「天理教」は宗教か、真実の教えか -12ページ目

「天理教」は宗教か、真実の教えか

「天理教」に関するまじめな宗教学的、神学的な考察

『平成の神の詞』シリーズで、前回の9回目の御用の同日に実は、以下の1首だけのお歌が下されたのでした。

 

『平成の神の詞』 第9回ー1

平成二年十二月十九日 午後九時

 

理は理でも時が合わねば成り立たぬ 理と時とは二つ一つや

                                    〇〇

 

【釈義】

 これは難解なお歌ですが、1首の独立した歌で、そこに込められたおどろべき神意を深堀りしたいと思います。

 

 理とは神様の思惑そのもので、永遠の昔から今も、未来もずっと実在する無形の理です。  その思惑から人間や世界が創造されたのであり、神秘中の神秘であり、人間の想像の限界を超えた実在で、人間としては信じる対象であり、人間の根源であり、人間が恋い慕う実在です。人間に陽気暮らしをさせてあげたい、人間が平和で明るく楽しく何時まで生きていて、115才の定命を定めたという思惑のもと、地場を現し、この世の元の理を説かれたのです。 救済のための技法として、おつとめを教えたのです。  神と人の心が一体となったら、真の陽気暮らし文明へと世界が変わっていくという展望を人間に与えたのです。 

 

 では救済のタイムテーブルはどうなっているのか。人の心は自由であり、伝統の寺社や政府や外部の弾圧もある中で、いかに神の道を広げるのか?

 そこに「理の他に、時が必要だという」お話です。 ある特定の時刻や時間、時代が進まないと実現してこない有形世界の進み具合があるのです。  時々刻々と時間は動きつづけ、人間はいつでも今というこの時間に暮らしている。過去でも未来でもない、この今という時間。

 

9億9万9999年たって、元の地場に道具主が寄せられ、神として拝される約束の刻限が天保9年10月26日。

 

天理教が一挙に広がらないのも、今の教団体制で停滞しているのも、神の支配のもと神様の守護されている世界です。

 

ロシアによるウクライナ侵攻で世界が悩んでいます。この時代にこの出来事があるという、この時間も神様がすでに知っていたことでしょう。

 

 あるときにあることがおきる。 それは神意なくして、何も実現しないのです。貸しもの・借り物の世界です。 

 

理と時とは二つ一つ

 

 天理教では、 「二つ一つ」という文句が、二項対立の一致、西田の絶対矛盾の自己同一、ヘーゲルのアウフヘーベンなどに匹敵する概念としてよく使われますが、物事の二つの側面という単純な意味でここでは考えます。

 

神の思惑があり、そして人間の心を受け取り、神が理として与えをその後に見せる。神様だけですべてが勝手に動いているのではなくて、神様が守護することで、物事が実現化していくのです。神様は人間の主体性に期待を掛けておられるのです。60才で芥川賞とる人もいるのです。人間は死ぬ前まで、いつでも夢と希望があるのです。

 

神の理と人間の理が合わさって、何事かが現れる、守護される。 これが理と時との二つ一つの理という真理を示しています。

 

短いお歌ですが、この世の究極の真理が込められていて、時間とは何かという哲学的に課題に対して大きな示唆を込めた啓示です。平成の時代に合わせた最新のご啓示でした。

 

今回は難解な解説だったかも知れませんが、ご容赦下さい。  

 

(つづく)

 

 

 

 

 

 

 

天理教の教規で、中山家(の長男?)の中から候補者が本部員会議で推戴されて、天理教の真柱になることが定められているようだ。

真柱(しんばしら)と読んで、建築用語で、建物の中心となる柱のことを意味して、教団の対外的なトップリーダーを意味する。

会社でいえば、CEO。国でいえば、大統領とか首相に相当する。いわば特定の組織の代表者である。

 

「真の柱を早く入れたい」という教祖から明治7年に『おふできさき』で預言があって、

最初の真柱となったのは、梶本家から来た外孫の真之亮である。かれが中山家の家督を継いだのが明治15年9月21日だった。

 

明治7年の時点で、教祖の長男の秀司さんが、対外的なリーダーであった。言わば真柱的な役割を期待されていた。

本来なら、中山家の長男で教祖の御苦労を共に支えた秀司さんこそ、真柱にふさわしい。

教祖は秀司さんに「真の柱」となるように期待したはずだったと思われる。秀司さんが何と答えたのかは伝わっていない。

実質的には、中山秀司さんが、明治14年4月8日に出直されるまでは、対外的なトップリーダーだったことは確かである。

秀司さんの奥さんの若き妻である「まつゑ」さんも明治15年11月10日に32歳の若さで出直す。

 

「内を治める真柱」というお言葉もあるように、教祖からの神意を受けて、それを世界に広めるトップリーダーが真柱という役割に期待されいてることは確かだ。

 

天の組織づくりとして、真柱という天職を教祖は早いうちから予告しておいたのである。

教祖の夫の善兵衛さんは、封建時代の男性として、夫として上から目線は最後まで抜けられなかった。

教祖の長男の秀司さんも、世間体があり、地福寺の配下になったりと、神意をまげる癖があった。そして天意に沿いきれずに、100歳まで生きることが保証されていたが、本人は命がけで、自分のやり方を通して教祖より先に亡くなった。これは天罰ではなく、本人が因縁によって倒れたまでであり、来世での活躍が期待されていた。 

