先月、宮城県に災害派遣で行く途中、福島県の白石サービスエリアで温麺(うーめん)を食べた。
温かい温麺のつゆのなかに鶏の唐揚げが入っていた。
最初は違和感を感じたが、実際に食べてみるとさっぱりとした温麺に、唐揚げの強い味がアクセントになっていてとてもおいしかった。


僕はそれ以前から、麺が短く、ゆで時間が短いのにコシがある温麺が好きで、ネットで注文をして、よく作って食べていたのだが、本当はどうやって食べているのか全く知らなかった。
自分で勝手に、そうめんのように冷たいつゆにつけながら、あるいはかけそばのように温かいつゆを麺にかけて食べていた。


週末に実家に帰ったとき、かけそばのように温麺を作った後、白石サービスエリアで食べたように唐揚げを入れてみた。
刻んだネギなども入れてみる。
とてもおいしく、確かにこの食べ方はうまいなあ、と思った。


週末の実家では、お墓の木を抜くという作業をした。
お墓の周りにドウダンツツジが2本、タマツゲ、サツキ、キリシマツツジがそれぞれ1本ずつ植わっているのだが、あまりに大きくなりすぎたので、抜いて実家の庭に植え直すことにしたのだ。


母が学校の先生をしていた頃の教え子の方が手伝ってくれることになっていた。
何を持って行ったらいいのかわからなかったので、手のひら側がゴムになっている軍手とほうきだけ持ってお墓に行った。


スコップ2本、ハサミ、その他僕は名前すら知らない道具をいろいろとそろえて待っていてくれた。
そしてすごく親切にいろいろと教えてくれたのだが、作業は重労働だった。
根の周りを直径50センチほどにスコップで土を掘り、深さ30センチほどのところから水平にスコップを入れて、根を切っていく。
あまりに太い根はハサミで切る。


汗が噴き出してくる。
母の教え子の方が、僕の数倍は働いているのだが、とても追いつけない。
力を合わせて、木々を掘り起こし、そして軽トラックに積み込む。
重い木を抜くのも、それをトラックに積み込むのも、実際にはかなり疲れる作業だ。


実家に着くと、まず植える位置を決めて、その後その地面を掘る。
「手を抜いているんじゃないか?」と思うほど浅く掘った方が根付きがよくなるそうだ。
土を木々の根元に盛り、その上から大量の水をかけていく。
土が水とともに流れて、重力に従って落ち着くべきところに落ち着く。
水と土を棒でかき混ぜながら、それからさらに土を入れて固定する。
土曜日の1時30分頃から作業を始めたのだが、すべての作業が終わったのは6時近かった。


仕事を終えた後、シャワーを浴びて休んでいたら、作業を手伝ってくれた方がビールやつまみを持ってきてくれたので、2人で飲んだ。
何から何までお世話になりっぱなしで、申し訳ないなあ、と思った。


ところで、5月3日から5日までの3連休は、友達と2泊3日の旅行に行った。
知多半島の先の篠島に1泊。そして翌日は豊田市の山奥にある旅館に1泊。
僕が決めて予約をしたのはそれだけで、あとは何も決めず、何も知らずにカーナビだけを頼りに旅行に行った。


いつの間にか愛知県は高速道路網が整備されたらしく、カーナビも知らないような高速道路を走った。
それで、どこをどう走ったのかよくわからないまま、知多半島の先端の師崎港まで行き、そこに車を駐めて高速船で篠島まで行った。


泊まったのは大角というホテルで、マドンナの料理人の実家なのだという。


My Kiasu Life in JAPAN-大角の窓から
※うーん。相変わらず実に素晴らしいカメラの腕前。

大角の窓から見た景色なのだが、何が撮りたかったのかさっぱりわからない。

また、見事な逆光です。


廊下にマドンナから受け取った誕生日カードなどが飾ってあった。
僕もそれだけでこのホテルに決めたことを、ホテルに着いてから思い出した。


ホテルの周りにはコンビニもなく、ただ海があるだけで、特に観光地もない。
あるのかもしれないが、車もないし、行くこともできない。


ホテルの露天風呂に入って、あとは開けた窓から聞こえてくる潮騒の音を聞きながら寝ていた。
実に怠惰な時間を過ごしたが、僕はこういう時間の過ごし方が大好きだ。
夕食は豪華だったし、新鮮だった。
そして翌朝の朝食はうますぎて、ご飯を3回ほどおかわりした。


4日の朝、8時30分にホテルを出て、高速船で師崎港まで戻り、車に乗り込んだ。
それから、あまりよく位置関係もわからなかったが、小学生のときに旅行をした豊川稲荷に行くことにした。
豊川稲荷は、ちょうどお祭りをしているらしく賑やかだった。


