プロムナード -30ページ目

プロムナード

古いこと、新しいこと
いつでも、どこでも
思いつくまま、気の向くまま

以前、ブログの中で、「容姿上の美人とは、個性的な部品で顔が構成されているのではなく、極く平均的な部品で構成されているにすぎないということになる」

http://ameblo.jp/millimeter-wave/entry-11261483410.html  「かわいい」とは何か  -自然は安定(平均)を求める

と述べたが、カワイイと美人の違いについても考えてみた。

ノーベル賞も受賞している動物行動学のコンラード・ローレンツ教授によれば、カワイイというのは「顔や体を含め、全体的に丸っこくてコロコロしていること」なのだそうだ。この、カワイイと感じさせるのは個体が「幼児信号」なるものを発している結果であり、世話をしたいとか、抱きしめたいといった感情を引き起させると説く。

この定義が正しいとすると、ぬいぐるみが世界共通のカワイイものとして認識されていることが理解できる。ハローキティも、まさしくこの定義に即しているといえよう。つまり、顔を構成している部品の配置や種類はともかく、カワイイと認識するかどうかは、押しなべて外形に大きく左右されているということなのだろう。


原型が厳つい猛獣にしても爬虫類にしても、「カワイイの定義」を実践すべくデフォルメすれば、簡単にぬいぐるみとなり、カワイイ化する。

元々の動物にしても、この定義に近い動物はカワイイ動物として知られている。ウサギやリスなど、体と比較して手足が短い動物や体型の丸い小動物一般は、この定義に近い。パンダもその範疇だろう。

しかし、実はこのカワイイという定義はかなり曖昧で、しかも主観的なものであるから、四の五の言わずにサンプリングすると形が見えてくるだろう。また、外形によってカワイイ度が異なる様なので、より多くの形をしたサンプルを用意し、無作為に出来るだけ多くの人にカワイイかどうか判定させて統計を取るというのも興味深い。逆三角形に丸い耳を二つ付けるだけでカワイイ度があがるとか、そういったプリミッティブな図形の組み合わせや大きさ、大小の比率を変えてランダムに見せ、判定させる。それによって、カワイイの平均が取れる気がする。



一方、この定義を人類のアイドルに転じてみると、モデル体型といわれる「長身で手足が長く、胸が大きくて腰がくびれている」といった体型のアイドルは、カワイイという評価よりも美人としての評価が優勢となる。

では、この「長身で手足が長く、胸が大きくて腰がくびれている」というくだり、いくらでも胸が大きければいいのか、腰のくびれが砂時計の様でもいいのか、などと考えると、やはり限度というものがあって、それを超えると「物の怪」になってしまうだろう。つまり、そこには何等かのバランスというものがあることになる。

そこで美人の定義を考えると、先のブログにあったAKB48の顔部品の平均化実験の結果から推測する、「極く平均的な部品で構成されているにすぎない」が正しいとすれば、


美人であるためのバランスとは「平均的である」ということであって、その安定的な状態を美しいとみているということになろう。

したがって、整っているという意味で安定状態である平均的な顔をもち、外形的に適度に丸みを持っていれば、まさに鬼に金棒ということになる。

今後はそういうアイドルがメジャーとなるのかもしれない。


 

今回は分解じゃなく、組み立て。
 

 


USB充電容量チェッカーなるものをアキバの三月兎で購入してきた。ビットトレードワンというメーカー製品で、完成品だと2,980円、組み立てキットだと1,980円。組み立てキットの方が、何と1000円も安い。

以前からUSB端子を用いてモバイル機器を充電することが多い小生としては、充電中にどれくらい電流が流れているのかとか、ハブ使って充電するとスペックオーバーになるんじゃないかとか色々と気になっていたので、ちょうどよかった次第。

組立は至って簡単。

写真の様に部品点数も少ないし、ICもDIPものだけなので、小一時間もあれば組み上がる。

説明書に書いてある通りの順序でハンダ付けしていけば造作なく完了する。説明書の中に、「背の低い部品から実装すると後が楽」と書いてあるのは親切。抵抗など背の低い部品は裏返してハンダ付けするときなど、浮き上がることが多いから、抑え込むためには周りに背の高い部品があると面倒なのだ。

 

 


組み上げたあと、USB端子に突っ込んで、7セグメントLEDの右端に「0」が表示されるのを確認し、充電したい側に機器をつなげばUSBケーブルを流れている電流値がmAとして表示される。桁は3ケタとなっており、1~999mAまで計れる(精度は望むべくもないが)。

