「天理教」は宗教か、真実の教えか -10ページ目

「天理教」は宗教か、真実の教えか

「天理教」に関するまじめな宗教学的、神学的な考察

久しぶりに、平成の御用の続きを思案しましょう。

 

異端でもなんでもない。

 

現代における存命の教祖がある少女を機械としてお使いになって、その少女(当時19才)の魂に映った神の詞(うた)を本人が書き取ったものです。

 

地場ですべき御用に、不思議にもご縁を頂いた責務として、思案させてもらいます。

 

 大変分かりやすいご啓示で、天理教の既成概念の無い現代の普通に方にも分かる理の諭しだと思います。

 

 スピリチュアル系の方々の心の琴線に響くお諭しでしょう。

 

 

 第11回目のご啓示は、以下です。

 

平成二年十二月二十三日午前二時
  
    短く言うたら 二十四時間

      をやが 働いているのやで                             

    次の二十四時間も やっぱり

      をやが働いているのや

    そうして 二十四時間を続けて

    いくことを考えたら

      一生のこと わかるやろ

    今のところは それだけ

      よう心に治めてくれ
                         〇〇 拝す合掌

 

 <神意の思案>

 祖母の危篤を契機に真実を願う心から、突如、啓示が開かれたのが平成2年10月26日で、11月、12月と数日おきに、ご啓示は続いた。 前回は12月19日で、その3日後の深夜での刻限話である。

 「をや」とは親神様、神様のことである。人間世界を創造され、維持されている、御守護の主体が神様である。その神様が24時間働き続ていることを歌ったものである。

 「24時間はたけますか」というサラリーマン戦士の歌がかつてあったが、人間は24時間働くことはできない。24時間のうち、働く時間、休憩する時間、家族と生活する時間など、人それぞれである。

 

 ロシアの兵士たちは、国のため、生きるために、祖国防衛を大義にミサイル攻撃をする。兵力の50%を喪失したというウクライナも東部で必死に防戦している。

 世界のこのような悲惨の事情がある中で、日本の世田谷の仙川あたりでは、家族連れが楽しそうに買い物をしている。  美味しいタイ料理の店は人でいっぱいであり、平和な光景が広がる。

 

 同じ人間でも、場所によって、平和と戦争が同時に共存してい現代の社会である。

 

 ロシアのサクトペテロブルクでは世界経済会議が開催され、西側諸国は全く参加していない。その中、プーチン氏は相変わらず、特別軍事作戦の意義を正当化する演説をする。

 

 これもみな24時間、神様が守護されている世界の事情である。

 

残虐なことも神様が守護しないと、実はできていないのである。しかし、そうした事態を神様がいつまでも守護されるかは分からない。というか、理の裁きを必ず受けるはずである。

 

 天保9年以降は、理の所在が明かされ、神様の思惑こそが真に持続可能に守護されることが明確化された。  今は世界の大掃除の特別な旬である。

 

 コロナ禍があり、戦争まで起きている。

 

 さらに、驚くべきことがまだまだ続くという。

 

 すべて神様が24時間守護している中で起きている。

 

 私たちは、24時間、神様から守られている。

 

 借り物の肉体をお借りして、こうしてパソコンも入力できるし、理の思案をすすめられる。

 

 人間は生かされている。神様の絶対的な守護の元、生きている。

 

 神は目には見えない。

 

 しかし、信じている目には世界は神様の守護で満ち満ちているのである。

 

 啓示は不思議な現象であるが、なるほどと理性を説得させる信仰の論理が教えらる。

 

 その女性が人間心で創作したのではない、確かな理が、その女性を通じて与えらえた。

 

 24時間の真実は、永遠の真理をほのめかしている。

 

 大変不思議な神様のお詞でした。

 

(つづく)

 

 

 


 

教祖(おやさま)が残された『おふでさき』の一節には、いまだに成就していない壮大な預言が多くの残されている。これもその一つです。前回に続いて、3号からのお歌を引用します。

 

いまゝでハしよこためしとゆへあれど     (3-108)

    かんろふだいもなんの事やら

[今までは証拠試しと言へあれど 甘露台も何のことやら]

