以前書いたものを、改訂しました。
天理教の教団のトップリーダーの在り方について、その存立意義について、及ばずながら提言したものです。
わたしが安倍首相なら、最後に云いたかったことは、ここに書かれています。
いかなる政治家といえども天の声に耳を傾けて、わが身や世界の運命にいかに対処すべきか、その根本は神様から各自が教えてもらうしかありません。
以前書いたものを、改訂しました。
天理教の教団のトップリーダーの在り方について、その存立意義について、及ばずながら提言したものです。
わたしが安倍首相なら、最後に云いたかったことは、ここに書かれています。
いかなる政治家といえども天の声に耳を傾けて、わが身や世界の運命にいかに対処すべきか、その根本は神様から各自が教えてもらうしかありません。
天理教の教祖、中山みきの夫の中山善兵衛はどんな人だったのか?
同様に、東本大教会初代会長の中川よしの夫である中川彌吉先生はいかなる人だったのか?
どちらも偉大な妻の背後で、評価が低いか、忘れ去られている人物としてここで、光を当てたい。
これは夫婦関係の在り方、天理教における救済の方法論という二重の問題が絡み、常識的には理解が難し問題である。以下、若干の試論を行う。
教祖の夫、善兵衛さんが、妻の神懸かりにあたり、「みきを神の社(やしろ)」として捧げますという決意はしなければ、中山家は滅んでいたし、天理教と言われる神の道は広がらなかっただろう。強引な神の要請に、善兵衛さんが人類を代表して、妻を神として認めたこと。そこから曲りなりにも、このお道が創始された。
だが、それによって救済があるどころか、夫としては社会的地位も名誉も財産も失う道に妻が突き進む。その道程は天理教の原始教団の基盤作りであり、その背後で彼は失意の中で亡くなっただろう。 善兵衛さんは、世間体に苦しみながら、妻の善き理解者としてつとめた影の功労者である。
宗教家として第二の教祖とまで言われた、中川よしは慈母として慕われ、明治期から大正期に掛けて大東本といわれるほど、多くの信徒を育てた。女性カリスマであり、救済の名人であった。その夫が中川彌吉さんである。夫婦別々に天理教の布教の道に進んだことで、夫婦としての暮らしは皆無に近く、最後はともに東京で近くに暮らす。しかし妻はすでに東本宣教所で初代として大活躍。彌吉は松村吉太郎の命令で、妻と暮らすべきだと言われて、東京に来た。そして彌吉は、妻を理の会長として立て、自分は生涯、教会なしの覚悟で単独布教の道を歩む。
ところが、自分が上級の南分教会の会長の救済に行っている間に、経堂が妻によって建てられてしまう。大正大震災で焼失、移転して、空襲で焼失。そして今の天理教本杉分教会(荒川区東尾久3丁目)に至る。彌吉も諭しの名人であり、因縁の諭しは正確無比であったとされる。これは個人ごとに因縁は異なるが、前生の姿が心に映じてきたようである。
泉田藤吉から直伝の水行や断食などの荒行をいれて、身を潔斎してお助けに掛かった。私利私欲を全く排して、勤め一条、地場一条、助け一条の日々を送った。お棺の中にいた女性も救われるという奇跡もあった。
東本へは本杉の賽銭をすべてお供えしたり、野菜もお供えした。子供には、「お母さんは偉いから何でも言うことを聞きなさい」と諭していた。妻を教会長して、理の親として立てつくした人生であった。
久しぶりに天理教の教会に足を運び、学ぶものがありました。
天理教伝道史には感動的な逸話が溢れています。
参照
野々口敦教『天理教は魂の教えー本杉初代会長中川彌吉の魂の理に学ぶ-』天理教本杉分教会発行、2015年。
中川彌吉[安政元年~大正12年1月22日、69歳で栄養失調で出直す]
明治20年 秋山よしと結婚
明治24年 彌吉の姉の髙向いよが、松永好松より匂いがかかる。夫婦で道に目覚める。
明治27年 長男の庫吉の寒中に池に落ちて亡くなりかける中で救われ、高安にて佃巳之吉からの諭しで、道一条を決意。
