A signage of "Radio Frequency Emissions Present" on the high voltage transmission cables implies "Probatio Diabolica". It might be a good policy made by PG&E before disputing an issue.
- at Los Gatos, CA. USA
送電線の鉄塔が好きなので、どこにいても気になるのだが、それは米国出張中も同じ。
なので、いつも車を走らせながら目に付く鉄塔を眺めているのだが、先日、出張したシリコンバレーのLos Gatos市で、見慣れた「High Voltage Warning」の看板とは違う黄色い看板が並んでぶら下がっているのが目に入った。黄色い看板は見たことがなかったのでその正体を確認すべく車を止めて見に行ったのだが、それがこの「電磁放射あり」の標識。
フムフム。さすがはアメリカの会社である。
高圧送電の、人体への影響についての因果関係はまだ科学的に立証されていないので危険とは書いていないものの、将来立証された場合を鑑み、電力会社が先んじて警告板を掲げているということか。
送電線の場合、交流の周波数は60Hz(米国)であるから、ある程度離れれば人体に対する電界磁界の影響は相当に少ないはずだが、だからといって影響がないとまでは言い切れない。この「少ない」と「ない」の違いは、実は天と地ほど違う。なぜなら「ない」は何をかけても「ない」のまま。しかし「少ない」については、掛け合わせる要素によっては大きな数字に変身する。
当初は「人体に影響がない」であっても、やがて「人体に影響がある」に変わる可能性が出てくる。そこが「少ない」と「ない」の違いだ。
しかも悪魔の証明として良く知られている様に「ないことの証明は甚だ困難」である。これが最も厄介な点だ。
くだんのケースでは、高圧が人体に及ぼす「影響は全く無視できるほど少ない」ということであって、「影響がないとは言い切れない」と云うことを意味する。
したがって、PG&E社では事実として「電磁放射は存在する」とし、但し、人体への影響については述べないと云う作戦を講じた。危険とはいっていないものの、存在することは述べているのだから「警告を無視するのであれば、それ以降は自己責任」とする。さすがである。
一方、日本の送電線鉄塔で、こうした看板を見た記憶がない。
我国の場合、今回の福島原発事故を例にあげるまでもなく、確実であることが判るまでは隠匿するという政策を取る傾向がある様に思えるが、もっと積極的に情報を開示して国民にもっと自分で考させても良いのではないだろうか?隠蔽するということが「話してもわからないだろうから」という仮定に立脚しているとすれば、あまりにも国民をバカにしているような気がするのだが。。。
最近、友人達と深っぽい議論をしたので、忘れない様に貼っておく。
■ MT氏: ある有名な方によると日本人というのはセンチメントな民族らしく、それが今の経済の低迷にも起因しているそうです。そして一番大事な教育がどうしょうもないほど腰砕けにされてしまったことを悲観していました。
そりゃ生徒が昼休みでもないのにおにぎり食べてても怒れない先生達なのですからキチンと教育なんで期待するだけ無駄なんでしょうね。
希望の就職先ナンバーワンが公務員なんて世も末ですね。
今話題の「君が代」でもセンチメントな発言をするおバカさんいて困りますよね。
バブル崩壊後の20社ほどの金融破たん後に、年間約1万人の自殺者が増えて毎年3万人の自殺者が出ています。これは経済戦争の戦死者です。いまだに続いています。センチメントな民族ですので年間10万人突破もそんなに先の事とは思えませんよね。
昔、『ジャパン・アズ・ナンバーワン』って本も出版されてましたよね。そんな時代も今は昔ですね。
今現在も日本はある国と経済戦争中だそうです。経済競争ではありません。でもほとんどの人はその自覚すらありませんよね。
光栄にもその大国の経済戦争相手に選ばれたのは日本とドイツだそうです。しかしドイツはEUに加盟したのでおいそれとちょっかいかけれません。そしてターゲットに選ばれた日本は優秀なシンクタンクのよる最強チームによって巧妙に考えられた戦略によって色んなものが奪われていっています。
日本を代表する企業も狙われたらひとたまりもありません。
金融集団は、為替操作でも日本から利益を収しています。
貿易摩擦を理由に、日本の将来性ある技術開発の芽もつぶしてきました。
農業面では種苗の開発保存も独占されそうです。一度、農業を衰退させてしまうと、その復活は容易ではありません。あらゆる食物連鎖が壊されてしまいます。
遺伝子組換作物+除草剤のハッピーセットが表示ラベルなしで日本に入ってくる可能性が非常に高くなっています。
遺伝子組み換えした種苗は、自身の体内でbtと呼ばれる殺虫成分(毒素)を作り出すようになっており、それ(葉、花粉、蜜等)を食べた虫たちが次々に死んでしまうというものです。蝶の幼虫も、ミツバチなどの益虫も、昆虫類はみんな死んでしまう・・・
そして、その影響は小さな昆虫だけに留まりません!ドイツで殺虫トウモロコシを食べさせた牛の変死。米国で殺虫トウモロコシを食べさせた豚の受胎率が8割も減りました。殺虫トウモロコシを食べた家畜の堆肥に殺虫作用が残り、土中の微生物やミミズが死ぬ被害が出ました。遺伝子組み換えのジャガイモを食べさせたネズミのすい臓・腎臓・腸・脳が小さくなったり、免疫機能が低下。WHO・アメリカ医師会も、食べ続けるとアレルギーの人が増えると言っています。
大好きなはちみつが食べれなくなるな~ などと呑気なことを行ってる場合ではありませんよね。
スペインのReal Madrid と芸人選抜サッカーチームが試合するような交渉に日本が勝てるとも思えないし.........日本のすべての資産が奪われるまで経済戦争は続くのでしょうね。あと何年で会社の資産、個人の資産が取られちゃうんでしょうか?
センチメントになってる場合じゃないですよね!
■ ミリ波
: 最近聞いた話ですが、総合商社への就職を希望しつつ「但し、海外赴任は避けたい」と言っている輩がたくさんいるとか。ハイ??
何故、こんなにコンサバになってしまったのかナゾですが、答えの一つは、夢を実現するよりも夢を打ち砕かれることへの恐怖心が先行しているからではないかと考えています。もちろん政治にも責任はあると思いますが、実は小生、昨今の情報過多が原因ではないかと思うのです。成功例もさることながら失敗例も手に取るように入手できる。それこそ、コタツに入って丸くなりながらキーボードを叩けば、いくらでも失敗例を見ることが出来る。これでは、夢を見ろという方が無理あるかもしれません。
最近の米国ニュースによると、若年層の運転免許取得者数が減っているとか。分析によれば、「友人とか、わざわざ会いに行かなくてもネットで会えるもんね」ということが原因のひとつとして大きいと結論しているそうです。米国ですよ?あの車社会の。信じがたい。。。
「便利」が「堕落」をもたらす。これは事実かもしれませんね。
仰るように、食物についても生産の歩留まりの安定性や低価格化を求めてアヤシイものが徘徊しています。しかし、そういう情報は何故かあまり流通しない。これだけ情報過多の時代にも拘わらず、です。
これもまたナゾだ。。。
■ MT氏
: 「成功する自信なんてどこにもない。だが、どんなに厳しい環境でもゴキブリのように生き抜いて見せる」。かってシャープを事実上買収した会長が台湾のメディアに語っていました。商社に入って海外に行かなかったらいったい何をしたいんでしょうか?悲しくなりますね。
■ HI氏
: 私も同感です。。。先日、ハローワークの担当者と求人広告の話をし、指摘を受けたのですが、求人広告の募集業種で『営業』というのは、応募が殆ど無いらしいです。『ルート営業』であったり、『営業事務』でないとNGらいいです。就職難な時代というものの、繊細な状況です。。。笑。しかしながら、私なりにこうも考えました。…時代の変遷ではないだろうかと…?!コンサバティブな考えも社会から個人へのシフト、その結果リベラルな社会にシフトしているのではないかと。。。男尊女卑、家父長制⇒男女平等。こんな言葉も流行りました、アッシーにメッシー。昔の一長一短の『長』と今の一長一短の『短』の部分の比較をすれば、悲観的にならざるを得ないですが、一長一短の部分を表裏一体として双方向から見れば、まだ落胆するのは、早いのではと少し期待を抱いてます。。。楽観的過ぎますでしょうか?偉そうな事言ってスミマセン
■ MT氏
: 平凡な仕事はどんどんコストが下がっていくのでスペシャリストにとってはいい時代なのかもしれないですね。でも、できる人材は海外に行ってしまうでしょうね。
■ ミリ波
: HIさん、仰るとおり、落胆するのはまだ早いかもしれませんね。同意です。
時代の変遷という意味では、日本が良い意味でも悪い意味でも成熟期へとシフトしているということかもしれません。但し、大変興味深い点は、日本という国は、というか日本国民は、相当にしぶとく極めてストレス耐性が高いという点です。
これまで何度も壊滅的な事件に遭遇しているにも拘らず、ちゃんと復興しているんですね、日本。これって世界に例を見ません。決して安定はしてはいないけれども、確実に復活しています。終戦後の日本や、最近の例であれば、昨年の大震災の後の日本国民の行動について世界中が驚嘆し絶賛していたことは記憶に新しい。日本人にはこういう底力があるんだと、小生は考えています。
小生、先に、昨今の日本はコンサバになっているのではないかと書きましたが、実は、日本人は元々コンサバであって、だからこそどんなにヤバイ状況に置かれても、ちゃんと活路が見出せてきているのではないかと思うのです。問題はマスコミの煽りなのではないでしょうか?日本崩壊とか凋落とか、破滅とか。今は、そういう見出しの方が売れるだろうし(笑
本当に日本は崩壊するんでしょうか?飢餓に苦しむ国になるんでしょうか?生まれる子供が次々と死んでしまう国になるんでしょうか?そこまで行かないにしても、本当にすべての技術や人材が海外に流出してしまうのでしょうか?それほどバカでしょうか??