My Kiasu Life in JAPAN-いなりん
※僕に向かってポーズをとる「いなりん」。

僕がカメラをケースから取り出す間、ずっとこのポーズで待機。

かわいさもだけど、性格の良さが光っていた。


My Kiasu Life in JAPAN-豊川稲荷狐塚
※狐塚。たくさん狐がいる。不思議な光景だった。


それでも、そうは言っても、ほどほどの混みようで、人混みが嫌いな僕にはちょうどいいくらいだった。


それから3時頃には豊田市の「とうふや」という旅館に着いた。


My Kiasu Life in JAPAN-とうふやの窓から
※とうふやの窓から見た景色。

それ以外のコメントはできないけど、しょうがない。


そしてまた窓を開けてダラダラと寝て過ごし、昨日の夕食よりもさらに豪華な夕食をとって、すぐに寝た。
自分自慢もほどほどにしたいが、時間を怠惰に過ごすことに関しては、日本人のなかでは比較的優れた才能を持っているような気がする。
寝ていると、さらさらと水の流れる音が聞こえる。ホテルの隣を流れる川の流れかと思ったが、よく考えてみたら、隣の部屋のトイレの音だった。


朝食はまた豪華で、朝からこんなに皿を洗わなくてはならない人は気の毒だと思うほど、盛りだくさんの朝食だった。


そして飯田市の天竜峡に行って、天竜峡に行くたびに必ず行くツツジ橋を往復して、また長野に帰ってきた。


My Kiasu Life in JAPAN-ツツジ橋から
※ツツジ橋からの風景。

ツツジ橋は揺れるから怖いんだけど、毎回行ってしまう。


ただただ怠惰な旅行だったし、計画もまったく立てずに行った旅行だったが、僕はこの程度で十分で、個人的にはとっても楽しく、満足した。

先日、講演を聞きに行った。
講師は、東大法学部を出て、司法試験に受かり、その後医学部にも行って、博士号まで取り、その後シカゴだかの大学を出てニューヨーク州の弁護士資格も取ったという人だった。


冒頭、「私のような浅学非才のものが、このような講演をしていいものかと思いましたが…」などと言っていたのが、僕たちに対する皮肉なのかそれとも笑うべき冗談なのか、判断に迷うところだった。


内容はそれなりに面白かったが、僕がすごいなと思ったことは、仕事への集中力だ。
事故が起きたときには、徹夜で事実関係を確認し、情報の裏付けを取り、その後、記者会見などを行うのだという。


そんなこと、俺には無理だと思う。
僕は、敵意がむき出しの記者会見場に、理性を保ったまま出て行く自信がまだない。
実際には社会では多くの人がやり遂げていることだが、どうしたらそれが可能になるのか、僕にはまだよくわからない。


記者会見どころか、正直に言えば、訳のわからない苦情を持ち込んでくるたった1人のクレーマーからも逃げたくなるほどだ。情けないが、仕方がない。
どうしたら、ああいう罵詈雑言や論理立っていない裸の怒りに対して、冷静に対応することができるのか。耐えられる人はどういう人生を歩んで、どういう訓練をしてきたのか、とても興味があるし、何か対処法があれば知りたいところだ。


ただ最近、自分としては「面倒くさい」と思わないように気をつけようとは思っている。
「面倒くさい」と思ったとたんに、効率ががた落ちするらしい。


考えてみれば、仕事も遊びも、食事や寝ることだって「面倒くさい」わけで、生きていることは「面倒くさい」ことなのだ。
それを積極的に正面から受け止めることができるのか、それとも逃げてしまうのかで、人生は大きく変わっていくのだろう。僕は今までの人生で「面倒くさい」と言い過ぎなのだ。


ただ「面倒くさい」は僕の口癖で、面倒くさがることが、自分自身の個性だと思っていたほどなので、なかなか直せない。
問題が生じたときにも面倒くさがって、なかなか積極的に立ち向かうことができないけれど、それでもこれからは少しずつ人生や考え方を修正していきたいと思う。


今週末は、実家に戻り、姉と庭の草取りをした。
先々週まで、何もなかった地面が緑の草に覆われている。
姉は根から抜けと言うが、そんなことやってられるか。
地上3センチくらいのところで、大きなハサミで草を切り倒していく。
それをひとまとめにしたら、かなり大きな草の山ができた。
俺の家に山羊がいたら喜ぶだろうに、と思うが、現実にはいないので、ゴミ袋に入れていく。
30リットル入りのゴミ袋が3つ。あっという間にいっぱいになった。


母が植えたツタも建物に影響を及ぼすからと、壁からはがすことにした。
剥がした後、不気味な根が壁に残るが、仕方がない。
また枯れた頃に剥がすしかないと思う。


根に近いところはとても太くなっていたので、のこぎりで切った。
「根はちゃんと抜かないと、また生えてくる。」
そう姉が言うので、シャベルで根を掘り出したのだが、これがなかなか簡単ではない。
「ああ、面倒くせえ」と思わず言ってしまい、それから反省した。

