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プロムナード

古いこと、新しいこと
いつでも、どこでも
思いつくまま、気の向くまま

3月22日~24日、東京ビッグサイトで開催された東京モーターサイクルショーにて、台湾メーカーから今後の電動バイク普及に於ける障壁克服の提案が展示されていた。

 

                    

 

電気自動車(EV)などのバッテリーによるモーター駆動車両の普及が遅々としている理由として、バッテリー駆動EV車両のエネルギー充電と、ガソリン型レシプロエンジン駆動車両のエネルギー充填との時間差や、インフラとしてのチャージスタンド整備が遅々としていることなどが、EVの普及を拒む問題の一つとなっていることはよく知られている。

その間、バイクの場合はバッテリー容量が小さくて軽いというメリットを活かし、台湾のKIMOCO(キムコ)が、昨年後半からガソリンの充填時間よりも短時間でエネルギー補充が可能なソリューションを訴求し始めた。それは、商用の電源系統からバッテリー充電を行うだけでなく、バッテリーそのものを交換する方法である。これは、家庭のアウトレットから100Vないし200Vで充電してもよいし、代替えのバッテリーが用意されているチャージスタンド(バッテリースタンド)で交換してもよいという、バッテリーの使用者がバッテリーを共同でシェアするという仕組み。つまり、バッテリーが切れそうになったらバッテリースタンドに置いてある満充電状態のバッテリーと交換する方法だ。バッテリーは交換しやすいようにモバイル型形状となっており、バイクの蓋を開けて取り出して交換するという作業のみであるため、ほんの数十秒でバッテリー交換が可能となる。バッテリー仕様を見ると、リチウムイオンの48V。13Aまで供給可能の様だ。この方法は、少なくとも電動バイクに対する現時点での最善策だと考えられる。また、バッテリースタンドの普及が進めば、ガソリン型を凌駕することもあり得そうだ。

       
                参考出品の電動バイクとバッテリー交換ステーション


上の写真左が電動バイクで、中央部分に見えるバッテリーには取っ手が付いていて簡単に脱着が可能である。右の写真はバッテリースタンドに用意されているバッテリー。ここにある充電済みのバッテリーと交換すればよいという仕組みである。交換後のバッテリーは、次のユーザー用としてスタンドで充電される。

キムコ(KYMCO)は台湾・高雄市三民区に本社を有するオートバイメーカーの一つで、主力製品は50〜700ccのスクーターだが、ATVやシニアカー、発電機の生産も行なっている。2018年現在、台湾国内で最も大きなオートバイメーカーであり、台湾国内の新車販売シェアは40%を超えている。同社によると、この電気バイクの販売台数は台湾南部にてバッテリースタンドの設置と共に着々と進んでいるという。今回の展示は、この様なソリューションがあるという訴求を行うために、日本でも参考展示を行ったとのことで、このスクーター型以外にロード型スポーツタイプの電動バイクとチャージステーションの展示も行っていた。

 

  

乃木坂46の妹分というかそんなのに「欅坂46」というグループがあり、さらにいろいろな事情から派生した「けやき坂46」というグループがある。欅とけやきを区別するために、「漢字欅」・「ひらがなけやき」と言い分けてはいるのだが煩雑なこともあるし、ひらがなの方は漢字の下部組織みたいなイメージを与えていることから、最近ようやく「ひらがなけやき」が改名され、「日向坂(ひなたざか)46」となった。何も知らない人が読むと何のことだかちっともわからないと思うが。

 

ところで、日向坂という地名は実際にある様だ。どうやら埼玉県にあるということを聞いたので、さっそくチェックし、現地検分を行ったのでここにメモっておこう。

 

場所は埼京線南与野駅の南西方向にある西堀というところで、埼京線のすぐ脇に流れる高沼用水西縁を標高最低値としてそこより小高く上った先にある「日向」という交差点を頂上とする坂が日向坂だ。尤も、坂と言っても前述の様に距離も短く高低差も小さいので坂とは気付かないかもしれない小さな坂である。ただし、交通量は比較的多かった。

 

 

位置:

埼玉県さいたま市桜区西堀8丁目21付近~埼玉県さいたま市桜区南元宿2丁目8付近まで

(Google Map 北緯35.861689, 東経139.630464~北緯35.861176, 東経139.628619)

 

日向坂全景

 

 

日向坂の標識

この写真にあるフリガナの様に、この坂の地名はひゅうざかではなく、グループ名称と同じ「ひなたざか」だ。

 

埼玉大学教育学部社会講座人文地理学、谷研究室によるWeb断面地図を基に計測すると、距離は200m、高低差は7.5mなので、傾斜角はarctan(7.5/200)=3.7°と、かなり緩やかである。

 

日向坂の断面

 

この坂の大きな特徴は、坂の両側が低くなっていて尾根の様になっていることだ。この地区、ミクロ的に見るとかなり複雑な地形となっている様である。


調べてみると、日向坂はここ以外にもある様だ。「ひなた」ではなく「ひゅうが」と読む坂もあるかもしれない。今はまだ誰も見向きもしない日向坂であるが、今後日向坂46という名前が知られてくる様になると、「聖地」として一度見ておこうとファンが訪れてくることも多くなりそうだ。それを見越して町興しよろしく、何かモニュメントなどを作るのもアリかもしれない。

JR西日暮里駅が開設する前、現在の駅があるあたりの真隣に、架道橋となっている線路と直交する道灌山通りに、単線貨物線の踏切があった。

西日暮里の踏切というと、今でも現役な常磐貨物線の踏切のことだと思われるが、ここで言う踏切は東北本線に沿う貨物線にあった単線の踏切のことで、もちろん、今は全く存在していない。

