令和7年の年末に金子先生から表題の大著が届きました。
近代日本国家と天理教の時局対応 - 法藏館 おすすめ仏教書専門出版と書店(東本願寺前)-仏教の風410年
明治40年に本席様亡きあとに、天理教という教団が社会的存在として、軍国主義が進む日本国家の中で、その教義を時局に合わせてゆがめながら存続する道を歩み続けたかを『みちのとも』という教団の公式的な月刊誌、あるいは取り締まる内務省警保局保安課と司法省刑事局思想部の資料を利用して、客観的な立場から書かれたものです。治安維持法のもとこうした政府の機関が取締の実働部隊だったのです。内務省警保局保安課『特高月報』を発行し、司法省刑事局思想部は『思想月報』を発行したそうです[金子(2025)p.165-166]。
『特高月報』では天理教の、反国家的言動、反社会的言動、教団内部の動静確認が昭和6年ころから注目されました。
教団幹部以外の氏名や大教会の名称はOOと書かれていて、金子先生の個人情報に対する配慮は周到です。昭和3年の天理本道の事件もあり、本元である天理教も当局から睨まれていたのです。
本の帯には「国家の時局に宗教はいかに応じたのか」とあります。すなわち、当時の日本の各宗教教団はすべて、存続するために国家神道体制のもとで、本来の自由な宗教活動は許されず、反発すれば大本教にように神殿破壊という弾圧もあった時代において、いかに対応したのかが問われます。そこで天教教をケーススタディーとして描いたものです。
天理教において、啓示は完成し、管長や本部員を中心とした人間の集団として、天教教が戦前において、国家神道体制のもといかに時局に対応したのか。 ようやく本書によって、その概要が明らかになりました。
神意にもとづかない、人間一条の集団として天理教は明治末、大正、昭和の戦前期を生き残り、戦後の民主化の中で、何とか復元を果たしますが、同じ人間の集団として、イベント主義、行事主義を墨守して、現代にその伝統が継承され、形骸化した存命の理のもと、今の天理教の衰退に至るのです。
「詞とは 救けるために 降すのや 詞に縋れ をやの心や」(平成8年7月16日より)
をやの心は永遠に生きていて、令和の今も変わらず神様の守護で溢れています。人間はかしものかりもので生かされて、立っているのです。この真理を治めるために詞の理が永遠に下されているのです。
























