdf

 また熱田分教会の会長さんも同じものを以下のサイトで引用されていました。

 

 また、教祖伝逸話編では、明治5年に松尾市兵衛宅に教祖が13日間もご滞在された時のエピソードが有名で、以下のサイトが参考になりました。

http://www.marino.ne.jp/~rendaico/nakayamamiyuki/omithisonogoden/daikyokaishico/matuoithibei.html

 

市兵衛もその長男の楢蔵も、教祖の御在世の中で、亡くなるのです。有力な信徒だから、無条件で救わることは無いということが感じられます。また松尾宅では既存の仏壇を取り払って、新しい神棚をつくらせたエピソードも有名で、教祖が既存の宗教とこの道が違うことを明確に伝えた点も永遠に伝承すべき話でしょう。  

 

父親は早く出直し、兄も先に出直すなかで、松尾市兵衛の次男坊だった松尾與蔵は、このおさづけを頂き、明治43年には平安大教会の三代会長に治まりました。大正13年にはその子息の松尾信太郎が第4代の会長となります。この中で、松尾市兵衛の妻の、松尾ハルはかなり長命で、大正12年に89才で出直されたそうです。  松尾與蔵への「おさしづ」は合計で4点あり、母のハル、長男の信太郎、次男の市太郎の氏名も出ていました。 

 

最後に、松尾與蔵さんに下された、神様の「おさづけさしづ」を紹介します。

 

 

 大和国平群郡若井村講元松尾與蔵二十九才おさづけさしづ

さあ/\だん/\の席/\、返やし/\の席、又一日の日の席、席に順序の理、生涯の心持ちての席。生涯の理を諭すには、どうせこうせいとは難し事は言わん、言えんの理を聞き分け。人間というものは、身はかりもの、心一つが我がのもの。たった一つの心より、どんな理も日々出る。どんな理も受け取る中に、自由自在という理を聞き分け。常々誠の心治めば、内々睦まじいという理を出ける。それ世界成程と言う、成程の者やと言う理を出ける。成程という理を受け取るのやで。これまでもよう聞き分け。代々の道があるで。だん/\の処尽し、席無くして身も隠した処、さあ/\代々さあ/\さづけを渡すで。かんろうだいのさづけを渡すで。さあさあしっかり受け取れ。

 

【釈義】

 人生の一度だけの神様から生涯肝に銘じるべき理を諭す。無理なことは言わない、無理に説得すさせるものでもない。しかし人間にとってもっとも大切なことを話す。 人間の肉体は借り物、心ひとつが我がものである。その人間の心を受け取って、神様は守護される。誠の心、内々を治めていく心によって、その主体的な心で、自由用の理を見せていただける。 他人から慕われる、成るほどの人としてしっかり成人することが、人間の精神的な成長として望まれる。 先祖の徳があり、亡くなった親族もある中で、その代々の誠を見て、このたび、おさづけのご褒美を渡す。 甘露台のさづけを渡す。  しっかりと受け取りなさい。  

 

平安大教会の前身は積善講で、天理教伝道史の一側面について、高野友治(1955)がありました。国会図書館と許可のある図書館で見られます。