「天理教」は宗教か、真実の教えか -13ページ目

「天理教」は宗教か、真実の教えか

「天理教」に関するまじめな宗教学的、神学的な考察

北海道の漁獲資源が乱獲で激減した。乱獲の反省から、漁獲量の制限や保護育成の事業が推し進められ、50年ぶりの不思議な景観が見て来たというストーリー。1年?に及ぶ、長い撮影記録を編集されたもので、大変見ごたえがあった。受信料は支払うべきものであることを感じる。NHKプラスでもまだ見れる。 

 

 

https://plus.nhk.jp/watch/st/g1_2022010933573

 

1.ニシンの産卵によって、群来(くき)という海が白濁する現象が石狩湾で50年ぶりに見られるようになった。

  かつて、 「宝の魚」といわれ、ニシン御殿もできた。漁師の欲望を起こす魚だったが・・・。 乱獲で激減してしまった。 ニシンは「鯡」とも書き、肥料に使われるほど乱獲された。 「鰊」とも書く。  

  25年前から稚魚を流して、地道な資源管理が続き、ついに群来が見えるまでになった! 

 

 

2. ホッケの大群が渦を作る。巨大な柱の中では、プランクトンが集まり、ホッケ栄養となる。

   ホッケの産卵場所は礼文・利尻島周辺であることが科学的に発見された。近海のナマコ漁を2か月停止する方策が理解された。

   漁協資源の持続性のため。ノルウェーの管理漁法も紹介。

 

3.ホタテの大集結する奇観。

  オホーツク沿岸でホタテの保護と育成(資源管理)で漁獲量が再生した。輸出額が世界一に。

 

 人の食に関わる水産資源の管理がテーマであった。持続可能な管理方法によって、次世代の人たちもおいしい魚が食べられますように。お魚の恵みが豊かな北海道での取り組みは大変勉強となった。  

 

 

   

 

 

 

 

 Covid-19によるパンデミックが全世界を覆って、2年近くなる。自然現象・社会現象としてのこの有形の世界において、各宗教はいかに救済の福音を伝えているのか? 宗教による救いはあるのか? 

 最新のWHOの統計(2021年12月8日)では、世界では、267,184,623人の感染者数、5,277,327 人の死者数という大惨事である。2億人の感染者がいて、その後遺症も大変なことが知られている。親しい人、愛する人が500万人もお亡くなりになったことになる。 

 

  世界最大の宗教組織であり、世界の政治的指導者たちにも大きな影響を与えている、カトリックの本山、バチカンでは、当初から、この事態への精神的な祈りをささげてきた。

 「バチカン典礼秘跡省が、新型ウイルス感染終息を願う特別ミサ実施を認める教令」2020年3月20日より

・バチカン典礼秘跡省が、新型ウイルス感染終息を願う特別ミサ実施を認める教令 | カトリック・あい (catholic-i.net)

 

これに遅れること、1年後に、天理教の教会本部でも、毎月1日に「コロナ終息のお願いづとめ」が2021年4月より実施。

最新のは、11月1日に実施された。

今こそおぢばにひと粒の種を 本部神殿で新型コロナ終息のお願いづとめ - お道のニュース | 天理教・信仰している方へ (tenrikyo.or.jp)

 

 12月1日にはなかったようだが、ご本部での、真実のおつとめが聞き入れられたかもしれない。日本国内では、急激に感染者数が減っており、下げ止まりの状態が日々報道されている。

 11月の天理教教会本部の月次祭では、前川治夫本部員が、新型コロナの感染拡大を「世界規模の大節」と明言されたことは、その通りである。

小春日和のなか 本部11月月次祭 - お道のニュース | 天理教・信仰している方へ (tenrikyo.or.jp)

 

 「世界規模の大節」という事情はいかに理解すべきで、いかなる意味があるのか?  陽気暮らしを求めてこの世の現れた親神が天保9年以来、顕現されている意味は何か。   2年前からすでに「新しいことが起きる」と神様からの預言があり、人間世界を支配する神様はそれに備えておきなさいとお話であった。そして実は、驚くべき事態はこのことであった。 これは世界の大掃除という「新しいこと」であった。人類の汚れた心、欲に切りない泥水があり、それを一掃するための驚くべき仕掛けであったという意味が含意されている。