僕は体温が低くて36度までない。小さな頃はもっと体温が高かったような気がする。
体温が低いと基礎代謝が減り、太りやすくなるそうだ。


体を温めるショウガや、日本酒などを摂るといいらしいというので、仕事帰りに紹興酒を買って帰ってきた。
助手席の鞄の隣に置いていた。
家の駐車場に着いたとき、雨が降っていたので、運転席側のドアを開け、傘を差した。
それから、助手席側のドアに回って、荷物を取り出そうとした。


ドアにもたれた形に置かれていた、紹興酒の瓶が転がり落ちて、駐車場に落ちて割れた。
「あのなあ」
割れた瓶の破片をレジ袋に放り込む。
風で傘が飛びそうになる。
「もう。まったくなあ」


家に帰って、熱いシャワーを浴びながら、体温なんてもう気にするのをやめようと思った。


23日から26日まで医療救護班の付き添いで、石巻市に行った。
石巻日赤病院で引き継ぎを受け、それから5人の医療救護班で夕食を食べた。


びっくりドンキーってハンバーグ店に行った。
店は混んでいたけれど、普段の生活のとおりだった。
すごいボリュームで「これで帰ったら確実に太る」と思った。


夜は交流センターというところで、寝袋で寝た。22時就寝、5時起床。
山用の軽くて薄い寝袋ではなく、厚くて重い寝袋だったけれど、寝心地はそれほど悪くない。
それよりも、ひとつのホールのようなところでほかの班の人たち数十人もいっしょに寝るので、いびきの音がものすごい。
レインボーのバビロンの城門を練習しているときのオーケストラを聴いているようだ。
ほとんどの人はベースを担当しているらしく、低い音を奏でているのだが、数人、トランペットのような高く大きな音を奏でている人がいて、全体として相当、迫力がある。
僕と同じ班の人は、朝の2時から起床時間の5時まで、いびきでなかなか寝られなかったと嘆いていた。
僕は寝袋に潜って、片耳をまくらに押しつけて寝ていた。それでもすごい音量だった。


9時から12時まで診察、カップラーメンなどを食べて、13時から15時まで診察。
石巻日赤病院で行われる18時の全体ミーティングに出席した後、19時から20時までまた診察。それから夕食を食べたりしていると、宿舎のホールまでかなり距離があるので、それだけで1日が終わってしまう。なにしろ22時消灯だから。


それでも、朝の診察前などに、日和山公園に行ったり、石巻港に行ったりした。
津波と震災でめちゃくちゃにされた街を見てきた。


My Kiasu Life in JAPAN-日和山公園から

My Kiasu Life in JAPAN-石巻市内

My Kiasu Life in JAPAN-石巻港周辺

津波の影響なのか、市街地には目に見えないような小さなホコリや砂粒が舞っているらしい。
患者さんも咳をしている人が多かった。
デジカメも小型のものはレンズ可動部の隙間に砂などが入るらしく、僕のものも、他の人のものもレンズ部分が壊れてしまった。
持って行った一眼レフカメラは、重かったが、タフで大丈夫だった。


患者さんのなかには、両親を亡くした小学生もいた。
俺たちには、そういう人の気持ちまでは理解が遠く及ばない。
よく言われるように、腕をなくした人の気持ちは腕をなくさないと、足をなくした人の気持ちは足をなくさないと本当のところは理解ができないのだと。
それは自覚しているから、簡単に慰めることもできない。
それでも、何かしてあげないと、という気持ちはずっと持っていた。


ようやく、環境になれてきて、全体像が見え始めた頃に撤収になってしまう。
ずっと僕は診察室で受付、今までのカルテ、データの整理などをしていたので、避難所には一歩も足を踏み入れないままに終わってしまった。
具体的に、誰も助けられなかったけれど、今までのカルテを50音順に並べて、付箋を貼って整理をしてきたから、これからの人は、カルテが探しやすくなると思う。


26日の朝2時頃に帰ってきて、少し仮眠をして、8時からの会議に出席した。
ずっと頭痛がしていた。思ったより疲れていたのだと思う。
荷物等をばらして、昼の12時頃に家に着くと、それから6時間くらい寝ていた。
頭痛はだいぶ治まっていた。

余震が止まらない。
先日、長野でも比較的大きな揺れを感じた。
すぐに「長野、大丈夫か」というメールがあったけれど、それがいわき市の友達だったので、「君は心配してくれなくていいよ」と思った。
いわき市ではせっかく繋げた水道管がまた外れてしまったようで気の毒だ。


中学生のとき、「東海地震が来たらどうするか」というアンケートがあって、隣の席の女の子が「ドラえもん音頭をおどる」って書いているのを見たときから、地震と聞くと、頭の中で「はあ~♪どらりどらりのドラえもん音頭~♪」って曲が鳴ってしまう。
地震が来たとき、比較的、落ち着いて対応ができるのも、そのときの隣の席の女の子のおかげかもしれない。


