『平成の神の詞』シリーズで、前回の9回目の御用の同日に実は、以下の1首だけのお歌が下されたのでした。
『平成の神の詞』 第9回ー1
平成二年十二月十九日 午後九時
理は理でも時が合わねば成り立たぬ 理と時とは二つ一つや
〇〇
【釈義】
これは難解なお歌ですが、1首の独立した歌で、そこに込められたおどろべき神意を深堀りしたいと思います。
理とは神様の思惑そのもので、永遠の昔から今も、未来もずっと実在する無形の理です。 その思惑から人間や世界が創造されたのであり、神秘中の神秘であり、人間の想像の限界を超えた実在で、人間としては信じる対象であり、人間の根源であり、人間が恋い慕う実在です。人間に陽気暮らしをさせてあげたい、人間が平和で明るく楽しく何時まで生きていて、115才の定命を定めたという思惑のもと、地場を現し、この世の元の理を説かれたのです。 救済のための技法として、おつとめを教えたのです。 神と人の心が一体となったら、真の陽気暮らし文明へと世界が変わっていくという展望を人間に与えたのです。
では救済のタイムテーブルはどうなっているのか。人の心は自由であり、伝統の寺社や政府や外部の弾圧もある中で、いかに神の道を広げるのか?
そこに「理の他に、時が必要だという」お話です。 ある特定の時刻や時間、時代が進まないと実現してこない有形世界の進み具合があるのです。 時々刻々と時間は動きつづけ、人間はいつでも今というこの時間に暮らしている。過去でも未来でもない、この今という時間。
9億9万9999年たって、元の地場に道具主が寄せられ、神として拝される約束の刻限が天保9年10月26日。
天理教が一挙に広がらないのも、今の教団体制で停滞しているのも、神の支配のもと神様の守護されている世界です。
ロシアによるウクライナ侵攻で世界が悩んでいます。この時代にこの出来事があるという、この時間も神様がすでに知っていたことでしょう。
あるときにあることがおきる。 それは神意なくして、何も実現しないのです。貸しもの・借り物の世界です。
理と時とは二つ一つ
天理教では、 「二つ一つ」という文句が、二項対立の一致、西田の絶対矛盾の自己同一、ヘーゲルのアウフヘーベンなどに匹敵する概念としてよく使われますが、物事の二つの側面という単純な意味でここでは考えます。
神の思惑があり、そして人間の心を受け取り、神が理として与えをその後に見せる。神様だけですべてが勝手に動いているのではなくて、神様が守護することで、物事が実現化していくのです。神様は人間の主体性に期待を掛けておられるのです。60才で芥川賞とる人もいるのです。人間は死ぬ前まで、いつでも夢と希望があるのです。
神の理と人間の理が合わさって、何事かが現れる、守護される。 これが理と時との二つ一つの理という真理を示しています。
短いお歌ですが、この世の究極の真理が込められていて、時間とは何かという哲学的に課題に対して大きな示唆を込めた啓示です。平成の時代に合わせた最新のご啓示でした。
今回は難解な解説だったかも知れませんが、ご容赦下さい。
(つづく)