 

そして、3人目の候補者として、外孫の真之亮(中山新治郎)が中山家の養子として入る。これはもちろん教祖の神意による人事異動である。  真之亮さんがお春さんの中で懐妊しているときから、真柱として予告されたことなど、以下の深谷忠一氏の考察(「たましいの因縁」『グローカル天理』2015年)は以下を参照。

https://www.tenri-u.ac.jp/topics/oyaken/q3tncs00000xrj8e-att/GT187-fukaya.pdf

 

 

教祖も、本席となられた伊蔵さんも、神がかり状態のときは、真之亮のことを「真柱」と呼んでいた。若い真柱は当時の弾圧の中を通っていかねばならなかった。

 

若い真之亮は、最初、梶本家の亀蔵として生まれたが、梶本家では養子に出せないという惜しみがあり、すぐに出直した。再度、慶応2年5月7日に生まれたのが真之亮であった。真之亮の母のオハルさんは、教祖の三女であり、中山家の親族である。  

 

「真実に神の心の急き込みは 真の柱を早く入れたい」

原文「しんぢつに神の心のせきこみわ しんのはしらをはやくいれたい」(『おふでさき』第3号8,  明治7年1月より)

The heart of God is truely urging you to install the central pillar as soon as possible.  

 

『おふでさき』第3号にも真柱に関する多くのお歌があり、真柱の役割の重要さが、この時代になってようやく実現性を予告されてきたといえる。そこには救済を急ぐ神の心が、真柱の実現に込められている。  

 

この度は内を治める真柱 早く入れたい水を澄まして (3号56)

この世を始めた神の真柱 早くつけたい神の一条 (3号118)

 

【付記:心の普請と真柱】

 ただ、真柱とは心の普請と本当は関係があり、人間一人一人が、心の中に真の柱を立てることが、求められているのです。

魂を磨くことは永遠の作業であり、たまたま真柱という役割がその頂点にモデルとしてあるにすぎない。

私達一人一人が、主体性をもって、神の詞をしっかり受けて、魂の錬磨を続けていかねばならないのです。

 

 

 

 

 

 

「てのひらの戦争」と言われるほど、ウラクナでの戦局のゆくえ、国連決議の様子などは、

情報戦を伴って世界の人々に伝わっている。

 

2年前に神様から驚くことが起きるという預言があり、コロナ禍が広がり2年たち、

さらに、今回は戦争という事情である。これは神様の心とは対極の人間心の最悪の自由用の形態である。

 

人間の心は自由で、自由の心を主体的に使って、善なる方向に使えば、神様はさらに守護される。しかし戦争を起こし、人を殺すという心にも同様に神様は守護されている。理としてかしもの・借り物の理の世界で、戦争するのも侵略されるのも等しく神様から見て、可愛い我が子であり、人間は一列に神の子供である。その子供がお互いに兄弟喧嘩をして、殺し合いをしている。

 

プーチン(Valdimer Putin)という一人の指導者のもとで、その国家の兵士たちは命令一元化の指揮系統の中で、殺戮を繰り返す。演習のつもりが、国境を越えて、殺戮に関わる。 人を殺したことも実戦経験もない若者たちの士気は低いといわれている。停戦協議の最中も戦闘は続く。義勇軍も世界から数万人も来ているという。

 

他方で、100万人の避難民が国外に脱出し、EU側は無料で鉄道に載せ、ドイツなどではボランティア家族が無償でウクライナの家族を引き取るという(『朝日新聞』2020.3.6朝刊)。この非常時に異例の善行も実施されている。ホームレスや里子を受け入れる日本の、末端の天理教の教会なみである!。優しいドイツ国民の真情が出ている。非常時にこそ真に人間の本性があらわれる。  

 

愚かな指導者を頂くとその国民全体も同時に惨事に巻き込まれててしまう。 

指導者、トップのモラルリーダーップがあるのか、悪魔のカリスマ・リーダーシップか。

 

地場のトップのリーダーである眞柱は身上でたおれ、中山家親族中心の指導体制で教団は停滞し、干上がっている。

それが世界に同様の理で、ロシアのトップの横暴で、ロシア国民は恥をかき、侮蔑や差別の対象にもされ始めている。 

 

今回の戦争の事情は、神様が世界に見せている大きな仕込みである。戦争の愚、愚かなリーダーの愚という人間心は「これ以上必要ですか」ということを明々白々に世界に見せているのだろう。  

 

教祖の御啓示にもある。

「これからは唐と日本を分けるでな これ分かりたら世界治まる」

原文

「これからハからとにほんをハけるてな これハかりたらせかいをさまる」 (『おふでさき』第2号34)

 

神様の善なる意思が日本として、それに反対する人間心、悪の心が唐と形容されている。世界平和、No WARの心が神様の心として、戦争をおこす人間心が他方にある。「今さえよければ、我さえよければ、金さえあれば」というのが人間心である。

 

