「天理教」は宗教か、真実の教えか

「天理教」は宗教か、真実の教えか

「天理教」に関するまじめな宗教学的、神学的な考察

教祖(おやさま)がはじめられた道は、宗教や教団を維持するための教えではなく、万人の救済を求めた真理の開示にあることを探求したいと思います。

 家族経営が途切れることなく続いた米国最古の百貨店、S&C (Strawbridge & Clothier)がPhiladelphiaにありました。

801 Market st. 

 

フィラデルフィアの中心街の中、マーケット・ストリートにある旗艦店を拠点に、ストローブリッジ&クロシアーは1世紀以上にわたり、顧客のニーズに応えるために尽力しました。誠実さと品格を基盤として築かれたこの百貨店と、その創業者であるジャスタス・ストローブリッジおよびアイザック・クロティアは、常に「顧客は常に正しい」という姿勢を貫き、適正な価格設定を徹底しました。その後、20世紀半ばから後半にかけて、同百貨店は近隣のニュージャージー州やデラウェア州へと事業を拡大しました。1996年の売却当時、ストローブリッジ・アンド・クロディアは、一族による経営が途切れることなく続いた米国最古の百貨店でした。

 

同社は、質素さと地域社会への奉仕というクエーカー教徒の原則に基づいて運営され、創業家、とりわけストローブリッジ家が4世代にわたり経営権を握り続けました。

 

ストローブリッジ・アンド・クロシアーは、フィラデルフィア大都市圏において、中産階級を主な顧客層とする大手百貨店チェーンであった。同社は1868年7月1日、ジャスタス・C・ストローブリッジとアイザック・H・クロシアーによる合名会社(partnership)として設立され、1922年2月14日に株式会社となった。同社は、質素さと地域社会への奉仕というクエーカー教徒の原則( Quaker principles of simplicity and community service)に基づいて運営され、経営権は4世代にわたり創業家、特にストローブリッジ家が握り続けた。これは、フィラデルフィア地域において、地元資本による家族経営の百貨店チェーンとして最後に残った企業(the last locally-​controlled, family-owned department store chain)であった。1930年から始まった郊外への早期かつ革新的な進出や、人気のディスカウントストア「クローバー」シリーズおよび「クローバー・デー」セールの展開にもかかわらず、同社は小売業界の変遷に耐えきれず、1996年7月15日、以前にワナメーカー・チェーン(the Wanamaker chain)を買収していたセントルイスのメイ・デパートメント・ストア・カンパニー(the May Department Store Company of St. Louis)に店舗を売却した。

 

 

 

メグ・バターワースは、この偉大な百貨店とそれを創業した一族、そして一族の成員が従業員を家族のように大切にした様子について本を書きました

 バターワースが著書全体を通じて述べているように、ストローブリッジ・アンド・クロティアを競合他社と真に一線を画していたのは、創業当初から「ストア・ファミリー」(The Store Family)として知られていた従業員への接し方でした。バターワースは、従業員の生活を向上させ、そして間違いなく従業員の忠誠心と定着率を高めることを目的とした数多くのプログラムの事例を紹介しています。ストローブリッジ・アンド・クロディアーは、手厚い福利厚生と競争力のある給与を支給することで知られていましたが、同社が従業員に提供した機会の幅は、こうした標準的な措置をはるかに超えるものでした。

 

 

 

 

 

 

2026年8月4日撮影  Market St,のMarker 

 

同社は、1868年の創業で4世代の同族経営を維持した。 フィラデルフィア地域で最後に残った、地元資本による家族経営の百貨店チェーンでした。1930年から郊外への出店を開始し、人気のディスカウントストア「クローバー」シリーズを展開したものの、小売業界の変遷に耐えきれず、1996年7月15日にセントルイスのメイ・デパートメント・ストア・カンパニー(May Department Store Company of St. Louis)に店舗を売却しました。

 