職場では、揺れがわかるようにと、上司がボールペンを天井からぶら下げていた。
「揺れたかどうだかわからないような地震なら気にしなくていいだろ」と思うのだが、少数派らしく、多くの人は揺れたかどうだかわからない地震にビクビクしている。


「地震の規模を示すマグニチュード」は、logで計算するいわゆる対数で、マグニチュードは2違うと大きさが1000倍違う。星の1等星とか2等星の明るさを計算するときと同じなんだよ。と言うと職場の人がびっくりした顔をする。
星の等級の計算だってしたことがない、と言う。
僕は高校の頃、地学だけは好きで、浪人していたときも地学だけはちゃんと勉強したから、そういう計算をしたことがあるんだって、あとから思い当たった。


地学は試験をしながらもいろいろと勉強ができる。
試験問題が「関東大震災と同じ規模の地震のエネルギーが溜まるのは何年か?」なんて問題だったりする。
そんなことが計算できるんだと思いながら問題を解ける。
単純に言えば、その計算で出した年よりもあとに地震が来れば、エネルギーが溜まって強い地震が来るし、前に来れば、弱い地震ですむ。
肝心の答えが何年だったのか、今はもう覚えていないけれど。
きっと地学の問題集には今でも答えが出ていると思う。


地震の最初に来るのが縦揺れのP波。次に来るのがメインの横揺れでS波。
中学ではそう習った。
昔はがんばって暗記していたけれど、P波はプライマリー・ウェーブ(primaryは最初のとか、はじめのとかいう意味。小学校をプライマリー・スクールとか言ったりするのと同じ。)、S波はセカンダリー・ウェーブ(セカンダリーは2番目の意味。こんな説明いらないか。)の略だから、そう考えると覚えるまでもない話で、高校のとき、なあんだ、と思った。


そんな話は、でもまあ、どうでもいい話だ。
連日、放送される放射能の話の方が、僕たちはもっと勉強する機会があってよかったように思う。


黒澤明の「夢」を見たとき、原発は安全なのにこわがりだなあなんて思っていた俺は本当に愚かだった。
こんなことになるなんて、本当に夢にも思わなかった。


いよいよ来週末から石巻市に行く。
迷惑をかけないようにして、そして何でもいいから何かを助けてきたい。


道幸武久という人の書いた「学校では教えない人生の秘訣」(サンマーク出版)をトイレに行くたびに読んでいて、ようやく読み終わった。


My Kiasu Life in JAPAN-学校では教えない

秘訣というほどのものではなく、読んでいる間ずっと思っていたのは、星占いに出てくる程度の助言だなあ、ということ。
読みやすいのは事実だしほとんど間違ってないことも事実だけど、正直、ほとんど意味がなかった。


でも、最近、思う。
人の批判や悪口が、僕は好きだけど、だんだんとそういうことを止めていかないといけないなあって。
自分自身の人間性を伸ばしたいと思ったら、他人の批判をまずやめることだって、最近、いろんな場面で感じる。
そういう自分になれるといいなあって思う。


まあ、難しいんだけど。
俺の場合は。

今週末は金曜日から実家に帰った。
金曜日は朝から、銀行などにある母の口座を相続で引き継ぐために、いくつかの金融機関を回った。


だいたい、こんな書類が必要になる。
1 母と僕の続柄がわかる戸籍謄本
2 母が生まれてから今の戸籍に編入するまでの戸籍謄本
3 僕の印鑑証明書


それから、僕の場合は法定相続人が僕と姉の2人だった。
姉に放棄をしてもらったので、姉はそもそも相続人ではなかったことになる。それを証明する相続放棄の受理証明書というのを家庭裁判所に出してもらっていた。


そのほか、金融機関によっては、僕の住民票や母の除籍した住民票が必要だった。
印鑑証明書を出すくらいだから、僕の実印や、僕自身を証明する運転免許証も用意しておく必要がある。
これらの書類を、僕は全部用意していた。
それでも手続き的にスムーズにいったものもあれば、停滞したものもあった。


郵便局で「ほかにも口座を持っていたか調査しますか?」と聞かれたので、「お願いします」と言ったら、その調査に2週間ほどかかると言われた。
「2週間ですか?」
「全国に調査を出しますので。」
「そうですか。お願いします。」
ほかに答えようがない。
そんなわけで、郵便局では手続き自体が2週間後でないと進められなくなってしまった。


母が生まれてから今の戸籍に編入するまでの戸籍謄本というのは、どこの金融機関でも必要だと言われた。
何でなのかなあ?と考えていて、理由が思いついた。
もし、母が前にも結婚していて、その相手との間に子供がいたら、その子供も第1順位の相続人ということになる。
そういうわけでたぶん前婚をチェックしていたのだと思う。


それにしても、日本の戸籍制度というのはすごいなあ、と改めて思う。
かつて大学の頃、国際私法を勉強していたとき、日本人が外国人と結婚や離婚をするときは、必ずその方式については、日本法によらなければならないことになっていて、非常に不公平だと思ったことがある。