明治34年 おさづけの理拝戴
明治43年 東京下谷区金杉下町67番に本杉宣教所設置のお許し
遊説中の安倍元首相の狙撃事件は、衝撃的で、TVでもずっとこのニュースで持ち切りだった。
手製の銃で、散弾銃とは違うらしい。 安倍元総理にはSPがたくさんついていたが、背後のスキをついたらしい。
明治期に板垣退助自由党総理が切り付けられた事件。
昭和初年に浜口雄幸首相が東京駅で刃物で刺された事件で、その後死亡。
五一五事件で首相の犬養毅首相が陸軍の青年将校らに暗殺された事件。
二二六事件で高橋蔵相などが暗殺された事件、首相は難を逃れたが、警視総監も確か暗殺された。
戦後の社会党の浅沼さんが演説中に刺殺される。
どれも政治家にむけた暴力的な反対声明や政権転覆を目指したもので、プーチン大統領と似た方法である。
民主国家日本での事件は世界にも衝撃を与えている。
事件が近鉄奈良線、京都線の交差する、大和西大寺の駅前ロータリーで令和4年7月8日、午前11時半に起きた。 大和西大寺は、お地場帰りする際に、いつも通るなじみの駅である。
奈良県天理市のお地場からもそれほど遠くない奈良県奈良市の西大寺。
お地場の近くでこのような惨事が起きてしまった。
陰ながら、延命の願いづとめをさせてもらいました。 どうかしっかり助けたいただけますように。
合掌
岸田総理 午後2時45分 首相官邸から緊急記者会見
閣僚すべて遊説先から帰国させる
昭恵夫人 近鉄京都駅 特急 3:30 乗車
近鉄八木駅に4:32到着、橿原市の病院へ。
4:57 病院の裏口から入る。
5:55頃 死亡のニュース 67歳で死亡
容疑者の自宅マンション(奈良市内)を家宅捜索 5:15
爆発物処理班など10数名
奈良県立医科大学付属病院 記者会見(救急医学専門 福島英賢教授)
午後6時15分頃 同病院にて
5:03 死亡確認、失血死、喉に2カ所銃創、心臓部まで達する
20人の治療体制、100Lの輸血もかいなく。
奈良県警の記者会見 午後9時半 犯人を殺人容疑に切り替えた。電車で来た。
犯人は特定の団体に安倍さんがつながっていると思い込んで、凶悪な行動に及んだ
家宅捜索で、数丁同様の拳銃が押収された。
NHKニュース 9-11時まで延長 及川記者の現場映像が何度も利用される。
日本で起きてはいけない凶弾による元総理の暗殺事件。人間心の最悪の理を見て、いかに心を治めるべきか。心自由の人間が心自由に人を殺すこと、世界の戦争で何千人も亡くなる中、日本ではたった一人の偉大な政治家へと悲劇の暗殺事件に注目が集まる。
「今年は驚くことが起きる」という神様からの預言の一つが、このことだったかもしれません。
NHKの番組
7/1(金) 午後10:00-午後10:44
を見て、その中で、ある画商の息子、コルネリウス・グルリットが2014年5月6日にドイツのミュンヘンにあるマンションの一室で81歳で一人静かに息を引き取ったことが紹介されていた。
誰とも交渉をもたず、独身のまま、ドイツ国内に暮らしていながら、住民登録もせず、健康保険などにも入っておらず、幽霊のような存在であった。国籍はオーストリアにあったのだという。
税務当局が家宅捜索して撮影した写真によれば、30年前に賞味期限の切れた加工品の瓶や封の切れていないパジャマなどが大量にあったという。 記者によれば、普通の人の暮らし方とは明らかに違うものが印象的だったという。
そのスクープされた謎の老人は、孤独な風貌で、何も語らずに、唯一の遺言は、残された大量の絵画をスイスに寄贈したいとういことであった。
彼は、スイスの銀行に莫大な預金があり、その預金をおろして生計を立てていたという。しかし、2012年に税務当局から巨額の現金を移送していることが発覚してしまい、家宅捜索を受けることとなった。そこで当局から彼のマンションに数千点の絵画が収蔵されていることが発見された。