昔のこのデパートの風景は以下のサイトに詳しい。アメリカで消えた多くの百貨店の記録を残しているサイト

https://departmentstoremuseum.blogspot.com/2010/07/strawbridge-clothier-philadelphia.html

 

 

詳しくは以下のサイトで。アメリカ経営史の一断面を知る。

 

 

1955年のExecutive Dinnerの録音。あたらしい経営陣に移譲することが報告される。ファミリービジネスを続ける誇りが語られていた。 

 

 

クエーカー教徒の伝統に則り、創業者は顧客、地域社会、そして従業員への奉仕を重視した。従業員のために、同社は健康・死亡給付を管理する救済協会、貯蓄基金協会、体育協会、社内誌『Store Chat』、合唱団、そして勤続25年以上の従業員で構成される「クォーター・センチュリー・クラブ」を設立した。短期間ではあるが、女性従業員が海岸で休暇を過ごせるよう、ノース・ワイルドウッドに別荘を所有していた時期さえあった。1900年代初頭には、顧客から店頭への電話サービスの導入、「クローバー・デイ」セール日の開始、そしてトラックによる商品の配送が開始された。

 

  7月31日の夜11:00頃、Philadelephia Airport でBaggage Claimで待っていても、トランクが出てこない。Torontからの国内便にちかい小さな飛行機だったので、乗客は少なく、荷物はあっというまに全て出てきたのだが・・・。

 

7月31日 22:46 ついにPhiladelphia空港に到着! 日本から17時間。

 

 Carouselの番号が違っているのか、何度も確かめて、ほかも回るがない。 この間、Taxiの勧誘を何度も受ける。

 

 空いていたUnitedの事務所に聞くと、隣がAir Canadaのオフィス。PM11:00過ぎで、空いていない。 

 

 

Philadelphia空港でのBaggage Claim

 

 セキュリティーの女性に聞くと、電話をしてくれた。だが電話は通じない。

 

スマートフォンで、Air Canadaのアプリをダウンロードする。遅れた荷物の対処についてこのアプリで申請すべきことが分かった。 

 

 仕方ないので、とにかくトランクなしで、ホテルに行くしかなかった。

 

 その後、Delayed Baggageについてアプリから申請できた。その後、Air CanadaからはTEXT Messageで荷物の場所が分かるシステムであった。

 

 当初1日で来る予定だった。

 

 こちらの居場所、何時までいるか、パーマネントアドレスか。それを答えないといけない。

 

荷物はMontrealにあることが最初のメッセージで分かった!

 

実は、MontrealからPhiladelphiaに乗り継ぎの予定であったが、Crewの都合で飛ばず、別の便に変更となった。

 

それでTronto経由でPhiladelphiaに行くというルートで、1時間遅れてのPhiladelphia到着になった。

 

この時に、Montreal で荷物を引き取る必要があったらしい。 

 

 機種変更の際、Air Canadaの女性職員が、新しいチケットを2枚出してくれたが、私にDecralationの機械のタッチを教えるだけだった。彼女になぜ、便名が変わったのかを聞いたが、その時は応えず。さらに、Baggageの引き取りも私に指示もしなかった?  

 

翌日に荷物はPhiladelphiaに届いたとの知らせ。別の業者に委託するとのこと。2日目に配送するかと思ったら、翌日に配送するらしいと。ところが、夜10:00にホテルのフロントから電話あり、荷物が届いたことが分かった。

 

Baggageの色、形、内容物のことなど、当初知らせる必要があった。 

 

帰路もルート変更のAir Canada

 

  帰路もAir Candaから連絡があり、利用便の変更があった。当初は、Montreal経由で成田へ。 

 

 荷物を預ける際に、Kioskを利用して、パスポートを証明させて、Baggaege Tagを自分でとらないといけない。 最初その意味がわからず、セキュリティの女性に聞いてやっとわかった。

 

 ルート変更して、Unitedを利用して、Chiacagoへ。Chicagoから成田空港へはNH011便とのことであった。 荷物は、最終地の成田に運ばれるから、ChicagoでBaggage Claimは必要ないとのこと。これは念押しして再度聞いた。 

 

[English Traslation]

 

Around 11:00 p.m. on July 31, I was waiting at the baggage claim area at Philadelphia Airport, but my suitcase wasn’t coming out. It was a small plane, similar to a domestic flight from Toronto, so there were few passengers, and all the luggage came out in a flash, but...

