週の初め、相変わらず、仕事のやる気がわかなかったが、そうも言っていられない。
いくつかの締め切りも抱え込んでいたので、かなり忙しい日々を過ごすことになった。


それでも、夜は意識して6時間以上は寝るようにしていた。
あまり短時間の睡眠や、長時間の睡眠を繰り返していると、鬱病になる可能性が高まると聞いていたからだ。
今の時期は危ないからなあ、と思っていた。


水曜日の夕方、オーストラリア人の方がスキー場で骨折して、救急車で病院に運ばれてきたのだという。
ほかにも通訳を頼んだらしいのだが、最終的には僕が彼の通訳をすることになった。
もう80歳近い高齢のはずなのに、とてもタフに見える。頭も明晰だ。


僕もそんなに英語ができるわけではない。それは自覚がある。
「創部を縫合します」ということを医師が言ったとき、僕は「傷ついたところを縫います」くらいの英語でしか伝えられない。そのまま医師の言ったとおりの通訳なんてできない。
「あまり英語が得意ではないけれど、ベストを尽くします。」
相手の人にそう言って、それでもできるだけ正確に伝えようと努力をした。
翻訳の間に、情報がこぼれ落ちてしまうことを、僕はとてもよくないことだと思っているからだ。


救急車が無料だという話に、彼はとても驚いたようだった。
「オーストラリアではとても高い金額を請求される」のだそうだ。


彼が「看護師が、松葉杖が500円だと言っている。日本は安い。」と言う。
「それは間違いだ。松葉杖はお箸じゃないよ。」
そう答えたら笑っていた。確認したら、5000円と言ったらしい。でも実際には3600円だった。


「うんち」などの単語を、僕が知らないという自覚を新たにした。
実際に生活をしたり子育てをしたりすれば、真っ先にマスターしそうな単語だ。
以前、イギリス人の友達に一番好きな日本語は何か?と聞いたとき、彼は「うんこ」だと答えた。「いい言葉じゃん。うんこ。」


そのオーストラリア人は水曜日に骨折をし、木曜日に手術をし、日曜日の成田発午後8時のフライトでオーストラリアに帰る。土曜日までは娘さんがアテンドしてくれていたが、娘さんは土曜日にはオーストラリアへ先に帰ってしまう。日曜日に彼は友達と病院で会って、それから友達とオーストラリアへ帰る。
「以前、友達がスイスで、アルプスをクロスカントリースキーで滑っているときに、クレバスに落ちたんだ。数カ所骨折したけれど、5日ほどでオーストラリアに帰ってきた。そういう自分よりもひどい目に遭った人を知っているから、私は大丈夫だ。」と彼は言う。


通常の仕事をしながらだったので、かなり消耗したけれど、それでも多くの人に感謝されたし、相手の人もとてもいい人だったので、悪い気はしなかった。


JRは、病院からタクシーが駅に着いたあと、通訳をつけてくれたり、車いすで新幹線まで送ってくれるのだという。東京駅でも車いすを持った職員が対応してくれるらしい。
保険会社は、エコノミークラスのフライトをビジネスクラスに代えてくれるのだそうだ。


それでも彼が無事に帰ることができるのか?僕は不安がまだまだ残る。


週末はまた実家に帰った。
49日の法要の準備や、位牌の手配、挨拶回りなどまだまだやることが多くて、ゆっくりもしていられない。


幼稚園のシスターに挨拶に行ったとき、「あなた方がお母様のことを祈っているように、お母様もあちらで、あなた方のことを祈っているんですよ」と言われて、そうなのかもしれないなあ、と思った。


それから、以前、幼稚園に飾っていた母の作品がいつの間にかなくなっていたことを聞いた。
「私も不思議だったんです。どこに行ったんだろうって。」シスターが言う。「先日、ローマの修道院に行ったときに、そこに飾ってあって、とてもびっくりしたんですよ。」


ローマにいつの間にか行っていた母の作品のことを思う。
それがなぜかはわからないが、「よかったな」という少し嬉しい気分になった。

49日まで、7日ごとに和尚さんが家に来て、お経を唱えてくれる。
だから毎週末、僕はやっぱり実家に帰らなくてはならない。


実家まで帰る途中、松本のサービスエリアに寄ったとき、長芋があったので、つい買おうとした。
母親が好きだったから、僕はよく長芋を買って帰っていた。
今回も長芋の前まで歩いていったけれど、でももう「長芋を買ってきてくれたの。」と嬉しそうに笑ってくれる母親はいないのだと思ったら、悲しい気分になって、結局買わなかった。


しばらくは長芋を見ては涙ぐみ、実家に訪問してくれる方々から、母との思い出話を聞いては涙ぐみ、なんて生活が続くのかな、と思う。
実家を出る際に、母がいつも両手をついて「ありがとうございました」と見送ってくれ、僕の車が見えなくなるまで窓から手を振ってくれたことを思い出すと、つらいなあ、と思う。


「不思議なもので49日を過ぎると本当に楽になるんだ。それまではいろいろとつらいけれど。」
「男は、こういう悲しみを超えて、一人前になっていくんだ。」


両親を早くに亡くした親戚の方が、そう僕に声をかけてくれる。
こういうことは経験者の人の言葉を頼りにしてしまう。本当にありがたいなあ、と思う。そして、まだまだ俺はつらい時期にいるんだなあ、と思う。


鬱気味になのか気力がわかず、疲れやすくて寝てばかりいる。
勉強もなかなかする気にならない。
それでも、いつかは目覚めなければと思っている。


木村泰嗣の「弁護士が書いた究極の文章術」(法学書院)を読み終わった。

My Kiasu Life in JAPAN-究極の文章術

簡単な本なので3時間もあれば読めてしまう。


旧司法試験の論文試験向きの内容で、こういう本を論文の試験勉強を始める前に読みたかったな、と思う。
一般性がどこまであるのかは疑問だが、いろんなダメージのある今の僕にはちょうどいいくらいの内容で、読んでよかったと思う。