 

 カトリックは、この事態を父なる神によるミステリーというだろうが、親神は、「世界の掃除」だという。ここに救済思想が大きな違いがある。

 

  我さえよければという利己主義、我が国やわが社さえよければという心では、霊性共同体による真の陽気暮らし文明は構築できない。

 

  今さえよければという短期的視野では、持続可能な未来の世代が喜べる真の陽気暮らし文明は構築できない。

 

  こうした真の持続的文明を築く基盤つくりとして、今のコロナ禍という世界の大掃除が進んでいると思案しないといけない。

 

  日本は今、感染終息に向かいつつあるが、世界は今だ難儀の中にある。  

 

感染終息の願づとめ、心磨きの道をストップしてはいけない。 

 

日々の守護を最大限に喜べるひな型の人間像が日本からグローバル社会に発信されていく時代へ進みたいと思います。  

 

 

 

 

  19才の女性に降りた、六度目の天啓は以下のような8首のお歌で、一挙に内容が増した内容です。 各歌の冒頭の番号は、説明のために私が付けたものです。

 

平成二年十二月十一日午前一時二十分                  

 1.  真実の 心をすぐに つくりたら    すぐと受けとる それが神やで

 2.  心にも 神の思惑 映しおく    魂で感じ 考えよ

 3.  魂で考えたこと 人間の心   と違う 確かわかるか

 4.  感じたら すぐに答えを 出してみよ   神は答えを 待っているのや

 5.  その答え 自分で出して いるやない   神が教えて いることを知れ

 6.  このような 不思議な事が ある事を   肌で感じて しかと信じよ

 7.  心には 人が信じられぬこと   映ってくるで これが不思議や

 8. この世の事は すべてが神による  人がどうにも できんことやで

                                    OO 拝す合掌

 

 これは大変神秘的なことなので、誰にも信じられないことです。しかし創造主である親神=存命の教祖(おやさま)が直接的に、一人の女性に語りかけてきたのです。そして、その若い女性は、授かった神の詞を書きとられたのが、上記の八首の神の歌です。  

 末端の天理教の布教師の娘として育って来ましたが、よもや自分にこのようなことが起きるとは思わなかったことでしょう。どこにでいる普通の少女です。ただその父親は尋常な布教師ではなく、教理に精通した布教師で、特に『おさしづ』についてもかなり深く勉強し、『元の理』に関する著書も書いていたほどです。

 彼女の天啓が真正な教祖の詞か、否か? 本席以降、北大教会でおきた天啓録も研究していましたが、その父親のもと、それは間違いのない、啓示として受け取られたのでした。  

 当時、20代そこそこであった、私たちにも、その若き啓示は、驚きと好奇心の対象となるものでした。

 それは、それとして、この8首のお歌の意味について、味わっていきたいと思います。

 

 天保9年の時に、教祖が神がかりとなった時は、3日間かけて、月日の社として、夫善兵衛さんが受諾するまでが大変な治め方であり、

或る意味、教祖の身体に無理が重なり、命がけで納得させる天啓劇場がありました。

 

 それと比べて、この度は、天理教の歴史も蓄積され、彼女は生まれる前から、見定められて、その布教師の娘として誕生し、育ったのでした。父親が人類を代表して、最初にこれが天啓であると認め、私たちに伝達されたのでした。  神様としも大変治めやすかったと思われます。父親が、娘の啓示を最初に受け取る人間となります。しかし、そこには父と娘という私情をこえて、天意を伝える啓示役と、受け手としての真柱的な父の役割がありました。 存命の教祖の言葉を求める環境が用意され、その中に神様は待ち望んで顕現されたのでした。   

 

 本来なら、お地場でなされるべき、啓示役と受け手の役割ですが、地場は事情中であり、前生での通り返しの天命・運命もあり、このような末端の布教師の家庭で、不思議な啓示現象が起きたのでした。 まだインターネットが普及する前の時代で、数年して情報化時代が広がる前夜の出来事でした。

 

