子供の残虐性は通過点  - 虫を殺して知る生命の尊さ | プロムナード

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小生、アスファルト上の道端に成虫だろうが幼虫だろうが、とにかく虫が這っているのを見ると、瞬時に拾い上げて近くの叢へと放つ。ひょっとすると虫はアスファルトの上を歩きたかったのかもしれないが、だからと言ってそのまま蠢いていれば人や車に轢かれたり、あるいは目的を成就することなく干からびたりする可能性が高いし、いきおい、生存する確率は叢の方が高いと思えるので、いらぬお世話かもしれないのだができるだけそうしている。

そういう事をするとき、いつも頭をよぎるものがある。

これまで家族や友人には一度も話したことがないのだが、それは小学校の低学年の頃に犯した犯罪だ。 そっと罪を悔い改めるために、それをここに書いておこう。

小学校低学年の頃といえば、好奇心の真っ盛りであり、大人が考えない様なことをする年頃だ。当時の友人との遊び場の一つは近くを通る国鉄の線路だった。線路といっても貨物線だったから往来は少ない。子供ではあったが、さすがに石を置くのはよくないという事ぐらいは判っていたので、石は置かなかったが、棒状アイスクリームのヘラの間に巻玉火薬を並べて線路に置いたり、或いはかんしゃく玉を敷き詰めて車輪がそれを踏んで火花が上げるの見たり、1円玉などを置いてぺったんこにしたりと、それはもう様々なことをやって遊んだものだった。


そうした遊びの中、実は過激なことをしたことがあった。それはカブトムシを線路に置いて貨物列車に轢かせるというものであった。だれが言い出したのかなんて全く覚えていないが、何となくやってみようということになった。というか、そこにカブトムシがいたから線路に乗せただけ、という程度のものだったのだが、とにかく線路の上にカブトムシを置いたのだ。そのカブトムシ、もともと瀕死な状態だったこともあり、殆ど動けないほど弱っていたのだが、それでも生きていた。それを線路の上に置く。貨物列車が通った後はどうなるかなんて、もちろん理解していての行動だ。

カブトムシを線路に置き、子供たちは列車が来るのを待った。先に書いたように貨物だから本数は少ない。一時間に一本も来ない。しかしその時」はたまたま来た。忘れもしない、蒸気機関車だった。

カブトムシの上を車輪が乗る瞬間を見たかっただけなのか、或いは何かの奇跡が起きるのを見たかったのかなんて覚えていない。ただ、その情景は今でも鮮明に覚えている。列車がすぐそこまで来たとき、はたして危険を察知したのか、単に線路が振動したからなのか判らないが、瀕死だったカブトムシが歩き始めた。そして線路からずり落ちそうになったとき、列車の車輪は、カブトムシが線路から落ちる前に覆いかぶさった。

と、思う。

「と思う」と書いたのは、実は小生を含め友人のだれもがその瞬間については目を背けて見ていなかったからだ。なぜ目を背けたか。間違いなく罪の意識があったからだと思う。しかしとにかく見ていないのだ。その前後の事は今でも鮮明に覚えているが、その瞬間の事だけは全く記憶にない。常磐貨物線の蒸気機関車が迫り来る情景。だるそうにたくさんの貨物車両を牽引して通り過ぎる情景。今は昔、連結の最後に連結されていた緩急車が過ぎ去っていく情景。総て脳裏に焼きついている。しかし、カブトムシの最期については記憶がない。

このこと、今からすでに半世紀近く前の事にも拘らず、昨日の事の様に記憶している。恐らく今後も記憶し続けるだろうと思う。

アスファルトに虫が這っているのを見ると必ずこの光景が現れる。だから殆ど無意識的に拾い上げるのだ。それで昔のことを免罪しようとかそういう事ではなく、殆ど発作的なものだ。これからも、そうやって拾い上げていくのだろうと思う。先日は拾い上げた虫に噛まれた。それはそれでいい。そんなことに懲りることなく、拾い続ける。それが小生の懺悔だと考えている。

そう言いながら、蚊が出れば蚊取り器を出すし、ゴキブリが出れば退治する。全くもって勝手ではあるが、人間はそういう動物だと割り切るしかない。しかし、少なくとも研究対象としてか、自分に危害を加えてこない限り、殺生はしないことを心がけている。というか、したくない。

子供というのは、大人の想像以上に残酷なことをすることがある。カエルの口に火薬を突っ込んでみたり、それはもうメチャクチャなことを試みたりする。だが、そういう行為を重ねるうちに、ふと命の尊さを知るということもあるのだ。

「虫だって殺してはいけない」と教育する、殺生を忌み嫌う。それはもちろん正しいことなのだが、子供たちから、一度死ぬと元には戻らないという命の尊さを知る機会を絶ってしまうことは、如何なことかと思う。

最近小中学生も含め、若い人の凶悪事件が後を絶たない。凶悪事件を起こす子供の中には、なんと「一度人殺しをしてみたかったからやった」とまでうそぶく子供が出現している。死ぬ様を見てみたいからだという。一般論として、知りたい、見てみたいという好奇心や探究心は理解できるが、善悪の判断がその大前提にあることが教育されていない結果だ。こんな危険なことはない。科学云々の前に、倫理があるべきなのだ。

あの日から、小生の空の上にはかわいそうなカブトムシがいつもこちらを見ている。「ぼくを最後の犠牲者として、もうこれ以上意味のない殺生はしないでね」そう語りかけている。

生命体にリセットボタンはない。子供たちが、昆虫たちからそういうことを教えてもらうことも大切なのではないだろうか。





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