常磐貨物線については、かつてここで紹介した。

常磐貨物線  - 遠い記憶にある跨線橋と踏切
https://ameblo.jp/millimeter-wave/entry-12008832121.html

(なお、ここから先の記述は、貨物列車の進行方向は『日暮里方面から田端方面へ進む』方向にて記述)

西日暮里駅は1971年の開業で、少なくともその時にはこの貨物線と踏切は廃止となっており、既に約半世紀近く前のことなので、この踏切のことを記憶している人はだいぶ減ったと思う。小生はそれを記憶している一人だが、生きているうちに書き留めておくことにする。

これまで、この踏切についてWebや図書館資料などの色々な文献を探ってみたが、全く見当たらなかった。確かになんの特徴もないし、そもそも一日に数便程度しか走行しない貨物の単線なので、一般情報として記録されるような踏切ではなかったということだろう。


これまでにも様々な古い地図で確認してみたのだが、この周辺の記載についてはかなりラフに書かれており、地図上に実際の線路の数まは正しく書かれていない様で、当時の航空写真を見ても不鮮明なせいか踏切らしきものは見当たらなかったため、最近まで実地調査を諦めていた。

ところが、ついにこの付近の詳細な地図を見つけることが出来た。そこにはこの踏切やトンネルが明確に描かれているのである。それがこれだ。発行元は地理調査所で、発行年は昭和34年となっている。もちろん西日暮里駅開業よりずっと以前のことだ。

 

昭和34年「上野」より


この地図の現在の西日暮里駅付近をよく見ると、日暮里駅を通過した一番東側の線路が常磐線から分岐した後、東北線に沿って北へと伸びているのが見付かる。地図を拡大するとこうなる。

 

 

踏切付近の拡大図

 

 

東北線が道灌山通りのところで架道橋となっているのに対し、この一番東側の線路は架道橋(ガード)にはなっていないことが確認できる。つまり踏切だ。さらにそこを通った後、その先にトンネルがあることが明確に読み取れる。

 

別の地図を見てみよう。

 

 

このC地点が踏切、そこを通過した単線はA地点で東北線の下に潜り込み、Bで表に出てくることが明らかだ。

 

そこでこの地図を頼りに現地を視察してみることにした。当時、このトンネルの存在に就いてははっきりと記憶があるものの、その出口の事のことは全く分からなかったし、知る術もなかったので、とにかく現地に行ってみることにした。

これは、西日暮里駅の東側からJRの架道橋をみたもの。この架道橋の正式名称は間乃坂ガードという。



間乃坂ガード


調査に当たっては、この架道橋が西日暮里駅ができる前と同じ位置にあったのかどうかを調べる必要がある。もしそうであれば、踏切のあった貨物線はこの架道橋のすぐ横を通っていたことになるから、それが確認できれば遺跡の場所が特定できる。

西日暮里駅の架道橋はいくつか存在するため、どの架道橋の真横下に踏切があったのかを見極める必要があったのでこれらの架道橋の銘板を調べてみた。調査に当たって信頼できることは自分の記憶だけという状態であるし、この辺りは西日暮里駅の開設後も新幹線工事が行われたりなどと、多くの工事を経ているので架道橋がずらされたり、或いは架け替えされたという可能性もあるし、上の地図と同じ位置にあるとは限らないため、とにかく架道橋の施工に関する記載を探してみたところ、一番東側の架道橋に次の様な空頭標があった。

 


空頭標


これを見ると、昭和42年3月6日とある。西日暮里駅が出来たのは1971年、昭和46年だ。従って西日暮里駅開業よりもこの架道橋の方が古く、つまりこの場所は当時のままであるとしてよいだろう。小生の記憶ではこの架道橋のすぐ東側に踏切があったので、踏切の遺構の確認は、この架道橋のすぐ脇を探索すればよいことになる。

 

旧踏切先のさくら水産

 


この写真は架道橋のすぐ東側、貨物列車は日暮里駅を出てから赤い矢印の方向へと走っていたわけで、ここが踏切となっていたことを示す。その線路跡の上に、現在はさくら水産が営業しているということになる。

 

さすがにこの状態では遺構の確認は不可能なので、その店舗奥を調べてみた。すると、西日暮里五丁目町会会館の真後ろにコンクリートの壁が不必要に飛び出している箇所が確認された。これがそれだ。




西日暮里五丁目町会会館うらのトンネル跡


もちろん、この姿は開業当時のままではないと思うが、コンクリートの上に、白く塗られている箇所は如何にもトンネルを封鎖した後で塗ったようにも見える。場所的にも小生の記憶にある場所、すなわち踏切から見えた場所に近い所だ。

 

もしここがトンネルの入り口であったとすれば、これより先の道路沿いには何もないはずなので、このトンネル跡らしき場所から道灌山通りのさくら水産までを戻ってよく調べてみたのだが、残念ながら遺構らしきものは何も見つけることが出来なかった。

そこで、このトンネル入口らしき場所と踏切跡との位置関係を鳥瞰的に見るために、道灌山通を挟んで反対側にあるビルの踊り場へ行ってみた。そこから見たトンネルと思しき壁は、この様に見えた。如何にもトンネルを封鎖した様にも見える。

 


トンネル跡


これを見るとトンネル入り口から入った貨物線は、冒頭で示した地理調査所の地図に記載されている様に、短い距離だが東北本線の下を潜って反対側へと出ていると考えられる。

ここまでわかったのでグーグルマップで航空写真を確認してみた。確かにトンネルは弧を描いて東北線の反対側に出ている。

 

下の図は、上で紹介した昭和34年の地図にグーグルマップの航空写真を重ねたもの。

 

 

ピタリとあう。

 

これは、真上からトンネルの位置を赤線で示したもの

 