 天啓を受けているかの女の心の中でも、いろいろともやもやがあったでしょう。しかし、魂に映る真実の言葉は、彼女の心に突き刺さる内容をもって迫り、それに彼女は素直に受け取ったことが感じられる内容です。  

 

 人間は普通に生きているが、実は生かされている。かしものかりものの肉体を借りて、生かされている。コロナ禍も人間の思い通りにならないことが続きますが、こうした有形の世界はすべて神が支配している。  それが8首のお歌で明確に明かされています。

 

 疑い深い人間には、これは作為か、人工物か、気違いかといろいろと解釈できるでしょう。しかし、真実の神を求めるこの布教師の元に集まった小さな集団には、これは間違いのない福音(good news)として受け取られたのでした。 ただ受け取り方にも、重い軽いは人ごとに違っていました。30年以上前の私も、まだ若く、受け取り方は非常に浅かったと反省しています。 

 

 この詞を直接受け取った、その女性がなによりも、高速で成人する姿がその後に続き、啓示者と周囲との心のレベルの差は一挙の隔離したのでした。  そのような懴悔の気持ちもこめて、お歌の内容をしっかり味わい、我が心つくり方の勉強をしたいと思います。

 

   

 

(つづく)

 

 

 

 

 天理教の原典である『おさしづ』の編纂を任されたのは、桝井孝四郎[1894-1968]さんで、その著書『みちの秋』(昭和13年)には編纂に至る経緯、天啓録をまとめた意義、おさしづの解説などが書かれている。

 

 本書では教祖の天啓についても書かれていることをここで取り上げたい。教祖の謦咳に接した人たちの次世代にあたるのが桝井先生の世代で、貴重な証言も残されていて、興味深い。

 

 本書のp.33-43は「おさしづに就て」というタイトルでの一節である。その一節からの学びを此処に残したい。

 

 

 教祖による天の声は、『おふでさき』1711首に残されているが、教祖にも刻限話がたくさんあり、それらは筆記されることは無かったことが書かれている。「聞き流し、説きながしであったのである」という(p.38-39)。

 孝四郎の叔母の村田すまの証言などにそのことが書かれている。教組を通じた天の声が、書きとられることがなかった。

 

 また、明治14年に修司先生が出直された直後、お春さん、秀司さんの霊が教祖の肉体を通じて語ったことも、村田すま(孝四郎さんの叔母)の証言として書かれていた。

 

 教祖が、秀司さんような声、またお春さんのような声で語ったとされる (p.41-42)。

 

 秀司さんの反省の弁も重要である。「神様の仰ることを止めてきた。どうぞこれからは、之を雛形として神様の云ふ事をを守ってくれ。私はこんなになりました。」(p.41)

 

 秀司さんの雛型は、神一条の純粋モデルとは言い難い、人間一条を含めた信仰モデルの挫折を雄弁に語っている。教祖の長男として、もっとも素直に従うことが求められながら、それが出来なかったという厳しい人生を歩むことが運命づけられた人生であった。

 

 秀司さんは、その功績から二代真柱の正善として、スケールの大きな信仰者として歩まれた。しかし、中山家中心の天理教を存続発展させ、長生きは出来なかった。

 

 

 

 

 人間の肉体は亡くなっても、魂は永遠であり、魂はまた別の肉体を通じて生まれ変わる。 その証拠となるようなエピソードとして、亡くった人の霊が、存在し、その霊が教祖を媒介(medium)として、語るということである。

 

ここには教祖が霊媒(medium)としての機能を果たしていることに注目したい。  

 

  本席様のおさしづの中でも、秀司さんの霊が語る場面が確かにあった。その際も、本席様は霊媒(medium)としての機能も果たしている。

 

 神様の言葉を直接的に受ける神の機械が、霊媒しての機能も果たす。  

 

 霊媒は、諸宗教の職能の中でもよく発現している。青森のイタコ、沖縄のユタなどもそれにあたる。

 

 ただ、親神の顕現である機械の言葉と、亡くなった人の霊の言葉と異なるものであることを自覚しないといけない。

 

 

 なお、桝井先生も、こかん様は若い神様とよばれ、天啓者の一人であった(p.39)と明白に記していることだけ付言したい。

 