神様は善と悪とを明確に仕分ける。 そして現在、世界は善を求める。神様を求める心がグローバル世界では強くなっている。しかし人間心が続くかぎり、世界は治まらない。

 

日々多くの犠牲者が「てのひらの中」で亡くなっていくのは、つらい。しかし、それをそのまま受け取って、心の底から真の平和が戻ることを祈ることしか今はできない。

 

絶望的な展望はいつまでもつづかず、かならず治まりの道が見えて来るはずである。

 

「今の道いかな道でも嘆くなよ 先の本道楽しんでいよ」

原文「いまのみちいかなみちでもなけくなよ さきのほんみちたのしゆでいよ」 (『おふでさき』第3号37)

Do not despair of the condition of your present path. Look forward with delight to the true way of the future. (Tr. by Inoue an Eynon[1987])

 

戦争はいつ終わるか誰にも分からない。だが、絶望をしていはけない。越えられない山は無い。

自由と民主主義が善なら、独裁主義、戦争は悪であり、続く理はない。

 

一日も早く戦闘が終わり、ウクライナの人々が祖国に帰国できる日がありますように。

 

合掌  

 

 

 

キエフの聖ミカル教会(ウクライナ正教会の寺院)で、ウクライナの若いカップルが急遽結婚式をあげたことが報道されいていた。

男性はウクライナの正規兵で戦場へ、若い妻も志願兵となるということで、若い二人は急いで結婚だけはしようということらしかった。

ウクライナには長い正教会による宗教的伝統があり、東ローマ帝国の流れにつながる東方正教会が生活の中に根付いている。

同じ国の中でも西はウクライナ正教会に、しかし東ではロシア人も多く、ロシア正教会につながっている教区も多いそうだ。

 

 

実際に独立したウクライナ正教会(autocephalous Orthodox Church of Ukraine)に所属したのは7000教区、ウクライナ人正教会(the Ukrainian Orthodox Church、別名モスコー正教会)には12000教区がつながっているそうだ。

ウクライナの宗教はウクライナ正教会だけでなく、カトリックもユダヤ人も無神論者いる。ウクライナ正教会に熱心に通う人は60%と意外と少ない。しかしイースター、クリスマスには皆が教会へ参集し、子供は残らず、洗礼を受けている。ウクライナ人としてのアイデンティティが強まったのは、ソ連崩壊後に、ウクライナとして独立して以降だそうだ。ソ連の中では、教会はクレムリン政府によって厳しく統制されていた。そして、今でもロシア政府はロシア正教会を厳しく統制しているだろう。

 

 ウクラナイ正教会は2018年、2019年にロシア正教会から分離独立したことが東方正教会の中で確認されたそうだ。

ロシア正教会の管轄下だったウクラナイ人たちの教会が反ロシア的になったのは、2014年からである。この時、ロシアによる東部地域の侵攻から始まった年である。しかし、ロシアもロシア正教会も、その独立に反対したそうだし、ウクライナの宗教的精神が西側に向かって、改革されることをプーチンはひどく嫌ったという。 プーチン一人で起こした戦争は宗教戦争ともなっている。

 東西ローマ帝国の分断は民族的に分断からもともと起きたと思われるが、今回のプーチの西側への敵意の背後には、カトリック圏、プロテスタント圏への敵意がある。

 

今回のロシアによるウクラナイ侵略は、2つの正教会同士の戦争を引き起こしてしまっている。ロシアの兵士はロシア正教を信じているし、ウクライナの兵士はウクラナイ正教会を信じている。

 

アメリカでソ連崩壊以降から、NYでウクラナイ正教会の大司教をしている聖職者の発言がありました。ウクラナイ正教会は、ロシア正教会は過去の教訓を繰り返しているにすぎないと発言している。ただ、どちらも平和を祈りつづけている。

 

 

 

 ロシアによるウクライナ侵攻をロシア正教会が追認しているらしいのです。それがreligious politicanに表現されていました。

ウクライナの大司教は、ロシアの大司教(Moscow Patriarch Kirill)は「a religious politician」と語るのです。  

ロシア正教は平和の祈りを続けていると言いながら、政府の蛮行を正当化しているようです。

 

ロシアによる侵略に対して、ウクラナイ正教会の大司教は、「プーチンは反キリストであり、現代のヒットラーである」と語り、そしてロシア正教会の大司教をあざける演説を教会のミサでしたという。 モスコーよりの教区もカトリックもウクライナ人はすべてロシアの侵略には反対だという。 

 

 

同じ正教会の信仰をもったもの同士が、戦争をすることに深い悲しみがあります。同じ神を信じながら、その民族や歴史の違いから人間同士が殺し合うという。ソ連が一つの時はそのようなことはなかった。しかし、ソ連崩壊後、西側に文化的にも開かれるウクライナの在り方をプーチンは嫌った。 こうして平和を信じながら、同じ信仰の伝統をもちながらも、ロシアは武力でロシアよりの傀儡政権の樹立をめざす。  

  独裁国家の末路がどうなるのか、我々は歴史的な目撃者として事態の打開を祈るばかりだ。

 

