世の中の 事件や事故を 減らすには

   一人一人の 心掛けかな

 

 今日一日も,無事に過ごせたことは有り難く,昼間に下書きした短文を確認しながら,日本酒を飲み始めました。

 

 テレビの画面は,NHKの相撲番組が放映されており,今夜は豚肉・エソのすり身・糸ごんにゃく・厚揚げ・じゃこ天・しめじ・ネギ・白菜の入った鍋(目の前にある)と,びんちょうマグロの刺身・若鶏の鉄板焼きを,酒の肴にしての晩酌となったのです。

 

 酒が進み,ご飯も食べるかと嫁に聞かれたので,今夜は雑炊にするのは手間を掛けるので,明日の朝で良いと答えたら,ご飯が半分入った茶碗に,水炊きのスープと具材を入れてくれたので,雑炊のごとく美味しく頂いたのでした。

 

 この簡易雑炊は初体験であり,スープが熱ければ,生卵を入れると,更に美味しくなると思われたのです。

 

 ところで,テレビのワイトショーを見ていたら,あおり運転や,凶悪事件のニュースが,毎日のように放送されているが,

 

 一人一人が「加害者にならない」「被害者にならない」との意識を持てば,一定の抑止力になり,

 

 社会全体で,倫理観や道徳観を高めれば,事件や事故が減るのではなかろうかと考えておりました。

 

 しかしながら,どれだけ注意しても,突発的な事故や衝動的な犯罪は防ぎきれない場合があり,

 

 個人の意識向上に加えて,社会全体で防犯・安全対策を強化し,経済や教育の改善に取り組むべく,法整備や社会全体の意識改革を行えば,

 

 より効果的に,犯罪や事故を減らせることに,つながると思われたのです。

 

 失敗も 練習すれば 上手くなる

   誰でも最初は 初心者なりき

 

 人生においては,誰でも最初は初心者であり,失敗を繰り返しながら上達するものと思われ,それをどのように捉えるかによって,その後の成長や人生の方向が変わることもあり,

 

 失敗を前向きに捉えておれば,柔軟な思考が身に付き,挑戦を恐れなくなり,精神的な強さが鍛えられ,やがては成功へとつなげることが出来るのではなかろうかと考えていたら,本日の一首になりました。

 

 では,どのように前向きに捉えるかについては,

 

 失敗は,決して恥ずかしいことではなく,成長のために必要な大切な一歩であり,

 

 他人と比較せず,なぜ失敗したのかを分析し,自分を責めず場数を踏んだと受入れ,自分のペースで進むことが大切であり,

 

 日々の小さな幸せに感謝して,少しずつ前へと歩んでいくことが大切なのでしょう。

 

 新幹線 連結部分が 外れるは

   新型機能に 頼る為かな

 

 空は晴れるも,東から冷たい風が,吹いていた一日でした。

 

 午前中に,里芋を植え付ける場所をトラクターで耕耘し,午後からは,耕運機で畝上げしていたのですが,

 

 家に帰り,浴槽に湯を入れたら,44℃の湯が太陽熱温水器から出たので,1.3㎥くらい溜まったところでストップしたところ,止める直前の温度は41℃と温かく,今からは,晴れておれば灯油が節約出来て,有り難いと思ったのでした。

 

 ところで,3月6日に,都内を走る東北新幹線の連結部分が外れたと,テレビのニュースで報じておりましたが,

 

 インターネットからの情報によれば,連結させる新幹線の先頭と最後尾の車両には「連結器」があって,この「連結器」には突起とくぼみがあり,双方の車両の突起とくぼみを互いに噛み合わせて連結し,さらにロックする仕組みになっており,

 

 このロックを維持するために「分割併合装置」と呼ばれる機械で,電気信号を使って制御し,通常は走行中に,この機器が作動することなく,連結器が外れることはないと書かれていました。

 