小生もMTさんがご指摘している通り、日本国民は「センチメント」な国民だと思います。問題は、マスコミがそれを助長していていることであって、これだけ情報流通が発達しているにも拘らず、ネガティブなことだけがクローズアップされている気がします。というか、そこだけに目が行ってしまう。つまり、情報過多の時代となった今、即ち幾らでも情報が得られる今日、最も大切なことは情報の吟味であり、何が真実なのかを見極める能力が必要なのだが、その能力が伴っていない。それが気がかりです。
それと、コンサバが度を越してはいまいかという点です。企業はグローバリゼーションと叫びつつも、海外への渡航について厳しく制限する。これって、矛盾に他ならないのではないでしょうか?
小生、仕事の関係で米国のシリコンバレーへ年に数回出張しているのですが、近年とても気になることの一つは日本食の店が減ってきていることです。あれだけ日本食ブームであるにも拘らず。。。
シリコンバレーにいる日本人は、現地企業で働いているか、若しくは日本企業の現地法人で働いている人が大半なのですが、考えてみれば、今や広くインターネットが普及しているので、会議は電話会議、通常の通話も全部スカイプ。新製品サンプルだって、FedExやDHLで配送し、空港の通関後にピックアップすればハンドキャリーする必要もない。各種情報もネットで余るほど入手が可能。しかも、ここ数年の不況が災い、渡航費用もままならない。そうなると、わざわざ行く必要もないじゃん、という論理が働き、いきおい、渡米することも少なくなってしまうということかもしれません。
従って、そういった人たちが立ち寄るための日本食料理店も自ずから減っていく。ごくアタリマエのことが起きているとは思うのですが、それでいいのだろうか??そう思わざるを得ません。なぜなら、他のアジア諸国からの出張者や駐在者は増える一方とか。因みにくだんの日本食料理店も、掌を返したようにインドや韓国、中国の料理店へと変身しています。
夢大きくも、企業の台所事情のせいで海外赴任を拒否された次世代の担い手と、海外赴任を拒否するヘタレだけが日本に残る。
MTさんが述べられていた「ジャパン・アズ・ナンバーワン」が、今や「ジャパン・ワズ・ナンバーワン」に成り下がってはいないか、とても危惧しています。
しかし、手をこまねいていても始まらない。落胆している時間があれば何かしなきゃいけないですよね。但し、民間企業が夢大きな人にチャンスを与えるには、リスクが大きい。であれば、やはり国の政策としてベンチャーへの投資をきちんと行うべきではないかと思うのです。
その成功例が幾つも現れれば、夢を抱く若者も増え、日本が再び復活することは可能ではないでしょうか。
■ ミリ波
: 思うに、書物って、結構無責任かもしれません。何故なら、読書後の反応を知るまでに時間がかかるので、著者の「ああ、あの時はそうだった」がまかり通る。その点、テレビなどはリアルタイムで反応が入るから、あまりネガティブなことを言うとソッコーでボコボコにされてしまう。そりゃそうだ、今や本から得る情報って遅いんだもん。
そう思ってテレビを見てみると、「日本はこれだけ元気なんだお」と煽る。書物は「日本はこれだけ堕ちているんだお」と表現する。この違い、どんだけ離れているのか分かりませんが、どちらが正解なのかは、長い時間を経た後なんでしょうね。。。
■ MT氏
: 企業が即戦力で使える人材を育てる教育が必要ですね。企業が育てる時代は終わったと思います。就職する前に自営業者意識、何が何でも生き残っていく心構え、形よりも成果をだす知恵を身に付ける教育が必要だと思います。国がバックアップするのも必要です。学校は時代に適応した技術や知識を教えていかないといけないですね。サービス業の企業に入社するのに挨拶の仕方も判らない学生が沢山いる事自体が日本の教育が時代に適していないことの表れだと思います。でもこれから意識を変えていく学校や企業も増えていくので希望はあると思います。日本人が本来持っている能力は素晴らしいのですから(^-^)
■ ミリ波
: 確かに日本国民はスゴイ能力を持っているのですが、それを見出す教育、更にそれを伸ばす教育、今、誰も出来ていないかもしれません。このままでは、我国は斜陽となってしまう。それを正すのは、田中さんの仰る通り、まさしく先人であり、教育者でしょうね。「目からうろこ」です。
そう思うと、日本国のトップの今日の体たらく。そのままで良し、とするほど日本人はバカでは無いと信じたい。。
■ MT氏: ある有名な方によると日本人というのはセンチメントな民族らしく、それが今の経済の低迷にも起因しているそうです。そして一番大事な教育がどうしょうもないほど腰砕けにされてしまったことを悲観していました。
そりゃ生徒が昼休みでもないのにおにぎり食べてても怒れない先生達なのですからキチンと教育なんで期待するだけ無駄なんでしょうね。
希望の就職先ナンバーワンが公務員なんて世も末ですね。
今話題の「君が代」でもセンチメントな発言をするおバカさんいて困りますよね。
バブル崩壊後の20社ほどの金融破たん後に、年間約1万人の自殺者が増えて毎年3万人の自殺者が出ています。これは経済戦争の戦死者です。いまだに続いています。センチメントな民族ですので年間10万人突破もそんなに先の事とは思えませんよね。
昔、『ジャパン・アズ・ナンバーワン』って本も出版されてましたよね。そんな時代も今は昔ですね。
今現在も日本はある国と経済戦争中だそうです。経済競争ではありません。でもほとんどの人はその自覚すらありませんよね。
光栄にもその大国の経済戦争相手に選ばれたのは日本とドイツだそうです。しかしドイツはEUに加盟したのでおいそれとちょっかいかけれません。そしてターゲットに選ばれた日本は優秀なシンクタンクのよる最強チームによって巧妙に考えられた戦略によって色んなものが奪われていっています。
日本を代表する企業も狙われたらひとたまりもありません。
金融集団は、為替操作でも日本から利益を収しています。
貿易摩擦を理由に、日本の将来性ある技術開発の芽もつぶしてきました。
農業面では種苗の開発保存も独占されそうです。一度、農業を衰退させてしまうと、その復活は容易ではありません。あらゆる食物連鎖が壊されてしまいます。
遺伝子組換作物+除草剤のハッピーセットが表示ラベルなしで日本に入ってくる可能性が非常に高くなっています。
遺伝子組み換えした種苗は、自身の体内でbtと呼ばれる殺虫成分(毒素)を作り出すようになっており、それ(葉、花粉、蜜等)を食べた虫たちが次々に死んでしまうというものです。蝶の幼虫も、ミツバチなどの益虫も、昆虫類はみんな死んでしまう・・・
そして、その影響は小さな昆虫だけに留まりません!ドイツで殺虫トウモロコシを食べさせた牛の変死。米国で殺虫トウモロコシを食べさせた豚の受胎率が8割も減りました。殺虫トウモロコシを食べた家畜の堆肥に殺虫作用が残り、土中の微生物やミミズが死ぬ被害が出ました。遺伝子組み換えのジャガイモを食べさせたネズミのすい臓・腎臓・腸・脳が小さくなったり、免疫機能が低下。WHO・アメリカ医師会も、食べ続けるとアレルギーの人が増えると言っています。
大好きなはちみつが食べれなくなるな~ などと呑気なことを行ってる場合ではありませんよね。
スペインのReal Madrid と芸人選抜サッカーチームが試合するような交渉に日本が勝てるとも思えないし.........日本のすべての資産が奪われるまで経済戦争は続くのでしょうね。あと何年で会社の資産、個人の資産が取られちゃうんでしょうか?