 

 3号のお歌は明治7年3月に合計149首も出されている。翌年の明治8年に地場定めがあり、甘露台という信仰の対象物が建設が地場を中心として建設されることになる。

 

 神様が人間を創造したことは神様から聞かないと人間には分からない知識です。

 

 その神様が人間や世界を創造した証拠として、その起点としての地場を定め、甘露台を建設することが教えらたのでした。

 

 地場の甘露台を囲んで、つとめの人衆が真実誠のつとめをすることで、真の世界平和や救済がもたらされる。

 

 甘露台とは石で建設されるもので、サイズも六角形の形状も決められている。神秘的な巨大な柱(pillar)である。今現在は、木の柱が据えられ、その上空は「おさしづ」によって天窓となっている。

 

 いずれ、甘露が降ってくる。 実際に試しに甘い甘露水が降ったことも教祖時代の逸話に残されていたと思うが、記憶は確かでない。  

 

 いつか不老長寿の甘露水が降ってくるという。 

 

神か人かいう澄み切ったモノたち、神の心を真剣に学んで実践した精神の人たちが集まってつとめの人衆となる。  

 

 ここには、あらゆる人類は、甘露台というオメガ点に向かっているという壮大なビジョンである。わずかの天理教徒だけでなく、何代も生まれ変わった先に、そのような時代、文明が見えてくるだろうということである。

 

 政治や経済によって世界平和をもたらすのではなく、真に権威のある聖地によって世界平和がもたらされるという含意である。  

 

 四方正面鏡屋敷という。  

 

 今の天理教の教会本部の神殿の中央が地場であり、甘露台が立っている。  

 

 地場・甘露台について

 

 

 

 

 その地点は決められたものであり、地場の理から天啓が生まれた。教祖も、存命の理を体現した本席様も、地場を礼拝の対象とされた。   

 

 地場は空間概念と神観念という無形の理も併せ持っていて、目に見えない真理、神の理というものがあることを教えている。 

 

 貸しもの借り物の理。

 

 心通りの守護の理。

 

 心はどこまでも自由であるという主体性の理。

 

 地場を中心に世界が治まるという壮大な預言を信じて、天理教という集団は形だけでも形成された。

 

 形骸化した、霊性を喪失した地場の理ではあるが、その道の再建は地場の足元から始まる。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

教祖の『おふでさき』第3号は明治7年1月より、第4号は明治7年4月より、と書かれていて、

明治7-8年の2年間に第3号~第11号と半分にも及ぶ神意が集中した年であった。そして対外的にも反対攻撃がはじまり、甘露台の地場定め(明治8年)やおつとめが教えられるなどした。

 

 その中で、

 

 「しんぢつの心しだいのこのたすけ やますしなずによハりなきよふ」 (3号―99)

 

 という驚くべき神意も明かされた。

 

 「真実の心次第のこの助け 病まず死なずに弱りなきよう」 と漢字をあてると分かりやすい。

 

 人間にとって生きていること、病まず、死なず、弱ることもないという人間観が神様が求める人間の理想像である。

 

 急速な高齢化社会で、日本では20年後には4人に一人が65才以上だという。

 

 子供が少なくなり、高齢者の医療や介護の問題が深刻化することは目に見えている。

 

 信仰していくことの一つの大きな目標として、病まない、死なない、弱らないということのためには、心次第の道であり、心の成人が直結してくる。

 

 生かされていることを真から喜び、

 

 貸しもの借り物の肉体で今日は無事に生きている、生かされている。

 

 生きていること自体が奇跡であり、不思議である。

 

 そして115才が定命(じょうみょう)だという。

 

 「この助け百十五才定命と 定めつけたい神の一条」 (3号100)

 「このたすけ百十五才ぢみよと さだめつけたい神の一じよ」 (原文より)

 

 そこに至るには、人間の悪しき心を掃除するよりほかにはない。コロナ禍に戦争と掃除の世界的事情も進行する中で、人間の銘々の心の掃除が何よりも重要である。

 

 喜べない人間から喜べる人間へ。

 

 不足の多い心から、何事にも感謝と喜びをもてる人間へ。

 