プーチンの思考構造は「ウクライナはロシアの領土であり、ロシア正教会による精神的かつ領土的な支配が及ばねばならない。」正教会は元来、国会主義的な志向性が強いが、ロシア正教会による失地回復(かつてのロシア帝政のもとのロシア帝国の版図の回復)の野心とプーチンの政治哲学が結託して、今回の侵略が起きたという。2019年のウクライナ正教会がロシア正教会から独立したことは、全くゆるされなきことであった。これが戦争を原因だとアメリカの元軍人・歴史家は語る。

 

正教会の国家主義がいかに悪い方向にいくか。 またcivil religionの悪しき例としてのアメリカ国会議事堂襲撃事件もあるという。

 

 

 

  

 

 アメリカのヴァージニア大学で世界で唯一の前世の記憶や臨死体験など人間の魂の行方に関することを研究しているセンターがある。Division of Perceptual Studies(DOPS)という。そこを率いた博士が、Ian Stevenson 博士[2018-2006]だった。大変な読書癖(voracious reading)があったという。

 科学の還元主義的な手法による生化学やフロイト的な精神分析に限界を感じ、精神療法の分野に研究を進めた。その中で、前世の記憶をもつ子供たちの事例をインドや世界各地で蒐集するようになった。ゼロックスが研究資金を出して、大学行政的なことはせず、世界各地へ調査旅行に出られるようになったという。

 子供の体に前世の傷痕のマーク(birth marks, birth defects)がある200人の事例研究(2巻、2268頁)が最大の業績だという。

弟子のエミリー・ウィリアムズ・ケリーによる以下の追悼録が博士の業績を回顧している。

https://med.virginia.edu/perceptual-studies/wp-content/uploads/sites/360/2015/11/Stevenson-s-Obit-Emily.pdf

 

とはいえ、子供の前世記憶の研究事例は2500ケースを超えて、その研究が日本でも有名です。

1986年に最初に『前世を記憶する子供たち』が刊行され、2016年に改訂版([Children Who Remember Previous Lives: A Question of Reincarnation, rev. ed.])が発行された。角川文庫でその改訂版の翻訳『前世を記憶する子供たち』が2021年に出ている。

 

前世の存在、死後における魂の残存という非物質的だが、人間の根幹に関わる事柄について、東洋人は一般に自然と受容している。

しかし、科学が発達して、キリスト教の思想影響が高いアメリカでは、生まれ変わり(reincarnation)については、懐疑的な人が多いそうだ。そうした外部環境の中で、博士が世間の冷たい視線を超えて研究された姿勢には頭が下がる。亡くなる前に、自分を生んでくれる、 次の親はどこにいるのだろうかと語ったそうだ。多くの弟子を育てたが、血縁の子供には恵まれなかった。 

 

 科学的に集積された、前世を記憶する子供のデータから、魂の永遠性の真偽が確証されたわけではない。ただ魂の永遠性以外の説明が困難であり、魂の永遠性の立場から説明したほうが妥当性がより高い、有効性が高い、腑に落ちる説明原理となっていることだけは、アメリカの科学誌で評価されているそうだ[竹倉史人(2015)p.164-167]。  またより重要なことは、アメリカ精神医学会の手引きにも前世に関する文化的資源がレジリエンスに有効であることが、最近の研究でもあきらかにされつつあるそうだ[同,p.168-170]。

  

   さて、教祖(おやさま)は、肉体かしものかりもので、心ひとつが我がの理であること、魂は永遠であることに関連して、生まれ変わりに関する話を良くされた。信じるが信じないかは、その人次第だが、現世の陽気暮らしを教える天理教の教えにおいて、生まれ変わりの意義とは何か、それを考えることは重要な課題だと思います。

 

 生と死は裏腹にあり、東大でも「死生学・応用倫理研究センター」がCOEの研究を継承している。死の見取り、臨床的ケアの分野も射程にあるそうだが、ぜひ、生まれ変わりに関する研究も入れて欲しい。   

 

 さて、普通は前世の記憶は誰にもないが、博士の研究によれば、

2,3才からはじまり、7,8歳まで前世の記憶がよみがえる事例が多いとされています。

 

アメリカのTV「死者の記憶をもつ子供たち」(Prime Video)の事例では、以下の3事例がありました。どれも親が驚き、子供が何度も前世の辛い記憶を思い出して苦しむことで、大変な育児の苦労をしました。  

 

1.第二次世界大戦で硫黄島で撃墜されて亡くなったパイロットJames Houston Jr.の記憶をもったJames君。

  ジェームズ・レイニガー君の事例は、以下のサイトの5番目でも紹介されていました。

 

 

 

2.オクラホマ州の連邦ビル爆発事件の犠牲となった保育士の女性で、今はCarsonという名の女の子。

 

3.NY貿易センタービルの崩壊で死亡した記憶を鮮明にもった男の子Cade。 

 

1のJames君は両親が硫黄島に連れて行ってくれて、そこで過去の思い出から断ち切ることができるようになったそうです。それでも、大きくなったら、米国空軍のパイロットにまたなりたいと言っています。前世に積み重ねた能力や志向性が今世にも大きく影響することがわかります。   

 

