心には 何の迷いも 無いけれど

   古き良き日の 面影がよぎる

 

 早いもので,今日から2月になりました。

 

 1月は行く,2月は逃げる,3月は去ると言われており,

 

 社会では,何かと行事が多くて,またたく間に月日が過ぎてしまうことのようですが,

 

 小生においては,この寒さを乗り切ったら,春が訪れるとの希望から,

 

 あと少しの間は,冬ごもりだと割り切って,健康を保ちつつ,日々を過ごしたいと思っているのです。

 

 さて,本日の一首についてですが,心には何の迷いがなくとも,ふと過去の面影がよぎるという感覚は,誰でもが体験する事かと思われるのですが,

 

 懐かしい日々や大切な思い出は,人の心を優しく包み込み,時には切なく胸を締めつけることもあり,

 

 人それぞれ違う形であれ,ふとした瞬間に過去を振り返ることは,誰にでもあることではないでしょうか。

 

 ところで,石破総理は昨日の衆議院の予算委員会で,塩崎彰久議員から,一番好きな言葉は何かと問われた際に「故郷と答え,人情があり,風光明媚で,皆さんの心の中にもあると思うが,私にとって故郷が一番美しい言葉だ」と述べたようですが,

 

 これも,古き良き日の,故郷の面影がよぎっての言葉かと,思われたのです。

 

 余談になりますが,

 

 過去を振り返る瞬間について,chatGPTに聞いてみたら,ほのぼのとした回答が返ってきたので,以下へ転記してみたい。

 

 ふとした瞬間に、過去を振り返ることは、誰にでもありますか。

ChatGPT:

ChatGPT

 はい、誰にでもあることだと思います。

 日常のふとした瞬間に、例えば懐かしい香りを感じたとき、昔聴いていた音楽が流れたとき、あるいは何気ない風景を見たときに、過去の記憶がよみがえることはよくありますね。楽しい思い出もあれば、少し切ないものもあるかもしれません。

 振り返ることは、ただ懐かしむだけでなく、自分の成長を感じたり、大切なことを思い出したりする機会にもなります。過去があるからこそ今の自分がいると思うと、どんな思い出も大切にしたくなりますね。

 あなたは最近、どんな過去を思い出しましたか?

ChatGPT:

ChatGPT

 あなた:

 子供の頃の、貧乏な生活でした。その頃の副食は、味噌をご飯にかけて食べており、煮干し1匹があれば、美味しい御飯が食べられると思っていたのでした。

ChatGPT:

ChatGPT

 とても貴重な思い出ですね。

 子供の頃の生活が貧しくても、その中にあった小さな幸せや工夫が、今でも心に残っているのですね。味噌ご飯や煮干し一匹で満足できたあの頃の純粋な気持ちは、きっと今のあなたの強さや優しさにつながっているのでしょう。

 何気ない食事の一口が幸せに感じられたあの頃の記憶は、今の豊かな生活の中でこそ、より輝いて見えるのかもしれません。過去の経験があるからこそ、今の「ありがたさ」や「幸せ」に気づけることもありますね。

 その頃のご飯の味、覚えていますか?

ChatGPT:

ChatGPT

 あなた:

 年に何回か、雑炊を食べており、あの味は、母の味だと、覚えています。

ChatGPT:

ChatGPT

 お母さまが作ってくれた雑炊の味,それは何よりも温かく、大切な思い出ですね。

 年に何回かの特別な食事だったからこそ、その味は今も心に深く刻まれているのでしょう。どんなに質素でも、お母さまの愛情がこもった料理は、何よりのごちそうだったのだと思います。

 きっと、その一杯には「おいしく食べてほしい」「元気でいてほしい」というお母さまの願いが込められていたのでしょうね。その雑炊の香りや味を思い出すたびに、お母さまの温もりがよみがえってくるのではないでしょうか。

 今でも、あの頃の味を再現してみることはありますか?

