法華経の その一節を 唱えれば
今日一日も 気運高まり
法華経の 不思議な力に 守られて
どんな時でも 穏やかに生き
前回のブログに続き,宗教的なことを,投稿してみたいと思い,
法華経について,インターネットで調べた内容を,以下へ転記してみたい。
日蓮聖人の生涯について。
日蓮聖人(1222年-1282年)は、日本の鎌倉時代の僧侶であり、仏教の一派「日蓮宗」の開祖です。
法華経を唯一の正しい教えとして説き、その布教と社会改革を目指しました。
その生涯は、信仰の確立、迫害、布教活動、そして弟子たちへの教えを通じて、後世に多大な影響を与えました。
以下に、日蓮聖人の年譜と、足跡や功績を簡潔にまとめます。
年譜
1222年(承久4年)
安房国長狭郡東条(現在の千葉県鴨川市)に生誕。幼名は善日丸。
1233年(天福元年)
11歳で出家し、清澄寺で修行を始める。
1253年(建長5年)
清澄寺で「南無妙法蓮華経」を唱え、日蓮と名乗る。この日が立宗の年とされる。
1260年(文応元年)
「立正安国論」を執筆し、鎌倉幕府に提出するが、これが原因で迫害を受ける。
1261年(弘長元年)
伊豆に配流される(伊豆流罪)。
1271年(文永8年)
竜ノ口の法難に遭うが処刑を免れる。その後、佐渡に流罪となる。
1274年(文永11年)
佐渡から赦免され、鎌倉に戻る。幕府に法華経への帰依を訴える。
1279年(弘安2年)
弟子たちと共に大石寺(現在の静岡県富士宮市)を建立。
1282年(弘安5年)
身延山を離れ、旅の途中で病に倒れる。同年10月13日、池上宗仲の館(現在の池上本門寺)で入滅。享年61。
まとめ
日蓮聖人は、法華経を中心とした信仰と改革の精神を貫き、日本仏教史に大きな影響を与えました。その教えは現在も広く信仰されており、世界中に日蓮宗や創価学会などの教団があります。
足跡と功績
法華経の弘通
日蓮聖人は、釈尊の教えの真髄は法華経にあるとし、「南無妙法蓮華経」という題目を唱えることで全ての人が成仏できると説きました。
社会批判と改革
仏教界の腐敗や政治の混迷を批判し、民衆に法華経への信仰を促しました。鎌倉幕府に対しても大胆に警鐘を鳴らし、立正安国論を著して国家と仏教の在り方を説きました。
四度の大難(四大法難)を受ける。
四度の大難とは、日蓮聖人の妙法弘通のなかで起こった身命に及ぶ4度の大難のこと。 ①1260年(文応元年)「立正安国論」提出直後の松葉ケ谷の法難、②翌・1261年(弘長元年)の伊豆流罪、③1264年(文永元年)の小松原の法難、④1271(文永8年)の竜の口の法難・佐渡流罪。
松葉ヶ谷法難(1260年)
1260年(文応元年)8月27日、松葉ヶ谷の草庵で、日蓮聖人が念仏者たちに襲われた法難です。 真言・念仏・禅・律宗などの僧が法華経を誹謗するゆえであるとして、幕府に訴えつづけられました。 北条時頼に一刻も早く念仏等の誤った宗教を捨てて正法に帰依するように勧めた立正安国論を提出しました。
伊豆流罪
1260年(文応元年)に日蓮聖人は天変地異などによる世の乱れを嘆き『立正安国論』を執筆するが、それが幕府の反感を買い、翌年の1261年(弘長元年)に伊豆流罪となった。 御年40歳。これを「伊豆法難」と呼ぶ。
小松原の法難
1264年(文永元年)11月11日、日蓮聖人が安房国東条郡(千葉県鴨川市)天津[あまつ]に住む門下・工藤殿の邸宅へ向かう途中、東条の松原大路で、地頭・東条景信[とうじょうかげのぶ]の軍勢に襲撃された法難。東条松原の法難とも呼ばれる。門下が死亡し、大聖人御自身も額に傷を負い、左手を折られた。その時の模様は「南条兵衛七郎殿御書」(1498㌻)に記されている。