 しかしながら,実際のところ走行中に連結部分か外れたとなれば,今後はロック機能を強化して,二重・三重に誤作動を防ぐための工夫が必要であり,

 

 センサーだけに頼ることなく,手動にて連結部分を更に固定したり,

 

 旧方式ではありますが,勝手に外れないナックル式(かぎ爪のような部品が自動でかみ合い,ロックがかかる仕組み)や,ピン式ロック(連結時に金属軸を差し込んで固定する方式)も併用して,万全を期すべきであると,考えていたのです。

 

 人知れず 苦労の道を 歩むれば

   やがて花咲く 時が来るかも

 

 本日においては,風はまだ少し冷たかったものの,日差しの温もりに,春の訪れが感じられた一日でした。

 

 午前中は,食料品を購入するためにスーパーへ出掛け,午後からは,畑にて分葱とネギを採ったりしていたのですが,

 

 無事に,夕方を迎えられたことは有り難く,静かに沈む夕陽を眺めながら,家路に着いたのでした。

 

 ところで,生きておれば,人生には様々な苦労がつきものであるところ,

 

 忍耐強く歩んでおれば,努力や苦労が報われる日が,やがて訪れるものと思っており,今回は,その気持ちを一首にしてみました。

 

 院内で ウイルス感染 防ぐには

   手指の消毒 嗽とマスク

 

 昨日のこと,3ヶ月ぶりに,通院(高血圧症の経過観察のため)したのですが,病院の玄関ホールには,新型コロナウイルス感染症が流行り始めて以降の防疫対策として,手指を消毒するために,自動手指消毒器が置かれて,全職員がマスクを着用しておりました。

 

 当たり前のことではあるのですが,感染対策のためには,医療従事者だけでなく,患者や訪問者の協力も必要となり,手洗いやマスクの着用など,基本的な対策を徹底してこそ,病原体の院内感染が防げるのでしょう。

 

 他にも,医療施設では必要により,手袋やガウンの着用・病室や医療器具の清掃と消毒の徹底・適切な廃棄物の処理・ワクチンの接種・定期的な健康チェックをすることが推奨されているようですが,これも,患者や医療従事者の安全を守るためには,重要な項目かと思われるのです。

 

 さて,今回の一首については,ウイルスの 院内感染 防ぐには 手指の消毒 嗽とマスク としていたのですが,ウイルスを先に書くと,パソコンウイルスを想像したので,変更したのです。

 

ついでながら,以前に投稿したコロナ関係の短歌が,パソコン内に残っていたので,投稿してみた。

 

2020/2/12 

   我は雑鳥 132

 桜見る 招待客は 何処の誰

  其れより今は コロナ対策

 

 風邪ならば 人から人へ うつるもの

  関係機関 如何に対応

 

2020/4/2

   我は雑鳥 153

 ひばり鳴く 重信川の 空高く

  新型コロナ 吾も凌ぐと

 

2020/4/11

   我は雑鳥 155

 本堂で コロナ封じの 読経かな

  静寂保ち 心も和む

 

2020/4/12

   我は雑鳥 156

 満開の さくら散しの 雨が降る

  コロナのせいで 淋しく散りをり

 

2020/5/9

   我は雑鳥 167

 草刈りと 溝の掃除に 野菜採り

  コロナの風は どこ吹く風と

 

2020/5/15

   我は雑鳥 170

 抗体を 持てば安心 クラスター

  新型コロナ 如何に共存

 

2020/7/14

   我は雑鳥 190

 世の乱れ コロナ水害 何とする

   困難あれど 希望は捨てず

 

2020/7/28

   我は雑鳥 195

 コロナには マスク手洗い 嗽かな

   混雑避けて 離れて会話

 

2020/8/16

   我は雑鳥 199

 世の中の 動きを変える コロナかな

   政治や医療 如何に対応

 

 何もかも コロナのせいで 台無しに

   それでも人は 負けずに生きる

 

 今からは コロナと共に 生きてゆく

   覚悟があれば 恐いものなし

 

