感情曲線を滑らかに

何かを買った後で「こんなはずじゃなかった!」となって急激にテンションが下がる事ってありますよね。

そういう後悔は避けたいものです。特に機械式時計は高額なので、購入直後にテンションが下がるのは誰だって嫌です。

しかしこれはある程度準備すれば、ほとんどの場合避けることができます。


1. 試着する
これは満場一致で支持されると思いますが、一番重要なのは何よりも試着です。これに勝る品定めはありません。

常連の皆様には当たり前かも知れませんが、初心者の方のために、何を押さえておくべきかをご案内しましょう。

見た目の質感
これは写真とまるきり違うことがあります。真のプロの写真って本当に綺麗ですからね。実物を見て拍子抜けする事も少なくありません。

優れた仕上げは、一目見れば訴えかけてくるモノがあると思います。

私もヴィルレ(#94)に出会う過程で色んな時計を見ましたが、ヴィルレの質感は飛び抜けていました。胸を射抜かれるとはあの事です。


まさに百聞は一見にしかず、です。

サイズ感の確認
次にサイズの確認です。これは自身の手首の太さと密接に関わってくるので、是非試着で確認してください。

よく言われますが、ラグが腕からはみ出るようなサイズはアウトです。

理想は上から見た時に、ラグが腕の幅に余裕を持って収まっている事です。これはスポーツウォッチであっても死守すべきとMinority’s Choice は考えます。

ドレスウォッチならかなりの余裕を持って腕の幅にラグが収まっているべきでしょう。

<腕時計のサイズガイド/ 1in = 2.54 cm>
因みに上はウェブで見つけたサイズガイドです。これが絶対とは言いませんが、個人的な好みには一致しています。

私は手首周り15cm(6インチ)ほどしかないので、せいぜい40mm径くらいが適正なサイズであるという事です。

正直自分には34mmでも全く問題ない(むしろ適正)ですが、現在の風潮だとレディースサイズだと言う店員さんもいるでしょう。

しかし、ドレスウォッチの頂点であるカラトラバは少し前まで30mm径だったという事を覚えておいて下さい。

ちょっと小さい?くらいに思う大きさを選ぶと、後々自分は通っぽい選択をしたと自己満足に浸る日が来るでしょう。


装着感の確認
サイズと微妙に異なる部分ですが、腕につけた時の着け心地も大切な確認ポイントです。

腕へのフィット感や、重量感、分厚さは着けていると次第に気になってきて、フィットしないと感じ始めたら、もうその気持ちを抑えることが難しくなります。

基本的に薄く軽い方が着け心地がよく、フィット感があります。ラグが腕に沿うようにカーブしていたりすると尚良いでしょう。

2. ムーブメントをチェックする
機械式時計の魅力の一つがムーブメントである事に疑いの余地はありません。

といっても初心者のうちはその違いなどよく分かりません。機械式だったらどれも同じ様なもんだろうと思う人も多いでしょう。

ですが、実際はムーブメントの良し悪しこそが機械式時計の最大の差別化ポイントでもありまして、よく知らずに買ってから後悔するケースの大きな要因としてムーブメントに関する知識不足が挙げられるでしょう。

ここではマニアック過ぎる話はさておき、初心者でもわかる大雑把な確認ポイントを指摘しておきましょう。

エボーシュか否か

エボーシュとは半完成の汎用ムーブメントの事です。機械式時計の世界では、ムーブメント製造専業メーカーが良質安価な機械を時計メーカーへ供給するというビジネスモデルが成立しています。

時計メーカーはエボーシュの調整や仕上げを独自に施し、最終組み立てを行なって自社ブランドの機械式時計として販売するのです。

スケールメリットがあるので、単価を抑える事ができ、メンテナンスも街の時計屋さんで受けてもらえるので、維持も比較的容易です。

有名なエボーシュは品質や精度に関して十分なレベルに達しており、信頼の証と考えられる場合もあります。

エボーシュメーカー
エボーシュメーカーは巷に結構あります。それらの中で優越もあります。これらを何となく覚えておけば、時計選びの参考になると思います。

ETA
最も有名なのエボーシュ供給メーカーにして、スウォッチグループの中核企業でもあります。

ETAは複数のエボーシュメーカーの統合を経て現在に至っていますが、一時は世界の機械式時計の9割はETA製のムーブメントと言われたほど圧倒的なシェアを誇りました。

しかし、良質安価なETAムーブを乗せて高額な機械式時計を販売する高級時計業界の在り様に業を煮やしたスウォッチグループの総帥ニコラス・G・ハイエックが、2010年以降ETAムーブのグループ外への供給を停止すると発表し、業界に激震が走りました(2010年問題 ⇨ 2020年問題)。

