「天理教」は宗教か、真実の教えか -12ページ目

「天理教」は宗教か、真実の教えか

「天理教」に関するまじめな宗教学的、神学的な考察

 アメリカのヴァージニア大学で世界で唯一の前世の記憶や臨死体験など人間の魂の行方に関することを研究しているセンターがある。Division of Perceptual Studies(DOPS)という。そこを率いた博士が、Ian Stevenson 博士[2018-2006]だった。大変な読書癖(voracious reading)があったという。

 科学の還元主義的な手法による生化学やフロイト的な精神分析に限界を感じ、精神療法の分野に研究を進めた。その中で、前世の記憶をもつ子供たちの事例をインドや世界各地で蒐集するようになった。ゼロックスが研究資金を出して、大学行政的なことはせず、世界各地へ調査旅行に出られるようになったという。

 子供の体に前世の傷痕のマーク(birth marks, birth defects)がある200人の事例研究(2巻、2268頁)が最大の業績だという。

弟子のエミリー・ウィリアムズ・ケリーによる以下の追悼録が博士の業績を回顧している。

https://med.virginia.edu/perceptual-studies/wp-content/uploads/sites/360/2015/11/Stevenson-s-Obit-Emily.pdf

 

とはいえ、子供の前世記憶の研究事例は2500ケースを超えて、その研究が日本でも有名です。

1986年に最初に『前世を記憶する子供たち』が刊行され、2016年に改訂版([Children Who Remember Previous Lives: A Question of Reincarnation, rev. ed.])が発行された。角川文庫でその改訂版の翻訳『前世を記憶する子供たち』が2021年に出ている。

 

前世の存在、死後における魂の残存という非物質的だが、人間の根幹に関わる事柄について、東洋人は一般に自然と受容している。

しかし、科学が発達して、キリスト教の思想影響が高いアメリカでは、生まれ変わり(reincarnation)については、懐疑的な人が多いそうだ。そうした外部環境の中で、博士が世間の冷たい視線を超えて研究された姿勢には頭が下がる。亡くなる前に、自分を生んでくれる、 次の親はどこにいるのだろうかと語ったそうだ。多くの弟子を育てたが、血縁の子供には恵まれなかった。 

 

 科学的に集積された、前世を記憶する子供のデータから、魂の永遠性の真偽が確証されたわけではない。ただ魂の永遠性以外の説明が困難であり、魂の永遠性の立場から説明したほうが妥当性がより高い、有効性が高い、腑に落ちる説明原理となっていることだけは、アメリカの科学誌で評価されているそうだ[竹倉史人(2015)p.164-167]。  またより重要なことは、アメリカ精神医学会の手引きにも前世に関する文化的資源がレジリエンスに有効であることが、最近の研究でもあきらかにされつつあるそうだ[同,p.168-170]。

  

   さて、教祖(おやさま)は、肉体かしものかりもので、心ひとつが我がの理であること、魂は永遠であることに関連して、生まれ変わりに関する話を良くされた。信じるが信じないかは、その人次第だが、現世の陽気暮らしを教える天理教の教えにおいて、生まれ変わりの意義とは何か、それを考えることは重要な課題だと思います。

 

 生と死は裏腹にあり、東大でも「死生学・応用倫理研究センター」がCOEの研究を継承している。死の見取り、臨床的ケアの分野も射程にあるそうだが、ぜひ、生まれ変わりに関する研究も入れて欲しい。   

 

 さて、普通は前世の記憶は誰にもないが、博士の研究によれば、

2,3才からはじまり、7,8歳まで前世の記憶がよみがえる事例が多いとされています。

 

アメリカのTV「死者の記憶をもつ子供たち」(Prime Video)の事例では、以下の3事例がありました。どれも親が驚き、子供が何度も前世の辛い記憶を思い出して苦しむことで、大変な育児の苦労をしました。  

 

1.第二次世界大戦で硫黄島で撃墜されて亡くなったパイロットJames Houston Jr.の記憶をもったJames君。

  ジェームズ・レイニガー君の事例は、以下のサイトの5番目でも紹介されていました。

 

 

 

2.オクラホマ州の連邦ビル爆発事件の犠牲となった保育士の女性で、今はCarsonという名の女の子。

 

3.NY貿易センタービルの崩壊で死亡した記憶を鮮明にもった男の子Cade。 

 

1のJames君は両親が硫黄島に連れて行ってくれて、そこで過去の思い出から断ち切ることができるようになったそうです。それでも、大きくなったら、米国空軍のパイロットにまたなりたいと言っています。前世に積み重ねた能力や志向性が今世にも大きく影響することがわかります。   

 

 若い両親は、子供しか知らない前世の記憶を語り始めたら、しっかり聞き取ってあげて欲しいと思います。

 