電流値については電流補正用の半固定抵抗器が付いているので、これで調整をすることになる。調整に当たっては他の電流計を使って補正する必要があるのだが、どうせおもちゃ程度でしか使わないし、というか充電中なのか充電終わっているのかを知ることと大まかな電流値を目安として知るという程度での使用しか考えていないので、細かな調整は割愛。よって、単に何も接続されていないときの値が「0」と「1」との間を往来する場所当たりで固定しておいた。

これ、充電容量を計る場合にはタクトスイッチで電流表示と電流容量表示を表示変更する仕組みとなっているのだが、電流容量の表示は空っぽの状態から測定することになるため、あまり実用的ではないので小生は専ら電流計として使っているのだが、充電中は数100mAが流れ、充電が終了すると電流値が0となるので、充電状態がはっきりと目視確認できて意外と便利だ。

 

 


回路図がないので何とも言えないのだが、電圧をオペアンプでコンパレートし、Microchipのマイコンが内蔵のADコンバータでデジタル化したあとで電流値に変換し、表示している模様。メーカーのサイトでみると、「Version 5が最新」と書いてあったのでチェックしたところ、最新だった。チェック方法は、タクトスイッチを押したままケーブルをつなぐとLEDに005と表示されるのという方法でチェック可能。

普通、電圧であればテスターなりをつないで簡単に測定できるのだが、電流を測定するためには回路を寸断して電流計を入れなければならないので面倒。大電流であれば、クランプメータで測定可能なのだが、低電圧で小電流だとお手上げである。なので、こういう機器があればたちどころに電流値が測定できるので便利だ。

ところで、重要なことを一つ。

一般の人はUSB2.0の電流容量は500mAと規定されていることを知らないと思うのだが、モバイル機器によっては500mA以上流さないと充電できないものも多々ある。つまり、充電時に給電側、つまりPCなどから過剰電流を取り出している可能性があるということだ。これを知らないで長時間使用していると、給電側が異常な熱を持つ様になって、最悪破損することも考えられる。これを防ぐためにも電流値を把握しておくことは大切だろう。

特に、タブレットなどは充電のために相当の電流を必要とするので注意が必要だ。

 

 

尚、ケースはないから何等かのケースに入れる必要があるのだが、アクリルなどのケースに取り付ければよい。小生は100均のケースに入れた。また、7セグメントは明るい環境だと点灯していないセグメントまで見えてしまって視認性が良くないので、赤いアクリル板などを張り付けると良く見えるようになる。明るさは十分だ。

なんか良いものを見つけて、満足。

ただし、完成品で買った場合、2,980円というのは、部品コストを鑑みるとずいぶん高い気はするのだが。

 
前回、鉄道の隧道(トンネル)の写真を掲載したのだが、同じ写真をフェイスブックにも投稿したところ、不気味な写真に「何かが見えるとか、見えない」とかの様々な反応があった。

廃墟には、文字通り「国破れて山河あり」を感じさせるスポットがたくさんある。

もちろん国が破れたわけじゃないにしても、廃坑になって久しい鉱山、特に金鉱山などの跡地などを訪れると、一体ここの何処に作業者たちの宿舎や子供たちの通う学校、或いは病院などがあったのかと目を疑うほどに自然回帰した光景に驚くこともしばしばだ。当時の記録を紐解くと、今となっては全く想像できないほどの活気溢れる街並みが描かれている。


それらの街並み、エントロピー増大の法則に従って今はもう自然に戻り、その流れは全く不可逆的だ。
人々の息吹はおろか、木造の建築物など、影すらない。しかし、よく見ると、学校の校門と思しきコンクリートの門柱などは今でも残っていたりする。今は毎日その校門を通る子供たちの姿こそ見ることはできないが、当時の光景に思いを馳せることは可能なのだ。

かつて栄華を極めた建物や街角は、その後、国や県指定遺産として、また大規模であれば世界遺産として整備され、観光地として現代に引き継がれているところもあるにはあるのだが、大多数の建造物は取り壊されたり、或いは放置されたまま人々の脳裏から忘却され、風雨に晒され、やがて土に戻るまで静かに余生を送っている処が圧倒的に多いのだ。

明治時代に建造された鉄道の隧道もしかり。中には群馬県にある旧碓氷峠の隧道や橋梁の様に、遺産登録されているものもあるが、それは稀有なケースであって、殆どの建造物は放置されたままとなっているために、人々の目には入ることはない。

くだんの写真にある隧道にしても、現役の頃には人々の喜び、悲しみ、楽しみや苦しみ、といった数々のドラマを運ぶ列車が、そこを一心不乱に通過していったことだろう。そして、そういうドラマが展開することを楽しみにしながらも、建設工事の犠牲となった無念の人々が、そこにはたくさんいたのだ。

