「天理教」は宗教か、真実の教えか -9ページ目

「天理教」は宗教か、真実の教えか

「天理教」に関するまじめな宗教学的、神学的な考察

 本席、飯降伊蔵さんによる最後の啓示は『100日さしづ』と呼ばれる。その連続した啓示は、この道の真理とは何か、この道が教祖(おやさま)から始まって70年たったその意味の総括を語り、そして今後10年間の展望を与えたものである。世界救済の真理を教祖が説き始めて50年、さらにその天啓は本席様によって継承されて20年たったのが明治40年であった。

 当時の天理教の隆盛は政府の弾圧にも表れほど、勢いがあった。その頂点にあって、本席様の啓示の指導で、教団体制は組織化されて、道が広がってきた。そして、翌年の明治41年には、ついに念願の一派独立も天理教として果たした。

 『100日さしづ』の最後の啓示は、明治40年6月9日であった。その日、本席様は昇天されるのだが、その直前のお詞であった。

 割書きには当時の事情や、人間側からのお願いごとや決意が書かれていて、人と神とがいかにコミュニケーションをしたのが分かる。

 

 最後の啓示の割書きをまず、以下引用しよう。

 

 明治四十年六月九日(陰暦四月二十九日)午前九時

 
 昨日分支教會長普請の事に付會議を開き、本席の御身上も普請の上から御苦しみ下さる事でありますから、部下教會長一同わらじの紐を解かず一身を粉にしても働かさして頂き、毎月少しずつでも集まりたるだけ本部へ納めさして頂く事に決め申しました、と御返事申し上ぐ

 

 <解説>

 当時の教会は、分教会、支教会といわれた。普請(神殿の建設、とくに北礼拝殿)について、教会長たちをあつめて、会議をした。本席様は危篤状態が続いている中で、啓示が続いていた。何とか助かっていただきたいと教会長たちは決意を表明する。

 

 「本席の御身上も普請の上から御苦しみ下さる事でありますから」とあるが、この割書きから、本席様の身体的苦しみの原因は普請のためであると書かれている。これは当時の本部員たちが大変な悟り違いをしていることが読み取れる。

 神殿普請をするための資金繰りができないことで本席様が苦しまれていると誤解している。神様はお金のことよりも、本部員たちの心の成人のあり方にご注意されているのである。

 魂の進化の遅れが、身上や事情となって表れて、人間に警告を与えるのである。形を何とかしようとする前に、心の成人そのもののあり方が問われている。

 

「わらじの紐を解かず一身を粉にしても働かさして頂き」ますと。 悲壮な決意である。そして、会計的にも火の車であるにもかかわらず、「毎月少しずつでも集まりたるだけ本部へ納めさして頂く事」と金策に取り組むことも併せて決意した。

 

 本部の神殿普請には多額のお金がかかる。無理な献金をノルマで信徒に進めたら、どこかの宗教教団と同じことになる。 これに対して神様は何と答えたのだろうか?

 

 (つづく)

『おふできさき』第4号の最後のお歌に、

 

「これからハ よろづの事はみなとくで 心ちがいのないよふにせよ」(第4号134)

 

 この中で、下の句の「心ちがいのないようにせよ」という文句は、明治15年4月に教祖が松村栄治郎さん(妻の”おさく”さんの妹のまつゑさんは秀司さんと結婚し、中山家と縁戚になる。)に与えた、以下のお歌の中に似た表現があり、再度引用したい。なお『おふでさき』も明治15年で執筆が終わっているが、この歌は、おふでさき号外の一種のようである。

 

 

 

「このよふは、もんじゅ、ふげんをはじめとし めうなりうじん、てんじんも

  なんがく、てんだい、ようめいも  みなこれじよどへ、ごしたまふ、

 ゆわんや、われらはおろかなる いかにねがわにありぬべし

  三千世界をおいてぞ たしかに、しようじしようみさだめて

 こころちがいの、なきやうにせよ」 

 

 「この世は文殊普賢を始とし、馬鳴、龍樹、天親も、

   南岳、天台、四明も 皆これ浄土に期し給ふ。

  況んや我らは愚かなる、如何に願はぬ ありぬべき。

   三千世界をおいてぞ、たしかに清浄見定めて、心得違いのなきやうにせよ。」

 

 大乗仏教の著名な歴代の哲学思想家の系譜があり、これらは神様から見れば、裏守護としして人類に与えられた思想としてはあった。しかし、天保9年以降は、この世を創造し守護してこられた元の神、実の神が教祖を通じて初めて顕現した。 

 