 若い両親は、子供しか知らない前世の記憶を語り始めたら、しっかり聞き取ってあげて欲しいと思います。

 

 それは子供の魂の軌跡を理解し、今後のあるべき人生の方向を支援するために是非必要です。

 

 前世の記憶が残存している場合、それは乗り越えねばならない大きな精神的トラウマとなります。

 

 人間がさらに生きていくためには乗り越えねばならない人生の宿題が一人一人違うのです。  

 

 前世にやり残したことが、今世で引き継がれるのです。そこに魂の物語があり、世界の救済の物語も始まるのです。

 

 

 

 

 

教祖(おやさま)が御身を隠された後、その天啓を継承されたのが、天職名が本席である

飯降伊蔵様であり、その天啓録が『おさしづ』です。彼が出直す(お亡くなりになる)直前に「百日さしづ」があり、

これは、本席様の遺言であり、機械不在(天啓者不在)の天理教の教団体制の行方を神様

が危惧されて残された啓示群である。

 

本席様のが亡くなるのが明治40年6月9日です。その直前のご啓示が以下です。

 

『さあ/\何も彼もの話一條、事情出掛けたら、どうでもこうでも治めにゃならん。何でこう成る彼でこう成る、この心は一つも持つのやない。どうでも道という理から心を定めてくれ/\。皆あちらこちら皆一つの中である。ほっと思う、何と思う心ではどうもならん。そういう心ではいかん。この半ばに一つ事情を治めてくれにゃならん。惣々の中であるによって、ほっと思う心は違う。 一つ事中の一つ思いの理を晴らしてやってくれよ。』

 

「ほっと思う、何と思う心ではどうもならん。」というお言葉の中に、神様が本部員たちの信仰心を厳しく問うています。

これは今でも当たる十分な諭しです。

 どんなに神様が話しかけても、それを受け取る側の人間に、それを十分に受け取るだけの信仰心や主体性がなければ、神の詞も無駄になってしまいます。人間の側に理を求め、理を信じる信仰心がないと、神様はそこにいることが出来なくなるなのです。

 

ウクライナにロシアが侵攻し、軍事拠点がミサイル攻撃され、空爆され、チェルノブイリは掌握され、民間施設にも死者が出ている。

首都キエフにむけて、制圧も時間の問題らしい。26日には、日本の貨物船もミサイル攻撃された。

プーチン政権はソ連時代の栄光を求め、ウクライナのNATOよりの政権の転覆を目指す。

まさに自己利益のために、独裁者として戦争を起こしています。

ロシア国民の戦争反対派のデモには逮捕者があり、言論も抑圧されてている。

ロシア兵をなじる女性の映像がBBCであったが、ロシア兵も大義を感じているのか?

 

 

 

世界の治まらない戦闘状態の中、地場の理を求める信仰者は、しっかりと心をつくり、平和の祈願をしないといけません。

本日は地場の大祭の26日です。

 

「この半ばに一つ事情を治めてくれにゃならん。」

天啓の継承が断絶し、この道はまさに半ばで、途切れた状況です。この時点から115年もたって、存命の理はすでに十分に形骸化し、親の声が聞こえず、「惣々の中である」地場の失態が続きます。

 

「ほっと思う心は違う。」

神様のお話は十分分かっている、勉強も研究も必要がないと思う心は、ほっとした心です。

神様は何を思われているのか、世界の事情から、わが心の愚かさを悟り、さらにさらに磨いていく決心が問われています。

 

「どうでも道という理から心を定めてくれ」

この道は天直々の指導から始まり、永遠に地場において、歴代存命の理が顕現しなければならない。

地場の理が世界を治める求心点として、地場の理が現れた意味がそこにあります。

その理を心におき、地場に機械が不在なら、次の機械を求める研究心が必要です。

そうした研究心があって、理を心から求める態度、決意が必要です。

まず理の所在が分かったものが、しっかり心を治めないといけません。

 

 

地場の理を求めて

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 平成時代の『神の詞』の続きです。平成2年(1990)年の12月末に多くのお歌の啓示が少女にありましたが、第9回目のご啓示は、以下の11首のお歌(番号は解説のために新たにいれました。)でした。 前回、信仰心を強くもつことが神様から促され、本人にもその自覚が

芽生えはじめていました。しかし、疑い心が完全になくなったわけではありません。そんな少女の内面を知っている神様からさらにお知らせが来たのです。

 

平成二年十二月十九日午前0時三十五分

1.  魂の 中の答えに 従えば  神の心に 添うた生き方

2.  従うか従わんかは その者の   心の強さ 素直な心

3.  少しでも 従おうと思うなら  何も案じな それが本道

4.   これからは ちょとの心に 力貸す どんな根深い 因縁来ようと

5. いろいろな 悪因縁が でるやろう 従う心に 陰が見え来る

6. その時は 今の心に 神が乗る 受け取る心は 大きなものやで

7.後まわし 目の前だけは 事済んで 心の奥に 仕事は残る
8. 仕事はな その時々に するものや できるように なっているのや

9. 最初から 重い仕事は させんから ただ素直に 従うてくれ

10. 〇〇のこと 神が一番 知っている 無理な事は 決してさせん

11.   ついて来る その一言で 事は済む  今日の仕事は これで終わりや
                                                   00  拝す合掌

 

<釈義>

 神の詞に対して、心の中で聞いているのですが、それを素直に聞けるのは魂がきれいな証拠です。魂の中にそのような力強い力が存在しているのです。そして神の心に沿えば、人に優しい、明るい、感謝と喜びに満ちた生き生きとしてた人生が歩めます。

 日々のその確かな心得が、人生の大道である本道へとつながるのです。 

 

因縁とは?

