今でも多くの放送局が放送を続けているが、ファン層が増えているとは思い難い、短波放送。電器製品量販店を見ても、短波放送が受信できるラジオなんて、ないに等しい。
そんな今日この頃であったが、最近、梅田にある某ホテルに宿泊したとき、部屋にあるベッドサイドラジオで短波放送が受信できるのを見てびっくりした。高校の頃には真空管でオールバンドラジオを自作し、海外放送を探し当てては記録していた短波小僧であった自分としては、まさに大感激。もちろん、あれこれとチューニングができるわけではないが、それでも短波放送を受信できるとは驚いた次第。

放送は、国内放送の場合、ラジオNikkei(旧:ラジオたんぱ、更にその昔は日本短波放送といった)のみではあるけれども、今日びの人々は短波放送局の存在すら知らない人が大半だろうから、とにかく短波がホテルで受信できることには感激した。
現在、同局の放送はRadicoなどのインターネット経由で受信が可能なので、そちらで受信している人は多くいると思うが、明瞭な音で受信できるその放送をインターネット経由で聞いている限り、短波独特のノイズが混じらないので、短波放送として認識している人は少ないだろう。あのノイズが短波らしくていいのだ。独特のフェージングによって音が強弱したり、混信が入ったりする、あのアナログ感がたまらなく短波なのだ。
ところが件のホテル、実際にスイッチを入れてみると、なんとフェージング混じりで受信していたのである。ということは、つまりネット経由ではなくアンテナで受信してリピートしているのだろう。これはすばらしい。思わず踊りたくなった。
かつて小生が電波少年だったころ、この短波帯には様々な放送が入り乱れていた。各国の国内外向け放送はもとより、船舶通信、気象情報、更に暗号放送等々。特に暗号放送などは、乱数表を基にしていると思われる数字をひたすら読み上げるという、スパイ映画を地で行くようなそんな放送だった。尤も、それを放送というかどうかは別だが。
短波は、基本的には昼夜を問わず上空の電離層で反射されるという電波伝播特性を持っているので、減衰を伴うものの世界各国からの放送を受信できる。そのため専ら国際放送や各種業務通信、更に各国に散在している工作員に対する暗号放送に使用されている(いた)。最近の暗号放送はデジタル化されて、インターネットにて送受信されているだろうけれど、かつての暗号放送は、暗号コードを乱数で読み上げたり、それを更に逆転テープで流したりと、極めてアナログな方法で行われ、それが自分の様な受信者にも簡単に「傍受」できたものだった。
そんなことをしていると、アンテナやアースの取り方で随分と感度が異なることが理解できてくる。ちょっとした向きや引き回しで大きく入感する度合いが違ってくるのだ。これは最高に楽しい挑戦だった。もっとクリアに、そういう挑戦ゴコロを刺激した。
それでも、遠い局や空中線電力の小さな放送は大きなノイズの中で、文字通り蚊の泣くような音声で語りかけていた。これを聞き分けなければならない。これも楽しかった。じっと目を閉じ、精神統一し、神経を尖らせて、じっと聞き入る。部屋の蛍光灯も大きなノイズ源だから消す。真っ暗闇の中、パイロットランプと周波数インジケータだけが怪しく光る中で、ダイヤルを小刻みに動かしながらチューニングを行う。
この感覚は、まさしく野生的な感性を磨く瞬間だった。あの感覚を得られるのは、何も短波放送に限ったわけではない。かつてのアナログテレビだって、室内アンテナを使う場合などは、アンテナの位置や微妙な角度で描画される画像に乗るノイズが大きく異なる。そのスイートスポットを探し当てる。これが楽しかったし、電波という自然現象を体で覚える良い機会だった。
今日のようにインターネットが存在していない頃は、海外の放送をリアルタイムで聞く方法は短波放送の受信しかなかった。インターネット配信は、リアルタイムでしかもS/N比が高いのは良いが、それが当たり前となってしまい、放送各国との距離感が全く感じられなってしまった。実際には距離があるわけだから、それを感じさせないということは、本来の勘を鈍らせることになりはしないか?
小生、日頃はどちらかといえばデジタルでメシを食っているのだが、デジタル式のテスターなど、未だになじめない。測定結果は数字として一人歩きするから多分にデジタル処理されているわけなのだけれども、測定結果に至る経緯、例えば、過程がリニアに収束していくのか、或いは最初はゆっくりで最後が早いとか、その逆とか、などはアナログメーターの方が圧倒的に判りやすい。その点、デジタルだとセグメント上に数字がバラバラと表示されて、結果が表示される。どの辺りの推移が緩慢だったかなど、少なくとも動体視力が減退している小生には、分かりようもない。
後処理についてはデジタルで良い。だが、自然現象と直接向き合うためにはアナログの感性が必要だ。
デジタル一辺倒になっているとアナログ的な野生感性が鈍化していくのではないかと思う。
インターネットによる配信が普遍的となるに連れて、フェージングの度合いで放送している国との距離感を掴んだり、遠い国であるにも拘らずS/N比が高いということは空中線電力が大きいなとか、そんなことを感じ取れる、ある意味「野性的な勘」みたいなものが、若い人の間で薄れてきてはいまいか?