彼の父、ヒンデンブルト・グルリットはナチス御抱えての4大画商の一人であった。ユダヤ人や美術館からナチスが略奪した絵画であることが、その後の美術史家の研究で判明する。コルネリウスの父はナチスから絵画を守るために、取引をしたと証言していたが、実は、戦後に略奪品を返却しなかったことが分かった。 ドレスデンの空襲で焼けて残っていなかったと嘘をつく。
その父は、1956年に交通事故で亡くなる。 その父から譲り受けたのが、マンションで発見された大量の絵画であった。
略奪品を公開することなく、コルネリウスは当局に発覚するまで隠匿しつづけた。記者によるスクープの事件から半年後に彼は亡くなった。
モノに囚われ、心晴れることなく、一人ぐらしを通した彼の人生観に暗たんたるものを感じる。
モノを捨て、何もない状態がもっとも心が整理整頓され、開運も開かれる。
参照 「一倉定が説く「環境整備」の驚くべき効能とは」
教祖が明治7年1月に書かれた、『おふでさき』第3号のお歌の一節として、以下のものがあります。
人のものかりたるならばりがいるで
はやくへんさいれゑをゆうなり (III28)
「人の物 借りたるならば 利がいるで 早く返済 礼を言うなり」
というように、人間関係の貸借において、利息を返すようにという意味でよく解釈される。
ここで、「貸しもの借り物の理」という根本教義の理をより深く理解するには、そのような人間相互間の道徳律の解説では間にあわない。
ヒトは他人であり、自己以外のヒト、他者としての神と見なす必要がある。
ヒト=神 という新たな地平がある。
神様が何ごとも創造され、万物を貸し与えておられる。それが貸しものの理である。
ヒトは神様から何ごとも借りている。己の身体も身の回りの全てが神様からの貸し与えられたモノという考えである。
その神様の与えに対して、人間には理(り)が必要である。この理とは、喜びの心を意味する。
貸しもの借り物の真義が分かったら、即、神様に対して喜びの心、感謝の心が先に出てこないとおかしい。
そうした感謝の心が「返済」だとか「礼」というコトバでたとえられている。
神は親であり、いつでも人間を守護されていて、どんな心でいるのかをいつも見ておられる。
不平や不満を抱えて生きているのか、喜んで勇んで生きているのか。
人間が生きていること自体が、神様が人間を創造してきたことの最大の証であり、人間にはいつまでも自由な陽気暮らしをして欲しい。
ところが他国の領土を自分の領土だという人間心により戦争が起きている。
そこには貸しもの借り物の理を知らず、人のモノは自分のモノだという所有観念に縛られ、とらわれている世界の悪理が蔓延している。
このような悪理の掃除として、コロナ禍が続き、戦争も起きている。
しかし、世界の事情は神様が新しい時代を創造させるために見せているという。
形の姿に、異常な高温が続く6月の末日において、心汚すことなく、神様の思惑を求めていきたい。
3年前に書いたものに、小見出しをつけたり、新しい情報もいれて、再編集いたしました。
異端とされた「茨 木事件」の再考こそ、私の残された命のなかでの、ライフワークであり、
いつか公表します。
久しぶりに、平成の御用の続きを思案しましょう。
大変分かりやすいご啓示で、天理教の既成概念の無い現代の普通に方にも分かる理の諭しだと思います。 このブログで真理を求めている方限定に触れることができる素晴らしいお言葉です。
スピリチュアル系の方々の心の琴線に響くお諭しでしょう。
第11回目のご啓示は、以下です。
平成二年十二月二十三日午前二時
短く言うたら 二十四時間
をやが 働いているのやで
次の二十四時間も やっぱり
をやが働いているのや
そうして 二十四時間を続けて
いくことを考えたら
一生のこと わかるやろ
今のところは それだけ
よう心に治めてくれ
〇〇 拝す合掌
<神意の思案>
「をや」とは、目には見えない親神様、神様のことである。人間世界を創造され、維持されている、御守護の主体が神様である。その神様が24時間働き続ていることを歌ったものである。
