見に見えない神様の意志が言語化された。その啓示言語が「おふできさ」であり、万人が等しく読んで味わうことができます。教祖(おやさま)が全人類に向けて残されたお言葉です。 「おふでさきは」は明治2年に1号、2号。明治7年に3-6号が集中的に書かれました。 その一部をもってきます。
当時の中山家の事情、対外的な事情など歴史的史実がある中で、特定の史実に対する預言や注意だけではなく、永遠に変わらぬ真理の言明に、「おふでさき」の特色があります。
「このはなしなにの事やとをもうなよ こゑ一ぢよのはなしなるぞや」 (4-50)
=「この話 何の事やと思うなよ 声一条の話 なるぞや」(4-50)
この世を創造し、維持し発展させている万物の根源である神様が、地球上ではじめて顕現された。これは直ちに理解できない奇跡であるか、偽りであるか、それは当時の人には直ちには理解できないことです。
しかし、一人称の立場で神が話をされる。その話、その声そのものが神の現れなのです。
上田嘉太郎(2017)など従来の解説本では、こゑ=肥として、当時の農民に肥料代が高価であることから、肥料としての肥をたとえ話として使われたと解釈されています[上田嘉太郎(2017)138 頁]。
ただ、最新の解説からは、肥だけではなく、「神の声」の重要性がより訴求されています。
もちろん、今の地場には神の声はありません。その意味からも今なるの「神の声」の重要性がより神様から私たち、神の声に縁がある人達やこのブログに縁のある方々に訴求されているのです。
教祖による神の声は明治20年で終焉し、その後、本席様が存命の理を体現され、神の声をつたえる啓示者として明治40年まで御用を果たされました。
その後、大西愛次郎に天の声が移ったとか、そこからまた多くの分派が出てます。ただ地場一条、勤め一条の理からは、明らかにそれているようです。
北の理として、北大教会の初代会長(茨木基敬さん、旧長さん)に明治44年から現れた天啓は本当に異端だったのか?
茨木家の子孫は事情があり、今では絶えてしまいました。3代目の奥様も数年前に出直されました。しかし天啓継承の裏の道は、裏の道として形の上からは細々と連綿と続いております。
その後の100年の裏の道からは、「声一条の話」とはまさに今なるの神様の声として、非常に重要な神の言葉として、改めて解釈しなおされています。
受け取る私たちも、神の声は永遠につづくものであり、神様はいつでもどこでもだれにでも普遍的に守護されていることを自覚し、絶対的安心の世界であることを信じたいと思います。
「・・・じつのたすけハこれからや
そう「をや」が語りかけるのや・・・」(令和3年7月3日)
コロナ感染のパンデミックの第7波がまだまだ頂点の高止まりのなか、大掃除の世の中の事情。3年千日がおわる10月に向けて、猛暑や大雨、台風などの自然災害の仕込みが続きます。
形の世界に心を汚すことなく、神様の巨大な守護の世界を喜び、感謝して過ごしたいと思います。
参照
上田嘉太郎『おふでさき通解』天理教道友社、2017年


