「天理教」は宗教か、真実の教えか -13ページ目

「天理教」は宗教か、真実の教えか

「天理教」に関するまじめな宗教学的、神学的な考察

「悟りたらすぐに心を改めよ

 それが末代の種になるぞや」(平成二年十二月八日 午後十一時三十分)

 

これは第5回目のご啓示で、第4回目に連続した内容として理解すべき内容のお歌です。

 

5日前の第4回目のお歌を繰り返すと、以下のものでした。

 

「魂の中では聞いておりながら 

  答えが出せぬ 神の残念」

「魂の答えを隠す人間の

  心があれば どうもならんで」 (平成二年十二月三日)

 

魂の中で神様のお言葉に違いないと分かっていながら、その魂の答えを隠してしまった。 

 

それは過去のことですが、過去性の悪因縁が魂の汚れてとして、残っています。

 

しかしどんな罪悪人でも反省することはできます。

 

反省して回心することが求められています。 

 

そこに宗教の可能性があります。 宗教の存在価値があります。

 

誰でも、真実の神様に目覚めるまでは、大きな過ちを犯しています。汚れた人間心、「今さえよければ、我さえよければ」という心使いを誰もしています。持続可能ではない、こうした心使いは将来に禍根を残します。  

 

短期志向で近視眼的に目先のことにとらわれる。

 

利己的に己の利得ばかり考える。

 

自分の会社だけ、偏狭な愛国心など、それも我さえにはいるでしょう。

 

魂の答えを隠したことで、魂は大変汚れてしまいました。 

 

それを真から反省し、罪を深く自覚されたことでしょう。

 

そのような悟りを神様はお受けになって、「悟りたらすぐに心を改めよ」という確証のお詞を与えたのだと思います。

 

確かに反省し、さんげが出来たことに対する神様のお褒めの言葉です。  

 

その決心は「それが末代の種になるぞや」という未来永遠に希望を与える大望の保証がなされたのです。

 

以下のようにキリスト教の『聖書』の中に、永遠に関わる言葉が沢山あるようですが、天理教では「末代」という言葉で、永遠性を伝えています。

 

 

種というのは、いずれ芽がでるということです。どんな芽がでるのか?

 

種とは比喩的な言葉で、人間の心こそが種だと明かされています。 

 

人のこころが創造原理となるのです。 人間の心を受け取って、有形の世界が創造されます。

 

人の神との協創によって、世界が作られていきます。  

 

いろいろな心がありますが、悟った心=神の心にこそ、末代の種になる原因があるのです。

 

19歳の少女が何を悟ったのかは、今では分かりません。 たださんげし反省し、神様の大きな心に目覚めたことは確かだと思います。

 

なおこの詞は、お風呂の中にいた時に映った詞だそうです。その他にも神様から映ったものがあったそうです。

 

魂の中で、神様のお考えとは何かを自問自答する中で、神様が確かな言語でもって、教えて下さるのが神の詞です。

 

自問自答する中で、分かりにくいことは、神様は言葉を言い替えて教えて下さるそうです。それが言語化された神の詞だということです。

 

魂の中でいろいろ観念(イデア)が思い浮かび、論理的、理性的にも考えることができるでしょう。 

 

これはどういう事か? 神様とは何か? 不幸な人がいる原因は何か? 

なぜ自分にこのような神の詞が映ってくるのか?  

考えたら、わからないことばかりです。

 

このような魂の求めに、神の詞がその魂に返ってくるのです。  

 

神様の思惑は普遍的な真理の言語化となって、「神の詞」として今では、誰でもいつでも触れることができます。

 

明治時代に『おふでさき』を通じて神様は、教祖(おやさま)を通じて最初にその思惑を残されました。

 

平成の御代になって、今度は一人の少女を使って、『神(をや)の詞(うた)綴り』として、再度、その神の思惑を説きなおされたのでした。

 

(つづく)

 

 

「魂の中では聞いておりながら 

  答えが出せぬ 神の残念」

「魂の答えを隠す人間の

  心があれば どうもならんで」 (平成二年十二月三日)

 

19歳の少女に起きた、4度目の神様のメッセージは、上記の2首の和歌体のお歌でした。

 