竜の口の法難と佐渡流刑
1271(文永8年)年9月12日に、日蓮聖人が幕府から処刑されそうになった事件。
日蓮聖人との降雨の祈願くらべに敗れた律僧の良観が、幕府に対し「日蓮の厳しい他宗折伏は思想的・行動的に危険である」と讒訴(ざんそ:他人をおとしいれようとして、事実を曲げて言いつけること)したことが原因でした。
これはまさに法華経に記された通り、末法に弘経する人間が受ける法難そのものでした。
日蓮聖人は現在龍口寺がある龍ノ口刑場へ連行されたが、江の島の方角から差す強い光が斬首しようとする役人たちの目をくらませ、難を逃れたと伝えられている。
佐渡流刑は、日蓮聖人が1271年(文永8年)、竜の口の法難の後、不当に佐渡へ流刑された法難。 約2年5カ月に及ぶ佐渡滞在中、衣食住も満足ではなく、敵対する念仏者らにも命を狙われるという過酷な環境に置かれた。
教団の形成
日蓮聖人は、逆境の中でも信仰を貫き、多くの弟子を育て、日興、日向、日昭、日朗などの主要な弟子たちを通じて教えが広がりました。
著作と遺訓
日蓮聖人は膨大な量の著作を残しました。代表的なものに「立正安国論」「観心本尊抄」などがあり、弟子や信徒への手紙も多数残されています。
法華経御觀念文
御觀念文 ( 夜は初座と4座を除くこと )
初座 ( 先ず御本尊を拝し奉り、然して後 )
東方に向かいて御経を読誦し引題目を終りて )
生身妙覺自行の御利益・大梵天王・帝釋天王・大日天王・大月天王・大明星天王等惣じて法華守護の諸天善神、諸天晝夜常爲法故而衛護之の御利益、法味倍增の御爲に
南無妙法蓮華経 ( 三唱 )
二座 ( 御本尊に向かい奉る ) 方便品・寿量品を読誦し引題目を終りて
南無本門壽量品の肝心・文低秘沈の大法・本地難思境智冥合・久遠元初・ 自受用報身如来の御當體・十界本有・常住事の一念三千・人法一箇・濁一本門戒壇の大御本尊、御威光倍增御利益廣大御報恩謝德の御爲に
南無妙法蓮華経 ( 三唱 )
三座 ( 御本尊に向かい奉る ) 方便品・寿量品を読誦し引題目を終りて
南無本因妙の教主・一身即三身・三身即一身・三世常恒の御利益・主師親三徳大慈大非宗祖日連大聖人、御威光倍增御利益廣大御報恩謝徳の御爲に 南無妙法蓮華経
南無法水瀉瓶・唯我與与我・本門弘通の大導師・第二祖白蓮阿闍梨日興上人、御威光倍增御利益廣大御報恩謝徳の御為に 南無妙法蓮華経
南無一閻浮提之御座主・第三祖新田卿阿闍梨日目上人、御威光倍增御利益廣大御報恩謝徳の御爲に 南無妙法蓮華経
南無日道上人・日行上人等御本山御歴代の御正師、御威光倍增御報恩謝徳の御為めに
南無妙法蓮華経 ( 三唱 )
四座 ( 御本尊に向かい奉る ) 方便品・寿量品を読誦し引題目を終りて
祈念し奉る我等弘法の誠意大御本尊に達し、一天四海本人妙、廣宣流布、大願成就御祈禱の御為に 南無妙法蓮華経
某過去遠々劫現在漫々の謗法罪障消滅、現當二世大願成就の爲めに
( その他の御祈念はここに於いてすること )
南無妙法蓮華経 ( 三唱 )
五座 ( 御本尊に向かい奉る ) 方便品・寿量品を読誦し御題目を唱え終りて
當門流信仰の面々・内得信仰の面々・各々先祖代々の諸精霊、追善供養證大菩提の爲めに 南無妙法蓮華経
某先祖代々之精靈追善供養證大菩提の爲めに 南無妙法蓮華経
( 総ての回向は此処に於いてすること )
乃至法界平等利益自佗俱安同歸寂光
南無妙法蓮華経 ( 三唱 )
一念三千とは
「一念三千」は仏教の法華経を基盤とする教えの中で重要な概念であり、特に日蓮宗で重視される思想です。これは天台大師(智顗)によって説かれたもので、「法華玄義」に詳しく記されているところ、