センチメントになってる場合じゃないですよね!
■ ミリ波
: 最近聞いた話ですが、総合商社への就職を希望しつつ「但し、海外赴任は避けたい」と言っている輩がたくさんいるとか。ハイ??
何故、こんなにコンサバになってしまったのかナゾですが、答えの一つは、夢を実現するよりも夢を打ち砕かれることへの恐怖心が先行しているからではないかと考えています。もちろん政治にも責任はあると思いますが、実は小生、昨今の情報過多が原因ではないかと思うのです。成功例もさることながら失敗例も手に取るように入手できる。それこそ、コタツに入って丸くなりながらキーボードを叩けば、いくらでも失敗例を見ることが出来る。これでは、夢を見ろという方が無理あるかもしれません。
最近の米国ニュースによると、若年層の運転免許取得者数が減っているとか。分析によれば、「友人とか、わざわざ会いに行かなくてもネットで会えるもんね」ということが原因のひとつとして大きいと結論しているそうです。米国ですよ?あの車社会の。信じがたい。。。
「便利」が「堕落」をもたらす。これは事実かもしれませんね。
仰るように、食物についても生産の歩留まりの安定性や低価格化を求めてアヤシイものが徘徊しています。しかし、そういう情報は何故かあまり流通しない。これだけ情報過多の時代にも拘わらず、です。
これもまたナゾだ。。。
■ MT氏
: 「成功する自信なんてどこにもない。だが、どんなに厳しい環境でもゴキブリのように生き抜いて見せる」。かってシャープを事実上買収した会長が台湾のメディアに語っていました。商社に入って海外に行かなかったらいったい何をしたいんでしょうか?悲しくなりますね。
■ HI氏
: 私も同感です。。。先日、ハローワークの担当者と求人広告の話をし、指摘を受けたのですが、求人広告の募集業種で『営業』というのは、応募が殆ど無いらしいです。『ルート営業』であったり、『営業事務』でないとNGらいいです。就職難な時代というものの、繊細な状況です。。。笑。しかしながら、私なりにこうも考えました。…時代の変遷ではないだろうかと…?!コンサバティブな考えも社会から個人へのシフト、その結果リベラルな社会にシフトしているのではないかと。。。男尊女卑、家父長制⇒男女平等。こんな言葉も流行りました、アッシーにメッシー。昔の一長一短の『長』と今の一長一短の『短』の部分の比較をすれば、悲観的にならざるを得ないですが、一長一短の部分を表裏一体として双方向から見れば、まだ落胆するのは、早いのではと少し期待を抱いてます。。。楽観的過ぎますでしょうか?偉そうな事言ってスミマセン
■ MT氏
: 平凡な仕事はどんどんコストが下がっていくのでスペシャリストにとってはいい時代なのかもしれないですね。でも、できる人材は海外に行ってしまうでしょうね。
■ ミリ波
: HIさん、仰るとおり、落胆するのはまだ早いかもしれませんね。同意です。
時代の変遷という意味では、日本が良い意味でも悪い意味でも成熟期へとシフトしているということかもしれません。但し、大変興味深い点は、日本という国は、というか日本国民は、相当にしぶとく極めてストレス耐性が高いという点です。
これまで何度も壊滅的な事件に遭遇しているにも拘らず、ちゃんと復興しているんですね、日本。これって世界に例を見ません。決して安定はしてはいないけれども、確実に復活しています。終戦後の日本や、最近の例であれば、昨年の大震災の後の日本国民の行動について世界中が驚嘆し絶賛していたことは記憶に新しい。日本人にはこういう底力があるんだと、小生は考えています。
小生、先に、昨今の日本はコンサバになっているのではないかと書きましたが、実は、日本人は元々コンサバであって、だからこそどんなにヤバイ状況に置かれても、ちゃんと活路が見出せてきているのではないかと思うのです。問題はマスコミの煽りなのではないでしょうか?日本崩壊とか凋落とか、破滅とか。今は、そういう見出しの方が売れるだろうし(笑
本当に日本は崩壊するんでしょうか?飢餓に苦しむ国になるんでしょうか?生まれる子供が次々と死んでしまう国になるんでしょうか?そこまで行かないにしても、本当にすべての技術や人材が海外に流出してしまうのでしょうか?それほどバカでしょうか??
小生もMTさんがご指摘している通り、日本国民は「センチメント」な国民だと思います。問題は、マスコミがそれを助長していていることであって、これだけ情報流通が発達しているにも拘らず、ネガティブなことだけがクローズアップされている気がします。というか、そこだけに目が行ってしまう。つまり、情報過多の時代となった今、即ち幾らでも情報が得られる今日、最も大切なことは情報の吟味であり、何が真実なのかを見極める能力が必要なのだが、その能力が伴っていない。それが気がかりです。
それと、コンサバが度を越してはいまいかという点です。企業はグローバリゼーションと叫びつつも、海外への渡航について厳しく制限する。これって、矛盾に他ならないのではないでしょうか?
小生、仕事の関係で米国のシリコンバレーへ年に数回出張しているのですが、近年とても気になることの一つは日本食の店が減ってきていることです。あれだけ日本食ブームであるにも拘らず。。。
シリコンバレーにいる日本人は、現地企業で働いているか、若しくは日本企業の現地法人で働いている人が大半なのですが、考えてみれば、今や広くインターネットが普及しているので、会議は電話会議、通常の通話も全部スカイプ。新製品サンプルだって、FedExやDHLで配送し、空港の通関後にピックアップすればハンドキャリーする必要もない。各種情報もネットで余るほど入手が可能。しかも、ここ数年の不況が災い、渡航費用もままならない。そうなると、わざわざ行く必要もないじゃん、という論理が働き、いきおい、渡米することも少なくなってしまうということかもしれません。
従って、そういった人たちが立ち寄るための日本食料理店も自ずから減っていく。ごくアタリマエのことが起きているとは思うのですが、それでいいのだろうか??そう思わざるを得ません。なぜなら、他のアジア諸国からの出張者や駐在者は増える一方とか。因みにくだんの日本食料理店も、掌を返したようにインドや韓国、中国の料理店へと変身しています。
夢大きくも、企業の台所事情のせいで海外赴任を拒否された次世代の担い手と、海外赴任を拒否するヘタレだけが日本に残る。
MTさんが述べられていた「ジャパン・アズ・ナンバーワン」が、今や「ジャパン・ワズ・ナンバーワン」に成り下がってはいないか、とても危惧しています。
しかし、手をこまねいていても始まらない。落胆している時間があれば何かしなきゃいけないですよね。但し、民間企業が夢大きな人にチャンスを与えるには、リスクが大きい。であれば、やはり国の政策としてベンチャーへの投資をきちんと行うべきではないかと思うのです。
その成功例が幾つも現れれば、夢を抱く若者も増え、日本が再び復活することは可能ではないでしょうか。
■ ミリ波
: 思うに、書物って、結構無責任かもしれません。何故なら、読書後の反応を知るまでに時間がかかるので、著者の「ああ、あの時はそうだった」がまかり通る。その点、テレビなどはリアルタイムで反応が入るから、あまりネガティブなことを言うとソッコーでボコボコにされてしまう。そりゃそうだ、今や本から得る情報って遅いんだもん。
そう思ってテレビを見てみると、「日本はこれだけ元気なんだお」と煽る。書物は「日本はこれだけ堕ちているんだお」と表現する。この違い、どんだけ離れているのか分かりませんが、どちらが正解なのかは、長い時間を経た後なんでしょうね。。。
■ MT氏
: 企業が即戦力で使える人材を育てる教育が必要ですね。企業が育てる時代は終わったと思います。就職する前に自営業者意識、何が何でも生き残っていく心構え、形よりも成果をだす知恵を身に付ける教育が必要だと思います。国がバックアップするのも必要です。学校は時代に適応した技術や知識を教えていかないといけないですね。サービス業の企業に入社するのに挨拶の仕方も判らない学生が沢山いる事自体が日本の教育が時代に適していないことの表れだと思います。でもこれから意識を変えていく学校や企業も増えていくので希望はあると思います。日本人が本来持っている能力は素晴らしいのですから(^-^)
■ ミリ波
: 確かに日本国民はスゴイ能力を持っているのですが、それを見出す教育、更にそれを伸ばす教育、今、誰も出来ていないかもしれません。このままでは、我国は斜陽となってしまう。それを正すのは、田中さんの仰る通り、まさしく先人であり、教育者でしょうね。「目からうろこ」です。
そう思うと、日本国のトップの今日の体たらく。そのままで良し、とするほど日本人はバカでは無いと信じたい。。
日本人だったら、殆どの人が知っているモンシロチョウだが、将来、人類はこの子達に救われるかもしれない。
