昭和12年に天理教の教会本部・海外伝道部が英文で作成。
翻訳すると『天理教ー日本の新宗教運動』ということで、自らを「新」しい教団として自覚していることが伺えます。
宗教社会学的には、天理教や金光教など幕末維新期以降に生誕した新しい宗教は新宗教と言われていますが、それに近い名称でしょう。
天理教は学術的には、民衆宗教(popular religion), または民族宗教(folk religion)と歴史学的には分類されたこともあります。
マスコミからは、新興宗教として、または明治期は邪宗門などともいわれて、蔑視されてきました。
今でも天理教は自らを、新宗教と分類されることを、一般的に忌避しているようです。
ある本部員の先生は、「世界宗教への道」という本も書きました。
世界宗教である仏教やキリスト教と同列であるというのが自己認識で、救済宗教という概念に当てはめることに異存はないでしょう。本書も、人類の救済を目指す天理教として解説されていました。
海外伝道の現況と天理教の教えに関して教会本部が英語で本格的に正式に自己解説した最初期の文献かも知れません。
天理教教庁海外伝道部の代表者、山澤為次氏が出版されたようです。
山澤為次氏の氏名は、 『おてふり概要』の著者として、今の天理教の人たちにもなじみのある方ですね。
大東亜共栄圏の植民地にも天理教が飛躍的に広がっていた時期で、どれほど当時の天理教がすごかったのかが回顧されます。
600万人の信徒。
満州、中国、北アメリカ、南アメリカ、ハワイ、南洋諸島に12,230人の信徒。
Rev. Shozen Nakayama, the Present Patriarch (中山正善師、現在の真柱)
出典: 『Tenrikyo : Japan's new religious movement』, Department of Overseas Missions Tenrikyo Central Church, 1937.8. 国立国会図書館デジタルコレクション , 33ページ。
2代真柱の若きリーダーシップのもと、形の上での大教団の組織化がますます進んでいました。
この後、政府からの思想的な大弾圧があり、教義の改編を余儀なくされました。
その後、復元が戦後ありましたが、何か復元されたのでしょうか。
分析は今後の課題として、資料の紹介とします。