 目に見えない神様を信じる強い信心が、末端の天理教の布教師の元で育てられながら、自然とはぐくまれきました。

 

 普通の女の子ですが、決しても表立っていう事はないですが、強く秘めた決心をもっていたと思います。

 

その彼女に、神様からある重大な魂への問いかけがありました。

 

 天理教は心の教えで、心という用語は啓示言語でよく使われてきました。しかし、「魂」と言う用語は『こうき話』以外には『おふでさき』にも、『おさしづ』でも余り類例のない使用言語です。

 

 とはいっても、魂に関する教えが、平成時代の教祖の啓示の中には、これから頻出するのが大きな特色です。時代時代に応じて説き分けていることは確かですが、聞く人間の側にきちんと響かなければ、神様のメッセージも軽く扱われる危険性があります。

 

 この2首は当初は一般的な意味でしか私は理解しておらず、聞く人が聞くと、ギクっとする大変恐ろしいメッセージが含まれていました。

 

人間の魂は神様からの分けみ魂、ご分霊であることが教えられていました。その人間の魂は元の親である神様(おや)の声を聞けば、それが親の声に違いないことが分かる性質をアプリオリ(先天的)に持っているのです。

 

 天啓を通じて神の詞(ことば)があるとして、それを神の声とみなすのか、人間が創作したものとみなすのか?

 

 教祖(おやさま)に天保九(1838)年に神がかりがあった時、誰もそれが、天の神の声だとは信じなかったのでした。

 

 大音声の啓示が繰り返されるなか、2,3日飲まず食わずで教祖の体が危険な状況となり、やむなく、月日の社(やしろ)として

 夫の善兵衛さんが受け入れた史実があります。  

 

 教祖ご自身は内面に聞こえてくる神の声を自らの魂で受け止め、真実の神、元の神だとご自覚になったことだと思われます。

 

19才の娘さんは魂の中で、神の声を確かに認識したのでした。しかし、「魂の答え」が出せなかったという・・・。

 

それは何を意味するのか?  「魂の答え」とは、神と人との魂の応答関係において、

神の呼びかけに人間が応じるか否かということに関わり、その答えが出せなかったことが含意されています。

 

 人間の魂は自由の心使いができる主体です。そのため神様に反対する自由な心使いもできるのです。神からの逃亡、我が道を歩むことが人間にはできるのです。

 

 これは今世(今生)の話ではなく、前世(前生)においての彼女の魂の遍歴の中でおきたことに対する、「神の残念」でした。

 

 「神の残念」は『おふでさき』にもよく出て来る用語で、天理教の人は良く知っています。 

 

概ね神様の意図が否定されること、甘露台が取りはらわれたことが残念という言辞があったと思います。

 

 2首目も同じことが別の表現で言い替えられているだけです。魂の答えが出せない=魂の答えを隠す。

 

 残念である=どうもならない。

 

 「どうもならんで」という表現はいかにも大和の方言っぽいです。現代の奈良方言でも、こうなのかわかりませんが、東京に暮らしていた少女のボキャブラリーではないことは確かです。

 

 神の詞が聞けないとうことは、人間の魂が汚れるということです。神の詞は人間の魂を呼び起こし、魂を掃除するために不可欠なメッセージです。 そのメッセージを第一に受け止めるべき大切な魂の持ち主であるこが、実は含意されていました。

 

 今世の彼女は素直に信じる素養が十分にあり、若くして神の機械となりました。 教祖の三女である、こかん様以来の若き神の誕生です。 

 

 直接のご啓示をうけた本人は、ただちに自分の前生の罪を自覚しました。   当時私は軽くしか受け取っていなかったですが、彼女は100倍受けて取り方が違っていたはずです。 

 

 神の話を素直に受け取るか。 軽く受け流すか。 信じないか。  

 

 魂の答えはいろいろあります。 

 

しかし、受け取らないことで、人類の救済が大変遅れてしまったという禍根が残されました。

 

 前世の過ちを糧として、今世の生き方を決める。   それが人類の未来を創造する種となるのです。

 

 なおこのご啓示があった時、下痢が止まらないという身上(みじょう)のお仕込みを受けている最中でした。 

 