 しかし、人生は決して平たんなものではありません。4年間オリンピック目指してきたが、氷の穴にたまたまあたってしまい、ジャンプができないこともあります。そうした人生上の困難があり、災難、または病気にもなります。 

 それは天理教ではむかしから、そうした諸事情は因縁によるとされています。

 因縁は元々仏教用語のようですが、人間がまいた悪い心の種がたまって、ある時期に悪い芽を出すという意味で、悪い因縁が起きると信じられています。

 少女にも実は因縁があり、この後、啓示という御用があるたびに、歯痛に悩まれます。それは本人の悪因縁を利用して神様が、本人の魂を掃除しているのです。   

 何もない時は、そのまま普通に通れます。しかし辛い事情や身上(病気)になることもあり、その際は、目に見えぬ陰の力に視野が開かれるのです。自分が犯してきた罪を自覚し、目に見えぬ神様からの広大な守護に目覚めるのです。

 神様は目には見えませんが、人間から頼られることを待っています。 信じるものには,思わず大きなご褒美もあるでしょう。

 

仕事とは?

 後半は仕事に関する注意です。まだ高卒で、修養科を終わったばかり。自宅に来る多くの信徒さんもいる中で、洗濯や掃除など家事手伝いが主な仕事です。お父さんのように、人に教えを説くにはまだ若すぎます。

 日常の雑事に追われて、心が散乱してもいけません。一つ一つ丁寧に仕事をすませながら、本当に大切なのは心をつくるという仕事なのです。心をつくるとは、どんなことにも喜べる人間になる力を養う事です。

 人は少しのこともに不平や不満をこぼします。それはすべて汚れた人間心です。

 不安になったり、怒ったり、暗い気持ちになったりと汚れた多くの心が習慣化されています。それは癖の心ともいわれています。

 

啓示者の仕事?

 19歳の少女には、啓示からくる重責は大変なものだと伺いました。それは本人の魂と神様の間だけにしか分からない世界のことのようです。啓示はいつ来るか分からないし、啓示がかかるということは、本人の魂にものすごいプレッシャーというか責任が掛かってくるらしいのです。

 そんな重責感には普通の女の子なら押しつぶされるかもしれないほどです。

 しかし、神様は「無理な仕事はさせない」と言われるのです。神様の優しい言葉です。

 正面切って、「においがけだ、おたすけだ」などと気張って無理な仕事をする必要は全くないのです。ただただ、日々を明るく感謝と喜びの心で通れば、それでいいのです。

  00とは少女のリアルな実名ですが、ここでは伏せておきます。00は別に少女だけでなく、これを読んでいるあなたのお名前でもいいのです。人間の一人一人の心をすべて見て、守護されているのが神様のスーパーコンピュータぶりです。

 

 ただ、「神様についていきます。神様の今の声についていきます。」

  この決意があれば、あとはいいのです。

 その決意が本人を生かし、人類を生かす決意の心となるのです。

 

 

 

 

 

 

 

天理教の原典の一つ、『おふでさき』は教祖が直筆で書かれた、天啓録であり、今なお永遠の真理を伝えている。

ここで、すこしその一節の現代の視点で捉えなおす試みをしてみよう。

 

『おふできき』2号は「明治2年(1869年)3月に72歳の老女が書いた」と表紙に書かれている。

江戸から明治へ、封建的な武断政治、徳川の治世から、維新政府による近代国家へと、その国づくりは始まった激動の時代の日本という時代状況があった。廃藩置県もなく、政府の財源も不安定である中で、大久保や岩倉が先頭切って、東京城のなかで維新政府が動き出していた。

 

大和の国の片隅で、以下のご啓示があった。

 

「これからハからとにほんのはなしする
なにをゆうともハかりあるまい」 (2-31)

 
現代風の日本語表記にすると、
 
「これからは 唐と日本の話する 何を言うとも分かりあるまい」

 

英文(井上昭夫・Mattew Eynon)訳では、

 

From now on , I shall speak of the initiated and the uninitiated.   

No matter how I explain, you cannot easily understand it.  

