AKB48 恋するフォーチュンクッキー   - 疲れた大人たちへの応援歌 | プロムナード

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先に行われた総選挙で指原莉乃さんがみごと1位に選出され、晴れてセンターを務める新曲がこの「恋するフォーチュンクッキー、以下:恋チュンと略す」であるが、この曲、初動での販売枚数が歴代3位とかなんとかだそうだが、それはともかく、この作品はPVも含めて色々な意味で秀逸だと思っている。


イントロが70年代初めごろのイージーなディスコサウンド風で、懐かしいサウンドとなっており、当時ブイブイ言わせた世代はもとより、昨今のハウス系クラブサウンドに疲れた人達にもほっとさせるイントロとなっているのが楽しい。

今日び、とにかく周波数帯域が広く、しかもやたら可聴周波数帯域における高周波領域のエネルギーレベルが飛びぬけて高い電子音で、「ええぃ、まいったか」とでも言いたげなサウンドが蔓延っている中、この盆踊りに近いレベルのサウンドは、それでなくてもいい加減疲れ果てている耳に対し極めて牧歌的であり、まさしく「癒し系」の仕上がりとなっている。このご時世に、敢えてこういう音を選んだ秋元康氏の選球眼は、やはりさすがだ。


振り付けについても、今日のポップス界におけるそれは、まず一般人には真似できないような奇をてらう振り付けのものが多く、もちろん、それはビジュアル的に楽しめることでもあるのだが、そればかりだと演じるものと観るものとの間の乖離は広まる一方だ。それは如何なものか。

少なくともAKB48は老若男女に迎合させるというコンセプトに端を発しているのだから、恋チュンはまさしくそれに対する一つの解だと思う。

PVもまたいい。振り付けにパパイヤ鈴木を起用したということも、キャスティングとして見事すぎて、思わず膝を打つ。4000人にも及ぶエキストラを従えて踊りながら行進するという、ある意味今のAKB48でなければ成し得ない技を駆使して制作されているPVなのだが、これもまた「AKB48は一般大衆の一部である」という訴求の表現に成功しているといえよう。更に秀逸なのは、ダンスについてはまるで素人のスタッフが出演するYoutubeの映像。普段は黒子であって、決して表には出ない数々のスタッフを敢えて登場させ、作り手のメッセージとそれを伝達する立場、そのメッセージを受け取るというシステム総合してみると、

「送信・インターフェース・受信」というシステムは、実は一体化されたシステムなのだと訴求している。

        


これほど愉快な映像はなかったと思う。400万回以上の再生回数というのもうなずける。敷居の高さを感じさせないというコンセプトの延長上としても好感度が高い。

こういうサウンドだとセンターとしてのプレッシャーも相当に低減化されるし、指原莉乃さんが子ボス的にキャラ立ちしていることも含めて、人事としてもまずは成功だろう。大島優子さんや渡辺麻友さんを脇に据え置いているというポジショニングも、見ていて微笑ましい。

一方で、歌詞はきちんと応援歌の路線を逸脱していない。直接的には若い女性の片思い心情を描写している歌詞なのだが、それは飽くまでも仮の姿であり、

♪ 未来は そんな悪くないよ
ツキを呼ぶには笑顔を見せること
運勢 今日よりもよくしよう
人生 捨てたもんじゃないよね
あっと驚く奇跡が起きる ♪

とある。おそらく、相当に練った歌詞だと思える。歌詞だけ見ているとこそばゆさも感じさせるのだが、これと、先に述べた振り付けがシナジー効果を呼び、視聴者に元気を出させて余りある。

実質的に云えば、昨今の不況から未だ脱却できていない閉塞感に辟易している大人達に対して、このメッセージは、即ち「開き直りなさい」という提言なのだ。

事業や仕事、或いは人間関係でつまずくことも多い世の中。他人のアドバイスや忠告など、親身になってあげればあげるほど、当人がウザく感じることは多々ある。無理もない。所詮は他人なのだから、深層での心情など分かるワケがない。いきおい、結局のところ、自分で血路を見出さなければならないということが、ある意味アタリマエなのだ。であれば、むしろこういう歌で世界観とか価値観の様なもの示し、気分転換させてあげる方が、よっぽど効果的なのではないか。

つまり、四の五のいうマンツーマン的なコンサルやカウンセリングよりも漠然とした応援の方が、実は疲れた大人たちに対しては効力が高いと思うのだ。

最近、芸能界では様々なグループが活動しており、百花繚乱の様を呈し、しかも歌や踊りはもちろん、更には軽快なMC能力を携え、その流れは益々過激化しつつある。ビジュアル的に云えば、それはそれでいい。

しかし、その流れを見極めながら、敢えて生活臭が漂う路地に入り、人民の平凡な暮らしに溶け込んでいくというアンチテーゼ的な戦術、そこに秋元康氏が考える世界戦略が見え隠れして、大変興味深い.。

容姿端麗、頭脳明晰で、それこそ人工頭脳を胚胎するマネキン人形の様なタレントも悪くはない。しかし、半完成品をみんなで育てていくという作業。たとえ結果として容姿端麗、頭脳明晰にならなくても、それはそれでいいじゃないか。なにしろ自分が育てた娘なんだし。

そういう娘が、「未来はそんなに悪くないよね」そういって、笑顔を見せて健気に生きていけるのであれば、それ以上何を求めればいいのか。

報道によると、ジャカルタでもこの詩が訳されて同時発売されているという。

なるほど、という気がした。