モンシロチョウは英語でいうとcabbage whiteといい、「キャベツ畑の白い子ちゃん」、まあ英語圏でも日本でも同じ様なところに棲息していることがわかる。
それはともかく、昆虫の変態(ヘンタイではありません)は、本当に驚きの変身だ。芋虫から蛹への変身はわからないでもないが、蛹から成虫への変身は全く想像を絶するものがある。予備知識が無ければ、蛹を見て成虫を想像することは不可能に近い。それだけ両者の間には隔たりがあるということだ。だが、確実に、蛹から生まれ変わった成虫は別物になっている。不思議すぎる。いったい蛹の中で何が起きているのだろう。
そこで、科学者は蛹を徹底的に調べた。その結果、驚くべきことを突き止めたのだ。
蛹から成虫に変わる時、蝶の体内では新しい体を作るための一部細胞の死滅がおきていた。この細胞を死滅させる成分を分離させることに成功したのだ。この成分をピエリシンと名づけたが、ちなみにモンシロチョウの学名はPierisというから、それから命名されたようだ。
このピエリシンは通常の細胞には反応せず、がん細胞に特異的に結びつきやすい特性を持っており、がん細胞の核に入り込んで遺伝子のグアニン配列を破壊するという。つまり、このピエリシンによって、遺伝子の配列が変化してしまった癌細胞は、その後増殖することが出来ず、死滅するのだそうだ。
その後も研究は進んでいるとのことだが、ピエリシンそのものは極めて毒性が強く、ピエリシンの副作用はまだ解明されていないため、まだ癌の特効薬とはなっていない。しかし、更に研究が進めば副作用を抑えて癌細胞を死滅させるのみという薬が開発されるだろう。
そのうちモンシロチョウ工場が建設され、人類は癌の恐怖から逃れることが可能となるかもしれない。モンシロチョウにとっては受難の時代となってしまうかもしれないが、共存することは可能だ。キャベツ畑を荒らす害虫と云うレッテルが人類の救世主へと大変身するだろう。
自然とは、かくも不思議なものだ。たとえ破滅へと流れていっても、逆に安定を求めて破滅を防ぐ力が必ず存在する。害虫といわれ、忌み嫌われたこの子達が今度は神としてあがめられる。人間も身勝手といえば身勝手だが、まあそんなもんだろう。
人生も良いこともあれば、悪いこともある。それが、自然なのだろう。春になってモンシロチョウを見るたびに、そんなことを考えている。
モンシロチョウは英語でいうとcabbage whiteといい、「キャベツ畑の白い子ちゃん」、まあ英語圏でも日本でも同じ様なところに棲息していることがわかる。
それはともかく、昆虫の変態(ヘンタイではありません)は、本当に驚きの変身だ。芋虫から蛹への変身はわからないでもないが、蛹から成虫への変身は全く想像を絶するものがある。予備知識が無ければ、蛹を見て成虫を想像することは不可能に近い。それだけ両者の間には隔たりがあるということだ。だが、確実に、蛹から生まれ変わった成虫は別物になっている。不思議すぎる。いったい蛹の中で何が起きているのだろう。
そこで、科学者は蛹を徹底的に調べた。その結果、驚くべきことを突き止めたのだ。
蛹から成虫に変わる時、蝶の体内では新しい体を作るための一部細胞の死滅がおきていた。この細胞を死滅させる成分を分離させることに成功したのだ。この成分をピエリシンと名づけたが、ちなみにモンシロチョウの学名はPierisというから、それから命名されたようだ。
このピエリシンは通常の細胞には反応せず、がん細胞に特異的に結びつきやすい特性を持っており、がん細胞の核に入り込んで遺伝子のグアニン配列を破壊するという。つまり、このピエリシンによって、遺伝子の配列が変化してしまった癌細胞は、その後増殖することが出来ず、死滅するのだそうだ。
その後も研究は進んでいるとのことだが、ピエリシンそのものは極めて毒性が強く、ピエリシンの副作用はまだ解明されていないため、まだ癌の特効薬とはなっていない。しかし、更に研究が進めば副作用を抑えて癌細胞を死滅させるのみという薬が開発されるだろう。
そのうちモンシロチョウ工場が建設され、人類は癌の恐怖から逃れることが可能となるかもしれない。モンシロチョウにとっては受難の時代となってしまうかもしれないが、共存することは可能だ。キャベツ畑を荒らす害虫と云うレッテルが人類の救世主へと大変身するだろう。
自然とは、かくも不思議なものだ。たとえ破滅へと流れていっても、逆に安定を求めて破滅を防ぐ力が必ず存在する。害虫といわれ、忌み嫌われたこの子達が今度は神としてあがめられる。人間も身勝手といえば身勝手だが、まあそんなもんだろう。
人生も良いこともあれば、悪いこともある。それが、自然なのだろう。春になってモンシロチョウを見るたびに、そんなことを考えている。
秋葉原は、そこを好きな人を育てる街だ。小生は、そこで育った。
子供の頃から秋葉原通いが出来たということは、かなりラッキーだったと思う。自宅の近くから須田町行きの都電に乗れば、そのまま秋葉原に着いた。当時の秋葉原は相当に硬派で、小生の様なガキは殆どいなかったし、もちろん今風の萌え系なんぞ微塵もなかったが、種類は違えどヲタクが集う街であったことは今でも伝承されている。
そこでは、常に何か新しい匂いがしていた。好奇心、挑戦心、探究心がくすぐられた。
大学の電子回路理論の講義で、教授が「この回路はトランジスタ、ダイオード、抵抗、コンデンサ等の電子部品で構成すると数千円になるが、いまやこれ等がIC化し、秋葉原では500円程度で売っている」と語っているのを階段教室の後ろの方で聞きながら、仲間内で「知識、古~。今日び、100円だよ」そんなひそひそ会話をした記憶があるが、とにかく最先端だった。もちろん今でも変わりはない。
数年前、ふと気がつけばそこから少し遠のいていた。仕事が忙しいせいもあろう。家が遠いせいもあろう。だが、わざわざ行こうというところではなくなりつつあった。
そんな小生を再び秋葉原へ呼び戻したのがAKB48だった。それ以来、また頻繁に通う様になった。結果、好奇心、挑戦心、探究心が覚醒した。
今日も、休暇を取って秋葉原散策へ出た。電子部品を見ることや、アヤシイ電気製品を見ることに加え、平日であればAKB Cofe and Shopを覗くことも可能だ。ワクワクさせるものが、必ずそこにある。
もし、AKB48のメンバーに何かいえる機会があったら、「再びエレクトロニクスで遊ぶ心を思い出させてくれて、有難う」と言おうと思う。タブン、なんのことだか理解してもらえないだろうけど。
子供の頃から秋葉原通いが出来たということは、かなりラッキーだったと思う。自宅の近くから須田町行きの都電に乗れば、そのまま秋葉原に着いた。当時の秋葉原は相当に硬派で、小生の様なガキは殆どいなかったし、もちろん今風の萌え系なんぞ微塵もなかったが、種類は違えどヲタクが集う街であったことは今でも伝承されている。
そこでは、常に何か新しい匂いがしていた。好奇心、挑戦心、探究心がくすぐられた。
大学の電子回路理論の講義で、教授が「この回路はトランジスタ、ダイオード、抵抗、コンデンサ等の電子部品で構成すると数千円になるが、いまやこれ等がIC化し、秋葉原では500円程度で売っている」と語っているのを階段教室の後ろの方で聞きながら、仲間内で「知識、古~。今日び、100円だよ」そんなひそひそ会話をした記憶があるが、とにかく最先端だった。もちろん今でも変わりはない。
古い真空管の販売店 東芝などの古いロゴが懐かしい
数年前、ふと気がつけばそこから少し遠のいていた。仕事が忙しいせいもあろう。家が遠いせいもあろう。だが、わざわざ行こうというところではなくなりつつあった。
そんな小生を再び秋葉原へ呼び戻したのがAKB48だった。それ以来、また頻繁に通う様になった。結果、好奇心、挑戦心、探究心が覚醒した。
今日も、休暇を取って秋葉原散策へ出た。電子部品を見ることや、アヤシイ電気製品を見ることに加え、平日であればAKB Cofe and Shopを覗くことも可能だ。ワクワクさせるものが、必ずそこにある。
今やアキバの代名詞でもあるAKB48
もし、AKB48のメンバーに何かいえる機会があったら、「再びエレクトロニクスで遊ぶ心を思い出させてくれて、有難う」と言おうと思う。タブン、なんのことだか理解してもらえないだろうけど。
短波放送。
今でも多くの放送局が放送を続けているが、ファン層が増えているとは思い難い、短波放送。電器製品量販店を見ても、短波放送が受信できるラジオなんて、ないに等しい。
そんな今日この頃であったが、最近、梅田にある某ホテルに宿泊したとき、部屋にあるベッドサイドラジオで短波放送が受信できるのを見てびっくりした。高校の頃には真空管でオールバンドラジオを自作し、海外放送を探し当てては記録していた短波小僧であった自分としては、まさに大感激。もちろん、あれこれとチューニングができるわけではないが、それでも短波放送を受信できるとは驚いた次第。