「悪しきをはらうて 助けたまへ 天理王命」

 

 日々に唱えるみかぐら歌の中に、救済の真理が込められている。

 

<合掌>

 

 

 

 

教祖(おやさま)の神意は『おふでさき』1711首に書き残されていて、日本語がわかれば、だれにでも等しく理解することはできる。

 その他、口伝や言い伝えもあり、教祖の言葉だとされるものが歴史的に残されている。ここに紹介するものもそうした貴重な教祖の言葉であり、以下、書き残したい。 ただ正確性を欠いていたり、聞き間違いもあるかもしれない。そういった限界も認識しつつ、ご紹介します。  

 

 これは『梶本宗太郎自叙傳』(橋本正治編、昭和32年)に記載がありました。

 

 宗太郎の祖父、惣治郎[1827-1887]の筆跡で、教祖のお言葉の書き取りがある。

 

 梶本惣治郎の妻の「はる」さんは、教祖の三女に当る人で、松治郎は教祖の孫である。

 

https://takaoka56.com/itsuwa-006/

 

 

 この言葉の割書きは以下。

 

 「松治郎、教祖様(きょうそさま? おやさま?)に、奈良詣りに行きましょうと、誘いてお地場に来て、教祖様櫟本(いちのもと)へお越し下され、次の言葉あり」(明治17,18年頃)

 

 (なお表記は現代仮名遣い、漢字も必要の応じて入れた。)

 梶本松治郎とは、宗太郎の父である、松治郎の弟の新治郎(真之亮)は中山家の養子となり、いわゆる初代真柱様となる。以下の太字が教祖のお言葉とされる。公刊本の『おふできさ』に掲載のない、お歌形式の神の言葉と言ってもよいだろう。 

 

 「松治郎奈良詣りというて来た。神の采配行けと言うたで。 詣ろうと思うて来るも図り事。神の思惑ある故の事。

   日々の神の心受け取りて、すべて珍し助けするなり。

   この助け、これ何時頃と言うならば、小人成人次第なるぞや。この小人十三才になりたなら、親子もろ共引き寄せるなら、引き寄せてその先なるは段々と、いつも陽気で遊山遊びを、日日に遊山遊びのそのうちに、中で普請の模様ばかりを。

 この普請しんはしらともなるならば、いついつまでも年を寄らんで。 何十になるいても(註ーなると言うても)案じなし。身の内弱りつくでないぞや。

 神のゆ(註ーゆう)事疑うな。 何を言うても、嘘はないぞや。

 家内中因縁つけてあるけれど、何を言わねば知らん事なり。

 因縁をつけたと言うて案じなよ。今から来いと言うでないぞや。 めへめへに家業に心尽くするは、これが第一神の望みや。」 

 

 

 宗太郎さんはそのかどめについて、解説しているが、形の囚われた解釈が半分あるので、私なりにより、重要な理の角目をピックアップしたい。

 

1. 松治郎の誘いで神が呼ばれのではない、実は神の思惑があって、梶本家に来た。

 

2. 日々神が人間の心を受け取って守護を与えている。これは心通りの守護であり、人間の心を神様が受け取り、肉体をはじめ、あらゆる森羅万象を神様が支配している。これはもっとも大切な真理である。

 

3.梶本家は屋敷に引き寄せること。神様が見込んだ魂を引き寄せ、救済のための人材となることが期待されている。 この小人が実は、梶本宗太郎さんであることが本席様の時代になって判明する。  

 これは天の組織つくりの上で、神が直接望む人材が次第に、屋敷に引き寄せられることを意味する。 宗太郎の叔父は真之亮であり、初代真柱である。 

 宗太郎さんは20歳でお屋敷の青年となることになった。 

 32歳の若さで、明治44(1911)年9月26日に本部員に任命された。以下の写真参照(『道の友』1911年、240号より転載)

 

4.屋敷に建物が沢山立つことで、日々陽気遊山で何とも言えない結構な道となると宗太郎さんは語る。 実際に、地場屋敷多くの建物が建つ。神殿普請も実際に起きる。ただそうした形の盛大さに心が奪われて、金銭や豪華建築を作ること自体が目的化してしまう。

