「どんな鎖も付け/\」(明治40年6月5日 午後3時):天理教のパーパスは? | 「天理教」は宗教か、真実の教えか

「天理教」は宗教か、真実の教えか

「天理教」に関するまじめな宗教学的、神学的な考察

天理教の2代目の天啓者で、存命の教祖の理を体現された本席様は、明治40年6月9日(陰暦4月29日)にお出直しになられた。

現在の、天理教の公式見解では、本席でもって天啓は終了した。人間は十分に成人したので、天啓は必要ないという立場で、これまで来ている。しかし、今の教団体制の中で、多くの矛盾と低迷を抱えて、四苦八苦されている。 ネット上には、天理教へ言論的な批判に溢れている。情報化社会でSNSで誰もが情報を発信できるこの時代において、善も悪も、一時期に広がる怖さがある。ロシアへの批判が世界中でこれほどまでに統一されている時代も珍しい。それと同じことが、天理教という宗教集団に対しても同様にすでに多くの批判があるということだろう。

 

 天理教の存在意義(パーパス)は何か? 信仰者とってこの問いが、今ほど求められてる時代はないかもしれない。

 

 神の言葉は、寶(たから)であるという(明治40年6月5日午後2時)。人類史の中で、初めて神が一人称で、日本語で、語り始めた。これが天理教の元々の始まりであり、教祖(おやさま)の50年、本席様の20年間という70年に及ぼ天啓の歴史があった。宗教、信条、思想と世界には多様な考えが溢れていて、何が正しく、何が誤りであるのかということで哲学や宗教の長い歴史がある。その中で、極東の片隅で、天保9年(1838)年からある一人の女性を通じて、神が言葉を出すという新奇な現象が起きて50年。さらに本席の時代(明治20-40年)には燎原に火を放つほど爆発的に信徒が増大化したのであった。その救済の原点に、本席様からのたった一つの言葉があった。その言葉を受けて、信じて、喜び、勇み、救済が広がったのであった。神の言葉はまさに、宝である。  

 

 その言葉が終わる時が近づいたのが明治40年の6月5日である。この日だけでも刻限話が何度も繰り返され、明らかに、本席様からの遺言であることが暗に語られる。20年続いたご啓示の集大成、そのまとめが語られるのである。そして「十年かかる話、百日で止めてしまう」(6月5日午前1時)という「百日さしづ」の由来のとなるお言葉がこの日に4度も繰り返されたのである。

 

 啓示が終わるのは、世界救済の継続にとって、危機的な事態である。これは今のロシア危機に匹敵する信仰の危機である。本席の肉体をこのまま使えないという神様の目からは、10年分の啓示を100日たらずで終わらせるということが言葉として現れたのである。

 

 ここで、10年後の啓示はどうなるのかという大問題が当然見えてくる。 次の啓示者への期待がかけられており、その啓示者(機械)を見出して欲しという暗黙の期待が、百日さしづの大テーマだと思わねばならないだろう。 三軒三棟の理、北礼拝場の普請、上田奈良糸様へのおさづけの理の後継が3大テーマといわれているが、これらと関係して天啓継承問題こそが、最大のテーマであるはずだ。  

 

「どんな鎖も付け/\」(明治40年6月5日 午後3時)

 

これは、恐らく、聞き違い、書き取りの誤りらしく、本当は以下の言葉だとされる。これは、旧長さん(茨木基敬さん)のお言葉から学べた新視点である。

 

「どんな鎖もつなげ/\」(明治40年6月5日 午後3時)

 

鎖とは、天啓の鎖をつなげなさいという意味だろう。「鎖をつなげ」の意味を軽くとってはいけない。飯降政甚さんがどのように「鎖をつなげ」という言葉の意味を悟ったか分からないが、また真柱(教長)さんは、十分に受け取ったかも不明である。

 

本席様は、このお言葉に続いて、非常に喜び、勇まれた短い言葉が残っている。

 

「さあ/\これや/\結構々々。アヽおい/\、アハヽヽヽヽやれ/\、嬉しい/\。」  

 

この嬉しさの背後になる本席様の神意を私たちは深く考えないといけない。