プロムナード -31ページ目

プロムナード

古いこと、新しいこと
いつでも、どこでも
思いつくまま、気の向くまま

この夏、二日間ほど休暇を取り、長野県の白馬や八方を散策してきた。やはり晴天の山岳を眺めるのは気持ちいい。

小生、かつては厳冬期の冬山登山として、年末年始に岩手県の早池峰山で過ごしたことが何度かあったが、その後の登山としては富士山や米国のピナクルスぐらいなもので、登山というには程遠い軟弱登山しかしていないのだが、今回、こうやって山の頂をみると、なんかもう一度登山を始めようか、なんて思った。

ところで、この白馬で今回初めて見たものがあった。

それはベニヒカゲという高山蝶だ。


ベニヒカゲについては、以前から写真や現物の標本は見たことがあったが、実際に見たのは初めてだった。この蝶は県指定の天然記念物であり、長野県や群馬県では採集が禁止されているし、地域によっては絶滅危惧種となっている高山蝶であるし、発生地も限定的らしい。

とにかくこれまで一度も見たことがなかったし、今回だって少しも期待していなかったのだが、八方のゴンドラを降りたところでこの蝶に遭遇した時は、まさかと思った。

蝶に対しては人一倍思い入れのある小生なので、身近にいる蝶たちについては数十種類の標本も作製し、この10年ぐらいは殺生は中止して専ら写真撮影に勤しんでいるのだが、とにかくベニヒカゲとの遭遇は未体験だったから、ものすごく興奮した。

しかし、その後尾根の登山道を歩いていると、意外とたくさん飛んでいることが分かる。というより、小型の蝶が飛んでいるとすれば、みなこのベニヒカゲなのだ。これには正直驚いた。尤も、このベニヒカゲを見れるのは八方尾根のみで、近くにある栂池湿原や八方尾根を挟んだ反対側にある白馬五竜では一頭も見ることがなかった。つまり、先に書いたように棲息域は限定的なのかもしれない。

撮影するにあたっての問題は、この蝶、他のジャノメチョウの仲間と比べても、相当すばしっこいし、とにかく葉や岩の上で休むことをしないこと。だから、写真に収めることが難しいことだった。しかも止まるときは草の中に埋もれる様にして止まるし、なにしろ警戒心が強いのか、近づくとすぐに飛び立ってしまう。結局写真に収めることができたのは、十数頭の目撃のうち、たった一回だけ。それがこの写真だ。ご覧の様に、近場での撮影ではないので、かなりぼけている。っが、とにかく撮影できたことは大変うれしかった。

ところで、ベニヒカゲにはベニヒカゲとクモマベニヒカゲの二種類がいる。この二種は相当に類似しているので、捕えて比較しないと同定が難しい。従って、この写真だけではそのどちらなのかが分からないというのが、実のところなのだが、文献によると標高と地域によってある程度の棲み分けがされているようなので、現段階ではベニヒカゲとしておく。

小生的には、この「現段階での暫定的同定」というのがもどかしく、白黒つけようじゃないかというところが本音なのだが、何しろ相手は天然記念物なので捕獲はできないから、「たぶん」の域を出ることができないわけだ。

しかし、まぁ、いずれも高山にのみ生息する珍蝶であることに変わりはないし、とにかく初めて見たということで、満足ではある。

いずれこの地を訪れることがあったら、その時はじっくりと付き合ってみたい。「君は誰?」ってね。

先に行われた総選挙で指原莉乃さんがみごと1位に選出され、晴れてセンターを務める新曲がこの「恋するフォーチュンクッキー、以下:恋チュンと略す」であるが、この曲、初動での販売枚数が歴代3位とかなんとかだそうだが、それはともかく、この作品はPVも含めて色々な意味で秀逸だと思っている。


イントロが70年代初めごろのイージーなディスコサウンド風で、懐かしいサウンドとなっており、当時ブイブイ言わせた世代はもとより、昨今のハウス系クラブサウンドに疲れた人達にもほっとさせるイントロとなっているのが楽しい。

今日び、とにかく周波数帯域が広く、しかもやたら可聴周波数帯域における高周波領域のエネルギーレベルが飛びぬけて高い電子音で、「ええぃ、まいったか」とでも言いたげなサウンドが蔓延っている中、この盆踊りに近いレベルのサウンドは、それでなくてもいい加減疲れ果てている耳に対し極めて牧歌的であり、まさしく「癒し系」の仕上がりとなっている。このご時世に、敢えてこういう音を選んだ秋元康氏の選球眼は、やはりさすがだ。