 まさに悪因縁を身体的に掃除するなかでの絶妙なタイミングでの神様からの重大発言でした。  

 

(つづく)

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

「先案じして先を急ぐな」(平成二年十一月八日)

 

3度目のご啓示は、神様からのご注意でした。 人間誰でも焦って、失敗することは日常的にあるものです。

焦ったり、緊張すれば、スポーツ選手でも成果が出せないことがよく知られています。

 

最近でも、東京オリンピックにむけた代表選考会で橋本大輝選手が、まさからの失敗を連続させ、代表から漏れる可能性が出ました。

 

結果を出したいという気持ちが無意識に体を硬直させてしまった。楽しむ心が無くなっていたそうです。

そこに先輩の内村航平選手の一言で吹っ切れて、体操を純粋に楽しむという本来の素の気持ちに切りかえることができました。そして奇跡の大逆転を遂げ、見事に代表選考入り、さらにはあの金メダルそのものへとつながったそうです。

 

先のことは神様の領分であり、未来の形の世界も今のあたわった環境も境遇もすべて、神様が与えたものです。

 

「かしもの・かりもの理」が支配する世界では、本来的に人間が左右できるものは何一つないのです。それをあたかも自分ができているように思えるほど、神様は一人一人を守護されています。

 

何でも自分の思い通りにできると勝手に思い込んでいるのが人類全体の状況です。そこから争いや戦争や敵意や対立がすべて起きています。自分が何とかしないといけないという常識にすべての人がとらわれています。

 

未来を思い悩んで自殺する人も、もちろんたくさんいます。

 

文学には詳しくないですが、芥川も太宰も川端も作品が書けないことを病んで自殺したらしいです。

 

コロナ禍で女性の自殺者が増えたという統計もありました。

 

著名なホテルが倒産し、今朝は米澤新聞社という明治以来の歴史のある地方の新聞社が破産を申告しました。

 

人間にとって、将来の展望がないことほど、つらいことはないです。  

 

「将来は結婚しよう」と声けした学生時代のK君はついに皇族の御姫様をゲットしました。 

 

 どんな困難があっても、未来に希望をもち、世間の非難も乗り越え、早期前倒しの苦しい留学も乗り越えて、しかしアメリカのNY州の弁護士試験の合格者名簿には記載がないとNHKで報道されていました。  (今はお二人はお幸せにの気持ちですが、正式の婚儀が許されなかった時点で、アウトだと思われます・・・。)

 

 さて、その当時、少女が何を焦っていたのか、分かりません。ただ、これから「おつとめ」をしようと神前に向かわれた時に、この短いお詞(ことば)が映ってきたのでした。

 

「先案じして先を急ぐな」

 

 神様が未来も永遠に守護されること、これまでも守護されてきたこと。そのような真理を忘れて、自分が何とかしなければ、という不安まじり、不足交じりの澄んでいない心の在り方が、ご注意されたかもしれません。 

 

 あるいは、神様の守護を感じて、日々に喜んで生きて欲しい、そのモデルとなって、世界人類に伝えて欲しい。そういった期待を込めらた少女は、自分が何とかしなければ、と気負ってしまったかも知れません。

 

「先案じ」は歴史上の御教祖の中山みき様や本席の飯降伊蔵さんもお話された諭しによくでてきたフレーズで、

天理教ではよく使われます。

 

「おさしづ」でも以下の本席様の天啓はよく引用されて、天理教の人たちは良く知っています。

 

 

 

「・・・・善き種蒔けば善き芽が吹くも、世上見て一つたんのうとの心定め。

 たんのうとの理を持ちて、案じる事は要らん。

 案じは要らん、と、大きな心を持ちて理を治め。

 善き種蒔けば善き實がのる、とのさしづ、と。」

(『おさしづ』明治21年6月 大阪近藤政慶の願) 『おさしづ 縮刷版 巻一』184頁。

 

「案じ」=「案じる心」は「先案じ」と同義だと思われます。

 

「先案じ」しないためには、目に見えない神様のご守護を信じるのがベストの道です。

 

それも信心による訓練のなかで、魂が磨かれて、「先案じ」しない人間へと成長できると思われます。 

 

簡単なようで至難の業です。

 