そこで今度はこのトンネルの反対側を確認してみた。ちょうど、新田端変電所2号棟の脇である。壁のコンクリートはかなり新しい様だ。

 



同じ場所のグーグルマップ航空写真

 


この新田端変電所は東京電力の田端変電所から154kV の地中2回線で受電し、新幹線への送電が主業務となる変電所で、竣工は2009年、運開は2010年と、かなり新しい。なるほど壁が新しいのはそのせいか。また、貨物列車が通るにはかなり狭い様だが、工事で狭くしてしまっているという説明はつく。


こうして、現在の西日暮里駅真横にあった単線貨物線の踏切から、東北線の下を潜り抜けるトンネルの在り処がわかったのだが、人々の記憶から淘汰されていく前に判明出来て、自分としては満足である。

尚、この踏切よりも日暮里駅側にもう一つ踏切があった。それは諏方神社から降りる地蔵坂の下、山手線や東北線の架道橋を超えたところにあった踏切で、道灌山通りにあった踏切が警手のいる遮断式の第一種踏切であったのに対し、この踏切は警報機も装備していない第四種踏切だった。実はこの踏切は小生らが子供の頃の遊び場の一つだったのだが、今は全く何の面影もなくなっている。今回も遺構を探してみたのだが何も見つからなかった。この踏切のことは人々の記憶とともに消えていくのだと思うと、ちょっと切ない。

 

【追記:2020年4月13日】

小生の実家から、このブログで書いた単線貨物線の、諏方神社地蔵坂下にあった踏切付近の撤去工事の写真が見つかったので、ここに記載しておく。

これは、坂を下りてガードを通り抜けた付近の写真で、正面に見えるのは、JR日暮里東京変電技術センターとその変電所だ。今はかなり様変わりしているし、この付近の写真は見たことがないので、貴重な写真ではないかと思う。線路が撤去された後が少し寂しい。

 

西日暮里諏方神社地蔵坂下、貨物単線撤去工事

乃木坂46、昨年から今年にかけて未曾有の卒業ラッシュがあり、今年だけでも8名が卒業、若しくは卒業発表をしている。一方、それを充填するためという理由も含め、急遽11名の4期生の加入が発表された。

もともと「清楚で育ちの良さげな子」というのが乃木坂46のウリなので、今回もその例に漏れることなく外観の偏差値は極めて高く、良し悪しはともかく正規分布にぴったりと収まる、いわゆる「ザ・乃木坂46」ともいえる子たちが集結した。

一方、予備知識なしで強烈なパワーを感じさせるという様な、見た目的な強烈な個性を持つ印象は薄い。ある意味、それが乃木坂46らしいコンセプトなのだといえばそうかもしれないのだが。

もちろん、強烈なインパクトがないということは決してマイナスなファクタではなく、むしろ1期~3期の先輩たちに対して、その存在を脅かすと言う様な危機感を煽ることがないということにもなるので、おそらく可愛がられる様になるだろうということが想像できる。

そもそも乃木坂46の場合は、コロシアムにて総選挙などといった手段を用いて仲間同士で戦わせ、それをショーとして観客に見せるといった様なAKB商法とは異なる商法をとっており、最初から同士で争う様なキャラは求めていないだろうから、自ずから「大人し系」の人材をパーソネルしたのだろうと想像出来る。

よって、「危なっかしくて、見てらんねー」的なところが当面の売りになりそうなので、同世代よりもむしろオジサン世代に愛でられそうな気がする。

そんな今日、お見立て会が開催された。小生は参戦していないが、いずれ色々な情報が出てくることだろう。

ところで、すでに顔写真は公式オフィシャルサイトで発表されているので、早速であるが、平均顔を「算出」してみた。


この平均顔は、作者である小生の趣味嗜好は全く入らず、淡々と足しこんで人数分で割っただけという数学的相加平均の結果なので、メンバー全員の要素が含まれていることが特長だ。

 


これを見ると、相当に癒し系の様相であり、運営の狙う「平和感」路線には沿っていると感じる。今後の活躍を大いに期待したい。

 

先日、埼玉県蓮田市にある郷土資料館に行ったのだが、縄文海進について時代的にとても詳しい図説があったので、それを基に関東平野の海進についてまとめてみた。

海進とは気候温暖化によって海面の高さが上昇し、海岸が内陸まで押し寄せてくる現象のことで、地質時代でいう第四紀のうち比較的最近起きた大きな海進としては縄文海進、またの名を有楽町海進が知られており、関東地方にある博物館や郷土資料館では、縄文時代の説明書きでよく見られる。

縄文海進は英語で「Jomon Marine Transgression」といい、最終氷期最盛期(LGM:Last Glacial Maximum)の終了後、約6000年前ごろの縄文草創期~前期に起きた海進である。層序年代で言うと、第四紀完新世のノースグリッピアンの時期だ。埼玉県では、この縄文海進の最盛期の貝塚として最奥部の篠山貝塚を始め、黒浜、大針、木津内、本郷、関山、幸田、水子といった貝塚が知られている。
各地質時代を下に示す。
因みにチバニアンというのは、日本語にすると「千葉時代」という世界共通の名称(予定)。いくつかの審査を経て、小生はこれに決まると信じている。

 

 

海進に対し、逆に海岸線が後退していくことは海退というが、海進から海退へと変化する変遷は、産出する珪藻類の化石が海水性から淡水性へと変わっていくことを観察することによって推察が可能だ。また、当時の海岸線に就いては遺跡として出現する貝塚の所在地によっても推測が可能だが、自然のままのマガキ礁の確認は貝塚にも増して海岸線を見極める極めて有効な手段である。なぜなら、マガキ礁は汽水域に形成されやすいことから海岸線の位置を示すと考えらえる上、礁となっているために死後移動があったとは考え難いからだ。