 それゆえに、「心違いのないようにせよ」ということが問われている。人間の心のあり方で、運命も人生も変わってしまう。今までの因縁の通りに心を使っていたら、もっと危ない方向へ行ってしまう。まず、道の聞いた者が、真に心を入れ替えて、肉体貸しもの・借り物であること、神様の守護に目覚めることが促されている。本日も大きな御守護で生かされています。ありがとうございます。

 

 龍樹などの大乗仏教の哲学者が何を説かれたのか、それは、別の研究課題としたい。

 

 平成時代における存命の教祖のお詞がある少女から下され、12度目の啓示は、前回の11回目の10分後でした。前回のものは、「二十四時間をやがはたらいている」というてテーマでした。それが分かったうえで、人間は絶対的に安心の世界に生きていることを伝えているのが、今回のご啓示です。

 

平成二年十二月二十三日午前二時十分

    今日 起こったこと

      前から わかっておったか

      わかっていやしょうまい

      わからんこと

      先から 考えていても

      どうしようもないのや

      なるようになる

      何にも 案じることなく

                                   
      日々通ってくれたら

      そら何も 不都合なことないであろ

      案じることいらんというは

      をやを信じる心

      誠の心のこと 言うておるのや
                         〇〇 拝す合掌

 

 <理の思案>

 私たちは形の世界に生きているので、その行方に一喜一憂してなかなか精神の安定が図れないのが通常の状態です。そのためむごい心をつかったり、人をだましたりと、もろもろの人間心を使ってしまいます。

 そこに神様が現れ、詞(ことば)を下さいました。 有形世界はすべて神様が、人類の親なる神様がすべて動かし、支配しているのです。

 24時間、永遠というタイムスバンの中で、永遠の神のもとに、人間は生かされているのです

 

 日々に何が起こるか分かりません。大谷さんがホームラン30号打った。稲盛和夫さんが亡くなった。ゴルビーが90歳で昇天された。戦争が半年も続いた。原子力政策が転換する。安部さんが狙撃されて亡くなる。その背後で、特定の宗教団体と政治家との関係が浮き彫りになる。・・・

 長江の水が干上がる、イギリスのテムズ川で水がなくなる。ロシアの永久凍土が失われる。世界の天候、環境問題は待ったなしです。

 地球の環境問題や格差の広がりを考えると心配なことばかりが心を占めてしまいます。

 

 異常気象に対して人間は何もできないのか? そこで温暖化を阻止するために様々な人為的な営みが行われていて、それが加速されねばなりません。

 科学者でも為政者でもないなら、そうなるように陰で祈るしかありません。

 

 人間は今起きていることを素直に受け止めるしかありません。神様が形の守護としてそれを見せているのです。「なるようになる」とは道教的に無為自然に生きるような諦念でもなく、ポジティブにそれとして受け取りなさいということでしょう。 

 

 どんなことが起きても、自分にいかに不利なことが起きても、またこれからどんなことが起きるかと先案じして不安に思っても、それはみな無駄な心使いであると。

 

 自分が生活するなかで、生きていく中で、喜べないこと、満足できないことが起きて来た時に、どのように受け止めるべきでしょうか?

 

 「なるようになる」とは神様も無責任なことを言っているようです。しかし、人間は根源的には何もできないのです。

 ウクライナへの戦争も決して続かない時が来るはずです。  

 

 神様が24時間ものごとを支配し、形の世界をすべて支配しています。

 人間は、その上にのって、すべてを喜んで受け取って、不安も不満もなく生きて欲しい。

 

 そうした神様の働きを信じるこころが誠の心。

 しっかり、誠の心を使っているか、反省して、本日の思案とします。

 

(つづく)

 

 

 以前に書いたものを補筆しました。 一番読まれているブログ記事です。

 

 真柱の権威の源泉である、「おさづけを渡す役割」がいつから、そうなったのかの歴史的背景にも、実は触れてあります。

 

 旧統一教会への批判にも関連して、補筆しました。 

 

 

 

 

 見に見えない神様の意志が言語化された。その啓示言語が「おふできさ」であり、万人が等しく読んで味わうことができます。教祖(おやさま)が全人類に向けて残されたお言葉です。 「おふでさきは」は明治2年に1号、2号。明治7年に3-6号が集中的に書かれました。 その一部をもってきます。

 当時の中山家の事情、対外的な事情など歴史的史実がある中で、特定の史実に対する預言や注意だけではなく、永遠に変わらぬ真理の言明に、「おふでさき」の特色があります。

  「このはなしなにの事やとをもうなよ こゑ一ぢよのはなしなるぞや」 (4-50)

 =「この話 何の事やと思うなよ 声一条の話 なるぞや」(4-50)

 