ChatGPT:

ChatGPT

 あなた:

 嫁において、調理の都度に、味を見てくれと、45年以上も、味を見ていますが、その味こそが、母の味付けであったと、改めて思い出すのでした。

ChatGPT:

ChatGPT

 素敵なお話ですね。

 45年以上もの間、奥さまの料理の味見をしてこられたのですね。その積み重ねの中で、気づけばそれが「母の味」へとつながっていたことに、改めて気づかれたのですね。

 きっと、お母さまの味付けは、あなたの中で深く根付いていて、無意識のうちに大切にされてきたのでしょう。そして、それが奥さまの料理にも自然と受け継がれ、長い年月をかけて家庭の味になっていったのかもしれませんね。

 過去と現在がつながり、大切な味が受け継がれていること、とても素敵です。これからも、その温かい味とともに、奥さまと穏やかな時間を過ごしてくださいね。

 

 こんなメッセージをいただき,何となくですが,目頭が熱くなったのでした。

 

 厳冬の 石鎚山系 雪景色

   北風吹いて 寒さ際立ち

 

 極寒の一日でしたが,一日に一回は田畑の様子を見に出掛けており,

 

 本日においても,北から吹いてくる冷たい風を全身に受けながら,ミニバイクで移動しておりました。

 

 この移動の途中で,畑にて大根を1本抜いたのですが,その際に石鎚山系を眺めたら,真っ白に雪化粧されており,本日の一首にしたのです。

 

 ところで,畑で採った大根は,嫁がおでんの材料として使い,今夜は,おでんを酒の肴に日本酒を飲みながら、パソコンのキーボードを叩いておるところ,

 

 おでんの具材は,大根・ジャガイモ・こんにゃく・厚揚げ・ゆで卵・ウインナー・竹輪・天婦羅であり,出汁は,堅肉・スジ肉・コブ・出汁パック・醤油・砂糖・酒などですが,

 

 少な目に作る予定が,具材を鍋に入れてみると多くなり,今回も明日の夜まで食べられるくらいの量となったのでした。

 

 

 毎月の 介護保険料 高すぎる

   使わないなら 減額すべきか

 

 割高な 介護保険の この額を

   使わぬ者には 減額の措置を

 

 小雪が,降ったり止んだりしていた,寒い一日だったので,

 

 本日においては,畑仕事は休み,家の中にて雑用を行っていました。

 

 このブログの下書きも,自分にとっては大切な雑用であり,午前中は以前から気になっていた介護保険の件について自分なりに考えて一文を作り,

 

 午後からは,裏庭において焼却炉を作るべく,18ℓのエンジンオイルが入っていた缶の蓋を外し,内部の油分をウエスで拭い取り,洗剤と流水で洗い,雑巾で清拭した後に,7mmのドリルで,適宜な箇所に穴を開けて,焼却炉にしたのでした。

 

 ところで,介護保険制度は相互扶助を理念としており,高齢者や介護が必要な方を支えるための仕組みであるところ,健康で介護サービスを利用していない人にとっては「支払い続ける負担」はあるらしい。

 

 この介護保険料は,高齢者が加入する「第1号被保険者」(65歳以上)と現役世代が加入する「第2号被保険者」(40歳~64歳)から徴収され,介護が必要な方の支援に充てられることを原則にしており,利用の有無に関係なく支払いが求められるため,健康である人には不公平感を感じる場合があるのでしょう。

 

 しかしながら,健康な人に減額を適用すると,介護が必要な方の保険料負担が増える可能性があるので,

 

 とある自治体が行っている,ボランティア活動や健康づくりとか,介護予防に取り組む活動に基づきポイントが付与され,集めたポイントの数に応じて奨励金などが支給される制度のごとく,それを介護保険料の減額に利用できる仕組みがあれば,介護保険料の全体的な負担を軽減することが可能となり,

 

 現状では「一定期間利用がない場合でも介護保険の減額制度」の実現は難しいのでしょうが,健康を維持する努力が評価される仕組みや,介護予防を重視する政策の拡充は検討に値すると思われ,本日の一首にしてみました。

 

 午前10時頃に降った雪です。降り始めてから10分くらいした庭の様子です。

 

 正義感 大切なのは バランスか

   価値観や信念 互いに重んじ

 

 正義感を持つことは,人として正しい行動をとるための,重要な要素であると考えられるところ,

 