この海進海退のメカニズムは、単に気候の温暖化に伴って大陸にある氷床、例えば南極にある氷やアルプスにある氷河の様な巨大な氷の塊が融解し、海へと注ぎ込むことによって海面の水位が上がるということだけではなく、氷床が消滅することによって、マグマに浮かんでいる状態にある大陸の重量的な均衡バランスも関わってくるので、解析は大変複雑である。また、温暖化による海水の膨張も関係してくる。因みに、2000年から2010年の海面上昇率は、この海水膨張と陸上からの淡水流入(主に南極から)によって1~2㎜/年とされている。


色々な資料によると、海水位に就いては大体次の様になる。

  1.8万年前~2万年前    -100m
  1万年前               -40m
  7500~7000年前        -10m
  6500~5500年前         +4m
  5000年前               +2m


    
次の図は、郷土資料館に掲示されていた6500年前から4000年前までの海進海退の様子の一部を年代別に比較したものだ。

 

これを見ると、5500年前から5250年前までの250年の間の海退が大きく、群馬県板倉まで奥東京湾が食い込んでいたことがわかる。

 

海進に就いては参考文献があるが、海退についてはあまり見かけない。そこで海退の状態について調べてみることにした。

 

 

ちなみに、群馬県板倉ではこの様な貝塚が発見されているらしい(寺西貝塚:板倉町文化財資料館)。これは最も海進が進んで奥東京湾が群馬県まで食い込んでいた6000年前頃の貝塚だと思われる。

 

 

5500年前から5250年前までの250年間の間に、実際にどの程度海面が低くなったのかを調べるため、群馬県板倉から埼玉県春日部までの断面図を基にグラフ化してみた。

 

断面図に就いては、埼玉大学教育学部人文地理学 谷謙二研究室によるWeb断面図を用いた。

 

 

このA点が群馬県板倉、B点が埼玉県春日部である。

 

 

この図に海退推移を書き込むと次のようになった。実際の海岸線の場所がかなりラフなので誤差も大きいとは思うが、大体の傾向はつかめると思う。

 

 

まとめ:

6000年前から5500年前までの500年間で海面は1mさがり、5km後退。

5500年前から5250年前までの250年間で海面は5mさがり、13km後退。

5250年前から5000年前までの250年間で海面は1mさがり、7km後退。

 

これを見ると、5500年前から5250年前の250年間の海退はその前後の250年に比べると10倍も海退速度が早く、海面は5m低くなったことがわかる。

 

通常、気温上昇が生じると陸上にある氷床が溶解して海へ流れ込むので、早い速度で海面が上昇するが、逆に気温の降下が生じた場合は、降雪などによる氷床の形成に長い時間を要するため、海退速度は遅いとされている。しかし、この奥東京湾の海退を見る限りでは、ずいぶん早い速度で海退が進んだように見えるのが興味深い。

 

参考文献:

井関 弘太郎 沖積平野、東京大学出版会

日本第四紀学会 日本の第四紀研究

日本第四紀学会 地球史が語る近未来の環境

 

展示資料:

板倉町文化財資料館

埼玉県立歴史博物館

さいたま市立博物館

蓮田市郷土資料館

伊奈町郷土資料館

 

 


 

関東平野を流れる川、荒川は秩父山系を水源として東京湾に注ぐ。一方、利根川は群馬山系を水源とし、太平洋に注ぐ。この二つの川だが、その流路は現在と比べると大きく異なっていた。特に大きく変わったのは利根川だ。かつて、利根川は太平洋ではなく東京湾へ注いでいた。江戸時代、幕府は下流領域で発生する水害を回避させるために利根川を途中で分断し、北から流れてくる鬼怒川水系と連系させて太平洋へと流し込ませ、分断された残った旧利根川を古利根川として東京湾に流れ込ませたそうだ。

もともと、関東平野と言う土地は日本最大の平野でもあり、住民たちは古(いにしえ)の時代から何処でも見られる平坦な土地ならではの「カオス的な河川流路の変動」という問題と戦ってきた。平坦であればあるほど、水はほんの少しでも高低差があればその違いを見つけて流れる。さらに水量によっては過去の流路が破壊され別の流路ができる。これにより、予想すら困難な水害が発生するのだ。時の幕府の計画は、これを回避しようという作戦であった。

実はこの大工事、もう一つの大きな目的があったという。荒川治水資料館で説明員の方に聞いたところによると、それは太平洋での漁獲を水路を使って上流へと運搬、古利根川や荒川流域にある広大な農地へ肥料として提供することであったそうなのだ。この方法、すなわち水路を用いて運搬する方法は、太平洋漁場での収穫を陸路を使って農地へと運搬するのに比べて遥かに迅速で経済的であった。なるほど、数年に一度発生する水害を回避することはもちろんであるが、経済効果を狙う方が治水目的としての優先度はきわめて高かったのではないかと推測できる。利根川の流路変更は、まさに一石二鳥の妙案であったわけだ。

一方、荒川も同じく平坦な関東平野を流れる川だから、利根川同様に幾度となく水害をもたらした。江戸時代、荒川は熊谷付近から荒川と現在の元荒川に別れ、入間川や新河岸川と合流して東京湾に注ぎ込んでいた。とにかくこのあたりは広大で平たんな土地であるので流路はクモの巣状態であり、ほんの少しの高低差で流路が変わる状態でもあったので流路は決して一定ではなかった。そのため、かつては荒川が先に述べた東京湾へと注ぐ利根川の支流であったこともあるという。