先週の日曜日に病院に行くと、母が随分と苦しそうに見えた。マラソンを走っているかのような苦しそうな呼吸だった。
「大丈夫?苦しかった?」
「昨晩は苦しくて寝られなかった。」
そう母が言うので、医師が診察にきた際に、その旨を説明していた。


昼になると少し楽になったのか、僕に何度も「お茶が飲みたい」と言うので、そのたびに冷たい麦茶を飲ませていた。
「少しは楽になった?」
「少しはね。」
僕に話しかけようとするとき、語尾が消え入るようになるのが少し気になった。


僕が市街地を見下ろせる窓がある机に座り、勉強をしているとき、ふと視線を感じて母を見ると、母は僕の方を見つめていた。でもその目はどこか焦点が合っていない感じがした。


しばらくして母を見ると、今度は眠っていた。
午後2時頃、僕はまた長野に帰った。


夜7時頃、姉から電話があった。
「お母さん、意識が混濁しているのか、私が誰かもわからないみたい。」
そう言って電話口で泣くので、僕も自然と涙が出てきた。
「でも、昨日眠れなかったから寝ぼけているだけかも。」そう姉が言うので「きっと、そうだよ。」と答えておいた。
姉が誰だかわからないなんて。とても悲しかった。


翌日の月曜日は普通に仕事に行った。午後2時頃になって、姉から電話があって「やっぱり意識が混濁したままだから、今週は早く帰ってきた方がいい」と言う。
「わかった。連休前の木曜日の夜には帰るよ。」そう伝えた。


午後4時頃、再び電話があって、「医師が、すぐに帰ってきた方がいいと言っている」と言うので、仕事の段取りをある程度してから、帰ることにした。


病院に着くと、母はぼんやりとした目を開けていた。
でも、もう僕が誰かもわからないようだった。


午後7時頃には呼吸が止まりそうになった。
医師が僕に「人工呼吸器を取り付けるかどうか」聞いてきた。
姉も姪も、そして僕自身も、母が尊厳死を希望していて人工呼吸器を取り付けての延命を希望していないことを知っていたが、僕は取り付けてくれるように頼んだ。
「無駄だとわかっていますが、お願いします。」


血液検査の結果、そんなに血液の状態は悪くなかったので、人工呼吸器がついていれば1週間くらいは生きられる、という希望があった。


深夜12時頃、姉と病室に泊まり込むことにして簡易ベッドに布団を敷いていた。
すると看護師が2人、あわてたように走ってきて、電話での医師の指示のもとで、強心剤を打ち始めた。
70近くあった脈拍がいつの間にか40程度にまで落ち込んでいた。
「まさか」という思いがあった。僕と姉は母の手を握りしめた。


看護師が強心剤の点滴をすべてセットし終えて病室を出ても、もう脈拍は30から40前後にまでしか上がってこなかった。


それから、姉と、もし母が亡くなってしまったら誰に連絡したらいいのか話していた。
母から目を離した瞬間、ブザーが鳴り、ふと計器を見たら、脈拍が0になっていた。


「お母さん!」
「まだ死なないで!」
どんなに手を握りしめても、もう脈拍は0のままだった。
母は死んでしまった。


横浜から駆けつけてくれる叔父を待ちながら、姪たちも呼んで母の遺体を拭き、きれいに身支度を整えた。
母はまだ温かく、柔らかだった。


横浜の叔父が病院に着いたのは午前4時過ぎだった。
深夜だったこともあり、姉の車に母を乗せ、母の好きだった少し長いコースを走って実家まで帰った。それから、母を安置すると、葬儀社が来る午前7時まで僕は母の隣に布団を敷いて寝ていた。


それから、12日の葬儀まではものすごく忙しかった。
姉と協力して、一つずつ仕事をこなしていった。母の死を連絡するべきところに連絡し、葬儀社と契約をし、通夜の人数や告別式の人数をはじき出し、銀行からお金を下ろし、その間にも見舞客の対応をし、喪主の挨拶文を夜遅くまでかかって書き、母の小さな作品展を精進落としの席に設置し、60通を超える弔電を分類し、生花の配置を決め…。


母は、遺影も指示があったし、香典返しに付ける自分のいくつかの作品をまとめた絵はがきも自分で用意をしていた。僕が喪主として何を話すべきかもある程度、ノートにまとめてあった。ノートには僕あてに「どうかその時が来ても、『心をしっかり持って』母を送ってください」と書いてあった。


母はさまざまな記録もしっかりと残していた。体力のない中でも亡くなる2週間前まで、きちんと日記を書いていた。
母の少女の頃、学生の頃、教員だった頃、新婚の頃などのきちんと整理されているアルバムを見ているうちに、母は思ったよりも魅力的な人だったんだな、と思った。


小学校低学年の先生だったのに、未だに「先生、先生」と教え子に慕われている理由がわかったような気がした。


母の棺に釘を打つとき、「本当にありがとうございました」と心のなかで思いながら打った。こんなときは遠慮しなくてもいいんだと思って、最後に釘をたたき込むとき、「お母さん。本当にありがとうございました。」と言いながら打った。
途端に涙があふれてきて、それからはもう止まらなかった。