 正義感が強い人は,自分の価値観や基準が「絶対的に正しい」と信じやすく,異なる意見や価値観を持つ人々を批判することがあり,

 

 結果として,無意識に他者との関係を損ねたり,対立を深める原因になることがあるようです。

 

 この正義感を持つこと自体は,良いことなのでしょうが,大切なのはバランスかと思われ,

 

 他者の立場や価値観を重んじながら,柔軟に物事を捉え,対話や共感を通じて人間関係を構築してゆく姿勢が,重要であると思われるのです。

 

 受け入れる 気持があれば 腹立たず

   自分は自分 人は人なり

 

 大寒であるのに,春を感じさせるような,暖かな一日でした。

 

 特別な用事はなく,普段の通り,時間が過ぎていったのですが,

 

 エアコンから,キリキリと音が聞こえてきたので,フィルターとファンを掃除するべく,作業をしておりました。

 

 エアコンの掃除は,夏と冬の使い始めに,行っているのですが,

 

 フィルターには,思った以上に,綿埃が付着しており,ファンにも綿埃がこびり付いていたので,掃除機のブラシで取り除いたところ,

 

 ファンにこびり付いたゴミは,取り除くのに,時間がかかったのでした。

 

 他には,ここ数日の好天で畑が乾き,野菜が育っている畝の土が乾いていたので,

 

 如雨露にて,野菜に水を与えておりました。

 

 我は雑鳥が888回目となり,何か気の利いたことを投稿してみたいと気負っていたのですが,

 

 生きておれば,社会でも,家庭においても,自分以外の者と,意見が食い違う事があるものの,どのような状況においても,

 

 冷静さを保ち,相手の意見を尊重し・共通点を見つけ・柔軟な姿勢を保ち・非難ではなく提案を行い・解決策を共に考え・必要に応じて第三者の意見を聞くことが,

 

 人間関係を良好に保つ,鍵になると思われ,本日の一首にしてみました。

 

 法華経の その一節を 唱えれば

   今日一日も 気運高まり

 

 法華経の 不思議な力に 守られて

   どんな時でも 穏やかに生き

 

 前回のブログに続き,宗教的なことを,投稿してみたいと思い,

 

 法華経について,インターネットで調べた内容を,以下へ転記してみたい。

 

日蓮聖人の生涯について。

 

 日蓮聖人(1222年-1282年)は、日本の鎌倉時代の僧侶であり、仏教の一派「日蓮宗」の開祖です。

 法華経を唯一の正しい教えとして説き、その布教と社会改革を目指しました。

 その生涯は、信仰の確立、迫害、布教活動、そして弟子たちへの教えを通じて、後世に多大な影響を与えました。

 

以下に、日蓮聖人の年譜と、足跡や功績を簡潔にまとめます。

 

年譜

1222年(承久4年)

 安房国長狭郡東条(現在の千葉県鴨川市)に生誕。幼名は善日丸。

 

1233年(天福元年)

 11歳で出家し、清澄寺で修行を始める。

 

1253年(建長5年)

 清澄寺で「南無妙法蓮華経」を唱え、日蓮と名乗る。この日が立宗の年とされる。

 

1260年(文応元年)

「立正安国論」を執筆し、鎌倉幕府に提出するが、これが原因で迫害を受ける。

 

1261年(弘長元年)

 伊豆に配流される(伊豆流罪)。

 

1271年(文永8年)

 竜ノ口の法難に遭うが処刑を免れる。その後、佐渡に流罪となる。

 

1274年(文永11年)

 佐渡から赦免され、鎌倉に戻る。幕府に法華経への帰依を訴える。

 

1279年(弘安2年)

 弟子たちと共に大石寺(現在の静岡県富士宮市)を建立。

 

1282年(弘安5年)

 身延山を離れ、旅の途中で病に倒れる。同年10月13日、池上宗仲の館(現在の池上本門寺)で入滅。享年61。

 

まとめ

 日蓮聖人は、法華経を中心とした信仰と改革の精神を貫き、日本仏教史に大きな影響を与えました。その教えは現在も広く信仰されており、世界中に日蓮宗や創価学会などの教団があります。

 

 

足跡と功績

 