 それは子供の魂の軌跡を理解し、今後のあるべき人生の方向を支援するために是非必要です。

 

 前世の記憶が残存している場合、それは乗り越えねばならない大きな精神的トラウマとなります。

 

 人間がさらに生きていくためには乗り越えねばならない人生の宿題が一人一人違うのです。  

 

 前世にやり残したことが、今世で引き継がれるのです。そこに魂の物語があり、世界の救済の物語も始まるのです。

 

 

 

 

 

教祖(おやさま)が御身を隠された後、その天啓を継承されたのが、天職名が本席である

飯降伊蔵様であり、その天啓録が『おさしづ』です。彼が出直す(お亡くなりになる)直前に「百日さしづ」があり、

これは、本席様の遺言であり、機械不在(天啓者不在)の天理教の教団体制の行方を神様

が危惧されて残された啓示群である。

 

本席様のが亡くなるのが明治40年6月9日です。その直前のご啓示が以下です。

 

『さあ/\何も彼もの話一條、事情出掛けたら、どうでもこうでも治めにゃならん。何でこう成る彼でこう成る、この心は一つも持つのやない。どうでも道という理から心を定めてくれ/\。皆あちらこちら皆一つの中である。ほっと思う、何と思う心ではどうもならん。そういう心ではいかん。この半ばに一つ事情を治めてくれにゃならん。惣々の中であるによって、ほっと思う心は違う。 一つ事中の一つ思いの理を晴らしてやってくれよ。』

 

「ほっと思う、何と思う心ではどうもならん。」というお言葉の中に、神様が本部員たちの信仰心を厳しく問うています。

これは今でも当たる十分な諭しです。

 どんなに神様が話しかけても、それを受け取る側の人間に、それを十分に受け取るだけの信仰心や主体性がなければ、神の詞も無駄になってしまいます。人間の側に理を求め、理を信じる信仰心がないと、神様はそこにいることが出来なくなるなのです。

 

ウクライナにロシアが侵攻し、軍事拠点がミサイル攻撃され、空爆され、チェルノブイリは掌握され、民間施設にも死者が出ている。

首都キエフにむけて、制圧も時間の問題らしい。26日には、日本の貨物船もミサイル攻撃された。

プーチン政権はソ連時代の栄光を求め、ウクライナのNATOよりの政権の転覆を目指す。

まさに自己利益のために、独裁者として戦争を起こしています。

ロシア国民の戦争反対派のデモには逮捕者があり、言論も抑圧されてている。

ロシア兵をなじる女性の映像がBBCであったが、ロシア兵も大義を感じているのか?

 

 

 

世界の治まらない戦闘状態の中、地場の理を求める信仰者は、しっかりと心をつくり、平和の祈願をしないといけません。

本日は地場の大祭の26日です。

 

「この半ばに一つ事情を治めてくれにゃならん。」

天啓の継承が断絶し、この道はまさに半ばで、途切れた状況です。この時点から115年もたって、存命の理はすでに十分に形骸化し、親の声が聞こえず、「惣々の中である」地場の失態が続きます。

 

「ほっと思う心は違う。」

神様のお話は十分分かっている、勉強も研究も必要がないと思う心は、ほっとした心です。

神様は何を思われているのか、世界の事情から、わが心の愚かさを悟り、さらにさらに磨いていく決心が問われています。

 

「どうでも道という理から心を定めてくれ」

この道は天直々の指導から始まり、永遠に地場において、歴代存命の理が顕現しなければならない。

地場の理が世界を治める求心点として、地場の理が現れた意味がそこにあります。

その理を心におき、地場に機械が不在なら、次の機械を求める研究心が必要です。

そうした研究心があって、理を心から求める態度、決意が必要です。

まず理の所在が分かったものが、しっかり心を治めないといけません。

 

 

地場の理を求めて

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 平成時代の『神の詞』の続きです。平成2年(1990)年の12月末に多くのお歌の啓示が少女にありましたが、第9回目のご啓示は、以下の11首のお歌(番号は解説のために新たにいれました。)でした。 前回、信仰心を強くもつことが神様から促され、本人にもその自覚が

芽生えはじめていました。しかし、疑い心が完全になくなったわけではありません。そんな少女の内面を知っている神様からさらにお知らせが来たのです。

 