 心つくりが主題なのであるが、ここには屋敷の盛大さをつい望み、その通りになった時代背景もあるが、いささか形に囚われている面が濃厚だ。

 むしろ陽気遊山は形の守護よりも精神的な満ち足り感、たんのうの心、生かされている喜びの心が中心に来る。精神的な心作りにこそ主眼がある。   

 

5.普請が真柱となるという言明は、比喩的に、心の普請、心の成人をして、芯の柱、信仰信念の確立された心ができれば、年をとらない。不老不死ということが預言されている。

 人間は115才まで生きることが教祖の目的であった。  それなら60才に近い私も、あと50年は生きれるということである。しんのはしらを心に確立して、長生きしたいものである。

 

6.神様の云うことに嘘はない。  神様はあーしなさい、こーしなさいということは決して言わない。自分で考えて、主体的に行動してほしい。その心にのって神様ははたらかれる。目には見えなくとも、人間が生きていることの中に神様からの守護があり、エネルギーをもらっているのである。 

 

7.梶本家に因縁をつける。これは、神様が来て欲しい家柄があるということ。それをほのめかすが、すぐに来いとは言わない。 人間には人間の都合があり、神に素直な人間はいない。そこで神は強制はしない。しかし、次第にそのように引き寄せの方向に守護されてくるのである。

 

8.家業の大切さ。これは職業を通じての勤労倫理の大切さが語られる。給付金で詐欺するよりも地道に働いて、己の家業を第一にすることが美徳となる。 働くとは「はたはたを楽にさせること」とは教祖の口伝でも有名である。  教祖も若い頃は農家の主婦として大変良くはたらいたことが、伝わっている。 勤労精神の美徳は日本人一般に広がった心ともいえる。

 二宮尊徳さんがもっとも有名であるが。  ウクライナの難民の女性たちも働くことを望んでいる。 働くことは生きることである。  

天理教の信仰の眼目の一つに、教祖(おやさま)は存命でおられ、今でも、生前同様に働かれているという信仰がある。

 

兵神大教会の大教会長の最近のエッセーにも以下のようにあった。

 

「教祖が、現身を隠されて後も、存命同様に元の屋敷に留まってお働きくださっているという理解は、天理教の信仰者ならば周知のこととなっています。」 【出典:『芳洋』R185.2月号「風」より】

 

 

 これを書かれた、清水慶政会長は『おさしづ』を引用されていて、存命の理の出典が『おさしづ』であることを明らかにかされている。そこまでは正しいが、おさしづを話されている、本席様のお言葉が、存命の理そのものを体現しているところまでは理解に至っていない。頭のいい山名からの養子の先生のエッセーだが、今の天理教団の水準にとどまっている。  

 

 兵神の二代目会長である清水由松氏が本部青年として、本席様のおさしづの御用を身近で体験されている。そして地場における神屋敷の実体について、生々しく伝える伝記を残している。霊性あふれる、神の詞(ことば)が深夜に刻限としてあり、本部員を叩起き起こす役割を担ったのが、青年さんの由松さんであった。  この辺りは、『本席の人間像』(陽徳社、昭和26年)に詳しい。

 

 こうした貴重な本こそ、復刻すべきである。

 

 神屋敷の実体があった時代である。 人間が指導した時代とは、明らかに違う。 

 

 本部員や真柱を超える存在がいた時代である。

 

 

 拝金思想が蔓延して、人間の大きな声の人が通るネポティズムのご本部の指導体制のもと、新しい年祭をいかに乗り越えるか、苦悶の道が当局から伝達されたようだ。 

 

 兵神でも事情教会の整理があり、10%の教会を返納された。素直な記述に心が動かされた。

 

 芯を失った地場屋敷において、存命の理を求めるなら、霊性の源泉がどこにあるのか、足元をしっかり見つめなおさねばならない。 

 

 足元に大きな理を見る。 

 

 これは預言として、地場の建て替えのために神様が用意されていることである。  

 

 教祖存命の理とは、もともと本席様の声が生きていて、その指令のもとにあることを意味する。本席様のような啓示者、機械(きかい)役が本来的には地場にいなければならない。これなくして、永遠の道は根拠を失う。 衰退する地場屋敷を神様はどのようにご覧になっておられることか。  

 

 茨木基敬さんの免職は、地場から教祖存命の理を止めることを意味していた。  存命の教祖を地場から追放したことなるのではないか?    