振り付けについても、今日のポップス界におけるそれは、まず一般人には真似できないような奇をてらう振り付けのものが多く、もちろん、それはビジュアル的に楽しめることでもあるのだが、そればかりだと演じるものと観るものとの間の乖離は広まる一方だ。それは如何なものか。

少なくともAKB48は老若男女に迎合させるというコンセプトに端を発しているのだから、恋チュンはまさしくそれに対する一つの解だと思う。

PVもまたいい。振り付けにパパイヤ鈴木を起用したということも、キャスティングとして見事すぎて、思わず膝を打つ。4000人にも及ぶエキストラを従えて踊りながら行進するという、ある意味今のAKB48でなければ成し得ない技を駆使して制作されているPVなのだが、これもまた「AKB48は一般大衆の一部である」という訴求の表現に成功しているといえよう。更に秀逸なのは、ダンスについてはまるで素人のスタッフが出演するYoutubeの映像。普段は黒子であって、決して表には出ない数々のスタッフを敢えて登場させ、作り手のメッセージとそれを伝達する立場、そのメッセージを受け取るというシステム総合してみると、

「送信・インターフェース・受信」というシステムは、実は一体化されたシステムなのだと訴求している。

        


これほど愉快な映像はなかったと思う。400万回以上の再生回数というのもうなずける。敷居の高さを感じさせないというコンセプトの延長上としても好感度が高い。

こういうサウンドだとセンターとしてのプレッシャーも相当に低減化されるし、指原莉乃さんが子ボス的にキャラ立ちしていることも含めて、人事としてもまずは成功だろう。大島優子さんや渡辺麻友さんを脇に据え置いているというポジショニングも、見ていて微笑ましい。

一方で、歌詞はきちんと応援歌の路線を逸脱していない。直接的には若い女性の片思い心情を描写している歌詞なのだが、それは飽くまでも仮の姿であり、

♪ 未来は そんな悪くないよ
ツキを呼ぶには笑顔を見せること
運勢 今日よりもよくしよう
人生 捨てたもんじゃないよね
あっと驚く奇跡が起きる ♪

とある。おそらく、相当に練った歌詞だと思える。歌詞だけ見ているとこそばゆさも感じさせるのだが、これと、先に述べた振り付けがシナジー効果を呼び、視聴者に元気を出させて余りある。

実質的に云えば、昨今の不況から未だ脱却できていない閉塞感に辟易している大人達に対して、このメッセージは、即ち「開き直りなさい」という提言なのだ。

事業や仕事、或いは人間関係でつまずくことも多い世の中。他人のアドバイスや忠告など、親身になってあげればあげるほど、当人がウザく感じることは多々ある。無理もない。所詮は他人なのだから、深層での心情など分かるワケがない。いきおい、結局のところ、自分で血路を見出さなければならないということが、ある意味アタリマエなのだ。であれば、むしろこういう歌で世界観とか価値観の様なもの示し、気分転換させてあげる方が、よっぽど効果的なのではないか。

つまり、四の五のいうマンツーマン的なコンサルやカウンセリングよりも漠然とした応援の方が、実は疲れた大人たちに対しては効力が高いと思うのだ。

最近、芸能界では様々なグループが活動しており、百花繚乱の様を呈し、しかも歌や踊りはもちろん、更には軽快なMC能力を携え、その流れは益々過激化しつつある。ビジュアル的に云えば、それはそれでいい。

しかし、その流れを見極めながら、敢えて生活臭が漂う路地に入り、人民の平凡な暮らしに溶け込んでいくというアンチテーゼ的な戦術、そこに秋元康氏が考える世界戦略が見え隠れして、大変興味深い.。

容姿端麗、頭脳明晰で、それこそ人工頭脳を胚胎するマネキン人形の様なタレントも悪くはない。しかし、半完成品をみんなで育てていくという作業。たとえ結果として容姿端麗、頭脳明晰にならなくても、それはそれでいいじゃないか。なにしろ自分が育てた娘なんだし。