平成二年十二月十九日午前0時三十五分

1.  魂の 中の答えに 従えば  神の心に 添うた生き方

2.  従うか従わんかは その者の   心の強さ 素直な心

3.  少しでも 従おうと思うなら  何も案じな それが本道

4.   これからは ちょとの心に 力貸す どんな根深い 因縁来ようと

5. いろいろな 悪因縁が でるやろう 従う心に 陰が見え来る

6. その時は 今の心に 神が乗る 受け取る心は 大きなものやで

7.後まわし 目の前だけは 事済んで 心の奥に 仕事は残る
8. 仕事はな その時々に するものや できるように なっているのや

9. 最初から 重い仕事は させんから ただ素直に 従うてくれ

10. 〇〇のこと 神が一番 知っている 無理な事は 決してさせん

11.   ついて来る その一言で 事は済む  今日の仕事は これで終わりや
                                                   00  拝す合掌

 

<釈義>

 神の詞に対して、心の中で聞いているのですが、それを素直に聞けるのは魂がきれいな証拠です。魂の中にそのような力強い力が存在しているのです。そして神の心に沿えば、人に優しい、明るい、感謝と喜びに満ちた生き生きとしてた人生が歩めます。

 日々のその確かな心得が、人生の大道である本道へとつながるのです。 

 

因縁とは?

 しかし、人生は決して平たんなものではありません。4年間オリンピック目指してきたが、氷の穴にたまたまあたってしまい、ジャンプができないこともあります。そうした人生上の困難があり、災難、または病気にもなります。 

 それは天理教ではむかしから、そうした諸事情は因縁によるとされています。

 因縁は元々仏教用語のようですが、人間がまいた悪い心の種がたまって、ある時期に悪い芽を出すという意味で、悪い因縁が起きると信じられています。

 少女にも実は因縁があり、この後、啓示という御用があるたびに、歯痛に悩まれます。それは本人の悪因縁を利用して神様が、本人の魂を掃除しているのです。   

 何もない時は、そのまま普通に通れます。しかし辛い事情や身上(病気)になることもあり、その際は、目に見えぬ陰の力に視野が開かれるのです。自分が犯してきた罪を自覚し、目に見えぬ神様からの広大な守護に目覚めるのです。

 神様は目には見えませんが、人間から頼られることを待っています。 信じるものには,思わず大きなご褒美もあるでしょう。

 

仕事とは?

 後半は仕事に関する注意です。まだ高卒で、修養科を終わったばかり。自宅に来る多くの信徒さんもいる中で、洗濯や掃除など家事手伝いが主な仕事です。お父さんのように、人に教えを説くにはまだ若すぎます。

 日常の雑事に追われて、心が散乱してもいけません。一つ一つ丁寧に仕事をすませながら、本当に大切なのは心をつくるという仕事なのです。心をつくるとは、どんなことにも喜べる人間になる力を養う事です。

 人は少しのこともに不平や不満をこぼします。それはすべて汚れた人間心です。

 不安になったり、怒ったり、暗い気持ちになったりと汚れた多くの心が習慣化されています。それは癖の心ともいわれています。

 

啓示者の仕事?

 19歳の少女には、啓示からくる重責は大変なものだと伺いました。それは本人の魂と神様の間だけにしか分からない世界のことのようです。啓示はいつ来るか分からないし、啓示がかかるということは、本人の魂にものすごいプレッシャーというか責任が掛かってくるらしいのです。

 そんな重責感には普通の女の子なら押しつぶされるかもしれないほどです。

 しかし、神様は「無理な仕事はさせない」と言われるのです。神様の優しい言葉です。

 正面切って、「においがけだ、おたすけだ」などと気張って無理な仕事をする必要は全くないのです。ただただ、日々を明るく感謝と喜びの心で通れば、それでいいのです。

  00とは少女のリアルな実名ですが、ここでは伏せておきます。00は別に少女だけでなく、これを読んでいるあなたのお名前でもいいのです。人間の一人一人の心をすべて見て、守護されているのが神様のスーパーコンピュータぶりです。

 

 ただ、「神様についていきます。神様の今の声についていきます。」

  この決意があれば、あとはいいのです。

 その決意が本人を生かし、人類を生かす決意の心となるのです。

 

 

 

 

 

 

 

天理教の原典の一つ、『おふでさき』は教祖が直筆で書かれた、天啓録であり、今なお永遠の真理を伝えている。

ここで、すこしその一節の現代の視点で捉えなおす試みをしてみよう。

 

『おふできき』2号は「明治2年(1869年)3月に72歳の老女が書いた」と表紙に書かれている。

江戸から明治へ、封建的な武断政治、徳川の治世から、維新政府による近代国家へと、その国づくりは始まった激動の時代の日本という時代状況があった。廃藩置県もなく、政府の財源も不安定である中で、大久保や岩倉が先頭切って、東京城のなかで維新政府が動き出していた。

 

大和の国の片隅で、以下のご啓示があった。

 

「これからハからとにほんのはなしする
なにをゆうともハかりあるまい」 (2-31)

 
現代風の日本語表記にすると、
 
「これからは 唐と日本の話する 何を言うとも分かりあるまい」

 

英文(井上昭夫・Mattew Eynon)訳では、

 

From now on , I shall speak of the initiated and the uninitiated.   