その後のすったもんだはググれば記事があるので興味のある方はサーチしてみて下さい。

ともかく、高級機械式腕時計の業界スタンダードともいえる3針キャリバーETA 2824-2を筆頭に、彼らのエボーシュは世界を席巻していました。

また近年では、圧倒的なスケールメリットと技術力を活かして高性能キャリバーを次々に開発し、それらをグループの各ブランド(ロンジン、ハミルトン、ラドー、ミドー、ティソ 等)に供給しています。


逆を言えば、旧世代型のETA 2824-22892-A2あたりを積んでいるのに70万円を超える様な価格帯の時計は、外装がよほどイケてない限り割高です。

現在世の中に広く流通しているのは旧世代モデルですが主な機械は、

2824-2:3針キャリバー
2892-A2:3針キャリバー(上位モデル)
Valjoux 7750:自動巻クロノグラフ

あたりです。


セリタ
元はETAの下請けをしていた部品メーカーですが、2010年問題を受けてライセンス切れしたETAエボーシュのジェネリック版製造に注力するようになり、漁夫の利を得ているメーカーです。

当初は工作精度の低さなどから品質に問題を抱えていた様ですが、ETAを使えなくなるビッグネームから本気の教育的指導もあったりして、みるみるクオリティを改善してきました。

結果として、現在ではIWCのエントリーモデルを担うまでになっており、かなりの信頼度といっても良いでしょう。

スウォッチグループ外への供給を飛躍的に増やしており、ウブロ、タグホイヤー、オリス、ジン、ベルロス、モーリスラクロア等、採用メーカーは数多く存在します。


基本的にETAの旧世代キャリバーのコピーでメシを食っているイメージなので、新型開発能力を有するETAより随分劣る印象ですが、モノ自体はしっかりしています。

SW 200:ETA 2824-2のコピー
SW 300:ETA 2892-A2のコピー
SW 500:ETA Valjoux 7750のコピー

ETAまたはセリタスイス製ムーブメントの代名詞とも言える機械であり、Swiss Made のブランドイメージに違わぬ高い品質を保っている機械であると評価出来ます。

10万円(3針)〜40万円(クロノグラフ)くらいのレンジの機械式時計に採用されるエボーシュとしては至極真っ当なムーブメントであるといえるでしょう。

ミヨタ 
日本が誇るエボーシュメーカーです。シチズングループの傘下でありますが、海外の小規模メーカーへの供給で存在感があります。

主に10万円未満のレンジで採用されていますが、この価格帯であれば性能との釣り合いは十分以上でしょう。

Japan Madeのブランド力は世界屈指ですから、ポストETA時代において大きな役割を担う事になるでしょう。

主な機械はベーシックな3針のCal 8215、その上位モデルである薄型のCal 9015などです。特にCal 9015に至ってはETA 2824-2にスペック的には迫るものがあります。

ただ装飾面ではETAやセリタとは大きな差があると言わざるを得ません。

数十万円の時計を買ったらミヨタが載っていたという事はないでしょう。ガガミラノという凶悪な例外を除けば(しかもクオーツ)。

その他
安価なものでは日本のセイコー・インスツルメンツ、中国の海鴎(シーガル)などが有名ですが、ミヨタ同様、リーズナブルな時計に搭載されているのが普通です。

10万円超えでシーガルの3針とか言われたら耳を疑いましょう。

一方でETA以上の高級エボーシュメーカーも最近は目立ちます。

シャネル J12チューダーのムーブメントを手掛けるケニッシや、エルメスタサキへエボーシュを供給するヴォーシェ・フルリエなどは50〜100万円レベルをカバーしています。


そしてエボーシュ供給元の頂点には、ブランパン・マニファクチュール (旧フレデリック・ピゲ)、ピアジェ、ジャガールクルト(JLC)といった超一流マニファクチュールが名を連ねます。