そういう娘が、「未来はそんなに悪くないよね」そういって、笑顔を見せて健気に生きていけるのであれば、それ以上何を求めればいいのか。

報道によると、ジャカルタでもこの詩が訳されて同時発売されているという。

なるほど、という気がした。

さすがに100円というわけにはいかなくても、数百円レベルの商品で十分好奇心を満喫させる道具がたくさんある。


写真は、以前から販売されている電撃蚊取り装置のひとつ。大体300円程度から800円ぐらいまでで、様々な種類があるようだが、ラケットを振る様にして蚊やコバエを捉えると、高電圧の電極に抵触してお陀仏になるという、こんなもので死んじゃうなんて蚊に生まれなくてよかったと思わせる品でもある。

カタログというか、包装パッケージの説明によると、およそ1200V~1500Vぐらいが発生するとあるが、乾電池2本、つまり3Vからの昇圧をどのように行っているかなど大変興味深い。要はスタンガンなどと同様の仕様になっていると思われるのだが、

とにかく高電圧というと妙に血が騒ぐので、早速分解をしてみた。

外見的には、できるだけ蚊がスルーできないようにラケットのネット金網に工夫がされており、あまり狭いと空気抵抗が大きくなって振り心地が悪くなるから、この辺りのバランスに試行錯誤したと思われるが、出来上がった製品としては振りやすいものとなっている。一方、人体が直接電極に振れない様に三層構造となっており、中間の電極がプラス、一番外側と内側がマイナス電極となっているようだ。

さて、分解してみると、グリップ部分に小基板が入っている。昇圧用のトランスとトランジスタ、それに幾つかの受動部品が使用されている。ICは使われてないので、回路図に落とすことが可能だ。

 


ということで、回路図に落とす。


回路図をじっくり見てみると、昇圧トランスへ供給する交流パルスの発生にはブロッキング発振回路を使っていた。ブロッキング発振は、トランジスタのベースとコレクタの間で、ベースがオンになってコレクタ電流が流れ、これに伴ってベースがオフになる一方、トランス一次側での逆起電力を用いて一度オフになったトランジスタのベースに電流を供給して再びトランジスタがオンになるという発振を生成する回路で、部品点数も少なくて済むことからよく使われてる発振回路だが、こんなところでも使われているとは知らなかった。実際の発振波形をオシロスコープで観測したものが次の写真だ。

トランジスタのコレクタ端子の様子

回路的にはこれをトランスで昇圧し、高耐圧のコンデンサに充電しつつ電極に高電圧を供給するという構成となっている。また、ブリーダ用の抵抗が並列に入っているので、電力供給が遮断された場合には、短時間で放電が行われるので、電極に触れても感電することはない(遮断直後は放電が完了していないので感電する)。

先に述べたように、このラケットは価格によって幾つかの種類がある。実際に購入したのは700円ぐらいのヤツと350円のヤツなのだが、電源電圧は同じ3Vなので、何が異なるのか調べてみた。

恐らく発生する電圧が異なるのだろうと思ったが、高電圧の測定器がないので、近傍での電界を測定してみた。結果、写真の様に、高価格のラケットの方が発生する電圧が高い様だ。従って、高価なラケットの方が致命率が高いということになるのだろう。また、ネット金網の目も高価な方が若干細かく、すり抜けされ難い様だ。

    

700円モノ                           350円モノ

その後、このラケットについてパテント関係がどの様になっているのか検索してみたところ、英語では「Electric Flyswatter」といい、どうやら台湾人が発明したようで、パテントはUS Patent 5,519,963 として取得済みとあった。このパテントを見ると回路そのものに関する記述はなく、形状と動作のみが記載されている。つまり、相当に「大雑把」なパテントなのだ。

こういう形、つまり回路とかではなく、いわゆる「ハエたたきのエレクトロニクス化」というだけ、というパテント取得方法は大変興味深い。要はあまり深いことを記述せず、高電圧を発生させて虫を瞬殺させる回路をラケットに封印したというパテントであり、こういうざっくりしたパテントの取得が可能ということなのだろう。

いい勉強になった。

盆休み、尾根、湿原に咲く高山植物たちに会いに行った。風もなく天気は上々。下界は連日40℃が続くという。

白馬鑓ヶ岳、杓子岳、白馬岳と八方池

  
コマクサ


ヒオウギアヤメ


ニッコウキスゲ


白馬大雪渓


昔、冬山登山をしていた頃はとんがってたから夏山はあまり好きじゃなかった。しかし、この頃の歳になると、夏山もフツーに「いいなあ」と思うようになった。もう一度始めようか。

山深い湿地帯や沼地、或いは田んぼなどの水の淀みに、虹色に光る油の様なものが浮いているのを見たことはないだろうか?