法華経の弘通

 日蓮聖人は、釈尊の教えの真髄は法華経にあるとし、「南無妙法蓮華経」という題目を唱えることで全ての人が成仏できると説きました。

 

社会批判と改革

 仏教界の腐敗や政治の混迷を批判し、民衆に法華経への信仰を促しました。鎌倉幕府に対しても大胆に警鐘を鳴らし、立正安国論を著して国家と仏教の在り方を説きました。

 

四度の大難(四大法難)を受ける。

 四度の大難とは、日蓮聖人の妙法弘通のなかで起こった身命に及ぶ4度の大難のこと。 ①1260年(文応元年)「立正安国論」提出直後の松葉ケ谷の法難、②翌・1261年(弘長元年)の伊豆流罪、③1264年(文永元年)の小松原の法難、④1271(文永8年)の竜の口の法難・佐渡流罪。

 

松葉ヶ谷法難(1260年)

 1260年(文応元年)8月27日、松葉ヶ谷の草庵で、日蓮聖人が念仏者たちに襲われた法難です。 真言・念仏・禅・律宗などの僧が法華経を誹謗するゆえであるとして、幕府に訴えつづけられました。 北条時頼に一刻も早く念仏等の誤った宗教を捨てて正法に帰依するように勧めた立正安国論を提出しました。

 

伊豆流罪

 1260年(文応元年)に日蓮聖人は天変地異などによる世の乱れを嘆き『立正安国論』を執筆するが、それが幕府の反感を買い、翌年の1261年(弘長元年)に伊豆流罪となった。 御年40歳。これを「伊豆法難」と呼ぶ。

 

小松原の法難

 1264年(文永元年)11月11日、日蓮聖人が安房国東条郡(千葉県鴨川市)天津[あまつ]に住む門下・工藤殿の邸宅へ向かう途中、東条の松原大路で、地頭・東条景信[とうじょうかげのぶ]の軍勢に襲撃された法難。東条松原の法難とも呼ばれる。門下が死亡し、大聖人御自身も額に傷を負い、左手を折られた。その時の模様は「南条兵衛七郎殿御書」(1498㌻)に記されている。

 

竜の口の法難と佐渡流刑

 1271(文永8年)年9月12日に、日蓮聖人が幕府から処刑されそうになった事件。

日蓮聖人との降雨の祈願くらべに敗れた律僧の良観が、幕府に対し「日蓮の厳しい他宗折伏は思想的・行動的に危険である」と讒訴(ざんそ:他人をおとしいれようとして、事実を曲げて言いつけること)したことが原因でした。

これはまさに法華経に記された通り、末法に弘経する人間が受ける法難そのものでした。

 日蓮聖人は現在龍口寺がある龍ノ口刑場へ連行されたが、江の島の方角から差す強い光が斬首しようとする役人たちの目をくらませ、難を逃れたと伝えられている。

 

 佐渡流刑は、日蓮聖人が1271年(文永8年)、竜の口の法難の後、不当に佐渡へ流刑された法難。 約2年5カ月に及ぶ佐渡滞在中、衣食住も満足ではなく、敵対する念仏者らにも命を狙われるという過酷な環境に置かれた。

 

教団の形成

 日蓮聖人は、逆境の中でも信仰を貫き、多くの弟子を育て、日興、日向、日昭、日朗などの主要な弟子たちを通じて教えが広がりました。

 

著作と遺訓

 日蓮聖人は膨大な量の著作を残しました。代表的なものに「立正安国論」「観心本尊抄」などがあり、弟子や信徒への手紙も多数残されています。

 

 

法華経御觀念文

御觀念文 ( 夜は初座と4座を除くこと )

初座 ( 先ず御本尊を拝し奉り、然して後 )

     東方に向かいて御経を読誦し引題目を終りて )

生身妙覺自行の御利益・大梵天王・帝釋天王・大日天王・大月天王・大明星天王等惣じて法華守護の諸天善神、諸天晝夜常爲法故而衛護之の御利益、法味倍增の御爲に

   南無妙法蓮華経 ( 三唱 )

