小生、秋葉原を徘徊する様になって半世紀近くになる。
その間、時代の流れや要求に寄り添ってこの街は常に変貌し、したたかに生き延びている。一貫して云えることは、様々な外来から流入する文化に対して極めて寛容で、しかもその文化を柔軟に取り込む町はlpこの街をおいて他にないと言えることだ。それをつぶさに見てきた。そのことを記しておこう。
秋葉原に根付く様々な文化(サブカルとも云われている)は、互いに直交関係にある。
因みに、直交関係とは数学的に云うとX-Y座標に於いてXの値がYの値に影響を与えない、またはYの値がXの値に影響を与えない場合、「XとYは直交関係にある」と表現する。例えばY=1の場合、グラフにプロットしてみると、横軸Xの値に拘らず縦軸Yの値は「1」として一定だ。こういう関係を直交という。これを一般化していうと、「片方を変更しても他方に影響を与えない」ということだ。つまり互いが分離していて独立しているとも云える。
秋葉原が古今東西老若男女問わぬ元祖ヲタク街であることは、今や日本国内外を問わず広く周知となっているが、秋葉原が「秋葉原」と「アキバ」と呼び方が分極化している様に、「秋葉原」と「アキバ」は物理的には同じ地域を示す地名であっても、その呼び方の違いの深層に顕在する文化体質は全く異質だ。
かつて米国の国際政治学者であるサミュエル・ハンティントンは、現代社会に於ける戦争や紛争の源が文化文明同士の衝突であることを著書「文明の衝突」の中で著述、紛争衝突の激戦区は異なる文化文明の接合地帯であることを指摘したが、驚くべきことに秋葉原の地に於いては、エレクトロニクス技術に基づく電子文明と、それとは逆位相であるサブカルチャー文化に基づくヲタク文明が真正面から衝突していることを鑑みるに、それらが極端な異文化の最先鋒であるにも拘らず、接点の何処を見ても懸念される活断層は存在していないことに気付く。これが文化人類学的に見た秋葉原の極めて異例な特質である。
ただし、その二つの文化は或る意味相反的とは云え、エレクトロニクス技術による映像音声品質の向上がヲタク的嗜好の活性化へ与える影響が甚大であったこと、また、その嗜好の更なる具現化を達成すべくエレクトロニクス技術革新が促進されるという相乗効果が奏功したということは容易く理解可能であり、いきおい、結果として秋葉原(アキバ)という街全体が独自に進化するに至ったという推察も成り立つ。
つまり、秋葉原という街は、自己増殖が可能な一つの生命体でもあるわけだ。
秋葉原駅に程近い、ニュー秋葉原センターという建屋があり、そこに国際ラジオという店舗がある。ここは本当に売り物なのかと思しき電子部品が所狭しと並んでいる。並んでいるというだけだったら他の部品屋と同じなのだが、大きな違いは驚くほど古い部品や製造中止になって久しい部品などが埃まみれとなって積まれていることだ。だからその道の人はみんな知っている店舗なのだが、ここで驚くべきは、この店のど真ん中に癒しマッサージ系の店やブルセラショップへ続く階段があることだ。だから部品をあさっている技術屋と、全く人種の異なる店の女の子や客が狭い通路を互いに往来するという、何がなんだかさっぱりわからない世界が互いに口も利かないまま仲よく同居しているのだ。
国際ラジオ。この右に歓楽へ通じる階段(!)がある
こういう場所、アキバを歩けばいくらでも見つかる。雑多に見えるも、異文化がお互いを尊重し干渉することなく同居している、それがアキバという街なのだ。
つい最近、この街でアキバ祭りという小さな催しものがあった。出店として出展していたのは、もちろん電子機器と萌え系。つまり、東洋計測器が中古のオシロスコープを販売している隣でコスプレグッズを売っていたり、アマチュア無線機器販売の横でアニメグッズの販売を行われ、新進アイドルの握手会の横では3Dプリンタがデモをしていた。
そんな、互いが「直交関係」にあるような業種が仲よく机を並べる姿、それがアキバ。
この愛すべき街が、今後どのような展開を見せるのか、ずっと目が離せない。




