 

July 31, 10:46 p.m. I finally arrived at Philadelphia Airport! It took 17 hours from Japan.

 

I checked the carousel number over and over—maybe I had the wrong one?—but there was nothing there. Meanwhile, I was repeatedly approached by taxi drivers.

I asked at the empty United counter, and they told me the Air Canada office was next door. It was past 11:00 PM, so it was closed.

 

 

Baggage Claim at Philadelphia Airport

 

I asked a security guard, and she made a call for me. But the call didn’t go through.

 

I downloaded the Air Canada app on my smartphone. I found out that I needed to file a claim through this app for delayed luggage.

 

I had no choice but to head to the hotel without my suitcase.

 

Later, I was able to file a claim for delayed baggage through the app. After that, Air Canada sent me a text message with a system to track the location of my luggage.

 

It was originally supposed to arrive within one day.

 

I had to provide my current location, how long I’d be staying there, and whether it was my permanent address.

 

The first message told me my luggage was in Montreal!

 

Actually, I was supposed to connect from Montreal to Philadelphia, but due to crew issues, that flight was canceled and I was rebooked onto a different flight.

 

So I ended up taking a route via Toronto to Philadelphia, arriving in Philadelphia one hour late.

 

Apparently, I was supposed to pick up my luggage in Montreal at that time.

 

When I changed my flight, a female Air Canada employee issued two new tickets, but she only showed me how to use the self-service check-in kiosk. I asked her why the flight number had changed, but she didn’t answer at the time. Furthermore, she didn’t give me any instructions regarding baggage claim?

 

The next day, I was notified that my luggage had arrived in Philadelphia. They said they would arrange for delivery through a different carrier. I thought it would be delivered on the second day, but apparently, it was supposed to be delivered the very next day. However, at 10:00 p.m., I received a call from the hotel front desk informing me that my luggage had arrived.

 

I need to let Air Canada know  via APP about the color, shape, and contents of my luggage.

 

<Air Canada Changed My Return Itinerary Too>

 

I also received a call from Air Canada regarding my return trip, informing me of a change to my flight. Originally, I was scheduled to fly to Narita via Montreal.

 

When checking my luggage, I had to use a kiosk to verify my passport and print my own baggage tag. At first, I didn’t understand what that meant, but after asking a security officer, I finally figured it out.

 

Due to the route change, I flew with United to Chicago. From Chicago to Narita Airport, I was scheduled to take Flight NH011. I was told that since my luggage would be transported directly to my final destination, Narita, I wouldn’t need to claim it in Chicago. I double-checked this by asking again just to be sure.

フィラデルフィアでのトラブル続きの思い出を記録に残す。

 

Philadelphia International Airportからダウンタンの市内にあるホテルに行く際、一番安いのが鉄道。

Baggage Clain で待っている間に、何度も声掛けされ、それはすべてタクシーの勧誘であった。

 

 

 空港に接続している鉄道の駅を探すと、Google Mapで見ながらも、遠回りしてやっと見つける。専用のカード(SEPTA key)を買うことが分かり、クレジットカードで購入した。そして、ホームに降りた。空港の終点駅に行く鉄道には乗るなと車掌から呼ばれ、その鉄道が戻って来てからのる。 1時間に2本程度の頻度である。私の他に1人だけしかいなかった。ほとんどの人は車かタクシーで移動するのだろう。 夜の鉄道には不穏さが感じられた。