「先案じして先を急ぐな」

 

この詞を日々に噛みしめて生きたいと思います。

 

(つづく)

 

 

 

 

 

 

 

 

「これからは何ごとにても教えるで 神の詞について来るなら」

平成2年11月14日 午後12(午前0時)

 

末端の天理教の布教師の家庭に生まれた一人娘さんは、当時19歳でした。大学入試はすべて全敗だったそうです。高校を卒業してからすぐに修養科3か月、さらに9月には講習も受けたそうです。おつとめに熱心な布教師の家庭で素直に育った娘さんは、高校を出て、人たすけの道に進みたいと決意されました。 女鳴り物の琴をいつも任されていて、おつとめが大好きな普通の少女でした。

 

10月の啓示に続いて、二度目の啓示がこの日にありました。午後12時ですから、15日の午前0時という意味かもしれません。

 

神の啓示とは、向こうからいきなり来るもので、魂に映ってくるらしいのです。これが彼女の創作物だとは誰も信じず、本当の啓示らしいと、皆最初は驚きました。  のちに、こうした神様の啓示があることは、「御用があった」という隠語で私たちに伝達されました。

 

「これからは何ごとにても教えるで 神の詞について来るなら」

 

 これは、この世を始められた根源者、元の神、実の神からのメッセージであり、同時に存命の教祖(おやさま)の現代的なメッセージでもあります。

 

 女性の啓示者は、教祖以来、103年ぶりということになります。それも教祖の時は、40歳でしたが、彼女はまだ19歳でした。天理教の天啓史の中でも最年少記録を樹立したことは驚くべきことでした。 もちろん教会本部の公認の話ではなく、私たちの天啓継承を信じる一群の中での理解ですが・・・。  

 

この世始めた神様ですから、言いたいこと伝えたいことはたくさんあります。ただ神様は特定の魂の人間にしか機械(啓示者)として使えないのです。

 

 いきなり啓示が来たわけで、少女は驚きました。しかし、驚いているだけではだめで、自ら主体的に神様は何で自分をお使いになって、そのメッセージを伝えたいのか自問自答したことでしょう。 そうした心を見抜いた神様は、「神の詞(ことば)について来るなら」という条件を提示されました。

 

 神様は彼女を「神の機械」として成人させたい。しかし、ご本人がそれを喜んで受けるのか、疑念を抱くのか、不満をもつのかで、神様としても機械として使いやすいか否かの瀬戸際に立たされます。  

 

 おそらく、彼女は内面で、神様を求める強い信心が沸き上がったことでしょう。  「ハイ、素直についていきます」と。

 

これが神と人との根源的な関係性です。  神様は人の目には見えないし、啓示が下された範囲でしか、神様の気持ちは分かりません。

 

また「なんで私みたいな末端の信徒が機械になるなんて」と思ったかもしれません。

 

この啓示は、深夜に彼女が00先生の神の御詞(おことば)を書写しようとノートを開いたときに、突如降りた詞でした。神の詞を書き写そうという、その心に乗って、神様は絶妙に「神の詞について来るなら」とおっしゃられたのでした。

 

神様についていく真実の心はすでに十分にあります。神様に云われなくても、ついていく決心はすでに十分にあります。

 

その思いは神様に受け取られ、改めて無形の神様についていく決心がついたことでしょう。  

 

神様と彼女との直接的な霊的交流(spiritual commerce)を通じて、彼女が魂人間へと急激に進化(spiritual growth)する快進撃がはじまったことに、誰もその当時は気が付きませんでした。

 

(つづく)

 

 

 

 

 

 

「しんじつの心を添えて願うなら 神がうけとる しかとみていよ」  

 

平成二年十月二十六日 午前一時

 

 これは今から30年前のこの時間に、ある若き女性が受けた最初の神様からのメッセージでした。

 

 天理教の末端の布教師の娘さんに起きた出来事でした。 

 

 地場から追い出された天啓の集団の系統ではなく、天理教の末端の布教師の娘(19歳)に起きた、不思議な出来事でした。

 

 現代の世俗化が著しい天理教教会本部からすれば、即異端の烙印が押される代物ですが、

 このブログでは、神様のメッセージとは何かという視点から考察を進めます。

 