何も語ってはくれないが、今そこにある隧道は

「それを感じてくれ」と訴えている。 
何が見えるかよりも、何を感じ取れるか。

たしかに不気味ではあるけど、それを乗り越え、そこで静かに瞑想すればハイテク時代で鈍化してしまった感性と共に、忘れてはいけない何かが蘇ってくる。

廃墟や廃線跡に佇むと、そんな気がするのだ。
古い廃線跡にあるレンガ造りの隧道は、それが何処にあれど限りなく神秘的だ。それは明治時代に於ける当時の土木技術の粋であって、完成後は、喜びや悲しみを載せた列車が毎日そこを往来していたのだ。

時が過ぎ、使命を全うした後、人々から忘れ去られて昔を懐かしむように、だが声も出さず静かに余生を送るその佇まいは崇高であり、霊的でもある。

その隧道は初めて見る隧道だった。入口に向かって右側の壁は草木が覆い茂り、左側は少しなだらかな崖で、その向こう側は切り立った絶壁となっている。上空は秋晴れの眩いばかりの青空だった。

隧道の長さは比較的短く、しかも真っ直ぐなので、入口から見た暗闇の先に出口が見えた。隧道の入口と出口、それを囲む両側の壁。それらとそれらを取り囲む草木との調和は、自然と人工物が仲よく共存する絶好の撮影スポットだった。

早速、その隧道の入り口に立って、写真を撮った。

いや、正確に言えば撮ろうとした。というのは、その時になって突然カメラのシャッターが切れなくなってしまったのだ。それまでは全く問題なく撮影ができたのに、隧道の入り口に辿り着いた途端に撮影できないのだ。

「こんな大事なときに故障しやがって」

腹が立ったが、スペアのカメラがないので諦めるしかなかった。しかし、驚くことが起きた。同行している友人のカメラもシャッターが切れないのだ。

同時に故障。偶然とは云え、奇妙だった。

とはいえ、故障している以上、撮影は不可能なため、断念して廃線跡の道を後戻りした。

ところが、そこで奇妙なことが起きる。道を後戻りしながら、遠くになった隧道にカメラを向けると、シャッターが下るのだ。ちょっとした気まぐれ的な故障か。そう思って友人と共に再び隧道の入り口に戻った。

再びシャッターは下りない。友人のカメラも下りない。

試しに、隧道の入口をファインダーから外してみると普通にシャッターは下りる。しかし、入口に向けると、やはりシャッターは下りない。これはどういうことなのか。思わず、友人と顔を見合わせた。

なにか、不思議な力が働いているとしか思えなかった。まるで隧道が撮影を拒んでいる・・・

ふと、その時、初めてその隧道の入り口の横に荒削の石盤があることに気付いた。その石盤には文字が書いてあった。しかし、あまりにも古すぎて何が書いてあるのは読めない。だが、一文字だけは認識できた。「慰」という一文字・・・

さて、今夜、昨夜の続きとして、この謎を解き明かす続きの夢が見れるといいのだが。

CEATEC 2013は今日で閉幕となる。毎年、メーカー各社はこの展示会に向けてしのぎを削り、参考出品に漕ぎ着けるのが恒例となっているのだが、今年はどうだったか。

展示内容の詳細なレポートは、いずれ日経エレクトロニクスなどの専門誌などで紹介されるだろうから、ここでは率直な感想をメモとして置いておく。


悪いけど、押しなべてあっと驚く様な、或いは未来を感じさせる様な展示の記憶がない。会場も例年よりも狭いし、各社のブース面積も随分と小ぶりになった気がする。かつては、それこそデジタル家電各社の展示と言えば、大小様々なテレビを縦横斜めに羅列し、その前で綺麗なお姉さん達が派手な音楽に合わせて登場、ダンサーをバックに「未来を作れるのはxxだけ」みたいな勝利宣言を叫ぶのが定番だったのだが、そういう演出は殆んど見られず、真におとなしい展示となっていた。

記憶が正しければ、そういう演出が途絶えたのは震災のあった年のCEATECだったと思う。当時の自粛ムードから急遽派手な演出を中止したのかもしれないが、展示各社は長引く不況の中にあって広告宣伝費を極力削減すべきにも拘らず、弱みを晒すことによるリスクを回避しなくてはならないという事情から不本意であっても派手な演出を続けていたわけだが、たまたま発生した震災によって、ようやく平静を保てるようになったと理解できよう。