オイルが毀れた様にみえる水淀


田んぼだったら、近くに何かの工場があって、そこから廃液が流出しているのではと疑うし、山奥、例えば関東の場合であれば尾瀬沼の様な幽谷深山の中に工場なんぞないので、ひょっとすると不届モノが近場で唐揚弁当の様なものを食べこぼした跡では、などと思うだろう。

写真は拙宅に近い小川の淀みに浮かんでいる油の様な液体。見た目、いかにも廃油の様に見える。

この写真にあるのは、油ではなく、おそらく水に溶けている鉄イオンが酸化されて析出された酸化第二鉄か、若しくは、鉄酸化バクテリアがエネルギーを生成したときの副産物である酸化鉄と思われるが、実はそれとは別に、藻類が生成した油ということもあるそうなのだ。

現在、数十種類のオイル生成藻類が知られているそうだが、実は藻類のオイル生成能力は極めて高く、オイル生成として良く知られているアブラヤシや菜種、大豆などの単位面積当たり収穫量がそれぞれ1ヘクタール換算でアブラヤシが3.8トン、菜種が0.59トン、大豆が0.36トンといわれているのに対し、

藻類の場合は年間約40~140トン程度のオイルを生成するのだそうだから、文字通り桁違いの生産量だ。

オイルといえば石油。しかしその石油も、そもそも藻類が生成したといわれているそうだが、いわずもがな、いずれ近い将来には枯渇する。それに比べて藻類オイルは、ある意味無尽蔵に工場製造が可能だろう。

先日、東京で開催された再生可能エネルギー展示会では、オイル生成藻類の一つであるボツリオコッカスの展示を行っていたが、この藻類による年間オイル生成量は、なんと1ヘクタール当たり115トンだという。

展示されていたボツリオコッカス

小生、この方面は専門外なので詳細は理解していないのだが、ボツリオコッカスの場合、水と空気中の二酸化炭素から光エネルギーを使って炭水化物を生成する光合成だけで石油を作り出すという。しかも多くの藻類が生成するオイルが植物系オイルであることに対し、ボツリオコッカスは石油系のオイルを作り出すそうなのだ。

現在の問題点としては、大量の「飼育」方法がまだ確立されていないことらしい。つまり、実験室レベルを超えた工場でのオイル製造となると、ボツリオコッカスのみでなく他の微生物が同時に増えたりと、幾多の問題がまだたくさんあるらしいが、研究は日夜進んでいると聞く。

このボツリオコッカスの繁殖域は汽水らしいので、山奥や田んぼで見られる藻類とは異なるのだろうが、今、田んぼや沼地で見ている藻類が、ひょっとするとこのボツリオコッカスよりも、もっと高効率で石油を精製する種かもしれないと思うと、ちょっとわくわくしてくる。

この方面での研究、日本でも盛んにおこなわれているというから、

いずれ日本は産油国になるかもしれない。

ふと、思ったんだが、誰にでも知的好奇心というのはあるわけで、しかし、それを助ける段取りやお膳立てがないと、その芽は伸びないかもしれない。特に子供の場合にはそれが顕著だ。

人が何か試してみようと思ったとき、事前に試すための道具や器具などが揃っていればいいが、それがない場合には自分で準備する必要がある。実はこれが大きな障壁だ。たいていの場合、それが揃っていることが難しい。

だから、

せっかく確かめてみようと思っても、試す環境がないことによって挫折する。もったいなさ過ぎる。


小生の場合、現職であるエレクトロニクス関連でいえば、子供の頃、自分で組み立てたゲルマニウムラジオがうまく動いたので、もっと感度をよくしたいとか、混信を避けたいとか、様々な欲求が生まれ、アンテナ線の長さを変えてみたり、或いはアースの取り方を変えてみたりなどと、色々な実験ができた。

これは、更に感度をよくするにはどうしたらいいかといったことを子供なりに考え、仮説を立てて実証するという手段を講じることができたことに他ならないのであるが、ここで大切なことは、その試行錯誤を行う前提として、最初の段階、つまりラジオが動いたという大前提があってのことだったことだ。

もし、組み立てたラジオが動かなかったら、その後の行動も思考も停止。もちろん、なぜ動かないかということに集中し、動くように直していくという行動もあるにはあるが、原理も何もわからずに作っているのだから、トラブルシューティングもクソもない。当然そこで諦めて、あとは忘れてしまうというところがオチ。凡人たる所以だろうが、そんなところが事実だと思う。