 

 

「悟りたらすぐに心を改めよ

 それが末代の種になるぞや」(平成二年十二月八日 午後十一時三十分)

 

これは第5回目のご啓示で、第4回目に連続した内容として理解すべき内容のお歌です。

 

5日前の第4回目のお歌を繰り返すと、以下のものでした。

 

「魂の中では聞いておりながら 

  答えが出せぬ 神の残念」

「魂の答えを隠す人間の

  心があれば どうもならんで」 (平成二年十二月三日)

 

魂の中で神様のお言葉に違いないと分かっていながら、その魂の答えを隠してしまった。 

 

それは過去のことですが、過去性の悪因縁が魂の汚れてとして、残っています。

 

しかしどんな罪悪人でも反省することはできます。

 

反省して回心することが求められています。 

 

そこに宗教の可能性があります。 宗教の存在価値があります。

 

誰でも、真実の神様に目覚めるまでは、大きな過ちを犯しています。汚れた人間心、「今さえよければ、我さえよければ」という心使いを誰もしています。持続可能ではない、こうした心使いは将来に禍根を残します。  

 

短期志向で近視眼的に目先のことにとらわれる。

 

利己的に己の利得ばかり考える。

 

自分の会社だけ、偏狭な愛国心など、それも我さえにはいるでしょう。

 

魂の答えを隠したことで、魂は大変汚れてしまいました。 

 

それを真から反省し、罪を深く自覚されたことでしょう。

 

そのような悟りを神様はお受けになって、「悟りたらすぐに心を改めよ」という確証のお詞を与えたのだと思います。

 

確かに反省し、さんげが出来たことに対する神様のお褒めの言葉です。  

 

その決心は「それが末代の種になるぞや」という未来永遠に希望を与える大望の保証がなされたのです。

 

以下のようにキリスト教の『聖書』の中に、永遠に関わる言葉が沢山あるようですが、天理教では「末代」という言葉で、永遠性を伝えています。

 

 

種というのは、いずれ芽がでるということです。どんな芽がでるのか?

 

種とは比喩的な言葉で、人間の心こそが種だと明かされています。 

 

人のこころが創造原理となるのです。 人間の心を受け取って、有形の世界が創造されます。

 

人の神との協創によって、世界が作られていきます。  

 

いろいろな心がありますが、悟った心=神の心にこそ、末代の種になる原因があるのです。

 

19歳の少女が何を悟ったのかは、今では分かりません。 たださんげし反省し、神様の大きな心に目覚めたことは確かだと思います。

 

なおこの詞は、お風呂の中にいた時に映った詞だそうです。その他にも神様から映ったものがあったそうです。

 

魂の中で、神様のお考えとは何かを自問自答する中で、神様が確かな言語でもって、教えて下さるのが神の詞です。

 

自問自答する中で、分かりにくいことは、神様は言葉を言い替えて教えて下さるそうです。それが言語化された神の詞だということです。

 

魂の中でいろいろ観念(イデア)が思い浮かび、論理的、理性的にも考えることができるでしょう。 

 

これはどういう事か? 神様とは何か? 不幸な人がいる原因は何か? 

なぜ自分にこのような神の詞が映ってくるのか?  

考えたら、わからないことばかりです。

 

このような魂の求めに、神の詞がその魂に返ってくるのです。  

 

神様の思惑は普遍的な真理の言語化となって、「神の詞」として今では、誰でもいつでも触れることができます。

 

明治時代に『おふでさき』を通じて神様は、教祖(おやさま)を通じて最初にその思惑を残されました。

 

平成の御代になって、今度は一人の少女を使って、『神(をや)の詞(うた)綴り』として、再度、その神の思惑を説きなおされたのでした。

 

(つづく)

 

 

「魂の中では聞いておりながら 

  答えが出せぬ 神の残念」

「魂の答えを隠す人間の

  心があれば どうもならんで」 (平成二年十二月三日)

 

19歳の少女に起きた、4度目の神様のメッセージは、上記の2首の和歌体のお歌でした。

 

 目に見えない神様を信じる強い信心が、末端の天理教の布教師の元で育てられながら、自然とはぐくまれきました。

 