しかし、問題は、

その演出云々よりも展示内容であって、新たな技術開発が進んでいない閉塞感がこちらに伝わってきて切ないこと。


もちろん、画期的な技術も多く展示されていたが、自信がないのか訴求方法がヘタなのか訴求ポイントが不明瞭だったし、とにかく近未来のライフスタイルを暗示する様な夢のある展示は、残念ながら見られなかった。

無理も無いと思う。デジタル家電は、いまや技術的な限界を超えているのだ。というか、新たなライフスタイルを提案できる技術を開発する上で必要とされる基礎技術は、まだ途上にある段階なのだ。基礎技術が確立されていなければ、訴求はただの空絵事であって、漫画でしかすぎない。

だが、基礎技術開発がいずれ滞るということは、とっくの昔からわかっていたことだ。もちろんどこかでブレークスルーは起きるだろうけれども、技術の革新には、理論だけじゃなく実際に製造して科学的に効果があることを立証する必要があるから、様々な要素が同時に進歩しなければ開発は滞ってアタリマエ。せっかく画期的なアイデアが生まれても、それを作ることが出来なければただのB級なSF映画だ。

であればどうすべきか。技術が遅々として進まぬ中で悶々としているより、何をすべきか。

比較対象としたいのが、毎年正月に米国ラスベガスで開催されるCES(Consumer Electronics Show)の展示だ。ここでの展示規模は日本のそれとは比較にならないほど広大なものだし、展示方法の派手さも日本の非ではないのだが、それよりもとにかくスゴイと思うことは、展示品が豊富なことだ。特に台湾や中国各社からの展示内容がハンパない。中には、ホントに売れると思って作っているのかと思わせる様なモノも多々あるのだが、とにかく展示に何の気後れも迷いも無い売れれば作り続けるし、売れなければやめる。

中国や台湾などでの商品展開の速度は、日本のそれとは大違いなのだ。

小生、残念ながらまだ中国や台湾の電気街を時間をかけてつぶさに見た経験はないのだが、さっと見た感じだけでも、小物から大物までの商品展開品揃えはものすごい。そのうちのごく一部がアキバ辺りに流れてきているようだが(例えばドスパラの上海問屋)、アイデアをとにかく商品化してしまうというスピード感は、日本企業には到底出来ないワザだと思う。

マーケティング理論の展開もいいが、消費者のニーズを捉えるということはニーズに答えるということであって、あれこれと金と時間をかけて分析することより、モノを作ってユーザーから評価や批判を得て作り変えるとか機能を追加するとか、ダメなら潔く諦めるとか、そういう展開方法もあっていい。

日本はそういう展開をバカにしているのではないだろうか?

新しいライフスタイルの提案もいいが、欲しくもない、或いは、欲しくたって低賃金労働では臨むべくもないライフスタイルを、これ見よがしに見せられたら却って不愉快だし、余計なお世話で、はっきり言って迷惑だ。

今のメーカーは、ユーザーニーズを置き去りにしたまま技術先行に奔走していないか?

確かに日本の技術は秀逸なのだが、商売としての技術はユーザーに対して使用満足感を与えるべきなのであって、決して開発者のマスターベーションであってはならないのだ。

かゆいところに手が届く。それこそ日本のお家芸じゃなかったか?

オリンピック誘致ですっかり定着した「おもてなし」の日本気質とは、ユーザーに安心感や満足感を与えることじゃないのか?

リスクを恐れてヘタレに成り下がり、商品企画を通すための根回しに時間がかかるとか、売れなかったら誰が責任をとるのかなどと四の五の言わず、作っちゃえばいいのだ。

「中国や台湾などの諸国が失速した日本を追い抜くかもしれない」のではなくて、とっくに追い抜かれていることをきちんと認識すべきだ。

ニーズ不在の技術は開発しなくていい。それこそ無駄な出費だ。一企業がリスク覚悟で遠い未来に役立つという技術の開発に莫大な投資をする必要はない。

それと、

各企業はもっと積極的に異業種とのコラボをすべきだと思う。

そもそもCEATECとは、エレクトロニクスショーの延長上にあるとはいえ、そのネーミングにエレクトロニクスと言う文字は入っていない。因みにCEATECは「Combined Exhibition of Advanced Technologies」の略、つまり異業種混合の斬新的技術展示会であり、様々な業種が互いに知恵を持ち寄って、ニーズに答えるべくソリューションを提案すると言う博覧会であるはずなのに、どうもそれが全うされていない気がする。

ところで、

今回の展示で、エコ&省エネといった分野での展示が減ったことが気になる。

震災直後のCEATECでは、デジタル家電各社の展示は半分近くがエコソリューションや非常対策の蓄えなどにフォーカスしていたし、昨年のCEATECでの展示も、その延長上にあったと思う。