 今月は10月で大祭月、天理教立教の元一日を祈念する大切な月です。

 

 10月26日。眞子さまがご結婚をKKさんと報告される日ですが、天理教において、天理教が始まった日が10月26日です。

 

  父親はお地場(奈良県天理市の教会本部の地所)で不在のなか、祖母が死にかける一大事が起きました。その時、少女は思わず神様の前に拝礼して、祖母の救いを祈ったのでした。その際、下されたのがこの神様からのメッセージでした。

 

 「しんじつの心を添えて願うなら 神がうけとる しかとみていよ」 

 

 真実の心とは、自分はどうなってもいいから、神様どうぞ祖母の命を助けたください、お願いします、という無私の心情です。

 

 神様にそのような己の本心の心を出して、願うなら、神は受け取るという。

 

神が受け取るかどうかは、救いが起きたか否かで分かるということではない。この起きていること自体が神様が支配している世界での出来事である。これまでも人間の心を受け取って何事も見せて来た。これからも永遠に神様は人間の心を受け取って守護をする。

 

この神と人とのつながりが、「受け取る」 「見ていよ」 という行間に溢れています。

 

天啓は、自分が創作したものではく、向こうから降ってくるものです。それゆえ、天啓と言います。

 

 世の中、一般用語の天啓として、いろいろな天啓があります。  

 

 これを信じるか信じないか、それはあなた次第です。

 

 その日、祖母が急逝されることはなく、彼女の願いは、無事にかなったのでした。とてもうれしいことでした。肝心のお父さんが不在の時、このような急変がよくあるのでした。   

 

 神様ありがとう。人間は生きている。生かされている。   

 

 この平成の天啓、現代の教祖(おやさま)の詞について、これから考察を進めたいと思います。

 

 (続く)

 

 

 皇室内のことは、庶民が口出しするのも恐れ多いことですが、情報化の発達した現在、皇統の人気・不人気は出てしまうのはDXの時代には避けられない事態です。
 眞子内親王様が精神疾患に掛かられたとのことで、KKに対すする一女性としての一途な気持ちとご自分が果たすべき国家の象徴としての皇族の責務の間に苦悶されたことと拝察いたします。

 これ以上、精神疾患が深刻にならないために、やむなく、婚姻を認める方向で今回の宮内庁の記者会見だという。


 一国民として、慶事であるべき婚姻が精神疾患の原因となってしまっていることに深い同情を致します。 ただ改めて、今回の婚姻は不吉であり、万世一系の皇統の歴史に大きな禍根をのされることをご自覚頂きたいです。


 天皇陛下に婚姻日をお知らせになったそうですが、天皇陛下がお喜びになって、その日取りの決定を受け取ったのでしょうか? 天皇陛下は、儀式をしないで、皇室を去る眞子内親王を大変不憫に思われたことでしょう。

 A家のこの不届きな婚姻騒動の始末に対して、天皇家の家長として陛下の賢明なるご聖断が下されることを期待します。愚かな弟一家の始末をつけるのが、家長の大きな責務だと拝察します。
 A家の不始末は、皇族全体への悪印象、皇統維持への大疑惑まで生んでいます。 
 婚姻が自由恋愛で、憲法が保証しているというA家の主張には正当性が全くありません。国民と皇族は明らかに、家柄も待遇も異なり、皇族は無税です。国費で維持されている皇統です。コロナ禍で自殺者も増える中で、皇室への嫉妬と過大な期待が今の世相に交じっています。
 国民が喜ばない婚姻には女王が認めなかったという先例がイギリスにあります。 
 日本の皇統の弥栄のために、陛下のご聖断に期待します。

 

 なお婚姻届け日は10月26日の大安だそうですが、この日は天理教の立教の元一日です。聖なる日です。このドンゾコからお二人が幸せな方向に向かわれるか大変危惧しております。 

 

  ロイヤーのKKさんは、ロイヤー以前に道徳心、徳義、信頼感が自分にないことを自覚してほしい。

 

 これほどの批判がある中で、辞退するのが普通です。 皇統の存続を揺るがす恐るべき青年のKKに敬意を表します。

 

 

 

 