小生の出身地は東京の荒川区だったのだが、荒川区に関して恥ずかしながら大人になるまで知らなかったことがあった。それは、荒川区というところは隅田川に沿って区画されているものの、荒川区はその名前の所以とも想像される河川の荒川とは、接点が全くないということだ。この事実、同じ荒川区に住んでいても、台東区や文京区に近いところに住んでいる住人には、知らない人も多くいるようで、テレビなどでのクイズ番組などでも取り上げられることがあるほどなのである。

では何故荒川区と呼ぶのか。実は荒川区が接している川、即ち隅田川は、かつての荒川だったからだ。では現在の荒川とは一体何なのか。現在の荒川、実はこの河川は人工河川なのだ。

そういえば小生が小学生の頃には、荒川の正式名称は「荒川放水路」だった。地図にはそう記載されている。しかし当時の大人はみな「荒川」と呼んでいた。その辺りが誤解の発端なのだろう。とにかく今の荒川のうち、赤羽より下流の荒川と呼ばれている川は人口の川、荒川放水路なのである。そして旧荒川が現在の墨田川なのだ。

この荒川(荒川放水路)と墨田川の分岐点に岩淵水門という大きな水門がある。この水門については諸所で紹介されているので、ここではこの水門を潜るミニクルージングツアーについて紹介しておこう。

 

 

荒川岩淵水門

 

岩淵水門ミニクルージング


荒川下流河川事務所による「水辺フェスタ赤羽岩淵」が毎年開催されるのだが、その時、専門ガイドボランティア付きで岩淵水門を潜るミニクルーズというのがある。水門の下を潜るというのは、やっていることは地味ではあるが、普通に経験できないことなので乗船してみた。

これがなかなか楽しい。クルージング中はボランティアのガイドが水門以外にもこの近辺にある河川施設などを紹介してくれるので、勉強になった。

ところで、この水門付近も汽水域だという。そういえば墨田川にそそぐ石神井川ですら、王寺駅付近は感潮領域だということは下記で紹介したが、ここ岩淵水門付近も汽水というのは驚きだった。下船後、荒川治水資料館で話を伺ったところでは、さらに上流の秋ヶ瀬取水堰辺りも汽水だそうだ。

 

石神井川の下流は感潮域 - 意外と低い、都内北区の海抜

https://ameblo.jp/millimeter-wave/entry-12302146212.html

 

 

 

荒川治水資料館より



関東平野は広く平坦な土地だ。海から相当離れていても十分に干満調の影響を受ける。洪水とか津波とか、そういった単発的な水害は人類の「腕力」によってある程度は回避可能だろうが、数千年というスパンで考えると、間氷期であった縄文海進の頃には関東平野の多くは奥東京湾という海の一部だったわけだから、今後長い年月が経って地球が再び温暖化すれば、このあたりもまた海に戻るのだろう。地質時代的な年月からすれば人類誕生の数100万年も最近の出来事なのだから、この数千年というのは極めて短い期間だ。地球歴史からすれば、もうまもなく関東平野も再び水没していくのだろう。クルージングをしながら、そんなことを考えてみた。

 

注: 本投稿はその後改訂版があるので、2021年3月21日の最新版もご参照ください。最新版ではRGBWタイプの評価データも併せて記載してあります。

 

 

今やコンサートの必携品となったサイリウム。液体式のサイリウムはコンサートで使用禁止の場合が多くなり、最近はもっぱらペンライトをサイリウムと呼ぶようだが、いずれにせよこれがあるとないとでは、参戦気分がかなり異なってくる。そこで、いざ戦場に出て、このライトサーベルともいうべき戦士たちの聖剣が使えないという状況を未然に防ぐための事前準備とメインテナンスに就いてまとめておく。

1.参戦に先立ってスイッチ開閉を何回か繰り返してスイッチ電極の擦り合わせをよくしておく。発光色切り替えスイッチ部分が接触不良を起こすことがある。

1. 電池交換時には、必ず総て新しい電池に交換し、古い電池を混ぜないこと。古い電池は劣化が進んでいるので起電力が落ちる。その様な電池を新しい電池とつなぐと古い電池は新しい電池から見て負荷抵抗となり、そこへ電流を流し込むので異常発熱を起こしたり液漏れが生じることがある。

2.  充電池は使わない。通常のサイリウムは電池三本を電池ケースの中で直流接続するタイプが主流なので、1.5Vの新品乾電池であれば三本で4.5Vとなるが、ニッケル水素などの充電池の起電電圧は乾電池と比べて1.2Vと低いので三本で3.6Vとなる。この差は1V近くある。使用時間の経過に伴って電圧は降下していくが、当初の電圧が低いと消灯するまでの時間は短くなる。

3. アルカリ電池とマンガン電池、充電池など、種類の異なる電池を混ぜて使わず、全て同じタイプの乾電池を使う。乾電池は1.5V、充電池は1.2Vなので、当初から電圧が異なる。上記1と同様に各電池によって電圧が異なると、混在して使用した場合に液漏れしたり異常発熱の原因となることがある。

4. 乾電池と接触する電極は、電池を入れる前に磨いておく。乾電池との間で接触不良が生じると接触抵抗値が上がり、流れる電流が小さくなってしまうので元々の色と異なった色で発色してしまうことがある。最悪の場合にはLEDが点灯しなくなる。


5. 参戦に当たっては事前に新品の予備電池を用意し、開演前に包装紙から出しておくこと。包装紙が意外と硬くてなかなか破けないこともあり、力を入れて引っ張ったりすると落としてしまうこともある。会場で落ちた乾電池を拾うのは至難。


6. 暗闇でも電池の交換が出来る様に、電池ボックスの開閉方法や電池の挿入向き(+/-)をよく確認しておき、目を閉じていても電池交換できる様に練習しておく。開演後は客席が暗くなるので、暗闇での交換作業は意外と手惑うものである。