My Kiasu Life in JAPAN-新任教師


My Kiasu Life in JAPAN-新任教師2

月曜日に歯医者に行った。
歯ブラシがよくできていると言われたが、奥歯の裏側が今ひとつ。ここのところは気をつけてください、とのことだった。


「水槽の隅に生えている藻を落とすような気持ちでブラシをかけてください。」
「はい。」
「言っていることわかります?」
「わかります。わかります。はい。」
「それから、もっと歯ブラシの時間を長くしてください。テレビを見ている間にも歯ブラシをするなどして、工夫をしてください。」
「はい。」
「あと、車の運転中とかも。」
「え?車を運転しながら歯ブラシ?どうするんですか?」
「空ブラシでいいじゃないですか。」
「ああ。はい。」


一応、はいとは言ったものの、運転をしながら歯ブラシというのが今ひとつ理解が及ばない。歯ブラシは、最終的に、うがいをしなければいけないような気が僕はどうしてもする。
車のなかで、うがいはどうするんだ?
唾液で濡れた歯ブラシをどうしたらいいのかも、今ひとつ理解ができていない。
でも、歯医者さんに「言っていることわかんないんだけど」と言い返すほど僕も若くないので、はいはいと聞いていた。


世の中にはきっと運転しながら歯ブラシをする道具なり方法なりがきっとあるのだろうと思ってネットで調べてみた。
ほとんどは「運転しながら歯磨きをしている人を見た。気持ち悪かった」というもので、特に何か特別な方法があるというわけではなさそうだった。
長距離トラックの運転手は運転しながらの歯ブラシも普通らしい、という世界で1、2を争うくらいのいらない知識が身についたくらいで、こんなこと調べなければよかったと後悔をした。


「やっぱり不自然なんじゃん。」
そう思ったけれど、きっと次に歯医者に行ったとき「運転しながら歯ブラシしてみました。よかったです」くらいのことを俺は言ってしまうんだろうなあ、と思う。
ときどき、「平気な顔でウソをつく」と俺のことをいう女性がいるが、「世の中が、俺に言いたくもないウソを言わせているんだ!」と俺は言いたい。


週末はやっぱり実家に帰って、土曜日は朝から母親の病室にいた。
夜は苦しかったらしく、看護師さんに吸入する酸素の量を増やしてもらったそうだ。


病室の窓から市街地を見下ろしながら、僕は勉強をする。
どうしようもない睡魔に襲われ、問題を解いているうちに、問題文を全然違うように読んでしまい、全然違うことを考えてしまう。
そして、悩み疲れてソファーに横になって寝てしまう。


意気込みばかりで、勉強はいつまでも進まない。
「まったくなあ。なんてこった。」
看護師さんが定期的に血圧などを測ってくれるのを、横目で見ながら反省をする。
やれやれ、と思う。
夜8時過ぎになると、実家に帰る前に、近くの温泉に行く。
熱くてとても気持ちがいい。
しばらく温泉なんて行っていなかったから、こういう感覚も忘れていたな、と思う。


吉田秋生の漫画「河よりも長くゆるやかに」(小学館文庫)が、職場に転がっていたので、借りてきて読んだ。


My Kiasu Life in JAPAN-河よりも長く

昭和の時代を感じる漫画だ。
一言で言ってしまえばこの漫画に出てくる高校生は「ムダな高校生活」を過ごしている。
この高校生活の間、もっと勉強していれば。ちゃんと恋愛していれば。
自分自身もこの漫画に出てくるような目的意識の希薄な高校生だったので、嫌悪感を感じながら読んだ。
そして、未だにこんな漫画に手が伸びてしまう自分に対しても情けないと思った。


伊坂幸太郎原作の映画「ゴールデンスランバー」を観た。


My Kiasu Life in JAPAN-golden slumbers

小説で読んだときはとても面白かったのだが、映画になったのを観ると「そんなことありえないだろう」と突っ込みどころ満載。


My Kiasu Life in JAPAN-goldenslumbers1

例えば、原っぱに10年以上放置されていたカローラが、バッテリーを交換しただけで普通に走れたり(ガソリンやタイヤがそんなに保たないだろう!)、一晩のうちに仙台市内のマンホールに次々と花火を仕掛けることができたり。
一番ムリだと思ったのが、10人以上の警官に主人公が麻酔銃で狙われているときに、花火が上がったとたん、そっちに全員の警官が気にとられて、主人公を逃がしてしまう。主人公がどこに逃げたか誰もわからない。
「んなわけねえだろ!」画面に向かって声を出してしまった。


My Kiasu Life in JAPAN-goldenslumbers2

伊東四朗の演技だけは素晴らしく、それ以外は小説でやめておけばよかったと、観たことを後悔する映画だった。


スカーレット・ヨハンソンの映画「私がクマにキレた理由」も観た。


My Kiasu Life in JAPAN-the nanny diaries

映画の評判はあまりよくはなく、ただスカーレット・ヨハンソンを観たいというそれだけの理由で観たのだけど、僕にはストライクのとてもいい映画だった。


人類学で世界の民族を観察するように、ニューヨークの上流階級の人々を観察する、大人になりきれない、大学を出たばかりのアニー(スカーレット・ヨハンソン)。


My Kiasu Life in JAPAN-the nanny diaries1

彼女がきれいでかわいくて、画面を見ながら何度もため息が出た。
彼女がいじめられるたびに腹が立ち、悔しさを感じた。
悔しさは彼女以上に感じていたかもしれない。


ミセスX、ミスターX、そしてアメリカのくそガキ!
本当に腹が立つ家族で、そのなかでアニーは子守をする。
観察をされているというだけで、観察者に感化されることがあるのだと、アニーは語る。

キャスティングもドラマも僕向きだったのだと思う。こんなに映画に集中したのも久しぶりだった。
そしてスカーレット・ヨハンソンの知的さと美しさとまっとうさに、こんな女の子が近くにいたら、好きになりすぎて俺は死んでしまうかもしれないと思った。
こんな子が身近にいなくて、僕は本当によかったと思った。