つまり、人が(少なくとも子供が)、何か考えついて試すときには、試すための「動くシステム」がないと先に進まないわけで、試す以前にシステムが動かなければそこで挫折するか諦めるか、そして忘れてしまうということになってしまうのだ。
子供たちが何かを試したいというときには、こういう基になる「動くシステム」を先んじて用意してあげる必要があると思う。大人になれば金を使ってとか、なんとかして「動くシステム」を入手するだろうけれども、子供にとって、試す前にそれを用意することは大変な壁だ。そこで行き詰る。いきおい、科学する心の芽が萎れてしまう。

もちろん、子供たちに仮説を実証するための必要器材である「動くシステム」そのものを作らせることはとても良いことであり、作ったもので更なる段階へとステップアップさせることも大切だ。しかし、もしも「動くシステム」を作るという段階で挫折すると、更なる段階へのステップアップは大変困難なものとなる。

ラジオに限らない。なんでもいい。

とにかく何かを試してみたいと思ったら、それを試すための環境づくりをしてあげることが大切だと思う。

小生が子供の頃には、学研が発行していた「科学」という雑誌があった。あの雑誌の付録はまさしくそういった実験の基となるシステムの提供だった。今覚えているだけでも、電磁石を使ったテスターとか、太陽熱温水器とか、簡易顕微鏡、望遠鏡、とにかく好奇心で頭がはち切れそうな子供たちにとっては、まさに好奇心を試すための「動くシステム」の提供であった。ああいう試みがないものかと。

そんなことを考えている矢先、先日、東京で開かれていた展示会の会場で、科学教材を手掛ける(株)アーテックの大変ステキな商品を見つけた。様々な実験をするための「動くシステム」が、各々およそ1500円程度で販売されるという。


これは素晴らしい。

科学するという大上段での構えではなく、子供たちの「試してみよう心」への真正面からの「動くシステム」の提供だ。どのテーマを見ても大変魅力的であり、すべてを調達しても大した金額とはならないので、オトナ買いも可能だ。

こういう商品、大体は学校向けとしての販売が主体のようだが、Amazonでも入手できるという。

今後、同社の手腕が問われることになるとは思うが、是非頑張ってほしいし、同様の企画がたくさん出てくることを祈りたい。


電界強度計を持って町に出よう。

電界の影響というと、誰しも興味があるのが、送電線の下ではどうなんだろうということ。これは実験というか実証というか、大変興味深いテーマで、手に入れたら是非試してみたかったことだから、早速これを持って送電線へと向かった。

なにしろ、小生の自宅から比較的近いところに66kVの配電送電線があるし、少し足を延ばせば154kV、250kV更に500kVの送電線もあるので、実測には困らない。

ただし、実測といっても、以前にも書いたようにこの強度計には単位が書かれていないので、測定した結果について何の説得力もないのだが、相対的な値として把握することは可能だ。

という程度ではあるが、様々なことが分かったので、メモしておく。

まず向かったのが、東京電力の新古河線という500kVの送電線。これは新所沢変電所と群馬県の新古河変電所を結ぶ送電線で、新古河変電所側が老番となっている。鉄塔の真下、通称「結界」というが、ここへの立ち入りについては東京電力の場合には禁止されていないところも多く、中には歩道まで完備されているところもある。従って、鉄塔そのものに触れることはもちろん、その下でお弁当を広げることも可能なのだ。

実測の結果は次の通りだった。


素晴らしく期待通りの数字が出た。即ち送電線の真下では、高い数字が表れたのだ。しかも高さを変えると、確実に表示される数字が高くなったり低くなったりし、地面まで下げれば表示が「0」となる。実際、電線に近いほど、電界強度は高くなる。

これは楽しい。わずかな移動だけでも、表示される数字は著しく異なってくるのだ。電磁気学で学習したように、電界は距離に反比例することが分かるのだ。ただし、正確に測っているわけではないので(しかも表示される数字の単位が不明)、実際の数字として反比例しているかどうかは不明だが。。。

次に、結界に入ったのだが、ここでは思わぬことが起きた。


これまでなんとなく結界の電磁波は高いもの、と思っていたのだが、実測してみると、なんと電界の値は「0」。

つまり4本の鉄脚に囲まれた地域は電界が存在していないのだ。これには驚いた。この「0」という値は、四角のどこでも同じであり、高低差に拘らず、「0」なのである。ところが、結界の外にでる、つまり鉄脚の外側に出ると、突如として高い値を示すのだ。つまり、この四角い範囲だけがすっぽりと電界が抜けているということになる。

これはいったいどういうことなのだろうか?電界がシールドされているのだろうか?或いは相殺されているのだろうか?因みに送電は三相交流で送電されているので、磁界は相殺されていると思われるが、電界は相殺されていないはずだ。それは結界を離れれば電界強度計の表示が突如として高い値を示すことでもわかる。

従って、相殺されているというのは考えにくい。ではシールドなのか?