 

 古い大きな電車で、車内では黒人の検察係にカードをValidateしてもらう。

 

 空港から30分ほど、Suberban Stationで下車した。ホームから地下1Fレベルのゲートを出る際、カードをタップしたが、大きなビーの音で出られない!何度もやっても無理。

 

 

Airport D、Suburabanで買った際のレシート

 

 そこで、チャージ金が足りないと思い、KIOSKでSEPTA keyをタップするとすでに0ドルになっていた? そこで、20ドルをさらに追加するためにクレジットカードを利用した。

 

 再度、ゲートから出ようとするも、BEEの音で、出られず。深夜1時前である。誰もいない。 黒人の清掃の職員がたまたまいて、駅の清掃をしていたが、その方が非常用の扉で外に出してくれた。 

 

地下1階が鉄道の出口で、階段から地上に出ようと2度試みたら、どちらもロックされていた。AM1:00前くらいで、これはホームレスがはいれないための安全策らしい。 出口を探して戻り、3度目でたまたま空いている出口から上に行けた!

 

 

 帰国してこの原因を調べた。 空港駅で乗車する際に、駅にはいるゲートがないのだが、プラットホームにある専用リーダーにタップして乗車場所をKeyに認識させる必要があったのである。  これが答えである。

 

 車内で検札があったが、乗車場所が認識されていなくても、単に検札ができてしまったのである。 

 

 このため最初の乗車で、乗車場所がわからないまま、カードでは残りはゼロになってしまったらしい。 

 

Jefferson Station, 6:15 AM, August 8th, 2026

 

 帰路は、Jefferson Stationでゲートにタップして乗車したが、降りる際に、乗降客がホームで専用リーダーをタップしているのを見た。それを真似して、airport D駅でプラットホームでタップすることができた。 空港駅はゲートが無いので、そのままタップしなくても出られたが、乗る際、降りる際にタップすることが必須だと知る。 

 

 日本ではスイカでも入る際に必ずタップするが、アメリカでは、タップしなくても電車に乗れる。ここに落とし穴がまっている。 乗る前に、専用リーダーで乗車位置を認識させる!  これが大切。  教訓を書き残します。

 

<朝の乗客風景>

 

 朝の電車は結構利用がある!

  8月5日、Jefferson Stationで6:20に空港行きに乗ったが、かなり乗車している人たちがいた!

トランクバッグを通路に置けないので、網棚に載せようとしたが、中国系の女性が手伝ってくれた! 彼女は降り際も、席をあけてくれた。Penn Medicineで沢山降りた。Registerd Nurseの名札をつけている女性もいて、医療機関の正装らしい人たちが沢山おりた。

 

 その後はガラガラで空港駅へ。 途中でCemetry も見えた。 郊外にお墓があることが分かる。  

 ちなみに、Benjamin Franklinのお墓は、独立Hall地区の教会の中にある。  

 

  

 

 

 

 アメリカで宗教学の修士課程での留学時代[1994-1995]、Religious StudiesのDepartmentの事務室がRutledge College の中にあった。1階にはChapelがあり、その上に事務室があった。

    日曜日に事務室に行く際に、ドアを開けたら、結婚式を待つbride &Groomがおり、Brideは私のことをがっかりの顔でしかめた。悪いことをしたとバツが悪かった。

 

 Rutledegeの名前の由来を知らなかったのだが、今回初めて、それがサウスカロライナ州の知事の名前であったことを知る。以下のサイトが詳しい。

 

https://www.hmdb.org/m.asp?m=62638

 

 アメリカの建国、憲法制定にあたり、奴隷制度の温存に努めた政治家の一人がJohn Rutledgeであり、チャールスト出身で自らもプランテーションの経営で資産を築いていた。 

 

 奴隷制度のあり方はアメリカの国論を分断するテーマで、1807年に奴隷貿易が正式に禁止される猶予を作ったのも南部の議員たちであった。アメリカの独立宣言書は、南部の奴隷制度を温存するかたちで批准せざるを得なかった。

