「神の詞は天保九年から続いているで・・・」(平成8年7月28日) | 「天理教」は宗教か、真実の教えか

「天理教」は宗教か、真実の教えか

「天理教」に関するまじめな宗教学的、神学的な考察

 今から30年近く前のある日の神様からのお詞である。和歌や散文体とあったが、この日は散文体で、かなり長めの神様のお話である。当時、留学から帰国して、大学で教えて初めた年であった。あれから30年たって私も還暦過ぎてしまった。どれだけ心の成人が出来たのか。今でも日々に磨きの事情はさらに厳しさが増し来る。この与えを喜び、たんのうしてこそ神の詞の道が生きて来るのである。

 辛い事や嫌なことがあると、そればかりに心が奪われて、人生そのものを呪ってしまうのが、人間の悪い癖である。日々はどれほど守護を受けているか、自分で自由になることがどれほどあるか、そうした日々の有難さを忘れてはいけない。自戒しないといけない。

 

 人間の肉体は神様から貸しものであり、人間は肉体を借りている。この根源的な真理を全ての思考の土台におかねば、人間は不足や支配欲から戦争まで起こしてしまう。レアアースだ、西半球だと支配欲から民主的な心が踏みにじられている世界の政治情勢は、ウクライナ侵攻を正当化する材料を敵国に与えているという皮肉。

 

 このような人間心の姿は己の鏡であり、己のよごれを世界を鏡として見ている。ほこりやよごれを日々に取り除いて、磨いていくことが日々の大切なつとめである。

 

 正月二十六日の大祭が地場で勤められる。肉体としての教祖(おやさま)の地上での最後の日が、その日であった。明治二十年1月26日。今年は西暦2026年1月26日の太陽暦であるが、同じ26に大きな意味がありそうだ。

 

 「・・・神の詞は 天保九年から 続いているで 真に 魂に目覚めたもの 末代まで導くための詞や

 詞は続いてるで 道は 切れ目ないのや 今の今まで続てるで 降された詞は 一筋の目的の道や

 本真実 求める 人間には 誰にも見えるで 一度降された詞は 永遠ものや をやの心は いつでも 生きているのや

 いつでも 続いているのや 詞 通りに 働いているのや・・・」(平成8年7月28日)

 

 『おふでさき』や『おさしづ』で説かれ始めた天啓の道は、永遠に続き、同じ理が説かれ続けている。それが永遠の真理であり、人間が陽気暮らしするための原理が解き明かされたのである。 人間の心は何処まで自由であり、自由な心を神は人間に与えた。その心が神の理に目覚めて、魂人間となる。本来の本当の人間の姿が魂人間である。「心通りに神が守護する」という第二の巨大な真理がある。心通りに色々な姿形の現象が起きてくる。これを神の守護という。神が人を喜ばすためにいろいろなものを見せている。神が支配する形の世界である。  

  人間は絶対的に安心立命の神の懐住まいの中に生きている。生かされている。 そして人間の究極の目的は、かんろ台一条という超理想社会の実現にある。

 

 「楽しみの時代 来るのや さあさあ しっかり 目覚め」

 

 高市政権の審判を問う、衆院解散総選挙へ。 Japan is Back.   

 

 真の日本の理は、地場にある。地場の理から始まったこの道。地場が目覚め、

 

 第二の天保九年に向けて、地場が再生することが真の世界平和の究極の道筋だと信じます。

 

<合掌>