 

<注釈>

唐(から)は中国の古代王朝の名称で、江戸期は清国であったが、国粋主義的な意味で解釈するとおかしなことになる。

井上訳の意訳で分かる通り、信者/非信者の意味で、唐/日本を訳し分けている。 

唐とは神様の心が分からない人間心であり、日本とは神様の心を分かる心であり、信仰心の正しさを対比させる

ために、唐/日本という比喩が使われているのである。  

神心/人間心の違いがわかるだろうか? この違いが信仰心の尺度をつくる基準となる。

天理教だから偉いとか、教会だから偉いとういことはない。一人一人の心の内面で、神様にそった心をつかっているのか、

使っていないのか。そうした主体的な人間の心の在り方に対して、神様からの眼差しがこのお歌に込められている。

 

明治時代には福沢諭吉による啓蒙主義的な思想が広がり、文明開化の新しい時代へ進む。

明治初期には廃仏毀釈があるなど、宗教界も混乱状況ににあった。

そうした表面的な世界の激動の背後に、世界を動かす神が、人間心と神心という新しい信心の世界を

切り開き始めていたのである。  

151年前の神のお言葉は、永遠の響きを以て、コロナ禍の今なお私達の心

に問い続けている。その世界をさらに追ってみよう。  

 

 

 

平成二年(1990)の年末にかけて、実は10度ほどご啓示が続きました。それをこれから見ていきます。まず、12月15日の未明に2度のご啓示がありました。第7回、第8回のご啓示を以下記載します。  それぞれ4首と1首の和歌でした。

 数字の番号は解説の便宜のために入れました。 00はこの女性の下の名前ですが、匿名にしておきます(今後も同様)。 

 

平成二年十二月十五日午前二時
 1. 日々に 心を積んで 通りたら  後は楽もし 道があるのに

 2. 今までは うかうか通り いるけれど  心が幼い ゆえのことやで

 3. 成人を うながされたる その日から 地に足つけて ついてくるのや

 4. 地は地でも 心の中の 大地やで  魂の根で ふんばるのやで
                           〇〇 拝す合掌

平成二年十二月十五日午前二時四十五分

 人間は 疑い深い ものやけど  信じなければ 道は開かん
                           〇〇 拝す合掌

 

 前回の第6回で、不思議な啓示現象を体験していることが神人問答的にあり、魂の答えを出すことが少女に求められていました。神様は人間が本真実の心になれるかを求めているのです。しかし、そこには人間の主体性、信仰心の有り方が問われます。そうした内面の発露を見透かして、神様から強い信仰心がここで強く求めらているのです。

 

1は人間の運命は人間の心の在り方で決定される、主体的なものであることが根源的に明かされています。 日々にほこりの心を積んでしまうのか、神の心に沿った生き方ができるのか。この二社択一の選択が信仰の世界では、いつも課題となります。 神様は親であり、教師であり、人間は親の子供であり、生徒であります。  親のいう事を聞くか、先生のいう事を素直に聞くか?  

 

2は、少女の個別具体的な心のレベルが「うかうか」として揶揄されています。 神様は目には見えないので、また己の心の使い方は、己の心の自由なので、悪く言えば、わがままで気ままなのが普通の人間の心の在り方です。 形に左右されて一喜一憂するのが普通の人間の心です。 感染者数の急拡大で、だれも心を暗くしがちです。 しかし、それは「うかうか」なのです。  これまで何億年にわたり、宇宙を作り、人類を育ててきた神様の広大な守護を無自覚に送って、人間は好き勝手な心使いをさんざんにしてきました。その結果、経済競争があり、自然環境の破壊、温暖化でガイアは大変な状況に陥り、パンデミックによる人類規模での文明の行方が心配されている状況です。  

  生きているのは、当たり前ではない。有り得ない、有り難いことであるという真実に目覚めないと、うかうかして過ごしてしまうのです。

神戸の震災、東日本の大震災と災害が続き、第6波の感染拡大。終息したと思ったら、年末年始にかけて、人々の心の緩みからか、また感染拡大です。 1月14日は東京だけでも4000人を超えました。 

 これは「うかうか」していたから、再度のお仕込みということのように思われます。 信じる人は、心を緩めていけないのです。

  生きていることの有り難さが今こそ仕込まれています。形の世界に心を汚されることなく、神様の広大な守護の心に目覚められるか?

 

3,4は信仰心の強さがあるのか、厳しく問われています。  成人とは天理教独自の用語で、「心の成人」を意味して、私利私欲の人間心から、利他の心、親心、広い優しい素直な神心へと成長することを意味しています。この成人には限界がなく、人間力をどれだけあげれるかということです。  「幼い」子供から大人へ。 頼る人間から頼られる人間へ。 他律から自律へ。 自分で自分を律して、心の成人を遂げて欲しいという神様の大きな慈悲の心は普遍的な精神でしょう。  

 「心の中の大地」、「魂の根」という表現を通じて、目に見えない心の在り方が空間的に形容されています。 

 

そして45分後に、一首、信仰の疑惑から信心とは何か、信仰心そのものを問う、お歌が出されました。みかぐら歌にもあります。

 

 「一ッ ひとのこころをいふものハ うたがひぶかいものなるぞ」 (六下り) 

 

人間の心は自由であり、神様を疑う自由の心も許されています。神様は人類が陽気暮らしをするために、人間に自由の心を与えました。

しかし、その自由の心が本当に自由になるためには、人間のわがまま勝手な精神ではなく、神の心に合わせるというパラドックスがあるのです。

 

 これは信仰のアポリア(難問)であり、キリスト教神学でも重大な問いでしょう。 幸福になるために、宗教心とか信仰心は必要か?

 

 「うかうか」や疑惑を乗り越えて、強い信仰心をもてるか?