My Kiasu Life in JAPAN-the nanny diaries2

俺のまわりには、スカーレット・ヨハンソンに比べれば、まあそんなに大した子はいない。
残念なことではあるけれど、でもまあ、考え方次第だ。幸運を感謝したい。

高校の頃、Mくんという友達がいた。
世の中を見通したような表情をした決断が早い友達で、どこか超然としていた。


大学受験で東京に行ったとき、Mくんは公衆電話ボックスでバッグを拾った。
なかに15万円ほど入っていたのだという。
「彼女を東京に呼んで、いっしょに温泉に行ったんだよ。バッグ?バッグは公衆電話ボックスに置いておいた。警察に届け出ると、何かを奪ったんじゃないかって疑われるからやめた方がいいんだよ。」


Mくんの目のなかに迷いがなかった。今の俺なら「それは占有離脱物横領という犯罪だ」と言えるのだが、言ったところで当時の彼は言うことを聞かなかったと思う。
彼は自分がやっていいことといけないことに対して基準を持っていて、その基準に絶対的な自信を持っていた。
そういうものなのだと、そのときから、僕もどこかでそう思っていた。


Mくんのような友達がまわりに多かったせいで、東京に行ったとき、予備校で会う友達の多くが、親や先生やテレビに出てくるド阿呆の言うなりに生きているのを見て、こんなにいろいろと考えずに成長できるのかと、逆に驚きだった。
スクスクと育ってきた若者がうらやましくもあったし、バカにもしていた。


とりわけ、Mくんの基準はいろいろと優れていて、当時、僕は「もし99人殺して1人だけ助けるって事態が発生したら、なぜかMくんはその1人に選ばれていそうだよね。」と言っていた。
Mくん本人は「これでも損してるんだ」と言っていたけれど、僕から見るといつも得しているように見えた。


Mくんはすごいなと、いつも心から本当に思っていた。


僕自身は、お金の入った財布を落としたことが今まで2度ある。
一度はお金が全く入ってない状態で、でも財布自体は戻ってきた。
もう一度は、何一つとして戻ってこなかった。
そんなもんだと思う。


水曜日に飲み会があった。
飲み始めて30分ほど経ったとき、職場から電話がかかってきた。
交番から連絡があって、「財布を預かっている」から連絡して欲しい、ということだった。
「マジで?」
慌てて財布を探したけれど、ない。ああ、俺は財布を落としたのだと思った。
酔っているならともかく、素面のあいだに財布を落とすなんてなあ。ついてない。


お金がかなり入っていた。4万近く入っていたはずだった。
それでも、お金は戻ってこなくてもいい。クレジットカードや免許証だけでも戻ってくれば、と思っていた。


交番に着くと、警官が笑顔で出迎えてくれた。
「財布を落としたんですが。それで、連絡をいただいたのですが。」
遺失物届けを書いたり、内容確認をした。
金額は4万5千円ほども入っていた。かなりの大金だ(俺にしては)。
「拾った方は、名前は教えないで欲しいとのことです。お礼もいらないそうです。」


それを聞いて、僕はかなり驚いた。
最初はこんなこと、あり得ないと思って嬉しかった。
それから「もしかしたら、この人が恩人もしれない」と道行く人全員に気遣いをしなければならないから、随分な負担を背負ってしまったな、という気分にもなった。


それから、考えてみたら、社会の多くの人が、いろんな意味で僕の恩人なのだと思った。
欲とか得とかいうことを基準に考えてはいけないのだと、改めて思った。
いつまでも高校時代の基準に頼っていてはいけない、僕もいい人にならないとなあ、と思った。
今回の件で、僕は本当に精神的にまだまだ成長が足りないように思った。


週末は実家にまた帰った。
実家は寒く、凍えるようだった。
病院が居心地がよく、母が寝ている病室のソファーで休んでいる時間も長かった。


アンジェリーナ・ジョリーの映画「ソルト」をDVDで見た。


My Kiasu Life in JAPAN-salt

ハリウッドが今までに100回くらい作ったことがあるような、当たり前のアクション映画で、新しさが感じられない。
CIAだの2重スパイだの、もういい加減、飽きろよ、といいたい。
トゥームレーダーをはじめて観たときのようなワクワク感もなかった。


My Kiasu Life in JAPAN-salt1

こんな映画ばかり作っていれば、若者の映画離れが加速するのは避けられないよな、と思いながら観ていた。
それでも最後まで観た。

My Kiasu Life in JAPAN-salt2

やれやれ、と思った。

新しいTVCMを撮影した。
撮影の15分前に、モデル役を頼んでいた人を捕まえてくる。
「今日でしたっけ?私、忘れていました。」
「あのなあ。でも少し時間が早まったんだ。すぐに来て欲しいんだけど。」
「そんなのムリです。」
彼女の上司に話をして、彼女の仕事をほかの同僚に割り振ってもらう。
「とにかく、俺のあとについてきて。」
今回の撮影には、プロのメイクの人がいるので、その人に引き渡す。
テレビもハイビジョンになったので、ハイビジョンに対応するメイクというのをしてくれるらしい。
メイクをしている彼女を放り出して、僕はエキストラを集めに行く。


仕事を忙しがって、なかなか撮影に協力してくれるエキストラが捕まらない。
「TVCM撮影ですか?僕、ちょうど昨日、床屋に行ってきたんですけど。」
「ごめん。今回は男はいらないんだ。」
積極的に出たがる人は、必要のない人ばかり。


仕方がないので、モデル役の人の上司を引っ張ってくる。
ついでに、何人か「モデルとして来い」と命令してもらう。
「15分でいいから。」
本当は1時間はかかるのだが、そう言わないと誰も来ないのだから仕方がない。