現在の「みかぐら歌」とくらべて、この当時の「みかぐら歌」は今とは異なっていることが分かります。

国会デジタルで以下見られます。

 

 

  昭和14年 4月1日 新修発行

 

 編集兼発行者 天理教教会本部  奈良県丹波市町三島

 右代表者   山澤為次

 

 印刷所  天理教教廰印刷所 奈良県丹波市町河原城

 右代表者 紺谷金彦

 

 これは、明治21年以来、利用されていた「みかぐら歌」が昭和14年に改訂されたことを意味しています。

 

 三座、ちょと話しでの「なむ天理わうのみこと」の文句の削除。

 よろづよ八首、三下り目、五下り目が削除されていました。

 

 おそらく、昭和初期の内務省、文部省の統制から来たもので、軍国化し思想統制を強める中で、各宗教教団の教義の改編が求められた時代です。  天理教ではおそらく、「革新の時代」ともいわれていました。 

 昭和ファシズム期の宗教統制・宗教弾圧の時代でありました。 戦前の民衆宗教の宗教統制について以下の論文がありました。

 

桂島宣弘「民衆宗教の宗教化・神道化の過程」『日本史研究』(日本史研究会) 2004年

 

http://www.ritsumei.ac.jp/~katsura/16.pdf

 

 

 天理教が語る、根源神、創造神、元の地場というような表現が、国粋化する国家神道の教義に抵触したことだと思います。 

 

教祖の教え通りの「おつとめ」が出来なかった時代が、終戦後まで続きました。  

 

 

 

 

 

「みかぐら歌」に以下のお歌があり、病気の意味について分かりやすくも深遠な意味が込められています。

 

 八ッ やむほどつらいことハない わしもこれからひのきしん  三下り八つ

    (病むほど辛いことはない わしもこれからひのきしん)

 

 七ッ なんぎするのもこゝろから わがみうらみであるほどに 十下り七ッ
 八ッ やまひはつらいものなれど もとをしりたるものハない 十下り八ッ
 九ッ このたびまでハいちれつに やまひのもとハしれなんだ 十下り九ッ
 十ド このたびあらはれた やまひのもとハこゝろから 十下り十ド

 

 私も個人的に先日の木曜日、「尿路結石」という厳しいお仕込みを頂きました。病気の一種で、生活習慣病でもあり、現代人の男性の20人に1人はなるという、珍しくはない病気でした。 陣痛のような痛みが、真夜なか、朝の3時半頃に突如としてありました。 就寝前に水を飲まなかったのが直接の原因らしく、深夜にできる結石が腎臓から尿管に落下して、詰まったようです。

 

 CTスキャンという高額の医療機器で、小さなかけらが見つかったようでした。

 「尿管結石」との医師の診断が5時半ころに、救急外来を通じて分かりました。入院の必要はなく、痛み止めの薬、座薬を3日分処方され、水分を取ってください、自然に流してくださいということでした。

 

 ネットで「尿管結石」の原因・処方を詳しく調べると、10ミリ以上の結石だと手術が必要だと分かりました。幸い、4ミリ以下のものらしく、流すのが良いとのことでした。シュウ酸カリウムで石ができるらしく、生活習慣病で、持病の高脂血症であるのも効いていました。

 

 暗黒の木曜日となり、一日何もできず。 痛みが繰り返される。 

 陣痛に比せられ、定期的に右わき腹に差し込む痛みがありました。

 

 金曜日の朝には、不思議と痛みがはれる。 しかし、激甚の痛みの後遺症が残っていて、軽度の痛みが続ていました。尿の中にも小さなかけららしいものが何度も出ました。  金曜日の午後には出かけられるまで回復。子供と仕事場へ。

 

 土曜日、学会のオンラインの仕事も何とかこなす。 夕方、大雨の中、家族のために買い物のドライブもこなす。

 

 日曜日、なんとか、明日から始まる授業の用意も終える。  

 

 一人の人間として、まだまだ汚れはたくさんあり、今一度、 「生かされている喜び」を身近に感じさせて頂きました。

 

神様ありがとうございます。  

 

生きている喜び、生かされている日々の守護をこれから、伝える人間になるよう、心定めをさせてもらいました。

 

 

 