 

 いわば存命の理が形骸化して、苦しい説明でお茶を濁している。  

 救済があることが存命の理、

 教祖の霊を見たことが存命の理など。

 

 個人の体験主義や神秘主義に存命の理が矮小化されている。  

 

 

 茨木氏は本部からは異端視されて今に至るが、異端に関する烙印の背後で、茨木さんの残されたコトバの学術的な研究は、今の教会本部の体制からは、天理大学の先生でもできないだろうし、資料もない。  

 

 茨木氏が真の異端か、御母堂さんをトップとした松村吉太郎ら本部の判断が誤っていたのか、それはこれからの歴史がかなず証明していく。

 

 異端の啓示者か否か。  理を伝え、理を深堀できる方の声は見極めることは容易なことではない。

 

 

 三原典や茨木基敬さんの残された「お詞」の伝統の中から育ってきた裏の道の伝統からしか、その答えは出させない。

 

 

 

 真柱とは、役職を意味するだけではない。もっと奥に信仰心の在り方が隠されている。

 

 「しんのはしら」

 

 

 真の柱を、わが心の中心に立てること、信仰信念の真に確立した、ひな型の人間が望まれている。そうした人間となれるよう、存命の理、続く啓示の光に照らされた人間は、芯がしっかり定まるよう、心つくりにはげまねばならない。

 

 

 肉体貸しものかりものの理。  

 

 有形の形は、すべて神様からの与えモノであり、所有観の激変が必要である。 自分のものだと思うから、戦争もあり、専制国家も生まれる。 すべて人間心の産物であり、先進国の我々の中にも人間心は幾重にもある。

 

 コロナ禍は続き、戦争は3か月に及ぶ。  大掃除の時旬であり、最後の磨きとなる事情が世界で蔓延している。

 

 肉体がサステナブルに生き続けること。肉体も自然界の素材もすべて神様からの与えであり、人間は生かされた存在である。

 

 絶対的他者によって、人は生かされている。 安心と喜びの心は、かしものかりものを真に信じる中から生まれる。

 

 

 

 暗闇の地場の夜明けに向けて、私が生きている限り、発信してまいります。 

 

 

 寿命がいつ切れるか分かりませんが、よろしくお願いします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 天理教には多くの教会がありますが、人から人へと伝播しているのですが、とりわけ大きく布教した人も中にはいます。

天理教の伝道史では、河原町大教会(斯道会系)から分かれた大教会が36カ所もあり、今でも斯道会の別席団参もあるそうで、歴史を感じさせます。

 

 天理教秩父大教会の青年会のブログから。

http://titibuseinen.seesaa.net/article/404601204.html

 

https://titibuseinen.up.seesaa.net/image/E696AFE98193E4BC9AE3808CE5A4A7E69599E4BC9AE6A8B9E5BDA2E59BB3E3808D.jpg

 

斯道会(しどうかい)の設立は、明治17年で、教祖がご在世の時でした。

天理教への迫害弾圧が激しく、教祖が監獄へ収監されている明治17年に、弾圧をも覚悟して、講社の設置を神様に願い出る真実の人たちもいたのでした。

神様の預言通りの本当に大きな信徒を拡大しました。その教祖の預言の「おさしづ」は記念碑的な神の詞だと思われます。

 

たった一言ですが、それは斯道会の盛大な発展をへとつながったのです。

 

天理教越乃国大教会史料編纂部 編『おさしづ』(昭和13年)

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1034618

 

の本文1頁にありました。深谷源次郎さん(河原町初代)と宇野善助さん(越乃國初代)たちが教祖(おやさま)にお伺いを立て、お許しがあったとのことが、以下引用する教祖伝逸話編にも掲載がありました。

 