 普通の女の子ですが、決しても表立っていう事はないですが、強く秘めた決心をもっていたと思います。

 

その彼女に、神様からある重大な魂への問いかけがありました。

 

 天理教は心の教えで、心という用語は啓示言語でよく使われてきました。しかし、「魂」と言う用語は『こうき話』以外には『おふでさき』にも、『おさしづ』でも余り類例のない使用言語です。

 

 とはいっても、魂に関する教えが、平成時代の教祖の啓示の中には、これから頻出するのが大きな特色です。時代時代に応じて説き分けていることは確かですが、聞く人間の側にきちんと響かなければ、神様のメッセージも軽く扱われる危険性があります。

 

 この2首は当初は一般的な意味でしか私は理解しておらず、聞く人が聞くと、ギクっとする大変恐ろしいメッセージが含まれていました。

 

人間の魂は神様からの分けみ魂、ご分霊であることが教えられていました。その人間の魂は元の親である神様(おや)の声を聞けば、それが親の声に違いないことが分かる性質をアプリオリ(先天的)に持っているのです。

 

 天啓を通じて神の詞(ことば)があるとして、それを神の声とみなすのか、人間が創作したものとみなすのか?

 

 教祖(おやさま)に天保九(1838)年に神がかりがあった時、誰もそれが、天の神の声だとは信じなかったのでした。

 

 大音声の啓示が繰り返されるなか、2,3日飲まず食わずで教祖の体が危険な状況となり、やむなく、月日の社(やしろ)として

 夫の善兵衛さんが受け入れた史実があります。  

 

 教祖ご自身は内面に聞こえてくる神の声を自らの魂で受け止め、真実の神、元の神だとご自覚になったことだと思われます。

 

19才の娘さんは魂の中で、神の声を確かに認識したのでした。しかし、「魂の答え」が出せなかったという・・・。

 

それは何を意味するのか?  「魂の答え」とは、神と人との魂の応答関係において、

神の呼びかけに人間が応じるか否かということに関わり、その答えが出せなかったことが含意されています。

 

 人間の魂は自由の心使いができる主体です。そのため神様に反対する自由な心使いもできるのです。神からの逃亡、我が道を歩むことが人間にはできるのです。

 

 これは今世(今生)の話ではなく、前世(前生)においての彼女の魂の遍歴の中でおきたことに対する、「神の残念」でした。

 

 「神の残念」は『おふでさき』にもよく出て来る用語で、天理教の人は良く知っています。 

 

概ね神様の意図が否定されること、甘露台が取りはらわれたことが残念という言辞があったと思います。

 

 2首目も同じことが別の表現で言い替えられているだけです。魂の答えが出せない=魂の答えを隠す。

 

 残念である=どうもならない。

 

 「どうもならんで」という表現はいかにも大和の方言っぽいです。現代の奈良方言でも、こうなのかわかりませんが、東京に暮らしていた少女のボキャブラリーではないことは確かです。

 

 神の詞が聞けないとうことは、人間の魂が汚れるということです。神の詞は人間の魂を呼び起こし、魂を掃除するために不可欠なメッセージです。 そのメッセージを第一に受け止めるべき大切な魂の持ち主であるこが、実は含意されていました。

 

 今世の彼女は素直に信じる素養が十分にあり、若くして神の機械となりました。 教祖の三女である、こかん様以来の若き神の誕生です。 

 

 直接のご啓示をうけた本人は、ただちに自分の前生の罪を自覚しました。   当時私は軽くしか受け取っていなかったですが、彼女は100倍受けて取り方が違っていたはずです。 

 

 神の話を素直に受け取るか。 軽く受け流すか。 信じないか。  

 

 魂の答えはいろいろあります。 

 

しかし、受け取らないことで、人類の救済が大変遅れてしまったという禍根が残されました。

 

 前世の過ちを糧として、今世の生き方を決める。   それが人類の未来を創造する種となるのです。

 

 なおこのご啓示があった時、下痢が止まらないという身上(みじょう)のお仕込みを受けている最中でした。 

 

 まさに悪因縁を身体的に掃除するなかでの絶妙なタイミングでの神様からの重大発言でした。  

 