「方式が日本法によらなければならない」という規定は世界的にも珍しい規定なのだが、そのメインの理由は「日本には世界に類のない、戸籍制度があるから」だった。(確かもう1つ理由があって「それが大した方式でなく届け出を出すだけの簡単なことだからいいだろ」というものだったような気がする。)
そのときは、国際私法の公平性をゆがめる制度でけしからん!なんて思っていたけれど、戸籍制度の優秀さを目の当たりにした今では「まあ、日本は特別ってことでいいや」と思う。


戸籍制度が優秀なおかげで、戸籍謄本さえあれば、ある程度の家系図は簡単にできる。
それを専門にしている行政書士がいるほどだ。
自分のルーツがわかるという点でも、使いこなせれば便利な社会的制度だと思う。


実家が留守がちになるので、土曜日にはセコムと契約をした。
契約を終えた後、担当者と雑談をしていた。


ペットの話をしていたら、その担当者が「私の家には、今、馬が3頭いるんですよ」と言う。
「馬?3頭も?」
「基本的には放し飼いにしています。小学生がときどき乗って遊んでいます。小さい頃から、家に馬がいないことがなかったですね。」
「小さい頃には、ウサギも30羽くらい飼っていまして、チャボも30羽くらい飼ってました。モルモットも飼ってまして、それが地面にトンネルを掘るんです。そのトンネルにはまってウサギが何匹も死にました。」
「シベリアンハスキーも飼ってまして、甘やかして育てたせいか、言うことを聞かなくて。あるとき、チャボに噛みついて、そのまま羽の一本も残さず、全部食べてしまいました。かわいそうだったけれど、何もしてあげられませんでした。」


話がとてもおもしろくて、いろいろと話を聞いた。
「祖母の葬式のときに、馬に残った酒やビールをあげたんですよ。水でも飲むようにごくごく飲んでいたのですが、そのうちに立てなくなってしまいました。祖父の葬式のときにも同じように酒やビールをあげたんですが、もう2度と口にしませんでしたね。」
田舎だからできることだとは言っていたけれど、馬を飼えるなんてすごいことだ。


「長くつ下のピッピ」リアル版の話を聞いているみたいでおもしろかった。


**おまけ**


昔、「長くつ下のピッピ」というドラマがあって、姉と僕は好きだった。
姉は、番組を見ながら歌詞を書き写して、歌えるようにしていた。
僕も歌った。今でも当たり前のように歌える。こんな歌詞だ(当然、不正確だけど)。


チョラホプ チョー ララララ チョラホプ サンサ
チョラホプ チョー ララララ チョラホプ サン ヘイ!


長くつ下のピッピって知ってるかい?
すてきなかわいい私のことよ。


チョラホプ チョー ララララ チョラホプ サンサ
チョラホプ チョー ララララ チョラホプ サン!


きっと遊びにおいで、みんなで騒ごう。
私のうちはつぎはぎ荘。
お猿もいるしお馬もいるよ。
みんなで愉快に過ごそうよ。


チョラホプ チョー ララララ チョラホプ サンサ
チョラホプ チョー ララララ チョラホプ サン!
チョラホプ チョー ララララ チョラホプ サンサ
チョラホプ チョー ララララ チョラホプ サン ヘイ!

テレビをつけると放射能の話ばかりをしている。
1000ミリシーベルトを超えたとかいう話だけど、1000ミリシーベルトまでいったら、普通に1シーベルトでいいんじゃないかと思う。
メートルだって、1000ミリメートルなんて言われるより、1メートルって言われた方がわかりやすいと思うんだけど。


放射線の話は、はっきり言ってよくわからない。
報道する側も、正確な情報をわかりやすく報道するというよりは、視聴者をわかったような気にさせることに主眼を置いているようで、記者会見の内容を報道記者の理解したレベルでしか俺たちも情報を理解させてもらえない。


そのために、宮城県や福島県の空気は危険なのか?水は大丈夫なのか?といったことすらよくわからない。「ただちに健康被害はない」と政府が言ってる、と言っているだけだ。
風評被害が許せない、なんて報道を同じ報道機関がしているのを見ると、「おまえのせいだろ」と言いたくなる。
客観的なデータがあるんだから、独自に調査をして「危険だ」とか「この量なら心配がない」と報道機関として独自に分析して教えてくれればいいと思う。


その昔、報道機関に、ある統計のデータを発表したら、「それはどうやって調査したのか?」、「確度はどの程度なのか?」、「私が感じている実情とかけ離れているのだが」といった取材が一切なく、そのまま報道されているのを見て、かえってがっかりした。
日本のマスコミは、独自に取材をする意欲を失っていると思う。