貸しもの、借り物の世界が真理であることを地球の上で誰も知らない。 天理教の人でも分かっているようで、何もわかっていない。 これを書いている私も本当は分かっていないのが真実である。
本当に、かしものかりもの理がわかったら、人間心は全くでない人間になるのである。 不平・不満や心配があるのは、神の守護を知らない、かしものかりものの理が分かっていないのである。
「24時間はたけますか」というサラリーマン戦士の歌がかつてあったが、人間は24時間働くことはできない。24時間のうち、働く時間、休憩する時間、家族と生活する時間など、人それぞれである。
ロシアの兵士たちは、国のため、生きるために、祖国防衛を大義にミサイル攻撃をする。兵力の50%を喪失したというウクライナも東部で必死に防戦している。
世界のこのような悲惨の事情がある中で、日本の世田谷の仙川あたりでは、家族連れが楽しそうに買い物をしている。 美味しいタイ料理の店は人でいっぱいであり、平和な光景が広がる。
同じ人間でも、場所によって、平和と戦争が同時に共存してい現代の社会である。
ロシアのサクトペテロブルクでは世界経済会議が開催され、西側諸国は全く参加していない。その中、プーチン氏は相変わらず、特別軍事作戦の意義を正当化する演説をする。
これもみな24時間、神様が守護されている世界の事情である。
残虐なことも神様が守護しないと、実はできていないのである。しかし、そうした事態を神様がいつまでも守護されるかは分からない。というか、理の裁きを必ず受けるはずである。
天保9年以降は、理の所在が明かされ、神様の思惑こそが真に持続可能に守護されることが明確化された。 今は世界の大掃除の特別な旬である。
2022年当時は、コロナ禍があり、戦争まで起きて、それは今2026年にも続ている。
さらに、驚くべきことがまだまだ続くという。
すべて神様が24時間守護している中で起きている。
私たちは、24時間、神様から守られている。
借り物の肉体をお借りして、こうしてパソコンも入力できるし、理の思案をすすめられる。
人間は生かされている。神様の絶対的な守護の元、生きている。
神は目には見えない。
しかし、信じている目には世界は神様の守護で満ち満ちているのである。
啓示は不思議な現象であるが、なるほどと理性を説得させる信仰の論理が教えらる。
24時間の真実は、永遠の真理をほのめかしている。
大変不思議な神様のお詞ですね。
(つづく)
教祖(おやさま)が残された『おふでさき』の一節には、いまだに成就していない壮大な預言が多くの残されている。これもその一つです。前回に続いて、3号からのお歌を引用します。
いまゝでハしよこためしとゆへあれど (3-108)
かんろふだいもなんの事やら
[今までは証拠試しと言へあれど 甘露台も何のことやら]
3号のお歌は明治7年3月に合計149首も出されている。翌年の明治8年に地場定めがあり、甘露台という信仰の対象物が建設が地場を中心として建設されることになる。
神様が人間を創造したことは神様から聞かないと人間には分からない知識です。
その神様が人間や世界を創造した証拠として、その起点としての地場を定め、甘露台を建設することが教えらたのでした。
地場の甘露台を囲んで、つとめの人衆が真実誠のつとめをすることで、真の世界平和や救済がもたらされる。
甘露台とは石で建設されるもので、サイズも六角形の形状も決められている。神秘的な巨大な柱(pillar)である。今現在は、木の柱が据えられ、その上空は「おさしづ」によって天窓となっている。
いずれ、甘露が降ってくる。 実際に試しに甘い甘露水が降ったことも教祖時代の逸話に残されていたと思うが、記憶は確かでない。
いつか不老長寿の甘露水が降ってくるという。