(つづく)

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

「先案じして先を急ぐな」(平成二年十一月八日)

 

3度目のご啓示は、神様からのご注意でした。 人間誰でも焦って、失敗することは日常的にあるものです。

焦ったり、緊張すれば、スポーツ選手でも成果が出せないことがよく知られています。

 

最近でも、東京オリンピックにむけた代表選考会で橋本大輝選手が、まさからの失敗を連続させ、代表から漏れる可能性が出ました。

 

結果を出したいという気持ちが無意識に体を硬直させてしまった。楽しむ心が無くなっていたそうです。

そこに先輩の内村航平選手の一言で吹っ切れて、体操を純粋に楽しむという本来の素の気持ちに切りかえることができました。そして奇跡の大逆転を遂げ、見事に代表選考入り、さらにはあの金メダルそのものへとつながったそうです。

 

先のことは神様の領分であり、未来の形の世界も今のあたわった環境も境遇もすべて、神様が与えたものです。

 

「かしもの・かりもの理」が支配する世界では、本来的に人間が左右できるものは何一つないのです。それをあたかも自分ができているように思えるほど、神様は一人一人を守護されています。

 

何でも自分の思い通りにできると勝手に思い込んでいるのが人類全体の状況です。そこから争いや戦争や敵意や対立がすべて起きています。自分が何とかしないといけないという常識にすべての人がとらわれています。

 

未来を思い悩んで自殺する人も、もちろんたくさんいます。

 

文学には詳しくないですが、芥川も太宰も川端も作品が書けないことを病んで自殺したらしいです。

 

コロナ禍で女性の自殺者が増えたという統計もありました。

 

著名なホテルが倒産し、今朝は米澤新聞社という明治以来の歴史のある地方の新聞社が破産を申告しました。

 

人間にとって、将来の展望がないことほど、つらいことはないです。  

 

「将来は結婚しよう」と声けした学生時代のK君はついに皇族の御姫様をゲットしました。 

 

 どんな困難があっても、未来に希望をもち、世間の非難も乗り越え、早期前倒しの苦しい留学も乗り越えて、しかしアメリカのNY州の弁護士試験の合格者名簿には記載がないとNHKで報道されていました。  (今はお二人はお幸せにの気持ちですが、正式の婚儀が許されなかった時点で、アウトだと思われます・・・。)

 

 さて、その当時、少女が何を焦っていたのか、分かりません。ただ、これから「おつとめ」をしようと神前に向かわれた時に、この短いお詞(ことば)が映ってきたのでした。

 

「先案じして先を急ぐな」

 

 神様が未来も永遠に守護されること、これまでも守護されてきたこと。そのような真理を忘れて、自分が何とかしなければ、という不安まじり、不足交じりの澄んでいない心の在り方が、ご注意されたかもしれません。 

 

 あるいは、神様の守護を感じて、日々に喜んで生きて欲しい、そのモデルとなって、世界人類に伝えて欲しい。そういった期待を込めらた少女は、自分が何とかしなければ、と気負ってしまったかも知れません。

 

「先案じ」は歴史上の御教祖の中山みき様や本席の飯降伊蔵さんもお話された諭しによくでてきたフレーズで、

天理教ではよく使われます。

 

「おさしづ」でも以下の本席様の天啓はよく引用されて、天理教の人たちは良く知っています。

 

 

 

「・・・・善き種蒔けば善き芽が吹くも、世上見て一つたんのうとの心定め。

 たんのうとの理を持ちて、案じる事は要らん。

 案じは要らん、と、大きな心を持ちて理を治め。

 善き種蒔けば善き實がのる、とのさしづ、と。」

(『おさしづ』明治21年6月 大阪近藤政慶の願) 『おさしづ 縮刷版 巻一』184頁。

 

「案じ」=「案じる心」は「先案じ」と同義だと思われます。

 

「先案じ」しないためには、目に見えない神様のご守護を信じるのがベストの道です。

 

それも信心による訓練のなかで、魂が磨かれて、「先案じ」しない人間へと成長できると思われます。 

 

簡単なようで至難の業です。

 

「先案じして先を急ぐな」

 