 

 Philadelphiaの大統領官邸跡の史跡があるが、当時は奴隷たちがいて、奴隷制度の歴史を学ぶことができた。 

 

 

 

 今回、AOMでPhiladelphiaを訪問し、30年前の留学時代の思い出とつながり、記録に残す。

 

 

 倫理法人会には、倫理経営を実践する素晴らしい経営者の事例が溢れていて、以下の方のお話を伺い、感動しました。

 今後の研究資料、メモとして残します。

 

 一般社団法人 倫理研究所

 法人局 参事

 法人アドバイザー(R2年から)、倫理経営インストラクター(H24年から)

  伊藤俊郎 様

  宮城県登米市にある、割烹寿司屋・若鮨の会長である。昭和25年生まれ。 

 

<神社の建立>

  令和元年に、若鮨牛神社の建立。 毎月、ニクの日、二九日は牛さんに感謝の日(報恩祭)とする。 

  牛さんのレプリカ、絵馬もある。・・・手を合わせる文化啓蒙のため。

 

  神社の狛犬(等身大の牛=駒牛)の石像の献納:

    野口建材商会 野口昇様  茨城県桜川市眞壁町山尾633-1 

    大関石材店 大関一利様

    佐藤美術彫刻 佐藤寛齋様 茨城県桜川市眞壁町塙世1176 石掘仏師 

 

若鮨牛神社(宮城県新田駅)の投稿(1回目)。宮城県登米市にある珍しい神社『若鮨牛神社(わかず…[ホトカミ]

 

 

 <倫理経営の実践>

 ・お客様第一、お店は自分のものでない。お客様のもの。 

 ・8時閉店、同業他社への配慮、一人勝ちしない。  

 ・犯罪を犯した子供(前科者)の採用、逆三角形の摂理

 ・若者に寿司の御馳走、恩送りする。不良の子供も自然と働きだす。 「一生忘れない恩は次の世代に送る」 

 ・親孝行、先輩を尊敬、

 ・税務署が来る店をつくる、魅せる、寄ってくる。126坪、7つの部屋で飽きない仕様。

 

参考となるYouTube

「恩送り」割烹若鮨 会長 伊藤俊郎様 - YouTube 

 

【渋谷区倫理密着パート3】渋谷と言ったら「塙保己一資料館♥後編」万人幸福の栞36ページ4行目!ヘレン・ケラーが表敬訪問|渋谷区倫理法人会に密着取材♪伊藤俊郎法人アドバイザー同行記録動画・渋谷区シリーズ

 

 

 

 

 

 天理教の研究者仲間から、公開を提案されておりました

茨木基敬公 三代様一代記之骨子 下巻』

ついに公刊することが出来ました。

 

 大変貴重な歴史書であり、Kindleにて期間限定で、3000円にしました。

 

 Amazon.co.jp: 茨木基敬公 三代様一代記之骨子 下巻 eBook : 村山元理(編集): 本

 

 一般に流通する書籍・雑誌などでの無断転載厳禁。

 

 本電子版を引用する際は、出典を以下の様に必ず明記してください。

 

 記載例

 村山元理・編『茨木基敬公 三代様一代記之骨子 下巻』Kindle版、2026年5月8日発行。

 

 

 ここから学術的な検討を公開の場で開始することとなります。

  

 理の研究が真に始まることを期待します。

 

 私も一層人間を磨いていく所存です。

 

 2026年9月12日、日本宗教学会第85回学術大会(東北大学 川内キャンパス) 第5部会で報告いたしました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

北大教会の系統の大教会について、調べているとき、このサイトを発見

 

 

 各大教会の歴史を「天理教事典」旧版から丸写して、熱心に勉強・発信されている。ここまで丸写しだと著作権の問題もあるだろうが、天理教の宣伝になるので、教会本部も見許しているかもしれない。

