天理教の教祖である中山みき様の聖職者としての50年間の歩みはひな型と呼ばれ、それ自体が信仰のモデルとされる。
前半生は、信仰の輪は外には広がらず、ひたすら中山家の中だけで掃除が進行する。その間、親族からは離縁される道中であった。
後半生は、対社会的に広がり、迫害弾圧をあえて、引き受けて、世間に注目を集める激動の日々となる。
いずれにしもその人生は平たんなものではない。
後半生の中でも、節目となる出来事や事件が多発するのが、明治7年(1874年)であった。2022年の今年から148年前である。
『おふでさき』第3号から第6号が明治7年に集中的に執筆された。
啓示史的にも、神の啓示と歴史的史実との関係からも特異な年であったと言える。
第3号42を引用しよう。
「ことしにハめつらし事をはじめかけ いまゝでしらぬ事をするぞや」 (3-42)
「今年には 珍し事をはじめかけ 今まで知らぬ事をするぞや」 (口語訳)
”From this year, I shall begin marvelous works and shall perform things hitherto unknown.” (3-42, Inoue Akiko & Matthe起こしてい居られる
形の世界や時間を支配する神様は、ある時において、何ごとかを起こすのである。この年の出来事(陽暦)を並べてみよう。
6月18日 前川家にかぐら面を迎えに、教祖はお屋敷から三昧田へ行かれる。
お守りの配布始まる。
この頃 中南の門屋の建設が始まる。(明治8年9月に完成)
11月 大和神社へ、松尾市兵衛と仲田儀三郎を派遣。祭神を尋ねさせる。
➡翌日、管轄社で上位の石上神宮の神職5名が論難しに来る。
➡丹波市署がお屋敷に来て、 幣帛など祭具を没収する。
12月23日 教祖は、山村御殿円照寺に召喚される。
(伏見宮邦家(くにいえ)親王の第五女の文秀女王、明治天皇の伯母の娘が門跡をする寺院、奈良市山町)へ行く。
25日 辻忠作、仲田、松尾が奈良中教院へ呼び出される。
詳しくは、以下を参照:
円照寺は、非公開の寺院としても今も現存します。
12月26日 教祖は赤衣を着始める。
明治初期、国家神道のもと、従来の伝統を超える新しい神の出現により、社会的な広がりとなり、迫害弾圧が始まる。
教祖はそれを「節から芽が出る」として、お勇みになり、心配する信徒たちを治めていった。
なお文秀女王は黒住教に熱心だと「レンダイコ」さんが語る。明治天皇と縁戚にある文秀女王も天理教の教えは反論ができなかったようだ。
赤衣(あかぎ)を着始めるのも明治7年であり、教祖にこもる神は他の神とは異なる元の神・実の神たることを物理的に明示するようになった。当局へ教えを広めるということが本格化し、まさに「今まで知らないこと」が始まった年である。
2022年(令和4年)もロシアによる侵攻が起きた。今年はさらに思わぬことが起こるかもしれないという。
世界があたらし時代への変わる転換点として記憶されるだろう。
「ことしにハめつらし事をはじめかけ いまゝでしらぬ事をするぞや」 (3-42)
