『天理教資料研究』(宇野晴義、昭和48年)によれば、以下のような記述がある。
本席様は「神が入り込めば、神や、神が去れば人間である」とお聞かせ頂ているが、真柱(本部長)も同じ理であると拝する。
現在真柱様がおさづけ並に教会事情のお運びをお勤めくだされるについては、取次人衆(言上)は常に真柱様の代理として、
神なる真柱様にお願いして、願人(満席者、教会事情人)におさしづ下されるのである。
これは昭和47年頃に宇野本部員が『おさしづ』改修版の増補の筆跡鑑定をされている頃に書かれたもので、当時の真柱は、中山善衛様である。今の真柱様である中山善司様の御尊父である。
教会本部の中枢で、救済の技法である「おさづけ」を真柱様が渡されている原事実を上記のように理解しているが、「神なる真柱」という表現には、無理があることは否めない。
本席様の御在世の時は、真柱様(本部長)から本席様にあらゆることがお願いされて、真柱様が願人である。その願人の代理として、代願する方がいて、書き取りの方がいて、付き人がいて、合計3名が神と願人の間を取次人衆となっていた。
本席様亡きあと、上田奈良糸様がおさづけの理を渡す神意を継承されていたことは間違いない。しかし、大正7年に上田奈良糸様に事情が起きて、渡せなくなった時、本部員会議で、御母堂(中山たまへ)様が「おさづけの理」を渡すことが決められた。
そして、中山正善(二代)ー中山善衛(三代)ー中山善司(四代)と代々の真柱が、神なる真柱として「おさづけの理」を渡すことが続いてきた。 今の青年会長、中山大亮氏は時期真柱後継者とされる。
では、果たして、真柱は本当に「神なる真柱」と言えるのか。これは本部員会議で決められことで、世俗化の根源はここに由来しているとしか判断できないと思われます。
二代真柱様は、そのお出直し(1967年11月14日)まで、「おさづけの理」を渡し続けただろう。三代真柱は、途中で引退して、「おさづけの理」は四代真柱となった善司様が後継された。真柱の理の重みが次第に軽くなり、「おさづけの理」の後継が世俗リーダーが渡すことが常態化して100年たった。今の真柱様は、数年前に倒られ、半身不随と聞かせていただく。
真柱様が「神なる真柱」の役割を担っていることに、大いなる自己矛盾があり、世俗教団の世俗化が維持され、この道が発展しない構造的矛盾を孕んでいます。
天理教という巨大な新宗教の教団トップである真柱様は、教団内ではもちろん尊敬され、誰もがその声を頼りに、指導を仰いできた。
四代目は三代目から真柱の理を継承してこられたが、それは本当に喜びの仕事としてこられたなら、倒れることもおありにならなかっただろう。ご自分の前生が何かを知り、今の立場にたてたことを真から喜べたら、事情は解決するに違いないが・・・。 そうしたことを諭せるのは、存命の教祖だけである。
諭達には東大出身の頭のいい方によって教義の面で立派がことが書かれています。しかし、それは刻限話とは違うことは理の上から明確です。 おさづけやおたすけの前に、理の仕込みが全く欠けてしまっていることに誰もが自覚しはじめているでしょう。 片だよりの中、迷走が続き、教義の教条化、時代遅れの体制維持に堕してしまっているかも知れません。
真柱様に諭せるのは神様だけです。善兵衛さんが月日の社を受入れ、真之亮さんが本席様から諭されたように。この道の根本構造は、「裏は鍛冶屋に表は大工」。この2本柱の構造が神人一体の天の組織づくりを構成します。おさしづ役を失った地場の悲劇が一日も早く終わりますように。人類に責任ある地場の復興を目指します。
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