試しに結界から携帯電話をかけてみた。ちゃんと通じる。ということは、少なくとも高周波についてはシールド効果はまるでないということを意味している。であれば、鉄脚とそれをたすき掛けしている鉄材がシールドとなっているということなのだろうか?

電子レンジの場合、窓に網がかかっているが、あれは2.4GHzの電磁波に対する立派なシールドの役目をしている。それを考えると、電磁波の周波数が50Hzと大変低いので、鉄脚程度のものでもシールドとなっているということなのだろうか?

因みに、別の結界でも試してみた。写真は東京電力上尾線の鉄塔の結界である。上尾線は、桶川市の加納にある東京中線から分岐して上尾変電所に250kVを供給する送電線であるが、この結界でも結果は全く同じだった。つまり、結界での電界は「0」だった。


この謎については仮説も実証もされていないので、今後の課題としよう。


参考:
人が普通に立ち 入ることができる場所で送電線下の地上1mにおいて3キロボルト/メートル以下 (電気設備に関する 技術基準を定める省令:経済産業省)法令では6万Vの送電線の場合は最低地上高は6m以上(屋根上から3m)と規定されている。このため、電線直下の電界強度は1mあたり1万ボルト(身長160cmの人は頭から脚までに1万6千ボルト)の電圧がかかっていることになる。通電している限り常時この電圧がかかっているのだが、これによる影響は電気学会でも公式見解が公表されていない。

小生、小説というのは若い頃に読んだ井上靖とか、突然読み始めた大藪晴彦あたりが最後で、その後に読んだ本といえば、電子技術書か科学雑誌ばかり。。。

そんな小生に対し、たまには読んでみれば?という集英社の企画はステキだった。ナツイチ、AKB48のメンバーに課題作を読ませ、感想文を公開すると云う企画。

そこで、

大島優子さんの課題となっている
田中慎弥氏の「共喰い」を読んでみた。




まぁ、小生の感想文なんかここに書いても「全く意味がない」ので書かないけど、優子さんの感想文がWebにあったので、コピペしておく。


■大島優子 

共喰いを読んで 

 まず私は、この本の題名について考えてみた。今まで見たことがない「共喰い」は「食」だと思っていた。 

 元々の意味は、ある個体が同種の他の個体を食べることや共倒れすることも共食いと呼ばれている。 この「喰」は、くらう、楽しみの為の食事ではなく、生存の為の食事を意味するので、 登場人物の生きようとする生命力を表す為に使ったのではないかと私は考えた。 

 この本を読み終えて、登場人物の心情や言動から「喰い」が「悔い」に変わった。なぜならば、何かしらの悔いを一人ずつから感じたからである。 

 父親・円は、自らのインモラルな性を持ち、同じ血を引き継いだ息子の心の葛藤に気付かず、 かつて愛した女性に復讐されるほど傷つけたことを悔いるだろうと思った。 
 遠馬の産みの母・仁子は、自ら身の危険を感じて離れたことで、周りにいた人が危険にさらされた。その事を悔いていると思った。 

 遠馬は、社に行かなかった事、父親と母親を見殺しにする事、そして自分の生活を滞っている川辺と同様に何も変えられなかった事など、 全ての事に悔いていると思った。この三人の登場人物は、共悔いをして、共倒れした気がした。 

 この本には多くの情景描写が登場する。川は淀んでいて、閉鎖的な空気感と主人公・遠馬の心の中を表している。 川の様子が解りやすく、私の頭の中で絵が浮かび、あれよあれよとページをめくっていた。 鳥居の存在は、唯一神聖な物として登場し、驚きの結末にはその意味を根強く印象づけている。 決して明るい作品ではないけれど、剥き出しになった人間臭さは嫌ではなく、むしろ独特の世界感にひきこまれていった。 私は、後悔しないように足下の石を拾い、川を渡り、夢に向かって喰らいついていきたいと思った。

