天候に左右されるということは屋外ステージにはつきもののリスクではあるが、午前中の風雨、特に風は相当強いものであったし、雷雨注意報まで発令されたという状況から言って、高い鉄塔を仕掛けたスタジオセットなどを鑑みれば、運営側の判断は正しい。
小生は、今回の大島優子卒業が色々な意味での大きな節目でもあることを踏まえ、この目でしっかり見ておこうと考えて参戦を試みたのだが、敢え無く撃沈してしまった次第。。。
ところが、とんでもなく幸運なサプライズに遭遇したのでメモっておく。
コンサート二日目の30日は朝から雨。風も強い。しかし、午後になって少し小降りになってきたし、天気予報によれば夕方から回復するという。だったら予定通りだろうと、とにかく家を出た。途中、雨で濡れた座席を拭くためのタオルを持参し忘れたことを思い出し、新宿の百貨店に立ち寄り、315円のタオルを調達、期待を膨らませて千駄ヶ谷駅へと向かう。何しろ初めての公演参戦である。しかもアリーナ席に当選。期待しないほうがおかしい。
そんなワクワク状態で千駄ヶ谷駅に着くと、なにやらホームが騒がしい。何事かと思うと、なんとコンサートは中止だという。マジか??
そのまま改札に行くと、アナウンス通りこんな貼紙が。。。
すっかり消沈した小生はそのまま駅の改札を出ることなく新宿まで戻ったのだが、せっかく来たのだからせめてゲートぐらいは見ておこうかと、あまり深い考えはないものの、とりあえず再び千駄ヶ谷へ戻った。
国立競技場のゲートに着いた。ゲートは当日迷わない様に前日に確認しておいたから、直行できた。
ゲートでは、大半の人は既に去っていたようだが、それでも諦めきれないファンたちはまだたくさんいて沿道に佇んでいる。一般的にこれを出待行列というのだが、小生もその中に混じってみた。初めての経験である。こういう時の連帯感というのは中々面白いもので、自分の行動が他人に迷惑を及ぼさない様にするという暗黙の了解の下、決してぶつかり合うことなくオトナとしてきちんと整列しているところがなんとも奥ゆかしい。今回の場合、唐突な中止であったから、一部の熱いファン等が一触即発状態であってもおかしくないのだが、日本人の、こういう時の秩序は他国に自慢できるところだと思った。
この出待に異変が起きた。
運営側の係員がスピーカ片手に「競技場隣にある広場の明治公園に移動してください」と叫ぶ。小生等は何がなんだかよくわからないまま誘導されていったのだが、集まったところで再び係員から説明があった。
「大島優子が、たっての本人の希望で皆様に謝罪挨拶をしたいと言っています。今暫くお待ちください。」
これにはどよめきが起きた。
人数は高々数百人程度であってスタジアムに集客された数万人に比べればほんの一握りなのだが、それでも大きな歓声が上がった。待つほど数分(もっと長く感じたが)、公園内の少し高くなっているところに車が到着し、中からホンモノの大島優子が登場、大衆のテンションは一気に上昇した。天候は回復し、雲の切れ目から日差しが差し込んでいる。
大島優子がハンドマイクを片手に髪を搔き上げながらスピーチを始めた。
年末の卒業発言の時といい、各種歌番組での最終出演の時といい、他の卒業生が最後の公演や出演jのスピーチでメソメソしているのに比べると、大島優子は常に笑顔を絶やすことなくきちんと話をし、しっかりとした挨拶を行ってきた。他のメンバー達のシクシクして言葉が出ないという場面はたくさん見てきたが、大島優子はそういうそぶりを見せず、常に気丈に振舞う。
しかし本当は舞台裏で号泣しているのだ。その姿はドキュメンタリ映画や番組でたくさん晒されているから、ファンは不憫な本当の姿を知っている。しかし、ファンの面前では敢えて気丈に振舞う。
それが大島優子なのだ。その大島優子がスピーチの直前に泣き出した。これはある種、驚きでもあった。それほど公演中止が悔しかったのだろう。
具体的なスピーチ内容は、Webに掲載されているのでそれを貼っておく。
「 さっきまで雨が降ってたのに、こんなに天気が良くなっちゃって…(涙)。
昨日はAKBの単独をやらせていただいて、今日は姉妹グループも含めて48グループのコンサートをみんなで準備してたんですけど、風も強かったりとかして、いろいろ判断した上で中止とさせていただきました。この日に来てくださった方、本当にすみません(おじぎ)。
また日を改めて皆さんにはちゃんと卒業を見送ってほしいと思うので、場所などいろいろ詳細が決まったら、また連絡させていただきます。
そのときは、また来てください。たぶん遠くからわざわざ来てくださった方とか、お仕事の関係の都合を合わせて来てくださった方とか、学校やバイトの都合とかいろいろ合わせて来てくださったと思うんですけど、また都合を合わせて来てください。
天気なので、どこにも悔しさをぶつけられないのが嫌なんですけど、でも次、ちゃんと卒業セレモニーをやるときはそこに一生懸命ぶつけて、皆さんに最高のAKB48の大島優子を見せたいと思うので、頑張ります。
今日は良い一日を過ごしてください(笑顔で手をあげて、おじぎ)。
ありがとうございます」
付近には過激派ヲタの極右や極左がいてもおかしくない状況であったにも拘らず、ふと現れてスピーチするというその無防備な行動は、警備的に見ても極めて異例であり衝撃的でもあった。そこにはファンとの間に深い信頼関係があるからこそ出来た技なのかもしれない。
また、本人の切なる希望としての挨拶というところも、如何にも大島優子らしいエンターテイメントだ。ネット上では、これは運営側の仕掛けだという諸説もあるようだが、そんなことはどうでもいい。
仮に例え運営側の案だったとしても、大島優子の考えに立脚した案だと思わせるところが大島優子の大島優子たるゆえんだ。
「飽くまでもファンありき」であり、ファンを慮るという対応が大島優子流の神対応であることはよく知られている。ファン獲得実績というのは、そこから生まれるものであり、一朝一夕で培われるものではない。大島優子は、最初から鳴り物入りとしてマネキン人形よろしく容姿端麗で頭脳明晰なタレントとして突如出現したわけではなく、星の数ほどあるタレント候補生から、長い時間をかけて啓蟄の如く這い上がってきたのだ。
その「雑草魂」は並の魂ではない。
ファンとの絆という信頼は、長い時間をかけた地道な努力によって得られるもの。幾多の境遇に遭っても決して逃げない。そして自分の実力を客観的に評価し、改善する方法を熟慮し、断行する。それを本当に実行して、初めて成し得る業なのだ。
エンターテイナーはファンを大切にする。また、それを知るファンはそのエンターテイナーを大切にする。そして互いに成長していく。これこそ信頼感関係なのだ。日常の話に例えれば、「エンターテイナー」を自分、「ファン」を「客」と書き換えれば分かること。
この、大島優子イズムという「雑草力」の必要性は、決して芸能界だけに限ったことではないと考える。





