 

 この世を創造し、維持し発展させている万物の根源である神様が、地球上ではじめて顕現された。これは直ちに理解できない奇跡であるか、偽りであるか、それは当時の人には直ちには理解できないことです。

 しかし、一人称の立場で神が話をされる。その話、その声そのものが神の現れなのです。

上田嘉太郎(2017)など従来の解説本では、こゑ=肥として、当時の農民に肥料代が高価であることから、肥料としての肥をたとえ話として使われたと解釈されています[上田嘉太郎(2017)138 頁]。

 ただ、最新の解説からは、肥だけではなく、「神の声」の重要性がより訴求されています。

もちろん、今の地場には神の声はありません。その意味からも今なるの「神の声」の重要性がより神様から私たち、神の声に縁がある人達やこのブログに縁のある方々に訴求されているのです。

 

教祖による神の声は明治20年で終焉し、その後、本席様が存命の理を体現され、神の声をつたえる啓示者として明治40年まで御用を果たされました。

 

その後、大西愛次郎に天の声が移ったとか、そこからまた多くの分派が出てます。ただ地場一条、勤め一条の理からは、明らかにそれているようです。

 

 北の理として、北大教会の初代会長(茨木基敬さん、旧長さん)に明治44年から現れた天啓は本当に異端だったのか?

 茨木家の子孫は事情があり、今では絶えてしまいました。3代目の奥様も数年前に出直されました。しかし天啓継承の裏の道は、裏の道として形の上からは細々と連綿と続いております。

 

 その後の100年の裏の道からは、「声一条の話」とはまさに今なるの神様の声として、非常に重要な神の言葉として、改めて解釈しなおされています。

 受け取る私たちも、神の声は永遠につづくものであり、神様はいつでもどこでもだれにでも普遍的に守護されていることを自覚し、絶対的安心の世界であることを信じたいと思います。

 

 「・・・じつのたすけハこれからや

  そう「をや」が語りかけるのや・・・」(令和3年7月3日)

  

 コロナ感染のパンデミックの第7波がまだまだ頂点の高止まりのなか、大掃除の世の中の事情。3年千日がおわる10月に向けて、猛暑や大雨、台風などの自然災害の仕込みが続きます。

 形の世界に心を汚すことなく、神様の巨大な守護の世界を喜び、感謝して過ごしたいと思います。

 

参照

上田嘉太郎『おふでさき通解』天理教道友社、2017年

 

 

 

以前書いたものを、改訂しました。

 

 

 

 

 天理教の教団のトップリーダーの在り方について、その存立意義について、及ばずながら提言したものです。

 

 わたしが安倍首相なら、最後に云いたかったことは、ここに書かれています。

 

 いかなる政治家といえども天の声に耳を傾けて、わが身や世界の運命にいかに対処すべきか、その根本は神様から各自が教えてもらうしかありません。

 

 

 

 

彌吉WHO?

天理教の教祖、中山みきの夫の中山善兵衛はどんな人だったのか?

同様に、東本大教会初代会長の中川よしの夫である中川彌吉先生はいかなる人だったのか?

 

どちらも偉大な妻の背後で、評価が低いか、忘れ去られている人物としてここで、光を当てたい。

 

これは夫婦関係の在り方、天理教における救済の方法論という二重の問題が絡み、常識的には理解が難し問題である。以下、若干の試論を行う。

 

教祖の夫、善兵衛さんが、妻の神懸かりにあたり、「みきを神の社(やしろ)」として捧げますという決意はしなければ、中山家は滅んでいたし、天理教と言われる神の道は広がらなかっただろう。強引な神の要請に、善兵衛さんが人類を代表して、妻を神として認めたこと。そこから曲りなりにも、このお道が創始された。 

 だが、それによって救済があるどころか、夫としては社会的地位も名誉も財産も失う道に妻が突き進む。その道程は天理教の原始教団の基盤作りであり、その背後で彼は失意の中で亡くなっただろう。 善兵衛さんは、世間体に苦しみながら、妻の善き理解者としてつとめた影の功労者である。

 

宗教家として第二の教祖とまで言われた、中川よしは慈母として慕われ、明治期から大正期に掛けて大東本といわれるほど、多くの信徒を育てた。女性カリスマであり、救済の名人であった。その夫が中川彌吉さんである。夫婦別々に天理教の布教の道に進んだことで、夫婦としての暮らしは皆無に近く、最後はともに東京で近くに暮らす。しかし妻はすでに東本宣教所で初代として大活躍。彌吉は松村吉太郎の命令で、妻と暮らすべきだと言われて、東京に来た。そして彌吉は、妻を理の会長として立て、自分は生涯、教会なしの覚悟で単独布教の道を歩む。