東京電力が無責任だ、原子力発電所がこんな危険なものだと思わなかった。などとマスコミが被害者面しているのが許せない。
じゃあ、今までなぜ危険性を訴えなかったのだ?
原子力は二酸化炭素を排出しないから、環境に優しい。日本は原子力に頼らざるを得ない。日本の原発は安心です。という政府の発表をそのまま報道してきたマスコミに罪はないのか?
RCサクセションですら、サマータイムブルースという曲のなかで、原発の安全性について「さっぱりわかんねえ。根拠がねえ」と歌っているのに。


俺たちも、恥ずかしがらずに言おう。
マスコミの報道する内容が「さっぱりわかんねえ」と。本当のところはどうなのか、本当に取材しているのか?まさか記者会見で質問することを取材だと思っているんじゃないだろうな?と。「情報の信頼性が低くて、頼りにならない」と。信頼性が頼りないのは、政治家だけでなく、マスコミもだと。


放射能の話が大きく取り上げられているせいなのか、当たり前だけど、花粉症の話は最近、あまり取り上げられない。
今シーズン、例年の数十倍と言われていた花粉の飛散量は実際のところどのくらいで推移しているのだろうか?


俺は、例年、春になると花粉症の薬を飲んでぼーっとしているのだが、今年は薬を飲むのをやめた。
薬を使って、その副作用を避けるために薬を飲み、さらにその副作用を避けるために、また別の薬を飲み…。といった具合で薬漬けになっていく今の医療のあり方が気に入らないからだ。
必要だとは思うけれど、僕たちは薬に頼りすぎなんだと思う。


花粉症なんて花粉のシーズンが終われば放っておいても治るんだから、別に病気じゃない。薬はいらない、と勝手に決めた。
だからマスクが手放せない。目も真っ赤だ。アイボンを冷蔵庫で冷やしてから使うと気持ちがいい。
飲み会でもあまりお酒を飲まないようにしているが、目が充血しているせいか何も飲んでいないうちから「酔った?」などと聞かれる。


「花粉症はレンコンを食べるとよくなるんだよ。」
飲み会のときに、女の子にそう声をかけてもらった。
「ふーん。そうなんだ。」
そのあと、ふと「もしかして、レンコンって穴が開いているから、形的に、なんとなく鼻づまりが改善しそうとか、そういう意味?」って聞いてみた。
「そんなんじゃあ、ない!」
「チクワとかも花粉症に良さそうだね。向こうが見えるし。」なんて話していたら怒られた。
「馬鹿にしてるでしょ。」
「いえいえ。」
確かに、俺は性格が悪い。


そのあと、同じ女の子が「○○さん。去年まで平気だったのに、今年から突然、花粉症になった」と話していた。
「あ。それ、俺、どうしてか知ってる。」
「どうして?」
「きっとレンコンを食わなかったんだよ。」
そう言ったら、本格的に怒って、それから口をきいてくれなくなった。
残念だが、まあ仕方がないのだと思った。

姪が携帯端末をauのアンドロイドにしたといって見せてくれる。
機能が多すぎて、まだ使い方がよくわからないのだという。
「電話のかけ方もよくわからない。」
「電話のかけ方がわからなくなるほどの機能が付いた携帯って、それは電話として進化してるのか?」
姪は笑っていたけれど、ユーザーが望む以上の機能がついた携帯端末なんか、俺はいらないなあって、正直なところ思う。


東北関東大震災の被災地に、4月23日から行くことになった。
何の役に立つのかわからないけれど、行ったときには精一杯がんばりたい。


俺の友達がいわき市で働いているが、今は災害対策本部にいる。
金曜日に、テレビに映っていたらしいが、かなり疲れている様子だったと、見た人からメールが来た。


先週、その彼からメールを受け取っていた。
「こんななか、繁華街で飲み屋が2軒店を開けたって噂を聞いた。たいしたもんだ。コンビニもスーパーも開いていないのにな。原発の放水作業員も偉いが、このママたちも負けず劣らずエラい。」


俺もエラいと思う。世の中には、いろんなエラさがある。
いつかいわき市に行ったとき、その飲み屋に行きたい。
誰もほめてくれなくても、俺がほめてやる。
エラかったぞ。日本人のたくましさを示して立派だったぞ。と言ってあげたい。
実際には、「また、めんどくさい客が…。」と思われるだろうから、心の中でそう思って、チップを多めに置いてきたい。
日本中で多くの人が、それぞれの立場でがんばっているのだと思う。
俺もその一員として、がんばりたい。


土曜日、母の49日の法要を無事に終えることができた。
もう平気だと思っていたが、挨拶しているとき、ふと涙が出そうになって「意外と俺も立ち直ってないんだな」と思った。
寒かったがよく晴れた一日で、納骨やらさまざまな手配やら、いろんなことに一区切りが付いて、すこしはほっとした。


でも、まだまだだ。
母を送ったものの、税金、保険、そして銀行などで取るべき手続きがまだまだ山のようにあって、人が一人いなくなるというのは大変なことなのだと改めて思った。