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小生が読んで感じたこととは異なる見方、考え方を知ることができたということ、やはり楽しい。


いつものことだが、100均にはホントに教材として使えるスバラシイものがある。

今回、分解してみたのは、100均ショップのうちのセリアにあったアンプ。


使用方法としては、小信号出力のオーディオ機器、例えばMP3プレーヤとかケータイとかスマホの様なものは、そのままスピーカにつないでも出力される音は小さなものとなるが、このアンプを通じれば大きな音で再生できるというもの。要するに、いわゆるアンプそのもの。なお、単四乾電池(2本必要)は同梱されていない。

ということで、まずはアンプとしての「実力」を見てみた。

とはいえ、さすがに100円モノ。HiFiな音というわけにはいかないのは当たり前なのだが、出力としては100円として考えると納得のいく音量となっている。高域がだいぶ減衰しているものの、低音の再生も悪くない。難点を言えばホワイトノイズが乗っていること。まぁ、これも100円だからと考えれば、ふつうに使う分には問題ないだろう。

さて、分解してみると、紙エポキシ基板にカラー抵抗や電解コンデンサと共にICが乗っている。これは、オペアンプが2つ搭載されたTDA2822Mというデバイスだ。2つということは、通常、RLのステレオとして使うためということだろう。部品の装着など、見ての通り手作り感で満ちている(^^

因みに単価は安いところで80円ぐらい、Digikeyでは138円らしい。

更に回路図に落としてみた。

回路的には、BTL構成のアンプ。BTLだから電圧が低くてもゲインが取れる仕組みだ。BTLというのは、簡単に言うと2つのアンプを使い、片側の位相を反転させたものと正位相の両方で負荷を駆動するというもの。これによって電圧が2倍となり、電流も2倍となるので、電力としては4倍となる。また、BTLではノイズなどが相殺されることもあって便利な構成なため、よく使われる方式だ。

これ、誰がいつどういうシチュエーションで使うのかよくわからないが、100円で買えるアンプとしては思ったよりも出来が良い。

というか、これ、アンプの勉強をするための教材としては秀逸だと思う。


世の中、有名ブランドモノとそのコピー品との戦いが、丁々発止な「モグラたたきゲーム」のごとく世界中で起きている。金銭目的でコピーを作って儲けるという行動は犯罪行為であり、それは論外なのだが、どうやらコピーするという行為そのものは、脳神経細胞的に云うと人類が文明を発達させた大きな要因のひとつらしいのだ。

これは理解しやすい。子供は大人の行動を模倣して成長するものだし、アートにしてもスポーツにしても、着手当初はお手本やサンプルといったものをコピーすることから取り組む。しかし、コピーすることが何故成長を促すのか。それを科学的に解明することは、大変興味深いことだ。

人類史を鑑みると、類人猿であるオーストラロピテクスの出現が400万年前のことで、その後ネアンデルタール人に進化する途中の30万年前に、突然我々現世人であるホモサピエンスが現れているのだが、その系統発生的な進化譜はいいとして、なぜこんなに短い時間、即ち数万年の間にこれほど文明が発達したのかということは、極めて大きな謎だ。

しかも驚くことに脳の大きさは30万年前から殆ど変わっていないという。つまり、彼らは現在の人類とほぼ同等の脳容積を持ちながらも、長いこと「猿よりはマシ」的な生活を送り続けていたということになる。

その間、十分に肥大化した脳はいったい何をしていたのだろうか。

そう考えると、人類が文明を創造した過程には、人間を形成する部品表や設計図、回路図といったハードウェア的な要素、それらを機能させるためのソフトウェア、更に経験や知識といったファームウェアなど書き込まれたメモリを胚胎した遺伝子による情報伝達以外に何か理由があり、それらを活性化させたなんらかの「きっかけ」があるはずだ。確か、1960年代の名作映画「2001年宇宙の旅 - Space Odyssey」では、そのトリガーがモノリスという「物体」として表されていたと思うが、いずれにせよ、トリガーによって活性化する何かが人類の脳の中で育っていたことは確かなのだろう。

自然選択は、潜在しているだけの要素に対しては作用しないという。つまり、選択が開始された時点で起動していなければその対象とはならないということ。従って、その「何か」はいにしえの時代から既に育っていたということなのか。或いは選択で捨てられることがなかったから、ずっと生き延びたということか?