 

 この中で、営利事業を教会が兼業することの是非、すべて失敗している事例を寄せ集めていて、これはとても意義深い指摘だと思い、記録に残す。上記サイトで以下の3つの失敗例が記されていた。

 

坂本徳太郎・繁藤初代会長の紙漉(製紙)事業、
近藤嘉七・名古屋初代会長の農機具製造販売業、

樋口幾太郎・府内(当時は船井)初代会長による織物事業

 

 信仰と事業の一致か反対か?  信徒が何かの家業をして、それを寄付・支援して教会活動が成り立っている。教会は、信仰一筋に営利事業には関わると信仰心が汚れるから、神様は守護されなかったのか?  今後の研究テーマとして、ここに記録を残す。

 

 大教会が信徒会館を不動産業として貸し出すことは、宗教法人法的には、最近許されているそうだと宗務課の友人に伺った。

 

 幼稚園、福祉法人など寺院・教会が経営している事例は非常に多い。学校・福祉施設は非営利事業体であるとみなすなら、これは神様も法律も許していることなる。 

 

  日本初の郊外型の高級分譲地が広がる世田谷区の一角を歩いて、五島美術館まで徒歩にて初めて歩いてみました(〒154-0012 東京都世田谷区駒沢4丁目1−2 から 五島美術館 - Google マップ)。周辺の名所(せたがや風景Mapの掲載地・「地域風景資産」)も途上にあり、紹介したいと思います。精霊が感じられる森、庭園が途上にあり、気持ちのいい道でした。

 

 駒大深沢キャンパスから西に直線のかなり長い一本道の直線の通りがあり、バス路線でもありました。深沢六丁目、深沢七丁目を通りますが、裕福なお屋敷が続きます。

 このあたりの大地主が秋山の森という旧家の森に囲まれた家もあります。駒大深沢キャンパスの南西の裏手にあります。

1-11 「深沢の屋敷林」(地域風景資産「深沢の屋敷林」 - Google マップ)との名称で検索もできます。秋山の表札の家も近くにあり、分家筋かと思われます。駒沢公園通りからちょっと入ると森があり、秋山家の屋敷林が鬱蒼としています。近くの川からは高台にあります。秋山家の私邸にはもちろん入れません。以下のサイトで紹介されているように、入れる森もあるようですが、どこだかわかりません。畑や森が広がっていて、江戸時代からの昔の風景がわずかに残っているかもしれません。

 秋山の森の西に呑川が流れています。後で述べる川です。 

 世田谷に昔の豪農の痕跡を見に行った | †PIAS† isn't anything

 

 駒沢公園通りをさらに南にいくと、深沢村の鎮守社と思われる深沢神社(深澤神社 - Google マップ)もあります。奥社も裏手ある不思議な神社です。寄進者のお名前に、秋山様の御当主のお名前を見た覚えがあります。

 

2-10 「旧・新町住宅地の桜並木」

  深沢七、八丁目、桜新町一丁目の南側が、日本初の高級分譲住宅地として大正2年から開発されたいわれが書かれています。この私宅も寄贈されて、元々の私邸は公園になったようです。その前で撮影しました。 ここは「深沢の杜緑地(35°37'29.8"N 139°38'46.3"E - Google マップ)」と呼ばれるところで、世田谷区の「玉川地域の公園」の1つとして整備されていました。

 

1-10 呑川親水公園

 呑川が南北に流れていて、この川を超えて西に進みました。その川の先に、上記の「深沢の杜緑地」があります。「桜並木の呑川と緑道」が南北に流れていて、緑道沿いには都立深沢高校、日本体育大学のキャンパスもあります。緑道、親水公園は整備されていて、健康器具もあるらしい。大田区までこの川が流れているらしい。

 

 

