銀塩フィルムの時代、フィルムは1本あたり最大36枚までだったし、撮影に失敗しても現像するための印画紙代はかかるから、36枚撮影したのち、写真屋で現像してもらうと、たとえクソ写真ばっかりだとしても大体1000円近くの出費があった。しかし、失敗写真は無駄以外の何物でもなく、文字通り金を屑箱に捨てるようなもの。従って撮影に当たっては無駄な出費を防ぐために、それこそ一撮入魂で撮影する必要があった。
こんにち、カメラがデジタル化し、画像を保管する記録媒体のビット単価がずいぶんと安くなってきているために、撮った写真をわざわざ捨てる必要もあまりなくなってきた。
そこで、考えてみた。
必要ない写真は捨てた方がいいのかどうか。それは、断捨離なのだろうか。
人間は生まれてから死ぬまで、見たものはすべて記憶しているという。それが本当かどうか調べる術もないが、物理的に可能かどうかは計算で求まる。
人間、100年生きたとしてその間に目で見る視覚情報量は、毎秒60kbitだそうだ。テレビで描画する伝送帯域は、ハイビジョン映像で毎秒1920x1080x24x60だから、約3Gbit。60kbitそれに比べるとずいぶん少ない気がするが、人間の場合には画素そのものを記録するのではなく、輪郭線抽出などの手法+連想記憶などの抽象化されたアルゴリズムで記録されるから、ベタの記憶に比較すると大幅に少ないメモリで記憶することが可能なのだそうだ。
これを前提とすると、生涯100年間に於ける視覚からの総記録量は120TBitになるという。一方、脳細胞の概数は140億といわれているので、これらのシナプス連結を鑑みて計算すると140TBit。まぁ、この数字の信憑性については門外漢なので言及しないが、とにかく膨大な数であり、視覚を通じてインプットされた情報は問題なく格納できそうだ。
であれば、「人は見たものをすべて記憶しているか」という問いに対して、上に示す数字から「記憶できる」とみて差し支えなさそうだ。問題は、それを再生できるかどうか。
よく、「歌は世につれ、世は歌につれ」というが、人間は連想で記憶を再生させる能力を持っている。写真も同様。自分が撮影した行為などとっくに忘れていても、写真を見ると自分が撮った時のことを思いだすことはよくある。しかも、カメラのファインダーを覗きこんで見えた画像までが記憶としてよみがえることだって多々あることだ。
即ち、脳には撮影した行為や見た景色が記憶(記録)されているということなのだろう。問題は、それを思い出せない(再生できない)ということ。
それを考えると、
写真を捨てるということは、記憶を再生させるトリガーを捨てることになる気がするのだ。
これを捨てたら、おそらく一生思い出せないだろう。
従って、小生の結論としては、失敗写真や記憶から消したい(メモリから消去したい)写真(情報)、バレるとヤバい写真以外は全て保管することにした。
しかも、今は何の役に立たない写真だと思われても、何十年か経ってその写真が貴重な資料になるとか、或いは未来の人類にとって重要な布石や指南がその写真に写っているかもしれないし。
いずれにせよ、「人は見たものをすべて記憶(記録)している」とすれば、写真はそれを再生させる(思い出させる)最も有効な手段の一つだろう。その手段は捨てないでおいた方がよさそうだ。
というか、残す捨てるという整理をするのが面倒、というのもホンネでもあるわけだが。