当時、軸足をエコ関係に変えたことは、時代の流れに合致している上、AV技術で他国に追い越されていると云う状況を鑑みれば、歩むべき道として正しい選択だと考えていたのだが、今年の展示を見る限り、過去に回帰してしまっている様に見られたことは大変残念だ。

儲からないからお蔵入りさせたということか。

その様な中でエコ展示をしていたのは、デジタル家電で苦戦を強いられて撤退を余儀なくさせられた重電機器メーカーだったが、AV機器競争が価格競争に突入し、利益が取れない市場に変貌することを逸早く察知して軸足をエコに転じたとすれば、先見の明があったといえよう。

但し、展示内容はいまいち訴求内容が地味すぎたのが残念だし、それ以外のメーカーのエコ展示が申し訳程度だったことが気になるのだが。

その間、韓国や中国は猛烈な勢いでエコ技術を促進していることは、今年はじめのブログで述べた(CES2013 (国際家電見本市)  - 世界市場に於ける日本の現状、http://ameblo.jp/millimeter-wave/entry-11451186218.html)。

日本がブレている間に、中国韓国のメーカーはデジタル家電のみならず、エコ関連まで日本を追い越そうとして躍起になっている。


いったい日本の技術は、何のために何を開発するつもりなんだろう?
聞くところによると、ここしばらく我国の地熱発電に関するプロジェクトが色々と開始されているとのことだ。

知ってのごとく原発は相変わらずの状態だし、最近の円安に伴って便乗とも言いたくなるほど化石燃料価格は高騰、かといって太陽光や風力など電力の安定供給が難しい再生可能エネルギーに電力の生成全てを委ねることは不可能という、こんにちの現状にあれば、

現実解として注力すべきは、我国が世界有数の資源をもつ地熱発電だろう。

そのことについては過去に書いたので(http://ameblo.jp/millimeter-wave/entry-11540599999.html)、ここでは触れずに、現在の状況について書いてみたい。

先日開催された再生可能エネルギー展示会には様々な提案が展示され、大変興味深い展示会となっていたのだが、地味でありながらも判りやすく訴求していたのがこの地熱発電だった。

日本地熱学会の説明によると、立地候補に対するプロポーザル活動は、これまでが地質の優位性などの専門分野での訴求が主体であったことに対し、最近の訴求方法は建設による波及効果、例えば排熱利用の遊戯施設やテーマパークの建設に伴う観光収益の具体的な提示などとなっており、地元の理解を得る様に努力しているそうだ。

また、さすがに温泉地の中や隣に建設することはしないとしても、少なからず影響があるかもしれない地域に対しては、地下水系の定点観測などを強化する説明しているという。

やっと気づいたのか、という気がしないでもないが、ともかく大きな前進だ。ただし、この定点観測というのは、結果の捏造や情報提供の遅延など、今回の原発事故に伴う活動をみても、決め事が正しく運営されるかどうかという疑問はあるため、

冗長的な諮問機関を設けて対処するなどの組織作りは必須だろう。

      

写真と表は今日現在稼働している地熱発電所の所在地と発電量。これを見てわかる通り、総発電量は休止している発電所を除けば約520MWであり、これでは原発一基分にも満たない。

地熱発電のポテンシャルとしては米国、インドネシアに続く三位の位置にありながら、この体たらくなのだ。

土地が広い国だと、観光客の足が遠のく。その点、日本は土地が狭いが故、発電所に隣接して観光スポットを設けることが可能だ。


上に示す写真は、各種規制緩和に伴って開発が進捗している拠点の図だが、

地元とのコラボレーションによって、安定した電力を供給できる発電設備が整うことを期待したい。


先日、シリコンバレー出張に行った際、現地のエンジニア連中から辛辣な話を聞いた。初めて聞く話ではないものの、現実はそうなのだと改めて痛感したのだが、

シリコンバレーでの成功は、早い話「コネ」と「学歴」で決まるという。

今更驚く様なことではないのだが、このご時世、景気が良くなっているのかどうかが良くわからない状況下では、彼らの話は相当に深刻である。

アメリカンドリームという言葉が生まれて久しい。無一文に近い丁稚奉公が、実力世界の中で頭角を現し、やがては世界に君臨する大企業のトップとなる。正直言って、そういう話、シンデレラや白雪姫の様な夢物語に出てくる強運の女の子の話よりもずっと現実的だし、実例だってたくさんある。そして、恐らく今でもそのキーワードはシリコンバレー界隈でも生きているだろう。