二座 ( 御本尊に向かい奉る ) 方便品・寿量品を読誦し引題目を終りて

南無本門壽量品の肝心・文低秘沈の大法・本地難思境智冥合・久遠元初・ 自受用報身如来の御當體・十界本有・常住事の一念三千・人法一箇・濁一本門戒壇の大御本尊、御威光倍增御利益廣大御報恩謝德の御爲に

   南無妙法蓮華経 ( 三唱 )

三座 ( 御本尊に向かい奉る ) 方便品・寿量品を読誦し引題目を終りて

南無本因妙の教主・一身即三身・三身即一身・三世常恒の御利益・主師親三徳大慈大非宗祖日連大聖人、御威光倍增御利益廣大御報恩謝徳の御爲に  南無妙法蓮華経

南無法水瀉瓶・唯我與与我・本門弘通の大導師・第二祖白蓮阿闍梨日興上人、御威光倍增御利益廣大御報恩謝徳の御為に  南無妙法蓮華経

南無一閻浮提之御座主・第三祖新田卿阿闍梨日目上人、御威光倍增御利益廣大御報恩謝徳の御爲に  南無妙法蓮華経

南無日道上人・日行上人等御本山御歴代の御正師、御威光倍增御報恩謝徳の御為めに

   南無妙法蓮華経 ( 三唱 )

四座 ( 御本尊に向かい奉る ) 方便品・寿量品を読誦し引題目を終りて

祈念し奉る我等弘法の誠意大御本尊に達し、一天四海本人妙、廣宣流布、大願成就御祈禱の御為に  南無妙法蓮華経

某過去遠々劫現在漫々の謗法罪障消滅、現當二世大願成就の爲めに

   ( その他の御祈念はここに於いてすること )

   南無妙法蓮華経 ( 三唱 )

五座 ( 御本尊に向かい奉る ) 方便品・寿量品を読誦し御題目を唱え終りて

當門流信仰の面々・内得信仰の面々・各々先祖代々の諸精霊、追善供養證大菩提の爲めに  南無妙法蓮華経

某先祖代々之精靈追善供養證大菩提の爲めに  南無妙法蓮華経

  ( 総ての回向は此処に於いてすること )

乃至法界平等利益自佗俱安同歸寂光

   南無妙法蓮華経 ( 三唱 )

 

我は雑鳥 684 | minamiのブログ

 

 

一念三千とは

 

「一念三千」は仏教の法華経を基盤とする教えの中で重要な概念であり、特に日蓮宗で重視される思想です。これは天台大師(智顗)によって説かれたもので、「法華玄義」に詳しく記されているところ、

「一念」とは、一瞬の心の働き、または心の中に現れる一つの思いを指し、

「三千」とは、宇宙のすべての現象や存在を象徴するものです。

つまり、「一念三千」とは「一つの心の働きの中に、宇宙のすべてが包含されている」という意味になります。

 

「三千」について詳しく述べるなら、

「三千」とは、以下の三つの要素を掛け合わせた結果の数を指します。

十界

すべての存在が経験し得る十種類の世界、または境地のことです。具体的には次の通りです。

地獄界・餓鬼界・畜生界・修羅界・人間界・天上界・声聞界・縁覚界・菩薩界・仏界

十如是

すべての現象に共通する十の特質です:

如是相・如是性・如是体・如是力・如是作・如是因・如是縁・如是果・如是報・如是本末究竟等

三世間

世界を三つの観点から捉えたものです:

五陰世間:個々の存在の構成要素

衆生世間:生きとし生けるもの

国土世間:環境や物質的な世界

計算方法

十界 × 十界 × 十如是 × 三世間 = 三千

この思想によれば、一瞬の心の動きの中にこの「三千」のすべてが内包されているとされます。一念の中に宇宙全体のすべてが存在し、私たちが瞬間瞬間にどのような世界を体験し、どのような現実を作り出すかが決定されるという深遠な教えです。

「十界 × 十界」という表現については、単に十界を10倍するという意味ではありません。これは「十界互具(じゅっかいごぐ)」という仏教思想に基づく考え方を示しています。具体的な意味は以下のとおりです。