「一念」とは、一瞬の心の働き、または心の中に現れる一つの思いを指し、
「三千」とは、宇宙のすべての現象や存在を象徴するものです。
つまり、「一念三千」とは「一つの心の働きの中に、宇宙のすべてが包含されている」という意味になります。
「三千」について詳しく述べるなら、
「三千」とは、以下の三つの要素を掛け合わせた結果の数を指します。
十界
すべての存在が経験し得る十種類の世界、または境地のことです。具体的には次の通りです。
地獄界・餓鬼界・畜生界・修羅界・人間界・天上界・声聞界・縁覚界・菩薩界・仏界
十如是
すべての現象に共通する十の特質です:
如是相・如是性・如是体・如是力・如是作・如是因・如是縁・如是果・如是報・如是本末究竟等
三世間
世界を三つの観点から捉えたものです:
五陰世間:個々の存在の構成要素
衆生世間:生きとし生けるもの
国土世間:環境や物質的な世界
計算方法
十界 × 十界 × 十如是 × 三世間 = 三千
この思想によれば、一瞬の心の動きの中にこの「三千」のすべてが内包されているとされます。一念の中に宇宙全体のすべてが存在し、私たちが瞬間瞬間にどのような世界を体験し、どのような現実を作り出すかが決定されるという深遠な教えです。
「十界 × 十界」という表現については、単に十界を10倍するという意味ではありません。これは「十界互具(じゅっかいごぐ)」という仏教思想に基づく考え方を示しています。具体的な意味は以下のとおりです。
十界互具とは
「互具」という言葉は「お互いに具わっている」という意味です。
つまり、すべての界(境地)は他のすべての界をその内に含んでいると考えます。
計算の意図
このため、「十界 × 十界」は単なる数値的な10倍ではなく、「各界が他の十界を内包する」という哲学的な考えを表しています。これによって、十界それぞれが他の十界すべての要素を持つため、100の異なる状態が生まれるという解釈が導かれます。
したがって、「十界 × 十界」という表現は、十界のそれぞれが他の十界すべてを含むことを示す象徴的なものであり、単純な数値的な倍数の意味ではありません。
一生成仏抄
一生成仏抄については「一生のうちに悟りを開き、仏の境地に到達することが可能である」という教えを説いたものであり、この抄は、日蓮聖人が「南無妙法蓮華経」という題目を唱えることによって誰もが現世において仏の悟りに達することができるという信念を明確に述べた重要な文書です。
1 題目(南無妙法蓮華経)の力
題目を唱えることによって、仏の智慧と慈悲が一体となる「仏界」の境地が自らの生命に開かれると説いています。
2 即身成仏
人間が生きながらにして仏の境地に達することが可能であり、それは特定の僧侶や修行者だけでなく、すべての人に開かれた道であると強調しています。
3 妙法蓮華経の尊さ
法華経が仏教の最高教えであり、それを実践することで現実世界において仏の悟りを体現できるとしています。
4 現世利益と成仏
現世において苦難に打ち勝ち、幸福な人生を築くことと、成仏は切り離せないものと捉えています。
この教えは、難解な修行を必要とせず、信心と唱題によって仏の境地に至る道を示すことで、広く人々に救済の道を開いたものとされています。
参考までに
日蓮宗では、釈迦を本仏としている一方で、日蓮聖人のことを大菩薩と見なしており日蓮聖人のまたの名は「日蓮大菩薩」です。
日蓮正宗では日蓮聖人を本仏としており,日蓮聖人をキリストや釈迦と同じように崇拝の対象として考えているため「日蓮大聖人」と呼んでいます。
法華経の その哲学に 導かれ
今こそ発心 更に迷わず
こんな一首も閃いたのですが, 南無妙法蓮華経と唱えれば,救われるのでしょう。