 

 

 

 

 

今の天理教の信徒にとって、真柱(しんばしら)様こそは教団のトップであり、大教会に真柱様がお入込みになることは最高の栄誉である。

その奥様の中山はるえ様が東京教区でお話されることも最高の栄誉であった。

https://tenrikyo.tokyo/pdf/%E6%95%99%E5%8F%8B689%E5%8F%B7.pdf

 

ただ、天理教の歴史、その始まりの由来を辿ると、真柱様を至高のワントップとする体制は大正期に意図的に作られたことが分かる。

 

それも教祖(おやさま)の遺徳を継承する中山家を中心とする組織体制であり、神様が本来構想した天の組織とはかなり異なることが分かる。  

 

明治20年から40年までは、飯降伊蔵さんが、本席様として、天啓の御用をされていた。その当時の飯降家は三軒三棟も準備され、天啓の家柄がその後も継続的に生まれる体制が用意されていた。

 

これに異を唱えたのが、中山家の御母堂様であろう。 教祖の孫であり、生まれる前からその魂がつとめの完成の一環として預言されるほど、尊い魂の方である。 

 

ご母堂様こそは、教祖の唯一の内孫であり、主人となる梶本真之亮(初代真柱)は実は養子として、後から中山家に来た人である。

 

教祖の直系の子孫は中山たまへ様だけであった。教祖から絶大な期待をかけられた「たまへ」様であるが、飯降伊蔵様が本席の御用をされていた時期は、教祖からではなく、本席様から神の命令を受け取っていた。教祖に直々に仕込まれ、そして本席時代にもさらに多くの神の詞をうけとっていたのは、中山たまへ様であった。

 

天直接に神の詞(ことば)が下されることは、刻限話であり、神様からの主体的な働きで、神様の諭し、刻限話があった。これは人間の伺いによるものでもなく、人間の願いによるものでもなく、神様側からの都合から真夜中で早朝でもあった。  

 

明治40年に本席様が出直す直前の100日さしづの時期は、本部員たちもその対応でヘトヘトとなったほどである。まさに神様の詞が下ろされ、その受け手たちは、その対応、心定め、決心の中で、新たな段階へと進むことができた。

 

 神の詞を受け取る最高責任者こそは、真柱である。明治期には教長と呼ばれていた。 

 

神の詞が続き、神屋敷の実体がそこにあった。

 

だが本席様が明治40年6月の御出直しとなり、地場における神霊的な要素は消え、緊張感は無くなった。

 

神の詞はないが、100日さしづが残された。 むこう10年さき、神の天啓はないが、本席からの遺言が残されたのである。その神の詞を頼りとして10年は過ごせるということであった。

 

「未だ/\語りたい事ある 言いたい事ある」(『おさしづ』 明治40年5月31日)

 

明治40年(1907)から10年後の明治50年は、大正6年(1917)である。

 

この間の本部事情が、天理教の将来を定める重要な期間であったことは、間違いない。

 

大正2年に真柱の中山新治郎が出直す。

 

大正7年に上田奈良糸様のおさづけの運びは停止。

 

中山たまへ様による、おさづけの運びが本部員会議で決定する。 本部重役筆頭の松村吉太郎が決めたことかもしれないが、その決定に従ったのは、若き将来の真柱となる中山正善の母である御母堂様である。 松村家も小東家を通じて、中山家の親戚である。

 

 神の屋敷から、中山家中心の屋敷になることが、その当時、決定されたのであった。

 

天啓はいらない。本席様の御用で、天理教の天啓は終わった。そうした重大な意思決定がその当時、決められた。

 

天啓的な神の御用となる「さづけを渡す役割」を中山家がもぎ取ったことになる。  中山家ワントップ体制が方向づけられた。 

 

世俗化した教団体制、普通の宗教教団としての道筋がそこから始まった。  東大の宗教学科との幸福なコラボ体制が始まる。

 

 中山正善による教祖の神格化の教義が構築される。 「おさしづ」も原典の割には、貶められる体制が築かれた。

 

私たちが知る、真柱様が一番偉いという、天理教の今の姿が決定された。  

 

「未だ/\語りたい事ある 言いたい事ある」(『おさしづ』 明治40年5月31日)