放送は、国内放送の場合、ラジオNikkei(旧:ラジオたんぱ、更にその昔は日本短波放送といった)のみではあるけれども、今日びの人々は短波放送局の存在すら知らない人が大半だろうから、とにかく短波がホテルで受信できることには感激した。
現在、同局の放送はRadicoなどのインターネット経由で受信が可能なので、そちらで受信している人は多くいると思うが、明瞭な音で受信できるその放送をインターネット経由で聞いている限り、短波独特のノイズが混じらないので、短波放送として認識している人は少ないだろう。あのノイズが短波らしくていいのだ。独特のフェージングによって音が強弱したり、混信が入ったりする、あのアナログ感がたまらなく短波なのだ。
ところが件のホテル、実際にスイッチを入れてみると、なんとフェージング混じりで受信していたのである。ということは、つまりネット経由ではなくアンテナで受信してリピートしているのだろう。これはすばらしい。思わず踊りたくなった。
かつて小生が電波少年だったころ、この短波帯には様々な放送が入り乱れていた。各国の国内外向け放送はもとより、船舶通信、気象情報、更に暗号放送等々。特に暗号放送などは、乱数表を基にしていると思われる数字をひたすら読み上げるという、スパイ映画を地で行くようなそんな放送だった。尤も、それを放送というかどうかは別だが。
短波は、基本的には昼夜を問わず上空の電離層で反射されるという電波伝播特性を持っているので、減衰を伴うものの世界各国からの放送を受信できる。そのため専ら国際放送や各種業務通信、更に各国に散在している工作員に対する暗号放送に使用されている(いた)。最近の暗号放送はデジタル化されて、インターネットにて送受信されているだろうけれど、かつての暗号放送は、暗号コードを乱数で読み上げたり、それを更に逆転テープで流したりと、極めてアナログな方法で行われ、それが自分の様な受信者にも簡単に「傍受」できたものだった。
そんなことをしていると、アンテナやアースの取り方で随分と感度が異なることが理解できてくる。ちょっとした向きや引き回しで大きく入感する度合いが違ってくるのだ。これは最高に楽しい挑戦だった。もっとクリアに、そういう挑戦ゴコロを刺激した。
それでも、遠い局や空中線電力の小さな放送は大きなノイズの中で、文字通り蚊の泣くような音声で語りかけていた。これを聞き分けなければならない。これも楽しかった。じっと目を閉じ、精神統一し、神経を尖らせて、じっと聞き入る。部屋の蛍光灯も大きなノイズ源だから消す。真っ暗闇の中、パイロットランプと周波数インジケータだけが怪しく光る中で、ダイヤルを小刻みに動かしながらチューニングを行う。
この感覚は、まさしく野生的な感性を磨く瞬間だった。あの感覚を得られるのは、何も短波放送に限ったわけではない。かつてのアナログテレビだって、室内アンテナを使う場合などは、アンテナの位置や微妙な角度で描画される画像に乗るノイズが大きく異なる。そのスイートスポットを探し当てる。これが楽しかったし、電波という自然現象を体で覚える良い機会だった。
今日のようにインターネットが存在していない頃は、海外の放送をリアルタイムで聞く方法は短波放送の受信しかなかった。インターネット配信は、リアルタイムでしかもS/N比が高いのは良いが、それが当たり前となってしまい、放送各国との距離感が全く感じられなってしまった。実際には距離があるわけだから、それを感じさせないということは、本来の勘を鈍らせることになりはしないか?
小生、日頃はどちらかといえばデジタルでメシを食っているのだが、デジタル式のテスターなど、未だになじめない。測定結果は数字として一人歩きするから多分にデジタル処理されているわけなのだけれども、測定結果に至る経緯、例えば、過程がリニアに収束していくのか、或いは最初はゆっくりで最後が早いとか、その逆とか、などはアナログメーターの方が圧倒的に判りやすい。その点、デジタルだとセグメント上に数字がバラバラと表示されて、結果が表示される。どの辺りの推移が緩慢だったかなど、少なくとも動体視力が減退している小生には、分かりようもない。
後処理についてはデジタルで良い。だが、自然現象と直接向き合うためにはアナログの感性が必要だ。
デジタル一辺倒になっているとアナログ的な野生感性が鈍化していくのではないかと思う。
インターネットによる配信が普遍的となるに連れて、フェージングの度合いで放送している国との距離感を掴んだり、遠い国であるにも拘らずS/N比が高いということは空中線電力が大きいなとか、そんなことを感じ取れる、ある意味「野性的な勘」みたいなものが、若い人の間で薄れてきてはいまいか?
今でも多くの放送局が放送を続けているが、ファン層が増えているとは思い難い、短波放送。電器製品量販店を見ても、短波放送が受信できるラジオなんて、ないに等しい。
そんな今日この頃であったが、最近、梅田にある某ホテルに宿泊したとき、部屋にあるベッドサイドラジオで短波放送が受信できるのを見てびっくりした。高校の頃には真空管でオールバンドラジオを自作し、海外放送を探し当てては記録していた短波小僧であった自分としては、まさに大感激。もちろん、あれこれとチューニングができるわけではないが、それでも短波放送を受信できるとは驚いた次第。

放送は、国内放送の場合、ラジオNikkei(旧:ラジオたんぱ、更にその昔は日本短波放送といった)のみではあるけれども、今日びの人々は短波放送局の存在すら知らない人が大半だろうから、とにかく短波がホテルで受信できることには感激した。
現在、同局の放送はRadicoなどのインターネット経由で受信が可能なので、そちらで受信している人は多くいると思うが、明瞭な音で受信できるその放送をインターネット経由で聞いている限り、短波独特のノイズが混じらないので、短波放送として認識している人は少ないだろう。あのノイズが短波らしくていいのだ。独特のフェージングによって音が強弱したり、混信が入ったりする、あのアナログ感がたまらなく短波なのだ。
ところが件のホテル、実際にスイッチを入れてみると、なんとフェージング混じりで受信していたのである。ということは、つまりネット経由ではなくアンテナで受信してリピートしているのだろう。これはすばらしい。思わず踊りたくなった。
かつて小生が電波少年だったころ、この短波帯には様々な放送が入り乱れていた。各国の国内外向け放送はもとより、船舶通信、気象情報、更に暗号放送等々。特に暗号放送などは、乱数表を基にしていると思われる数字をひたすら読み上げるという、スパイ映画を地で行くようなそんな放送だった。尤も、それを放送というかどうかは別だが。
短波は、基本的には昼夜を問わず上空の電離層で反射されるという電波伝播特性を持っているので、減衰を伴うものの世界各国からの放送を受信できる。そのため専ら国際放送や各種業務通信、更に各国に散在している工作員に対する暗号放送に使用されている(いた)。最近の暗号放送はデジタル化されて、インターネットにて送受信されているだろうけれど、かつての暗号放送は、暗号コードを乱数で読み上げたり、それを更に逆転テープで流したりと、極めてアナログな方法で行われ、それが自分の様な受信者にも簡単に「傍受」できたものだった。
そんなことをしていると、アンテナやアースの取り方で随分と感度が異なることが理解できてくる。ちょっとした向きや引き回しで大きく入感する度合いが違ってくるのだ。これは最高に楽しい挑戦だった。もっとクリアに、そういう挑戦ゴコロを刺激した。
それでも、遠い局や空中線電力の小さな放送は大きなノイズの中で、文字通り蚊の泣くような音声で語りかけていた。これを聞き分けなければならない。これも楽しかった。じっと目を閉じ、精神統一し、神経を尖らせて、じっと聞き入る。部屋の蛍光灯も大きなノイズ源だから消す。真っ暗闇の中、パイロットランプと周波数インジケータだけが怪しく光る中で、ダイヤルを小刻みに動かしながらチューニングを行う。
この感覚は、まさしく野生的な感性を磨く瞬間だった。あの感覚を得られるのは、何も短波放送に限ったわけではない。かつてのアナログテレビだって、室内アンテナを使う場合などは、アンテナの位置や微妙な角度で描画される画像に乗るノイズが大きく異なる。そのスイートスポットを探し当てる。これが楽しかったし、電波という自然現象を体で覚える良い機会だった。
今日のようにインターネットが存在していない頃は、海外の放送をリアルタイムで聞く方法は短波放送の受信しかなかった。インターネット配信は、リアルタイムでしかもS/N比が高いのは良いが、それが当たり前となってしまい、放送各国との距離感が全く感じられなってしまった。実際には距離があるわけだから、それを感じさせないということは、本来の勘を鈍らせることになりはしないか?
