IWCよどこへ行く?

皆様、大変お久しぶりです。いかがお過ごしでしょうか?世間はWBCで日本代表が優勝しただの、桜の開花が早過ぎて入学式には全部散ってるやんけだのと呑気な話題が多い春です。


しかし時計業界ではカレンダーで最大のイベントともいえるWatches and Wonders 2023が酣(たけなわ)でございました。


話題の新作が目白押しの中で、私が筆を取ったのはごく一部の界隈で話題となったこのモデルについて思うところがあったからです。


Ingenieur Automatic 40 / IWC



Ref:IW328901

ケース径:40.0mm

ケース厚:10.7mm
重量:-
ケース素材:ステンレス・スティール
風防:サファイア・クリスタル
裏蓋:ステンレス・スティール
ベルト素材:ステンレス・スティール
バックル:バタフライ式Dバックル
防水性:10気圧(100m)
価格:1,425,000円(税抜)

はい、まあ当然ロレックスの新作達が一般的には目玉だったのでしょうけれど、そこからは距離を置く拗らせ系時計オタク達の話題の中心はリニューアルしたインヂュニアでした。

正直味付けの薄かった先代から一転してジェンタ・インヂュと呼ばれるデザインに回帰したわけで、数年来のトレンドであるラグスポブームに乗っかる気満々の見え透いたプロダクトです。

しかしそんな嫌味を吹き飛ばすほど実際のモノの出来は良く、オタクの心を掴みました。


出典:https://www.hodinkee.jp


そのデザインはコレクターの中で絶大な人気を誇る1976年のインヂュニアSL(Ref 1832)がベース。大型化しリューズガードを備えるなど余計な現代解釈が為されてはいるものの、それでもこれは正統なジェンタデザインだと確信させるものがあります。


それを最も感じるのはエッジを落としやや丸みを持たせたケースやブレスの造形です。


ジェンタの代表作といえば、触れればスパッといきそうなキレキレのエッジを持つロイヤルオークが有名ですが、SLのオリジナルスケッチ(下図)をみれば、インヂュニアは案外丸みを帯びた柔らかい雰囲気を纏っていることが分かります。


これを今回のリバイバル作品では非常によく捉えて再現いると思います。


<シャープというより柔らかさのあるデザインスケッチ>

出典:https://www.iwc.com


また、軟鉄製インナーケースが与えられ耐磁性(44,000A/m = 550ガウス)というアイデンティティを取り戻した点も好事家の溜飲を下げた事でしょう。


オメガのMETAS(15,000ガウス)には遠く及ばないとはいえ現代社会において耐磁性は実用時計に必須です。


φ40mmはベゼルが厚めのこのデザインなら大きいと感じる事はないでしょうが、37-39mm位だったら完璧でしたね。


ケース厚は10.4mmと薄いです。インナーケースを持ちながらこの薄さというのは素晴らしいですね。


ブレスに関してはバックルを閉じれば文字盤を上にして置くと自立するのでしっかりとコシのあるブレスであると想像されます。


しなやかではないので私の好みではないのですが、この剛性感のあるブレスはIWCの得意技で、質感は高いです。ただしこれ重いんですよね(多分)。


<薄いケースに角を落とした丸みのあるブレスのコマ>

出典:https://www.hodinkee.jp


文字盤はグリッド・テクスチャー・ダイアル。おそらくCNC加工でしょう。光の反射を抑えて文字盤の視認性を高める効果以上に、これまた柔和な雰囲気を文字盤に与えています。