 

 少女は人類を代表して、その試金石となっていくのです。 

 

(つづく)

 


 

再度、第6度目のご啓示を味読します。 

 

平成二年十二月十一日午前一時二十分                  

 1.  真実の 心をすぐに つくりたら    すぐと受けとる それが神やで

 2.  心にも 神の思惑 映しおく    魂で感じ 考えよ

 3.  魂で考えたこと 人間の心   と違う 確かわかるか

 4.  感じたら すぐに答えを 出してみよ   神は答えを 待っているのや

 5.  その答え 自分で出して いるやない   神が教えて いることを知れ

 6.  このような 不思議な事が ある事を   肌で感じて しかと信じよ

 7.  心には 人が信じられぬこと   映ってくるで これが不思議や

 8. この世の事は すべてが神による  人がどうにも できんことやで

                                    OO 拝す合掌

1のお歌は、OOさんに起きた最初のご啓示である、「しんじつ心を添えて願うなら 神をうけとるしかと見ていよ」と大変似ているお歌です。

神と人間との根源的な関係性が説かれています。 人の心をすべて神様は見ている、そしてすべて受け取っているという意味です。中国で、ネットの情報がすべて国家で管理監視されている以上に、全知全能が神様、目には見えない神様が人類一名一人すべての心を見ているのです。

 人の心を受け取って何を神様はされているか? すぐと受け取って、人間は行為がすぐにできているということです。仕事をする。勉強する。人と交流する。形の世界、有形の世界で生きている我々は肉体があり、自然界の中で暮らす。この肉体をお貸ししてくださる神様の御守護の上にたって、すぐの御守護で身体が動いている、生きているということです。  今実現していること、そして未来に実現することもすべて形の世界は目には見えない神様が働いておられる。

 

2,3は神様と人間の魂の考え、心の在り方との関係性が説かれています。神様には思惑があり、人間世界を創造し維持し、陽気暮らしをして欲しいという根源的な理想があります。大いなる慈悲の心があり、親心があります。存命の月日、教祖の今なる思惑が、神様の心であり、その思惑が魂に映ってくるのです。こうした啓示は特定の一部の人間にしかできない不思議な役割ですが、私たち人間はそうした神様の思惑があることを、この日本語を通じて客観的に普遍的に理解することが出来ます。 

 神様の思惑は、天保9年から教祖を通じて初めて明かされました。従来の宗教や信条があろうとも、そこに新しい神が顕現されたのです。元の神であり、実の神が、教祖を通じて現れた。その神様の思惑は、人間の心とは明らかに違う。その違いがわかり、信じれることが魂の力です。 人間心から神の心に切り替われるか。この違い(difference)が分かることが、第一に求めらられています。人間はこれまで文化・文明を発達させ、現在はグローバル化がパンデミックとともに急速に意識されています。そうした人類全体に、これまでの利己主義、刹那主義、短期的展望の狭い視野を捨てて、大きな神の心に目覚めることが求められているのです。

 魂の目ざめが、「神の詞」の大きな目的の一つだと思われます。天理教が始まって、185年目ですが、最新の啓示は、心よりも魂という用語に軸足が移り、人間の本性、人間の魂から生まれる本史実の目覚めを促しているのです。  

 

4,5は神様の思惑を感じた人間が、本当に目覚められるか、その主体性が問われています。せっかく神様から求めらえても、受ける側に人間は、軽く取ることも、無視することもできます。他人ごと、人ごとに受け取ることも可能です。20歳近い女性も、本心の中で、その受け取り方に逡巡したかもしれません。その辺のニュアンスが、神と人の心の応答として、4,5に現れているように思われます。すぐに答えを出せという神様からの切迫した問い合わせがあります。 一種の強制力から信仰が求められているのです。そして答える人間の心も実は、神の教えに沿っているという。神の心と人の心が一体的になっているイメージがここにあります。  

 

6,7は、内面に映じる神様からの巨大なメッセージについて、本人はリアリティとして体験はしています。しかし自分以外の他人には全く未知の出来事として、 これは不思議な現象だという神様からの確認の言葉です。  異常(アブノーマル)な精神として、精神病理学、異常心理学からは普通は解釈されて、それで終わりです。スピリチュアル系の人たちは、多くおられて、運命や前世などについて教えてくださいますが、 これは信じる世界での話です。  人間が生きる意味は、科学的な事実からは類推することしかできないですが、知識の源泉には、実は啓示の知識の直接知、本能的に感じ取る知識、直観(intuition)とも関係していることが今では分かっています。

  

  神様からの知恵が正しいか否か、それは信じて体験する世界の中で確証されるものです。それが結論として8で語られています。

 

8. すべてのこと、有形の世界のこと、経済も政治も、パンデミックもすべて出来事は、神様が支配されている中で起きている。人間にはどうすることもできないという決定的な教えがここにあります。 人間にできることは、心をつくること。形の世界をいかに自由の心で喜んでいけるか。 主体性のカギは、人間の心に全く委ねられているのです。  

 どこの宗教でも有形世界の諸行無常が説かれ、形をこえた精神の世界が求められていて、それは天理教の教えでも同じです。