No matter how I explain, you cannot easily understand it.  

 

<注釈>

唐(から)は中国の古代王朝の名称で、江戸期は清国であったが、国粋主義的な意味で解釈するとおかしなことになる。

井上訳の意訳で分かる通り、信者/非信者の意味で、唐/日本を訳し分けている。 

唐とは神様の心が分からない人間心であり、日本とは神様の心を分かる心であり、信仰心の正しさを対比させる

ために、唐/日本という比喩が使われているのである。  

神心/人間心の違いがわかるだろうか? この違いが信仰心の尺度をつくる基準となる。

天理教だから偉いとか、教会だから偉いとういことはない。一人一人の心の内面で、神様にそった心をつかっているのか、

使っていないのか。そうした主体的な人間の心の在り方に対して、神様からの眼差しがこのお歌に込められている。

 

明治時代には福沢諭吉による啓蒙主義的な思想が広がり、文明開化の新しい時代へ進む。

明治初期には廃仏毀釈があるなど、宗教界も混乱状況ににあった。

そうした表面的な世界の激動の背後に、世界を動かす神が、人間心と神心という新しい信心の世界を

切り開き始めていたのである。  

151年前の神のお言葉は、永遠の響きを以て、コロナ禍の今なお私達の心

に問い続けている。その世界をさらに追ってみよう。  

 

 

 

平成二年(1990)の年末にかけて、実は10度ほどご啓示が続きました。それをこれから見ていきます。まず、12月15日の未明に2度のご啓示がありました。第7回、第8回のご啓示を以下記載します。  それぞれ4首と1首の和歌でした。

 数字の番号は解説の便宜のために入れました。 00はこの女性の下の名前ですが、匿名にしておきます(今後も同様)。 

 

平成二年十二月十五日午前二時
 1. 日々に 心を積んで 通りたら  後は楽もし 道があるのに

 2. 今までは うかうか通り いるけれど  心が幼い ゆえのことやで

 3. 成人を うながされたる その日から 地に足つけて ついてくるのや

 4. 地は地でも 心の中の 大地やで  魂の根で ふんばるのやで
                           〇〇 拝す合掌

平成二年十二月十五日午前二時四十五分

 人間は 疑い深い ものやけど  信じなければ 道は開かん
                           〇〇 拝す合掌

 

 前回の第6回で、不思議な啓示現象を体験していることが神人問答的にあり、魂の答えを出すことが少女に求められていました。神様は人間が本真実の心になれるかを求めているのです。しかし、そこには人間の主体性、信仰心の有り方が問われます。そうした内面の発露を見透かして、神様から強い信仰心がここで強く求めらているのです。

 

1は人間の運命は人間の心の在り方で決定される、主体的なものであることが根源的に明かされています。 日々にほこりの心を積んでしまうのか、神の心に沿った生き方ができるのか。この二社択一の選択が信仰の世界では、いつも課題となります。 神様は親であり、教師であり、人間は親の子供であり、生徒であります。  親のいう事を聞くか、先生のいう事を素直に聞くか?  

 

2は、少女の個別具体的な心のレベルが「うかうか」として揶揄されています。 神様は目には見えないので、また己の心の使い方は、己の心の自由なので、悪く言えば、わがままで気ままなのが普通の人間の心の在り方です。 形に左右されて一喜一憂するのが普通の人間の心です。 感染者数の急拡大で、だれも心を暗くしがちです。 しかし、それは「うかうか」なのです。  これまで何億年にわたり、宇宙を作り、人類を育ててきた神様の広大な守護を無自覚に送って、人間は好き勝手な心使いをさんざんにしてきました。その結果、経済競争があり、自然環境の破壊、温暖化でガイアは大変な状況に陥り、パンデミックによる人類規模での文明の行方が心配されている状況です。  

  生きているのは、当たり前ではない。有り得ない、有り難いことであるという真実に目覚めないと、うかうかして過ごしてしまうのです。

神戸の震災、東日本の大震災と災害が続き、第6波の感染拡大。終息したと思ったら、年末年始にかけて、人々の心の緩みからか、また感染拡大です。 1月14日は東京だけでも4000人を超えました。 

 これは「うかうか」していたから、再度のお仕込みということのように思われます。 信じる人は、心を緩めていけないのです。

  生きていることの有り難さが今こそ仕込まれています。形の世界に心を汚されることなく、神様の広大な守護の心に目覚められるか?