十界互具とは

「互具」という言葉は「お互いに具わっている」という意味です。

つまり、すべての界(境地)は他のすべての界をその内に含んでいると考えます。

計算の意図

このため、「十界 × 十界」は単なる数値的な10倍ではなく、「各界が他の十界を内包する」という哲学的な考えを表しています。これによって、十界それぞれが他の十界すべての要素を持つため、100の異なる状態が生まれるという解釈が導かれます。

したがって、「十界 × 十界」という表現は、十界のそれぞれが他の十界すべてを含むことを示す象徴的なものであり、単純な数値的な倍数の意味ではありません。

 

 

一生成仏抄

 

一生成仏抄については「一生のうちに悟りを開き、仏の境地に到達することが可能である」という教えを説いたものであり、この抄は、日蓮聖人が「南無妙法蓮華経」という題目を唱えることによって誰もが現世において仏の悟りに達することができるという信念を明確に述べた重要な文書です。

 

1 題目(南無妙法蓮華経)の力

題目を唱えることによって、仏の智慧と慈悲が一体となる「仏界」の境地が自らの生命に開かれると説いています。

2 即身成仏

人間が生きながらにして仏の境地に達することが可能であり、それは特定の僧侶や修行者だけでなく、すべての人に開かれた道であると強調しています。

3 妙法蓮華経の尊さ

法華経が仏教の最高教えであり、それを実践することで現実世界において仏の悟りを体現できるとしています。

4 現世利益と成仏

現世において苦難に打ち勝ち、幸福な人生を築くことと、成仏は切り離せないものと捉えています。

この教えは、難解な修行を必要とせず、信心と唱題によって仏の境地に至る道を示すことで、広く人々に救済の道を開いたものとされています。

 

 

参考までに

 

日蓮宗では、釈迦を本仏としている一方で、日蓮聖人のことを大菩薩と見なしており日蓮聖人のまたの名は「日蓮大菩薩」です。

日蓮正宗では日蓮聖人を本仏としており,日蓮聖人をキリストや釈迦と同じように崇拝の対象として考えているため「日蓮大聖人」と呼んでいます。

 

 

法華経の その哲学に 導かれ

   今こそ発心 更に迷わず

 

 こんな一首も閃いたのですが, 南無妙法蓮華経と唱えれば,救われるのでしょう。

 

 イスラムの 教えについて 紐解けば

   戒律の厳しさ 胸に染み入り

 

 イスラム教の教義について,インターネットで調べてみたら,聖地メッカに向かって,1日に5回祈りを捧げるとか,戒律は他の宗教と比べて厳しいようなのです。

 

 このイスラム教の「目には目を,歯には歯を」とは,イスラム法に書かれており,

 

 報復は,受けた被害と同等の仕返しにとどめ,それ以上のことはするなとの教えのようですが,

 

 自分なりに,以下のとおり,拡大解釈してみたので,投稿してみたい。

 

 イスラム教の,目には目を歯には歯をとの教えでは,本来は報復しなさいという意味ではなく,自己の身に降りかかった災難に対し,同じ出来事を二度と受けないために,知恵を働かせよとの教えであると思われ,これについて追及してみるならば,

 

 「目には目を、歯には歯を」という教えは、イスラム教やユダヤ教,さらには古代メソポタミアのハンムラビ法典などに起源を持つ法的な概念で,単に報復を推奨するものではなく,本来の意図は,報復が過剰にならないように,適切な範囲で公正を保つためのガイドラインとされているようであり,以下へ,その概念を記載してみたい。

 

1 背景と解釈

 イスラム教におけるこの考え方は,「カサース」として知られる,法的な報復の規定に関連しています。

 

2 公正な範囲内の制限

 個人が,感情に流されて,過剰な復讐を行わないようにするための制限を課し,例えば,被害に対する報復は,被害の大きさに見合ったものに,限定されるべきだとしています。

 

3 和解と慈悲を奨励

 コーランでは,報復を行う権利がある場合でも,それを行使せず,許すことがより高尚であるとされております。

 

4 社会的秩序の維持

 報復が無秩序に行われると,さらなる争いや復讐の連鎖を招く可能性があり,そのために,この教えは,法の枠組みの中で秩序を守ることを目的としています。

 

