JR西日暮里駅が開設する前、現在の駅があるあたりの真隣に、架道橋となっている線路と直交する道灌山通りに、単線貨物線の踏切があった。
西日暮里の踏切というと、今でも現役な常磐貨物線の踏切のことだと思われるが、ここで言う踏切は東北本線に沿う貨物線にあった単線の踏切のことで、もちろん、今は全く存在していない。
常磐貨物線については、かつてここで紹介した。
常磐貨物線 - 遠い記憶にある跨線橋と踏切
https://ameblo.jp/millimeter-wave/entry-12008832121.html
(なお、ここから先の記述は、貨物列車の進行方向は『日暮里方面から田端方面へ進む』方向にて記述)
西日暮里駅は1971年の開業で、少なくともその時にはこの貨物線と踏切は廃止となっており、既に約半世紀近く前のことなので、この踏切のことを記憶している人はだいぶ減ったと思う。小生はそれを記憶している一人だが、生きているうちに書き留めておくことにする。
これまで、この踏切についてWebや図書館資料などの色々な文献を探ってみたが、全く見当たらなかった。確かになんの特徴もないし、そもそも一日に数便程度しか走行しない貨物の単線なので、一般情報として記録されるような踏切ではなかったということだろう。
これまでにも様々な古い地図で確認してみたのだが、この周辺の記載についてはかなりラフに書かれており、地図上に実際の線路の数まは正しく書かれていない様で、当時の航空写真を見ても不鮮明なせいか踏切らしきものは見当たらなかったため、最近まで実地調査を諦めていた。
ところが、ついにこの付近の詳細な地図を見つけることが出来た。そこにはこの踏切やトンネルが明確に描かれているのである。それがこれだ。発行元は地理調査所で、発行年は昭和34年となっている。もちろん西日暮里駅開業よりずっと以前のことだ。
昭和34年「上野」より
この地図の現在の西日暮里駅付近をよく見ると、日暮里駅を通過した一番東側の線路が常磐線から分岐した後、東北線に沿って北へと伸びているのが見付かる。地図を拡大するとこうなる。
踏切付近の拡大図
東北線が道灌山通りのところで架道橋となっているのに対し、この一番東側の線路は架道橋(ガード)にはなっていないことが確認できる。つまり踏切だ。さらにそこを通った後、その先にトンネルがあることが明確に読み取れる。
別の地図を見てみよう。
このC地点が踏切、そこを通過した単線はA地点で東北線の下に潜り込み、Bで表に出てくることが明らかだ。
そこでこの地図を頼りに現地を視察してみることにした。当時、このトンネルの存在に就いてははっきりと記憶があるものの、その出口の事のことは全く分からなかったし、知る術もなかったので、とにかく現地に行ってみることにした。
これは、西日暮里駅の東側からJRの架道橋をみたもの。この架道橋の正式名称は間乃坂ガードという。
間乃坂ガード
調査に当たっては、この架道橋が西日暮里駅ができる前と同じ位置にあったのかどうかを調べる必要がある。もしそうであれば、踏切のあった貨物線はこの架道橋のすぐ横を通っていたことになるから、それが確認できれば遺跡の場所が特定できる。
西日暮里駅の架道橋はいくつか存在するため、どの架道橋の真横下に踏切があったのかを見極める必要があったのでこれらの架道橋の銘板を調べてみた。調査に当たって信頼できることは自分の記憶だけという状態であるし、この辺りは西日暮里駅の開設後も新幹線工事が行われたりなどと、多くの工事を経ているので架道橋がずらされたり、或いは架け替えされたという可能性もあるし、上の地図と同じ位置にあるとは限らないため、とにかく架道橋の施工に関する記載を探してみたところ、一番東側の架道橋に次の様な空頭標があった。