小生、日頃はどちらかといえばデジタルでメシを食っているのだが、デジタル式のテスターなど、未だになじめない。測定結果は数字として一人歩きするから多分にデジタル処理されているわけなのだけれども、測定結果に至る経緯、例えば、過程がリニアに収束していくのか、或いは最初はゆっくりで最後が早いとか、その逆とか、などはアナログメーターの方が圧倒的に判りやすい。その点、デジタルだとセグメント上に数字がバラバラと表示されて、結果が表示される。どの辺りの推移が緩慢だったかなど、少なくとも動体視力が減退している小生には、分かりようもない。
後処理についてはデジタルで良い。だが、自然現象と直接向き合うためにはアナログの感性が必要だ。
デジタル一辺倒になっているとアナログ的な野生感性が鈍化していくのではないかと思う。
インターネットによる配信が普遍的となるに連れて、フェージングの度合いで放送している国との距離感を掴んだり、遠い国であるにも拘らずS/N比が高いということは空中線電力が大きいなとか、そんなことを感じ取れる、ある意味「野性的な勘」みたいなものが、若い人の間で薄れてきてはいまいか?
こんな数字が研究されているのね。
1TW/h当たりの死亡率、つまり1テラワット(1兆キロワット)の発電に於いて何人が命を落としているか問う数字。
http://nextbigfuture.com/2011/03/deaths-per-twh-by-energy-source.html
これは、ある意味衝撃的な事実だと思う。数字算出の根拠がよくわからないので、これをそのまま鵜呑みにすることは出来ないものの、あながちウソでもないと考える。実際問題として、例えば火力発電の場合、発電エネルギー源となる石炭の採掘には炭鉱落盤事故や火災など多くの事故が発生しているし、水力発電の場合ではダム建設現場での事故も多数報告されている。ましてダムの決壊が生じた場合には、その被害は甚大だ。つまり、火力も水力も建設当初から操業最中でも危険性が常に伴うということになる。
一方、原子力の場合の死亡率が極めて低いことが注目に値する。これを以って原子力発電が安全という安易な説を唱えることは全く出来ないものの、冷静に考えると建設後に事故は起きないという大前提があれば、死亡事故が少なくてもおかしくはない。問題は危機管理が十分に行えているかどうかということに尽きるわけだが、ここでは太陽光発電について考えてみたい。
太陽光発電は、一部の追尾型太陽電池モジュールを除けば、基本的に稼動部がないため機械的な故障は発生しない。静かに発電をし続けるという発電機だ。建設について考えて見ると、火力や原子力が冷却を必要とすることから海岸近傍に建設することを余儀なくさせられるが故、くだんの震災で経験したように津波という危険と常に背中合わせ状態にあるし、水力発電は逆に山中に建設されるものであり、これまた地すべりなどの危険と常に向き合っている。その意味、太陽光発電の発電所は比較的穏やかなところが大半であり、自然災害による被害は少ないといってよいだろう。砂漠地帯に建設されることも多いが、それでも津波や洪水などの自然災害に晒される機会は相当に低い。
そういう優等生的存在であるはずの太陽光発電所の死亡率が決して低くないのは何故か?
その理由は、施工時の転落事故や感電事故にあるという。
考えてみれば、例えば住宅用の場合であれば屋根から転落する可能性があるし、商業用や産業用、更にメガソーラーの場合には大型の太陽電池モジュールが使用されるために、思わぬ事故が起きる可能性がある。
また、太陽電池は太陽光に晒すだけで発電を始めるわけだから他の発電機とは異なり、スイッチを入れるまで発電しない他のシステムとは根本的に異なる。この点は盲点だ。特に商用・産業用グレードやメガソーラーの場合には、パワーコンディショナーへの接続を行う上で、数枚の太陽電池モジュールを直列につなぎ、600Vに昇圧してパワーコンディショナーへとつながれる。ヨーロッパの場合だと、900Vというシステムも存在する。系統連系については、全体のシステムが2MW以下であれば6600V、2M以上であれば特別高圧に昇圧して系統連系することになるが、その場合には送電鉄塔の建設が必要だ。この当たりは他の発電方法でも同様であるが、問題は系統連系云々という以前に、太陽電池パネルを直列につないだ時点で既に高電圧を発生しているから、施工最中にインストーラが感電する可能性が高いということである。この危険性は他の発電方法では見られない。
昨今、再生可能エネルギーへの期待度が高まっている。もちろん、この種のエネルギーは不安定であるし、なにせエネルギーの変換効率が驚くほど低いので再生不可能エネルギー(こういう言葉はないが)に比べて採算性が悪すぎるため、再生可能エネルギーだけで総てを賄うようになるには発電効率を高める技術と消費電力の縮小という両面からの技術アプローチが必要であるが、恐らく長い時間を必要とするだろう。
一方、地球環境を鑑みれば再生可能エネルギーへの転換は今後もどんどん進めるべきなわけだが、この死亡率というのはいただけない。今後、変換効率の向上もさることながら、施工の簡便性や安全設計、特に低電圧での運用範囲を広め、系統への連系までの経路に於いては低電圧で運用できるというシステムの技術開発が必要であると思う。
1TW/h当たりの死亡率、つまり1テラワット(1兆キロワット)の発電に於いて何人が命を落としているか問う数字。
http://nextbigfuture.com/2011/03/deaths-per-twh-by-energy-source.html
Energy Source Death Rate (deaths per TWh)
Coal – world average 161 (26% of world energy, 50% of electricity)
Coal – China 278
Coal – USA 15
Oil 36 (36% of world energy)
Natural Gas 4 (21% of world energy)
Biofuel/Biomass 12
Peat 12
Solar (rooftop) 0.44 (less than 0.1% of world energy)
Wind 0.15 (less than 1% of world energy)
Hydro 0.10 (europe death rate, 2.2% of world energy)
Hydro - world including Banqiao) 1.4 (about 2500 TWh/yr and 171,000 Banqiao dead)
Nuclear 0.04 (5.9% of world energy)
一方、原子力の場合の死亡率が極めて低いことが注目に値する。これを以って原子力発電が安全という安易な説を唱えることは全く出来ないものの、冷静に考えると建設後に事故は起きないという大前提があれば、死亡事故が少なくてもおかしくはない。問題は危機管理が十分に行えているかどうかということに尽きるわけだが、ここでは太陽光発電について考えてみたい。
太陽光発電は、一部の追尾型太陽電池モジュールを除けば、基本的に稼動部がないため機械的な故障は発生しない。静かに発電をし続けるという発電機だ。建設について考えて見ると、火力や原子力が冷却を必要とすることから海岸近傍に建設することを余儀なくさせられるが故、くだんの震災で経験したように津波という危険と常に背中合わせ状態にあるし、水力発電は逆に山中に建設されるものであり、これまた地すべりなどの危険と常に向き合っている。その意味、太陽光発電の発電所は比較的穏やかなところが大半であり、自然災害による被害は少ないといってよいだろう。砂漠地帯に建設されることも多いが、それでも津波や洪水などの自然災害に晒される機会は相当に低い。
そういう優等生的存在であるはずの太陽光発電所の死亡率が決して低くないのは何故か?