7. 戦場から帰投したら必ず電池を抜く。ヘタった電池を入れっぱなしにしておくと液漏れを起こし、電池のみならずサイリウム側の電極や本体内部まで腐食させてしまうことがある。こうなると、修復不可能になることも多く、この様な電池の自爆テロを未然に防ぐためも電池は入れっぱなしにしておかないこと。

8. 雨のライブに参戦した後などには、本体に雨水が浸透していることがあるので、必ず乾燥させる。雨水は様々な電解質を含んでいるので、佳くふき取ることが大切である。また、電池の電極はたとえ濡れていなくても良く拭いておく。

9.雨が想定されるライブとなった場合には、電池ボックスと発色切り替えスイッチ部分を透明なビニールテープなどで蓋をする。電池ボックスはある程度浸水防止になっている場合があるが、封印をしておけば安全である。また特に盲点なのがスイッチ部分で、ここから浸水すると内部でショートしたりすることがあるので厳重に防滴処理をしておきたい。また、本体をサランラップで巻いておくのも効果的である。


以上の他、以前まとめた電流電圧の時間軸変動、各色別V-I特性、RGBのV-I特性、そして新たに乾電池と充電池の持続時間を貼っておく。これらの値はすべて小生が実測したもので、どこかから拾ってきたデータではないから出所の信頼性は高いのだが、何分にも自作の電圧電流計測器での計測結果なので、うのみにしないという前提にてご参考程度に。



色別電流値

 

色別V-I特性

 

RRB別V-I特性

 

V-I特性の経時変動

 

 

充電池と乾電池の電圧経時変動

 

実験に用いた自前測定器


これ等のデータから大雑把に、

1. 消費電力が最も大きいのは白。RGB(赤、緑、青)のすべてを混色して生成するからだろう。
2. 消費電力が最も小さいのは青。ただし、電圧降下に伴って一番最初に消灯する。これはエネルギーのバンドギャップ準位を見ればわかる(詳細は別の機会に)。
3. 充電池は点灯後1時間40分ぐらいまでは電圧を保つが、それ以降の電圧降下は大きい。満充電の時の馬力はあるが、その後のヘタレは大きいというところだろう。

 

最後に乃木坂46メンバー別サイリウム電流値を貼っておくので、これを基に曲間では消灯させるなどの対応の参考にするとよいだろう。

 

北海道で胆振東部地震という大きな地震があり、北海像全域で大規模停電が発生した。その原因は、「地震発生時点での需要の約半分である165万kWを発電する洞内最大火力発電所である苫東厚真発電所が地震によって停止したため、ドミノ倒し的に停電が発生しからだ」と説明されている。

こんな説明で理解できる人、どれくらいいるのだろうかと思った。「要は過負荷によるものだろう」程度は理解できると思うが、そのメカニズムについてもう少し詳しく説明してもいいのではないだろうか。というか、説明する側もあまり詳しくは判らないまま報道しているという気がしないこともない。

これを詳しく理解するためには発電に関する知識が不可欠なのだが、簡単に言えば、「大黒柱的な発電機が停止してしまったために、その仕事が突然他の発電機に無茶振りしようとした。ところが、振られた先の発電機はそんなにたくさんの仕事をこなせる能力はないので、振られるとソッコーでパンクしてしまう。パンクは設備の故障や破壊をもたらすので、むちゃぶりされた仕事は無条件で断った。つまり死んだふりをした。この行動がすべての発電所に伝染し、総ストライキよろしくみんな動かなくなってしまった」ということだ。

ここでのキーワードは過負荷によるパンクであるが、正確に言うと過負荷となって発電機の周波数が落ちるということだ。この辺りは報道でも述べられていたが、しかしなぜ周波数が落ちるのか、またなぜ周波数が落ちるとヤバいのかまで言及した報道はあまり見かけなかったように思う。
これが理解できないと、聞いている方は煙にまかれたような気になってしまう事だろう。

このメカニズムは、このように説明できる。

例えば三人掛けで漕ぐ自転車があったとする。三人が力を合わせてきちんと同期を取って漕いでいれば、一人ひとりの負荷は小さくてすむ。ところが、このうちだれかが突然漕ぐのをやめたとすると、その人の仕事は他の二人へと割り勝てられる。その結果、その二人はより一層の力を振り絞って漕がなければならないのだが、それまでかなり限界に近いところで漕いでいたとすると新たに発生した仕事をこなすとなると、これはもう無理で、その結果力が付きて漕ぐ速度が落ちてしまう。これが周波数が落ちるという原理だ。

もともと、商用電源の周波数、50Hzとか60Hzとかいうあの周波数というのは、発電機の回転速度のことだから、もしその速度が落ちれば、そのまま電源周波数が落ちてしまうことになる。

すると、他の発電所の周波数と同期が取れなくなり、連系されている発電機間の瞬間電圧がバラバラになってしまう。これは大変危険なのだ。なぜなら、電圧は高いところから低い方へ流れるために、電圧の同期が取れていないと高い電圧を発生している発電機から低い電圧を発生している発電機に逆潮流してしまうからだ。乾電池の様な直流電源は、電圧値が同じであれば並列接続することによって、より多くの電流を供給することが可能となるが、交流は、実効値や最大最小値が同じであっても、位相が異なったり周波数が異なる場合の2つの電源は並列につなげてはいけないのである。

かつて米国などでこの現象、即ちブラックアウトが生じたことから、国策としてスマートグリッドというネットワークの構築が進み、電力消費の高効率化を図るのみならず危機管理面でもインフラ整備が進んでいるが、日本は元々ネットワークがきちんと整備されているので、いまさらスマートグリッドなんぞで騒ぐ必要はない、などと言われてきた。しかし、今回の体たらくでその脆弱さがものの見事に露呈してしまったようだ。