水曜日に、偉い人の送別会があった。
僕は幹事だった。
僕もほどほどにお酒を飲んで、帰りは代行で帰った。


代行の運転手は70歳くらいの老人だった。
雪が舞っていたので、4WDに切り替えようか、と聞いたが前輪駆動だけで十分だという。


道路が微妙に凍っていた。
「もし、道路が凍っていて車が滑ったらどうしたらいい?」
「私も経験があるんですよ。滑って前の車にぶつかりそうになったことが。ブレーキ踏んでもロックしてますでしょ。そういうときは、ギアをバックギアに入れるんです。止まりますよ。」
「止まるんだ。」
「ええ。2,3回ほど経験があります。」


その話を聞いてから、何度か試してみようとしたことがあるけれど、未だに勇気がなくて実際にはやっていない。
でも、本当にピンチになったら、やってみようとは思っている。


母の病気以来ずっと実家のある地域への転勤希望を出し続けているが、今年も希望は通らなかった。
給料を誰かからもらうということは、つまりはまあ、基本的には払う側の意向が優先されるということで、仕方がないことなんだよな、とは思う。
僕よりも、姉の失望が大きかったようで、それは申し訳がないような気がした。


今週末も実家に帰った。もう来週は母の49日で、法要がある。
お墓の掃除をはじめとして、やることはたくさんあった。
墓石の掃除は、「激落ちくん」というスポンジでこすると、すごくよく汚れが取れる。
姉と姪の3人で3時間くらいかけて掃除をしたら、お墓もすごくきれいになった。


日曜日の夕方、外を見たら雨模様だった。
掃除をしたお墓に雨が降っている景色を想像したら、なんとなく嬉しい気分になった。


ペ・ドゥナ主演の映画「空気人形」を観た。


My Kiasu Life in JAPAN-空気人形

4月からもうしばらく映画も観ないつもりで、そう思いながらこの映画を観た。
性欲処理の代替品である空気人形が、ある日、心を持ってしまったというストーリーだ。


ペ・ドゥナが美しく、また動きが空気人形らしく、すごいなあ、と思った。
深い映画ではあるけれど、僕にとってはギリギリのストライクだった。


My Kiasu Life in JAPAN-空気人形1

多くの人間自身も代替品ではあるけれど、誰と会い、何を見て、どのように生きたかで、変わっていく。
生きるとは、どういうことなのか。人とのつながりとは何なのか。


My Kiasu Life in JAPAN-空気人形2

あざとい映画ではあるけれど、考えさせられる部分も多々あり、まあ、俺が映画をとりあえず卒業するにはいい映画なのかな、と思ったりもした。


**おまけ**


空気人形で朗読される吉野弘さんの詩。映画のなかで観るととてもいい詩に思える。
俺も誰かのための虻であり、風だったのだろうかと、思ったりもする。


「生命は」


生命は
自分自身で完結できないように
つくられているらしい
花も
めしべとおしべが揃っているだけでは
不充分で
虫や風が訪れて
めしべとおしべを仲立ちする


生命はすべて
そのなかに欠如を抱き
それを他者から満たしてもらうのだ

世界は多分
他者の総和
しかし
互いに
欠如を満たすなどとは
知りもせず
知らされもせず
ばらまかれている者同士
無関心でいられる間柄
ときに
うとましく思えることさも許されている間柄
そのように
世界がゆるやかに構成されているのは
なぜ?


花が咲いている
すぐ近くまで
虻の姿をした他者が
光りをまとって飛んできている


私も あるとき
誰かのための虻だったろう


あなたも あるとき
私のための風だったかもしれない

いつもと変わらない金曜日だった。
2時頃、職場の同僚が走ってきて「床が揺れてる」と言う。
俺は立って動きながら仕事をしていたせいか地震なのかよくわからなかった。
でも確かに言われれば揺れている。
誰かがテレビをつけて、地震速報を確認していた。


余震が続いて、僕も地震だとわかった。
職場の各部署に電話をして安全を確認した。
特に問題はないようだった。
上司が全館放送で「安全です」とアナウンスしろ、と言う。


「俺、無理。」などと言いながら実際に逃げようとするやつを見て、あほかと思った。
いつも「無理」といいながら逃げる同僚を見ていると、そんなことだから未だに何もかもができないんだと言いたくなる。
スイッチ入れて事実をしゃべるだけのことが「無理」なわけないだろ。
やろうとしないだけだ。


全館放送をして帰ってきた。
その後も何度か余震があったが、揺れは小さかった。
しばらくすると、テレビが津波の映像を映しはじめた。


仕事は相変わらずで、あちこちから電話はかかってくるし会議の準備はあるしで大変だったけれど、津波の映像はあまりに衝撃的で息を飲んだ。


夜、長野から実家へ帰る間、地震についてのラジオ放送を聞いていた。
事態が僕が考えていたよりもかなりずっと深刻なことが次第にわかってきた。
死者・行方不明者の桁数がどんどんと増えていく。
精神的にぐったりと疲れて、途中、仮眠を取っていたので、実家に着いたのは夜の11時30分頃だった。


