天理教の教規で、中山家(の長男?)の中から候補者が本部員会議で推戴されて、天理教の真柱になることが定められているようだ。
真柱(しんばしら)と読んで、建築用語で、建物の中心となる柱のことを意味して、教団の対外的なトップリーダーを意味する。
会社でいえば、CEO。国でいえば、大統領とか首相に相当する。いわば特定の組織の代表者である。
「真の柱を早く入れたい」という教祖から明治7年に『おふできさき』で預言があって、
最初の真柱となったのは、梶本家から来た外孫の真之亮である。かれが中山家の家督を継いだのが明治15年9月21日だった。
明治7年の時点で、教祖の長男の秀司さんが、対外的なリーダーであった。言わば真柱的な役割を期待されていた。
本来なら、中山家の長男で教祖の御苦労を共に支えた秀司さんこそ、真柱にふさわしい。
教祖は秀司さんに「真の柱」となるように期待したはずだったと思われる。秀司さんが何と答えたのかは伝わっていない。
実質的には、中山秀司さんが、明治14年4月8日に出直されるまでは、対外的なトップリーダーだったことは確かである。
秀司さんの奥さんの若き妻である「まつゑ」さんも明治15年11月10日に32歳の若さで出直す。
「内を治める真柱」というお言葉もあるように、教祖からの神意を受けて、それを世界に広めるトップリーダーが真柱という役割に期待されいてることは確かだ。
天の組織づくりとして、真柱という天職を教祖は早いうちから予告しておいたのである。
教祖の夫の善兵衛さんは、封建時代の男性として、夫として上から目線は最後まで抜けられなかった。
教祖の長男の秀司さんも、世間体があり、地福寺の配下になったりと、神意をまげる癖があった。そして天意に沿いきれずに、100歳まで生きることが保証されていたが、本人は命がけで、自分のやり方を通して教祖より先に亡くなった。これは天罰ではなく、本人が因縁によって倒れたまでであり、来世での活躍が期待されていた。
そして、3人目の候補者として、外孫の真之亮(中山新治郎)が中山家の養子として入る。これはもちろん教祖の神意による人事異動である。 真之亮さんがお春さんの中で懐妊しているときから、真柱として予告されたことなど、以下の深谷忠一氏の考察(「たましいの因縁」『グローカル天理』2015年)は以下を参照。
https://www.tenri-u.ac.jp/topics/oyaken/q3tncs00000xrj8e-att/GT187-fukaya.pdf
教祖も、本席となられた伊蔵さんも、神がかり状態のときは、真之亮のことを「真柱」と呼んでいた。若い真柱は当時の弾圧の中を通っていかねばならなかった。
若い真之亮は、最初、梶本家の亀蔵として生まれたが、梶本家では養子に出せないという惜しみがあり、すぐに出直した。再度、慶応2年5月7日に生まれたのが真之亮であった。真之亮の母のオハルさんは、教祖の三女であり、中山家の親族である。
「真実に神の心の急き込みは 真の柱を早く入れたい」
原文「しんぢつに神の心のせきこみわ しんのはしらをはやくいれたい」(『おふでさき』第3号8, 明治7年1月より)
The heart of God is truely urging you to install the central pillar as soon as possible.
『おふでさき』第3号にも真柱に関する多くのお歌があり、真柱の役割の重要さが、この時代になってようやく実現性を予告されてきたといえる。そこには救済を急ぐ神の心が、真柱の実現に込められている。
この度は内を治める真柱 早く入れたい水を澄まして (3号56)
この世を始めた神の真柱 早くつけたい神の一条 (3号118)
【付記:心の普請と真柱】
ただ、真柱とは心の普請と本当は関係があり、人間一人一人が、心の中に真の柱を立てることが、求められているのです。
魂を磨くことは永遠の作業であり、たまたま真柱という役割がその頂点にモデルとしてあるにすぎない。
私達一人一人が、主体性をもって、神の詞をしっかり受けて、魂の錬磨を続けていかねばならないのです。