 

3,4は信仰心の強さがあるのか、厳しく問われています。  成人とは天理教独自の用語で、「心の成人」を意味して、私利私欲の人間心から、利他の心、親心、広い優しい素直な神心へと成長することを意味しています。この成人には限界がなく、人間力をどれだけあげれるかということです。  「幼い」子供から大人へ。 頼る人間から頼られる人間へ。 他律から自律へ。 自分で自分を律して、心の成人を遂げて欲しいという神様の大きな慈悲の心は普遍的な精神でしょう。  

 「心の中の大地」、「魂の根」という表現を通じて、目に見えない心の在り方が空間的に形容されています。 

 

そして45分後に、一首、信仰の疑惑から信心とは何か、信仰心そのものを問う、お歌が出されました。みかぐら歌にもあります。

 

 「一ッ ひとのこころをいふものハ うたがひぶかいものなるぞ」 (六下り) 

 

人間の心は自由であり、神様を疑う自由の心も許されています。神様は人類が陽気暮らしをするために、人間に自由の心を与えました。

しかし、その自由の心が本当に自由になるためには、人間のわがまま勝手な精神ではなく、神の心に合わせるというパラドックスがあるのです。

 

 これは信仰のアポリア(難問)であり、キリスト教神学でも重大な問いでしょう。 幸福になるために、宗教心とか信仰心は必要か?

 

 「うかうか」や疑惑を乗り越えて、強い信仰心をもてるか?

 

 少女は人類を代表して、その試金石となっていくのです。 

 

(つづく)

 


 

再度、第6度目のご啓示を味読します。 

 

平成二年十二月十一日午前一時二十分                  

 1.  真実の 心をすぐに つくりたら    すぐと受けとる それが神やで

 2.  心にも 神の思惑 映しおく    魂で感じ 考えよ

 3.  魂で考えたこと 人間の心   と違う 確かわかるか

 4.  感じたら すぐに答えを 出してみよ   神は答えを 待っているのや

 5.  その答え 自分で出して いるやない   神が教えて いることを知れ

 6.  このような 不思議な事が ある事を   肌で感じて しかと信じよ

 7.  心には 人が信じられぬこと   映ってくるで これが不思議や

 8. この世の事は すべてが神による  人がどうにも できんことやで

                                    OO 拝す合掌

1のお歌は、OOさんに起きた最初のご啓示である、「しんじつ心を添えて願うなら 神をうけとるしかと見ていよ」と大変似ているお歌です。

神と人間との根源的な関係性が説かれています。 人の心をすべて神様は見ている、そしてすべて受け取っているという意味です。中国で、ネットの情報がすべて国家で管理監視されている以上に、全知全能が神様、目には見えない神様が人類一名一人すべての心を見ているのです。

 人の心を受け取って何を神様はされているか? すぐと受け取って、人間は行為がすぐにできているということです。仕事をする。勉強する。人と交流する。形の世界、有形の世界で生きている我々は肉体があり、自然界の中で暮らす。この肉体をお貸ししてくださる神様の御守護の上にたって、すぐの御守護で身体が動いている、生きているということです。  今実現していること、そして未来に実現することもすべて形の世界は目には見えない神様が働いておられる。

 

2,3は神様と人間の魂の考え、心の在り方との関係性が説かれています。神様には思惑があり、人間世界を創造し維持し、陽気暮らしをして欲しいという根源的な理想があります。大いなる慈悲の心があり、親心があります。存命の月日、教祖の今なる思惑が、神様の心であり、その思惑が魂に映ってくるのです。こうした啓示は特定の一部の人間にしかできない不思議な役割ですが、私たち人間はそうした神様の思惑があることを、この日本語を通じて客観的に普遍的に理解することが出来ます。 

 神様の思惑は、天保9年から教祖を通じて初めて明かされました。従来の宗教や信条があろうとも、そこに新しい神が顕現されたのです。元の神であり、実の神が、教祖を通じて現れた。その神様の思惑は、人間の心とは明らかに違う。その違いがわかり、信じれることが魂の力です。 人間心から神の心に切り替われるか。この違い(difference)が分かることが、第一に求めらられています。人間はこれまで文化・文明を発達させ、現在はグローバル化がパンデミックとともに急速に意識されています。そうした人類全体に、これまでの利己主義、刹那主義、短期的展望の狭い視野を捨てて、大きな神の心に目覚めることが求められているのです。

 魂の目ざめが、「神の詞」の大きな目的の一つだと思われます。天理教が始まって、185年目ですが、最新の啓示は、心よりも魂という用語に軸足が移り、人間の本性、人間の魂から生まれる本史実の目覚めを促しているのです。  

 