2020/10/1

   我は雑鳥 211

 横文字で ウイズコロナと 言われても

   何のことやら クイズは苦手

 

2020/11/29

   我は雑鳥 228

 新型の コロナウイルス 感染も

   発病せずに 抗体を持ち

 

2020/12/2

   我は雑鳥 229

 医療にも 予算があって 然るべし

   GоTоイート これも税金

 

2020/12/24

   我は雑鳥 235

 ひたすらに マスクを作り 日が暮れて

   コロナ対策 少し役立ち

 

2021/1/7

   我は雑鳥 238

 コロナ禍に だだ出歩くは 愚かなり

   家に籠って 心ゆたかに

 

2021/1/9

   我は雑鳥 239

 寒くなく 暑くもなくて コロナなく

   そんな季節に 帰っておいで

 

2021/1/11

   我は雑鳥 240

 終電を 早めてコロナ 遠ざける

   次の一手は 大胆不敵に

 

2021/1/14

   我は雑鳥 241

 流行の コロナを嫌い 街に出ず

   時節柄かな それは常識

 

2021/1/28

   我は雑鳥 249

 外出は 不要と不急 切り離し

   不要の際は 自己責任で

 

2021/3/27

   我は雑鳥 266

 マスクせず よもやま話 楽しそう

   3人娘が 3蜜談議

 

2021/4/25

   我は雑鳥 275

 突然に 予防接種の 券届く

   コロナ嫌だが 受けるは迷う

 

2021/4/28

   我は雑鳥 277

 コロナ禍に ゾンビのように 街へ出て

   感染しては 医療困らせ

 

2021/6/3

   我は雑鳥 288

 ワクチンの 接種を受けた 腕痛し

   次に受けるか 躊躇してをり

 

2021/6/23

   我は雑鳥 293

 二回目の コロナの注射 受けたけど

   腕が痛いは 前と同じに

 

2021/7/16

   我は雑鳥 302

 コロナ禍の 東京五輪 迫りけれ

   運に任せた 開催なのか

 

2021/8/5

   我は雑鳥 308

 目に見えぬ 病原体の 悪さかな

   筋肉の痛み 今も続くや

 

2021/8/7 

   我は雑鳥 309

 外出を 控えて家で 過ごしをり

   今はコロナ禍 こころ一つに

 

2021/8/18

   我は雑鳥 313

 遅かりし 医療体制 如何せん

   患者が待つは 手当ての施設

 

2021/8/26

   我は雑鳥 317

 コロナ禍で 救えた命 見落とすは

   ただ情けなく 淋しくもあり

 

2021/9/8

   我は雑鳥 321

 流行の コロナを恐れ マスクする

   それが常識 今の世の中

 

2022/1/24

   我は雑鳥 373

 感染が 尋常でない オミクロン

   自己判断で 外出を控え

 

2022/1/29

   我は雑鳥 376

 枯れ枝で 羽を休める モズ2匹

   コロナは嫌と 囀ってをり

 

2022/2/1

   我は雑鳥 377

 コロナから 名前を変えて オミクロン

   人騒がせな 変異株かな

 

2022/2/6

   我は雑鳥 379

 感染を 皆で防ごう オミクロン

   次の一手は 新型マスク

 

 必要な 最低限の 行動で

   自分を守り 社会も守る

 

2022/2/17

   我は雑鳥 382

 初めての 抗原検査 異常なく

   病院へ行き 用事済せる

 

2022/2/19

   我は雑鳥 383

 オミクロン 名前の頭に ステルスと

   コロコロ変わる カムカムのよう

 

2022/8/5

   我は雑鳥 450

 カエル鳴き 蝉しぐれ聞き 過ごす夏

   コロナ終息 平和も祈り

 

2022/8/17

   我は雑鳥 456

 コビットや オミクロンなど 変異株

   甘く見てると 痛い目に合い

 

2022/8/26

   我は雑鳥 461

 全数の 把握見直す コロナかな

   数が減っても 重傷者増え

 