トリガーとなった事件についてはともかく(ひょっとすると宇宙人の仕業かもしれないし)、その「何か」とはいったい何か。

カリフォルニア州立大学サンディエゴ校で神経科学研究所の所長を務めるラマチャンドラン博士は、著書「脳のなかの天使」で、それを脳神経細胞「ミラーニューロン」として詳細に紹介している。


博士によると、人類はこのミラーニューロン神経細胞により、他人の為す行動や行為を見ると、あたかも自分が体験している様に脳細胞が活性化すると説く。しかも、いわゆる疑似体験ではなく、本当に感じるということらしい。これによって、他人の経験がダイレクトに伝わることになり、親から子に対しても、遺伝子という縛りを超えて経験や知識を伝えることが可能になるという。確かに、経験や知識が遺伝子に情報として刻まれるには、進化の速度を考えると時間が短すぎるかもしれない。言い換えれば、

脳の配線は産まれた後であっても遺伝子情報を超えて変わるということでもある。

人は映画やドラマを見たり、或いは小説などを読んで感動する。その感動が大きければ大きいほど、自分の実体験のごとく記憶に刷り込まれ、以降の言動や行動を大きく変える様な影響もをあたえることがしばしばある。しかし、それらは飽くまでも「疑似体験」であり、本当に体験した事とは異なる。小生の誤解ではなければ、博士はその差異について、疑似体験のときは、「これは疑似体験である」という信号も同時に発信されるために、実体験とは異なった情報として脳に取り込まれるという。一方、ミラーニューロンによる体験は、まさしく実体験として脳に刻まれるらしい。 

博士はミラーニューロンについて、著書の中で「テレパシーのようなもの」と述べている。因みにテレパシーとは、ある人の心の内容が言語・表情・身振りなどによらず、空間を媒体として直接に他の人の心に伝達されることと定義されており、超心理学としてオカルトっぽく扱われることが多く、ここしばらくなりを潜めていたが、近年MRI(磁気共鳴画像法)と脳波測定を行った実験などから、その存在を100%否定することはできないとされているようだ。

テレパシーはともかく、ミラーニューロンにより、他者の行動を見たときに自分が行動しているが如く、脳細胞が活性化するということは、他者の視点から世界を見るという能力ともなるわけで、他者の行動を予測したり、或いは制御操作することも可能になるということなのだそうだ。

文明の発祥は、おそらく火を使うことや道具を作り、用いることから始まったと考えられるが、その行動が遺伝子レベルまでプログラミングされるには、人類の歴史からいうと短すぎるだろう。それよりも、他人の経験を本人の体験として体得することによって知識となるという方が、てっとり早い。しかも、お互いの行動を見ることによって方法手段やアイデアがブラッシュアップしていくこともあるだろうし、自然と社会という組織が出来上がってくることにもなるわけだ。 

このステキな能力が脳の中で長いこと潜伏した後に活性化した瞬間について、博士は著書の中で「相転移の様なもの」だと説明している。因みに相転移とは、個体から液体に変わる様なことを示す用語で、例えば水は-10℃の氷も-9℃の氷も、或いは-1℃の氷も形としてはなんの差もないが、0°を越すと突然溶解が始まり、個体から液体へと変身することはよく知られている。この様に物質が外的原因(この場合はエネルギーの注入)によって相が変化することを相転移と言うのだが、人類がミラーニューロンを活性化した瞬間というのは、これに似た現象だと説明している。

赤子は母親が微笑みかけると、微笑み返す。赤子は自分の顔を知らないし、顔の筋肉を動かすことでどのような表情になるかなど、知る術もない。つまり微笑返しは学習による獲得的なものではなく、生得的なものなのだ。

先に述べた「トリガーとなった事件」についても、脳の中でミラーニューロンが活性化されつつあった状況でトリガーがかかったために、瞬く間に伝心していった、と考えると理解しやすい。考えてみれば、トリガーは人類だけの前に現れたわけではなく、霊長目を含め、あらゆる生物の前で公平に生じている。それを瞬時に体験として伝達することが出来る種が人類だった、と言うことだけに過ぎないわけだ。

こういう能力が活性化するということを考えると、転じて「コピーする」という行為も、実はこのミラーニューロンのなせる業と思えてくる。つまり、ルールを逸脱しない限り、コピー品を作ることは文化文明の発達に絶対必要な行動であって、それによって今日の社会が築かれたといってもおかしくない気がする。

コピーするという行為行動は、社会を健全に運営する上で厭忌される違法行為でない限り、決して悪くないわけだ。