深沢西公園(下の写真)をさらに西に進み、日体大幼稚園、さらにSeisen International School の裏手を通る。英語を話す子供たちがいて、まったくセレブの子供たちここに通っているらしい。カトリック系で幼稚園から高校まで英語教育圏の世界が広がっている。

 

用賀中町通りを超えて、谷沢川こえてから、左折して、坂道をおりる。駒沢通りにぶつかり、右折。環八を超えて、多摩美術大学の前を通り、左折してその裏手を通ると、富士見橋。東急大井町線の切通の上を通る、崖の上の橋だった(以下、逆光で撮影)。

 

1-17 富士見橋より見た富士山の見える眺望 | 世田谷区公式ホームページ

 

 奥のビルは楽天の本社ビル。橋を渡った丘の上にあるのが、五島美術館でした。

 

 美術館(入園料、1100円)では、美術館が所有する国宝の源氏物語絵巻を解説したDVDを鑑賞。唐代以降の中国鏡、中国陶芸展の企画展示中で、勉強になった。藤田家、鴻池家から伝来の壺が数点あった。銅鏡もどこかの研究者から譲り受けた考古品で、中国の国宝級のものである。陶芸品は、景徳鎮のもの、白磁、青磁、五采や三采のものがあった。常設展がない美術館のようである。学芸員がいる確かな美術館のようである。

 

 五島慶太翁の私邸だったものが美術館となった。そのため、すぐれた庭園も残された。

 

 庭園もあったが、午後4:45以降は利用できなくなる。古墳もある庭園で、「稲荷丸北遺跡と稲荷丸古墳について」という五島美術館で貰ったチラシによれば、この一帯の国分寺崖線(10万年以上の歳月をかけて多摩川の浸食作用によって形成さえされた河岸段丘)は旧石器時代、縄文時代、古墳時代の遺跡があり、2万年前から人々がすんでいた豊かな土地だったそうである。

 

 丘を下って、楽天本社のクリムゾンハウス、さらにRISE

 

 

という東急の作った都市型開発モデル地区を通って二子玉川の駅から帰路へ。  

 

 

 

 

 

 

真理の実践家である、王陽明の言葉に「事上錬磨」がある。

 

事上磨錬とは?【じじょうまれん】ーわかりやすく解説 - 陽明学.net

 

 

「かしもの・かりもの」の世界において、日々あたわる事情、事上をどのように受け止めるのか。

 

日本製鉄の橋本英二社長は新入社員に以下の様に訓示を与えている(2021年4月1日)。

 

「私の座右の銘を紹介したいと思います。日々の実践を通じてのみ力がついていく、という意味の「事上磨練」という王陽明の言葉です。行動や実践を通して知識や精神を磨く、ということです。皆さんへの心からの歓迎の意を込めて、この言葉を紹介します。」

 

新入社員への社長メッセージ(代表取締役社長 橋本英二)

 

 日々に与えられる諸事情は、天の理である。

 

 その形の世界は動かせない、逃げられない。これは神様からの飛躍のチャンスとして受け取るか、不足するか。

 

 人間関係、夫婦の関係、職場での関係、世界の事情、戦争や物価高騰、異常気象に天災。

 

 

仕込みは仕上げのためにある

 

 

 との神様の仰せである。  

 

身上の仕込み、事情の仕込み、色々とある、遅い早いの時期は人ごとに異なるが、必ず自分に掛かってくる逃れられない事上。他人に掛かる事でも我が事として受け取る。    

 

 その事上には意味がある。 仕込みだという。 神様からの教育的に見せている。見せられている。

 

 そのように信じて、日々一つ一つに答えを出していく。喜んで受け取る。 その目的は、魂の錬磨、魂を仕上げて、神様の道具として役立ってもらえるためである。

 

 事上は魂のレベルを上げるということ、そのようなポジティブな含意がある。 その試練に答えが出せないことが、もったいないとの神様の仰せである。 魂の段階を上げていく(魂のレベルアップ)。 ここに事上の意味がある。   

