祈りには 迷いを照らす 光あり

   心澄ませば 道は開けん

 

 迷いとは,辞書によれば,心が乱れて判断がつかない状態であると記載されておりましたが,

 

 祈りによって,迷いを照らし,心を澄ませば,新たな道が開けることもあり,

 

 祈ることで,自分の内面と向き合い,希望や目標を再確認すれば,目の前の不安や葛藤を,少しでも和らげることが出来ると思われ,

 

 なお,心を澄ませば,余計な雑念や不安を取り除き,自分の本当に大切にしたいものや,目指すべき道が見えてくることもあるのでしょう。

 

 何だか,淡々とした内容になったのですが,「念ずれば花開く」との言葉を思い浮かべていたら,今回の一首などになりました。

 

 過ぎ去れば 過去の事だと 受け入れて

   今を生きるや こころ正しく

 

 晴れたり曇ったりしていた,寒い一日でした。

 

 この天気でしたが,午前・午後と2時間ずつ,畑にて,ジャガイモを植えている畝に,マルチシートを被せておりました。

 

 今年のジャガイモは,5日前に300個くらい植え付けたのですが,

 

 その内の200個は,昨年の初夏と晩秋に収穫し,食べきれずに残っていたのを使い,100個は苗物店で購入したのを植えたところ,

 

 苗物店で買ったのは,実際には50個(2kg)であり,包丁で半分に切って,切断面に灰をまぶしたのでした。

 

 ところで,生きてゆくには,人それぞれにポリシーを持って生活しており,当方においてとやかく言う必要はないところ,あくまで小生の思い込みですが,

 

 何があっても拘らず,過去を受け入れ,感謝の心を持ち,現在に意識を集中させ,希望を抱いて,こころ正しく生きることに,気を付けており,

 

 瞬間を生きるというのか,瞬間を楽しむことに意識を集中させれば,過去に縛られる時間が減って,

 

 前向きに,生きられるのではなかろうかと思われ,本日の一首にしてみました。

 

 話は変わりますが,

 先ほどに、我が家で作ったコロッケです。

 

 アジの南蛮漬けも,作ってみました。

 

 ついでに、レンコンとジャガイモを1個ずつ揚げてみました。

 

 我が家では,小生が揚げ物の係りとなっており,本日は、嫁が下ごしらえをしたので,揚げる作業をしていました。

 

 気が向けば 自由気ままに 詠んでをり

   千回までは あと百回に

 

 ブログには 自由に書いて 残しをり

   日々の思い出 綴りし言の葉

 

 平成30年5月12日に,我は雑鳥1を投稿してから,細々と更新してきたのですが,

 今回で,900回目となり,あと100回は投稿せねばと思いつつ,本日の二首としてみました。

 

 ちなみに,我は雑鳥1では,

 

 短歌なのか川柳なのか寝言なのか「我は雑鳥」との題で,短歌を詠んでみたくなり,思い付いたときに,投稿してみたいとして,

 

 投稿の ブログを消して 一区切り

  我が身の上で 残すことなし

 

 考えを 自由気ままに 囀ずれど

  ひばりは雲雀 我は雑鳥かな

 

 こんな二首を,残しているのですが,

 

 投稿のブログとは,百姓の寝言であり,平成24年1月20日に,百姓の寝言1「神々からの警告」とのブログ記事を書き,続けて500回まで書いたところ,ヤフー百姓の寝言の画像として,勝手に画像がピックアップされていたので,記事を削除し,その後に我は雑鳥の投稿を始めたのでした。

 

 ここまで書いて,百姓の寝言が気に掛かったので,再投稿してみたい。

 

2012/1/20

   百姓の寝言 1

  神々からの警告

 2001年9月11日に惹起した同時多発テロは世界中の人々を驚愕させ,更なるテロの心配からアメリカをはじめ関係諸国はこれを封じ込めるために知恵を絞っていたところ,2011年5月2日に首謀者であるウサーマ・ビン・ラーディン容疑者がパキスタンにおいて米軍の特殊部隊により殺害され,一応の落ち着きを見せたようである。