その理由は、施工時の転落事故や感電事故にあるという。
考えてみれば、例えば住宅用の場合であれば屋根から転落する可能性があるし、商業用や産業用、更にメガソーラーの場合には大型の太陽電池モジュールが使用されるために、思わぬ事故が起きる可能性がある。
また、太陽電池は太陽光に晒すだけで発電を始めるわけだから他の発電機とは異なり、スイッチを入れるまで発電しない他のシステムとは根本的に異なる。この点は盲点だ。特に商用・産業用グレードやメガソーラーの場合には、パワーコンディショナーへの接続を行う上で、数枚の太陽電池モジュールを直列につなぎ、600Vに昇圧してパワーコンディショナーへとつながれる。ヨーロッパの場合だと、900Vというシステムも存在する。系統連系については、全体のシステムが2MW以下であれば6600V、2M以上であれば特別高圧に昇圧して系統連系することになるが、その場合には送電鉄塔の建設が必要だ。この当たりは他の発電方法でも同様であるが、問題は系統連系云々という以前に、太陽電池パネルを直列につないだ時点で既に高電圧を発生しているから、施工最中にインストーラが感電する可能性が高いということである。この危険性は他の発電方法では見られない。
昨今、再生可能エネルギーへの期待度が高まっている。もちろん、この種のエネルギーは不安定であるし、なにせエネルギーの変換効率が驚くほど低いので再生不可能エネルギー(こういう言葉はないが)に比べて採算性が悪すぎるため、再生可能エネルギーだけで総てを賄うようになるには発電効率を高める技術と消費電力の縮小という両面からの技術アプローチが必要であるが、恐らく長い時間を必要とするだろう。
一方、地球環境を鑑みれば再生可能エネルギーへの転換は今後もどんどん進めるべきなわけだが、この死亡率というのはいただけない。今後、変換効率の向上もさることながら、施工の簡便性や安全設計、特に低電圧での運用範囲を広め、系統への連系までの経路に於いては低電圧で運用できるというシステムの技術開発が必要であると思う。
我が愛するAKB48の、そのセンターである前田敦子さんの卒業発表について、ファンの間では文字通り百家争鳴状態となっていて、数々の憶測や予測がインターネット掲示板で百花繚乱となっている。どのような理由があったのかということについては、おいそれとは出てこないだろう。よって、当面の間は憶測となるに違いない。
「下りのエスカレータを駆け上っていると考えよ。立ち止まったら元に戻ってしまうんだ、」小生のかつての上司は、小生のいるエレクトロニクス業界をそう揶揄した。けだし名言だと思ったが、芸能界はそんなものじゃないだろう。殆ど垂直に近いエスカレータを昇っている。そんな感じだろうな。立ち止まったら元に戻るどころか、ぺしゃんこになるか、大怪我をするのだろう。
そういう中にあって、プロデューサは人事をどう動かすか。さぞかし大変なことと思う。
勝者は勝っている間に席を離れるという。勝者、秋元康氏としても、出来れば席を離れたいと思うこともあるだろう。しかし離れない。そこが常人のなせるところとは違うのだろう。
次期センターをどう擁立していくか。目が離せない。恐らく本件も含めてということかもしれないが、AKBをはじめSKEやNMBの人事異動の発表について、Google+に書き込まれた秋元氏のコメントには、
「僕はこれがSKEやNMBのためになると思っています。もし、この判断が間違いだったら、僕はSKE、NMBのプロデューサーを辞任します。もちろん、AKBにとっても間違いなら、AKBのプロデューサーを辞任します。自分の進退をかけても、AKBグループは前に進まなきゃいけない。」
「花が開いていないコも必ず、開くはずなのです。それでも、開かなかったら?僕の目は節穴だ。もっと、才能のあるプロデューサーの元を訪ねなさい。僕が紹介状を書きます。」
とある。これだけの覚悟の出来ている上層部って、芸能界に限らずどの世界でも少ないと思う。前田敦子を切り離すことが吉と出るか否かはまだ分からないが、秋元氏の手腕が問われることだけは確かなようだ。
一方、昨年のレコード大賞受賞は、ある意味、一つの節目だったのだろう。これが前田敦子さんが卒業を考えるトリガーとなったと考えても可笑しくはない。というより、受賞は今後のAKBのホンの一歩と捉えるべきかもしれない。
勝者は勝っている時に席を離れる。それは有終の美ではなく、更なる発展のための準備に入るということだと思う。
ハイタッチしよう!
「下りのエスカレータを駆け上っていると考えよ。立ち止まったら元に戻ってしまうんだ、」小生のかつての上司は、小生のいるエレクトロニクス業界をそう揶揄した。けだし名言だと思ったが、芸能界はそんなものじゃないだろう。殆ど垂直に近いエスカレータを昇っている。そんな感じだろうな。立ち止まったら元に戻るどころか、ぺしゃんこになるか、大怪我をするのだろう。
そういう中にあって、プロデューサは人事をどう動かすか。さぞかし大変なことと思う。
勝者は勝っている間に席を離れるという。勝者、秋元康氏としても、出来れば席を離れたいと思うこともあるだろう。しかし離れない。そこが常人のなせるところとは違うのだろう。
次期センターをどう擁立していくか。目が離せない。恐らく本件も含めてということかもしれないが、AKBをはじめSKEやNMBの人事異動の発表について、Google+に書き込まれた秋元氏のコメントには、
「僕はこれがSKEやNMBのためになると思っています。もし、この判断が間違いだったら、僕はSKE、NMBのプロデューサーを辞任します。もちろん、AKBにとっても間違いなら、AKBのプロデューサーを辞任します。自分の進退をかけても、AKBグループは前に進まなきゃいけない。」
「花が開いていないコも必ず、開くはずなのです。それでも、開かなかったら?僕の目は節穴だ。もっと、才能のあるプロデューサーの元を訪ねなさい。僕が紹介状を書きます。」
とある。これだけの覚悟の出来ている上層部って、芸能界に限らずどの世界でも少ないと思う。前田敦子を切り離すことが吉と出るか否かはまだ分からないが、秋元氏の手腕が問われることだけは確かなようだ。
一方、昨年のレコード大賞受賞は、ある意味、一つの節目だったのだろう。これが前田敦子さんが卒業を考えるトリガーとなったと考えても可笑しくはない。というより、受賞は今後のAKBのホンの一歩と捉えるべきかもしれない。
勝者は勝っている時に席を離れる。それは有終の美ではなく、更なる発展のための準備に入るということだと思う。
ハイタッチしよう!
航空運賃の下落に伴って、乗客に対する快適性の品質が下落している。
価格を下げるためには、何かを切り落としていくしかない。それは分かっている。しかし、安全性に直接関連するハードウェアやソフトウェアの手抜きは問題外としたら、何を犠牲として運賃を下げていくかというと、まずは目に見えないところから犠牲にすることであり、すなわち客室設備のメインテナンス、サービス、外観と言った順番だろう。
外観上の問題は乗客の目に付きやすいから、一般的には重視される傾向にある。しかし、設備のメインテナンスといった地味な分野については、目に付かないからおろそかになっている気がしてならない。安全性に関わらない限り、提供する側からみれば、たとえ手抜きしても大きな問題とは捉えられ難いのかもしれないが、適切なメインテナンス体制が取られているということは、乗客にとっで非常に重要なアイテムなのだ。
何故この様なことを書いているかというと、搭乗した飛行機のオーディオに不具合があり、かなり不快適なフライトとなったためだ。じゃどんな不具合だったかというと、片側の音声が出ないということ。なんだ、そんな程度か、と思うなかれ。フライトといっても米国から日本までの11時間だから、その間片側だけしか聞こえないということは、健常者にとっては相当な苦痛だ。だから敢えてここに記している。
この手の不具合は、実は今回が初めてではない。航空機のメインテナンスについては、飛行に伴う安全性に関連することばかりではなく、乗客の快適性についてもきちんと整備すべきだ。オーディオ装置はちゃんと確認しているのだろうか。よしんばしているとしても、恐らくヘッドセットのプラグをジャックに指し込んで音が出ていればOK、という程度ではないだろうか。つまり、きちんと左右の音声が出ているかどうかなどは調べていないだろうと思う。
そういえば、全く音が出ていなかったこともあった。さすがにその時にはCAを呼んで苦情を訴えたものの、簡単に直せるわけじゃないし、ということで別の席を紹介されたが、その席は後席のど真ん中。謝る様子も無く、どちらかお好きな方へどうぞといった態度。そんな紹介の仕方をするんだったら、紹介しないほうが良い。器材の品質だけじゃなく、CAの態度も品質の一つだ。
料金を安くする様に努力しているということと、快適性を犠牲にするということは別だ。もしそれを犠牲にするならば、それを最初から明示すべきである。例えば、極端にいって「運賃を低減するために、オーディオについては期待しないで下さい」でもよい。
運賃と快適性のどちらを犠牲とするかは客が選ぶ。そこまで細かくはいえませんというのであれば、事前の点検項目に入れて欲しい。メインテナンスの手抜きを隠すことは、快適性を求める乗客に対する裏切りだ。
価格を下げながら、しかも品質を上げていくことが出来れば文句なしなのだが、そうは問屋が卸さないことは判っている。しかし、明らかに手抜きによって快適性が犠牲になっているとしたら、それにより乗客を失う、ということを航空会社は十分に理解すべきだ。