4,5は神様の思惑を感じた人間が、本当に目覚められるか、その主体性が問われています。せっかく神様から求めらえても、受ける側に人間は、軽く取ることも、無視することもできます。他人ごと、人ごとに受け取ることも可能です。20歳近い女性も、本心の中で、その受け取り方に逡巡したかもしれません。その辺のニュアンスが、神と人の心の応答として、4,5に現れているように思われます。すぐに答えを出せという神様からの切迫した問い合わせがあります。 一種の強制力から信仰が求められているのです。そして答える人間の心も実は、神の教えに沿っているという。神の心と人の心が一体的になっているイメージがここにあります。  

 

6,7は、内面に映じる神様からの巨大なメッセージについて、本人はリアリティとして体験はしています。しかし自分以外の他人には全く未知の出来事として、 これは不思議な現象だという神様からの確認の言葉です。  異常(アブノーマル)な精神として、精神病理学、異常心理学からは普通は解釈されて、それで終わりです。スピリチュアル系の人たちは、多くおられて、運命や前世などについて教えてくださいますが、 これは信じる世界での話です。  人間が生きる意味は、科学的な事実からは類推することしかできないですが、知識の源泉には、実は啓示の知識の直接知、本能的に感じ取る知識、直観(intuition)とも関係していることが今では分かっています。

  

  神様からの知恵が正しいか否か、それは信じて体験する世界の中で確証されるものです。それが結論として8で語られています。

 

8. すべてのこと、有形の世界のこと、経済も政治も、パンデミックもすべて出来事は、神様が支配されている中で起きている。人間にはどうすることもできないという決定的な教えがここにあります。 人間にできることは、心をつくること。形の世界をいかに自由の心で喜んでいけるか。 主体性のカギは、人間の心に全く委ねられているのです。  

 どこの宗教でも有形世界の諸行無常が説かれ、形をこえた精神の世界が求められていて、それは天理教の教えでも同じです。  

北海道の漁獲資源が乱獲で激減した。乱獲の反省から、漁獲量の制限や保護育成の事業が推し進められ、50年ぶりの不思議な景観が見て来たというストーリー。1年?に及ぶ、長い撮影記録を編集されたもので、大変見ごたえがあった。受信料は支払うべきものであることを感じる。NHKプラスでもまだ見れる。 

 

 

https://plus.nhk.jp/watch/st/g1_2022010933573

 

1.ニシンの産卵によって、群来(くき)という海が白濁する現象が石狩湾で50年ぶりに見られるようになった。

  かつて、 「宝の魚」といわれ、ニシン御殿もできた。漁師の欲望を起こす魚だったが・・・。 乱獲で激減してしまった。 ニシンは「鯡」とも書き、肥料に使われるほど乱獲された。 「鰊」とも書く。  

  25年前から稚魚を流して、地道な資源管理が続き、ついに群来が見えるまでになった! 

 

 

2. ホッケの大群が渦を作る。巨大な柱の中では、プランクトンが集まり、ホッケ栄養となる。

   ホッケの産卵場所は礼文・利尻島周辺であることが科学的に発見された。近海のナマコ漁を2か月停止する方策が理解された。

   漁協資源の持続性のため。ノルウェーの管理漁法も紹介。

 

3.ホタテの大集結する奇観。

  オホーツク沿岸でホタテの保護と育成(資源管理)で漁獲量が再生した。輸出額が世界一に。

 

 人の食に関わる水産資源の管理がテーマであった。持続可能な管理方法によって、次世代の人たちもおいしい魚が食べられますように。お魚の恵みが豊かな北海道での取り組みは大変勉強となった。  

 

 

   

 

 

 

 

 Covid-19によるパンデミックが全世界を覆って、2年近くなる。自然現象・社会現象としてのこの有形の世界において、各宗教はいかに救済の福音を伝えているのか? 宗教による救いはあるのか? 

 最新のWHOの統計(2021年12月8日)では、世界では、267,184,623人の感染者数、5,277,327 人の死者数という大惨事である。2億人の感染者がいて、その後遺症も大変なことが知られている。親しい人、愛する人が500万人もお亡くなりになったことになる。 

 

  世界最大の宗教組織であり、世界の政治的指導者たちにも大きな影響を与えている、カトリックの本山、バチカンでは、当初から、この事態への精神的な祈りをささげてきた。

 「バチカン典礼秘跡省が、新型ウイルス感染終息を願う特別ミサ実施を認める教令」2020年3月20日より

・バチカン典礼秘跡省が、新型ウイルス感染終息を願う特別ミサ実施を認める教令 | カトリック・あい (catholic-i.net)

 