2022/12/18

   我は雑鳥 519

 オミクロン 官民あげて 取り組むも

   感染減らぬ 理由は何か

 

 感染が 何時まで続く オミクロン

   免疫を持ち 外出を控え

 

2023/1/3

   我は雑鳥 526

 オミクロン 自己責任で 行動を

   患者増大も 社会実験か

 

2023/3/16

   我は雑鳥 562

 人前で 咳する前に 鼻塞ぐ

   まだまだ過敏 コロナの事が

 

 こんな短歌が,詠まれていました。

 

 隣国が 戦争終結 望むなら

  恨みは捨てて 和平への道を

 

 プーチンと ゼレンスキーや トランプも

  互いに良さを 認め合うべし

 

 テレビのニュースによると,2月28日に,ホワイトハウスで行われた,米国のトランプ大統領とウクライナのゼレンスキー大統領の会談が決裂したと,報じておりましたが,

 

 戦争が長引くほど,人的・物的・経済的な損失が増大し,国や社会に深刻な影響を及ぼして,国内の意見が分裂し政権の安定が失われ,国際的な孤立を招く可能性があるので,一日も早い戦争の終結が望まれるところであります。

 

 しかしながら,戦争を終結させるには単なる戦闘の中止だけでなく,長期的な平和構築を見据えた慎重な対応が必要であり,拙速に終わらせたなら,基本的な問題が解決されず,再び戦争が起こるリスクもあり,

 

 終結の方法や,戦後処理については,的確に判断することが,肝心であると思われ,

 

 トランプ大統領とゼレンスキー大統領の対談においても,互いに激しく口論したとは言え,慎重を期したからこそ,決裂した感が拭えないのです。

 

 さてさて,トランプ大統領の,ゼレンスキー大統領に対する態度が失礼であったことや,トランプ政権がロシアに譲歩することへの懸念は残るとの記事がインターネットに掲載されていましたが,

 

 次回に対談する際には,プーチン大統領も同じ席に着き,戦争を終結させて,平和の道を歩むべく,互いの良さを認め合いながら,世界の誰もが納得する結論を導き出して欲しいと,願って止まないのです。

 

 それにしても,せっかくに,戦争を終結させるための対談を行ったのに,物別れどころか決裂したのは寂しい限りであり,ゼレンスキー大統領にすれば,トランプ大統領の物議をかもす言葉は真に受けず「ほうけい」(そうなんですね)と同意したり確認しておれば,互いに遺恨を残さず,今後の対談がスムーズに行われるのにと思われたところであります。

 

 あだ名なら 昔エノケン マツケンも

   今はヨネケン 我はザツトリ

 

 昨日までの寒さが,何処に消えたかと思わせるような,暖かな一日でした。

 

 この天気に誘われて,午前・午後ともに2時間ずつ畑にて過ごしていたのですが,作業の内容は,ゴボウ堀りや,レタスとキャベツの苗を移植したり,里芋の収穫と野菜への水やりでした。

 

 夕方になって家に帰り,風呂に湯を入れるために,太陽熱温水器の蛇口を開いたら,43℃の温かな湯が出てきたので,そのまま太陽熱温水器からの湯を浴槽に満たしたのですが,

 今の季節から,10月下旬くらいまでの間は,晴れておれば,太陽熱温水器がフル稼働して,ガスや灯油で給湯しなくとも,我が家の太陽熱温水器では1.5人用くらいの浴槽なら満たすことが出来て,経済的でもあるのです。

 

 ところで,最近は,ブログの内容が,何となく堅苦しくなっていたので,一呼吸置いて気持ちを入れ替え,詠んでみたいと思っていたら,

 我は雑鳥との名前から,あだ名との言葉が浮かび,昔ならエノケン・マツケン・今はヨネケンと,まとめてみたのですが,ケンの付く芸能人が他に出てこなかったので,我はザツトリとしてみました。