撮影現場に戻ると、メイクを済ませたモデル役の人がいる。
位置あわせが終わって、撮影に入る。
照明を浴びて指示を聞いている姿を見て、少しほっとした。
「なかなかきれいじゃん。」


ディレクターといっしょにモニターを覗く。
「こんなにきれいになるのか。」
きちんとした照明とメイクで、ごく普通の女の子が女優のように輝いて見える。
隣で撮影をされている本物よりも、モニターを通して見た彼女の方が美しい。
プロのモデルかと思うほどだ。


格安で作製依頼をしたのだが、それでも放映料なども含めるとTVCMにはそれなりのお金がかかる。
モデル役の女の子が、もし気の抜けたような撮影態度だったら怒ってやろうと思っていたのだが、落ち着いて、ディレクターの指示を的確に聞き、動いていたので安心した。
人選も撮影現場も偶然とたまたまの連続だったけれど、結果として、満足のいく撮影ができて僕は嬉しかった。


金曜日の午後、試写があって2つのテストパターンを見比べて、最終決定をした。
要望があって、同じCMを何度も見る。
見ているうちに、いろんなことが思い出されてきて、少し涙ぐんでしまった。


多少の修正箇所はあったけれど、なかなかいいCMができあがった。
見た人の反応もなかなか好評だった。
来月からの放映が、今から待ち遠しい。


金曜日の夜、10時過ぎにまた実家に帰った。
翌日の土曜日の朝、病院に行くと、母が苦しそうにしている。
「助けて。」
僕に息を切らせながら言う。
看護師が来てくれるのを待って、先生に連絡を取ってもらう。


先生の指示で酸素の吸入量を増やして、呼吸がしやすいように、腰掛ける形になるように頭を高くしたら、苦しさはだいぶ改善されたようだ。
昨日、寝られなかったせいか、土曜日は僕がいる間、ずっとよく寝ていた。
先週末より、ものが食べられなくなったのが悲しかったが、夕方には少し食べられるようになった。


病院で、中学・高校時代の同級生に会った。
今はこの病院で外科医をしている。
「なんだか、本当に医者みたいだな。」
「白衣を着てるとな。貸そうか?」
「いいよ。いらないよ。」


病院の窓からは、市街地が見渡せる。
まだ寒いが、どことなく春を感じる。
本当に早く春になるといいなあ、と思う。


アクションヒーローばかりが集まった映画「エクスペンダブルス」を見た。


My Kiasu Life in JAPAN-expendables

スタローン、ミッキーローク、ドルフ・ラングレン、ジェット・リー…。
もうアクション映画はあまり興味がないのだが、DVDをもらったので、見ることにした。


My Kiasu Life in JAPAN-expendables1

警備の固い独裁国家の官邸に忍び込み、独裁者をやっつける。
ストーリーといい、出てくるヒーローといい、昔の映画だよなあ、と思いながら見る。
生きては帰れない戦場にヒーロー達は向かう。


My Kiasu Life in JAPAN-expendables2

誰かが犠牲になるのだろうと思いながら見ていた。
結局、敵は全滅したものの、こちら側の犠牲者は0。さすがは、ヒーローだ。


以前からずっと見たいと思っていた映画「ハングオーバー(直訳すれば2日酔い)」も見た。



My Kiasu Life in JAPAN-hangover


結婚式の直前、独身最後のパーティーを4人の男たちが計画し、ラスベガスで過ごす。
ホテルの屋上で、4人は永遠の友情を誓って乾杯をする。


My Kiasu Life in JAPAN-hangover1

翌朝、目が覚めるとトイレにトラがいる。赤ん坊がいる。そして、結婚予定の男は行方不明。
歯が抜けている。車もない。病院にも行ったようだ。
いったい、何が起きたのか、誰も何も覚えていない。


My Kiasu Life in JAPAN-hangover2

どうやら、相当、羽目を外して遊んだらしいことはわかってきたのだが…。


期待したとおりのクオリティーで、すごく面白い映画だった。
俺が脚本家だったら、こういう脚本を書きたいと思うはずだ。


でも、あれほど好きだった映画というもの自体を、最近は心から楽しめなくなっているような気がする。なぜなのか、今ひとつ、わからないけれど。

金曜日の朝、車のなかでラジオを聞いていたら、ソフトバンクの孫社長の話をしていた。


彼は、20歳でアメリカに留学し、1日の99%を勉強に費やし、残りの1%の時間、発明をしていたのだという。
そして、取った特許が電子辞書。
それでお金持ちになったのだそうだ。


僕がはじめて電子辞書を使っている人を見たのはオーストラリアだった。
現地で仕事をしている友達が持っていた。


「それって本当に単語を引くスピード、速いのか?」
僕がポケット辞書で単語を引き、友達が電子辞書で単語を引き、競争をしてみた。
完敗だった。
日本に戻って、僕はすぐに電子辞書を買った。


そうか。電子辞書は孫さんの発明品だったのか。


電子辞書のようなものは、きっと孫さんが発明しなくても、誰かが必ず発明していたようなものだとは思う。
でも、孫さんの勉強に対する姿勢も含め、電子辞書の発明をすごいことだと思う。


そして、こういう話を聞くと「おまえは20歳のとき、何をしていたのだ」と自分をついつい責めてしまう。今さら意味のないことではあるのだけれど。


金曜日の午後は、松本まで偉い人を連れて出張した。
長野までの帰りに、さらに偉い人を乗せて帰ることになった。


後部座席に乗った2人の会話はなかなか面白く、何度か笑った。
「試験に受かったから頭がいいとは必ずしも言えない。運がよくて受かることがあるからな。でも、試験に落ちたやつはバカだ。」