小生が携わっている半導体を含むIT関連も、まさしくアメリカンドリームの象徴の様にも言われている。実際、くだんの地、シリコンバレーでは、起業家たちがNASDAQの様な証券市場に自社を上場させて億万長者となった例、数えれば枚挙に暇がない。しかし、その実態、現実はそんなに甘くはないわけで、というか、その実例、少なくとも最近では極めてレアなケースとなっている様だ。

現地の一般的な技術者たちの話を聞くと、ここしばらくのVC(Venture Capitalist)たちの財布の紐は相当に固く、投資先としての半導体への投資は想像以上に厳しいらしい。

確かに無理もない。実際、半導体製造のウェハー投入に至るには、デザインルールの小さいものになると、開発にはすさまじい金がかかるし、昨今の回路は複雑極まりないから、基本機能に限定したところで一度ですべて動くということは稀で、セカンド、サードスピンを行うことはザラにある。そもそも一回のウェハー投入で「億近い金」がかかる上、ウェハーを何度もやり直しするともなると、時間も金もやたら浪費するわけだから、その間VCたちはじっと我慢しなくてはならないし、何といっても一番問題なことは、それで必ず成功するとは限らないということ。 

こういうリスクの大きい投資は当然リターンも多いのが普通であるが、時間がかかるということは、同等或いはそれ以上の技術が別のところに生まれてくるという可能性も大きいということでもあり、「健全な」投資家は、特に最近は、そういう「賭け」に対して相当に及び腰になっているそうだ。

かつて、太陽電池の開発で一世を風靡したソリンドラ。シリコンバレーを南北に走る高速880号線沿いのフリーモントにあって、高速道路からその広大な敷地がよく見えた。じりじりと値段を上げていくシリコンの価格を見据えながら、CIGS(銅・インジウム・ガリウム・セレン)という化合物半導体で構成された薄膜太陽電池の開発メーカーであるソリンドラは、オバマ氏もグリーンニューディール政策として国費53,500万ドルを投入するという、太陽電池業界にあっては圧倒的な技術力と影響力を誇っていた。。。

Sorindora社、GoogleMapより

ところが実態としては、実際のビジネスに至る前に、シリコン価格が一段落するに伴って台頭して来たアジア諸国による安価なシリコン結晶型太陽電池との抗争が勃発、ソリンドラ社は創立後たった6年であえなく沈没という体たらくを演じた。
これがトラウマとなって、VCはハイテク産業への投資に対して食指を動かさなくなってきているという。

確かに、こんにちの高機能半導体は頗る複雑なものとなっているが故、はっきり言って完成品というのは存在しないと言い切ってよいだろう。つまり今やバグ無き高機能半導体といのは存在しないのだ。それがなぜ問題にならないかというと、要は単にバグが発覚していないだけということ。

今日びの情報端末、四六時中その端末の持つ100%の機能を使っている人というのはまずいないだろう。極端に言えば、ある特殊な機能なんか一度も使わないまま機種変更、ということだって、ザラにあるはず。逆に云えば、その使われていない機能の中に、実はとんでもない時限爆弾が潜んでいる可能性すらあるのだ。

極めて大きな破壊力をもつ火薬だって、火が付かなければ爆発しない。バグというのは、そういうものであり、発覚しない限りはバグではないのだ。

そういった複雑怪奇な半導体製品、さすがに誰にでも開発できるシロモノではなくなってきており、スタンフォード大学やMIT(マサチューセッツ工科大学)、UCバークレー(カリフォルニア州立大学バークレー校)、ハーバード大学辺りのPh.D(博士号取得者)の中でも、ほんの一握りの天才にしか開発できないものとなっている。

起業家精神教育の中枢、スタンフォード大学

そうなると、中堅どころの技術者としては、そう云う天才とのコネがあって職にありつくか、もっとプリミッティブでシンプルな半導体設計に携わるしか道はない。つまり、シリコンバレーでの半導体開発については、二極分化が進んでいるのだ。

ほんの一握りの天才へのコネがあるかどうか。しかもコネ持つ人もたくさんいるはずだから、抜擢してもらうためには、オーディションの前に学歴という「書類選考」で落選しないようにしなくてはならないのだ。

以前にも、ここに書いておいたが、
http://ameblo.jp/millimeter-wave/entry-11509669580.html

シリコンバレーでの成功、実はそこに横たわるバリバリに学歴偏重な風土というものを、今一度理解しておく必要がありそうだ。

人類は、馬という動物がいなかったら、現在でも原始的な生活のままだったらしい。

アメリカの自然公園に行くと、乗馬している人に会うことがあるし、公園内に横たわる自動車道路にも、「馬の横断に注意せよ」といった看板がたくさんある。それらはいわゆる商業的な乗馬クラブではなく、ホントに馬を輸送や移動手段として使っているのだ。