神か人かいう澄み切ったモノたち、神の心を真剣に学んで実践した精神の人たちが集まってつとめの人衆となる。
ここには、あらゆる人類は、甘露台というオメガ点に向かっているという壮大なビジョンである。わずかの天理教徒だけでなく、何代も生まれ変わった先に、そのような時代、文明が見えてくるだろうということである。
政治や経済によって世界平和をもたらすのではなく、真に権威のある聖地によって世界平和がもたらされるという含意である。
四方正面鏡屋敷という。
今の天理教の教会本部の神殿の中央が地場であり、甘露台が立っている。
地場・甘露台について
その地点は決められたものであり、地場の理から天啓が生まれた。教祖も、存命の理を体現した本席様も、地場を礼拝の対象とされた。
地場は空間概念と神観念という無形の理も併せ持っていて、目に見えない真理、神の理というものがあることを教えている。
貸しもの借り物の理。
心通りの守護の理。
心はどこまでも自由であるという主体性の理。
地場を中心に世界が治まるという壮大な預言を信じて、天理教という集団は形だけでも形成された。
形骸化した、霊性を喪失した地場の理ではあるが、その道の再建は地場の足元から始まる。
教祖の『おふでさき』第3号は明治7年1月より、第4号は明治7年4月より、と書かれていて、
明治7-8年の2年間に第3号~第11号と半分にも及ぶ神意が集中した年であった。そして対外的にも反対攻撃がはじまり、甘露台の地場定め(明治8年)やおつとめが教えられるなどした。
その中で、
「しんぢつの心しだいのこのたすけ やますしなずによハりなきよふ」 (3号―99)
という驚くべき神意も明かされた。
「真実の心次第のこの助け 病まず死なずに弱りなきよう」 と漢字をあてると分かりやすい。
人間にとって生きていること、病まず、死なず、弱ることもないという人間観が神様が求める人間の理想像である。
急速な高齢化社会で、日本では20年後には4人に一人が65才以上だという。
子供が少なくなり、高齢者の医療や介護の問題が深刻化することは目に見えている。
信仰していくことの一つの大きな目標として、病まない、死なない、弱らないということのためには、心次第の道であり、心の成人が直結してくる。
生かされていることを真から喜び、
貸しもの借り物の肉体で今日は無事に生きている、生かされている。
生きていること自体が奇跡であり、不思議である。
そして115才が定命(じょうみょう)だという。
「この助け百十五才定命と 定めつけたい神の一条」 (3号100)
「このたすけ百十五才ぢみよと さだめつけたい神の一じよ」 (原文より)
そこに至るには、人間の悪しき心を掃除するよりほかにはない。コロナ禍に戦争と掃除の世界的事情も進行する中で、人間の銘々の心の掃除が何よりも重要である。
喜べない人間から喜べる人間へ。
不足の多い心から、何事にも感謝と喜びをもてる人間へ。
「悪しきをはらうて 助けたまへ 天理王命」
日々に唱えるみかぐら歌の中に、救済の真理が込められている。
<合掌>
教祖(おやさま)の神意は『おふでさき』1711首に書き残されていて、日本語がわかれば、だれにでも等しく理解することはできる。
その他、口伝や言い伝えもあり、教祖の言葉だとされるものが歴史的に残されている。ここに紹介するものもそうした貴重な教祖の言葉であり、以下、書き残したい。 ただ正確性を欠いていたり、聞き間違いもあるかもしれない。そういった限界も認識しつつ、ご紹介します。
これは『梶本宗太郎自叙傳』(橋本正治編、昭和32年)に記載がありました。
宗太郎の祖父、惣治郎[1827-1887]の筆跡で、教祖のお言葉の書き取りがある。
梶本惣治郎の妻の「はる」さんは、教祖の三女に当る人で、松治郎は教祖の孫である。
https://takaoka56.com/itsuwa-006/
この言葉の割書きは以下。