 これにより対テロが及ぼす世界各地域での凶悪事犯は減少傾向にあるが,簡単にはテロ撲滅に追込めないのも事実であろう。

 9.11では,ニューヨーク世界貿易センタービルにハイジャックされた航空機が激突して多くの尊い命が失われ,テロリストは何故あれほどまでに酷い仕打ちを与えたのか,その蛮行は憎まざるを得ないところ,ジハードと称して突入したであろう実行犯は,イスラム原理主義を崇拝する人々にとっては殉教者となるのかも知れない。

 しかしながら如何なる理由があろうともテロは絶対に許されず,全世界の人々が最も非難すべき行為なのでしょう。

 タイトルに「神々からの警告」と大げさに書いたのですが,一農夫にそれを証明する知恵はないものの,百姓の寝言として一言述べるなら,

 アメリカ同時多発テロ事件を発生させた原因は様々であろうが,2001年3月12日タリバンがイスラムの偶像崇拝禁止を理由としてバーミヤンの石窟を破壊し,以後6カ月を過ぎようとした9月11日にはタリバンの同盟者であるアルカイダの自爆テロ犯がハイジャックした航空機を世界貿易センタービルへ激突させた事実は,全世界の人々の知るところであります。

 さて二つの事件は別々な事情であり何ら関係ないと思われるが,ひょっとして石窟破壊よる因果はなかったのか気にかかっておりました。

 仏教では因果応報・輪廻転生について語られることもあり,イスラム教・キリスト教と比較すれば教えの違いはあるのでしょうが,神々が人々に何かを問いかけているような出来事だったのかもしれない。

 

 こんな,百姓の寝言でした。

 

 生きるには 失敗の罠 多々あれど

   その場の注意 怠ること無し

 

 生きる道 迷いの罠が 多くとも

   邪念を払い 心を澄ませ

 

 人生においては,失敗の罠とか,様々な誘惑が待ち受けていたり,

 

 迷いによって,正しい道を見失ったりする時も,あるようですが,

 

 その場の注意を怠ること無く,邪念を払い心を澄ませて,焦らずに,今の自分に出来る一歩を踏み出すことが大切であると思われるのです。

 

 ついでながら,人生においては,試練は避けられないものとして,自分の成長を助ける大切な経験だと思い,

 

 それを,どのように受け止めて,如何に乗り越えるかによって,その人の人生に影響を与えると考えられるので,

 

 どんな試練でも,それに感謝できる日が来ることを願いながら,日々の小さな幸せに気付くことも,心を強くする一助になるとも思われたのです。

 

 我は雑鳥が899回目となり,何か変わった題材がないかと,考えていたのですが,今回においても,思い付いたままを二首としてみました。

 

 掃除機に ゴミが溜まるを 見てをれば

   人の心に 何が蓄積

 

 前回の,妄想・空想に続いて,下世話な一首になったのですが,我が家では,掃除機のゴミパックの交換や,ダストカップのゴミを捨てるのは,小生の係になっており,

 

 普通の掃除機1台・ハンディ掃除機2台のダストカップに溜まったゴミは,スーパーで貰った使い捨てのポリ袋の中に入れ,ハンディ掃除機のフィルターには,ティッシュペーパー1枚(2重になっているので2台に使用)を被せて,セットしているのです。

 

 ところで,人の心には,さまざまな感情や思いが,溜まることがあり,

 

1 喜びや幸せ

  楽しい出来事や成功体験が重なると,心にポジティブなエネルギーが溜まる。

 

2 不安や恐れ

  未来への心配や,失敗への恐れが,蓄積することもある。

 

3 希望や期待

  新しい挑戦や,夢への期待感が,心に溜まることもある。

 

4 悲しみや寂しさ

  大切なものを失ったり,孤独を感じたりすると,悲しみが心の奥に残る。

 

5 愛情や思いやり

  家族や友人への愛情,他人を思いやる気持ちが,心を満たすことも多い。

 

6 怒りや悔しさ

  不満や理不尽なことへの怒りも,解消されないと,心に残りやすい。

 

 他にも,人それぞれに,感情の起伏があるのでしょうが,

 心に溜まるのは,良いものもあれば,時には負担になるものもあると思われるので,うまくバランスを取って,心の中に「小さな幸せ」を感じられる時間を持つことが大切であると,ゴミを捨てながら考えていたのです。

 