写真はカリフォルニアの州立公園にある山のパトロールをしている警官。

最初、彼等に出くわしたときは何かの余興かと思ったが、真面目に馬を乗りものとして使っていた。確かに、公園の中で排気ガスをまき散らす四輪駆動車で偵察するよりも、ずっと環境に優しい。
考えてみれば、確かに人類が文明を築いた背景には、物資の輸送にしても農耕にしても、更に民族の移動についても、馬の貢献度は計り知れないものがあったといえよう。

こんにち、動力源として馬を使うことは、少なくとも先進国ではあまり見られなくなったが、古代の人類が馬という動物を飼い馴らすことを覚えたことが、文化文明の発達を促したということは確かだろう。

想像してみるに、つまり現代社会から車や電車といった様な交通機関が全くなくなったら、という仮定を考えてみれば簡単にわかる。逆にいえば、それらがなかったら、食糧もエネルギーも通信手段も何もない未開の地に暮らす人々の生活に戻るということを意味するわけで、つまり原始的な生活を余儀なくさせられるということになるわけだ。

物資の輸送などに役立つといえば、使う動物もそれなりの体格を必要とするわけだが、移動する速度は申し分ないとはいえ肉食系動物はよろしくない。よって草食系で立派な体格を持つ従順な動物といえば、馬とか牛の類となるのだが、農耕や物資の輸送であれば牛も役に立つとはいえ、移動用の乗り物としてはどうかと思うし、速度もあの程度。従って同じぐらいの大きさの動物で知恵のある動物というと、馬ぐらいしかいないのだ。

この素晴らしいパートナーがいなかったら、例え人類が、以前別のページで紹介したような(http://ameblo.jp/millimeter-wave/entry-11572645102.html)、ミラーニューロンという、他の動物にはない特別な脳細胞を持っていたとしても、文化文明もローカルで限定的な域を超えることはできなかったかもしれない。

文化文明の発達の大きな機動力となった馬。馬との付き合いは長いし、馬の恩恵は計り知れなく大きかったのだ。

尤も、現代でも馬の世話になっているというか、馬で稼いでいる人もたくさんいる様だが。。。

先週初めに米国出張から戻ってきた。

現地へ出張する楽しみの一つに、各国の料理を堪能できることがある。といっても小生はグルメではないので、食事に関しては相当に淡泊な方ではあるが、それでも本場料理を味わえることは相当に楽しい。

実際、米国は米国料理という料理が確立しているところではないのだが(しいて言えば、Tボーンステーキとかハンバーガー?)、少なくともこのシリコンバレー界隈は様々な人種や国籍の人がひしめいているので、アジア、中東や欧州など各国の料理には事欠かない。

ただし、中にはとんでもない「勘違い」系の店も多いので、失敗しないために事前調査をすることは大切だ。かつて日本食としての寿司屋に入った時に、なんとシャリが酢飯を使っていない店だったという、まさに驚愕の体験をしたこともあった。

当時は店の見極め方を知らなかったので、いい勉強になったワケだが、とにかく店を選ぶには黄金則がある。

それは、

「店員と客が、その料理の国の人であるか」

を見極めるということ。

確かにくだんの寿司屋、スタッフも客も全員日本人ではなかった。つまり、現地にいる日本人が敬遠する店だったということなのだろう。そもそも店の名前がケバいネオン管で書かれているという時点で、日本食処としての形式を超えているものだった。

普通、ちゃんとした日本食の食事処は、料金の高低に拘らず、質素な料亭の入り口を彷彿とさせる入口になっているのだ。ちなみに今はもう、その店はない。


写真は、小生御用達の食事処のひとつ、韓国料理の「TOFU HOUSE」とベトナム料理の「Pho Hoa」。その他にも各国別にたくさんあるが、今回はこういうこじんまりとした店の選び方を書いておく。


とにかく、

店を選ぶ時には次の五箇条が基本。

     - 店構えが仰々しくない(家庭料理っぽいところが正解)
     - 店内が賑わっている(昼食時間などに空いている店は敬遠すべき)
     - 店のスタッフがその国の人(例えばタイ料理店だったらタイ人)
     - 客筋がその国の人(
例えばベトナム料理店だったらベトナム人
     - 出来るだけ現地に住んでいるその国の人から紹介してもらう


これらを確認して実践すれば、まず間違いはない。

因みにベトナム料理「Pho Hoa」の場合、日本で展開しているベトナム料理店では出されない「葉の付いた茎」と「ナマのもやし」が実によい(下写真)。これらを細めのビーフンを元にしたフォーに、ハラペーニョと一緒にぶちこみ、シャキシャキノ食感も楽しむというもので、小生的には日本のベトナム料理店のどれよりも、このPho Hoaの方が40dB、つまり100倍ぐらい美味いと思う。一週間の出張中に二回行くもこともざらにある。