聞きようによっては、かなり傲慢な会話だが、俺は単純に「すごいなあ」と思いながら聞いていた。


「最近の若い奴らの情報網はすごい。ある意味、コミュニケーション能力は相当に高い。でも、楽な方、楽な方に進もうとする。苦労をしたがらないんだ。その結果、本来目指した方向とは別の進路を選んでしまう。」
「2人いると、必ず悪いやつの方向に進んでしまう。いい方向に引っ張られることがない。そして今の大学にはそれでいいという風潮がある。」


偉い人同士の会話はなかなか深く、聞いていて楽しい。
日本に熱さがないというのは、韓国映画と日本映画を比較して、僕がいつも思っていたことだ。日本人は賢くなりすぎて、ムダな熱さがなくなった。
野球の練習後、プロテインを飲んで筋肉をつけている高校生に、タイヤを引け、なんていうことはバカバカしいことなのだと思う。それは俺もそう思う。
でも、かつてはそのムダな熱さが、社会の熱気も生んでいたようにも思う。
科学に優れたクールな日本が韓国にスポーツで負けるのは、そんなムダな熱さの差のように思う。


長野に着いたとき、送った偉い人達から、随分と感謝の言葉を投げかけられたけれど、僕は自分自身にとってもいい時間が過ごせたように思った。


そしてそのまま2時間ほど車を運転して、僕は実家に帰った。


母はまだ入院したままだ。
翌朝、お見舞いに行ったけれど、なかなかよくなっている感じがしない。
でもまあ、何というか仕方がないことだ。
誰もがこうして老いていくのだから。


トム・クルーズとキャメロン・ディアスのアクション映画「ナイト&デイ」を見た。


My Kiasu Life in JAPAN-knight&day

どこかで見たようなアクションと演出。トム・クルーズやキャメロン・ディアスの魅力が相当落ち込んだことを再認識する映画でもある。

My Kiasu Life in JAPAN-knight&day1
脚本もバカバカしく「こんなもんでいいだろ」というディレクターの声が聞こえてきそうだ。


My Kiasu Life in JAPAN-knight&day2

小中学生なら面白いと言ってもいい。でも、高校生にもなってこんな映画を観て面白いと言っているようだったら、いろいろと反省した方がいい。そんな映画だ。

右下の奥歯の周りの歯茎が腫れている。
特に痛くもないが、何か怪しげな液体が浸み出ているような感覚がある。
ティッシュで腫れている部分を押してみる。
そのあと、ティッシュの匂いを嗅ぐと、傷口の匂いがする。
歯磨き粉を数種類買い、デンタルリンスも、歯間ブラシも使ったけれど、腫れも引かないし、怪しげな匂いもそのままだ。
そこで金曜日の夕方、2時間ほど年休を取って、数年ぶりに歯医者に行った。


歯医者の待合室に、手塚治虫の漫画「火の鳥」が並んでいる。
「「火の鳥」を読むなんて、中学生のとき以来だな。」
そう思いながら、読み始める。
大昔に読んだ記憶をたどりながら、読み進める。
覚えている部分も忘れている部分もある。
名前を呼ばれたときは漫画を読むことに熱中していて「もう虫歯なんかどうだっていい」と思ったけど、仕方がなく漫画を置いて立ち上がる。


歯医者でレントゲンを撮ってもらうのも久しぶりだ。
口の中に形状も判然としないプラスチックの器具を入れられて、撮影をする。


写真をプリントアウトして、説明を受ける。
「歯槽膿漏で重傷」だと言われる。
「重傷?俺が?それは大変だ」と思うが、どうすることもできない。
奥歯の詰め物がすべて外される。感覚的には東京ドームが丸々入るような大穴が空いている。
連休明けまでその状態でいなければならないのだそうだ。


舌先で、ギザギザになった奥歯の断面をなぞる。
歯医者の話では、歯の根の部分が衰えて吸収されているのだそうだ。
「確かに最近、牛乳飲んでないし。骨が溶けるといわれるコーラを毎日1リットルは飲んでいるし。」
たぶん、全然、原因ではないことに思い当たる。これが素人というものだ。


夜7時過ぎ、ときどき雪が舞っていた。
実家に向かって車を走らせる。
どうも最近、夜になるとアクセルペダルの踏みが浅い。
いつもより時間をかけて、実家近くのインターチェンジで高速を降りる。
インターチェンジ近くの西友で牛乳を買う。今さら歯を強くするつもりなのだろうか。
「ばっかだなあ」と自分でも思う。


実家で牛乳を飲む。
ただでさえ、実家に帰ると寝る時間が長くなるのに、牛乳を飲んだせいだろうか。
翌日は8時間寝てもまだ眠かった。


土曜日の朝、母を見舞いに病院に行く。
広い病室なので、僕がいても全然じゃまにならない。
病室の隅で勉強していても、パソコンを使っていても、寝ていても大丈夫。


母の具合はあまりよくなっていない。
主治医の先生が僕を別室に呼んで、状況を説明してくれる。
簡単に言うと、心臓の働きが鈍って、肺に水が溜まっているのだそうだ。
とてもきちんとした説明を受けることができて、納得した。
納得したけれど、それほど希望が持てる話でもなく、「そうですか」と言うしかない。
人生が厳しいってこういうことかと思う。


病室の窓から、市街地を見下ろす。
ひとつひとつの窓の向こうに、生活や人生があるのだと改めて思う。
そしてそれぞれが、違う生活、違う人生を歩んでいる。
本当にいろんな人がいるのだ。


俺はこれから、どう生きるべきなのだろうか、と思う。
ふと、世界にはたくさんの人がいるけれど、人生で会えるのはわずかなのだから、仲良くしなければいけない、という高校の頃どこかで読んだ文章を思い出して、ああ、そうだったなあって、あの頃もそんな風に思ってたんだっけって何となく思い出してみたりした。