このあたりになると貴金属ケースやジェムセットの数百万円クラスの時計に搭載されてきます。

供給先は主にグループ内のハイジュエラー。

JLC、ピアジェならカルティエヴァンクリーフブランパンならハリー・ウィンストンジャケ・ドローですね。


マニファクチュール 
しかし真のハイエンド・メゾンはムーブメントを内製しています。ミドルクラスでもオメガロレックスの様な例も多いです。

ただ一概にマニファクチュールだからといってエタブリスール(エボーシュなど主に社外部品を使うメーカー)より優れるかというとそうではありません。

ただスケールメリットが出せない自社ムーブメントは、高価格の言い訳にはなります。そして少しでも説得力を持たせるために高級な仕上げを施す事が多いです。

ハイエンド・メゾンの自社ムーブメントは機構も仕上げも最高クラスです。それは間違いなく所有する喜びをもたらしてくれるでしょう。

その辺になると3針モデルでも200万円を超えてきますが。。

出典:www.vacheron-constantin.com


3. 他ブランドと比較する
次に重要なのが、比較検討です。これもごく普通の事ですよね。車や家電だって買うときは色々比較すると思います。

「高級腕時計といえばロレックス!HP見たらサブマリーナに一目惚れしたからコレを買おう!」

というような即断即決は厳に慎むべきだと申し上げておきましょう。高い買い物ですからね。それに色々探し回る時間が一番楽しかったりしますから。

少なくともロレックスを買おうかなとお思いなら、IWC、JLC、ゼニス辺りと比較される事をお勧めします。

ブティックに行ってロレックスと迷ってるんですと言えば、店員さんから渾身のプレゼンを聞くことが出来るでしょう。

その上でロレックスを選ぶのは勿論ありです。その場合の納得感はかなり高くなると思いますよ。


4. 並行価格をチェックする
さて、これはちょっとマニアックな視点ですが、候補の時計が並行輸入ないしは中古市場でどれくらいの相場かは見ておく価値があります。

実は、定価と並行輸入・中古品の価格差はブランドによってかなり差があります。

並行/中古価格が圧倒的に高いのがロレックスです。並行輸入価格が国内定価を上回るのはロレックス以外殆どありません。如何に人気があるかという事です。

まあそれは例外なので、放っておきましょう。以前書いた通り(#100)、腕時計で一儲けしようなどというのは愚かな考えです。

ここでの目的は、並行/中古価格が異常に安くはないか?を確認することです。

私の肌感覚では、並行輸入(新品)なら定価の80%くらいまではよくあります。それなら普通です。

しかし新品なのに正規価格の70%を切るような価格だとすれば、ちょっとそれはどうかな?という感じです。

つまり正規価格が異常に高い。言い換えれば本質的にそこまでの価値がないと市場参加者に判断されているという事です。

例を見てみましょう。

<Casablanca 6850 / FRANCK MULLER>

SSモデルのフランク・ミュラー カサブランカ(Ref 6850CASA)は定価1,110,000円(税抜)です。

本来、SS3針で定価100万円超というのは相当なハイブランドの証です。ロレックスのSS3針の代表格であるエクスプローラー625,000円(税抜)ですから、その高額っぷりが分かります。

そのカサブランカ、並行輸入(新品)価格はというと、だいたい65万円(税抜)くらいです。定価の実に6割程度まで落ちてきます。

ちょっと定価で買うのは躊躇するレベルですね。

カサブランカは中身がETA 2892-A2なので、価格の正当性に疑問が保たれている訳ですね。そうした市場の評価を知っておくというのも、後々失望しないためには意味があります。

ただそれが全てではありません。並行価格が安いからダメとも限りませんよ。価値観は十人十色ですからね。

一般ピープルの審美眼が節穴なお陰で良い時計を安く買えてラッキー♫という考え方だって出来る訳です。

大切なことは、諸々承知の上で買うという事です。


5. 一旦頭を冷やす
最後がコレです。

諸々吟味して、これだ!と思い定めた時計が決まったら、一旦寝かせましょう。

消費行動というのは少なからず興奮を伴うものです。したがって店員さんの口車や、自ら経験した選別プロセスに酔いしれて冷静な判断が出来ていない可能性があります。

一度深呼吸して、その時計を忘れましょう。

特に初めての方は最低でも1カ月は熟成させた方が良いです。その間に別の時計を見に行くのも良いでしょう。

それでもやっぱりその時計が最高だと思たら、満を持してお店に行きましょう。

ここまで手間隙かければ、それ自体もいい思い出になって、きっと末永く使える時計になると思います。


***
玄人になると、一点物のヴィンテージに瞬間的に反応する事が求められる戦場にいたりしますが、それはまた別の世界。

彼らの中には、とにかく直感に頼って手当たり次第に購入そして売却を繰り返して経験値を貯めて行く人もいます。

しかし、そうそう高級時計なんて何度も売買しない、という真っ当な人なら、やはりじっくり吟味を重ねるべきだと思います。

皆さまに素晴らしい時計との出会いがありますように。