「病まず死なずに弱りなきよう」(明治7年『おふでさき 第3号99』) | 「天理教」は宗教か、真実の教えか

「天理教」は宗教か、真実の教えか

「天理教」に関するまじめな宗教学的、神学的な考察

 

教祖の『おふでさき』第3号は明治7年1月より、第4号は明治7年4月より、と書かれていて、

明治7-8年の2年間に第3号~第11号と半分にも及ぶ神意が集中した年であった。そして対外的にも反対攻撃がはじまり、甘露台の地場定め(明治8年)やおつとめが教えられるなどした。

 

 その中で、

 

 「しんぢつの心しだいのこのたすけ やますしなずによハりなきよふ」 (3号―99)

 

 という驚くべき神意も明かされた。

 

 「真実の心次第のこの助け 病まず死なずに弱りなきよう」 と漢字をあてると分かりやすい。

 

 人間にとって生きていること、病まず、死なず、弱ることもないという人間観が神様が求める人間の理想像である。

 

 急速な高齢化社会で、日本では20年後には4人に一人が65才以上だという。

 

 子供が少なくなり、高齢者の医療や介護の問題が深刻化することは目に見えている。

 

 信仰していくことの一つの大きな目標として、病まない、死なない、弱らないということのためには、心次第の道であり、心の成人が直結してくる。

 

 生かされていることを真から喜び、

 

 貸しもの借り物の肉体で今日は無事に生きている、生かされている。

 

 生きていること自体が奇跡であり、不思議である。

 

 そして115才が定命(じょうみょう)だという。

 

 「この助け百十五才定命と 定めつけたい神の一条」 (3号100)

 「このたすけ百十五才ぢみよと さだめつけたい神の一じよ」 (原文より)

 

 そこに至るには、人間の悪しき心を掃除するよりほかにはない。コロナ禍に戦争と掃除の世界的事情も進行する中で、人間の銘々の心の掃除が何よりも重要である。

 

 喜べない人間から喜べる人間へ。

 

 不足の多い心から、何事にも感謝と喜びをもてる人間へ。

 

「悪しきをはらうて 助けたまへ 天理王命」

 

 日々に唱えるみかぐら歌の中に、救済の真理が込められている。

 

<合掌>