 妄想は 不要な思考と 受け流し

   我に返って 現実を知り

 

 空想は 浮かぶ影だと 露と消し

   仕事中なら 作業に集中

 

 早春日和の,暖かな一日でした。

 

 祝日でしたが,小生においては,この陽気に誘われて,午前中はジャガイモを植え付けるために耕運機で畝を作り,午後からは,鍬にて畝の整地を行っていました。

 

 作業の途中には,防寒着を脱いでいたのですが,東から吹いてくる冷風は心地よく,今日の予定を無事に終わらせたのです。

 

 ところで,辞書によれば,妄想とは,実際には存在しないけれども,自身の頭の中で確信を持っているイメージや観念を指し,

 

 空想とは,現実には存在しない事柄や状況を想像し,心の中で描く行為を指すとのことでした。

 

 また,妄想には,関係妄想・被害妄想と,精神衛生上で問題があるらしいところ,

 

 空想は創造力の源泉になるという観点から,問題解決や新しいアイデアを生み出す能力を高めることが出来たり,ストレス解消になることもあるので,

 

 時には,空想の世界に浸り入り,現実の疲れを癒し,心を豊かにしたいと考えながら畝上げをしていたのですが,

 

 仕事中なら,作業に集中せねばとも思いつつ,鍬を振るっていたのです。

 

 願わくは 命を奪う 戦争を

   今すぐ止めて 世界に平和を

 

 叶うなら この世の中の 争いを

   祈り鎮めて 世界に春を

 

 テレビでニュース番組を見ていたら,パレスチナ自治区カザの惨状が映し出されていたが,

 

 戦争は,人間の歴史の中で,最も悲惨で愚かな行為の一つであり,

 

 過去の過ちを繰り返さないためにも,平和の大切さを考え続けることが必要であると思われ,本日の二首としてみました。

 

 ところで,戦争終結のためには,軍事的な勝利・外交交渉・国際的な圧力・戦後処理・平和維持という段階的なプロセツが必要で,

 

 停戦交渉を成功させるために,領土問題・安全保障・停戦ラインの設定や,国際的な仲介や保障といった,複数の事柄に対処する課題があり,

 

 これらのプロセスや課題について,双方が納得できる解決策を模索すべく,柔軟な姿勢で交渉に臨み,最終的に国際社会の支援を得ることで,持続可能な平和の実現が可能になると思われるのです。

 

 追記です。

 

2022/3/6

 白旗を 揚げて降参 するが勝ち

   世界が驚く 次の一手は

 

2022/4/18

 神風が 吹いて艦船 沈めをり

   人々の祈り 鉄をも貫く

 

 黒海に 神風吹いて 艦沈む

   神通力かな 奇跡起すや

 

2022/4/24

 停戦を 意地で拒むは おとろしや

   こんな戦争 誰が望むか

 

 何を得る 業の深さの 占領で

   戦闘行為は 修羅の如し

 

2022/7/4

 人々の 命を奪う 戦争に

   何の大義も 存在すまい

 

 戦争の 爪痕残す ウクライナ

   如何に出直す 先ずは祈りか

 

2022/10/9

 心から 世界の平和 願うなら

   人々の祈り 奇跡起すや

 

2022/10/31

 特別の 軍事作戦 おぞましい

   侵略破壊 殺人略奪

 

 予備役の 動員済ませ 冬となり

   訓練不足で 任地に赴き

 

 戦死者を 増やし体裁 整える

   ロシア国民 現実を知れ

 

2022/11/4

 インフラを 攻撃しては 嬉しがる

   ああ恐ろしや 鬼もするまい

 

2022/12/26

 大国は 国が富むほど 上品に

   紳士が如く 品位を保ち

 

2023/1/1

 新年に 世界の平和 祈りつつ

   静かに過ごし こころ穏やか

 

2023/2/6

 いつの世も 突然変異の 鬼が出て

   領土を奪い 人をも殺し

 

2023/3/2

 遠い国 北朝鮮や ロシアかな

   体制変えて 豊かな国に

 

2023/6/21

 憎しみの 連鎖が生んだ 戦争は

   続ける限り 深みに入り

 

 戦争に 終止符打って 復興を

   銃器は重機に 戦車はブルに

 