翌朝の土曜日は、よく晴れた一日だった。
朝、和尚様にお経をあげてもらい、昼にはお墓の掃除にも行った。


土曜日の夜になって、ようやく茨城や福島の友達と連絡が取れるようになった。


テレビでは、被害の状況を延々と放送し続けている。
まだ、いわき市の友達には連絡が取れていない。
無事であることを祈っているし、信じている。



弁護士の木山康嗣が書いた「弁護士が書いた究極の法律力」(法学書院)を読み終わった。


My Kiasu Life in JAPAN-究極の法律力

法律を勉強しはじめた頃、法律には「常識」が書いてあるんだと感じていたことがあった。
今回この本を読んで、「究極の法律力」とは「常識の力」だと端的に断言しているのを見て、そしてまたそれがなぜなのかを論理的に説明をしていて、なるほどと思った。
裁判官は国民に選ばれているわけではないので、国民の常識に沿った判決を書くことが求められている。

実際に、価値判断として判決に多用されている「社会通念」と言う言葉は「常識的には」くらいの意味だと。
確かにそうだ。
こういう本に、本当に僕は高校生や大学生の頃に出会いたかった。



今頃だけど「リトルダンサー」というイギリスの映画も観た。


My Kiasu Life in JAPAN-billy elliot

とてもいい映画で、こういう映画を中学生や高校生の頃に観ていたらなあと思った。

My Kiasu Life in JAPAN-billy elliot1

My Kiasu Life in JAPAN-billy elliot2

自分の才能を信じるということはどういうことなのか、教育とはどういうことなのか、誰を信じたらよく、誰のいう言葉に耳を貸さなくていいのか、そんなことがとてもよくわかる映画だ。


もう3月も半ばだ。
そろそろ本格的に勉強を始めなければならない時期だけど、未だに逃げてばかりいる。
逃げてばかりいる同僚を情けなく思う気持ちは、結局のところ、自分自身に対する気持ちの反映なのかも知れないとも感じている。


今回の地震や津波で多くの人が無念の思いで亡くなっていったのだと思う。
残った僕たちは、それぞれの立場で、その方々の思いを受け止めて真摯に生きるべきなのだと思う。
いつまでも逃げていてはいけないと、災害の映像を見ながら、自分自身に対して何度も思った。

月曜日に、職場の若い同僚が、5階のプリンターが壊れたと言ってくる。
「本当に壊れたのか?」
「電源を再度入れても復旧しないときはコールセンターを呼べという表示が出て、再投入したけれどだめでした。」
「ふーん。どこの会社のプリンター?」
「キャノンだと思います。」
「キャノン?5階にキャノンなんてあったっけ?本当にキャノンか?思いますって何だよ。」
「いや。確かにアルファベット5文字でしたし、僕の目にはCANONというアルファベトが読めました。」
「じゃあ、間違いなくキャノンだろ。」
「99.9%の確率でそうです。」
「0.1%はなんなんだよ!」


後で確認したらリコーだった。
「あのなあ。」
「でもアルファベット5文字だったし、Cが入っていたから。」
「エプソンでも、キャノンでも、リコーでもみんなアルファベット5文字だ。なんだよ。Cが入っていたって言い訳は。」
「いや。えーと。あはは。」
「あははじゃねえよ。」


火曜日の午前中に休みをとった。母の年金に関わる様々な処理をしながら、近くにある保健所でHIVの検査をしてもらった。
それこそ99.9%の確率で陽性になることはないと思っていたけれど、昨日のこともあったし、少しは不安だった。
保健師さんはとても丁寧で親切だった。
もちろん結果は陰性だったけれど、HIV検査を受けるたびに、これまでの人生を振り返って反省をする。これからは堅実な人生を歩みたいと思う。


木山泰嗣という弁護士の書いた「小説で読む民事訴訟法」(法学書院)を読み終わった。


My Kiasu Life in JAPAN-小説で読む民事訴訟法

確かにわかりやすい。こういう本を大学時代、民事訴訟法の勉強をする前に読みたかった。


もちろん、小説形式にはなっているものの、登場人物にはっきりと個性をもたせることができているわけでもなく、ストーリーはこれ以上はないほどに凡庸だが、別に小説に主眼があるわけではないので、これで十分に完成していると思う。


確かに自分自身、実際に法廷を見たことは一度もなかったなあ、と反省をしながら読んだ。
弁論主義の3つのテーゼ。未だに記憶してるのに、不要な知識になってるよなあ。
そんなことを思って少し苦かった。


週末はまた実家に帰った。
お墓の掃除をしたり、母の携帯電話の解約をしたり、まだまだすることは多い。
春の日差しでとても暖かく、外で掃除していても凍えることはなかったが、一気に花粉症の症状が進んだ。


「桜の花が咲く頃には、きっと家に帰れるよ。」
病室で僕と姉は母にそう言っていた。
そろそろそういう季節になってきたなあ、と思った。