年末から年始にかけて、僕の実家がある地域は、青空が広がるとても穏やかな日が続いていた。
遠くに見える山々の頂上には白く光る雪があるものの、近くの山は緑や枯れ葉色に包まれていて、雪はどこにも見あたらない。
澄んだ空気に光が遮られないせいか建物が白く輝いていて、空気の冷たさや太陽の照らす角度を無視すれば、まるで初夏のようだった。


記憶違いだろうか。昔はもっと冬は寒かったような気がする。
小学校3年生のとき、通っている剣道の道場で、寒稽古があった。
朝5時に起きて、5時45分から6時45分まで1週間続けての稽古がある。
稽古前の雑巾がけだけはさすがにお湯だったが、板の間で行われる稽古はつらかった。
立っているだけで、足が冷たく、痛くなってきて涙があふれてくる。
道場のまわりの畳の上に立つと温かい。畳は温かいのだと知った。


道場の先生が言うには、昔は雑巾がけも水で行ったので、雑巾をかけたところから凍り、その冷たさに耐えて稽古をしたのだそうだ。
その話を、そんな時代に生まれなくてよかった。僕にはとても無理だ。と僕は悲しい思いで聞いていた。昔は素直な子供だったのだと思う。


それでも、ひとつだけいいことがあった。
本当に剣道が上達したのだ。
相手の面を打つ。つばぜり合いをして、そのあと、普通は真っ直ぐ下がるところを、相手の真横に回って、真横から無防備な相手の面を打つ。
僕はこの寒稽古で、この技をマスターした。
先生からも「動きが速い」とほめられた。


もう、それも随分と遠い記憶だ。今では、その道場そのものがない。


テレビで鳥取で大雪が降り、車600台!が動けないというニュースを、信じられないような気持ちで眺めていた。
それから、あの道を旅行したんだなあ、と遠い日の記憶を探って、そして思い出さなくていいことまでつい思い出してしまったりした。


寒さのせいか、母はどこか具合が悪そうで、食欲もあまりなかった。
年末にはそれでも温かいそばを食べ、「おいしい」と満足そうに笑っていた。


元旦には、うどんが食べたいというので料理をしたのだが、結局、箸をつけることはなかった。
手をつけられていない、うどんを流しの三角コーナーに捨てながら、「俺は何をやってるんだろうな?」と思う。「こんなことをして俺の一生は終わるのだろうか」と思うと、情けなさや悔しさや、後悔ばかりが頭をよぎる。


自分がこんな状況に落ち込まないようにする柵が、俺の人生にはたくさん用意されていたのに、俺はそれをすべて突き破ってしまったんだな、と思う。人生って取り返しがつかないもんだよな、と諦めの気持ちで今までの人生を振り返って、そしてまた傷つく。


台所のテーブルに突っ伏している母親に「本当に良くなってくれないと困るんだけど」と無理難題を言う。
母は「私もあなたたちに迷惑をかけているのはわかるんだけど、まだ死ねないの。」と悲しそうにつぶやく。
「俺はそんなこと言ってんじゃない!」
明らかに俺が回答不可能なことを言い出したのが悪いのだが、どうにも腹が立って仕方がない。


食事を終えてベッドに寝ている母親が少し苦しそうに見えたので、血中の酸素濃度を測る。
指を挟むと簡単に測定ができる器具を、義理の兄からもらっていた。
普段、97%ほどあるはずの酸素濃度が77%ほどしかない。
慌てて姉に連絡する。
「肺や心臓に水が溜まっているかもしれないから利尿剤を飲ませるように。」と言うので飲ませる。
「トイレに行きたくなるから介助をしてあげて。」
「うん。」


普段は2階の自分の部屋で寝ているのだが、夜中の3時頃、1階で物音がするので起きて見に行く。母が苦しそうにトイレに行くのを手伝う。
実家の廊下は寒さで凍えるようだ。
もう一度ベッドに寝かして酸素濃度を測ったら60%程度にまで落ち込んでいた。
咳き込むので背中をさする。ティッシュに吐いた痰は血で赤く染まっていた。


このままだと本当に死んでしまうかもしれない、と思ったけれど、「大丈夫だから」という母の言葉を信じて再び寝る。


朝5時頃、また物音がするので、1階に降りると、母が廊下に突っ伏して倒れている。
「入院するかもしれないと思って、入院に必要なものを集めていた」と言うので怒る。
「今、そんな状況じゃないだろ!ただもう寝ていてくれ!」
酸素濃度は60%からときどき50%代にまで落ち込んでいる。


夜が明けたら、姉に電話をするつもりで、それまで死なないでくれと思いながら寝ていた。
6時50分になったので、姉に電話をしたら、「すぐに救急車を呼びなさい!今までなんでモタモタしていたの!」と怒鳴られる。「救急車なんて大げさ」と母が苦しそうに言う。「さっさとしなさい!」姉に怒鳴られて、慌てて電話を切って、119番に電話をする。


病状を伝えて、住所をいい、場所を詳しく説明する。住所を伝え終わったとき、「もう救急車は出動していますから、もうすぐつきます」と言われて驚く。どうして住所がはっきりしないうちから出動できるんだ?姉にあとで聞いたら、救急隊員は車のなかから電話をしているか、会話の内容を聞いているのだそうだ。


救急車の音が近づいてきたので、慌てて家を飛び出し、救急車に手を振る。サイレンを止めて救急車が来る。


救急隊は3名だった。1名は女性。
その女性が母に酸素マスクをし、重そうな酸素ボンベを背中に背負い、母を乗せたストレッチャーを両手で握りしめて、男性隊員と協力して、ストレッチャーに乗っている母を運ぶ。僕の家は玄関まで、6段ほどの階段がある。その階段を、1歩1歩確実に下りていく。その力強さに、惚れそうになった。