 

 

 

昭和16年(1941)年11月21日に眠るがごとく、出直された高井直吉本部員は、恐らく教祖(おやさま)の側に勤めた高弟の最後の一人だと言われていることで有名である。

 

先人の足跡3  【高井直吉 】 そのまま今に伝える

 明治12(1879)年から信仰をはじめて、教祖の人格にほれ込んで信仰一筋の人生を歩んだ方である。文久3(1861)年に河内の田舎で生まれたので、この時いまだ18歳であった。 信徒のために宿屋兼蒸し風呂を秀司さんが営業していて、その手伝いから始めた。宮森与三郎とともに、教祖のご側のお屋敷に住み込み青年第一号ともいわれている。

 教祖に命令された遠州への布教では、多くのおたすけが上がったことを喜んだ。

 明治17年3月2日には龍が太陽を目がけた夢のなかで、其のしっぽを捕まえて、天を上がった。その夢の内容を教祖に伝えると、教祖から「息のさづけ」を渡された。救済の技法であった。亡くなる前日まで、息を紙に吹きかける奉仕をされた。また教祖からは、おひさ様を通じて教祖の赤衣をいただき、おたすけの際は、月日の名代として赤衣を着てお助けをしなさいと言われた。

 字が書けなかったことも有名で、その代わり、何度でも聞いて納得するまで尋ねたので、レンコン掘りとも呼ばれた。

 教祖から言われことを、そのまま教祖の語り口のまま記憶し、何度でも、教祖と同じ話ができるようになったという。

 警察の弾圧でお屋敷に入れないようなこともあったし、雨ごいづとめをして、科料を支払わされたことも何度もあった。そのような道を超えて、明治20年正月26日では、命かけてのおつとめにも参加した一人である。

 高井猶吉(直吉)先生には逸話が多く残されていて、以下の高岡大教会のサイトに詳しい。

 戸籍では、猶吉で、通称名は直吉と書かれたそうだ。その孫は高井猶久本部員である。おじいさんことをよく覚えていて、教祖の事を思い出して、泣いている祖父の姿を語っている。

 

 

 

 

 明治14、5年頃に教祖は山澤良助、仲田儀三郎と高井直吉の3名に、「こうき」を作れとの命令を与えた。その「こうき」を書いて差し出しても、教祖はどれも諾としなかったとされる。高井は書くことができなかったので、書いて提出することが出来なかったが、渡辺優は、そのことを不思議に思っている(渡辺優(2021)22頁)。

https://opac.tenri-u.ac.jp/opac/repository/metadata/4685/GKH025603.pdf

 

  「こうき」を作ることは、教祖から与えられた道人への最大の課題である。字の書けなかった高井には、生まれ変わって次の肉体を借りた時には、W大学を出て、ひのきんクラブをつくって、しっかりと道の研究してほしいという期待があっただろう。

 教祖のぬくもりは、高井先生の事績から類推できる。しかし、存命の教祖を動かす、天の理、法則的なものへの理解には、不十分さがあった。 教祖の肉声の丸写しではなく、自己の魂に刻んで、理としての理の道の探究はまだまだである。 

 

  本席様のさしづをいただいた高井猶吉先生はどのように受け取っていたのだろうか? 本席様のそば、筆取りの仕事はできなかっただろうが、本部の重責を歩まれたので、刻限話については何度も聞かされたはずである。明治41年にようやく本部員とはなったが、それ以前は使い走りだけではなかっただろう。  

 本席時代の本部員への仕込みが何であったのかが、研究されてないといけない。

 

  永遠に語り伝えるべき何か、それが「こうき」ではないだろうか。各時代ごとに最先端の理にもとづき、体系的に理を世界に広めることが求められる。理の視点にたった教祖伝、元の理を通じた世界と人間の根源と未来の道、世界のあらゆる宗教、民間信仰、裏守護の世界とこの道と関係、肉体と心と神との関係性・・・これらが「こうき」の主題となるだろう。  

 

 人類が共通して共有すべき物語、ナラティブ、それが「こうき」である。

 

 人類の社会的課題の共有のためには、それを背後から支える、世界と人類の根源である神の物語を共有しなくてならない。