最新モデルなのにどこかノスタルジックな雰囲気を纏うこの作品は、かなりデザインと実物の造形に拘っている事が窺い知れます。


文字盤はSSモデルで黒、シルバー、アクアの3色展開。シルバーはやや膨張して見えるので無難なのは黒。変化球が欲しいならアクアも良さそうです。


バー・インデックスにロイヤルオークを思わせるバケットハンズ。3時位置のデイト窓などのデザインはオリジナルを踏襲しています。


総じてデザイン、雰囲気などは文句なし。そりゃファンも賞賛するわ。という感じです。


しかし…


出典:https://timeandtidewatches.com


問題は価格です。オタク達の事前の予想(期待)は100万円を越えるかどうか、という所でキャッキャ言ってたわけですが、実際は衝撃の税込157万円

ただのSS3針デイトモデルがですよ、IWCの。

確かに、一昨年あたりからコロナ禍での供給能力低下により時計の価格は世界的に信じられない速度で急騰しています。

しかしそれでも同ムーブメント搭載のマークXX(ブレスで85万円)の2倍近いというのはあまりにも意味不明過ぎます。

IWCと言えば3針モデルは100万円しないグループに属し、サラリーマンでも買えるブランドの中で、ちょっとこだわり強めの人に支持されるメーカーであったはず。

それがこの価格というのはあまりにも突拍子もないじゃないか!と私はヒステリックになったのです。

型番:Cal 32111
ベース:Cal 32110
巻上方式:自動巻
直径:28.2mm (ベースキャリバー)
厚さ:4.20mm (ベースキャリバー)
振動:28,800vph
石数:21石
機能:センター3針デイト
精度:-
PR:120時間

搭載するのは“自社製”のCal 32111。どう見てもヴァルフルリエ製のボーマティックです。しかしIWCによれば32111はヴァルフルリエとIWCのエンジニアが共同開発し、独自の技術的特徴を持っているらしい。

設計・組み立て・調整もシャフハウゼンのIWCマニファクチュールセンターで行っているので自社製ムーブメントだそうです。

まあインハウス・キャリバーか否かという話は結構前にどうでも良くなっていますよね。

ETA以外にレベルの高いエボーシュが登場しており、インハウスだろうがヴァルフルリエだろうがヴォーシェだろうがケニッシだろうが、一定の性能水準(長時間パワーリザーブ、高耐磁性、フリースプラング・テンプ採用など)を満たしていればなんでも良い、というのが最近の共通認識ではないでしょうか。

そんなことより気になるのは確かボーム&メルシエクリフトンは同型機(ボーマティック)の裏スケで耐磁性1,500ガウスとか言ってた気がするのです。

だけど軟鉄製インナーケースまで持ち出したこちらが550ガウスの耐磁性に留まっているのはなぜでしょうね?ボーマティックのように脱進機はシリコン製ではないんだろうと推察されます。


出典:https://www.hodinkee.jp


そういう意味では32111はPRこそ120時間と最長クラスではありますが、テンプなんてエタクロンだし、耐磁性は実用上十分だけど他社比でも大した事はないので、現代において傑出した性能を持つとまでは言えません。


またソリッドバックなので見えませんが、ムーブメントの仕上げもミドルクラスでは普通のレベルでしょう。


それは外装も同じで、これまでのIWCのクオリティが踏襲されている印象で、この価格ならもう少し明瞭な仕上げが欲しいところです。


スペックだけで見れば凡庸な実用時計であり、半額程度のオメガ・アクアテラと比較しても明確な優位性はないでしょう(むしろ超高耐磁性とコーアクシャルテンプを備えるオメガの方が良いと思います)。


というわけで好事家からは総スカンなのかというと、これが違うんですよね。


出典:https://monochrome-watches.com


この新インヂュニアは既に世界中で話題沸騰となっており、高過ぎるという意見も多い一方で、ブティック限定という事もあってか予約は盛況だそう。


受注生産となるチタンモデルはすでに上客しか手にできないのではないかとすら言われています。


小賢しいマーケティングが大成功してるやんけ、という驚きを隠せない一方で、高くても欲しいと思えるデザインと外装がしっかり与えられているのは間違いないとも思います。


ただ転売目的みたいな人がいるとしたら、そこまでプレミアムはつかないと思うよ、と言っておきましょう。


何せ同時に発表されたロレックスエクスプローラー40税込91万円です。まあこれはこれで別の意味で買えないんですが、IWCは一つ勝負に出たな、という感じはしますね。


発表と同時に予約した人々は恐らく殆どが筋金入りのIWCフリークで、他社比較など歯牙にも掛けない猛者達でしょうけど、このプロダクトが広く一般に受け入れられるかは未知数だと思います。


価格帯的には一段上のアルパイン・イーグル(ショパール)、ロレアート(ジラール・ペルゴ)、ポロ(ピアジェ)辺りのすぐ下に置いてきた新インヂュニアの成否は非常に興味深いです。


<チタンモデル(IW328904)は税込195.8万円!>

出典:https://monochrome-watches.com