この詞を日々に噛みしめて生きたいと思います。

 

(つづく)

 

 

 

 

 

 

 

 

「これからは何ごとにても教えるで 神の詞について来るなら」

平成2年11月14日 午後12(午前0時)

 

末端の天理教の布教師の家庭に生まれた一人娘さんは、当時19歳でした。大学入試はすべて全敗だったそうです。高校を卒業してからすぐに修養科3か月、さらに9月には講習も受けたそうです。おつとめに熱心な布教師の家庭で素直に育った娘さんは、高校を出て、人たすけの道に進みたいと決意されました。 女鳴り物の琴をいつも任されていて、おつとめが大好きな普通の少女でした。

 

10月の啓示に続いて、二度目の啓示がこの日にありました。午後12時ですから、15日の午前0時という意味かもしれません。

 

神の啓示とは、向こうからいきなり来るもので、魂に映ってくるらしいのです。これが彼女の創作物だとは誰も信じず、本当の啓示らしいと、皆最初は驚きました。  のちに、こうした神様の啓示があることは、「御用があった」という隠語で私たちに伝達されました。

 

「これからは何ごとにても教えるで 神の詞について来るなら」

 

 これは、この世を始められた根源者、元の神、実の神からのメッセージであり、同時に存命の教祖(おやさま)の現代的なメッセージでもあります。

 

 女性の啓示者は、教祖以来、103年ぶりということになります。それも教祖の時は、40歳でしたが、彼女はまだ19歳でした。天理教の天啓史の中でも最年少記録を樹立したことは驚くべきことでした。 もちろん教会本部の公認の話ではなく、私たちの天啓継承を信じる一群の中での理解ですが・・・。  

 

この世始めた神様ですから、言いたいこと伝えたいことはたくさんあります。ただ神様は特定の魂の人間にしか機械(啓示者)として使えないのです。

 

 いきなり啓示が来たわけで、少女は驚きました。しかし、驚いているだけではだめで、自ら主体的に神様は何で自分をお使いになって、そのメッセージを伝えたいのか自問自答したことでしょう。 そうした心を見抜いた神様は、「神の詞(ことば)について来るなら」という条件を提示されました。

 

 神様は彼女を「神の機械」として成人させたい。しかし、ご本人がそれを喜んで受けるのか、疑念を抱くのか、不満をもつのかで、神様としても機械として使いやすいか否かの瀬戸際に立たされます。  

 

 おそらく、彼女は内面で、神様を求める強い信心が沸き上がったことでしょう。  「ハイ、素直についていきます」と。

 

これが神と人との根源的な関係性です。  神様は人の目には見えないし、啓示が下された範囲でしか、神様の気持ちは分かりません。

 

また「なんで私みたいな末端の信徒が機械になるなんて」と思ったかもしれません。

 

この啓示は、深夜に彼女が00先生の神の御詞(おことば)を書写しようとノートを開いたときに、突如降りた詞でした。神の詞を書き写そうという、その心に乗って、神様は絶妙に「神の詞について来るなら」とおっしゃられたのでした。

 

神様についていく真実の心はすでに十分にあります。神様に云われなくても、ついていく決心はすでに十分にあります。

 

その思いは神様に受け取られ、改めて無形の神様についていく決心がついたことでしょう。  

 

神様と彼女との直接的な霊的交流(spiritual commerce)を通じて、彼女が魂人間へと急激に進化(spiritual growth)する快進撃がはじまったことに、誰もその当時は気が付きませんでした。

 

(つづく)

 

 

 

 

 

 

「しんじつの心を添えて願うなら 神がうけとる しかとみていよ」  

 

平成二年十月二十六日 午前一時

 

 これは今から30年前のこの時間に、ある若き女性が受けた最初の神様からのメッセージでした。

 

 天理教の末端の布教師の娘さんに起きた出来事でした。 

 

 地場から追い出された天啓の集団の系統ではなく、天理教の末端の布教師の娘(19歳)に起きた、不思議な出来事でした。

 

 現代の世俗化が著しい天理教教会本部からすれば、即異端の烙印が押される代物ですが、

 このブログでは、神様のメッセージとは何かという視点から考察を進めます。

 