2023/9/11

 戦争は 何があっても 行わず

   平和を維持し 世界を豊かに

 

 戦争で 己の欲望 満たしても

   罪と罰とは そこに存在

 

 戦争に 勝って領土を 奪い取る

   残虐な行為 末恐ろしや

 

2024/2/4

 情勢の 判断誤り 戦争に

   苦しむ者は 民と兵隊か

 

2024/2/18

 戦争の 原因作った 相手でも

   過激な反撃 人道に外れ

 

 ロシアとて 戦いを止め 兵引けば

   地球に平和 戻る時かも

 

 それ以上 無駄な戦争 如何かと

   命の重みは 誰も同じぞ

 

2024/3/29

 報復も 限度超えれば 虐殺に

   生き残るには 停戦するのみ

 

2024/6/11

 人質を 返せば戻る 平和かな

   泥沼の戦い 世界は非難

 

 提言を 聞き入れたなら 戻る春

   止まぬ戦い 世界は嘆き

 

2024/10/6

 戦いに 終止符を打ち 爽やかに

   遺恨を残さず 新たに船出を

 

 汚れなき 市民を巻き込む 戦闘は

   即刻に止め 心に平和を

 

2024/11/25

 原因は 何であろうと 戦争は

   過去と未来を 奪い去るのみ

 

 今はただ 世界の平和 祈るだけ

   意義なき戦争 何時まで続く

 

2024/12/21

 戦うも 何れ休戦 するのなら

   時期を早めて 世界に平和を

 

 こんな短歌を,詠んでいました。

 

 メールより ラインはハイカラ そうじゃろか

   用途に応じて 使い分けかな

 

 近所の婆さんが,季節の花を,スマホで撮影しては,知人に写メールしていたところ,その娘さんが,ラインにすればと助言したら,

 

 メールが使い慣れており,相手もメールを使っているので,ラインは使わないとの話をしておりました。

 

 その際には,メールなら受信する人もパケット代金がかかることを教え,ラインでもギガ(GB)がカウントされるものの,ラインの方が割安になると進言したが,

 

 ラインは,ハイカラな通信手段であると,耳を貸さなかったようでした。

 

 このメールもラインも,今ではギガ(GB)でカウントされるらしく,

 

 Wi-Fiを使えば,大容量のデータも,追加料金なしで通信できるので,用途に応じてメールとラインを使い分けるのが大切であると思われたのです。

 

 さて,ラインはハイカラで,メールは古いのでは無いのでしょうが,

 

 LINEが「ハイカラ」に感じられるのは,

  リアルタイム性があり,既読しやすく,短文のやりとりが簡単である。

  スタンプや絵文字の豊富さとか,感情を表現しやすい。

  手軽に,電話やビデオ通話に移行できる。

  グループチャットが便利で,友人や職場でのやりとりがスムーズである。

 

 メールが「古風」と感じられる理由として,

  件名や挨拶をつけるのが一般的である。

  即時性が低く,返信に時間がかかることもある。

  迷惑メールが入る時もある。

  LINEのように,カジュアルな表現がしにくい。

 

 しかしながら,メールの強みもあり,

  ビジネスや,正式な連絡に適している。

  長文の受け答えに,向いている。

  重要な情報を残しやすい(LINEは消去のリスクがある)と考えられるのです。

 

 さてさて,カジュアルな会話ならLINEが便利かと思われますが,正式な連絡や記録を残したい場合はメールの方が有効であり,時代によってツールは変わるので,どちらも用途に応じて使い分けるのが良いでしょう。

 

 極寒の 西からの風 背に受けて

   里芋を掘る 農夫達かな

 

 極寒の一日でした。

 

 この寒さでしたが,午前中は食料品を購入のためスーパーへ出掛け,午後からは,柿の木に巻き付いていた蔓を取り除いておりました。

 

 スーパーへは,一人が1000円以上購入すれば,卵10個が107円(税込み)となるのを目当てに出掛けていたのですが,今日は一人で買い物をしたので2回並んで20個をゲットして,得をしたような気持ちになったのです。

 

 また,柿の木に巻き付いていた蔓は,今回で3回目の作業であり,枝の端に付いた残りの蔓を,脚立(2m)の段に足を乗せて,手作業にて取ったのでした。

 