3月上旬といわれますが、3月24日から4月5日に教祖は監獄に収監されておられました。

 

明治15年から屋敷住まいをされていた飯降伊蔵様もこの時期、言上の伺いの御用されていて、その「おさしづ」とも大変似ているように思いました。

 

 

 

 

http://tenrikyo-benkyo-blog.seesaa.net/article/315552615.html

より以下、転載

 

稿本天理教教祖伝逸話篇一四一 ふしから芽が切る

明治十七年三月上旬、明誠社を退社した深谷源次郎は、宇野善助と共に、斯道会講結びのお許しを頂くために、おぢばへ帰った。夕刻に 京都を出発、奈良へ着いたのは午前二時頃。未明お屋敷へ到着、山本利三郎の取扱いで、教祖(おやさま)にお目通りしてお許しを願った。すると、
「さあ/\尋ね出る、尋ね出る。さあ/\よく聞き分けにゃならん。 さあ/\このぢばとても、四十八年がこの間、膿んだり潰れたり、膿んだりという事は、潰れたりという事は。又、潰しに来る。又、ふしあって芽、ふしから芽が切る。この理を、よう聞き分けてくれ。 だん/\だん/\これまで苦労艱難して来た道や。よう聞き分けよ、という。」
とのお言葉であった。未だ、はっきりしたお許しとは言えない。そこで、深谷と宇野は、「我々五名の者は、どうなりましても、あくまで神様のお伴を致しますから、」と申し上げて、重ねてお許しを願った。すると、
「さあ/\/\真実受け取った、受け取った。斯道会のは、さあさあ今日よりさあ/\埋んだ。さあ/\これからどれだけ大きなるとも分からん。さあ/\講社の者にも一度聞かしてやるがよい。それで聞かねば、が見ている。放うとけ、という。」
と、お許し下され、深谷、宇野、沢田、安良、中西、以上五名の真実 は、親神様にお受け取り頂いたのである。

 

 

「さあさあ、これからどれだけ大きなるともわからん。」は確かに実現しましたが、さらに世界に広がる種がまだまだ埋まっているかも知れません。 

 

同じく、国会図書館のデジタル資料で、天理教撫養大教会 編纂『おさしづ』(昭和11年)が下記のサイトにありました。

 

https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000000610218-00

 

 

明治21年旧暦11月1日に、6名がそれぞれ、本席様からおさづけの理を渡されています。遠方から願い出たと思われますが、この当時、まだ別席制度が確立する前で、これだけ一挙におさづけの理が渡されるのも大変珍しいのではないでしょうか。

 

公刊本『おさしづ』の補遺に麻植房次郎さんのおさづけの理拝戴のおさしづが収録されていますが、他の5名の方の記念すべきおさしづ(6-9頁)は公刊本には掲載がないようです。

 これら真実のある5名の幹部信徒のお名前に敬意を表して列記します。

 

明治21年旧暦11月1日

 阿波眞心組賀須野周旋人玉垣多傳治お授け願(三十二才)

 阿波國板野郡大須村眞心組周旋人北島友五郎(二十五才)お授け願

 阿波國板野郡折野村眞心組講元三木類太郎(六十五才)御願

 阿波國名東郡佐那河内村眞心組講元日浦周作(四十七才)お授け願

 阿波國板野郡斎田村眞心組周旋人播磨芳蔵(六十四才)お授け願

 

 これらの方々の子孫は今でも撫養系の有力な信徒なのでしょうか。

 

「おさしづ」に基づき、撫養の道は進展してきました。「おさしづ」を用いないと神様に反対するようなものであり、暗闇同様の道であるという冒頭の解説がありました。

今の天理教団の暗闇の道をそのまま暗示しているようです。

 

どのおさづけおさしづでも、誠の心を定めることで自由用を見られるという生涯の心定めが説かれる。無形の神を信じて、誠の心をもつこと、真の柱を心に定めること。

 信仰信念の確立が求められています。

 

 

 

 

現在は、DXの時代で、天理教の珍しい文献が国会図書館(NDL)でもデジタル資料として公開されています。研究者はよく利用していて、私もデジタル化の恩恵を受けて大変感謝しております。