 

 しっかり「足許を固めること」。ここに仕込みの目的がある。

 

 「日々に 仕込みためしで 磨くのや その度ごとに深い喜び」

 「素直やで かしもの悟り 磨くのや 誠の者には 証(しるし)与える」

 「日々の 心磨きは 実で行け その度ごとに 不思議自由(ふしぎじゅうよう)」(平成8年7月24日)

 

 日々の出来事から神様と直に対話する、その心境で心澄ましていきたい。

 

<合掌>

 

 世田谷区の東急大井町線には、田園都市線の二子玉川駅から上野毛、等々力、九品仏、自由が丘などの駅があり、都会のリッチ層が住んでいる。ここから2カ所を紹介する。

 

<萬願寺・等々力不動尊>

 この大井町線の中で等々力は等々力渓谷が有名で、都内で唯一の渓谷は緑があふれていている。渓谷をはさんで、不動尊、萬願寺があり、別々ではなく、一緒に運営しているようで、そのサイトがある。

 

 

 

<九品仏 淨眞寺>  大井町線九品仏駅から徒歩3分。  

 

 本稿の主題である大井町線の九品仏の名称が謎めいていて、そのお寺に一度行ってみたいと思っていた。

 

 

  この度、初めて九品仏淨真寺に参拝できて、想像以上に立派な寺院であることに驚いた。

 

 

 江戸期に、阿弥陀仏を造仏した仏師でもある珂碩上人の開山。  霊験あらたか 安産・厄除・開運  

 

 浄土宗    「おめんかぶり」の伝統行事

 

  三仏堂は日光の巨大な三仏堂を知っているが、ここの三仏堂は、3×3の9体の仏像からなる。上品(じょうぼん)、中品(ちゅうぼん)、下品(げぼん)の3つのお堂で三仏堂だが、それぞれのお堂の中に3体の阿弥陀如来があるというもので、浄土宗の経典・浄土三部経の『観無量寿経』に由来する九品仏は関東では、ココだけらしい。人間は生前の功徳によって、九種に分けられた往生の階位があるという。上品(じょうぼん)、中品(ちゅうぼん)、下品(げぼん)の3つの階位があり、それぞれ、上生(じょうしょう)、中生(ちゅうしょう)、下生(げしょう)に分けられ、最上位は上品上生、・・・下品下生までの九階位がある。

 

 上品上生(じょうぼんじょうしょう)の往生を願いましょう。 これがスローガンとして解説(2025.3)に書かれていた。

 

 東京都の重要文化財、大修理の期間で、下品堂の一番左の仏像は「大修繕大勧進」のために空であった。  

 

 

 午後4時から午後の勤行が龍護堂(本堂)であり、これは一般の参詣者も参列できるもので、浄土宗の寺院として地域に開かれた生きた宗教活動がなされていて、素晴らしい。午後4時半に閉門。  

 

  

 

 閻魔堂では、地獄の怖さを絵解きしていて、閻魔様の形相も怖いものである。嘘はついた人生の末路が厳しく裁かれる、因果応報の道理が説かれている。

 

 開山堂の前には、上のような水子供養の碑があり、幼稚園の経営と関連して、子供を大切にする思想があった。

 

 巨大なカヤの木もあり、樹齢800年、銀杏の木が本堂の横の入り口に二本あり、こちらは樹齢300年。

 

森の土塁に囲まれていて、かつての奥沢城の跡地を賜って、江戸期にこの寺院が建立された。  

 

自然がよく残っていて、武蔵野の景観が住宅街の中に奇跡的に残っている。江戸時代と変わらぬ領地をのこしている。

 

 九品仏の商店街には、おしゃれなパン屋が多く、セレブの街でした。 以下の、パンが美術品のようにおかれていた店舗は初めてでした。 

 

 

 

九品仏駅から徒歩3分で、参道の入口に行けます。世田谷散歩にお勧めです。