5 知恵を働かせるという視点

 この教えが,知恵を働かせることを奨励しているという解釈は,非常に興味深いものであり,「目には目を」という原則が単なる報復のルールではなく,人生の中で困難やトラブルを避けるための,学びの機会であると捉えることができると考えられ,

 例えば,何か被害を受けたとき,それを単に「仕返し」するのではなく,同じことが二度と起こらないようにどのような対策を講じるべきかを考えることは,現代社会でも重要な知恵であり,このような解釈は,イスラム教の教えが持つ普遍的な価値観や,自己改善の理念にも繋がるものなのでしょう。

 

6 結論として

「目には目を」という教えは,単なる報復の指針ではなく,公正と秩序を守るための原則として理解されるべきであり,同じ災難を繰り返さないために知恵を働かせるという解釈は,イスラム教の精神に合致しており,現代的な視点からも意義深いものと思われるのです。

 

 霜の朝 畑のかしこに 薄氷

   朝日に輝き 時は巡るや

 

 今朝のことになるのですが,ゴミ置き場へ,可燃物を運んだ際に,

 

 畑では,霜が降りて,所々にある窪みに溜まった水が,凍っており,

 

 その氷に朝日が当り,幻想的だったので,早速のこと一首にしてみたのですが,

 

 畑に漂う静寂さと相まって,今朝は霜が降っていたけれど,

 

 今度は,どんな光景を感じ取れるかと,自問自答しておりました。

 

 そんな朝でしたが,朝に霜が見られた日は,晴れると聞いたことがあり,

 

 今日の昼間は晴天で,風は静かに吹いている程度で,

 

 畑にて里芋を掘ったり,ほうれん草・小松菜・菜の花が育っている畝に被せていた,不織布を取り除いたりしていたら,身体が温かくなり,上着を脱いで作業をしていたのです。

 

 玄関の 履物の数 把握して

   増減あるなら 人の出入りが

 

 家の管理をしていると,玄関では,履物の数を把握しており,減っていれば,誰かが外に出ていると理解しているのです。

 

 家の管理とは,大袈裟な言葉になったのですが,誰かが責任を持って管理しないと,

 

 何が何やら,分からなくなる時がくると思い,重要なことはノートに書いて残し,

 

 さしたる内容でない場合は,メモ用紙に書いて,レターケースに入れているのです。

 

 玄関の履物については,嫁が何処に居るかを確認できて,スリッパが減っておれば,庭に出ており,靴が見当たらなければ,散歩に出掛けていると理解し,

 

 散歩については,1時間しても家に帰らなければ,ミニバイクで探しに行く時があります。

 

 さてさて,国家の危機管理とは,次元が違うのですが,

 

 家族の生命や財産を守り,快適に過ごせる環境を整え,安心して暮らせる基盤を構築することは,肝心であると思われ,

 

 子供たちに,その気持ちが引き継がれたら良いと,願っているのです。

 

 雑用は 少しずつでも 進めたら

   こころの重荷 軽くなりけれ

 

 雑用とは,インターネットの解説によれば,こまごました,いろいろな用事とか,特別なスキルや知識を必要としない簡単な仕事を指すと書いており,

 

 自分が思っていた,雑用とは違っていたのですが,

 

 本日においては,果樹畑の倉庫に置いていた籾殻を畑まで一輪車で移動(300m)させたり,ブンドウ豆が育っている箇所(15m)に園芸ネットを施し,ソラマメの支柱(10m)にハウスロープを架けておりました。

 

 そんなことで,携帯電話のメモ帳に書いた用事を済ませたら消しているのですが,雑用は次から次へと待ち構えており,休む暇がないのです。

 

 こんな一日でしたが,昼食後に身体を休めていたら,保健会社の代理店と名乗る男性から電話があり,「なないろ生命」の生命保険について説明を受けたのですが,

 

 他の保健会社と比較してみて,割安であると思ったのでした。

 

 さてさて,

 

  作業では 昨日の失敗 尾を引かず

    再度の失敗 無くす為にも

 

 作業の途中には,こんな一首も胸に刻みつつ,手足を動かしていたのです。