 この蔓を,一輪車に乗せて畑へ運んだのですが,寒さに負けず,里芋を掘っている農家の3人を見かけたので,本日の一首にしてみました。

 

 余談になりますが,松山地方では伊予路に春を呼ぶお椿さん(椿祭り)が,昨日から明日までの日程で開催されております。

 この椿祭りは,期間中に数十万人が参拝する四国一の大祭であり,

 以前の一文には,

 『お椿さんの愛称で親しまれている伊豫豆比古命神社は,縁起開運・商売繁盛の神社として,遠く関西方面からも御利益を求めて参拝客が訪れる神宮でもあります。

 椿祭りになると毎年のように不思議と寒くなり,地元ではお椿さん寒波だとの言葉があるくらいで,立春後の寒さが少し和らいだ頃の椿祭の日に,突然に冷え込んでくるのです。

 本日においても予想していたとおり極寒の一日となり,三坂峠から皿ヶ嶺あたりの山々も再度の雪化粧となりました。

 椿祭りが終われば,伊予路にも小さな春が訪れるのでしょうが,本格的に暖かくなるには,まだ1カ月はかかりそうです。』

 

 こんな一文が残されておりましたが,本年の椿祭りにおいても,例年通りの寒波襲来となり,山々の薄っすらと雪化粧した風景を眺めていると,心が洗われるようでもありました。

 

 さてさて,神社に続く道路の両脇には,およそ400店の屋台や露店の出店が並び,縁起物の熊手などが売られているのですが,今朝のこと,子供が買ったのは,天津甘栗と東京ケーキでした。

 

 今夜は,鯛の刺身と,アラで作った味噌汁などが,食卓に並び,これらを肴に,秋田華匠にごり酒を飲みながらの,ブログになりました。

 

 購入した,鯛です。

 

 人生は 何があろうと 生きるのみ

   それを忘れず 日々を歩むや

 

 若者の自殺者が増加しているというのは,非常に深刻な社会問題であり,心が痛むのですが,

 

 インターネットからの情報によれば,統計的にも,日本では10代・20代の死因の第一位が「自殺」であることが長年続いておるところ,

 

 現代の若者は,SNSを通じた人間関係のストレス,学業・就職におけるプレッシャー,経済的な不安など,多くの課題を抱えており,

 

 他にも,日本社会は「失敗を許しにくい文化」があるので,一度つまずくと立ち直りが難しいと感じる若者が多いのではないでしょうか。

 

 また,昔と比べれば家族や地域社会とのつながりが薄れ,悩みを抱え込んでしまう若者が増えているように感じられ,

 

 自殺を考えてしまう若者の多くは,「自分の存在価値がない」「誰にも理解されない」と思い込んでいる場合は多いと思われるのですが,

 

 どんな状況でも,必ず支えになってくれる人は居り,なお人生は思いがけず好転することもあるので,社会全体として,若者が「助けを求めてもいい」と思えるような空気を作ることが大切なのでしょう。

 

 その為には,若者が気軽に悩みを話せる環境を整えることが重要であり,身近な人が「大したことない」と決めつけず,真剣に耳を傾けるだけでも,救いになることがあるので,

 

 「こうでなければならない」という固定観念を少し緩め,色々な生き方を肯定する社会にしていくことが,大切であると思われるのです。

 

 長くなりましたが,自分一人だけで解決できない時には,いのちの電話・よりそいホットラインとかに電話して,自身が苦しんでいることについて話を聞いてもらうとか,

 

 内容によっては,適切な支援機関や相談窓口の紹介を受けることが出来るので,

 

 死のうと思うほどのエネルギーがあるなら,それを生きるために使うべく,先ずは電話して相談員の話を聞いて「苦しみの中にいるときは,未来が見えず,出口がないように思っていても,時間が経つと,状況が変わる」こともあるのを知って欲しいのです。

 

 辛くとも 何があっても 生きるべし

   命は一つ 人生一度

 

 長い人生には,さまざまな出来事が巡ってくるので,つらい気持ちを抱えているのなら,一人で悩まず,誰かに相談して下さい。

 

 あの時に,死ななくて良かったと思う日が,必ず訪れますよ。