これを見ると、昭和42年3月6日とある。西日暮里駅が出来たのは1971年、昭和46年だ。従って西日暮里駅開業よりもこの架道橋の方が古く、つまりこの場所は当時のままであるとしてよいだろう。小生の記憶ではこの架道橋のすぐ東側に踏切があったので、踏切の遺構の確認は、この架道橋のすぐ脇を探索すればよいことになる。
旧踏切先のさくら水産
この写真は架道橋のすぐ東側、貨物列車は日暮里駅を出てから赤い矢印の方向へと走っていたわけで、ここが踏切となっていたことを示す。その線路跡の上に、現在はさくら水産が営業しているということになる。
さすがにこの状態では遺構の確認は不可能なので、その店舗奥を調べてみた。すると、西日暮里五丁目町会会館の真後ろにコンクリートの壁が不必要に飛び出している箇所が確認された。これがそれだ。
もちろん、この姿は開業当時のままではないと思うが、コンクリートの上に、白く塗られている箇所は如何にもトンネルを封鎖した後で塗ったようにも見える。場所的にも小生の記憶にある場所、すなわち踏切から見えた場所に近い所だ。
もしここがトンネルの入り口であったとすれば、これより先の道路沿いには何もないはずなので、このトンネル跡らしき場所から道灌山通りのさくら水産までを戻ってよく調べてみたのだが、残念ながら遺構らしきものは何も見つけることが出来なかった。
そこで、このトンネル入口らしき場所と踏切跡との位置関係を鳥瞰的に見るために、道灌山通を挟んで反対側にあるビルの踊り場へ行ってみた。そこから見たトンネルと思しき壁は、この様に見えた。如何にもトンネルを封鎖した様にも見える。
これを見るとトンネル入り口から入った貨物線は、冒頭で示した地理調査所の地図に記載されている様に、短い距離だが東北本線の下を潜って反対側へと出ていると考えられる。
ここまでわかったのでグーグルマップで航空写真を確認してみた。確かにトンネルは弧を描いて東北線の反対側に出ている。
下の図は、上で紹介した昭和34年の地図にグーグルマップの航空写真を重ねたもの。
ピタリとあう。
これは、真上からトンネルの位置を赤線で示したもの
そこで今度はこのトンネルの反対側を確認してみた。ちょうど、新田端変電所2号棟の脇である。壁のコンクリートはかなり新しい様だ。
同じ場所のグーグルマップ航空写真
この新田端変電所は東京電力の田端変電所から154kV の地中2回線で受電し、新幹線への送電が主業務となる変電所で、竣工は2009年、運開は2010年と、かなり新しい。なるほど壁が新しいのはそのせいか。また、貨物列車が通るにはかなり狭い様だが、工事で狭くしてしまっているという説明はつく。
こうして、現在の西日暮里駅真横にあった単線貨物線の踏切から、東北線の下を潜り抜けるトンネルの在り処がわかったのだが、人々の記憶から淘汰されていく前に判明出来て、自分としては満足である。
尚、この踏切よりも日暮里駅側にもう一つ踏切があった。それは諏方神社から降りる地蔵坂の下、山手線や東北線の架道橋を超えたところにあった踏切で、道灌山通りにあった踏切が警手のいる遮断式の第一種踏切であったのに対し、この踏切は警報機も装備していない第四種踏切だった。実はこの踏切は小生らが子供の頃の遊び場の一つだったのだが、今は全く何の面影もなくなっている。今回も遺構を探してみたのだが何も見つからなかった。この踏切のことは人々の記憶とともに消えていくのだと思うと、ちょっと切ない。
【追記:2020年4月13日】
小生の実家から、このブログで書いた単線貨物線の、諏方神社地蔵坂下にあった踏切付近の撤去工事の写真が見つかったので、ここに記載しておく。
これは、坂を下りてガードを通り抜けた付近の写真で、正面に見えるのは、JR日暮里東京変電技術センターとその変電所だ。今はかなり様変わりしているし、この付近の写真は見たことがないので、貴重な写真ではないかと思う。線路が撤去された後が少し寂しい。
西日暮里諏方神社地蔵坂下、貨物単線撤去工事