 ところが、自分が上級の南分教会の会長の救済に行っている間に、経堂が妻によって建てられてしまう。大正大震災で焼失、移転して、空襲で焼失。そして今の天理教本杉分教会(荒川区東尾久3丁目)に至る。彌吉も諭しの名人であり、因縁の諭しは正確無比であったとされる。これは個人ごとに因縁は異なるが、前生の姿が心に映じてきたようである。

 泉田藤吉から直伝の水行や断食などの荒行をいれて、身を潔斎してお助けに掛かった。私利私欲を全く排して、勤め一条、地場一条、助け一条の日々を送った。お棺の中にいた女性も救われるという奇跡もあった。

 東本へは本杉の賽銭をすべてお供えしたり、野菜もお供えした。子供には、「お母さんは偉いから何でも言うことを聞きなさい」と諭していた。妻を教会長して、理の親として立てつくした人生であった。

 

 久しぶりに天理教の教会に足を運び、学ぶものがありました。

 天理教伝道史には感動的な逸話が溢れています。

 

参照 

 

野々口敦教『天理教は魂の教えー本杉初代会長中川彌吉の魂の理に学ぶ-』天理教本杉分教会発行、2015年。

 

中川彌吉[安政元年~大正12年1月22日、69歳で栄養失調で出直す]

 明治20年 秋山よしと結婚

 明治24年 彌吉の姉の髙向いよが、松永好松より匂いがかかる。夫婦で道に目覚める。

 明治27年 長男の庫吉の寒中に池に落ちて亡くなりかける中で救われ、高安にて佃巳之吉からの諭しで、道一条を決意。

 明治34年 おさづけの理拝戴

 明治43年 東京下谷区金杉下町67番に本杉宣教所設置のお許し

 

 遊説中の安倍元首相の狙撃事件は、衝撃的で、TVでもずっとこのニュースで持ち切りだった。

手製の銃で、散弾銃とは違うらしい。 安倍元総理にはSPがたくさんついていたが、背後のスキをついたらしい。

 

明治期に板垣退助自由党総理が切り付けられた事件。

昭和初年に浜口雄幸首相が東京駅で刃物で刺された事件で、その後死亡。

五一五事件で首相の犬養毅首相が陸軍の青年将校らに暗殺された事件。

二二六事件で高橋蔵相などが暗殺された事件、首相は難を逃れたが、警視総監も確か暗殺された。

 

戦後の社会党の浅沼さんが演説中に刺殺される。

 

どれも政治家にむけた暴力的な反対声明や政権転覆を目指したもので、プーチン大統領と似た方法である。

 

民主国家日本での事件は世界にも衝撃を与えている。

 

 事件が近鉄奈良線、京都線の交差する、大和西大寺の駅前ロータリーで令和4年7月8日、午前11時半に起きた。 大和西大寺は、お地場帰りする際に、いつも通るなじみの駅である。

 

 奈良県天理市のお地場からもそれほど遠くない奈良県奈良市の西大寺。

 

 お地場の近くでこのような惨事が起きてしまった。

 

 陰ながら、延命の願いづとめをさせてもらいました。 どうかしっかり助けたいただけますように。

 

 合掌

 

   岸田総理  午後2時45分 首相官邸から緊急記者会見 

   閣僚すべて遊説先から帰国させる

 

 昭恵夫人 近鉄京都駅 特急 3:30 乗車

      近鉄八木駅に4:32到着、橿原市の病院へ。

            4:57  病院の裏口から入る。

            5:55頃 死亡のニュース 67歳で死亡

 容疑者の自宅マンション(奈良市内)を家宅捜索 5:15 

  爆発物処理班など10数名 

 

 奈良県立医科大学付属病院 記者会見(救急医学専門 福島英賢教授) 

   午後6時15分頃 同病院にて

     5:03 死亡確認、失血死、喉に2カ所銃創、心臓部まで達する

          20人の治療体制、100Lの輸血もかいなく。 

 

奈良県警の記者会見 午後9時半  犯人を殺人容疑に切り替えた。電車で来た。

    犯人は特定の団体に安倍さんがつながっていると思い込んで、凶悪な行動に及んだ

    家宅捜索で、数丁同様の拳銃が押収された。

 

NHKニュース 9-11時まで延長 及川記者の現場映像が何度も利用される。

 

 日本で起きてはいけない凶弾による元総理の暗殺事件。人間心の最悪の理を見て、いかに心を治めるべきか。心自由の人間が心自由に人を殺すこと、世界の戦争で何千人も亡くなる中、日本ではたった一人の偉大な政治家へと悲劇の暗殺事件に注目が集まる。  