 

 


発電所の連系は大変必要なことだ。しかし、それだけでいいのだろうか。地震発生地域はすぐにの復帰は物理的に難しいとは思うが、離れた地域もその犠牲になるというのは連系の負の副産物だ。これを打開するには地産地消としての電力生成が必要だろう。

北海道といえば、温泉の数も火山の数も多い。つまり火山島なのだ。といえば地熱発電。そもそも我が国は米国、インドネシアに続く世界第三位の地熱資源国なのだから、これを利用しない手はない。これまでの開発障害は温泉地保護と国立公園法だった。しかし、四の五の言っていられない状況がある。温泉街も公園も電気供給があって初めて成り立つ。不毛な議論を重ねているうちに、千島海溝という巨大地震の常襲地帯が暴れ出す。そこで発生するしゃれにならない津波を鑑みて福島原発に防波堤を築くことを始めているというが、そんな津波が来たら海岸付近にあるのが定法な火力発電所は水没してしまう。一方、地熱発電所は海岸というより山に建設されるから津波の影響は少ないだろう。地熱発電所にはそんなアドバンテージもあると考えられる。

一方太陽光は風力はどうか。北海道にはあまり台風は来ないし、来たとしても一度他の地方で上陸して勢力が収まった後だから、大きな被害は少ないようだが、それでも突風が吹き荒れれば太陽光パネルの損傷も大きいだろう。風力発電は先日の台風で倒れたケースがある。どれも自然相手で不安定なことだけじゃなく、建造物も不安定なのだ。

今こそ、地熱やバイナリの発電所を見直すべきだと、考える。

2014年の6月に大島優子がAKB48を卒業して以来、小生的には嗜好がAKB48から乃木坂46へとシフトしているのでAKB48の動きや人事関係は疎くなっているのだが、そんな中で先週、前田敦子の電撃結婚が報道された。

さすが初代女王、この知らせに国会議員の枝野氏もスピーチの中で祝福を述べたというから、当然といえば当然だが前田敦子の知名度は半端ない様だ。因みに、報道の中には「マエアツ、結婚」なるタイトルもあり、調べてみたらマエアツということば、すでにWikipediaにも登録されているしググってもきちんと「前田敦子のこと」と出てくる。

 

AKBグループぐらいの規模になると、2018年8月1日時点で日本国内だけで384人、日本国内外すべて合わせれば597人のメンバーが所属しているそうで、それに卒業生を加えると800人を超える規模のグループとなるらしいが、その初代女王であり2012年の卒業までずっとセンターとしてのポジションで活動していたのだから、卒業後もその影響力は多大なものであることは想像に難くない。現役当時、週刊誌ネタになるような不祥事がなかったこともあって潔癖アイドルであったともいえるのだが、さすがにトップともなれば当然アンチも多く、第三回目の総選挙にて一位に返り咲いたときのスピーチ、「わたしのことは嫌いでも、AKBの事は嫌いにならないでください」は、名セリフとして伝説になっている。

 

思い起こせば、2012年の卒業当時、アキバの街は町中が卒業祝福モードだった。秋葉原駅には写真の様なポスターが貼られ、至る所にポールが立っていた。その後のメンバー卒業の時にはこの様な光景を見ないので、前田敦子が最初で最後だろうと思う。そして、そのあとの初東京ドームコンサートは、同時に前田敦子の卒業ライブともなったのだ。

 


前田敦子卒業直前の秋葉原駅前

 

AKB48 in TOKYO DOME~1830mの夢 東京ドーム

 

そんなことを思い出し、久しぶりに東京ドームのBD、「AKB48 in TOKYO DOME~1830mの夢」を聞いてみた。実を云うと、小生はこのライブ、チケット取れずに音漏れ参戦だった。その時のことは、次の所へ投稿した。

 

https://ameblo.jp/millimeter-wave/entry-11342066617.html?frm=theme

 

さて、この東京ドームコンサート、音源はジャケット箱に記述されている様にDTS-HD 5.1chであるが、これはDTS(Digital Theater Systems)が開発した可逆圧縮オーディオコーデックによるサラウンドだ。

 

BD外箱の記載

 

BDで採用されている高音質規格は、DVDから踏襲されているリニアPCM、ドルビーデジタル、DTデジタルサラウンドの他、ドルビーデジタルプラス、ドルビーTrue HD、DTS-HDハイレゾオーディオおよびDTS-HDマスターオーディオがあるが、これらのうち、「AKB48 in TOKYO DOME~1830mの夢」は48kHz/24bitのDTS-HDマスターオーディオ5.1ch。5.1chだから、LR及びセンターの他、後ろのLRと0.1ch、つまりスーパーウーファがサポートされているので、録音をどこで行ったかは分からないものの、普通に考えてアリーナ席の真ん中くらいにいるという感じにライブの臨場感は得られるようになっている。

 

ところで、これを聞きながらふと気づいたことなのだが、このAKB48の東京ドームライブは5.1ch音源であるのに対し、乃木坂46の『真夏の全国ツアー2017 FINAL!』東京ドームライブは、単なるLR の2chステレオなのだ。

 

真夏の全国ツアー2017 FINAL! 東京ドーム
 

BD外箱の記載

 

従って、乃木坂46の東京ドームライブをサラウンドとして再生するためには、BDからデジタル音声のSPDIF信号を光デジタルケーブルを用いてTOSLINKの様なコネクタでAVレシーバ(アンプ)に伝送し、アンプ内部にて疑似的に5.1chにコンバートさせて再生させる必要があるのだ。もちろん、これらの作業はすべてAVレシーバ内部にて行われるのでユーザーは何もしなくて良いのだが、ライブ会場は元々ワチャワチャしている会場なので疑似でも十分臨場感は得られるとはいえ、リアルな5.1chではないことは如何なものかという気がする。