そのたくましい女性隊員の姿を見ながら僕が考えていたことは、母は服を着てもせいぜい45キロ程度だけど、救急隊が行った先にマツコデラックスがいたら、どうするんだろうなあ、ということがひとつ。
それからさらに、昔読んだ「マイ・ライフ・アズ・ア・ドッグ」の本のなかで、ペンキが手についた叔父さんに「ベンジンを取ってくれ」といわれた主人公が、誤ってシンナーを渡してしまった話も思い出した。


My Kiasu Life in JAPAN-my life as a dog

確か、叔父さんは、トイレに座ったままペンキをシンナーを浸したトイレットペーパーで落とし、その紙を股間からトイレに投げ捨てるのだ。最後に口にくわえていたタバコを股間からトイレに放り投げたとたん、叔父さんのお尻のまわりの便座の隙間から火柱が上がり、叔父さんは裸の尻に大やけどを負ってしまう。
そしてまた、彼を救急車に運ぼうと、裸のお尻を上にしたまま担架を運んでいた救急隊員が、「どうして尻だけ大やけどを負ったのか」聞き、叔父さんの話を聞いたとたん、吹き出して担架を落としてしまうのだ。


ストレッチャーを運んでいる救急隊員を見ながら、僕はそんなことを考えたり、思い出したりしていた。


救急外来での検査の結果、結局、母は入院することになった。
濃い酸素を吸入させてもらい、母の血中酸素濃度も80%後半にまで快復した。

「朝に比べたら、信じられないくらい楽」と母はいう。


個室が空いていなくて、特別室に入院させてもらう。
差額は高いが、これも母のためだから仕方がない。
特別室からの市街地を望む景色は、すばらしくきれいで、僕はしばらく見とれていた。


***おまけ***


通常、業務用酸素の販売はkg単位で行われている。
もちろん、使用時にはl(リットル)の単位を使う。
ここで、酸素1kgはいったい何l(リットル)なのか、という素朴な疑問がわく。


酸素分子1molは32gだからまず1kgは何mol(モル)かを計算する。
((1kg=)1000g)/32g=31.25mol


ここで、よい子のみんなは1molあたりの標準気体は22.4l(リットル)であることを思い出すはずだ。
31.25mol*22.4l(リットル)=700l(リットル)


というわけで、酸素1kgは700l(リットル)だと言うことがわかる。
意外とキリのいい数字で、俺は驚いた。

職場の席の後ろに25歳の同僚がいる。
週末の予定を聞いたら、男4人で集まって、モンスターハンターをするのだという。
「男が週末に4人集まってPSP?小学生か?おまえらは。」
「でも1人でするよりも仲間と狩りをしたほうが効率がいいんですよ。このゲームはチームで戦えるってところがいいんですよ。」
「効率がいい?俺に言わせてもらえば、ゲームなんか、そのものがムダなんだよ。何か実生活で役立つことあるのかよ。車だって30時間で免許が取れるんだぞ。」
「確かに、前のモンハン2をしたとき、プレー時間が200時間を超えていたんですよ。それを見たときに、時間をムダにしたなあって思いました。」
「ふーん。」


本当に時間の無駄遣いだとは思うけれど、25歳の男にじゃあ、俺は何をすればいいんですかって正面切って聞かれたら、なかなか答えづらい。
勉強しろなんて言えないし。
本や映画はじゃあ、実生活で役立つんですか?って聞かれても何とも言えない。
むしろ、自分で参加する映画だと思えば、ゲームの方がよっぽど主体性があるようにも思える。
麻雀にはまったり風俗や投機に走るよりは、男4人でゲームしていた方がはるかに安全だし、いろんな情報から、彼らなりに自分の楽しい時間の使い方を模索した結果がこれなのかと思ったら、そういうものかとも思った。


今年もなんとなく1年が過ぎてしまった。


1年を振り返って、大きなイベントは、友達が本を出すことになって、それに協力したことくらい。
仕事は、まあよく頑張ったと思う。
でもそんなことは、どうでもいいことだし、誰もがそうやっていることだ。


今年は来年司法書士の試験を受けるからと、それを言い訳にほかの試験も受けなかったし、本を読むのも映画を見るのも少なかった。
来年は、正月から勉強にはもっと真剣に取り組みたい。


何度か名古屋に行ったけれど、そのほかは戸隠、諏訪大社と、旅行の行き先は近くが多かった。


今年読んだ数少ない本のなかでよかったものを3冊あげるとこんな感じ。


1「昼が夜に負うもの」ヤスミナ・カドラ(ハヤカワepiブックプラネット)


My Kiasu Life in JAPAN-昼が夜に負うもの


2「20歳のときに知っておきたかったこと」ティナ・シーリグ( 阪急コミュニケーションズ )


My Kiasu Life in JAPAN-20歳のときに知っておきたかったこ


3「ペンギンの憂鬱」アンドレイ・クルコフ(新潮社クレストブックス)


My Kiasu Life in JAPAN-ペンギンの憂鬱


映画もあまり見なかったけど、よかった5本はこんな感じだ。


1「チェイサー」(韓国映画)


My Kiasu Life in JAPAN-チェイサー


2「インビクタス」


My Kiasu Life in JAPAN-インビクタス

3「第9地区」


My Kiasu Life in JAPAN-第9地区


4「ハート・ロッカー」


My Kiasu Life in JAPAN-ハートロッカー

5「マルコビッチの穴」(今頃見て何いってんだよ、って言われそうだけど)


My Kiasu Life in JAPAN-マルコビッチの穴


もうすぐ今年も終わりだ。
心機一転、来年からまた、いろいろと努力したい。