 

 「今年は驚くことが起きる」という神様からの預言の一つが、このことだったかもしれません。 

NHKの番組

 

アナザーストーリーズ「発見!ナチス略奪絵画 執念のスクープの舞台裏」

7/1(金) 午後10:00-午後10:44

 

 を見て、その中で、ある画商の息子、コルネリウス・グルリットが2014年5月6日にドイツのミュンヘンにあるマンションの一室で81歳で一人静かに息を引き取ったことが紹介されていた。

 

 誰とも交渉をもたず、独身のまま、ドイツ国内に暮らしていながら、住民登録もせず、健康保険などにも入っておらず、幽霊のような存在であった。国籍はオーストリアにあったのだという。  

 

 税務当局が家宅捜索して撮影した写真によれば、30年前に賞味期限の切れた加工品の瓶や封の切れていないパジャマなどが大量にあったという。 記者によれば、普通の人の暮らし方とは明らかに違うものが印象的だったという。

 

 そのスクープされた謎の老人は、孤独な風貌で、何も語らずに、唯一の遺言は、残された大量の絵画をスイスに寄贈したいとういことであった。

 

 彼は、スイスの銀行に莫大な預金があり、その預金をおろして生計を立てていたという。しかし、2012年に税務当局から巨額の現金を移送していることが発覚してしまい、家宅捜索を受けることとなった。そこで当局から彼のマンションに数千点の絵画が収蔵されていることが発見された。

 

 彼の父、ヒンデンブルト・グルリットはナチス御抱えての4大画商の一人であった。ユダヤ人や美術館からナチスが略奪した絵画であることが、その後の美術史家の研究で判明する。コルネリウスの父はナチスから絵画を守るために、取引をしたと証言していたが、実は、戦後に略奪品を返却しなかったことが分かった。 ドレスデンの空襲で焼けて残っていなかったと嘘をつく。

 

 その父は、1956年に交通事故で亡くなる。  その父から譲り受けたのが、マンションで発見された大量の絵画であった。

 

略奪品を公開することなく、コルネリウスは当局に発覚するまで隠匿しつづけた。記者によるスクープの事件から半年後に彼は亡くなった。

 

 モノに囚われ、心晴れることなく、一人ぐらしを通した彼の人生観に暗たんたるものを感じる。

 

 モノを捨て、何もない状態がもっとも心が整理整頓され、開運も開かれる。

 

参照 「一倉定が説く「環境整備」の驚くべき効能とは」

 

 

教祖が明治7年1月に書かれた、『おふでさき』第3号のお歌の一節として、以下のものがあります。

 

人のものかりたるならばりがいるで
はやくへんさいれゑをゆうなり      (III28)

 

「人の物 借りたるならば 利がいるで 早く返済 礼を言うなり」

 

というように、人間関係の貸借において、利息を返すようにという意味でよく解釈される。

 

 ここで、「貸しもの借り物の理」という根本教義の理をより深く理解するには、そのような人間相互間の道徳律の解説では間にあわない。

 

 ヒトは他人であり、自己以外のヒト、他者としての神と見なす必要がある。

 

 ヒト=神 という新たな地平がある。

 

 神様が何ごとも創造され、万物を貸し与えておられる。それが貸しものの理である。

 

 ヒトは神様から何ごとも借りている。己の身体も身の回りの全てが神様からの貸し与えられたモノという考えである。

 

 その神様の与えに対して、人間には理(り)が必要である。この理とは、喜びの心を意味する。

 

 貸しもの借り物の真義が分かったら、即、神様に対して喜びの心、感謝の心が先に出てこないとおかしい。

 

 そうした感謝の心が「返済」だとか「礼」というコトバでたとえられている。

 

 神は親であり、いつでも人間を守護されていて、どんな心でいるのかをいつも見ておられる。

 

不平や不満を抱えて生きているのか、喜んで勇んで生きているのか。

 

 人間が生きていること自体が、神様が人間を創造してきたことの最大の証であり、人間にはいつまでも自由な陽気暮らしをして欲しい。

 

 ところが他国の領土を自分の領土だという人間心により戦争が起きている。

 

 そこには貸しもの借り物の理を知らず、人のモノは自分のモノだという所有観念に縛られ、とらわれている世界の悪理が蔓延している。

 

 このような悪理の掃除として、コロナ禍が続き、戦争も起きている。

 

 しかし、世界の事情は神様が新しい時代を創造させるために見せているという。  

 

 形の姿に、異常な高温が続く6月の末日において、心汚すことなく、神様の思惑を求めていきたい。