「松治郎、教祖様(きょうそさま? おやさま?)に、奈良詣りに行きましょうと、誘いてお地場に来て、教祖様櫟本(いちのもと)へお越し下され、次の言葉あり」(明治17,18年頃)
(なお表記は現代仮名遣い、漢字も必要の応じて入れた。)
梶本松治郎とは、宗太郎の父である、松治郎の弟の新治郎(真之亮)は中山家の養子となり、いわゆる初代真柱様となる。以下の太字が教祖のお言葉とされる。公刊本の『おふできさ』に掲載のない、お歌形式の神の言葉と言ってもよいだろう。
「松治郎奈良詣りというて来た。神の采配行けと言うたで。 詣ろうと思うて来るも図り事。神の思惑ある故の事。
因縁をつけたと言うて案じなよ。今から来いと言うでないぞや。 めへめへに家業に心尽くするは、これが第一神の望みや。」
宗太郎さんはそのかどめについて、解説しているが、形の囚われた解釈が半分あるので、私なりにより、重要な理の角目をピックアップしたい。
1. 松治郎の誘いで神が呼ばれのではない、実は神の思惑があって、梶本家に来た。
2. 日々神が人間の心を受け取って守護を与えている。これは心通りの守護であり、人間の心を神様が受け取り、肉体をはじめ、あらゆる森羅万象を神様が支配している。これはもっとも大切な真理である。
3.梶本家は屋敷に引き寄せること。神様が見込んだ魂を引き寄せ、救済のための人材となることが期待されている。 この小人が実は、梶本宗太郎さんであることが本席様の時代になって判明する。
これは天の組織つくりの上で、神が直接望む人材が次第に、屋敷に引き寄せられることを意味する。 宗太郎の叔父は真之亮であり、初代真柱である。
宗太郎さんは20歳でお屋敷の青年となることになった。
32歳の若さで、明治44(1911)年9月26日に本部員に任命された。以下の写真参照(『道の友』1911年、240号より転載)
4.屋敷に建物が沢山立つことで、日々陽気遊山で何とも言えない結構な道となると宗太郎さんは語る。 実際に、地場屋敷多くの建物が建つ。神殿普請も実際に起きる。ただそうした形の盛大さに心が奪われて、金銭や豪華建築を作ること自体が目的化してしまう。
心つくりが主題なのであるが、ここには屋敷の盛大さをつい望み、その通りになった時代背景もあるが、いささか形に囚われている面が濃厚だ。
むしろ陽気遊山は形の守護よりも精神的な満ち足り感、たんのうの心、生かされている喜びの心が中心に来る。精神的な心作りにこそ主眼がある。
5.普請が真柱となるという言明は、比喩的に、心の普請、心の成人をして、芯の柱、信仰信念の確立された心ができれば、年をとらない。不老不死ということが預言されている。
人間は115才まで生きることが教祖の目的であった。 それなら60才に近い私も、あと50年は生きれるということである。しんのはしらを心に確立して、長生きしたいものである。
6.神様の云うことに嘘はない。 神様はあーしなさい、こーしなさいということは決して言わない。自分で考えて、主体的に行動してほしい。その心にのって神様ははたらかれる。目には見えなくとも、人間が生きていることの中に神様からの守護があり、エネルギーをもらっているのである。
7.梶本家に因縁をつける。これは、神様が来て欲しい家柄があるということ。それをほのめかすが、すぐに来いとは言わない。 人間には人間の都合があり、神に素直な人間はいない。そこで神は強制はしない。しかし、次第にそのように引き寄せの方向に守護されてくるのである。
8.家業の大切さ。これは職業を通じての勤労倫理の大切さが語られる。給付金で詐欺するよりも地道に働いて、己の家業を第一にすることが美徳となる。 働くとは「はたはたを楽にさせること」とは教祖の口伝でも有名である。 教祖も若い頃は農家の主婦として大変良くはたらいたことが、伝わっている。 勤労精神の美徳は日本人一般に広がった心ともいえる。
二宮尊徳さんがもっとも有名であるが。 ウクライナの難民の女性たちも働くことを望んでいる。 働くことは生きることである。