 歴史的な実在としての教祖や本席様の実像とはどうだったのか。キリスト教でも史的イエスが近代的に探究され、神話や虚飾を超えた、真の姿が探究されています。

 教祖や本席様の直弟子の一人で、兵神大教会の初代である清水家に伝来した教祖のご真筆や本席様の写真が冒頭にありますので、御紹介します。

 清水与之助さんは、信仰熱心で教会本部の草創期の幹部の一人であり、清水家に関すること以外、教祖ご帰幽前後のおさしづ、さらに本席定めのおさしづ、理教の独立請願にかかわるおさしづも収録されていて、まさに天理教の教団体制の草創期の根幹の歴史を形成している啓示を含んでいる。合計1100点のおさしづである。 兵神の宝物とも清水由松会長は書いている。 ただ200点は紛失しているという。 増野正兵衛さんもおさしづも膨大にあるが、その一部だけ採録されている。清水家と増野家、春野家は縁戚関係にあるためであろう。

 

 兵神において、何が諭されたのか、しっかり研究しないといけない。

 

 

 引用先は以下のサイトです。

 

https://iss.ndl.go.jp/books/R100000039-I001925027-00

 

 

 

 

 こちから転載したものが以下の写真です。

 

 

 

 

 

 

 

『おふでさき』には暗号のようなお歌があり、以下もそのような一首です。

 

十一に九がなくなりてしんわすれ       (3-73)

    正月廿六日をまつ

 

“十一に九が無くなりて 芯忘れ 正月二十六日を待つ”

 

 

【理の思案】

 ここにはいろいろな説があり、明治二十年正月二十六日に、11歳のたまえ様で、90才の教祖の御年のことだと言うものです。

 ただ、『おふでさき』3号が永遠の真理を唱える書とすれば、「真の柱」や「しん」の意味にも重きを置くべきであり、人間の心の芯の在り方に、より焦点があるという見方を取りたいと思います。これは昨日00様からのご教示を参考に私が思案したものです。文責は私にあります。  

 十一から九を引くと二であり、明治二年から啓示書である『おふでさき』の御執筆が開始された重要な年です。1号と2号は明治二年に集中的に書かれており、世の中の激動の中、地場を治まるために、神意が集中的に動いたことが分かります。

 この明治二年において、地場における信徒たちの心の有りようが、芯忘れとなっていることが暗示されています。 

 「しんわすれ」の平ら仮名はいろいろと想像が湧きますが、心の芯が忘れられていると悟りたいと思います。信仰者の心の治め方として、神意がしっかり受け取られていない、心の軸がぶれている。それが「芯忘れ」の意味ではないでしょうか。

 教祖の神意を受け取るべき男性陣たちは、皆不甲斐なかった史実があります。

 夫の善兵衛さん、長男の秀司さん、そして婿養子として入った真之亮さんにいたるまで、全員が全員、世間体や外面の体裁にこだわり、信仰の芯を喪失したひな型を残されています。公認を取りたい、神殿を大きくしたい、制度や教義の確立など。

 そのような根幹的なことから、教祖は明治20年正月二十六日に御身を隠さねばならない運命、天命があったということ。それが、明治7年に預言されていたのではないかという解釈です。

 

 「しんのはしら」は「真柱」であり、天理教の統率者として、狭く解釈されてきました。しかし、一人一人の人間の主体性にこそ、神意はかかっているのです。真柱さんだけでなく、一人一人の人間、私達の信仰の在り方、受け取り方に対するご注意のおことばだと思われます。

 当時、明治4年に廃藩置県が断行され、旧幕藩体制から明治維新の統治体制への無血革命が実施されました。統治の根幹に関わる大激変の時代状況のなか、教祖が地場で神意を発動され、無血革命が実施されたとも言われます。

 心の芯の大切さが説かれ、しんはその他に、真実の心、身体のしん、こころの心、心身のしん、いろいろなしんが合わさって、信仰の要となる信仰心、人間の生き方の問題を問われているのだと思います。

 これは、平成の御用(平成3年1月8日の御用)とも関係しますので、いずれ書きたいと思います。