Pho Hoaのフォー

アメリカ料理といっていいのかどうか判らないが、とにかくハンバーガーショップは多い。マクドナルドにしてもバーガーキングにしても、いたるところにある。その中では、ファーストフードチェーン店となっているIn-Outが手作りハンバーガーっぽくてお勧め。


アメリカにいるんだし、デカいハンバーガーを所望というのであれば、チェーン店のRed RobinArmadillo Willy's当たりが良い。これらも現地の人に連れて行ってもらったところだった。

Armadillo Willy's BBQ in Sunnyvale

ちゃんとしたステーキハウスだったら、Faultlineが良いだろう。ここは夜になると店で製造している地ビールが呑めるから、それで味わうステーキも格別だ。

FaultLine

この様に牛肉系であれば、さすが本場なので多くの店がある。

とはいえ、店の種類もピンキリだから、やはり上記の黄金則を順守すべきことは言うまでもない。
今週初めに米国出張から戻ってきた。

米国といっても、仕事柄、行く場所は殆ど決まっていて、いわゆるシリコンバレーなのだが、このシリコンバレー、その領域が広がったことから、最近ではこの地区の名称である「ベイエリア」という言い方が一般的になってきている。

ただし、ベイエリアというとサンフランシスコの北側地域も含むことになるのだが、IT関連の企業がひしめいているのは専らサンフランシスコ南側であって、サンフランシスコベイを挟んで西側のパロアルト、マウンテンビュー、サニーベール、クパチーノ、サンノゼ、ロスガトス、キャンベル当たり、ベイの東側のオークランド、フリーモント、そしてミルピタス当たりがIT企業の本拠地となっている。その辺りを総称してシリコンバレーと呼ぶ。


シリコンバレーの大動脈「Freeway 101」

数えてみると、これまでのベイエリアへの出張回数は80回以上となっており、シリコンバレーに限れば、大体の土地勘はついた。

空港で借りるレンタカーには、一応「おまじない」としてGPS(米国ではカーナビとは言わず、GPSという)を付けているが、実際には目的地への誘導としては殆ど使うことはなく、もっぱら道路名称の確認用としてしか使っていない。というか、出張中一度も触らない事すらある。レンタル料が勿体ないといえば勿体ないのだが、「保険」として借りる様にはしている。

何故GPSに頼らずに済んでいるかというと、つまりGPSが普及する前は地図だけが頼りだったから、散々迷って目的地に着くことなどアタリマエだったので、いきおい、道を覚えることができたというのが正直なところでもある。

散々迷った挙句、ようやくホテルに戻り、辿って来た道を思い出しながらベッドの上に広げた地図へプロットし、食事処などを書き込んでは頭に入れる。道や店などを記憶できた背景には、長いことそんな出張暮らしをしていたことが奏功したのだろうと思う。
今はもうその地図を見る必要もなくなってしまったが、ボロボロになった地図は、小生にとってシリコンバレー出張を無事に過ごすための、文字通りのバイブルでもあった。

この紆余曲折というか試行錯誤というか、実はこれ、大変に重要なのだ。

最近の出張者は、GPSがあるから迷うことなく目的地に着くことが可能となったが、その功罪は道を覚えないことだ。一度しか行かないということであれば、それでもいいのかもしれないが、出張ともなれば幾度となく行く可能性があるはずだから、後々のことを考えて、道路名称の把握はもとより、右折左折する場所の景観を頭に入れて道をたどるという心構えは必要だろう。

ところがGPSに頼ると、道路の名前すらわからないまま目的地に着いてしまう。この道路名称や景観といった記憶は、現地の人達と食事をしているときなどのネタ話にもなるのだ。どこに住んでいるとか、どこの店が旨いとか、そんな他愛のない会話も、GPS頼りで行動しているようだとおぼつかないだろう。

また、GPSを使わなければ周りを見るようになるので観察力もつく。以前あった和食のレストランがインド料理になっているとか、そういう変化に気づく。景気の動向や人の流れ、或いは金の動きなども見えてくるというもの。それが生きた情報となる。

GPCに導かれ、そつなく無駄なく目的地に着くことが出来る今日。確かに便利な時代になったとは思う。しかし、米国ベイエリアは、道路も広いし、住人達の運転も紳士的だから、再度訪問する可能性があるならば、慣れない土地とはいえ、

GPSだけに頼らないことを勧めたい。