 

 マツケンさんは,NHKの朝ドラにも出演しており,昔と言ったら,失礼に当たるとも思ったのですが,エノケン・マツケン・ヨネケンと続く流れを,自分自身が読み返してみても,語感の面白さと時代の移り変わりを表現しており,我はザツトリをオチにして,全体をユーモアと時代感覚で組み合わせてみました。

 

 思い込み 人それぞれに 有るけれど

   幸せならば それで十分

 

 価値観は 十人十色と 言うけれど

   本質を見抜き こころ磨くや

 

 今日も,淡々とした,一日でした。

 

 ここ数日は,畑仕事は休み,買い物や散歩以外は,家の中で過ごしており,このように,パソコンの画面と向き合い,キーボードを叩いている時間が持てることは,貴重な時間であって有り難くもあるのです。

 

 そんなことで,今回は二首を認めたのですが,

 

 最初の一首は,人それぞれに異なる思い込みや見方があり,人の考え方は千差万別なところ,幸せならば,それで十分とし,

 小さな幸せに感謝して,一歩ずつ進めば,必ず道は開けるとも,考えていたのです。

 

 後の一首は,価値観は十人十色という一般的な考えを踏まえて,

 なお,本質を見抜抜くことで,表面的なことに惑わされず,真に大切なものや何かを理解できて,それにより,正しい判断が出来るようになり,無駄な迷いや後悔が減るのではなかろうかと思われ,

 加えて,己の心を磨けば,感情に振り回されず,どんな状況でも冷静に対処できるようになり,

 結果として,自分の生き方が洗練され,他人に対しても思いやりを持つことが出来て,人間関係が良好になるとも思われたのです。

 

 上司から 荒き言葉が 降る朝は

   罵詈雑言に 涙を呑みて

 

 上司から 心に突き刺す 荒き声

   涙隠して 唇を噛み

 

 職場における,パワーハラスメントは,他人事だと思っていたら,ある日突然に自分のこととして降りかかかることがあり,

 

 小生においても,17年前に,上司からパワハラを受けて,職場を去ったのですが,

 

 知人から聞いた話によれば,その上司は「厳しく指導したので,二人が仕事を辞めて,一人は病気で亡くなり,一人も奈落の底へ落ちてもがいとるのやろ。それを考えたら,気分が良くて,毎晩のこと,美酒に酔っておるわい」と自慢しているとのことでした。

 

 さてさて,我は雑鳥901では,

 

 過ぎ去れば 過去の事だと 受け入れて

   今を生きるや こころ正しく

 

 生きてゆくには,人それぞれにポリシーを持って生活しており,当方においてとやかく言う必要はないところ,あくまで小生の思い込みですが,

 何があっても拘らず,過去を受け入れ,感謝の心を持ち,現在に意識を集中させ,希望を抱いて,こころ正しく生きることに,気を付けており,

 瞬間を生きるというのか,瞬間を楽しむことに意識を集中させれば,過去に縛られる時間が減って,前向きに,生きられるのではなかろうかと思われるのです。

 

 こんな一首と,コメントを残しており,過去にこだわりは無いのですが,本日は,何となく閃いたので,投稿してみたい。

 

 生きる身の こころに汚れ 無けれども

   歩む道には 困難多かれ

 

 人生の道のりと,人の心の清らかさについて,考えていたら,

 

 たとえ心が清くとも,人生には困難がつきものであるところ,

 

 心が清ければ,自分や他者に対して誠実で,周囲の人との良い関係を築く助けになる時もあり,

 

 自分が真摯であれば,自然とそれに応じて,助けてくれる人も現れることがあって,心の在り方次第で,現実が変わることもあると思われたのです。

 

 しかしながら,実際には苦しみや理不尽なことも多く,心を清く保つことが難しいと感じる時もあるのでしょうが,

 

 少しでも清らかな気持ちを持ち続けようとすれば,やがては自分を救う道に繋がるのではなかろうか。