これまでと同様、今回の件も後でカストマサービスにクレームする。長いこと愛顧してきた米国系の航空会社だったが、ずさんなメインテナンスには辟易してきた。次回からは日系の航空会社へ変更しようかと思案中である。
価格を下げるためには、何かを切り落としていくしかない。それは分かっている。しかし、安全性に直接関連するハードウェアやソフトウェアの手抜きは問題外としたら、何を犠牲として運賃を下げていくかというと、まずは目に見えないところから犠牲にすることであり、すなわち客室設備のメインテナンス、サービス、外観と言った順番だろう。
外観上の問題は乗客の目に付きやすいから、一般的には重視される傾向にある。しかし、設備のメインテナンスといった地味な分野については、目に付かないからおろそかになっている気がしてならない。安全性に関わらない限り、提供する側からみれば、たとえ手抜きしても大きな問題とは捉えられ難いのかもしれないが、適切なメインテナンス体制が取られているということは、乗客にとっで非常に重要なアイテムなのだ。
何故この様なことを書いているかというと、搭乗した飛行機のオーディオに不具合があり、かなり不快適なフライトとなったためだ。じゃどんな不具合だったかというと、片側の音声が出ないということ。なんだ、そんな程度か、と思うなかれ。フライトといっても米国から日本までの11時間だから、その間片側だけしか聞こえないということは、健常者にとっては相当な苦痛だ。だから敢えてここに記している。
そういえば、全く音が出ていなかったこともあった。さすがにその時にはCAを呼んで苦情を訴えたものの、簡単に直せるわけじゃないし、ということで別の席を紹介されたが、その席は後席のど真ん中。謝る様子も無く、どちらかお好きな方へどうぞといった態度。そんな紹介の仕方をするんだったら、紹介しないほうが良い。器材の品質だけじゃなく、CAの態度も品質の一つだ。
料金を安くする様に努力しているということと、快適性を犠牲にするということは別だ。もしそれを犠牲にするならば、それを最初から明示すべきである。例えば、極端にいって「運賃を低減するために、オーディオについては期待しないで下さい」でもよい。
運賃と快適性のどちらを犠牲とするかは客が選ぶ。そこまで細かくはいえませんというのであれば、事前の点検項目に入れて欲しい。メインテナンスの手抜きを隠すことは、快適性を求める乗客に対する裏切りだ。
価格を下げながら、しかも品質を上げていくことが出来れば文句なしなのだが、そうは問屋が卸さないことは判っている。しかし、明らかに手抜きによって快適性が犠牲になっているとしたら、それにより乗客を失う、ということを航空会社は十分に理解すべきだ。
これまでと同様、今回の件も後でカストマサービスにクレームする。長いこと愛顧してきた米国系の航空会社だったが、ずさんなメインテナンスには辟易してきた。次回からは日系の航空会社へ変更しようかと思案中である。
子供の時から、測定オタクというか計測マニアで、計測してデータを取るということが大好きだった。
実際、拙宅では室内温度や湿度はもとより、外気についても4箇所での計測データが一箇所に無線伝送されていて、集中管理が可能となっている。これが結構楽しい。どういう風に楽しいかというと、2階のベランダでは今何度で湿度何パーセントか、玄関の外では何度か、そして門の辺りや裏の勝手口の温度はどうか、そういった外部情報が一度に把握できるからだ。それがどうしたと言うこと無かれ。楽しいんだから、理屈なんかない。
ただし、この温度計群は一度に購入したものではなく、米国出張に行った際に見つけるたびに調達したものだから、メーカーも商品も異なっている。いきおい、外観形状が統一されていないため、並べてみても統一性が無いので、すこしダサいのが難点だ。出来れば発電所の制御室の様に整然とメーターが並ぶ環境にしたいところだが、金銭的にも空間的にもそれは難しそうなので、諦めている。
いつから測定好きになったかと言うと、恐らく、小学生の時に購読もらった学研の「科学」と言う雑誌に付録として付いていた、抵抗値が分かる
テスターの作成が最初だった気がする。コイルを巻いて乾電池からの電流を流すと磁界が発生し、鉄心に接続されていたアルミ片が針として動くという簡単なモノだったが、針の振れ方で抵抗の大小が把握できるということは、小学生にとって大きな衝撃だった。尤も、抵抗値などという大袈裟なものではなかったが、それでも鉄線やアルミ線、ニクロム線などの素材によって針の振れ方が違うことが目で確認できるという画期的な付録だった。
その後、中学に入り、小遣いをはたいて三和電気計器(SANWA)製の「本物のテスター」を買った。秋葉原まで都電に乗って、買いに行った。あの時の喜びは今でも鮮明に覚えている。秋葉原通いはあの時に始まったと思う。その後、くだんのテスターは乾電池の液漏れなどから内部が随分と腐食してしまい、現在は現役を退いているが、今でも手元にあって捨て難いものの一つとなっている。気が付けば、45年も手元にあるわけだ。

このテスターには随分と世話になった。真空管やトランジスタラジオの組み立てや、ギターアンプの設計、無線機の組み立て、さらには、当時はアナログ通信であった警察無線傍受の受信機、等々。或いはステレオアンプの修理、近年では、コタツの修理でも活躍してもらったものだ。警察無線傍受機が完成したときは、うれしくて両親に見せた(なんていうもの作ってんの?と叱られたが)
今日び、電気製品は機能がより一層複雑となり、しかも小型化している。かつての真空管やトランジスタといった部品は大半がIC化して、しかもカスタム部品となっており、修理や改造のために一般消費者が入手することが困難となった。故障しても、部品が入手できなければ買い換えるしかない。つまり消費者と半導体メーカーとの剥離は増大する一方であり、それが子供達の理科離れの原因の一つではないか、と思うのだ。また、機器の小型化に伴い、受動部品も殆どがチップ部品化しているので、手ハンダでの交換もままならない。
仕方が無いとは思う。しかし、子供の知的好奇心を助成するものが減ってしまった気はする。
エレクトロニクス、その原理原則は勉強することで習得できるが、子供達に勉強を始めさせる前に、まずは興味を持たせ、勉強したいと思わせる様な材料が減ってしまったことは残念だ。
実際、拙宅では室内温度や湿度はもとより、外気についても4箇所での計測データが一箇所に無線伝送されていて、集中管理が可能となっている。これが結構楽しい。どういう風に楽しいかというと、2階のベランダでは今何度で湿度何パーセントか、玄関の外では何度か、そして門の辺りや裏の勝手口の温度はどうか、そういった外部情報が一度に把握できるからだ。それがどうしたと言うこと無かれ。楽しいんだから、理屈なんかない。
ただし、この温度計群は一度に購入したものではなく、米国出張に行った際に見つけるたびに調達したものだから、メーカーも商品も異なっている。いきおい、外観形状が統一されていないため、並べてみても統一性が無いので、すこしダサいのが難点だ。出来れば発電所の制御室の様に整然とメーターが並ぶ環境にしたいところだが、金銭的にも空間的にもそれは難しそうなので、諦めている。
いつから測定好きになったかと言うと、恐らく、小学生の時に購読もらった学研の「科学」と言う雑誌に付録として付いていた、抵抗値が分かる
テスターの作成が最初だった気がする。コイルを巻いて乾電池からの電流を流すと磁界が発生し、鉄心に接続されていたアルミ片が針として動くという簡単なモノだったが、針の振れ方で抵抗の大小が把握できるということは、小学生にとって大きな衝撃だった。尤も、抵抗値などという大袈裟なものではなかったが、それでも鉄線やアルミ線、ニクロム線などの素材によって針の振れ方が違うことが目で確認できるという画期的な付録だった。
その後、中学に入り、小遣いをはたいて三和電気計器(SANWA)製の「本物のテスター」を買った。秋葉原まで都電に乗って、買いに行った。あの時の喜びは今でも鮮明に覚えている。秋葉原通いはあの時に始まったと思う。その後、くだんのテスターは乾電池の液漏れなどから内部が随分と腐食してしまい、現在は現役を退いているが、今でも手元にあって捨て難いものの一つとなっている。気が付けば、45年も手元にあるわけだ。

このテスターには随分と世話になった。真空管やトランジスタラジオの組み立てや、ギターアンプの設計、無線機の組み立て、さらには、当時はアナログ通信であった警察無線傍受の受信機、等々。或いはステレオアンプの修理、近年では、コタツの修理でも活躍してもらったものだ。警察無線傍受機が完成したときは、うれしくて両親に見せた(なんていうもの作ってんの?と叱られたが)
今日び、電気製品は機能がより一層複雑となり、しかも小型化している。かつての真空管やトランジスタといった部品は大半がIC化して、しかもカスタム部品となっており、修理や改造のために一般消費者が入手することが困難となった。故障しても、部品が入手できなければ買い換えるしかない。つまり消費者と半導体メーカーとの剥離は増大する一方であり、それが子供達の理科離れの原因の一つではないか、と思うのだ。また、機器の小型化に伴い、受動部品も殆どがチップ部品化しているので、手ハンダでの交換もままならない。
仕方が無いとは思う。しかし、子供の知的好奇心を助成するものが減ってしまった気はする。
エレクトロニクス、その原理原則は勉強することで習得できるが、子供達に勉強を始めさせる前に、まずは興味を持たせ、勉強したいと思わせる様な材料が減ってしまったことは残念だ。




