AKB48の大島優子がNHKの紅白歌合戦で電撃的な卒業発表を行ってから、ネットの掲示板がかまびすしい。
後から伝え聞くところによれば、事前に秋元康氏からNHK側に了承を取っていたということだから、AKBの影響力や秋元氏の行動力は大したものだと感心する。実際、NHKも視聴率に対してシビアになっている様なので、自ずからAKBへの依存度は高いものと想像できる。
ま、とにかく、卒業発表に至った過程や心境については今後様々な報道がされていくことと思うが、それらが発表される前に脳内妄想し、結果と自分の想像力や観察力の齟齬を見て採点してみるのも興味深いので、勝手に書き記しておこう。
卒業発表数日前にポストされたブログから
昨年の、大島優子の成長は著しいものがあった。最も大きな変貌は総選挙で首位を奪還されたときの対応だろう。あの時のスピーチこそ、オトナへの脱皮の瞬間だと、小生は考えている。
確かにあの総選挙は、すさまじい「破壊力」を持つものだった。その威力たるや、それまでのAKB48総選挙のマンネリをぶち壊したことのみならず、あKB48のその後の方向性を明確に示唆するものとなった。実際、そこで1位となった指原梨乃のその後の躍進ぶりをみても、アイドルグループとしての既成観念を逸脱させて時代のニーズに迎合すべきアイドル像が明らかになった瞬間でもあった。
エンターテインメントというジャンルは、賞味期限の短い商品を如何にして存命をさせていくかという命題と常に直面している。その為に様々な試行錯誤が行われるわけだが、提供する側の思い込みで商品を弄って失敗した例は枚挙に暇がない。つまり、消費者の嗜好を確実に捉えてリアルタイムに追随させていく必要があるのだ。
嗜好を先導することも大切だが、提供側が思い込みで先に仕掛けると失敗することが多い。
実はこれ、エンターテイメント商品に限らず、一般消費財として考えれば家電製品も含むすべてのコンシューマ製品に当てはまる。昨今の3Dブームもしかり。コンテンツが用意されていないにも拘らずハードウェアとしての3Dを全面に押し出して商売しようとするから、失敗するのだ。もちろん、そこにはテレビ業界の思惑というか、いわゆる台所事情があることは確かなのだが、美辞麗句を並べたところで、現実としてのコンテンツが揃っていなければ、結果は悲惨なものとなる。
かといって、市場調査という様な「野暮」なデータは、戦略立案の参考にはなっても、それを鵜呑みにして商品を企画し、或いは作り変えて提供しようとすると、これまた失敗する。
要は、消費者が自らプロデュースするといったスキームこそ必要なのだ。
消費者は何を求めているのか。プロデュース側がそれを尊重しているか。新商品を受け入れてもらうための根回しやお膳立て、市場のクリエイトに手を抜いていないか。新商品を市場投入する前にやることは、たくさんある。
AKB48というビジネスモデルが成功した鍵はそこにある。つまり消費者に次に進む道を示唆させるという手法。賛否両論あれど、消費者嗜好情報を確実に、しかもリアルタイムに受信するアンテナこそが、あの総選挙なのだ。
昨年の総選挙「事件」がなかったら、恐らく大島優子はそのままだったかもしれないし、そうだとすれば今後の活動の内容も大体想像通りの展開となったと思われるのだが、AKB48のファンに対するのみならず、自分たちに対しても新しい風を吹き込ませる窓を開けたのは、まさしく大島優子の「筋書のない」スピーチだったと考えている。
これまで総選挙とは、事実上「前田敦子と大島優子というライバル同士の戦い」であったが、首位が大島優子から指原梨乃へと変わったことによって、これまでの路線は一挙に様変わりし、「総選挙はお祭りであること」へと大きく変貌した。そういえば、確かに総選挙前の演説で、大島優子は「総選挙はお祭りだ」と明言していたことを思い出す。その解があの結果とそれに続く流れだとすれば、大島優子はやはり先見の明を持っていたということなのだろう。
そのことが、これまで卒業をためらっていた大島優子の背中を押したことは間違いないわけで、恐らく秋元康氏もあの瞬間に大島優子の卒業を想定、或いは前提として「仕掛け」を模索し始めたことと思う。
秋元康が言うように、大島優子が抜けた穴は誰にも埋めることはできないだろう。しかし、消費者も他のメンバーに対してそんなことは求めていないはずだ。むしろ、キャラや立ち位置は異なれど「大島優子的」な存在感を持つエンターテイナーが頭角してくる可能性に期待していると言えよう。逆に言えば、大島優子が卒業することによって、そういう人材が表面化していくということだ。それによって、AKB48に於ける新たな路線が見い出せることになるかもしれないのだ。
かつて、総選挙にて篠田麻里子が「私を潰すつもりでかかってきなさい」と檄を飛ばした。大島優子が首位となった時である。その後、残念ながら誰も篠田麻里子を潰すことはできていない。しかし、それはアタリマエのこと。潰すということは、同じ路線で凌駕するということだから、キャラも生い立ちも異なる以上、例え潰したとしても、数値化して定量分析することができないのだから潰せたかどうかという事実認証は不可能だろう。
つまり、
潰すということは、言い換えれば「別路線でキャラ立ちをしなさい」ということなのだ。
同じことは大島優子の卒業後のメンバーに対しても言えるだろう。恐らく永遠に大島優子を潰すことは誰にもできない。今の立ち位置は大島優子だけのものである。当たり前のことだ。時間も嗜好も刻々と変化していくのだから次の世代に求められるアイドル像は、大島優子に求められるものとは異なってくるからだ。
前田敦子にしても、篠田麻里子にしても、或いは板野友美にしても、それぞれまったく異なるキャラがウリだった。その中での比較による優劣はない。だからこそ、今後彼女等とは異なるキャラが出現してもおかしくないのだ。いや、すべきだろう。そうでなければAKB48は衰退する。しかし、そういう可能性がたくさんあるということが、大人数で構成されたグループの大きなメリットでもある。
前田敦子はSSAのコンサート会場で、篠田麻里子は総選挙の会場で、板野友美はドキュメンタリオブAKBという映画の中で、そして大島優子は年末の紅白歌合戦で卒業を宣言した。つまり、それぞれ違う場所を選んで発表してきたわけだ。たまたまなのか、緻密な計算によるものなのかは判らないが、それぞれ、自分で決めたことなのだろう。しかし、全国民の大多数に対してリアルタイムでのカミングアウトという手段は、四の五の言わず、あっぱれと云いたい。またそれを使うと考えた大島優子は、ちょっと古い流行語だが「今でしょ」の風を読み取る天才なのかもしれない。
次にどの大物がどこで卒業宣言するのかわからないが、これから幾つもドラマが産まれてくる。かつて、別のページで述べた様に「世代交代とは、するということではなく、していくもの」だ。
http://ameblo.jp/millimeter-wave/entry-11271556782.html
今後、益々多様化していく市場や時代のニーズに対し、AKB48がどの様なソリューションを提供していくのか楽しみである。