 

これはどういう理由によるものだろうか。すぐに思いつくことはコスト削減なのだが、リアルの5.1chと疑似の5.1chとではアイドルコンサートの様な音源の場合にはさほど差が出ないとはいえ、そもそも音源データとして存在していなければ疑似なものしか再生できないことになる。

 

今後音源としてずっと残しておくということを考えれば、5.1chの音源での録音は必須だろう。そしてその提供を望みたいところだ。ライブ参戦の醍醐味は何といってもその音量と臨場感だ。それを再現しようというのであれば、本当の臨場感を作ることは必須だろう。観客のコールも、ライブならではのもの。それが本当に自分の後ろから聞こえてくれば、臨場感としては最高のものが再現されると思う。

 

 

 

 

 

先日、大阪で大きな地震があった。鉄道関係もこの影響で運転中止や見合わせなどが相次ぎ、駅では大混乱が生じた。乗客の中には、日本へ旅行に来ている外国人も多数いた。鉄道会社は、彼らを正しく誘導することができたか。そもそもその仕組みが確立されていたか。そしてその方法が正しく検証されていたか。

 

国際化をもくろみ、海外からの観光客を呼び込むことを政策とするならば、日本人の思い込みではなく外国人の立場で見て用意すべきことはまだたくさんあるのではないか?

 

例えばこんな例がある。

 

駅名について、駅案内を日本語と英語の両方で車内放送するようになって久しい。国際空港へ向かうモノレールなど、場所によってはそれに加えて中国語や韓国語での放送も多くなった。国際化を鑑みるうえでは、いいことだと思う。ちなみに、グリーン車の料金についてのアナウンスが、日本語では「車内で買うと料金が異なる」と伝えているのに対し、英語では「車内で買うと高い」とはっきり伝えていた時期があったのは結構印象的だったものだ(現在は両方とも「異なる」とだけしか言っていない)。

 

この程度のことであれば、混乱するとをきたすというほどはなさそうだが、何か中途半端なアナウンスも散見されるのだ。

 

一つ例を挙げよう。

 

埼玉県の大宮駅を発着駅とする埼玉新都市交通という鉄道があるが、この中の一つに「鉄道博物館」という名前の駅がある。かつては「大成」という駅名だったが、鉄道博物館が開館してから駅名を鉄道博物館と改名した駅だ。今でも鉄道博物館という駅名表示の下に(大成)と書いてある。

 

この鉄道博物館、元々は秋葉原に合った交通博物館のうちの鉄道関係を踏襲したもので、首都圏にある鉄道関連の博物館としては規模も大きく、鉄道ファンならずとも大いに楽しめる施設であり、連日多くの客が訪れる博物館なのだが、問題は新都市交通における日本語と英語の社内アナウンス、そしてなんといってもその駅名表記だ。

 

電車の中での次駅紹介に関する英語のアナウンスを聞いていると、鉄道博物館のことをRailway Museumと紹介している。ところが、駅に到着した時の駅構内でのアナウンスは「鉄道博物館」、つまりTetsudo Hakubutukan

 

日本語が全く分からないに外国人にとって、電車の中での駅名の判別は耳に聞こえるアナウンスだろう。したがって、次駅はRailway Museumという駅と思うだろう。しかし、実際に到着した時の駅構内アナウンスはなんと、Railway MuseumではなくTetsudo Hakubutukanなのだ。

このRailway MuseumTetsudo Hakubutukanこの二つが同じであると判るのは日本語と英語の両方を理解している人だけだろう。車内におけるアナウンスを聞いた外国人が「次の駅はRailway Museumと聞いていても、駅に到着した時の駅構内アナウンスがTetsudo Hakubutukanだったら、混乱することは想像に難くない。

 

また、駅名表示もまちまち。

 

 

大宮駅の券売機のところでは、大宮駅の次駅である鉄道博物館駅はRailway Museumだが、駅構内にある次駅表示にはTetsudo Hakubutukanの表示。

 

 

一方、駅柵にある次駅表示はRailway Museum

 

 

そして実際に鉄道博物館にある標識はTetsudo Hakubutukanなのだ。

 

 

この英語表記を見れば、この一貫性のない表示の異常性が理解できるだろう。

 

切符を買ったときは大宮駅の隣駅であるRailway Museum行きとして買ったはずだが、その駅の表示をRailway Museumと書いてあるところもあるし、Tetsudo Hakubutukan と書いてあるところもあるのだから混乱するはずだ。

 

日本語がわからない外国人に、Railway MuseumTetsudo Hakubutukan という二つの駅がある様に思われても不思議はない。

 

日本人が海外旅行で鉄道に乗った時、日本語のアナウンスが「次は鉄道博物館」だったので、そこで降りようとしたとき、到着時のアナウンスが全く違う名前だったらさぞかし狼狽するだろう。同じだと判るには両方の単語を理解していなければならないのだ。

 

この様な事が結構見られる。日本語をなまじっか英語に訳してしまうと、かえって混乱する。日本語の名前はそのままにすべきだろう。

我々が普通に使っている単語をそのまま伝えるべきだと、考える。

 

この程度のことは些細な事かもしれない。実際に外国人がこのことで混乱して問題になったということはこれまでなかったかもしれない。だから表示の改訂がされていないのかもしれないが、決して良いことではない。口に出して言わないだけかもしれないのだ。

 

こういうことをきちんと整備することこそが「おもてなし」であるし、日本人らしいきめ細かいサポート能力を発揮するところだろうと考える。