天理教の原典である『おさしづ』の編纂を任されたのは、桝井孝四郎[1894-1968]さんで、その著書『みちの秋』(昭和13年)には編纂に至る経緯、天啓録をまとめた意義、おさしづの解説などが書かれている。
本書では教祖の天啓についても書かれていることをここで取り上げたい。教祖の謦咳に接した人たちの次世代にあたるのが桝井先生の世代で、貴重な証言も残されていて、興味深い。
本書のp.33-43は「おさしづに就て」というタイトルでの一節である。その一節からの学びを此処に残したい。
教祖による天の声は、『おふでさき』1711首に残されているが、教祖にも刻限話がたくさんあり、それらは筆記されることは無かったことが書かれている。「聞き流し、説きながしであったのである」という(p.38-39)。
孝四郎の叔母の村田すまの証言などにそのことが書かれている。教組を通じた天の声が、書きとられることがなかった。
また、明治14年に修司先生が出直された直後、お春さん、秀司さんの霊が教祖の肉体を通じて語ったことも、村田すま(孝四郎さんの叔母)の証言として書かれていた。
教祖が、秀司さんような声、またお春さんのような声で語ったとされる (p.41-42)。
秀司さんの反省の弁も重要である。「神様の仰ることを止めてきた。どうぞこれからは、之を雛形として神様の云ふ事をを守ってくれ。私はこんなになりました。」(p.41)
秀司さんの雛型は、神一条の純粋モデルとは言い難い、人間一条を含めた信仰モデルの挫折を雄弁に語っている。教祖の長男として、もっとも素直に従うことが求められながら、それが出来なかったという厳しい人生を歩むことが運命づけられた人生であった。
秀司さんは、その功績から二代真柱の正善として、スケールの大きな信仰者として歩まれた。しかし、中山家中心の天理教を存続発展させ、長生きは出来なかった。
人間の肉体は亡くなっても、魂は永遠であり、魂はまた別の肉体を通じて生まれ変わる。 その証拠となるようなエピソードとして、亡くった人の霊が、存在し、その霊が教祖を媒介(medium)として、語るということである。
ここには教祖が霊媒(medium)としての機能を果たしていることに注目したい。
本席様のおさしづの中でも、秀司さんの霊が語る場面が確かにあった。その際も、本席様は霊媒(medium)としての機能も果たしている。
神様の言葉を直接的に受ける神の機械が、霊媒しての機能も果たす。
霊媒は、諸宗教の職能の中でもよく発現している。青森のイタコ、沖縄のユタなどもそれにあたる。
ただ、親神の顕現である機械の言葉と、亡くなった人の霊の言葉と異なるものであることを自覚しないといけない。
なお、桝井先生も、こかん様は若い神様とよばれ、天啓者の一人であった(p.39)と明白に記していることだけ付言したい。