これに遅れること、1年後に、天理教の教会本部でも、毎月1日に「コロナ終息のお願いづとめ」が2021年4月より実施。

最新のは、11月1日に実施された。

今こそおぢばにひと粒の種を 本部神殿で新型コロナ終息のお願いづとめ - お道のニュース | 天理教・信仰している方へ (tenrikyo.or.jp)

 

 12月1日にはなかったようだが、ご本部での、真実のおつとめが聞き入れられたかもしれない。日本国内では、急激に感染者数が減っており、下げ止まりの状態が日々報道されている。

 11月の天理教教会本部の月次祭では、前川治夫本部員が、新型コロナの感染拡大を「世界規模の大節」と明言されたことは、その通りである。

小春日和のなか 本部11月月次祭 - お道のニュース | 天理教・信仰している方へ (tenrikyo.or.jp)

 

 「世界規模の大節」という事情はいかに理解すべきで、いかなる意味があるのか?  陽気暮らしを求めてこの世の現れた親神が天保9年以来、顕現されている意味は何か。   2年前からすでに「新しいことが起きる」と神様からの預言があり、人間世界を支配する神様はそれに備えておきなさいとお話であった。そして実は、驚くべき事態はこのことであった。 これは世界の大掃除という「新しいこと」であった。人類の汚れた心、欲に切りない泥水があり、それを一掃するための驚くべき仕掛けであったという意味が含意されている。

 

 カトリックは、この事態を父なる神によるミステリーというだろうが、親神は、「世界の掃除」だという。ここに救済思想が大きな違いがある。

 

  我さえよければという利己主義、我が国やわが社さえよければという心では、霊性共同体による真の陽気暮らし文明は構築できない。

 

  今さえよければという短期的視野では、持続可能な未来の世代が喜べる真の陽気暮らし文明は構築できない。

 

  こうした真の持続的文明を築く基盤つくりとして、今のコロナ禍という世界の大掃除が進んでいると思案しないといけない。

 

  日本は今、感染終息に向かいつつあるが、世界は今だ難儀の中にある。  

 

感染終息の願づとめ、心磨きの道をストップしてはいけない。 

 

日々の守護を最大限に喜べるひな型の人間像が日本からグローバル社会に発信されていく時代へ進みたいと思います。  

 

 

 

 

  19才の女性に降りた、六度目の天啓は以下のような8首のお歌で、一挙に内容が増した内容です。 各歌の冒頭の番号は、説明のために私が付けたものです。

 

平成二年十二月十一日午前一時二十分                  

 1.  真実の 心をすぐに つくりたら    すぐと受けとる それが神やで

 2.  心にも 神の思惑 映しおく    魂で感じ 考えよ

 3.  魂で考えたこと 人間の心   と違う 確かわかるか

 4.  感じたら すぐに答えを 出してみよ   神は答えを 待っているのや

 5.  その答え 自分で出して いるやない   神が教えて いることを知れ

 6.  このような 不思議な事が ある事を   肌で感じて しかと信じよ

 7.  心には 人が信じられぬこと   映ってくるで これが不思議や

 8. この世の事は すべてが神による  人がどうにも できんことやで

                                    OO 拝す合掌

 

 これは大変神秘的なことなので、誰にも信じられないことです。しかし創造主である親神=存命の教祖(おやさま)が直接的に、一人の女性に語りかけてきたのです。そして、その若い女性は、授かった神の詞を書きとられたのが、上記の八首の神の歌です。  

 末端の天理教の布教師の娘として育って来ましたが、よもや自分にこのようなことが起きるとは思わなかったことでしょう。どこにでいる普通の少女です。ただその父親は尋常な布教師ではなく、教理に精通した布教師で、特に『おさしづ』についてもかなり深く勉強し、『元の理』に関する著書も書いていたほどです。

 彼女の天啓が真正な教祖の詞か、否か? 本席以降、北大教会でおきた天啓録も研究していましたが、その父親のもと、それは間違いのない、啓示として受け取られたのでした。  

 当時、20代そこそこであった、私たちにも、その若き啓示は、驚きと好奇心の対象となるものでした。

 それは、それとして、この8首のお歌の意味について、味わっていきたいと思います。

 

 天保9年の時に、教祖が神がかりとなった時は、3日間かけて、月日の社として、夫善兵衛さんが受諾するまでが大変な治め方であり、

或る意味、教祖の身体に無理が重なり、命がけで納得させる天啓劇場がありました。

 

 それと比べて、この度は、天理教の歴史も蓄積され、彼女は生まれる前から、見定められて、その布教師の娘として誕生し、育ったのでした。父親が人類を代表して、最初にこれが天啓であると認め、私たちに伝達されたのでした。  神様としも大変治めやすかったと思われます。父親が、娘の啓示を最初に受け取る人間となります。しかし、そこには父と娘という私情をこえて、天意を伝える啓示役と、受け手としての真柱的な父の役割がありました。 存命の教祖の言葉を求める環境が用意され、その中に神様は待ち望んで顕現されたのでした。   