 今月は10月で大祭月、天理教立教の元一日を祈念する大切な月です。

 

 10月26日。眞子さまがご結婚をKKさんと報告される日ですが、天理教において、天理教が始まった日が10月26日です。

 

  父親はお地場(奈良県天理市の教会本部の地所)で不在のなか、祖母が死にかける一大事が起きました。その時、少女は思わず神様の前に拝礼して、祖母の救いを祈ったのでした。その際、下されたのがこの神様からのメッセージでした。

 

 「しんじつの心を添えて願うなら 神がうけとる しかとみていよ」 

 

 真実の心とは、自分はどうなってもいいから、神様どうぞ祖母の命を助けたください、お願いします、という無私の心情です。

 

 神様にそのような己の本心の心を出して、願うなら、神は受け取るという。

 

神が受け取るかどうかは、救いが起きたか否かで分かるということではない。この起きていること自体が神様が支配している世界での出来事である。これまでも人間の心を受け取って何事も見せて来た。これからも永遠に神様は人間の心を受け取って守護をする。

 

この神と人とのつながりが、「受け取る」 「見ていよ」 という行間に溢れています。

 

天啓は、自分が創作したものではく、向こうから降ってくるものです。それゆえ、天啓と言います。

 

 世の中、一般用語の天啓として、いろいろな天啓があります。  

 

 これを信じるか信じないか、それはあなた次第です。

 

 その日、祖母が急逝されることはなく、彼女の願いは、無事にかなったのでした。とてもうれしいことでした。肝心のお父さんが不在の時、このような急変がよくあるのでした。   

 

 神様ありがとう。人間は生きている。生かされている。   

 

 この平成の天啓、現代の教祖(おやさま)の詞について、これから考察を進めたいと思います。

 

 (続く)

 

 

 皇室内のことは、庶民が口出しするのも恐れ多いことですが、情報化の発達した現在、皇統の人気・不人気は出てしまうのはDXの時代には避けられない事態です。
 眞子内親王様が精神疾患に掛かられたとのことで、KKに対すする一女性としての一途な気持ちとご自分が果たすべき国家の象徴としての皇族の責務の間に苦悶されたことと拝察いたします。

 これ以上、精神疾患が深刻にならないために、やむなく、婚姻を認める方向で今回の宮内庁の記者会見だという。


 一国民として、慶事であるべき婚姻が精神疾患の原因となってしまっていることに深い同情を致します。 ただ改めて、今回の婚姻は不吉であり、万世一系の皇統の歴史に大きな禍根をのされることをご自覚頂きたいです。


 天皇陛下に婚姻日をお知らせになったそうですが、天皇陛下がお喜びになって、その日取りの決定を受け取ったのでしょうか? 天皇陛下は、儀式をしないで、皇室を去る眞子内親王を大変不憫に思われたことでしょう。

 A家のこの不届きな婚姻騒動の始末に対して、天皇家の家長として陛下の賢明なるご聖断が下されることを期待します。愚かな弟一家の始末をつけるのが、家長の大きな責務だと拝察します。
 A家の不始末は、皇族全体への悪印象、皇統維持への大疑惑まで生んでいます。 
 婚姻が自由恋愛で、憲法が保証しているというA家の主張には正当性が全くありません。国民と皇族は明らかに、家柄も待遇も異なり、皇族は無税です。国費で維持されている皇統です。コロナ禍で自殺者も増える中で、皇室への嫉妬と過大な期待が今の世相に交じっています。
 国民が喜ばない婚姻には女王が認めなかったという先例がイギリスにあります。 
 日本の皇統の弥栄のために、陛下のご聖断に期待します。

 

 なお婚姻届け日は10月26日の大安だそうですが、この日は天理教の立教の元一日です。聖なる日です。このドンゾコからお二人が幸せな方向に向かわれるか大変危惧しております。 

 

  ロイヤーのKKさんは、ロイヤー以前に道徳心、徳義、信頼感が自分にないことを自覚してほしい。

 

 これほどの批判がある中で、辞退するのが普通です。 皇統の存続を揺るがす恐るべき青年のKKに敬意を表します。