 

 本来なら、お地場でなされるべき、啓示役と受け手の役割ですが、地場は事情中であり、前生での通り返しの天命・運命もあり、このような末端の布教師の家庭で、不思議な啓示現象が起きたのでした。 まだインターネットが普及する前の時代で、数年して情報化時代が広がる前夜の出来事でした。

 

 天啓を受けているかの女の心の中でも、いろいろともやもやがあったでしょう。しかし、魂に映る真実の言葉は、彼女の心に突き刺さる内容をもって迫り、それに彼女は素直に受け取ったことが感じられる内容です。  

 

 人間は普通に生きているが、実は生かされている。かしものかりものの肉体を借りて、生かされている。コロナ禍も人間の思い通りにならないことが続きますが、こうした有形の世界はすべて神が支配している。  それが8首のお歌で明確に明かされています。

 

 疑い深い人間には、これは作為か、人工物か、気違いかといろいろと解釈できるでしょう。しかし、真実の神を求めるこの布教師の元に集まった小さな集団には、これは間違いのない福音(good news)として受け取られたのでした。 ただ受け取り方にも、重い軽いは人ごとに違っていました。30年以上前の私も、まだ若く、受け取り方は非常に浅かったと反省しています。 

 

 この詞を直接受け取った、その女性がなによりも、高速で成人する姿がその後に続き、啓示者と周囲との心のレベルの差は一挙の隔離したのでした。  そのような懴悔の気持ちもこめて、お歌の内容をしっかり味わい、我が心つくり方の勉強をしたいと思います。

 

   

 

(つづく)

 

 

 

 

 天理教の原典である『おさしづ』の編纂を任されたのは、桝井孝四郎[1894-1968]さんで、その著書『みちの秋』(昭和13年)には編纂に至る経緯、天啓録をまとめた意義、おさしづの解説などが書かれている。

 

 本書では教祖の天啓についても書かれていることをここで取り上げたい。教祖の謦咳に接した人たちの次世代にあたるのが桝井先生の世代で、貴重な証言も残されていて、興味深い。

 

 本書のp.33-43は「おさしづに就て」というタイトルでの一節である。その一節からの学びを此処に残したい。

 

 

 教祖による天の声は、『おふでさき』1711首に残されているが、教祖にも刻限話がたくさんあり、それらは筆記されることは無かったことが書かれている。「聞き流し、説きながしであったのである」という(p.38-39)。

 孝四郎の叔母の村田すまの証言などにそのことが書かれている。教組を通じた天の声が、書きとられることがなかった。

 

 また、明治14年に修司先生が出直された直後、お春さん、秀司さんの霊が教祖の肉体を通じて語ったことも、村田すま(孝四郎さんの叔母)の証言として書かれていた。

 

 教祖が、秀司さんような声、またお春さんのような声で語ったとされる (p.41-42)。

 

 秀司さんの反省の弁も重要である。「神様の仰ることを止めてきた。どうぞこれからは、之を雛形として神様の云ふ事をを守ってくれ。私はこんなになりました。」(p.41)

 

 秀司さんの雛型は、神一条の純粋モデルとは言い難い、人間一条を含めた信仰モデルの挫折を雄弁に語っている。教祖の長男として、もっとも素直に従うことが求められながら、それが出来なかったという厳しい人生を歩むことが運命づけられた人生であった。

 

 秀司さんは、その功績から二代真柱の正善として、スケールの大きな信仰者として歩まれた。しかし、中山家中心の天理教を存続発展させ、長生きは出来なかった。

 

 

 

 

 人間の肉体は亡くなっても、魂は永遠であり、魂はまた別の肉体を通じて生まれ変わる。 その証拠となるようなエピソードとして、亡くった人の霊が、存在し、その霊が教祖を媒介(medium)として、語るということである。

 

ここには教祖が霊媒(medium)としての機能を果たしていることに注目したい。  

 

  本席様のおさしづの中でも、秀司さんの霊が語る場面が確かにあった。その際も、本席様は霊媒(medium)としての機能も果たしている。

 

 神様の言葉を直接的に受ける神の機械が、霊媒しての機能も果たす。  

 

 霊媒は、諸宗教の職能の中でもよく発現している。青森のイタコ、沖縄のユタなどもそれにあたる。

 

 ただ、親神の顕現である機械の言葉と、亡くなった人の霊の言葉と異なるものであることを自覚しないといけない。

 

 

 なお、桝井先生も、こかん様は若い神様とよばれ、天啓者の一人であった(p.39)と明白に記していることだけ付言したい。